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十六話 決して理解しあえない

 すうすうと寝息をたてる妖精の女王は、可愛らしい容貌の主だった。

 人間よりも長い寿命をずっと幼いまま過ごす妖精だけあって、女王というのにひどく子どもっぽいのはシィとおなじだが、性分化を終えてまだ日が少ないシィよりさらに幼くみえるのは寝顔に無邪気さがあるからだろう。


 長く伸びた髪が柔らかそうで、全体的にひなたっぽい印象。

 頬に触れてみると赤ん坊のような感触だった。

 身体に巻いた羽衣のような衣装が乱れている。なんとなく、それをなおそうとして――はっと顔をあげた。


 予想していたような冷ややかな視線がない。


「マスター」


 艶のある声でスラ子がいった。


「この子、使えるんじゃないでしょうか?」

「……なにがだ?」


 といいながら、相手の答えを半ば予想しながら訊ねると、スラ子は無垢で邪気な笑顔でにっこりと微笑んで、


「今のうちに堕としてしまいましょう。群れでなにがあったかはわかりませんが、妖精の女王です。色々と役に立ってくれるはずです」


 さらりといった。


「きっとシィとは違う声で鳴いてくれます。鱗粉もたくさん手に入りますし……女王の鱗粉というと、特別なのでしょうか? ふふ、楽しみですね」


 俺はじっとスラ子を見つめてから、他の二人へと視線を向ける。


「ご主人様のお好きにすればよろしいですわ」


 醒めた眼差しでルクレティアがいって、


「ボクは。マスターのすることなら、なんでも」


 カーラは、答えながら恥ずかしそうに頬を染めている。


 三人の様子は普通どおりだ。

 スラ子が怖いことをいうのも、ルクレティアの冷ややかな視線も、カーラの素直さも。


 そのことを確認してから、最後にシィを見た。


 シィは苦しそうだった。


 なにかを伝えたくて、でもそれがかなわないといった苦悶の表情。

 なにを聞くまでもなく、それで状況を把握した。


「シィ。どうすれば元に戻る?」


 驚いたように、シィが眼を見開く。


「わかるんですか……?」

「てことはやっぱりか。ああ、すごいな。区別どころか違和感すらないぞ。これが本気の妖精の惑わしなんだな」

「マスター?」


 不思議そうにスラ子が首をかしげている。

 ルクレティアとカーラも怪訝な顔だ。


 あまりにも自然に術中にはまってしまったせいで、誰も気づいていない。

 俺たちはすでに攻撃を受けていた。


「シィ。俺たちは本当に森のなかにいるのか? それとも本当は、どこか適当なところを夢遊病よろしくふらついているだけか?」

「……現実です。森の奥、泉の近く、女王もちゃんとそこに」

「てことは、かかったのはついさっきか」


 声がした。

 あれがきっかけだったのか。


「望ましい、現実です。望ましくないものだけが認識されません」

「一旦かかったら、お前にもどうにもできないのか?」

「はい」


 望ましい現実。対象の認識能力だけを少しずらす?


「最強じゃないか」


 妖精が人を惑わすというのは有名な話だ。

 妖精たちは生まれながらにそうした魔法に長けている。


 今まで、何度も妖精たちが洞窟にやってきて悪戯をされてきたことがあるから、俺だってそういうことはわかっているつもりだった。


 だが、ここまで違和感というとっかかりのない幻ははじめてだ。

 まったくもって派手さはない。だからこそ気づきようがない。

 というより現実なのだから幻とはいえないだろう。幻ではなく、理想という膜をかぶった現実。


 ふとそこで疑問に思う。

 いったいそれは、誰にとっての理想だ?


