八話 調査へGO
昼下がりになってようやく掃除がひと段落した頃、ルクレティアが洞窟にやってきた。
「皆さん、お疲れのご様子ですわね」
「ちょっと……ついさっきまで。死闘がな」
自分の家のなかにまさかあんな魔窟があるとは思ってもみなかった。
「そうですか」
ルクレティアは特に興味もなさそうな口調で、
「先ほどバサに向かわせた一行が戻ってきたのでそのご報告に上がったのですが、日を改めたほうがよろしいですかしら」
「いや、聞かせてくれ」
「では結論だけ申し上げますわ。確かにバサ近辺では奇妙なことが起こっているようです」
「奇妙? 人がいなくなったこと以外にもか?」
「はい。先行調査として派遣した今回の依頼は、メジハからいなくなった町人がバサに着いているかどうか。バサで無事なのではないかの確認でいってもらっただけですので、すぐに引き返してきてもらって詳細な情報まではございません。ですが、最近バサ周辺で色々とおかしなことが起こっていることだけは間違いないようですわ。今のところ、被害はゴブリンの群れが集落のすぐ近くまでやってきて農作物が荒らされたりといった程度に収まっているようですが。バサの集落では夜、決して外に出歩かないようにして、調査に向かった一行も夜遅くに集落を発つくらいならと一泊するのをすすめられたそうです」
それで早めに調査を切り上げたからこそ、手に入った情報の量が少なくなってしまったのですわ、とルクレティアはいった。
「魔物の動きが変、か」
ゴブリンというのはこの世界にけっこうな数で分布している魔物の一族で、カテゴリーとしては低級に位置する。
特別な能力をもたず、一匹一匹の脅威は決して高くないからこその「低級」という位置づけだが、それは必ずしも脅威が少ないことを意味してはいなかった。
ゴブリンの知能は高くないが、社会性のある生物だ。
好戦的で、同時に臆病でもある。群れをなして少数を襲い、簡単な罠くらい考える知性もあって、なにより繁殖力が強い。
そしてここがなにより肝心なところで、連中ははっきりと人間と敵対している種族だ。
この世界中で人間が魔物からこうむる被害で、もっとも大きな損害を与えているのがゴブリンたちによる略奪、襲撃のはずだ。
ドラゴンの気まぐれで一国が滅びるより、毎日世界中のどこかでゴブリンたちに襲われる総数の方が実数としては多くなる。
そういう意味で、人間達のもっとも近しい厄害がゴブリンという存在だった。
人間たちも何度もこの種族を滅ぼそうとして国の騎士団やら魔法士団やらを仕向けていたが、それでもまったく根絶する気配がない。
ゴブリンは環境適応能力の高い生き物で、人間がいるところならだいたい生息しているが、特に森なんかは彼らの根城によく選ばれるところだ。
そのゴブリンたちが集落に姿を見せるようになったということは、森のなかでなにか変化が起きたからということになるかもしれない。
シィの様子をうかがうと、表情をうつむかせていた。思いつめた表情。
「……わかった。助かった、ルクレティア。こっちでも少し調べてみることにする」
ルクレティアが長く伸びた金髪を揺らす。
「それは私からのお願いをお引き受けいただけるということでしょうか、ご主人様」
「いや、悪いがそちらはパスだ。スラ子やシィも一緒にいくことになるからな、町の連中と一緒じゃやりづらい」
あくまでカーラのことは関係ないという素振りでいってみるが、ルクレティアは俺程度の嘘などお見通しという表情でちらりとカーラを見て、
「そうですか。――それでは、その調査に私が同行させていただくのはよろしいですわね」
「いや、それは」
「事情のわかる者ならご迷惑にはなりませんでしょう。それに、私としても調査を薦めた手前、何かしらの報告を得なければ町での立場がありませんわ」
そりゃお前の都合だろう、といいかける俺に、
「それに、私のような者がいればバサでの調査もやりやすくなります。これでもメジハの顔役の身内ですので、色々と便宜もはかっていただけるでしょう。失礼ながら、ご主人様方だけでバサに向かったところで、満足な情報を手に入れることができるとは思えません」
正論をもちだされてしまい、顔をしかめるしかない。
視界のすみで動きのないカーラの気配を確かめてから、
「……わかったよ」
俺は渋々とうなずく。
「だが、俺たちがいくのは別に町の為じゃない。ついてくるのは勝手だが、そちらの調査を手伝う理由もない。それでもいいか」
少し迷って、付け足した。
「もちろん、俺や俺の仲間に不利益を与える真似は許さない。――これは、命令だ」
深々と腰をおって、ルクレティアが挑戦的な上目遣いで俺を見た。
「この呪印に誓って。承りましたわ、ご主人様。同行をお許しいただいて感謝いたします」
「出発は明日。午前のうちに出ておきたいから、用意を整えてやってきてくれ。帰っていい」
「はい。それでは失礼いたします」
優雅な挙動で身をひるがえし、去っていく。その後ろ姿がいなくなってから、隣にたつスラ子を見た。
「どう思う」
