十四話 ふたりの微妙な関係性
柔らかい樹木の壁に抱かれるようにして、それはあった。
「……間違いありません。服装と特徴が合致します。フゼさんですわね」
ルクレティアが口にしたのは、メジハからバサに向かって姿を消した男の名前だ。
「死んだのがいつかわかるか?」
質問に、ゆっくりと首を振る。
「わかるのは、数日もたってはないということくらいですわ。死因はどうやら身体中の精気を失っているようですが……これだけで相手を断定するのは難しいでしょう」
精気を吸収する。そういうやりかたで人間を殺す魔物は多い。
理由は簡単、ばりばりと頭から食うよりよほど「取り込む」効率がいい。たとえば――人身蛇体のラミア族がそういったやりかたを好むように。
「エキドナに殺されたばかり、ということもありえるか」
失踪してからもう五日もたつ人間の死体がさほど日数の経っていない状態で見つかり、その近くにさっきまで魔物がいた。普通に考えればその可能性が強い。
「どうでしょう。身体が冷えているので、死亡したときから少しは時間もたっているようです。殺害したあと、ここに長く居座っていただけかもしれませんけれども」
ルクレティアはひどく冷静な口調だった。
身内が治める町の人間が殺されたというのに、激昂した様子はない。それが本心を隠しているだけなのか、それともなにも感じていないのか、表情からは判別がつかずに俺は凝視した。
「ご安心ください、ご主人様」
その意味を察したようにルクレティアがいう。
「敵討ちなどといいだすつもりはございません。森のなかは人間の法外域。どんな理由があれ、そこに足を踏み入れて命を失うのは当人の責任でしょう」
死体の両手を胸元であわせて、血走って見開いた男の目を閉ざさせながら続ける。
「無事な遺体を見つけだせただけでも、遺族にとっては嬉しいはずですわ」
ルクレティアはウェアウルフに町を襲われて両親を失くしている。
道具屋のリリアーヌ婆さんが残された遺体はひどい状態だったといっていたことを思い出して、俺は渋面になった。
「とりあえず、今日の宿はここだ。……死者の眠りを邪魔することにはなるけどな」
「なにを馬鹿なことをおっしゃいます」
ルクレティアは冷たく笑って、
「死者はなにも思い煩いませんわ。ゆっくりと休ませてもらえばいいだけです」
強い表情でいった。
洞には十分な広さがあって、全員が横になることもできたし火を囲むこともできた。もちろん、焼け移るのには気をつけないといけないが。
ルクレティアのゴーレムには見張り兼、迷彩役として入り口に待機してもらう。
急ごしらえで数日しか保たないとルクレティアのいっていたゴーレムだったが、術者の腕がいいからか、昨晩の戦闘を経たあとの動きにもまだ余裕があった。
即席の扉がわりになってくれる相手の背に草や葉を重ね、カモフラージュを施してからなかに戻る。
「ゴーレム」
ルクレティアの命令に無言の魔法生命体が両腕と両足を踏ん張れば、これで外からはなかを窺うことはできないはずだった。もちろん侵入することも、だ。
「スラ子、さっきのはどういうつもりだ」
夕食の準備のために火の世話をはじめている相手に訊ねると、
「エキドナさんのことです?」
「そうだ。湖の精霊だなんて、突飛過ぎてこっちがびっくりだ」
「すみません。けど、悪くない言い訳かなあと」
たしかに、あまりに突飛過ぎてエキドナも本当か嘘か測りかねている様子だった。
精霊の代替わりなんてアカデミーでも知られていないことだ。
それっぽい相手から、そうなんです、といわれればあっさりそんなものかと思ってしまうものかもしれない。
「……お前、ほんとに管理しようとなんて考えてるんじゃないだろうな」
スラ子はいたずらっぽく笑った。
「ダメですか?」
「ダメですかって。そんなことできるのか?」
んー、とスラ子は首をかしげて、
「どうでしょう。けれど、あながち無理じゃないような、そうでもないような」
「どっちだよ」
「なんとなくですが、できると思います」
豊かな胸に手をあてていった。
「私のなかにはあの精霊さんがいますから」
