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四話 捕獲、快楽、完落?

 目をさますと、冷ややかな瞳がみおろしていた。


 誰だこれ、と思って、ああ、昨日つかまえた妖精かー、と思考が進むのに三秒。

 あれ。なんで妖精が俺の寝室に?から、――やばい、と危機感の信号が灯るまでさらに五秒がかかった。


 こ、殺される!


 あわててベッドに飛び上がり、警戒態勢をとってから、気づいた。殺されるんならとっくに死んでいる。


 妖精は、身じろぎひとつしないで立ったままだ。

 薄い色合いの銀髪が肩まで伸びていて、背中の羽が器用にたたまれている。地面に足をつけていた。


「……おはよう」


 恐る恐る声をかけてみても、反応なし。

 ただ感情のみえない静かな目線がこっちを向いている。


 なんだ? 魔法でもかかってるのか?

 でもスラ子には魔法なんて使えないはずだし……と、相手の反応をうかがっていたところで、部屋の扉があいた。


「おはようございます、マスター」


 よく澄んだ、自然と濡れた艶のある声。

 やわらかな表情をうかべたスラ子が部屋にはいってきて、微笑んだ。


「ああ、おはよう」


 なにか新鮮な感じがして、ああ、と気づく。


 おはようというやりとり。朝の挨拶をスラ子と交わすのは、今のがはじめてだった。

 昨日の夜はいろんなことがありすぎた。スラ子が生まれてからはじめての朝だっていうのに、とてもそうとは思えないくらい。


「よく眠れました?」

「ん。まあ、普通に。それより」


 スラ子の隣にたたずむ小さな妖精にちらりと視線をやって、その意図に気づいたスラ子が妖精にむかって、


「ご挨拶できた?」


 わずかに首をふる。小さな口がひらいて、


「……おはようございます」


 吹けば消えそうな声だった。


 小さい。身体が小さいからとかじゃない。全員が子どもくらいの体格をした妖精っていう生き物は、その小柄な身体とは思えないくらい大きな声で笑うし、騒ぐ。三人も近くにいたら頭が痛くなってくるくらいだ。


