一話 透けるようなスケル肌
「ん……」
白く艶やかな肌には滑らかな質感があった。
産毛もなさそうなつるりとした表面をなぞると、ぴくりと敏感に震える。
「んぅ――」
動きを止めると、ほっとしたような吐息。
それを確認してからあらためて手を這わせると、
「ん……あっ」
「さっきからうるっさいわ!」
わざとらしい喘ぎ声に、俺は手に持っていた相手の腕をべしんと放り投げた。
大げさな表情で身悶えていたスケルがおっとりとした瞳をいたずらっぽく細めて、
「嫌ですねえ。ご主人、これはいわゆるイメージトレーニングってやつですよ」
「なんのトレーニングだってんだ」
俺が吐き捨てるようにいうと、
「そりゃあもちろん、いつかご主人に閨に呼ばれたときに粗相をしないようにと! 無骨な指先にもしっかり感じた振りができないと、ご主人のやわなハートを傷つけてしまうでしょう」
「だったらそんな台詞を今ここでずけずけと口にしてんじゃねえよ。すでに傷ついたぞ」
「大丈夫でさ。こういうのにゃ、自分で盛り上げるってことも大事ですし。ひるがえって、先日のご主人とカーラさんとの逢瀬の場合はどうだったかという話になるわけですが」
「おいやめろ」
まだ傷口のふさがっていない身近なトラウマを例に持ち出されて、俺は顔をひきつらせた。
「反省は大事っすよ、ご主人っ」
にんまりとスケルが笑う。
「カーラさんが暴走化してしまった原因にご主人の行動が関わっていた可能性はありはしませんか。事に至るまでに、しっかりとよいムードに持っていけてましたか? 焦ったり、相手を怖がらせたりしませんでしたか?」
ぎくりとしたが、強引に流す。
「なんで夜の相談室みたいになってんだよ」
スラ子といい、こいつといい、どうしてこんな性格なんだろうか。
俺か? 俺が悪いのか?
「間違いなくご主人のせいでしょう」
スケルがきっぱりといった。
「自分の姿は、もともとの骨にスラ子姐の肉。それにマスターの記憶でかたどってるんですから。むしろ、ただの骨繋ぎだったときからこんな邪な想像を抱いていたのかと、ご主人の留まるところの知れない妄想力にはさすがのあっしも戦慄を禁じえませんっ」
「うるさい、ちょうどそういう夢を見たばっかりだったんだ」
「つまり夢のなかでは抱いていただけていたと?」
「違う。もういいから黙っとけ、お前は」
疲れを感じて手を振りながら考える。
スケルの性格が少しスラ子に通じるような気がするのは、果たして気のせいだろうか。それとも、ひとつの身体から派生したことの影響か。
あらためてスケルの腕をとり、調べる。
白く透き通った、高級な陶器のような肌色が洞窟の灯りにうっすらと浮き上がっている。
お嬢様育ちのルクレティアの肌に似ているが、それよりももっと、ほとんど病的なまでに白い。それなのに不健康な印象がないのは、表情と全身から活気が満ちているからだ。
スケルトンの骨と、スライムの構成物質が溶け合ってつくりだされた質感。
触ってみると、間違いなく肌そのものだった。
しっとりと吸い付くようなスラ子の表面とは違うが、シィの柔らかい肌やカーラの水を弾くような肌質とも違う。ひやりとした心地だけはスラ子のものに近い。
もはやスライムのそれではなかった。スケルの肌、肉体は元のスライムのものからはっきりと変質していた。
変質して、定着している。
「……変化はできないんだな。スラ子みたいに腕を伸ばしたり、形を変えたりとか」
「はい、ご主人。どうやればそんなことができるのか見当もつきません」
不定形性状というスライムの特性が失われていた。
スケルの身体はスライムではない。それはスケル自身の重要な核である骨格とまざりあった影響か、それとも。
思考を巡らして、ひとまず息を吐く。
「まあ、余計な魔力消費がないって意味では効率はいいな。スラ子と同じ魔力生体なのは変わらないわけだから」
「エコってやつですか。自分としては、あまりお役に立てそうにないのが残念ですが」
「なにいってんだ」
確かにスラ子のような戦闘能力は期待できないかもしれないが、そんなのはどうでもいいことだ。
「俺はお前が元気でいてくれたらそれだけで十分だよ。こんな風に話もできるようになったしな」
以前の、会話のないやりとりにだってあれはあれで味はあったが。相手の意思をはっきりと確認できるというのは、やっぱり嬉しい。
しみじみというと、スケルはぱちぱちとまばたきして、
「ご主人、なんだか変わりましたねぇ」
「そうか?」
「ええ。なんだかいい感じです。ちょいと惚れちゃいそうです」
「おー、惚れろ惚れろ」
「そこで茶化してしまうあたり、いまいち自分に自信が持てないんでしょうねえ」
冷静に分析しないでくれるか。
「まあ、ともかく問題はなさそうだな。特に大きな魔力消費もないってことなら、普通の生活を送るのだって難しくはないだろう」
全体的にやや白すぎるが、外見はほとんど人間のそれだ。
なにより魔力消費が少ないというのがありがたかった。スラ子なんかは、その能力も特性もほとんど反則級になんでもできるが、かわりになにをするのにも魔力の消費が強すぎる。
そう、問題はむしろスラ子のほうだ。
「スケル。お前は昔の記憶もちゃんとあるんだよな。まだスラ子をつくる前の、俺とお前が二人きりだったころだ」
「しっかりと、ご主人が不慣れな手つきで組み立ててくれたところから覚えてますが」
「……閉じ込められたときのことも、覚えてるか」
俺がいうと、スケルは白い顔をますます蒼白にして、
「あれはキツかったですねぇ……」
がくがくと震えながらつぶやいた。
「うん、わかった。もういい。悪かった。ちゃんと憶えてるな」
ということは、スラ子のやつは間違いなく昔のあのスケルを作り出したわけだ。
残骸に過ぎなかった骨と、もしかしたら多少は残っていたかもしれない魔力の残滓。そして、俺の記憶?
