三話 竜の半端ない理由
能天気な咆哮に、身体は即座に動いていた。
「りゅうこわいりゅうこわいりゅうこわい……」
「マスター、またですか! しっかりしてくださいっ。スケルさんまでっ」
部屋の隅で岩肌に同化しようとしていたところをスラ子に引き剥がされる。
もう一人への突っ込みにちらりと視線を向けてみると、
「あっしは骨。ただの骨、話しかけられても答えのない朽ちた屍でありやす……」
「ばっちり答えてるじゃないですか! 死んだ振りなんて迷信です! そんな不自然な死後硬直ありえませんからっ」
一本の棒のように直立不動の体勢で地面に伏せた姿は尋常でなく怪しすぎたが、それでもスケルは起き上がろうとはしない。
あんな入り口の近くで倒れてたらストロフライに踏まれてしまうかもしれない。自分のボケに心中するならそれはそれであっぱれだが、
「あっしは肉。あっしは土。心頭滅却すれば火も涼しなれば、真に自然と同化せば気もまた無きが如し。そも無とは一体にして――」
ただの現実逃避だった。
第三者として見ればこそ、その滑稽な取り乱しようがよくわかる。
俺は息を吐き、意を決して迷惑な訪問者を迎えに外に出ようと扉をあけて、
「やっほー、マギちゃん」
すぐそこに相手の姿があったことに思わず身をのけぞらせた。
「や、やっほーデス。ストロフライサン……」
「うん。元気してたー?」
にこにこと機嫌よく、手をぐーぱーさせながらいってくる金髪の少女。
人型をとった黄金竜は自分の家であるような気軽さで部屋のなかに足を踏み入れながら、
「前に会ったのっていつぐらいだっけ。一年、はないか。二ヶ月くらい?」
「いえ、半月くらいデス」
長命で強大な竜は全ての感覚についておおらかだ。
鈍感なだけともいえるが、連中に敏くなられてもらっても色々と困った事態が起きてしまう。
食欲でも財宝欲でも。
どんなものだろうが、連中が自分に相応のものを求めるようになってしまったら、世界中が大騒ぎだ。
それはわかるし、あまり人間の身体で動くことに慣れてないせいもあるのだろうが、足元に注意がいかなかったりで家具にぶつかったりするのは危ないからやめてほしい。
もちろん危ないのはストロフライではなく、ぶつかられた対象のほうで、
「あ、」
偶然、ストロフライの足が近くに置いてあった物入れを蹴り飛ばした。そのまま物凄い勢いで吹き飛ばされて壁にぶつかり、粉々に砕け散る。壁にも小さくない穴があいていた。
その場にいた全員の顔が青ざめた。
「ごめーん、マギちゃん。当たっちゃった」
「い、いやいや、気をつけてクダサイ。……主に俺たちのために」
やくざな竜のドジで家がやばい。
というか、あんなものがもし自分たちに向かって飛んできたら、まず死はまぬがれない。
「今日はなにか御用デ?」
みかじめを支払う予定なのはまだ先だが、
「ううん。ちょっと留守にしてたからさー。なにか変わったことなかったかなあって。あれ、また誰か増えてる? って、スケルちゃんじゃない」
ストロフライに見つかったスケルはすでに死んだ振りをやめていた。テーブルの椅子をひいて、かしこまった態度で頭をさげている。
「お、お久しぶりでアリマス……」
声がわずかに震えていた。
俺と過ごした時間が一番長いスケルだ。ストロフライの恐ろしさだってそれこそ骨身に染みている。
「骨っこじゃない! ははーん、スラ子ちゃんの仕業かあ」
「ちょっと、色々ありまして」
照れたようにスラ子がいった。
すっとストロフライの瞳が細くなる。
「ふうん。まあ、あんまり羽目をはずさないようにねー」
「気をつけます」
「ストロフライさん、どうぞこちらへ」
礼をつくした態度でスケルが椅子をすすめてくるのに、
「ありがとー」
ストロフライは軽やかに応じて、座る前に椅子に手をかける。
「んー」
なにかを確かめるために少し押しこむようにした、その手がぱっと輝いて、
「これでよし」
ひらりと体重を感じさせない動きで座る。
ぎしり、と椅子がかしいだような気がしたが、そんなことにはたとえ気がついてもそれを顔にだすのは命知らずというものだ。
「お茶はいかがでアリマスか」
「じゃあもらおっかな。熱ーいのにしてくれる?」
「かしこまりましてアリマス」
恭しく一礼したスケルが逃げるように部屋からでていく。
あいつ、俺のときと態度が違いすぎるな。……気持ちはわからんでもないが。
「あー!」
突然、ストロフライが大声をあげた。
「シィちゃんの胸がちょっとおっきくなってる!」
目ざとく見つけられたシィが顔を真っ赤にした。
