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二十話 尋常ではない仕業

「アクアクロウ――」


 五指にまとった水爪が相手を襲う。

 ほとんど不意をつかれた形のエキドナがなすすべなくスラ子の爪に引き裂かれる寸前、


「……!」


 長く伸びた尾の先端がスラ子の手首を跳ね飛ばした。

 体勢を崩したスラ子に、さらに追い打ち。鞭よりも太く、重い一撃を受けずにスラ子が距離をあける。


「――いきなりひどいですね」


 美貌をしかめたアカデミーの査察員は呆れたような表情で、


「不在中、勝手にお邪魔したのはたしかに無礼だったかとは思いますが。いきなり殺しにかかることはないでしょう」

「スケルをやったな」


 俺が低く唸り声をあげると、まばたきをしてみせる。


「スケル? ……ああ、私ではありませんよ。私がやってきたときには、既にもうその状態でしたから」


 事務的な微笑。

 まったく平静な態度に、むかむかと吐き気を覚える。


「誰がそんなこと信じる」


 思いっきり吐き捨てた。

 エキドナは肩をすくめて、


「信じてもらえないのは残念です」

「ふざけろ。他人の家でなにをしてた」

「そろそろお戻りになったかとご挨拶に来たところでした。少しばかり、間が悪かったようですね」

「家主がいないのをいいことに家捜しか?」


 細く整った眉をひそめて息を吐く。


「そういうふうに解釈されてしまうと困ります。どうか落ち着いてください、マギさんは勘違いをされています」


 ――勘違い。

 ちらりと目を落として、そこに崩れ落ちたスケルを見つけ、さらに気分が沸き立った。


「空き巣に入った相手になにを勘違いするってんだ。遠慮だって、する理由はない」

「随分と強気な物言いをされますね」


 エキドナが唇をゆがめた。


「少し意外です。お仲間が増えて気が大きくなられたのでしょうか。ですが、よろしいのですか? 私に害を加えるということは、アカデミーへの反抗となりますよ」

「……うるさい」


 揶揄する声が俺の意識を冷まさせる前に、


「マスター。ご命令を」


 スラ子の声が俺を誘った。

 怒り、悦び。そのどちらともとれるようで艶やかな声が戸惑いかける意思を後押しして、


「やれ」


 思考を放棄する。


「はい、マスター」


 スラ子が飛んだ。

 右手にはまだ持続して発動している水の爪。


「やれやれ――」


 息を吐いたエキドナが尾をしならせる。


 蛇体はラミア族にとって移動手法であり、攻撃と防御の手段でもある。

 鱗のある蛇腹で接地面との摩擦を利用して距離をあけつつ、同時に先端が飛びかかるスラ子の迎撃に動いていた。


「よけてください!」


 目の前に迫る尾撃を前にしてスラ子が吠えた。

 自分はかわさずそのまま踏みとどまって相手の攻撃を受ける。単純な打撃では有効なダメージはないが、わざわざスラ子がそれを受けた理由はすぐに知れた。


 スラ子の両腕を打った蛇の尾、その先端がそこからさらにしなった。

 向かってくる一撃に行動を起こす前に、


「……マスターっ!」 


 横合いから抱きついてきたカーラに押し倒される。


「あうっ」


 背中をかすったのか、カーラが苦悶の声をあげた。

 俺は倒れこみながら戦闘の行方から目を離さない。自分を救ってくれた相手に礼をいうことすら忘れてしまっていた。


「ぎゃあああああああ!」


 絶叫。

 スラ子の右手が目の前にある尾を深々と貫く。


「――アイスランスっ」


 続いて放たれた氷の槍が容赦なくその場に釘付けにする。悲鳴をあげ、のたうちまわる相手の上半身にすかさずスラ子がかけよって、


「アクア、クロウ……!」


 魔力を宿した右腕が相手の心臓近くに突き刺さった。


「……っ!」


