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十五話 妖精女王

 次の日の朝を迎えても、森の様子は変わらなかった。


 朝方に雨でもぱらついていたのか、それとも水場が近いせいでいつものことなのか。

 霧のようなもやがかかった薄暗がりに響きわたる鳴き声もなくて、気味の悪い静寂があたりを包んでいる。


 さすがにこれは異常だ。俺にだってわかる。


 ゴーレムにどいてもらった隙間から外の様子を確認して、白いもやに奥まった森を見渡してぶるりと身が震えた。

 日の光がろくに差し込まないせいで、森の空気はひどく冷えていた。


「魔物たちに襲われなかったのはいいとして。見張りしていて、なにか音とか聞いたやつはいるか?」


 洞のなかにいる全員に聞いてみるが、うなずいてくる相手はいない。


「夜の森というのは、もう少し騒がしい印象だったのですけれども」


 とルクレティア。


「ずっと静かでした。ちょっと、怖いくらいに」

「そうだな」


 カーラの言葉に俺はうなずいて、シィを見る。

 無口な妖精は薄い唇を噛んでじっと黙っている。なにか思いつめている表情の隣にいるスラ子が首を傾げた。


「おとといの夜、ゴブリンさんたちは森からバサの集落に来ました。つまり森のなかには魔物がいることは確かなはずですよね」

「ああ。そうだ」


 ゴブリンたちの襲撃はたしかに森の方角からあった。


「そうなると、不思議なんです。ゴブリンさんたちはどうしてバサに下りてきたりしたんでしょう」


 根本的な問いに、俺はあごに手をあてて、


「……今は冬じゃない。森のなかに獲物が不足しているってことはないだろう。ゴブリンたちがいつもと違う行動にでた理由があるとしたら、それはいつもより自由がある場合か、それとも」