――捕食して取り込んだ精霊がまだ残っている。
その台詞は、あのときのスラ子の暴走を思い出させるのに十分で、顔色を変えた俺にスラ子がおだやかに微笑む。
「大丈夫です、マスター。そういうのとは違います」
「なにがそういうので、なにがそういうのじゃないんだ」
「マスターを心配させたりなんかしません」
断言してから、それにですよ、と続ける。
「もしあのまま湖の管理役が不在ということになると、アカデミーから新しい管理者さんが送られてくることだってあったかもと思うんです」
「まあ。ありえるな」
「そうなると、身動き取りづらくなってしまうかもしれませんし。余計なトラブルの素は呼び込まないのが吉です」
「吉、ね」
俺は別にあの洞窟だけ平穏ならそれでいいのだが、確かに新しいアカデミーの回し者なんかが近所にやってきたら面倒なことにはなるかもしれない。
主に、俺とそいつの交友関係の面で。
「わかった。だが無理をするなよ」
「了解ですっ」
よし、とうなずいて俺はスラ子から火かき棒をとりあげる。
「あ。もう、火遊びはダメですよ、マスター」
「子供か。いいから休んでろ。あれだけ魔法を連発したんだ、お前だって疲れてないわけがない」
じっと睨みつけると、スラ子は困ったように眉を寄せて、
「私なら大丈夫です」
「さっき無理をするなといったぞ」
「……実は、あとでマスターからご褒美もらおうと思ってたんですが」
物欲しそうに上目遣いでいってくる。
「俺に無理させてどうするんだよ」
「私が抱っこしてあげます」
「全力でお断りだ」
「むう。じゃあ、ちょっとだけシィからもらってもいいですか。明日のために念のため、ですけれど」
明日、予定なら妖精の泉につくことになる。
別にケンカを売りにいくわけではないが、なにがあるかわからない状況でスラ子が万全ではないというのは確かに不安ではあった。
俺は会話に参加せず、俺たちの様子を見守っていた妖精に顔を向ける。
別室なんかあるわけない洞のなかを見回して少しだけ迷うようにしてから、こくり、と小さくうなずいた。
「……無理はさせるなよ」
シィだって大事な戦力なのだから、疲労困憊にさせられては困る。
「わかりました。シィ、いらっしゃい」
恥ずかしそうに身を固めるシィに、スラ子の手が伸びる。
その様子にルクレティアが冷ややかな目を向けていて、先に横たわったカーラは気まずそうに視線を外している。
二人のどちらの態度にも気づかない振りをして、俺は夕食の準備にはいった。
◇
森のなかでの宿営はひどく危険だ。
シィが案内してくれた妖精たちの秘密の場所。
大木の洞の入り口をゴーレムがカモフラージュしてくれているとはいえ、いったいなにが襲ってくるかわかったもんじゃない。
俺たちは昨夜のように交代で見張りについた。
明日のために体調を回復しないといけないカーラをのぞいて、他のメンバーでローテーションをくんで順番に休みをとる。
昨日と同じように最後番にさせてもらった俺は、見張りの番がやってきて一人でぼうっと目の前の灯りを眺めていた。
この季節、夜は凍えるほどではないが、それでも毛布一枚で眠るのは少し身に堪える。
弱めにとどめた鈍い火の灯りにあぶられながら番をしていると、
「――マスター」
うつらうつらとしていたところに声をかけられて、はっと意識を戻す。
近くに横たわったカーラが、顔半分を焚火に照らされながら微笑をみせていた。
「少し休んでください。見張りはボクがやります」
「いや、悪い。ちょっと油断してただけだ。お前こそ寝てろ」
「今日一日、ずっとマスターに背負われて休んでたから、眠れないんです」
とカーラがいった。
「見張りくらい、横になったままでもできます」
俺は答えに詰まった。
昨日からの慣れない遠出で疲れているというのは確かだが、怪我人に見張りを押し付けるわけにもいかない。
「そうしてくださいな、ご主人様」
ぎょっと声を向けると、むくりと起き上がったルクレティアがこちらを見ていた。
「……起きてたのか」
「今、起きたところですわ」
カーラとの会話がうるさかったのかもしれない。