 大きく身体をわななかせ、悲鳴を枯らしてエキドナがそのまま倒れ伏せる。


「マスター、ご無事ですか」


 スラ子が振り返った。その右腕が血に濡れている。

 目の前の戦闘が終結したことを理解して、俺は息を吐きかけた。胸を圧迫されて、おおいかぶさっているカーラの存在を思い出す。


「ああ……。カーラ、大丈夫か?」

「はい。平気です」


 痛みに顔をしかめながらカーラが答えた。


「そうか。……悪い、助かった。シィ、カーラの治療をしてやってくれ」

「はい」


 近寄ってきたシィにカーラの身をまかせて起き上がる。

 激情にかられて殺してしまったアカデミー査察員の死体にではなく、部屋の隅っこに重なる骨の残骸にむかって歩き出して、


「――ああ、くそっ」


 頭を抱えてへたりこんだ。 

 目の前には、白骨がまるではじめっからそうだったとばかりの無機質さで転がっている。


 敵をとった充実感なんて微塵もありもせず、ただただ虚しさと後悔と自分自身への怒りがあった。


 長く一緒に過ごしてきた相手だった。

 言葉はかわせなかった。わかりあえていたなんていうつもりはないが、大事な家族だった。


 それが、こんなあっけなく――

 うずまいた感情が体内で暴れて、苛立ちが肌の内側から棘をつきさして神経を苛む。


 ひたりと俺の横にスラ子が立った。


「マスター」


 なぐさめる口調。

 頭を抱えたまま返事をしない俺に声が続いた。


「マスター。大丈夫です」


 その声がなにかの自信に満ち溢れていて、思わず顔をあげる。

 スラ子は半透明な表情にやわらかな笑みを浮かべていて、


「――っ」


 いきなり唇をおしつけてきた。

 反射的に怒りが湧き、乱暴に相手を引き離す。


「やめろ! 今はそんな気分じゃ――」

「教えてください、マスター」


 スラ子がまっすぐに俺を見つめていた。


「……なに?」

「スケルさんのこと、教えてください」


 顔をしかめてその言葉の意味を考えながら、ふとスラ子が地面に落ちたスケルの骨を手にしていることに気づく。

 スラ子はそれを、自分のなかに入れた。


「お前、」


 俺は顔を青ざめさせる。


「やめろっ。……スケルを喰うつもりか!」


 あわてて止めようとするのをスラ子はやんわりと押し留めて、


「スケルさんをかたどっていた魔力はまだ完全に散ってしまってはいません。糸は切れても、まだあります。だからマスター。教えてください」


 スラ子がいっている意味がわからない。


「いったい、なにを」

「スケルさんのこと、教えてください」


 再び唇をふさがれる。

 まったくの意味不明な言動に頭のなかを混乱させながら、俺は見おろしたスラ子の身体のなかで起きつつある変化に目をみはった。


 スケルの身体を構成していた骨が、いつのまにかすべてスラ子に取り込まれていた。

 残骸であるはずのそれがスラ子のなかで消化されることなく動いている。

 ゆるゆると流動して、不規則なままなにかの動きをかたどっていき――やがて、丸まるような姿になった。


 骨の胎児。


 そう表現するべきようなものを見て、俺がもう完全に起こっている現象を理解できないでいると、


「……っ」


 突然、意識が暗転しかける。


 吸精。

 いや、違う。


 まるで自分自身を吸い尽くされるような感覚。

 ぞっと、背筋が震えて目の前の相手から思わず身を離して、


「すみません。マスター」


 スラ子がいった。


「少しだけ、無理します」


 きつく目を閉ざしたスラ子の全身が輝いて、


「――っ」


 悩ましげな吐息とともにそれは起こった。


 骨格の胎児を抱いたスラ子から生まれ落ちるように、それが分離する。


 半透明のなかで、骨が少しずつ解けて形をなくしていく。

 まるでその色が溶けだしたように、スラ子の身体の一部であったものが白色に変化していった。


