十二話 命令遵守
白々とした魔法の灯りのもとで、二体が交差する。
「あああああああああ!」
「――!」
咆哮でまず互いの有利を押しつけようとするかのように叫びあい、拳がそれに続く。
リーチは圧倒的にトロルの方が長い。
振り下ろされれば鉄槌、振り回されれば丸太。
暴力という概念をそのまま固めて具象化したようなそれに、カーラは臆することなく向かっていく。
どんなに物騒な凶器だろうが、有効な間合いがはずれてしまえば怖くない。
そんな理屈で恐怖を克服したうえでの行動ではなかった。
カーラが飛び込んだ理由は単純だ。
ただ、そうしなければ自分の拳が当たらないから。
「あああああああ!」
魔力の輝きを帯びた拳が軌跡を描き、
「っ――っ――!」
トロルの絶叫。
カーラの一撃が膨らんだトロルのどてっ腹を貫いていた。
空を仰いで悲痛な叫びをあげる巨人。
拳を抜こうとするカーラの、その横から豪腕が襲った。避けようのない一撃をまともに浴びて吹っ飛び、カーラはなんのダメージもない様子で起き上がる。
「があああああああああああ!」
「――!」
再びの咆哮。突進。
文字通りの獣同士の争いを目の前に、俺は手を出すどころじゃなかった。
狂暴化したカーラの姿を見るのははじめてじゃない。
今までに二回、それもけっこうな間近で俺はカーラの暴走に遭遇したことがある。組みついてしがみつくことまでした。
それで今、客観的にカーラの戦いぶりを見てあらためて思う。
――あんな相手に近づこうとするなんて、俺はなにをトチ狂ってたんだ?
トロルは一対一で争うような魔物じゃない。
初心者の冒険者だろうがベテランだろうが関係ない。
人間がトロルに相対する以上、絶対にそれは集団でかかるものだ。
作戦を考えて、魔法を駆使して。場合によっては罠だって用意して、周囲と綿密な連携をとりながら戦うべき存在だ。
そして今、そんな魔物にたった一人で戦っている少女がいる。
「あああああ!」
カーラの雄たけびには戦意以外のなにものも含まれてはいない。
戦いを喜ぶのでもない。
なにかに怒っているのでもない。
ただ戦うためだけに戦っているような、そんな空々しいほどの気迫にぞっとして、
「なにいってんだ……!」
そんなどうでもいいことを考える自分をののしった。
今、カーラがどんな姿で戦っているかは関係ない。なんで狂暴化したのか考えろ。
そんなもの、俺を守るために決まってる……!
格好悪くガクガクと震える下半身を叱咤して、激闘を繰り広げるカーラとトロルに向けて足を踏み出した。
「あああああああああ!」
「――!」
咆哮が続く。
そのたびに両者が接近し、殴り合い、吹き飛ばし吹き飛ばされ、立ち上がる。
そこでは防御を無視した戦いが何度も繰り返されていた。
まるで互角の戦いのように見えるが、もちろんそんなことはない。
カーラの攻撃は確実にトロルの身体にダメージを与えているが、トロルの再生能力がそのたびに回復している。
一方、トロルの一撃を受けたカーラは一見なんのダメージもないように見えるが、そんなわけがない。
以前見た、戦いが終わった直後のカーラの容態を思い出す。
あれはただ蓄積しているだけだ。
ダメージを感じていないだけだ。
戦闘に邪魔なものを一切排除しているのだ。
――自分の身体が動かなくなる、そのときまで。
トロルの再生能力の限界とカーラの身体の限界の根競べなんて、分が良いか悪いかで考えようとも思わない。
じゃあ、いったい俺になにができる。
初等も初等な魔法しか使えない魔法使いに、あんな異常な戦いにどう介入しろっていうんだ。
思いついたのはたったひとつ、
「一回分、殴られ役くらいにはなるだろうけどな」
トロルの注意をひく。
トロルの攻撃がこちらに向かえば、その分カーラへのダメージは減る。
わかりやすい話だ。
一撃をくらえば、俺なんて一発で昇天してしまうというのもすごくわかりやすい。
さらにいえば、あの状態のカーラがこっちを味方と認識してくれるかどうかもわからない。
というより、前の戦いを見る限り、その可能性はほとんどないだろう。
一発あたればおしまいなのは、トロルだけじゃなくてカーラからのものでも変わらない。
……なんだか絶望的な気がしてきた。
「ああ、ったく。スラ子はなにやってんだ」
未練がましく後ろを振り返ってみても、援護の姿はまだ見えない。
とりあえず、これで死ぬことがあればスラ子を呪っておこう。
そんなことを思った。
多分、スラ子ならこんな理不尽もきっと許してくれる。