 それなのに、目の前にいる妖精はとてもそんなふうじゃなかった。

 抜け落ちた表情に生気がなくて、人形みたいだ。


 はじめてみるそんな妖精の姿に、自然と目が向かうのはその隣にいる相手になる。いったいなにをしたんだ、という視線でスラ子を見た。


「マスターに自己紹介を」

「シィ、です」


 うながされたでてきた挨拶は、やっぱり一言。


 あきらかに普通じゃない。

 暗い妖精なんて、陽気な死神くらいありえない。けど、ひとまず今はそのことよりも気になることがあった。


 スラ子にいわれるがまま挨拶をしてみせたということはつまり、一つの出来事をあらわしている。


「……本当に、やれたのか」


 実際に目の前にしても、ちょっと信じられない。

 もしかして俺はまだ夢のなかにいるんじゃないかと疑いながら訊ねると、


「はい」


 スラ子はえへんと胸をはって、少し誇らしげだった。


「シィ。教えたとおりにご挨拶して?」

「はい。――お手伝いを、します。なんでも申しつけてください」


 耳をうたがった。


 我がままという文字に羽をつけたら妖精ができあがる、なんていわれる傍若無人な生き物が、そんな殊勝な台詞をつかうなんて。


 いったいスラ子はどんな説得をしたんだ。というか昨夜、なにがあった。


 知りたい。けど、知りたくない。

 そんな微妙な気分をいだきながら、ふと気になって、妖精――シィに声をかけてみる。


「シィ?」

「はい」

「なんでもいうことを聞くのか?」

「……はい」


 こくりとうなずく相手に、今まで妖精たちから受けてきたいたずらのことを思い出す。


 散らかされまくった家。

 たわむれに凍らされた愛するスライムたち。

 その他、数々の語りつくせぬ無体を思い出して、心にふつふつと復讐の炎がわきおこった。


「じゃあ、――おすわりだ」


 シィはゆっくりとその場に手をついた。


 うおー。


「そのままこっちにこい」


 黙って、よつんばいでこちらに歩いてくる。


 うおー。うおー。


 ベッドのすぐそこまでやって来たシィと目があった。

 感情のない眼差しのように見えるけれど、瞳の奥になにかがゆれている。頬が少し高潮しているようにも思えた。


 怒ってるのか、嫌がってるのか。恥ずかしいのかもしれない。いつも空を飛んでいる妖精は、四つんばいどころか地面に足をつけて歩くことだって稀なはずだ。


「よーしよしよし」


 ペットにそうするように頭をなでてやると、人形めいた顔にほのかに浮かぶ羞恥心。

 その表情は、なんだかすごく――こう。くるものがあった。


 もっとその表情を崩してみたくなって、さらに恥ずかしい命令を続けようとしたところで、はっと気づく。


 スラ子が笑っている。

 笑っているけれど、なんか怖い。ぜったい怖い。気のせいじゃない。


 こほん、と息をつく。


「……もういいぞ。これからよろしくな、シィ」

「はい」

「シィ、朝ごはんの準備をお願いできる?」

「はい」


 立ち上がって、羽もつかわずに部屋から歩いてでていく。

 ぱたん、と扉がしまって、スラ子だけ残った。


 沈黙。


 なんだか異様な迫力を感じるスラ子のほうを振り向けないまま、遠い目線で訊ねた。


「相手が断れないのをわかったうえで、嫌がることを強制する男ってどうだろう」

「下種ですね」

「的確な表現をありがとう。おかげでアブない世界に足を踏み入れずにすんだ」


 スラ子がため息をついた。


「私もよかったです。マスターがゲスターになってしまったのかと心配でした」

「あとちょっとで、アブノーマルな趣味には目覚めてしまいそうだったけどな……。ところで、一人にさせちゃって大丈夫なのか?」


 すぐに飛んで逃げてしまいそうな雰囲気じゃあなかったが。


 訊ねられたスラ子は、眉をひそめると、唇に人さし指をおしあてて小さく首をかたむけた。


「そのことなんですけれど。多分、逃げ出したりはしないんじゃないかなと」

「たった一晩で、なにをどうやったんだよ」


 呆れまじりの賞賛をこめていうと、


「いえ。私がなにかしたというより。なんだか、帰りたくないみたいな感じで」

「……妖精が? シィがいったのか?」


 はい、とスラ子はうなずいた。


「あんまり詳しいことは、まだ聞けてないんですけれど。暴れたり、嫌がったりもしなかったですし……」

「お前が、そうしたんじゃないのか。こう――エロエロな感じに。たらしこんで」

「そういうのとも違うみたいなんです。たしかに、昨日は一晩中、可愛がってあげましたけど」


 さらりとなにか言われたが、ここは聞こえないことにしておこう。


「妖精が、帰りたくないだって? 家出の妖精なんてはじめて聞くぞ」


 妖精は同じ妖精同士で集団で生活するのが普通で、そっから一人で出ていくなんて聞いたことがない。


「じゃあ、あのくらーい感じも、スラ子がなにかやったせいじゃないのか」

「やっぱり、おかしいですよね。妖精って、もっと元気いっぱいなものだって、マスターからの知識でも、聞いたお話でも教えてもらっていたので」


 おかしい。おかしすぎる。


 暗い妖精が仲間たちのところから家出。普通に考えたらありえない。

 ということはつまり、なにかあるってことだ。


 理由アリ。

 帰りたくない事情があるのか、それともそういうふうに見せてるだけで逃げる機会をうかがってる? いや、だとしたらさっさと逃げてるだろう。


 スラ子の様子をみるかぎり、逃げるチャンスは今以外にもあったようだった。それで逃げだす素振りもしないからスラ子も安心していて、同時にだからこそ不思議がってもいるのだろう。


「……とにかく、様子をみるか。スラ子は念のために、しばらくはなるべくシィと一緒にいるようにしてくれ」

「はい、マスター」


 うなずいて、ふふ、とスラ子は悪戯っぽく笑った。


「でも。大丈夫だと思います」

「なにがだ?」

「シィも、とっても気に入ってくれたみたいですから」


 なにをだ、とツッコミをいれたいところだったが、聞くまでもないことだったのでやめておいた。

 朝っぱらから生々しい話を聞かされてしまってもこっちが困る。なにが困るって、生理的に困ったことになってしまう。


「あの子ってすごく可愛い声で鳴くんですよ。マスター、興味ありませんか?」

「知らん。いや、興味があるかないかといわれれば――。……うるさい、朝からそういうのはやめなさい。はしたないっ」

「……マスター」


 ふと、顔をのぞきこんでくる。綺麗な瞳がちょっと不安そうにしていた。


「なんだ」

「怒ってはない、ですか?」


 怒る?


「なんで俺が怒るんだよ」


 スラ子は眉を八の字にして、


「だって。しかめっ面で。それにシィのことも、妖精なら、男の人じゃないから魔力をもらっても大丈夫かなって思ったんですけど。やっぱり嫌でしたか?」


 恐々とした声でいった。


 こいつ、そんなこと気にしてたのか。


 自分の顔に触れてみる。そんな変な表情をしてただろうか。そんなつもりはなかったけど。


 でも、まあ。スラ子とシィがからんでたところを見るのは、ちょっと複雑ではあった。

 別に嫌というわけじゃなくて。刺激が強すぎるというか。


「怒ってない」

「……ほんとです?」

「ほんとだよ。怒ったりなんかするか。お前は、俺のためにやってくれたんだろ」


 自分のために一生懸命にしてくれる誰かに怒るなんて、下種よりひどいじゃないか。


 瞳の動きで嘘を見破ろうとするように、スラ子が長いあいだ、じーっとこっちを見つめ続けて。

 ほう、と息を吐いた。


「よかったぁ」


 胸をなでおろす。胸が、揺れた。

 別に注視なんかしてない。男の性だ。


「じゃあ、ご褒美くださいっ」

「褒美……?」


 おもいっきり、嫌な顔になったのが自分でもわかった。


「朝からミイラになるのは勘弁だぞ」

「違います! ――はいっ」


 そういって、スラ子は頭をさしだしてきた。

 質感のある半透明の頭頂部、そのてっぺんを見て、


「……枝毛でもできたのか?」

「違いますっ。ご褒美に、撫でてください」


 ああ、そういうことか。


 とりあえず、そのくらいならお安い御用だ。ふにょんとした感触の頭に手をやって、左右に振る。

 髪の毛のかわりにかたどられた、水っぽいスラ子の性質は、さわってみても不思議と違和感はなかった。


「ふふー」


 猫みたいなご満悦顔。

 ああ、猫はいい。スライムもいいが、猫もすごくいい。


「――このくらいでいいだろ。飯いくかー」

「はい、マスター」


 ベッドから起き上がると、横から抱きついてくる。

 柔らかい。あてられてる胸だけじゃなくて全身が柔らかい。生理的に困る感触だった。


「マスター?」

「んー」

「今度、シィと三人で遊びましょうね」

「……そのうち、気が向いたらでお願いします」


 かろうじて答えると、くすくすとおかしそうにスラ子が笑う。


 なんの汚れも知らないような無垢な笑顔。

 無垢で色っぽいとか反則だろうと、どこかの誰かに文句をつけたい気分だった。



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