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十三話 大木の洞にて

 妖精の泉は森の奥深くにある。

 そのことはこのあたりに住む者にならよく知られているが、実際にそれがどこにあるのかについては誰も知らない。


 多くの妖精が住むそこは争いのない楽園であり、老いも空腹もない――なんて話もある。


 ほんとかどうかはわからない。

 だがそういう噂話があることはたしかで、多分それは森をさまよいかけた冒険者とかが偶然そういう光景を見かけて、帰ってから酒場で得意げに話をしたりするのだろう。


 もし目の前に楽園があったとして、なんでそこに居つこうとしないんだ?というのは当然の疑問だが、実際に森で失踪して帰らない人間がいることを考えると、それもちょっと怖い話だ。


「シィ、泉まではどれくらいだ?」


 集落から離れて姿消しの魔法をといたシィに訊ねると、


「ここからなら、そう遠くないです。明日くらいには」

「わかった」


 俺たちはひとまず集落から近いという水場に向かっていた。

 そこから、あとは流れをたどっていけば妖精の泉にたどり着くはずだ。


 耳元ではカーラの寝息が聞こえている。

 俺は重さのない背中の相手を起こさないよう、気をつけながら後ろを振り返ってみる。

 一人の魔法使いと一体のゴーレムが微妙に距離をあけてついてきている。


「マスター」


 俺の視線に気づいたスラ子が、気遣わしげに声をかけてきた。


「スラ子。お前、目の前で間抜けな俺がカーラに殺されかかってたらどうする」

「ルクレティアさんとおなじことをしたと思います」


 スラ子はよどみなく答える。

 俺は半透明の相手をにらみつけて、重くて苦しい息を吐いた。


「どうすれば自分がでかい器になれるのか、知りたいもんだな」


 そんなものは昔からさんざん思ってきたことではあるわけだが。

 ふふ、とスラ子が笑う。


「マスターは大きいですよ」

「ありがとよ」

「本当です、世界一です」

「さすがに嘘だろ」

「いいえ、小者魔法使いナンバーワンですっ」

「なんだそのご近所勇者みたいなノリは」


 いいながら、急に馬鹿らしくなった。


「――こっちに来い。そんな中途半端なとこにいられたら、気になるだろ」


 遠くの相手に声をかけると、返事のないままルクレティアがこちらにやってくる。

 その供のゴーレムはさっきまで氷づけのトロルを抱えていたのだが、今はそれをどこかで処分してなにも持ってない。


「なにか御用ですか、ご主人様」


 ルクレティアの目に後悔やそれに近いものはなかった。

 そんな可愛げがある相手じゃない。自分のやったことは間違ってないと思っているだろうし、実際そうなのだろう。


 俺はこの女とものすごく相性が悪い。

 そんなことは、今さらだった。


「……ゴーレムを先行させろ」

「かしこまりました」


 了承の返事のあと、なにかいいかけたルクレティアがそれを飲み込んで前を歩き始める。

 俺とスラ子とシィがそれに続いて、森を歩いてすぐに少しひらけた場所にでた。 


 バサの長がいっていた水場。

 鬱蒼としげった森にぽっかりとあいた空間に切れ目から光が差して、神秘的なというのとは少し違うが周囲から浮いている。

 今は獣や魔物の姿もなく、水面には波紋ひとつたっていなかった。


「ここが、一人目の村人がいなくなった場所か」

「少し調べてみますか?」


 スラ子にいわれて、俺は首をひねって、


「どうだろうな。村の捜索隊も来たみたいなこといってたし、今さらなにも見つからないんじゃないか?」


 そもそも、俺たちは別にいなくなった三人を探しにきているわけではない。

 ギルドの調査で来ているルクレティアは違うが、と思って顔を見ると、別になにかいいたそうな表情ではなかった。


 妖精の泉に向かうと聞いたときにもルクレティアの反応はそうだった。

 かしこまりました、の一言だけを口にして、朝から黙々とついてきている。


 ……文句をいわれるのもあれだが、これはこれでやりづらいものがある。


「とにかく少しでも進んでおこう。今日は森に泊まることになるんだ。少しでも安全な場所を見つけないと、ちょっと怖いからな」


 森にはたくさんの魔物がいる。トロルやそれ以上に危険な存在だって多いのだ。

 そんなのに襲われたらおしまいだ。


「わかりました」


 俺たちはさらに水場の上流へとむかって足をむけた。



 森のなかは静まり返っていた。


 魔物の襲撃がないのはありがたいが、あまりにも静か過ぎる。

 別に森をよく知るわけでもないが、そんな俺でも違和感をおぼえるくらい、なにもなさすぎた。


「シィ」

「はい」


 見上げてくる表情も、もちろんその異常には気づいている。


「うちの洞窟まで、前までたまに妖精が来たりしてたんだが。妖精ってのはけっこう、昼間でも森のなかにいるもんだよな?」


 シィがこくりとうなずいて、 


「森も夜のほうが危険だから。……お昼はよく、泉の外に出たりします」


 活発でいたずら好きな妖精。

 その妖精の姿がさっきからひとりも見かからないのは、やっぱり普通じゃない。


 妖精の不在が森のなかのパワーバランスに影響を及ぼしたのか?

 ゴブリンたちが人里にあらわれたりしたのもそのせい?


