九話 狡猾なルクレティア
バサの集落までは森をぐるりと迂回して二日かかるかどうかというところ。
まっすぐに森をつっきれば直線距離としては一日もかからないが、それなりに整備された道をいくのと森のなかをいくのでは労力も必要な時間も違う。
森を直進すれば必ずしも到着時間が早まるというわけではなかった。
悪路は迂回しなければいけないし、下手なことをすれば方角に迷うことだってある。もちろん、魔物たちに襲われる危険性だって考えないといけない。
そのうえで、俺たちは森のなかを進む道を選んだ。
理由はシィがそうしたいといったからだ。――森の様子を見てみたいです。
「……まったく。こんなことでしたらもっと小さなゴーレムにしてきましたのに」
不平をいいながら歩いているのはルクレティアだ。
荷物持ちに使役しているゴーレムが、木々のおいしげったなかを窮屈そうに先導してくれている。
「森を通る予定がおありなら、事前に教えておいていただいてもよろしいでしょうに」
「聞かれなかったからな。こっちだってお前があんなのを用意してくるなんて知らなかったんだ」
「あら。聞かれませんでしたわ、ご主人様」
ああ、そうかい。
可愛げのない応答にもいちいち腹が立たないくらいには、もう相手の言動にも慣れてはきていた。
……それでもやっぱり、むかっとはくるが。
警戒はしているとはいえ、森の奥まったところにまでいってしまうと怖いので、俺たちはあまり入り込まないよう外からの適度な距離をはかりながら森を進んでいた。
万が一、方向がわからなくなってもシィがいる。空から確認してもらえるから一応の安心はあった。
そのシィは、さっきから森のあちこちに視線を配っていて、自分の知る森との違いを確かめているような挙動に見える。
なにかを心配しているような、怯えているような表情だった。
森のなかはひっそりと静まり返っている。
森というのは、人間の領域外の場所だ。
狩りや採取などでもちろん人間たちが入ることだって多い。だが、そこにはその他多くの動物や魔物だってたくさんいて、決して人間が管理しきれていない。
昼だというのに薄暗い、森の奥からなにかの音が遠くに響いた。
獣か魔物の遠吠え。
あるいはそれは妖精たちのはしゃぎ声かもしれないし、精霊の歌声かもしれない。
人間の理解の及ばない、人間の常識から遠くにあるもの。
魔の気配。
不気味さのある雰囲気を半ば以上つくりだしているのが自分の弱気だと知りつつ、俺はふと隣を歩くカーラが緊張した表情でいるのに気づいて、
「森を歩くことはあんまりないか?」
声をかけると、少し強張った笑顔が首を振った。
「子どものころ、近くの森でよく探検したりしてました。森のすぐ近くにあったんです」
へえ、とうなずいてから気づく。
「そういえば、カーラの故郷ってのはバサの集落じゃないよな。たしかメジハの近くにあるんだったか?」
「ボクの生まれた村は南にあります。小さな村ですけど」
答える表情は硬いままだ。
カーラはウェアウルフの血をひいている。どこにせよ、安住の地を見つけるためにはカーラの先祖も相当の苦労をしてきたのだろう。
魔物との混血というだけで迫害を受けてきたことだってあるはずだ。
ようやく見つけた平和な住処について、あまり話題にしたくないのかもしれない。
「そうか」
適当に会話を終わらせながら、そのときの俺はカーラの緊張している理由など考えもしなかった。
◇
結局、襲撃を受けることもなく、バサまで無事に辿り着くことができた。
いったいどこからどこまでが「集落」や「村」で、どこからが「町」になるのか。その正確な線引きを俺は知らないが、訪れた集落は誰もが想像する「集落」からおそらく半歩も踏み出していないようなところだった。
森からすぐの拓けた草原に、二十戸ばかりの家が密集している。
ほとんど小屋といっていいくらいの家屋が片身の狭そうに集まっている様子は、まるで羊の群れが外敵に怯えているようで、周辺には外敵避けで一応の柵が囲ってあるが、ちょっと知恵のある相手にはなんの防壁にもならなそうだった。
本当に、よくある集落の一つ、といった感じだ。
ただ一軒の宿屋――っぽい感じのただの民家――に部屋をとって、荷物を置き、俺たちは集落の長に会いに向かった。
というかルクレティアについていっただけだが、ともかく話を聞いておいて損はないだろう。
もちろん同行にはスラ子とシィも一緒で、二人には姿を消してもらっている。ルクレティアのゴーレムだけは待機してもらっておいた。
「はじめまして。バサの長をしておりますじゃ」
そう名乗った集落の長は、メジハの町長をしているルクレティアの祖父よりさらに年上だと思われる老人だった。
「メジハからやってまいりました、ルクレティアと申します」
堂々とした態度でルクレティアが答える。
ルクレティアは自分達がメジハのギルド依頼で来たことを告げ、メジハで町の人間がバサの親類に会いにいくといって行方を消したことを告げた。