「――いつもより不自由を強いられた場合。森を追い出されでもしたかですわね」


 ルクレティアがいった。


 そしてもう一つ。このあたりに強い影響力を持っていた妖精の姿が見えないこと。

 それらを考えれば、そのいずれの場合にせよ、妖精の不在が関係していることはほとんど間違いないだろう。


 全員の視線がシィに集まり、小さな妖精はますます身体を縮みこませるようにしてしまう。


「いずれにせよ、いってみないとわからないですね」


 そのシィの頭を優しく撫でながらスラ子がいった。


「そうだな。シィ、道案内を頼めるか?」


 訊ねると、こちらを見上げてこくりと頷いてくる。

 カーラを見た。


「体調はどうだ」

「大丈夫です、マスター」


 よし、と俺はうなずいて、


「出発しよう。目的は妖精の泉だ」


 ◇


 簡単な朝食をすませてから、俺たちは洞の外へ出た。


 音の抜け落ちてしまったような森。

 地面は少し濡れていて、露をのせた葉っぱが頭上から漏れた光を受けてきらきらと輝いている。


 少しずつ明度を増す視界のなかで不自然に動くものがないせいで、かえってなんでもないものにまで注意がいってしまい、そわそわと周囲を見回してしまう。


「なんだか不思議な雰囲気ですね。森を歩くのははじめてですけれど……」

「そうだな」


 スラ子のつぶやきに応えながら、大きく深呼吸をしてみる。

 俺もこんな奥までやってきたことはないが、神聖というのとは少し違う。こんなふうにいざ明るくなってみれば、不気味というのもちょっと微妙な感じだ。


「……精霊の管理地、って感じだな」


 人も魔も平等に調和のとれている穏やかさ。そんな感じだった。


「そういえば、ここにも精霊さんっていらっしゃるんですよね」

「そりゃな。精霊ってのは基本、どこにだっている」


 水、火、風、木、金、土、光、闇、月。 

 世界にある九つの属性と同じ種類の精霊が存在しているといわれていて、彼らはそれぞれ自分と関係のある場所にいる。


 このあたりなら風、木、土あたりがまず該当するし、水場だってある。

 ただ、全ての水場にウンディーネがいるわけではなくて、木の一本一本に木精霊ドートリーが宿っているわけでもない。


 どこになら精霊がいて、どんなところにはいないのかはよくわかっていない。

 人間の手がはいりすぎたところを精霊は嫌うといわれていたりするが――精霊というのは、あれはあれでけっこう適当だったりもするので、それも本当かどうかは微妙だ。


「でも、お見かけしませんね」

「そうそう人目にでてくる連中でもないからな」 


 人間からみれば十把一絡げで精霊も魔物の一種とされているが、彼らは魔物のなかでも特殊な存在だ。


 精霊とは魔力の渦、その純粋な概念だといわれている。

 なんのことか俺もいまいちよくわかっていはいないが、つまり普通の生き物とは違うのだ。


 彼らは食事を採らないし、欲というものをもっていない。

 ただ自分がいる場所の調整をすることを仕事とする自然の管理者。


 その精霊の一体を、こともあろうか自分のなかにとりこんでみせたスラ子は、やっぱり普通じゃないだろう。

 最近は特に変わった様子はないが、やっぱり気をつけて様子をみないといけない。


 そんなことをあらためて考えていると、そのスラ子がなにかに気づいたようにすっと目を細めた。


「どうした」

「今、なにか――」


 全員に合図をして立ち止まり、耳をすませてみる。


「――ぁ」


 かすれた声らしき音が聞こえた。

 武器をかまえ、慎重にその音の聞こえる方向に足を向ける。


 全員とはいうが、ルクレティアのゴーレムは洞に残したままだ。

 ゴーレムの戦力は魅力的だったが、ひどく足が遅いことを考えたのと、ルクレティアから見つけた遺体を守らせておきたいと申し出があったからだった。


「ぅぁ――」


 声は、ひどく弱々しい。

 どこかで聞いたことのあるような響きだと思いながら木蔭の奥を覗き込むと、


「これは……」


 そこには一人の妖精が捕らわれていた。


 大人ほどもある背丈の植物。

 その中央に、シィと同じくらいの体格で、長髪の妖精が後ろから抱きかかえられるようにしている。


 蔓なのか蔦なのか、ともかくそんなようなもので妖精の肢体は拘束されていて、小さな身体があますことなく絡めとられていた。

 その一部は妖精の命ともいえる羽にも向けられていて、何本かが薄く広がった羽を貫いてしまっていた。


 ひどく痛々しい光景に顔をしかめながら、息を吐く。


「食精植物か」


 蔓のようなものが震え、なぞり、羽から生まれる鱗粉を落として、それが植物の内側に落ちていく。

 魔力の結晶でもある粉は内部で十分な栄養源になる。つまり、妖精は生きた栄養源にされていた。


「ぅ――あぅ」


 妖精にはまだ息があるが、意識が朦朧としているようだった。

 痛がっている様子はない。それどころか、表情は恍惚としている。