「……シィ、俺は正常か?」


 念のために訊ねると、シィは俺の瞳の奥を見通すようにしてから小さくうなずく。


「はい。――でも、どうして。わたしは、気づくのが遅れたのに」


 妖精たちの幻に俺だけがすぐ気づくことができたのは、シィの恩恵というわけではないらしい。

 その理由には自分でもなんとなく思うところがあったので、肩をすくめた。


「ひねくれた半生を過ごしてきたからな。全肯定なんてされると鳥肌がたつんだよ」


 最近はすっかり生ぬるい生活に浸ってしまっているが、それでも警戒心を発してくれたぼっち力に感謝を。

 俺はきょとんとした様子のスラ子、カーラ、ルクレティアを見る。


 問題はこの三人だ。

 もともと魔法耐性の低くないスラ子はともかく、カーラやルクレティアまで幻惑にかかってしまっている。


 シィにもそれを治せないとなると、この状況はまずい。

 相手の術中にはまった状態で戦力として数えていいのかどうか。それどころか、三人がそっくり相手方の戦力になってしまう恐れだって。いや――


「時間経過で復調するかどうかもわからない、か」 

「……多分、森からでれば。でも」


 あるいはそれが妖精たちの目論見かもしれない。

 そもそも、連中に目論見なんて大それたものがあるのかどうか。からかってるだけかもしれない。


「マスター。どうかされましたか?」

「いや、大丈夫だ。まずは話を聞かないとな」


 不思議そうなスラ子に答えて、俺は寝息をたてる女王の頬を軽く叩いた。


「マスター、起こす前に――」

「俺がどうしたいか、お前ならわかるだろう」


 噛んで含ませた台詞。

 ぱちくりと目をまばたかせて、スラ子が妖艶に笑う。


「はい、マスター」


 女王の小さな身体を起こし、その背後から抱きかかえる。

 つぷり、と痛んだ羽が音をたててスラ子の身体のなかに入り込んだ。


 妖精の魔力の素となるものが封じられたのを確認して、あらためて気付けのために頬を叩くと、


「う……」


 ぼんやりと焦点のあっていない眼差しが俺を見て、一瞬で表情がひきつる。


「人間――」


 空に飛んで逃げようとしたのか、力を入れようとして身体が拘束されていることに気づき、


「おはようございます」


 にっこりとスラ子がいった。


「お前たち、誰だ。私を誰だと」

「女王さま」


 激昂しかけた女王が、シィに気づいて真ん丸に目を見開いた。


「……シィ? シィか」


 自分の置かれた状況も忘れてぱっと喜悦に輝く。


「生きてたのか。心配してたぞ、いったい今までどこに」


 とそこであらためてシィ以外の存在に気づいたように、大きく顔をしかめた。


「シィ。こいつらはなんだ。いや、それより……お前。その羽は」


 背中に薄く広がる羽に、信じられないといった面持ちで、


「――選んだのか?」

「……はい」


 シィが顔を伏せた。


「お前たち……!」


 きっと女王が憎しみの眼差しをこちらに向けて、


「お前たちが、シィに酷いことを!」

「違います。わたしが、自分でそうしてほしいと頼んだんです。――マスターに」

「マスター?」


 ぽかんとした顔になった。


「マスターって。それじゃあお前、まるで」


 シィは答えない。

 その沈黙に答えを得た女王がまなじりを吊り上げた。


「羽を、人間に捧げたのか」


 唾棄するような声。


「恥知らず! 面汚し! なんで、なんでそんな――」


 シィのことを罵る女王の瞳からぼろぼろと涙があふれた。


「愚か者! 馬鹿者!」


 罵声の言葉をあびて、シィはじっと頭を垂れたままだ。


「えーと、ちょっといいか」

「よくない! お前たちに妖精が羽を捧げる意味がわかるか、わからないだろう! わからないなら黙ってろ!」


 泣きながらいわれて、黙り込んでしまう。


 妖精の羽が彼らにとって命そのものであることは知っていた。

 ただ、女王の錯乱ぶりをみればまるで問題はそればかりじゃないような言い方で、それが俺を困惑させた。


 シィを見ると、シィは静かな視線を俺に返して、


「女王さま。わたし、自分で選んだんです」


 子どもをあやすようにいった。


「知るか! お前は馬鹿だ、大馬鹿だ!」

「……はい。わかってます。それより、女王さま」

「それよりじゃない!」

「女王さま」


 出会ってからそれなりに経つ俺やスラ子だってはじめて聞く強い口調を、シィが泣きじゃくる女王へ向ける。


「なにがあったんですか? 群れは、新しい女王の選抜は。どうして女王さまがこんなところに」


 女王は、いわれて思い出したというように顔をしかめて、


「あいつら。好き勝手してくれたな」

「襲われたのですか?」 

「ああ。新しい群れの連中にな」

「妖精同士で戦ってるのか?」


 妖精の女王がこちらを見る。


「どうして驚くんだ。同族の殺し合いなんて、お前たちのほうがよほど得意だろう」


 皮肉でもなんでもない素直な台詞だったので、反論しようがなかった。


「新しい群れのみんなと。……どうしてそんなことが」


 つらそうにシィが訊くのに、


「どうして? 楽しいじゃないか」