「ルクレティアさんの立場からすれば、前回の調査に続いて失敗するわけにはいかないのだと思います。我々を利用したいという気持ちは理解できます。ルクレティアさんに失脚してもらってはこちらも困ってしまいますし、問題ないのではないでしょうか」
スラ子が冷静な感想を述べた。
「あいつがなにか企ててる可能性は?」
「どうでしょう。胸元に呪印がある限り、そうした可能性は少ないと思いますが……」
少し考えるようにあごに手を置いて、
「ただ、マスター。あの隷属の魔法ですが、必要性もあってのことだと思いますが、かなり柔軟な部分があります」
「柔軟?」
「はい。杓子定規な命令だけではなく、解釈に幅があるんです。私が実際、ルクレティアさんに試して気づいたことですけれど」
なにをどう試したのかは聞かないほうがよさそうだった。
「たとえばルクレティアさんが、マスターから『不利益なことをするな』『隠し事をするな』と命令されたとします。そのような場合、なにか知っていることを喋ってしまうことでマスターに『不利益』がある場合、ルクレティアさんはそれを喋ってしまうと命令に反してしまいます。一方、黙ったままでも『隠し事』をするなという命令を守れません」
少し考えてから、いいたいことを理解する。
「並列状態の命令が、重複するってわけだな」
「はい、その場合、優先順位があるようです。調べたところ、まず第一に優先されるのが主の命。立場。そのためなら、重複してしまう命令を聞かない可能性があります。先ほどの例なら、喋ってしまうことでマスターの身に深刻な問題が起こってしまう場合、隠し事を飲み込んでしまうケースがありえます」
「なるほど」
それはわかったが、それがどう今の話と繋がってくる。
「スラ子。お前のいいたいことは、命令の出し方に気をつけろってことか」
「はい。ただし、一般命令におけるある程度のファジーさは、臨機応変の対応にはむしろ必要だと思いますので……すみません。一応、お伝えしておこうと思ったのです」
「ああ。いや、ありがとう。気をつけよう」
ルクレティアは自由になる機会を計っているはずだ。
俺が下手な命令をだしてそんなことになってしまったら困る。スラ子がいいたいのはそういうことだろう。
「命令に優先順位をつける必要や、限定的で確実な命令が必要とされることもあるかと思います。そのことだけ、心に留めておいてくださいね」
「……一応、気をつける」
なんだかややこしいが、命に関わることだからそうもいってられない。
俺はスラ子から視線を外して、シィとカーラを順番に見ていって、
「とにかく。聞いてのとおり、明日ここを出発だ。調査が目的だがなにが襲ってくるかわからん、用意はしっかりしておいてくれ。スラ子はシィと洞窟のチェックも頼む。カーラはあとで俺と一緒に町に付き合って欲しい、色々と小物を揃えておきたいんだ」
「わかりましたっ」
「はい、マスター」
「……はい」
三者三様の返事を聞いて、俺たちはそれぞれの準備に取り掛かった。
「スラ子」
他の二人が去って一人になったところを見計らって、スラ子を呼び寄せる。
「はい、なんでしょうか」
嬉しそうに近寄ってくる相手の耳元に、
「それとなく、シィから聞いてみておいてくれないか。やっぱり様子が気になる」
シィはなにか知っているのかもしれない。
そう思えるくらい、少し前からのシィの様子はおかしかった。
「わかりました」
俺のいいたいことをすべて理解した表情で、スラ子が妖艶に微笑んでみせる。
「マスターもご一緒にどうですか?」
という誘いには、もちろん全力で断った。
もともと持久力に自信があるわけでもない。明日から遠出をするというのに、貴重な体力を消耗していいわけがなかった。
◇
翌日、ルクレティアが現れたのは朝方の時間帯。
外を出歩くのに向いたローブ姿に、しっかりとしたつくりの杖を持ってきている。
それはいいのだが、問題はルクレティアと一緒にもう一人、いやもう一体がいたことで、
「…………」
無言の巨体が、高くからこちらを見おろしていた。
ゴーレム。
岩を繋ぎ合わせて、魔力でくくってつくりだされた魔法生体だった。
「荷物持ちの雑用にと思って用意しましたわ」
「ルクレティア。お前がつくったのか?」
「はい。急場の魔法陣でしたので、すぐに砕けてしまいますが。行って帰るくらいのあいだはもつでしょう」
ゴーレムをつくるのは、スケルトンをつくるのと手順こそ同じようなものだが、質量が大きい分、難易度が違う。
しかも作成キットの補助でなんとか一体を組み立てた俺と違い、ルクレティアはそれを、この短期間でやったというのだから――
「なんでしょうか。ご主人様」
さも片手間にやってみましたという表情が、ものすごく感じが悪い。
「ベツニナニモ」
「それはようございました。それでは、さっそく参りましょう」
これだからエリートさまは嫌なんだ。
ぶつぶつと口のなかで文句をいいながら洞窟のほうを振り返ると、そこには留守番の役目を頼んだスケルがこちらを見つめている。
震える腕を持ち上げて手を振ってくる相手に手を振り返しながら、ふと思った。
感情なんてわからないはずのスケルの表情が、俺には少し寂しそうに見えていた。