十七話 甘いささやき
陽気に仲間たちをおいかけまわしていた妖精の一人がふとこちらに気づき、高い声をあげた。
「あ。シィだ」
「え、シィ?」
「ほんと? ほんとだ、シィだ」
わらわらと大勢が集まってくる。
「シィだ、シィだ」
「ひさしぶりだねー。どこいってたのー」
「最近ずっといなかったよね」
矢継ぎ早な同胞たちの勢いに、怯えたシィが俺の服のすそをつかむ。
「外にいたの? 一緒にいる人間は誰?」
「その人間、知ってる。下の湖の近くに住んでる変な人間だよっ」
「人間と一緒にいたの?」
こちらを囲む表情には悪意はない。さっきまで殺しあっていた返り血を浴びたまま訊いてくる様子が、不気味を越えてシュールですらあった。
無数の視線に晒されてシィは答えることができない。
ぎゅっと拳をにぎって、下を向く。
「まただんまりだ」
「シィはいつもそうだよね」
「いつもそうだよ。一人で泣いてばっかりで」
「遊ぼうっていっても遊ばないで」
「笑おうっていっても笑わない」
「なに考えてるのかわっかんないよね」
無自覚に辛らつな台詞に、シィの顔が見る間にゆがんでいく。
「あー、泣いた。泣いちゃったぁ」
「それもいつもだね」
「うん、いっつも。泣いて、逃げて。隠れて、泣いて、逃げて、だよ」
「逃げたの?」
「だから逃げたの?」
「逃げたんだ。それでぼくたちの前からいなくなっちゃったんだ」
妖精たちの声。
針となって刺さるそれらからかばうように、俺はシィを背中に隠した。
「隠れた」
「逃げた」
「隠れて逃げた、また逃げたっ」
「……うるせえよ」
虫の羽音のようにわずらわしいその言葉の群れに吐き捨てる。
「逃げて悪いか。泣いて悪いのかよ」
子どもみたいな(実際の年齢はともかく)連中に向かって大人気ないと思いはするが、黙っていられるわけもない。
「お前らとおんなじじゃないのがそんなにいけないことか。お前らと同じこと感じなきゃいけないっていうのかよ。よってたかってシィを虐めてんじゃねえよ」
シィは異端者だ。
仲間たちの輪にはいれず、孤立していた。
別にそれが、自分のアカデミー時代と一緒だなんてうそぶくつもりは毛頭なかった。
ただ。
そうやって大勢でかさにかかって責めてかかるような連中には、無性に腹が立った。
「シィは、俺の家族だ。虐める奴は許さん。わかったか、このお気楽妖精ども」
威勢も実力もないから、せめて顔だけでも威嚇するように歯をむいて宣言する。
妖精たちは、ぱちくりと瞳をまばたかせて、
「――なにいってるの?」
一斉に小首をかしげてみせた。
「誰も虐めてなんかないよ?」
「虐めてなんかないよ。一緒に遊ぼう」
「そうだよ。一緒に遊ぼうよ」
ああ、と違う顔立ちの全てが同じ表情で、にたりと笑う。
「この人間も一緒に遊びたいんだね、きっと」
ぞっと背筋が震えた。
「だから遊びに来たのかな?」
「あの人間の夫婦みたいに?」
「きっとそうだよ。遊んであげようよ」
不気味な無邪気さにあてられて思わず後ずさる。
背中に、ぺしんと覚えのある感触がぶつかった。
「……スラ子?」
ふらりとスラ子が歩き出す。
スラ子だけではない。カーラとルクレティアも前へ踏み出していた。
三人とも表情が茫洋としている。
まるで夢を見ているような表情でふらりと歩き出す三人に、
「一緒に遊ぼうよ」
「ここはいいところだよ」
「ずっと一緒に遊ぼうよ」
妖精たちのささやき声が語りかけていた。
一切の派手さがないかわりに違和感のない。
対象の認識に理想をまぶして与えることで相手を幻惑に落とす、妖精たちの魔法。
恐らくは妖精たちによる人さらいの噂の原因にもなっているのだろう、その仕業を受けた三人が自分の元から離れていくのを見送って、
「スラ子」
呼びかけた。
ぴたりとスラ子の足が止まり、
「はい、マスター。――ウォータープレス」
応答に続く呪文。
スラ子の足元を中心にして水流が生まれて四方に散る。
「うわ」
「わわわっ」
「わー」
突然のことに、妖精たちがなすすべもなく水流に呑まれていく。
カーラとルクレティアも巻き込まれ、水が去ったあとには二人と大勢が倒れていた。
あらかじめそれあることを予想していたから、踏ん張ってなんとか抵抗できていた。体重の軽いシィが押し流されないよう抱き寄せて耐えた俺に、振り返ったスラ子が戻ってくる。
「ふふー」
そのままぴたりと寄り添って、嬉しそうな笑顔。
「どうして?」
「ぼくたちの魔法、ちゃんと効いてたのに……」
「ちゃんと効いてたよね。ぼくたちの味方してくれないとおかしいよ」
起き上がった妖精の信じられないといった表情に、スラ子はいたずらっぽく笑って、
「あら、だってあなたがたの魔法は、理想を与えてくれるものなんですよね?」
俺にぎゅっと抱きついた。