びしり、とストロフライの指が俺に突きつけられる。
「へんたいだ!」
「いやいや」
「こんなちっちゃい子に手をだすなんて、へんたいでしょー!」
「いやいや、はっはっは」
誰か助けて。
「……わたしから、お願いしたんです」
追い詰められた俺に見かねたのか、シィが助け舟をだしてくれた。
む、と顔をしかめた黄金竜娘が、
「無理やりとかじゃない?」
こくりと妖精がうなずく。
「だったらいいんだけどー」
竜の機嫌を損ねれば、次の瞬間には殺されたって文句はいえない。
生きながらえたことにほっと息を吐きながら、背中にはだらだらと冷や汗が流れまくっていた。
「なんだか他にも誰か増えた? マギちゃん、ぼっちだった頃とは大違いじゃない」
「いやいや、おかげさまでもちまして」
「よかったねえ。あたしも嬉しいよー」
にこにこと邪気のない笑顔。本当にただ単純に喜んでくれていた。
スケルが茶を淹れて戻ってくる。
手に取ったそれを冷ますようなことはしないで口につけたストロフライが、
「それで、なんか変わったこととかあった?」
と聞いてきたのはただの世間話のようなものだろうが、
「ちょっと気になる話が」
いい機会なので、訊いてみることにした。
「気になる話?」
「このあたりでなにか起きてるのかもっていう。それで、洞窟の奥にある縦穴に気をつけろとアカデミーの人間から聞かされて、気になってはいます」
「アカデミーって、またあの女? マギちゃん」
「エキドナです」
ふぅん、とストロフライの瞳が冷淡に輝く。
「まだこの近くにいるんだ。うざいなあ、今度見かけたら殺しとこ」
物騒なことをさらりといってから、
「縦穴なんてこの洞窟にあったんだねー」
「魔物があがってくるわけではないので、気にしてなかったんですけど。一応、調べてみようかと」
「んー。別にあんまり変なことはない気がするけどな。あんまり細かいことまでは見てないけど」
生まれながらに膨大な魔力を持つ竜族は、技術ではなく生態として魔力を扱う。
この一帯で大きな異変があれば、それにストロフライが気づかないはずがなかった。
ただし、けっこうおおざっぱなのが竜なので、あんまり小さいことは気にしないこともある。
そして竜からすればたいていのことは「小さい」という認識で終わってしまう。
「調べるってことは、実際にいってみるんだ?」
「そうしてみようと思ってます」
「ふうん。ちょっとおもしろそうかも」
ストロフライの目が輝いた。
「あたしもいく!」
『いやいやいやいやいや』
即座に全力でお断りをいれたのは舎弟歴の長い俺とスケルの二人だった。
「そんな、わざわざストロフライサンが足を運ぶようなことじゃないデス」
「そうデスそうデス、そうでアリマス。ここはあっしらにお任せくださいマセマス」
もしストロフライが一緒についてくることになったりなんかしたら、違う意味で危険すぎる。
どれだけ手加減したつもりの一撃だろうが、竜族の力なんかを洞窟のなかで使われたら落盤必至。生き埋め必死だ。
土に埋まるくらい竜にはなんてこともないだろうが、周りの俺たちは即死する。
「えー」
ストロフライの機嫌が一気にかたむいた。
「なんだか一緒にいったら迷惑みたいな感じ」
「そんなことありません、俺たちはただ舎弟として、手をわずらわせるまでもないと――」
「そうでアリマス! こんなことに親分を呼び出したりしたら、手下の名折れってもんでさあ!」
必死な表情で説得を試みるが、こんなふうにいいだしたら相手が聞かないこともわかっていて、
「ヤダ。いく。もう決めたもんねー」
駄々っ子のように頬をふくらませた。
「いやいや。そうだ、わざわざ下りるまでもないですよ、埋めちゃいましょう。穴をふさいじゃえば問題解決っていう」
「ご主人、グッドアイディアっす! それでいきましょうっ」
「ヤダ」
ストロフライはにべもない。
「そんなんじゃつまんないでしょー!」
あの手この手で翻意をもとめても受け入れられず、そのままストロフライの調査随行が押し通りそうになったそのとき、
「――――――――――ッ!」
声というよりは音そのものが、大音声で鳴り響いた。
聞き覚えのあるそれは間違いなく竜の咆哮。
ストロフライが眉をひそめて、
「あの雑魚。殺しとけばよかった」
とつぶやく。
「な、なにが……?」
「ん。なんでもないよー。ちょっと外で絡んできた馬鹿がいてさ。返り討ちにしてやったんだけど、仲間を連れてお礼参りにきたみたい」
「お礼参りって――」
竜が? 仲間とやってきた?