 女王はむしろどうしてそんなことを聞くんだといわんばかりの表情で答えた。

 その相手の表情と、口調にどうしようもない違和感をおぼえる。


 もう一度シィを見て、不意に俺はその意味するものを理解した。

 それは絶望にも似た諦めの表情だった。


「……女王さま。わたし、聞きたいことがあって来たんです」

「なんだ?」

「――どうして。どうして、殺しあえだなんて。新しい女王を決めるのに、仲間同士で殺しあわないといけなかったんですか」


 届かないとわかっている相手に、それでもすがるような声。

 それにやはり女王は、いったいなにをいっているんだという表情で答えた。


「だって、面白いじゃないか」


  ◇


「助けてくれたことは礼をいう。あのままじゃ、死ぬまで身動きとれなかったからな」


 スラ子から解放された女王がいった。


「お礼に、お前たちは無事に帰してやる。さっさと森から出ていけ」


 女王らしい傲慢さで、最後にシィを見て顔をしかめる。


「シィ。お前はもう群れの仲間じゃない。……それがお前の選んだ道なんだな」

「……はい」

「なら、二度と戻ってくるな。勝手にどこかで野垂れ死んでしまえ」


 吐き捨てるようにいって、女王は傷ついた羽をはばたいて去っていった。


 残された俺たちはしばらく言葉もなく立ち尽くしていて、やがてシィがゆっくりと歩き始める。

 その足は女王が飛び立った方角に向いている。


「シィ」


 声も聞こえないように、シィはふらふらと歩いていく。


「……マスター」

「追うぞ」


 心配そうなスラ子にうなずいて、俺たちはシィの後を追った。


 森のなかを歩く。

 暗く、気配のない静まりかえった森。


 やがて、かすかに耳になにかの声が聞こえてくる。

 楽しそうな声。


 うっすらと行く先に光が差している。

 深まった森にあるとは思えないような柔らかい光と、そこから漏れてくる笑い声。


 心があたたまる光と音に誘われるようにして近づきながら、俺は思い出していた。

 森のなかで迷った冒険者たちが見かけるという、妖精たちの楽園のことを。


 老いも空腹もない、争いのない場所。

 今まさに、その噂どおりの秘められた場所に俺は足を一歩踏み入れて。



 絶句する。

 そこでは、大勢の妖精たちが笑顔を浮かべてお互いに殺しあっていた。



 満面の笑みを浮かべた一人が、目の前の同胞を刺し貫く。

 貫かれた妖精は笑い声のような悲鳴をあげて倒れ、そこに別の妖精がかかっていく。


 ある場所では一対一で、違うところでは集団対集団で。

 とある所では一人に対して大勢でよってたかって、異常な光景が繰り広げられている。


 森のなかにひらけた明るい泉とその周辺の広場。

 牧歌的な雰囲気さえ感じられる風景のなかで、溶け込むようにして無数にある凶行に声もない。


「……妖精は、死んでも生き返ります」


 シィがいった。


「羽があれば。仲間たちの元にいれば、何度でも生き返ることができます。記憶を持ったまま、以前のまま」


 老いも空腹もない。そして争いもない。

 シィの説明を聞きながら、その噂にしかすぎない話が本当であることを俺は理解した。


 互いに殺しあっている妖精たちはみな笑顔だ。

 彼らは争っているのではない。

 連中はじゃれあっているのだ。互いに殺し、殺されながら。


 それを知ると同時に、悟った。

 なぜ妖精という存在があれほどまでに無邪気で天真爛漫なのか。


 妖精は死なない。死んでも生き返る。

 だから、死ぬことに恐怖がない。

 一度きりの生を生きる人間とはまずそこが違う。


 妖精は精霊に似た存在だなどと知った顔をしておきながら、俺は自分が妖精というものについてまるで知らなかったことを思い知らされていた。


 ――わかりあえるわけがない。


 笑いながら殺し、生き返って、また殺しあう。

 生きることの根本が違うのだから、その土台のうえに立つ全ての価値観が違って当たり前だ。 


「……わたし、怖かったんです」 


 目の前の凄惨な光景を眺めながらシィがささやく。


「いつも楽しそうに生きて、死んで。みんなはどんなひどいことでも、無茶なことをやれるけど、わたしはそれが怖くて。あんなふうに笑えなくて。だから、いつも一人でした」


 怖い。

 きっとその感情を持っていること自体、妖精では異端。


 シィの感情は、人間である俺なんかには共感できるが、妖精たちにしてみればそれはシィのほうがおかしいわけで、


「自分が変だってわかってて。……でも、怖くて。殺すのも、殺されるのも」


 だから逃げた。

 誰一人わかりあえない、居場所のない場所から逃げ出して、そこで俺たちに拾われて、けど心のなかでは群れのことを忘れられないで。


 変わりたい。

 その想いを胸に抱いて、ここまでやってきて。


「やっぱり……わたし、みんなとは違う。違うんですね」


 自分と仲間たちのあいだにある埋めようのない違いを前に、シィは静かに泣いていた。



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