そのあとで勝手に死んだことをものすごく怒るだろう。
俺にはその姿が手に取るように想像できて、そのことを不思議とも思わなかった。
「ライト!」
魔法の灯りをぶつけてやる。
今まさにカーラへ一撃を加えようとしていたトロルの眼前で閃光が瞬き、目測を誤った腕が空を切る。
「があああああああ!」
カーラの拳が、ちょうど振り下ろしたばかりで目前にあったトロルの左肩口に命中する。
鈍い音。
関節が破壊されたか、周囲の筋組織ごと駄目になったか。苦悶の声をあげたトロルが右腕を振り回し、小柄な体躯が空を飛ぶ。
うまくガードできたらしいカーラは倒れこまず、すぐに体勢をたてなおした。
「――――」
距離をとるたびにあった両者の咆哮が、ない。
カーラとトロルの双方から無粋な乱入者へと意識を向けられて、ぞくぞくと背筋が震える。
前にスラ子やルクレティアが似たような状況になっていたが、そういう三すくみとはまるで状況が違う。
なにしろ、その一人に圧倒的な雑魚がまじっているのだから。
向かってこられたら速攻で片がつく。
そんなことはわかりきっているから、俺はどちらの標的になるわけにもいかなかった。
カーラとトロルの殴り合いのなかでこっそりカーラを援護しつつ、ちょいちょいトロルだけを邪魔する。それに尽きる。
トロルに勝つためには俺というこざかしい存在を利用したほうが都合がいい。
そんなふうにカーラが本能で感じてくれたらいいが――
「ああああ!」
カーラが突進する。
相手は、――トロル!
「――!」
短く吠えて迎撃する、トロルの左腕が上がらない。
カーラに与えられたダメージがよほど深かったのか、それともさすがの回復能力にもかげりがあるのか。
あきらかに動作の鈍いそちら側からまわりこんだカーラが、残る右腕の攻撃をかいくぐって、
「があああああああ!」
両手の拳を組んで、思い切り叩きつけた。
大人の腰ほどもある太い左脚、そのトロルの膝がぼごんと陥没する。
「……! ……!」
トロルから、今までで一番の悲鳴があがった。
がっくりと膝をついて倒れこむ。
効いている。
あるいはこのままカーラがトロルに勝ってしまうのか、と考えた俺が甘かった。
「あああああああああ!」
トロルの行動を一時的に抑え込んだのを確認したカーラが、息つく間もなくこちらに駆け出してくる。
「くっ……!」
あわてて懐から包みを取り出す。
妖精の鱗粉がつまったそれを放り投げ、めくらましにしようと口を開きかけ、
「――ファ」
魔力が指向性を持って放たれる前に、カーラの左手がそれを叩き落していた。
まるで予想していたといわんばかりの行動。
ああ、とどこか冷静に思いつく。
このやり方はもう、前にカーラに一度やってみせていた。
そんな奇策がまた通じると、どうして俺はそんなことを思ったのか。
「ああああああああ!」
カーラが迫る。
純粋な戦闘本能を宿した双眸が俺を捉え、致命的な威力をもった拳が振りかぶられて、
「ウォータープレス!」
スラ子の声が響きわたった。
俺とカーラの中間に一気に水が溢れて、両方を押し流す。
「がああ!」
押し流されながらカーラの振り回した拳が俺の頬をかすり、髪を引きちぎって、耳元でざりっと嫌な音がした。
摩擦したような熱さに身をよじろうとして、それすらもできずに水流に押し流される。
「マスター、ご無事ですかっ」
近くに寄ってきたスラ子が俺を起こした。
「――ああ。……ああ、助かった」
声に感情がのらなかった。
さっきのカーラの一撃。あれがほんのちょっとでも横にずれていたら、死んでいた。
「さがっていてください」
「わかった」
うなずくが、足元がおぼつかない。
ダメージというわけではない。
頬から耳にかけてじりじりとした痛みはあるが、きっとかすり傷ですんでいる。
そんなものではなくて、すんでのところで命拾いしたという安心感が、全身からことごとく力を奪っていた。
「――!」
トロルの咆哮。
受けた負傷は回復したのか、立ち上がって左腕を掲げたトロルがやってくる。
「スラ子、トロルにちまちましたダメージじゃ埒があかないぞ!」
「了解です!」
威勢よく応えたスラ子が右腕を掲げ、
「アイスランス!」
氷の槍が一直線にトロルを刺し貫く。
槍がそのまま氷柱になって、そのまま巨体が地面に縫いつけられるが、トロルは凍りついた氷を砕いて身体の自由を取り戻し、一歩を進めて、
「アイスランス!」
そこにさらにスラ子が畳み掛ける。
今度は右腕に氷の槍が刺さり、意に介せずトロルが進む。