一瞬で身体のなかから血の気がうせるのがわかった。
たった一匹でも一国を滅ぼす竜に徒党を組まれたら、それこそどれだけの災害が起こるか知れたものじゃない。
死刑宣告にも等しい言葉に、立ちくらみにも似たものをおぼえるおれに目の前の少女がにこりと微笑んで、
「だいじょぶだってー。あたしがあんな雑魚どもに負けるわけないじゃないっ」
自信満々に席をたった。
「ちょっといってくるねー。お茶ありがと! 美味しかったよっ。今度は逃げられないよう地の果てまで追い詰めてくるから、またしばらく帰らないかも」
外に向かいながら、あ、となにかを思いついた様子で立ち止まって、
「マギちゃん、これあげる」
自分の首のうしろに手をまわして、そこからなにかを取り出した。
薄く硬質の輝きをもったそれは爪ほどの大きさのもので、
「あたしのミニ鱗。探検いくんでしょ? 間に合えばあたしもいきたいけど、とりあえず上のやつらに身の程を教えてこないといけないからさー。お守りになると思うっ」
手渡された鱗は重みを感じさせず、しかし下手に扱えば爆発しかねないほどの圧倒的なにかを内に秘めていた。
「大事にしてよー。あたしが誰かに鱗をあげるなんてちょー稀少なんだから。んじゃ、スラ子ちゃん、シィちゃん、スケルちゃん。またねっ!」
ひらひらと手を振って出ていった。
残された俺たちはしばらく立ち尽くしたままで、
「――――――――――ッ!」
怒声のような竜の叫びにびくりと全身を震わせた。
「マスター、どうしましょう」
さすがに不安そうにスラ子がいってくる。
「どうするったってな」
竜同士の争いに顔をつっこむなんてありえない。
無謀とかそういう問題じゃなくて、無理だ。
「ここでじっとしてるしかないだろ。……山ごと吹き飛ばされるかもしらんが、そのときはそのときだ」
そのときは運が悪かったと諦めるしかない。
「でも、いくらストロフライさんでも多勢に無勢では」
「だからって、いってどうする。竜に効く攻撃なんて考えつくか? 支援にもなりはしない」
「そうですけど」
なにかいいたげなスラ子の視線から、手元に目を落とす。
ストロフライから渡された鱗。
まさか、と嫌な想像が頭に浮かんだ。
……形見? よしてくれ、縁起でもない。
「スラ子、ついてこい」
「マスター!」
「勘違いするなよ。手出しなんかできない。様子を見るだけだ」
舎弟なのだから、戦いを見守ることくらいしてもいいだろう。
「シィ、スケル、お前らはここにいろ。山ごとやられたらおしまいだが、まだこっちのほうが安全だ」
「わかりやした」
二人を残して外に出る。
すでに戦闘が始まっているのか、さっきから音と振動が響きまくっている。
もしかしたらこの洞窟だって崩れるかもしれない、そのことを考えてぞっとしながら洞窟をでて、上を見た。
開けた視界に一匹の黄金竜と二匹の黒竜が見えた。
大空を背景に三匹は舞っている。
どれだけの高さにいるのか、決して飛翔した姿は大きくは見えない。だが、距離をはかりかねるのは大きさだけの問題ではなく、周囲が異常だからだった。
空が黒い。
雷雲が起こり、しかし雨は降ってこない。
稲光のような輝きがあるが、それは雲からか竜たちが呼び出しているのか不明だ。
青い空と黒い空の境目はくっきりとしていて、しかもそれが奇妙に歪んでみえる。まるで、空間そのものが歪んでいるように。
そこでは文字通り、桁の違う戦闘がおこなわれていた。
光と音。
昼間の空をさらに真っ白く染め上げたかと思うと、それから遅れて耳をつんざく音があちらこちらで跳ね回る。
しかし、それ以外には風もなにも、行為の余波を感じさせるものは一切ない。
まるで夢の世界のように現実感のない戦闘だった。
上空で繰り広げられるもののひとつが地面に落ちてきたら、それだけでこのあたり一帯はおしまいだろう。
竜の一撃は容易に山を砕き、海を裂く。
「あ――」
声がでた。
黒い竜の片割れから、なにか熱線のようなものが吐き出される。
上空から下に向けて放たれたそれは黄金竜にかわされるが、そのまま地上に向かって降り注ぐように落ちてくる。
奇妙にゆっくりとした速度に見えるのは距離が離れているからなのだろうか。
緩慢な破壊の光が向かっているのは、こちら。
それが地上まで降りてきたとき、自分は死ぬ。それを覚悟するのではなく、諦観として認めかけたとき、