俺たちの前にやってきたメジハの冒険者たちからも話はあったのだろう。長は訳を知った顔でうなずいて、
「聞いております。先日、うちのカミルが狩りに出たままいなくなり、そのことでそちらのフゼにも連絡があったはずです。フゼはこれまでもよくここへ物を運んできてくれていた男でした。カミルとは個人的な親交もありましたし、姿を消したと知って、気が気ではなかったのでしょう……」
「こちらで二人、いなくなった方がいらっしゃると聞きましたが。それはどちらも森のなかで失踪されたのですか?」
「カミルは腕のいい猟師でした。一月前、早朝に森の水場に狩りにいくといってそれきり。集落のもので周辺を探索しましたが、弓も矢も、なにひとつその場には残っておりませんでした」
「二人目の方は?」
「カミルの妻です。捜索のあと、ずっと一人で探していたようで。そのままふらりといなくなってしまいました。二人はとても仲のよい夫婦でしたので」
「……今まで、同じようなことはありましたか?」
老人はなにかをあきらめた表情で首を振った。
「ここは小さな村ですからな。若者が去ることも、一家がある晩、消えることもあります」
このくらいの大きさの集落が、魔物の襲撃を受けて一晩で滅んでしまうことだって少なくない。
「ゴブリンが、下りてきているという話でしたけれど」
長ははじめて苦渋に満ちた仕草をみせた。
「もう何日も連続して農作物がやられてしまっています。このままでは領主さまに納めるぶんまでなくなってしまいそうですが、村にいるのは女子どもや老人ばかりで、襲われないよう身を隠すので精一杯なのですじゃ」
「そちらの件については、領主様にはもうご連絡はお入れになっているのですか?」
はい、と長はうなずいて、
「二週ほど前に使いを出しましたが、まだ返事は帰ってまいりません。使いの男も戻ってこず……あるいは、途中で魔物か山賊にやられてしまったやもしれません。この集落に残った数少ない若者の一人だったのですが」
「お気持ちはわかります」
気落ちした様子の老人をなぐさめるようにルクレティアが微笑む。
ひどく人当たりのよい、見ているこちらが思わず目をうたがうほど優しげな、それは慈愛に満ちた笑みだった。
「どうぞお気を落とさず。領主様へは、私どもからも連絡させていただきますわ。納める税についてもなんとか寛大な処置をと。いざというときは私どもの蓄えから用立てることもいたしますよう、私から祖父にお願いしておきます。申し遅れましたが、祖父はメジハで長をしておりますの」
「おお……おお、町長どののお身内の方でいらっしゃるとは。なんとありがたいお言葉か」
突然の申し出に、老人は涙をこぼさんばかりの勢いだった。
それに対するルクレティアは宗教画に出てくる女神のような慈しみ深い表情で、
「とんでもありませんわ。バサの皆様にはいつもよくしていただいていると、祖父から聞いております。今回の件についても祖父は大変心を痛めておりまして、私に調査に向かうよういわれました。微力ではございますが、精一杯、お力にならせていただきます」
「なんという……。ありがとうございます、ありがとうございます」
ついにはルクレティアの手をとって拝みだした長に、あくまで優しげに微笑み、ちらりとこちらに視線を送ってくる。
その眼差しの意味を理解して俺は渋面になった。
援助と協力をちらつかせたルクレティアの言動で、バサの長はすっかり堕ちてしまっている。俺たちの調査にも喜んで協力してくれるだろう。
たしかにルクレティアがいなければこうまで見事に物事が進まなかったに違いない。
自分の有能さを鼻にかけるのでもなく、ただ当然のものとしてこちらに示してくる態度はいけすかないが、ルクレティアの有能さを認めないわけにはいかなかった。
そういう俺の心情を見透かしたのか、笑うようにしてルクレティアが視線を戻す。
また慈しむ表情で、
「それで、長。私どもは明日からこのあたりを調査してみようと思うのですが」
「おお、さようですか」
「はい。それでお聞きしたいのですが、なにか最近このあたりで不思議なことはございませんでした? 調査の参考になればありがたいのですけれども」
「不思議なこと、ですか……ううむ」
「このあたりに伝わるおとぎ話ですとか、そういったものでもかまいませんわ」
「おとぎ話。ああ、それでしたら――」
頭をひねっていた集落の長が大きく首をうなずかせる。
「カミルがいなくなった森の泉。あのあたりでは昔から、悪戯ものの妖精が見かけられましてな。もっと奥にあるという妖精の住処へ連れてしまうことがあるから気をつけるように、幼い者にはよくいい聞かせております」
長の家から帰る途中、ルクレティアがいった。
「私の働きにはご満足いただけましたでしょうか、ご主人様」
からかうような視線が俺を見る。
「……いてくれて助かったよ」
「お褒めいただけて恐縮ですわ」