 声どころか呼吸さえ忘れて見守る俺の目の前で、ゆっくりと元スラ子だったものが色を変え、形を変えていって。


 時間をかけてすべての変化が終わったあと。

 そこには、白髪をした女の子が横たわっていた。



 目の前のその相手に俺は見覚えがあった。


 しかし、そんなわけがない。

 何故なら、あれは夢で。だから現実に起こるはずがないと思いながらも、


「……スケル」


 呼びかけに返事はなかった。

 かわりに、んぅ、とむずがるような声が返ってくる。


 ――生きている。


「スラ子、お前……」


 声が震えていた。

 そんな馬鹿なと思いながら、そうとしか思えない異常な現状に説明を求めて相手を見て、


「――――」


 ふらりとスラ子の身体が揺れた。

 こちらに倒れかかってくる。あわてて受け止めようとして、手に支えたスラ子の身体がぐにゃりと崩れた。


「……シィ!」


 今度こそ心からの恐怖に、俺は声をはりあげた。


「シィ、来てくれ!」


 たった今、目の前で起こったことがなんなのか俺にはわからない。わからないが、スラ子の状態だけは一瞬で把握することができた。

 スラ子は、自分自身をうしないかけていた。


「シィ、シィ!」


 ほとんど恐慌状態になりながら、シィを呼ぶ。

 あわててこちらにやってきたシィが、顔色を青ざめさせて背中の羽を輝かせた。


「あはははははははは!」


 俺たちの慌てぶりを嘲弄するように響き渡る高笑い。


 声はエキドナのものだった。

 倒れているはずの死体を見るが、そこにはなにもない。


 いつのまにか姿を消したエキドナが姿のないまま語りかけてくる。


「凄いものを見ることができました。その方、精霊などではありませんね?」


 もちろん答える義務なんてない。

 だが、そんなことはおかまいなく声は続く。


「興味深いですね。ぜひ詳しいお話を聞かせてもらいたいところですが……ああ、今は大変なご様子なので、また次の機会ということで」

「うるさい!」

「ふふ、今回の件もまたいずれ。今日のところは失礼します。ああ、それから」


 からかうような口調で、台詞は締められた。


「こちらの洞窟の奥にある縦穴。そちらにお気をつけください。前にも申し上げましたとおり、アカデミーはこのあたりの平穏を求めておりますので――管理者には、くれぐれも適切な管理を求めます。それではこれで」


 声が終わり、気配が消える。

 まんまと相手を取り逃がしたことに歯噛みして、今はそんな場合じゃないことを思い出してスラ子を見る。


 不定形の生体が、全身の輪郭をなくしかけている。


 まるで溶けていく氷のようだった。

 それを食い止めようと、必死にシィが羽を輝かせる。シィのかざした手のひらから放たれた魔力が、致命的な瓦解を止めようとしている。


「おい、スラ子! スラ子!」


 まるでそうやることで相手に自分自身を思い出させるように、俺はスラ子にむかって声をかけ続けた。 


 ◇


「ちょっと頑張っちゃいましたっ」


 ぺろりと舌をのぞかせてウインクをかまされた瞬間、ぷちんっと頭の血管が切れた。 


「あほか!」


 怒号をあびたスラ子がむうっと頬をふくらませて、


「少しだけ無理をするっていったじゃないですか」

「ふざけるな! どこが少しだ、あれが!」


 あれから一日が経っていた。

 シィが懸命に治療と魔力の補充を続け、ようやくスラ子の容態が落ち着いたのはつい先ほどのことだ。


 その報告を受けてすぐに会いにいったスラ子からの一言めがそれ。

 怒るなというほうが無理だ。


「自分がどういう状況だったかわかってるのか! ほとんど死にかけてたんだぞ! お前の自我なんかほとんど消えかかってた。シィが一晩中、看病してくれなきゃどうにもならなかった!」