「――――――ッ!」
声とともに、ぐにゃりと破壊光がひんまがり、急激な速度で上昇した。
そのまま吐いた持ち主に突き刺さり、
「――――――――――ッ!」
世界そのものがあげたような悲鳴で、黒竜が一瞬にして燃えあがった。
落ちていく。
その姿が途中でばらばらに朽ちていく様子がわかった。
焦げているのか、裂けているのか。すくなくとも、命が尽きていることだけははっきりとわかる。
一匹同士になる黄金竜と黒竜。
黒竜が仲間を連れてきたのは同数では敵わないという認識があったからなのだろう。
だから、その行動は素早かった。
黒竜が逃げ出した。
「はは」
思わず乾いた笑いがでる。
世界でもっとも強力な生物といわれる竜族。それが逃げるなんてところを見ることがあるなんて思いもしなかった。
そして、そのあとを追うようにストロフライが飛ぶ。
黒と黄金が大空を駆け回り、やがて二匹ともに視界から消えた。
呆然とそれを見送ってから、ふと気づけば空が晴れ、周囲を包んでいたなにかが消えたような感覚に気づく。
ストロフライの加護が、ここを守っていたのかもしれない。
「……勝っちゃいましたね。ストロフライさん」
ぽつりとスラ子がいった。
「ああ。勝ったな」
なにが形見だ。あほらしい。
実際のところはわからないが、下から見ていた感じではまったく苦戦した素振りもなかった。
お気楽黄金娘の圧勝だ。
「竜さんにも強い弱いってあるんですね」
「あるんだろうな。俺らには関係ない話だが」
生き物としての次元が違いすぎて、ため息もでなかった。
「……逆らったら、それは殺されますよねえ」
「……そうだな。気をつけような」
なんとなく虚しい気分になりながら、俺たちは洞窟に戻った。
部屋ではシィとスケルが椅子に触ってなにかしている。
「あ、ご主人。いかがでした」
「一匹殺して、一匹追いかけていった。洒落にならん。どうやら俺たちは竜のなかでも、とんでもない相手の舎弟になっちまったらしい」
「マジですかい。パねえっす」
「マジだ。そっちはなにやってる」
「いえ、こっちもちょっと洒落にならんといいますか」
いいながら、スケルが椅子を指し示して、
「ストロフライの姐御がさっきまで座ってた椅子なんですがね」
「ああ」
「スラ姐、ちょっと魔法で壊してみてくれませんか」
スラ子が俺を見る。なんだかよくわからんが、うなずいた。
「アイスランス!」
発動した氷の槍が直撃し、安物の椅子はあっさりと壊れ、――ない。
「え?」
スラ子が手加減したのかと思ったが、そのスラ子も驚きに目をみはっていて、
「嘘」
いいながら椅子に近寄って、触れる。
「……固定、されてる?」
「そうなんです」
神妙な表情でスケルがうなずいて、
「シィさんが気づきました。あっしには視えませんが、どうやらそういう力がかかってるらしいっすね」
「どういうことだ」
確かによく目を凝らしてみれば椅子の周囲になにか普通ではない魔力の流れがあるが、それがどういったことまでかは俺にはわからない。
「簡単にいうとですね、ご主人。この椅子はもうあっしらがなにをやっても壊れません」
「壊れない?」
この、大人が二人も乗れば重さに耐えられなさそうな安物の椅子が?
「ストロフライさんが、座る前に処置したのでしょうね」
半透明な表情を青ざめさせたスラ子がいった。
「この椅子はずっとこのままです。恐らく竜族と同等の力をもった誰かが壊そうとしない限り。それが何十年なのか、永遠になのかはわかりませんが」
「……竜族の魔法ってことか」
「なにをどうやればこんなふうになるのか。わかりません。全然、理解すら。強化とか魔法とかじゃなくて、まるでそうあれって椅子自体に強制してるような……」
スラ子の声から血の気がうせているのを聞くのははじめてだった。
竜族の力の一端。それを見せつけられて声もなく、俺たちはしばらく目の前の椅子を眺めていた。
その日、俺たちは一生に一度あるかないかという貴重な機会を得た。
竜族同士の戦いなんてものを目撃し、そのうえでなお生き残り。
さらには、きっとストロフライにとっては児戯に等しい行為の結果として最強の椅子を手に入れた。
「……これ、売ったら大金になるんじゃないか?」
「それより装備したらきっと最強だと思います、マスター」