教えてください、といいながら唇に触れた感触を思い出しながら、背中に寒いものをおぼえる。
今、スケルがしている外見はたしかに俺の夢のなかで見たものだ。
知っているのは俺だけ。
つまり、スラ子は俺の記憶を読んだということになる。俺から教えてもらったとおりに、スケルを生み出した。
……スライムがどうこうって域じゃない。
スケルの肉体を変質させていることといい、そんなのほとんど魔法の領域だって超えている。
どれだけ高名な魔法使いなら、スラ子がやったことと同じことをできるだろう。
それを平然と。「なんとなく」だなんて――
「ご主人? ご主人、どうしました」
「いや、なんでもない」
思考を中断して、首を振る。
スラ子という存在について考えることから逃げるわけにはいかない。
だが、一人で考えるとどうしたって恐ろしいことになりそうで、一緒に思い悩んでくれる相談相手が欲しかった。
「スケル。スラ子のことをどう思う」
訊ねてみると、スケルは長すぎる前髪を揺らして首をかしげ、
「スラ姐ですか? そりゃ、あっしにとってはこの身体をくださった方ですから、恩人、というより母親みたいなもんですが。なんというか、あれでしょう」
「どれだ」
「ご主人の好きっぷりさ加減は、間違いなくここにいる全員のなかでもトップっすね!」
「……そりゃ、俺がつくったんだからな」
「いえいえー」
とスケルは手を振って、
「創造主への忠誠と好き嫌いはまた別ですよ。つくりだされた存在が、盲目的に主人を愛するわけじゃあありません」
「そうなのか?」
被創造物の気持ちというのは今まであまり聞いたことがない。
「そうですよ。もちろん、嫌いだからって裏切ったりするわけじゃありませんがね。創造制約かかってますし。個人の意思がある以上、好き嫌いくらいあるってのが当然でしょう」
「そりゃそうか」
いいながら、ふと俺の頭に浮かんだ思いつきを読んだようにスケルがにやりと笑う。
「ご安心ください。あっしはちゃあんと、ご主人のことが大好きですよ?」
「もう少し表情を考えてくれたら、ドキっともしたんだがな」
「潤んだ上目遣いがお好みで。でしたら今度からはしっかり演技しておきやしょう」
「演技っていってる時点で台無しだろうが」
スケルはからからと笑って、
「冗談で。けれど、スラ姐のご主人への想いの強さはちょっと普通じゃありませんね。ほとんど自分自身って感じじゃないですか」
俺はため息をついた。
自分自身。つまりそういうことだ。
スラ子にとって俺という存在が、そのまま自分なのだ。
それは、好きとか嫌いとかそういうことじゃない。
「ご主人は果報者です。あれだけの相手に全てを捧げられてるんですから」
それについては、まったくもって否定できるところはこれっぽっちもない。
俺がいまあるのはスラ子がいてくれたおかげだ。
感謝しているし、とても大事にも思っている。
ただ、それでも俺からスラ子に対する不安はなくならなかった。
信用してるし、信頼もしてる。
だけど不安がつきない。
矛盾した気分が身体のなかで渦を巻いて、俺はそれを外に無理やり押し出すようにもう一回、息を吐いた。
扉の向こうからノック。
「お昼ご飯、できましたよー」
炊事担当のスラ子から呼ばれ、俺とスケルは食卓に向かった。
我が家の食卓はいまや大所帯だ。
俺、スラ子、シィ。カーラ、ルクレティアにスケル。
さらには近くの森から妖精たちが集団で押し寄せてくることも多く、そんなときには食卓どころか洞窟中の密度が跳ね上がる。
「ルクレティア。最近お前、やけにこっちに顔を出すよな」
ギルドの仕事を継いだとかいってたわりには、暇なのか? と思って訊ねると、
「妖精の薬草の販売手法について話があると連絡してきたのは、ご主人様でしょう」
いつもどおり冷ややかな視線を返された。
「ああ、そうだった。とりあえず食べてから話そう」
わいわいと他愛もない話をしながら昼食にする。
食卓でよく話すのはスラ子とカーラ、スケルの三人だ。
特にカーラはめっきり明るくなって、くだけた口調でよく笑うようにもなった。そして、たまに俺と目があうと真っ赤になって視線をそらす。
シィは静かで、たまに話を向けられて相づちを返すくらいで、ルクレティアは自分だけ壁の向こうにいるような態度で黙々と食事をとっている。
