十九話 事おわり、残された謎あり
妖精族は百年単位で新しい群れをつくる。
自ら性を決める妖精族の幼い者たちは、そのころにあわせて自分の性を決めることが慣習なのだという。
彼らは性分化を迎え、新しい羽を持つ。
古い羽はそのまま自分たちの生まれた泉に捧げられる。
魔力の結晶である羽が泉には幾層にも積み重なって妖精たちの生まれる土壌となり、同時に羽を戻した妖精はそのことによって自身の復活が約束されることになるのだ。
泉を中心に循環する、妖精の生と死と再生。
新しい女王が決まり、群れが二つに別れる前に彼らが殺しあうのも、互いの新生を祝う意味あいがあるのかもしれない。
新しい住処を見つけるまで、それまでの居場所を飛び出した群れは苦難に見舞われる。
魔物や人間。多くの外敵から身を守りながら、新しい泉を見つけ、そこに群れを落ち着かせなければならないからだ。
二度と会えないかもしれない仲間との別れを惜しみながら、彼らは笑顔で殺し合い、生き返り合う。――滅多にないお祭りを、ただ楽しんでいただけじゃないかという気もするが。
最近このあたりの森の様子がおかしかったのは、森で大きな勢力を誇る妖精族のなかでそうした大事な儀式がはじまっていたから。
そして、それに巻き込まれるようにして近くの集落から二人の人間が消えた。
バサの集落から消息不明になっていたその夫婦は、妖精の泉で彼らに囲まれながら生きていた。
自分たちを追ってきたメジハの知り合いが森のなかで遺体で見つかったことを伝えると、彼らはおおいに悲しがり、しかし元の集落に戻ろうとはしなかった。
妖精たちに惑わされているからではない。
女王に許可をもらい、魔法を解いたうえではっきりと自分たちの意思で、彼らは泉に留まることを望んだ。
「ここはすごく居心地がいいんです。辛いこと、苦しいことがなんにもない。もう朝から必死に働かなくていい。家内にもひもじい思いをさせなくてすむ」
集落で猟師をしていた男はいった。
「森でいなくなった夫と出会えてこの場所に連れてこられて、最初は驚きました。けれど、とても嬉しいんです。あたしたちはずっと子どもができなくて。でも、ここにはこんなにたくさん」
その妻がいった。
彼女の腰には、何人もの妖精たちが母親にそうするようにしがみついている。
二人はいった。
「私たち、幸せです」
妖精の泉にある理想郷。
集落を捨て、知人を捨ててそこに留まる選択が正しいことかどうか俺にはわからない。
わざわざ彼らを探しにでて命を落とした男の無念を考えれば、彼らの決断は裏切りかもしれない。逃げかもしれない。
だけど、それを偉そうに断罪することはできなかったし、そんなつもりもさらさらなかった。
ギルドのクエストとしてメジハから出向いたルクレティアは彼らを責めず、かわりに彼らの持ち物をそれぞれから渡してもらっていた。
遺品がわりとなるそれらと、森のなかでゴーレムに守られた遺体。
その二つを持ち帰ればルクレティアの使命も終わる。
殺し合いごっこに飽きたといっていた妖精たちが元に戻ることで、森の様子も落ち着くだろう。
バサの長やメジハのギルドには、ルクレティアが適当につじつまをあわせて報告しておくことになった。
俺たちのはじめての遠出は、そんなふうにして終わりを迎えた。
◇
遺体を持ち帰って、ゴブリンにあらされた畑や援助などについて話のあるルクレティアはそのまま集落に残り、先に俺たちだけで帰路に着く。
森沿いの道を歩きながら、俺は声にださずに深いため息をついた。
ものすごく疲れていた。
長く外出するのに不慣れということもある。
だが、それ以上に疲れを感じるのは、今回の遠出が決して後味のよいものではなかったからだ。
シィが昔の自分に決別できたことは、間違いなくよいことだ。
ルクレティアも、異変の調査というギルドの依頼は果たせたし、なによりバサの集落に顔と恩を売ることができたのだから、満足できる結果だろう。
あの集落の夫婦のことはどうでもいい。彼らの選択。彼らの自由だ。
スラ子も問題ない。
ただ、カーラのことだけが俺は気にかかっていた。
今回の遠出でカーラはさんざんな目にあった。
トロルと戦い、暴走化して、傷つき、妖精たちに惑わされた。
――ボクはここにいていいの?
幻惑されたカーラがつぶやいた台詞が今も耳にこびりついている。
出かける前、スライムたちを眺めながらカーラがいった。
不安だと。自分がここにいていいのかと。
人間と魔物という血をひいて、冒険者見習いから魔物という立場になって。
その不安な気持ちをカーラは俺に訴えていた。
合図はでていたのだ。
それをのうのうと見過ごして、いや、気づいていながらなにもしなかったのは誰だ?