「わたしにとってはマスターがすべてですから。マスターの傍にいることがわたしの理想です」
たったそれだけで満たされてしまう。
色々と頭が痛い台詞ではあるが、そのおかげで助かったことも確かだった。
幸せそうに頬を擦り寄らせてくるスラ子に好きなようにさせたまま、俺は次に少し離れたところに倒れたルクレティアへ向けて、
「ルクレティア、起きろ」
むくりと上半身を起こす、その表情はいまだに焦点が定まっていないままだが、
「目を覚ませ」
本人ではなく、その胸元にある呪印に命じる。
「あ――」
ルクレティアの瞳に意思が戻った。
油断なくあたりを見回して、すぐにその場に立ち上がる。
「状況の説明はいるか?」
「必要ありませんわ」
ルクレティアは悔しそうな表情だった。
「意識ははっきりとありましたから。ただ、そうするのが当然だと思っていただけ。……なかなか恐ろしいものですわね、妖精のかどわかしというものは」
自分の願望や理想。
妖精たちは否定ではなく、肯定した認識を与えてくれる。
俺は全肯定というあまりに不慣れなことへの気持ち悪さから、それに気づくことができた。
スラ子にとって理想とは俺そのものに他ならず、自ら差し出した従属の魔法に縛られたルクレティアもその呪印の力で解き放たれた。
残ったのは、もう一人。
「……カーラ」
ボーイッシュな装いの魔物の少女が、意思の定まらない瞳でこちらを見つめている。
「――ボク」
大きな瞳がなにかの感情に濁っている。
「ボク、ここにいていいの……?」
その周囲に大勢の妖精が群がって、
「いいんだよ」
「ずっとここにいようよ」
「ここにはきみを悪くいうやつなんていないよ。ずっと一緒だよ」
どこまでも甘い声を投げかける。
「もう、追い出されたりしない? 嫌われたり、役立たずだったりしない?」
「当たり前だよ。そんなひどいやつなんてここにはいないよ」
「ほら、だから一緒にいようよ」
「ずっと一緒に遊ぼう、ずっと一緒だよ。一緒」
「一緒。ずっと、一緒――」
声がまるで呪いのようにカーラの身体に絡みついていく。それがまるで目に見えるようで、俺は歯ぎしりした。
「……カーラ。お前の居場所はそんなとこじゃないぞ」
ウェアウルフの血をひいて、ずっと町で嫌われてきたカーラ。
そのカーラに、妖精たちの声はどれだけ甘美に響くだろう。
老いも空腹も、争いもない。
別にカーラはそんなものを求めているのではない。
ただ自分がそこに在ることを許してくれる、認めてくれる。
あんまりにもちっぽけな、それは願いだ。そんなものさえカーラは今まで与えられてこなかった。
偉そうにいえるわけじゃない。
――カーラをそういう辛い目にあわせてきたのは、町の人間だけじゃない。
「いっただろ。お前の居場所は、あの洞窟だ。お前は俺たちのそばにいていいんだ」
誠心誠意をこめて口にしたつもりの言葉に、
「とんだ道化ですわ、ご主人様」
蔑むようにルクレティアがいった。
「そんな遠くから吠えたところで、女になにが届きますか」
「うるさい。わかってるよ」
俺は隣のシィを見て、
「シィ。お前はどうしたい」
ここに来たいといったのはシィだ。だからまず、訊ねた。
「帰るか? ――それとも。……逃げたっていいんだぞ。誰がなんといおうと、俺が許す。ずっと一緒に逃げてやる。それくらいならできるからな」
シィはくすりと笑って、それから唇を噛み、
「女王さまに伝えたいことが、あって」
ためらいがちにいった。
「わかった。なら会いにいこう」
俺はここから遠く離れた、泉の元で大勢の妖精に囲まれて不機嫌そうにこちらを見ている相手をにらみつける。
「スラ子。援護しろ。俺とシィは、あそこにいく」
「わかりました、マスター」
嬉しそうにスラ子が俺たちの前に立った。
「ルクレティア」
「はい」
挑みかかるような目が俺を見て、
「命令だ。カーラを、止めろ」
「ご命令はそれだけでよろしいのですか」
確かめるように聞き返してくる。渋面で返した。
「……それだけだ。先約がある。まずそっちをすませてからカーラに伝えないといけない。だから、なんとしても止めておけ」
「かしこまりましたわ」
皮肉げに口元を吊り上げ、嫌味な丁寧さで腰を折る。
「遊ぶ?」
「遊ぶの? 遊んでくれる?」
「でも人間ってすぐに死んじゃうんじゃなかった?」
「しょうがないよ、遊びたいんだもん」
「ほら、お姉ちゃんも一緒に遊ぼうよ」
「遊ぶ――一緒に。ずっと、一緒」
妖精たちの声に誘われるように、ふらりとカーラの身体が揺れて。
握った拳が、俺たちに向けられた。
「ずっと一緒。ここでなら、ボクは――一人じゃない」
――くそ。
カーラの必死に思い込むようにした台詞を心の底から腹立たしく思いながら、俺は一歩足を進めて。
そして、戦闘がはじまった。