「アイスランス! ランス、ランス!」
ひたすらに氷の槍が撃ち続けられる。
身体に撃たれた魔力の氷を無視して、あるいは砕きながらトロルが前進する。
その再生能力はいまだ底をつかず、致命傷を受けた様子もない。
だが、少しずつトロルの足取りが重くなっていく。
トロルの巨体のあちこちにスラ子の放った氷がこびりついている。
砕かれながらも残ったそれらが体温を奪い、張り付いた氷が身体の自由を奪い、少しずつその身体に附着する氷の量が増えていく。
「アイスランス!」
スラ子は一心不乱に氷の槍を繰り出す。
つまり、スラ子の狙いはダメージによる撃破ではなく、
「――!」
ついにはトロルの両足が氷の槍によって、地面に繋ぎとめられた。
怒り狂ったトロルが声を荒げるが、その両腕もすでに氷塊へと化して満足に動かせない。
「アイスランス!」
今では、トロルはその胸元までを氷の山に埋めて、身動きひとつとれないことに怒声をあげていた。
「アイス、――ランス!」
とどめとばかりに、その顔面に氷の槍がつきささる。
そこから一気に氷が張り、トロルの全身を覆って――一個の彫像が出来上がった。
いかに強靭な体力、再生能力を誇ろうが、生物なら息ができなければ生きられない。
壊死が早いか、それとも窒息死か。
トロルの生存能力への興味もありはしたが、俺の目の前でふらりとスラ子が揺れたのを見てそんなものは吹き飛んだ。
「スラ子!」
抱きかかえると、頭痛に耐えるようにきつく目を閉じている。
「さすがに、疲れますね」
「当たり前だ!」
魔法のあんな使い方は邪道だ。いくら初等魔法とはいえ、あれだけの数を立て続けに使えば貧血くらい起きる。
しかも、スラ子は魔力で自分の存在を成り立たせているのだから、
「……馬鹿が」
「ふふー。あとでご褒美もらえますか? と、その前に」
よいしょ、とスラ子が立ち上がる。
それを見計らっていたように、
「があああああああああ!」
カーラが吠えた。
「ウォーター、プレス……!」
応えるスラ子の声にキレがない。
向かってくるカーラを押し流す水流にも勢いがなかった。すぐに踏みとどまり、
「ああああああああああああああああ!」
一直線に駆け出してくる。
「これはちょっと、まずいかも……」
はじめて聞いたスラ子の弱音に耳を疑い、俺は考えるまでもなくその前に立って、
「なんとかして動きを止めるから、なんとかしろ!」
「待ってください、マスターっ!」
スラ子の悲鳴じみた声を聞きながら走り出した。
妖精の鱗粉入りの袋を取り出して、思いっきり投げつける。
さっきは距離をはかろうとしたから、叩き落された。
なら――
「ファイア!」
ほとんど投げた直後、まだ俺とカーラの真ん中あたりの空中にある目標に向かって火種を放ち、
爆音が鳴り響く。
こちらまで届いた炎と熱風にじりじりと焼かれるのを自覚しながら、炎の向こうにいるカーラにむかって体当たりをしようとして、
「――っ」
あっさりと空を切った。
体勢を崩し、無様に前のめりに転ぶ。
「あ――」
見上げた先に冷静な戦意を眼差しにたたえたカーラの姿。
天性の戦闘者が、それも知っている、と瞳でいっていた。
「があああああああ!」
遠吠え。
「マスター!」
スラ子の声が遠くに聞こえる。
援護は多分、届かない。
スラ子の元から駆け出した俺は、つまりまんまと餌にひっかかって釣り出された間抜けで。
猛ったカーラの繰り出した拳が、俺の顔面に寸分くるわず向けられるのをどこかゆっくりと意識して、
「ライトニングボウ」
横合いから放たれた雷の矢が俺の目の前からカーラを弾き飛ばした。
「がっ……」
くぐもった悲鳴をあげて地に倒れる。
よほど強い電撃だったのか、びくびくと四肢を痙攣させているカーラからその魔法の使い手に顔を向けると、やや離れた場所にルクレティアがいた。
「遅くなりましたわ、ご主人様――」
「ああああああああああ!」
声はカーラの雄たけびにかき消される。
全身を痺れさせながら、立ち上がったカーラが俺へと向かって一歩を踏み出す。
その眼差しの戦意は衰えていない。
視界に何者かがいる限り、戦いをやめない凶戦士。
そのバーサーカーがぼろぼろの身体を引きずって、歯を食いしばりながら俺を睨みつけている。
――戦わなければ自分が死ぬ、といっているような表情だった。
その姿勢に魅入られてしまったように、俺の身体は動かず、カーラが俺にむかって腕を振り上げて。
は、と遠くにたたずむルクレティアに魔力の集結する気配を感じて、