俺はすぐ隣に抱き合うようにして眠るスラ子とシィを見る。
シィはともかく、睡眠を必要としないスラ子まで気づく気配がないのは、やはり昨日の戦闘で消費した魔力が決して少なくないからだろう。
「寝不足でふらつかれたらこちらが困ります」
「疲れてるのはお前も一緒だろ」
「若さが違いますわ」
平然とルクレティアがいう。
「ああ、そうかい。なら頼む」
むっとして反射的に横になったものの、カーラとルクレティアの二人に見張りをまかせるというのは、それはそれで別の問題がある。
「――――」
「……」
会話の一切ない冷ややかな気配。
毛布にくるまりながらそんな緊迫した空気を背中に受けて、眠気なんてやってくるはずがなかった。
やっぱり起きよう、と身体を起こしかけたところで、眠っていたはずのスラ子の腕にそれを抑えられた。
いったいいつから起きていたのか。
俺を見るスラ子の視線が、動かないようにといっている。
「……ルクレティアさん」
カーラの声が沈黙を破った。
「なんでしょう」
冷淡に応える声。
「――ありがとう」
突然の礼に不可解そうな沈黙の後、ルクレティアの声が突き放す。
「貴女に感謝されるようなことはしておりませんわ」
「マスターを守ってくれたって聞いたから。ありがとう」
ぱちり、と焚火の爆ぜる音が響いた。
「……別に貴女のためにやったことではありません」
ルクレティアがいう。
心なしか、言葉から棘がなくなっているように思えた。
「本当なら、間抜け面でぼうっとしている誰かさんをそのまま見殺しにしたいところでした。わざわざ、やめろなんて命令まで受けて、それでも呪印のせいで身体が動いてしまっただけです。貴女が手にかけてくださればこんなものからも解放されて、清々しましたのに」
――そんなことは全然なかった。
ていうか俺がカーラに殺されればいいとか思ってたのかよ、まじ鬼畜だなこの女。
くすりとカーラの笑みが漏れた。
「うん。でも、ありがとう」
舌打ち未満の音は、きっとルクレティアのものだ。
「今まで、貴女とは町でもあまりお話したことがありませんでしたけれども」
「うん」
沈黙。
はあ、とため息が漏れた。
「お互い奇妙な境遇になりましたわね」
「……うん」
お、と思った。
なんとなく二人のあいだの空気がこれまでと違う気がする。
もしかして、これを機に二人が仲良くなってくれるのか――と思ったら、
「私は、貴女に感謝されるようなおぼえはありませんし、今までのことでなにひとつ謝るつもりもありません。馴れ合う気はありませんので」
ルクレティアが発したのは、それまでの雰囲気をなかったことにするような極寒の台詞で、
「……わかってる。ボクも、そうだから」
それに応えるカーラも当然のものとそれを受け入れてしまっている。
思わずため息をつきかけた俺に、
「一つだけ」
とルクレティアの声が続く。
「貴女の髪を魔法で傷めてしまったことは謝っておきます。申し訳ありませんでしたわ」
……なんだそりゃ。
俺はわけがわからなかったが、俺と顔をみあわせるようにしたスラ子は口元に手を当てて音をたてずに笑っていて、くすくすとカーラが漏らす笑みも耳に入ってきていた。
「なにかおかしいかしら、カーラさん」
「いえ。ボクのこと、カーラって呼んでください。ルクレティアさん」
「でしたら、私のことはルクレティアとお呼びになってかまいませんわ。今の私はそこの貧相な主人のしもべですから」
貧相で悪かったな、おい。
「わかった。ルクレティア」
「はい。カーラ」
二人の会話はそれで終わり、再び沈黙が戻った。
残ったのはなにか打ち解けた気配ではなく、さっきまでと変わらない冷ややかな雰囲気。
おい、今の会話はなんだったんだ。
二人のギスギスした関係をちょっとでも氷解させてくれるんじゃなかったのかよ。
まったく話の流れが理解できずに顔をしかめる俺に、スラ子が頬を緩ませている。
――なんだよ、と視線を送ると、――なんでもありません、と視線で返された。
意味がわからん。
二人のやり取りの意味とスラ子の態度の意味するものを考えているうちに眠気がやってきて、いつのまにか意識が落ちていた。