相変わらず、少しも嬉しそうでない返事だ。
「だが、いいのか? この集落からの税を援助するだなんて、お前ひとりで決めていいことじゃないだろ」
いくら町長の身内だからって口出ししていいレベルを超えている。
「問題ございませんわ」
平然とルクレティアはいった。
「既にその可能性については祖父にも話を通してあります。費用の試算も、この集落程度の規模の肩代わりなら難しくはありません。それでバサからの恩が買えるとなれば、十分に元はとれます」
「へえ、……いや待て。もう話がすんでるなら、さっきの話はおかしくないか? なんだよ、私からもお願いしておきますって」
あの言い方じゃ、話はこれからって感じにしか伝わらない。
「物はいいようというやつですわ」
そ知らぬ顔のルクレティアにかわり、くすくすと虚空からスラ子の声が補足した。
「これでルクレティアさんは、バサの長さんに顔と、恩を売ったことになるわけですね」
「そういうことにもなりますわね」
それでようやく俺も理解する。
つまり、元から決まっていた援助を、さも自分の尽力でそうさせたように相手に伝えられるわけだ。
「詐欺じゃねえか」
「失礼なことをおっしゃらないでくださいな」
むっとした表情でルクレティアがいった。
「実際、私から祖父と寄り合いに話を通したのは間違いありませんわ。少しばかり言い方を恣意的にさせていただいただけです。政治というやつですわ」
「知るか」
「まあまあ、これでバサのみなさんが協力的にもなってくれることですし」
とりなすようにスラ子がいった。
まあ、そりゃそうだが。
なんとなく納得できない気分のまま、俺はシィの姿を探して、すぐに今は見えないことを思い出した。
集落の人間が失踪した場所には、妖精がよく見かけられていたと長はいっていた。
それは、シィがいた妖精の群れから遊びにきた連中のことではないのだろうか。
やっぱり、今回の事件には妖精たちが関わっている。そんな気がする。
それをシィに問いただしたくて、だけどどんなふうに聞けばシィを困らせないか考えながら、宿への帰路についた。
森への調査は明日、日がのぼってからということにしてその日ははやく休むことになり。
夕食を終えて風呂をあび、部屋に戻る途中で外に出かけようとしているルクレティアとばったり廊下で出くわした。
「夜逃げでもするのか」
「何故、どこから、私が逃げなければならないのですか」
不機嫌そうに眉をひそめる。
「今夜もゴブリンがやってくるかもしれません。こちらの集落には今、ろくな自警団もない様子ですし、見張りにつかせていただこうと思っただけですわ」
「……なんでお前がそんなことする必要があるんだ?」
らしくもない台詞に思えたので、素直な疑問だったのだが、ルクレティアは馬鹿にするような表情で、
「この集落になくなられては、せっかく売った恩が台無しになります」
あまりに清々した言い方に、思わず俺は吹き出してしまった。
別に「村の人たちのことを思って」なんていう偽善的な言葉を期待したわけではなかったが、ルクレティアの台詞は徹頭徹尾、自分のことしか考えていない。
自分が将来、権力を握るために町の周辺勢力にも顔を売っておきたい。
そして、その勢力に滅んでもらっても困る。
だから助ける。一晩、徹夜して。
ひどく自分勝手な理由で、そしてそれが実際、バサの集落にとって役立つことは確かだった。
ゴブリンは用心深い連中だ。
集落に戦力があるとわかれば、少なくとも以降の襲撃に慎重にはなる。
ルクレティアが常駐して守ることはできなくとも、バサの人々がなにかの手段をこうじる時間を稼ぐことくらいにはなるだろう。
「ご安心ください。明日の調査には私も同行させていただきます。一晩程度、睡眠をとらなかったくらいで、ご迷惑をおかけするような真似はいたしませんわ」
「ああ、そりゃそうだが」
それでは、といって通り過ぎる相手のローブを後ろからつかまえた。
「……なんのお戯れでしょう。ご主人様。夜伽のご命令でしたら、違う日にお願いしたいのですが」
「あほか。一人で一晩するより、何人かで交代でやったほうがいいだろう」
俺のいいたいことを察して、怪訝そうに顔をしかめる。
「失礼ですが、さきほどの台詞をそのままお返しいたしますわ。いったい何故、そのようなことをされる必要がありますか」
「そりゃ、お前だって戦力だからな。寝不足でふらつかれたらこっちが困る」
「ですから、そのような真似はいたしませんと――」
ああ、うるさい。
「命令だ」
俺がいうと、ぴたりと口を閉ざして。
ルクレティアはふ、と笑う。
「命令とあれば、仕方ありませんわね。お礼は申し上げません」
「当たり前だ。命令だからな」
「かしこまりました。今回は、我儘で横暴なご主人様の顔を立ててさしあげますわ」
小馬鹿にしたように口元を吊り上げた。
相も変わらず可愛げのない、ただし不思議とそれまでで一番愛嬌のあるようにも思える表情だった。