「わかってます。シィには、お礼をいいました。あとでもう一度、伝えておきます」

「そうじゃない!」


 まったくわかってない相手を睨みつけて、


「死ぬとこだったんだ! 俺は、お前の心配をしてるんだ、馬鹿!」


 ふふ、とスラ子は微笑んだ。


「ありがとうございます。嬉しいです」


 その笑顔があまりに嬉しそうで、怒ろうとしていた気迫が根こそぎ奪われてしまう。

 俺はがっくりと肩を落として、スラ子の寝かされた寝台に腰をおろした。


「ふふー」


 スラ子が抱きついてくる。


「ほんと、勘弁してくれ。俺の心臓には耐えられん」

「すみません。マスター」


 一転、しおらしい声でスラ子がいった。


「……お前まで死んでたらどうする」

「大丈夫ですっ。私はマスターを残して死んだりなんかしません」


 根拠のない台詞に、ため息さえでてこなかった。


「マスター。スケルさんはどうしてますか?」

「ああ、まだ寝てる。起きてはきていない。……なあ、あれはスケルなのか?」

「はい。スケルさんです」


 あっさりと肯定され、俺は頭を抱えた。


「そんな簡単に。お前、自分がなにをしたかわかってるのか」


 スラ子は、スケルを復活させた。

 正確には、それは復活でさえないだろう。


 スケルトン自身の骨を核に、スラ子自身の一部を肉に。そして、俺から得た知識――いや、記憶を素にして、スケルを新しい生命として受肉させた。


 考えるまでもなく、それは異常だ。


 再生とか、復活とか。

 そういう魔法はたしかに存在するし、高位の術者であれば死者を甦生することも可能だろう。


 だが、それと今回スラ子がやったことはまったく異なる。

 スラ子はスケルの骨を媒介にして、異なる生命をつくりだしたのだ。


 ――そんな話は今まで聞いたこともなかった。


 スライムの不定形の性質を定着?

 あるいは、前回の騒動のときにシィから与えられた羽の力かもしれない。

 妖精の泉で生と死を繰り返す妖精たちのことまで考えて、結局なにもわからないまま、ただありえないという感想だけが残った。


「なんとなく、できるような気がして」


 スラ子はいった。


「なんとなくってな」

「今回、マスターがなんだか頑張ってらしたので。私もちょっと頑張ろうかなっと」


 それに、と続ける。


「スケルさんがいなくなるなんて寂しいじゃないですか」


 そんなのは当たり前だ。

 スケルが生き返ったというのは、俺だって嬉しい。


 だが、それ以上に――


「……ああ、そうだな」


 いいかけた言葉を呑みこんで押し殺す。

 スケルと今生の別れにならずにすんだことは素直に嬉しい。


 だが、それ以上に。

 俺はスラ子のやったことが恐ろしかった。


 生命をつくりだす。たしかにそういう技術はある。


 骨からつくられたスケルだって、そうやって通販キットでつくられた存在だ。

 他にもゴーレムなど魔力生体と呼ばれるものはあるし、元はスライムのスラ子だってそのくくりのなかに入るだろう。


 だが、今回、スラ子がやったものはそうしたよく知られた技術とはまったく異なる。

 技術とか、そういうものじゃない。


 魔法? いや、もっと純粋な――力。


 事は根源的な、スラ子の在り方に関わるという、そうした確信。

 最近、しばらく思いつくことのなかった疑問が頭のなかでむくりと首をもたげた。


 ――俺がつくったこのスラ子という存在は、いったいなんだ。


「ふふー」


 そんな俺の想いなどまるで知らないように、スラ子はいっそう俺にべたべたと寄り添ってきて、


「大丈夫です、マスター」


 耳元でそっと囁いた。


「マスターがいる限り、私にはなんだってできます」


 俺が抱いたものと同じように、スラ子の声も確信に満ちていた。


 今までに何度も繰り返されてきた言葉の意味が、なぜかとてつもなく恐ろしいものであるように聞こえて、俺はそれをスラ子に悟られないように肩をすくめる。


「ついさっき、死にかけてたくせに」

「ふふ。ですから、少し無理しちゃいました」


 ……もういい。


 考えなければいけないことはいくらでもあったが、それは今じゃなくていい。

 もちろん後回しにしていいことではなかったが、


「とにかく、少し休め。しばらくお前は活動禁止だ」

「えー」


 不満そうな相手をじろりと見て、


「命令だ。大人しくしてろ」

「わかりました」


 しょんぼりと、スラ子はすぐにちらりとこちらを見上げて、


「マスター」

「なんだ」

「お願いがあるんです」


 俺は思いっきり渋面をつくって、


「活動禁止だといっただろう」

「違います。もちろん、可愛がってはほしいですけれど。そうではなくてですね」


 首を振り、スラ子はお願いの中身を告げた。



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