「やめろ、ルクレティア!」
俺は叫んだ。
同時に思いついてもいる。
遠出の前にスラ子が俺にいった台詞、従属魔法の優先順位。
命令をきくことによって主人の命が危なくなると判断した場合、相手がその命令を守らないケースがありえる。
冷ややかな眼差しが一瞬、俺を見て。
「――サンダーボルト」
次の瞬間、生み出された雷撃が容赦なくカーラの全身を打ち倒した。
◇
「お叱りにはなりませんの」
「なにがだ」
襲撃から夜が明けた。
ゴブリンたちは撤退し、氷づけのトロルもそのまま。
俺たちは傷ついたカーラを宿に運んで、部屋ではスラ子とシィが二人がけの回復魔法をかけ続けている。
水を替えに出た俺に、廊下にたったルクレティアが声をかけてきた。
「カーラさんのことに決まってますわ」
「なんでだ」
吐き捨てるようにいう。
「お前は俺を守ったんだろう。なんで怒らなきゃならないんだ」
「……その台詞を、その表情と声でおっしゃいますか」
怒ったような口調でルクレティアが答えた。
俺は足を止めて、
「ゴブリンたちは逃げた。お前はバサに顔を売った。夜の見張りを手伝おうっていいだしたのは俺だ。カーラを巻き込んだのも俺で、逃げりゃいいのにぽかんと突っ立ってたのも俺だ。もういいか?」
「――けっこうですわ」
唇をかみしめて、ルクレティアが去っていく。
その背中を見送ってため息をついて。俺も外に向かった。
井戸から新しい水を汲んで帰る。
「マスターっ、カーラさんが目を覚まされました」
「おお」
ベッドに近づくと、呆けたように焦点をぼやけさせていたカーラが、
「――マスター、その怪我」
俺を見た途端に顔をしかめた。
「それ。ボクが……?」
「いや、さっきコケた。ちょっと焦って」
ごまかそうとしたが、カーラの大きな瞳にすぐに涙がたまって、
「ごめんなさい! ごめんなさい……!」
「だから違うって」
スラ子に首を振られ、息を吐いて、俺はベッドの横に腰を下ろした。
「カーラ。お前のおかげで助かったんだ。ほんとだ」
小さな頭をなでる。
ただでさえ短い髪が、ところどころ焼け焦げて傷んでしまっている。服もボロボロで、全身には回復魔法でも癒しきれない傷が生々しかった。
「集落の人間にだって怪我人がいなかったんだ。カーラがトロルの相手をしてくれなかったら、絶対に被害がでてただろ」
嘘じゃない。本当のことをいっているつもりだったが、カーラはまるでそんなことは聞こえないというふうに、ただごめんなさい、と謝罪を繰り返している。
顔をあげると、スラ子もシィも困った顔をしていた。
カーラが暴走したのは事実だ。それをやっていない、というのが正しいとは思えない。
嘘じゃないことだけをいって慰めるのも限界はあるだろう。
なら、どうすればいいのかを考えて、
「――カーラ。昨日、いったよな。これから妖精の泉の調査にいく。一緒にいくか?」
ひたすらに謝罪の言葉を繰り返していたカーラが、それを聞いて一瞬息を呑んで、
「……一緒にいって、いいんですか?」
といった。
「当たり前だ。そうだろ、スラ子」
「当たり前ですっ。といいたいところですが、カーラさんはしばらく休ませてあげたい気も……魔法の治療は体力を消費しますから、しばらくは歩くのは辛いかもしれません」
「なら、俺が担ぐ」
俺は宣言した。
おお、とスラ子がぱちぱちと手を叩いて、
「マスター、格好いいです!」
「シィにレビテイトをかけてもらえばなんとかなる!」
「さすがの打算です!」
「褒めるな褒めるな。で、どうする。カーラ、俺たちが帰ってくるまでここで休んでてもいい。絶対、迎えには来る」
カーラが、涙にぬれた眼差しで俺を見て、スラ子とシィを見て、それから誰かを探すようにしてから、
「……ボクも。ボクも、いきたいです」
そしてまたぼろぼろと涙をこぼして泣きはじめた。
それから少しして俺たちは森に向かった。
えらく感謝してくれる長や集落の人間に見送られながら、森のなかにはいる。
姿を消したスラ子とシィ。俺。そして背中にはカーラ。
シィがレビテイトの魔法をカーラにかけてくれているから、重さはほとんどない。
だがそれでも人を背負っていれば両腕の自由はきかない。
そんな状態で足場の悪い森のなかを歩くのだから、慎重になりながら俺は足を進めていて、その耳元でぽつりとカーラがつぶやいた。
「ヤだなぁ、役立たずは……嫌だなあ」
その声はきっと俺ばかりではなく、スラ子やシィにも届いていて、俺たちは誰も聞こえないふりをして足を進めた。