あまり話に加わらないのは俺もおなじだ。
なぜって性別でいうなら一対五で圧倒的劣勢なのだから、溢れる女子力についていけない話題が多かった。料理や香辛料云々をいわれても、シィのように相づちくらいしかできない。
それでも、楽しそうに話すのを見ているだけで悪い気分ではなかった。
ちょっと前まで喋らないスケルに見守られながら一人で食事をしていたのだから。文句なんていったら罰があたる。
ほどなくして食事が終わり、スケルの淹れてくれた紅茶を飲んで落ち着いてから、
「さて。それで、さっきの話だが」
居並ぶ五人に向かって口を開いた。
「知ってのとおり、臨床とその後の経過も見て、妖精の薬草が完成したわけだが」
「ばんざーい!」
ぱちぱちとスラ子とスケルが拍手する。カーラも嬉しそうに、シィは控えめに。
「商品として成り立ちそうな効用は確認できた。で、実際にどう売り出すか。――ルクレティア」
「はい、ご主人様」
話を引き継いだルクレティアが続けた。
「妖精の薬草については、十分に商品価値があるものと思われます。材料は既存のそれとさほど異なりませんし、製法もそれに妖精の鱗粉を加えただけというシンプルなものですが、魔力の結晶粉が回復作用を増幅することで、今までのものより数段優れた効用があります。原価は自生した薬草と、シィさん。そして度々こちらに訪れる妖精の皆さんから。実質として、かかるコストはほとんどございません。鱗粉の保管と添加の際に注意が必要ですが、総じて非常に優れた商品ですわ」
「売れそうなんだな」
「間違いなく」
ルクレティアは断言した。
「このご時世、薬草の需要はいくらでもあります。むしろ私としてはこれをメジハだけでなく、もっと大きな市場で販売していくべきではと思います」
大きな市場。
「ギーツか」
「はい。人の数はそのまま需要の量になります」
それはわかる。
妖精の鱗粉単体で売るにせよ、メジハではなくギーツのほうが買取値だって高くなるだろうし、求められる量だって違うだろう。
ギーツの街での取引というのは以前にも考えたことがある。俺が気になったのは、
「つまり、ルクレティア。お前はこれをメジハ特産として売っていきたいわけか」
ルクレティアが前にいった、メジハを発展させるための基幹産業として考えているように思われることだった。
「そうできれば望ましいと考えております」
町長の孫娘は、正直に頷いてみせた。
「この薬草の効用には間違いありませんが、それが実際に知られ、評判を呼ぶまでにはそれなりに時間がかかりますわ。ですが、メジハという町の名前を付加してしまえば、ぱっと出の商品よりもはじめから受け入れられる余地は大きくなります。人はなにか目に見えるものがあればそれだけで安心してしまえるものですから。……もちろん、そのことでメジハに入る益については、否定いたしませんが」
一個人が品質を保証するのと、町が保証するのでは言葉の重みが違ってくる。
まったく知られていない個人が売り出した薬草など、最初は手にも取ってくれないことがほとんどだろう。
いくら本当にすごい効用があっても、それが人づてに広がり、認知されるまでには長い時間がかかる。
そうしたことを考えれば、メジハという町の名前を利用することには意味がある。
ルクレティアが将来メジハの長を継ぐことを考えれば、町が豊かになることも悪いことではない。
俺はルクレティアから視線を外して、
「カーラ。どうだ」
この新しい薬草が作られるきっかけをもたらした少女に訊いた。
妖精の鱗粉をつかった薬草の存在はカーラの祖父の備忘録に記されていたものだった。その薬草をどうするか口を出す権利が彼女にはある。
「それで町の人の暮らしが楽になるなら、ボクは賛成です」
自分に冷たかった町の連中に恨みをぶつけるでもなく、すぐにそう答えたカーラから、次にスラ子に目を向ける。
スラ子はなにもいってこなかった。
反対する意見はなし。お任せします、という意思をそこから読み取ってあとの二人を見ると、シィとスケルも無言のままこちらを見つめている。
「いかがでしょうか、ご主人様」
挑みかかるような眼差しで、ルクレティアが判断を求めてくる。
じっと切れ長の瞳を見つめてから、答えた。