……くそ。
嫌な味のつばが口のなかにたまって、吐き出すかわりに飲み込む。
うつむきがちに隣を歩くカーラとのあいだには、昨日から満足に言葉をかわしていない。妙に気まずかった。
目に見えて落ち込んだ様子の相手に、意を決して声をかけようとして、
「――マスター」
スラ子に呼びかけられる。
振り向くと、人型のスライムが考え込むようにあごに手をあてていて、
「どうした?」
「少し気になっているんです。結局、メジハの人を殺した相手が誰かは、わからないままですよね」
「ああ、そうだな」
メジハの人間を殺した魔物の正体についてはわかっていない。
妖精たちではない。それは本人たちに確認した。
森にはいってきた人間を殺すことが別に禁忌でもなんでもない以上、彼らがわざわざ嘘をつく必要はない。
恐らく、やったのは他の魔物。
直接食べるのではなく、精を取り込んで殺すような魔物に運悪く襲われたのだろう。
もちろんそれは、あの大木の洞で出会ったエキドナという可能性だってある。
「そのエキドナさんなんです」
スラ子がいった。
「エキドナさんは、このあたりのなにかを調べにきたといっていました。それを私たちは、妖精たちのことだろうって思ってましたけれど……」
「そうじゃないのか?」
「はい。女王さんがおっしゃってましたよね。エキドナさんが泉にやってきたと。彼女は、妖精たちのあいだで起こっていることについて知っていたはずです」
「まあ、そうなるな」
妖精の女王が捕らえられていた食精植物。
生育環境にないような場所にぽつんとあった、あれを持ってきたのがエキドナということだった。新しい群れの誕生とそれを祝う儀式に寄せての贈り物だったらしい。
魔物とはいえあまりいい趣味とは思えなかったが、妖精たちには珍しいおもちゃだったようで、それがさっそく使われていたところに俺たちが遭遇したわけだが、
「じゃあ、いったいエキドナさんはなにを調べようとしていたのでしょう」
スラ子の疑問の意味に、しばらくしてからようやく思い至った。
「エキドナは妖精族のことを知っていた。巣分け、殺し合いごっこ。それで森にどんな影響があるかだって、予想くらいしてたはずだ。少なくとも連想はする」
「はい。あの方が私たちのところにきたとき、シィとも会っています。けれどエキドナさんはなにもいわなかった」
もしエキドナに妖精について疑えることがあった場合、シィの存在を気にするだろう。
もちろん、あえて口にしなかっただけかもしれない。俺たちに知っていることをすべて話す義理なんて向こうにはないからだ。
だが、もう一つの可能性は――もともと、エキドナがすべてを知っていたから、聞く必要がなかったということ。つまり、
「エキドナさんの目的は、はじめから妖精族の影響で起きるなにかではなかった。すくなくとも、その異変そのものではなかったのかもしれません」
「……じゃあ、なんだ。いったいどうしてエキドナはこのあたりを探ってた?」
「わかりません。やっぱり気になりますよね」
確かに、気になる。
もともと俺たちが調査にでたのは、シィの希望があったからというのもあるが、エキドナの動向を探るためだったのだから。
つい今しがたまですっかり忘れていた自分が馬鹿みたいだ。
それがなにひとつはっきりしないのでは、今回の遠出に成功もなにもあったもんじゃない。
「すっきりしないな」
「はい。ですが、妖精さんたちもなにも知らないようでしたし、情報がない以上、推測することも難しくはなってしまいますが……」
スラ子は申し訳なさそうだったが、俺なんかいわれるまで気づきもしなかったのだから、スラ子が謝る必要なんかない。
「まあいい。そのうち、洞窟に来るようなことをいってたしな。そのときに探りをいれてみればいいだろ」
素直に聞いて答えてくれるとは思わなかったが、向こうだってこちらに聞きたいことだってあるはずだ。
話の持っていきかた次第で情報をひきだせるかもしれない。
そんなふうに俺は考えたのだが、それは後から考えればひどく楽観的な思考で、ついでに見当違いでもあったこともすぐに思い知らされることになった。
そろそろ日も暮れようとしたころ、俺たちは洞窟のある湖に辿り着いた。
たった数日、留守にしていただけの洞窟の入り口がひどく懐かしい。
やっぱり自分は骨の髄まで引きこもり体質なのかもしれんとしみじみと思いながら、念のため冒険者たちに気をつけつつ進む。
違和感は特になかった。
スライムやコウモリといった低級の魔物ばかりが蠢くダンジョン。
湿気に満ちた暗闇をライトの魔法で照らしながら、奥の広間から繋がる隠し扉まで向かって、なかに入って。
すぐそこに、白い物体が朽ちていた。
「え?」
一瞬、頭が理解することを拒否する。
床に重なっているのは、間違いなく見覚えのある骨。
ただ記憶にあるそれは地面に落ちたりなんかせず、魔力を帯びて人型になっていたはずなのに、今は糸が切れたように崩れてしまっている。
「おい、嘘だろ」
物いわぬスケルトンが、いまやただの躯となってそこにはあった。
「……スケル」
信じられなかった。
たしかにスケルには稼動限界が近づいてはいた。
でも、こんなにあっけなく。
最後の瞬間さえ、見届けられなかったなんて――
この洞窟にやってきてからずっと、長くつきあってきた相手との突然の別れにほとんど呆然としてその残骸を見おろす。
「マスター……」
スラ子の気遣わしげな声に応える余裕なんてなかった。
虚無感に似た思いが胸を満たし、鼓動は不整脈のように乱れ、視線は目の前に転がった頭蓋骨に向けられていた。
……待て。
じくりと胸を刺すのは悔いや心残り。
だがそれ以外のなにかが胸のなかで渦巻いていて、俺は必死になってそれがなにかを考えた。
そして、気づく。
もしスケルが寿命で朽ちたとしたら、どうして頭蓋骨にこんなものがある?
俺の視界にあるのは、側頭部にあけられた拳ほどの大きさの穴。
そんなもの、俺たちを見送るスケルにはなかった。
まさかと思ってよく思い出してみる。
やっぱり、ない。そんなものあるわけがない。
ならなんだ?
決まってる。
これは、外傷だ。
「ああ、お帰りなさい」
声を聞いて、相手の姿を見た瞬間、かっと頭が灼熱した。
奥から現れたのは闇から抜け出たような美貌をもつ人の身体と蛇の尾をもった魔物。
他人の家にあがりこんで平然としたその相手に、なにかを問いただす前に沸騰した感情が先走り、
「スラ子!」
ただ短く呼びかけた意味を即座に理解したスラ子が、一足飛びに跳躍した。