 そして、その妖精たちのあいだに近づいているという巣分けの時期。

 ……さっぱりわからん。


「――マスター」


 耳元に息が吹いて、飛び上がりかけた。


「あっ、ごめんなさい」

「いや。起きたのか。具合はどうだ」

「もう平気です。あの、自分で歩けるから……」

「重くないから大丈夫だぞ。シィ、レビテイトはきつくないか?」


 妖精がふるふると頭を振る。


「でも、」

「大丈夫ですよ、カーラさん」


 にこりとスラ子が微笑んだ。


「マスターはカーラさんの胸とお尻の感触が気に入ってるだけですから」

「そうだ。こんなことでもないと触れないからな」


 むむ、とスラ子が俺を見て、


「ついにツッコミ放棄という荒業に出ましたね」

「いい加減、俺だって新しい境地につきたいからな」

「ランクアップがセクハラネタというのもどうかと思います」

「あの」


 困ったような声で、カーラの全身が微妙に強張っている。


「いや、冗談だからな。けど休んでおけ。今日はなるべく早めに寝床を見つけるから、少しでも体力を回復して欲しい。明日はなにがあるかわからないしな」 

「……わかりました」


 そっとうなずいたカーラの両腕に力がこもる。

 密着した背中にあたる控えめな感触から、カーラの体温が伝わってきた。



 宣言したとおり、その日ははやめに行軍をやめることにする。

 俺たちが足を止めたのはまだ日が落ちる前だったが、暗くなってから寝床を探すなんて馬鹿な話はない。


「ここなら、大丈夫です」


 森のなかを知るシィが一晩のために案内してくれたのは、樹齢が何百年だろうかという巨大な老木の洞だった。

 蔦と草でカモフラージュされ、半地下に自然と掘られた先にあるのは広大な空間。


「妖精の気配が強いので、他の魔物もあまりよりつかないはず。です」


 なかにその妖精がいれば迷惑な客だと追い出されるところだろうが、やっぱりというべきか、そこはがらんとして誰の気配もなかった。


 いや、


「――あら。これはこれは」


 奥まった闇から姿をあらわした相手に、俺は驚きのあまり背中のカーラを落としそうになった。


「意外なところで会いますね」


 人の身体に蛇の半身を持った美女、エキドナがそこにはいた。


「なんでこんなところに」

「それはこちらの台詞です」


 闇の似合う美貌が苦笑して、


「お邪魔した時にお話しませんでしたか? しばらく滞在する予定だと。少しこのあたりで調べ物をしているのです」


 瞳がすっと細められる。


「それより、そちらこそどうしてこんなところへ?」

「シィのことで、少し。別に俺だって洞窟にひきこもっているだけじゃないですよ」

「なるほど。健康のためにもよいことですね。――ところで」


 蛇の視線がスラ子を捉えた。


「そちらにいらっしゃる方は、先日はお見受けしませんでしたが」


 まずい。秘密にしておきたかったスラ子のことがばれる。

 なんとか誤魔化せないかと頭を巡らせる俺の隣で、


「はじめまして。エキドナさん。私は洞窟前の湖の精霊です」


 いきなり堂々と、スラ子がそんな大嘘をいいだしはじめた。


「……精霊? 水精霊の方なのですか?」

「はい。先代の者から代替わりで役目を継ぎました。よろしくお願いしますね」

「代替わり、ですか」


 これにはさすがのエキドナも面食らった表情を浮かべる。


 自然の管理者である精霊族も決して不死ではない。

 死や消滅。代が変わることは知られているが、それがどういった経緯でおこなわれるかは知られていない。


「これは失礼しました。そのような話はうかがっていなかったので……私、アカデミーでこのあたりを担当しているエキドナといいます」

「ええ、お話はうかがっています」


 にこにこと愛想のいいスラ子に、不気味なものを見るような視線で、エキドナが俺のほうをうかがう。


 このあいだまで湖の管理をしていたウンディーネは人間にも魔物にもつんけんした奴だった。

 エキドナもその相手と話したことはあって、後継者と自称するスラ子があまりに態度が違うことに戸惑っているのだろう。


 俺はスラ子の大嘘がばれないよう、ポーカーフェイスをたもっていた。


「失礼。その湖の精霊が、どうしてこのようなところまで足を向けているのかお聞きしても?」

「はい。実はこの人間族の魔法使いさんに一目惚れしてしまいまして」


 俺は咳き込みそうになるのを必死に抑える。


「精霊が、人間に惚れる……?」


 エキドナは、トロルがワルツを踊っているのを見たような表情だった。


「はい、それでそのお方が森のなかにいかれるというので、私も連れていってもらうことに。ちょうど私もこのあたりのことを知りたかったので」

「はあ。そうなのですか……」


 毒気を抜かれた様子でうなずいて、エキドナがこめかみを押さえる。


 今の事態に頭がついていかないのだろう。

 気持ちはよくわかる。すごくよくわかる。


「……なんだかよくわかりませんが、わかりました。あちらの湖の状況も少し気にはなっていました。新しい管理の方がついたとならば、安心です」

「ええ。すみません、気をつけますね」

「そうしていただけるとありがたいです。……マギさん」

「……なんでしょう」


 エキドナの半眼が俺を見て、


「この一月のあいだで、色々と面白いご事情のようですね」

「ええ。まあ、なんというか」


 責めるようにいわれて、言葉を濁すしかない。


「他にも初顔の方もいらっしゃるようですし、――まあいいでしょう。そのうちにまた洞窟をお邪魔しますので、詳しいお話はそのときに聞かせてもらえますか」

「わかりました」


 とりあえず、この場だけでも切り抜けられそうなことにほっとする。

 アカデミーの査察員は、最後にちらりとシィのほうへ視線を配り、


「あまり無茶なことはされないようにお願いしますね。アカデミーは、この一帯が平穏であることを望んでいます」


 釘をさすようなことをいってきた。


「肝に銘じておきます」

「そうしてもらえると嬉しいです。それでは、――ああ」


 とってつけたように、エキドナは加えた。


「この奥に一人、人間の死体がありますので。驚かれないでくださいね。それでは、また」



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