 長く妖精の鱗粉を手に入れるために、生かさず殺さず。やっていることはスラ子がシィにしたことと似たようなもんだ。

 ……客観的に見ると、やっぱりひどい光景だ。


「マスター」

「実にエロいな」

「……ゲスター?」

「冗談だ。助けてやろう。話が聞きたいしな」

「はい」


 近づいたスラ子が、距離をおいて精密に狙いを定めた魔法で蔦を切り払っていく。

 ぎゅ、と誰かに捕まられて視線を落とすと、シィが俺の服にしがみついてきていた。


「どうした?」


 シィは答えず、小さな身体が震えている。


「ウォーターナイフ」


 妖精の身体に傷をつけないよう慎重に蔦を除去していったスラ子が、食精植物の抵抗を避けながら、最後に羽を貫いていた数本を切り落とした。

 怒ってこちらに伸びてくる蔦をルクレティアが焼き、カーラが隙を突いて植物のなかから妖精を引きずり出す。


「ファイア」


 三人の分担作業は程なく終了し、あとには焼け焦げた食精植物とそれから解放された長い髪の妖精が残った。


「スラ子、治してやれ」

「はい、マスター。シィ、手伝って?」


 スラ子の呼びかけにうなずくシィは震えているどころか、顔が蒼白になっている。


「シィ、どうした。大丈夫か?」

「大丈夫、です」


 とてもそんなふうには見えない表情で倒れた妖精の近くにいって、シィが手をかざす。背中の羽を光って、癒しの光が倒れている妖精の身体を包み始めた。


「カーラ、ルクレティア。少しあたりを探してみるぞ。他にもなにかあるかもしれん」

「わかりました」

「かしこまりましたわ」


 二手にわかれて探索してみたが、他に捕まっている妖精はいなかった。それどころか、


「……食精植物も他にはありませんわね」

「こっちもだ。生えてた痕跡もない」


 食精植物の存在そのものなら珍しいわけではないが、たった一つだけぽつんと生えてることなんてまずありえない。もっと集団で群生しているはずだった。

 それだって、ひとつの植物には違いないのだから。


「きなくさいな」

「鳥か獣に種を運ばれた、という可能性もありますが。それにしたって一株だけというのは妙ですわ」


 食精植物の生態なんて知らないが、まるで誰かが妖精を襲うために用意したかのようだ。

 スラ子たちの元に戻ると、妖精の治療は終わっていた。


 治癒を受けた相手はおだやかな寝息をたてている。その背中の羽が、さすがに破けているところまでは修復できずに痛々しかった。


「この相手を知ってるのか?」


 青ざめたまま妖精の寝顔を食い入るように見つめているシィに訊ねると、シィはこっくりとうなずいて。


「……わたしたちの、――女王です」


 震える声でいった。



 長い髪をもつ妖精は女王だけです、とシィはいった。


「間違いありません。わたしがいた群れの、女王です」


 俺たちは互いに顔を見合わせた。


 森の奥に群れをつくって生きる妖精族。その頂点にいるだろう女王が、なんでこんなところで食精植物に捕まってる?

 ちょっと考えなくても、嫌な予感がしてたまらない。


「マスター……」

「待て、ちょっと待ってくれ」

「ご主人様」

「だから待てって。心の準備をさせろ」


 カーラとルクレティアの台詞を必死に押し留めようとしてみたが、


「事件の匂いですね!」 


 あっさりとスラ子がいいきってみせる。


「森の妖精族たちに起きた謎の事件! 傷ついた女王、それを助けた一行に襲いかかる謎、そして敵! 燃えてくる展開ですね、マスターっ」

「ぜんっぜん燃えてこんわ」


 頭を抱え、俺はこちらをじっと見るシィの視線に気づいて顔をしかめた。


「……帰ろうなんていわないから心配するな」

「ありがとう、ございます」


 すまなそうなシィの頭を乱暴に撫でて、


「とりあえず、この相手から話を聞きたいな。シィ、ここから泉までどのくらいかわかるか?」

「あと少しです。もう、ほんのすぐ先に」


 そんな近くに女王が捕まっているのに、助けられないでいる?


 それは、助けることができないのか。

 それとも助けようとする意思がないのか。


 ぐるりとあたりを見回してみても、もちろんその問いに答えてくれる相手はいない。

 いや、


 ――くすくす――


 耳元で、誰かの笑い声が聞こえたような気がして、俺はぎょっと飛び上がりかけた。


「マスター。どうかしましたか?」

「――今、誰か」


 いいかけて、スラ子たちが平然としているのに口を閉じる。

 幻聴か、それとも妖精の悪戯。


 嫌なものが喉の奥からせりあがってくる気分で、唾ごとそれを飲み下して深呼吸。無理やりに呼吸を整える。


「マスター?」

「大丈夫だ。妖精が目をさますまで少し休もう。あまり一人で離れないようにな。なにがやってくるかわからん」


 なんの気配もないはずの森の四方から誰かに見られているような感覚。

 いつのまにか、背中に嫌な汗をかいていた。



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