六話 新入り魔物の不安はおおきい
翌日の朝食の卓で、俺たちはこれからの予定について話し合った。
「これからというと、昨日ルクレティアさんがおっしゃっていたことです? 私たちに調査に出向いてほしいっていう」
「まあ、それもだが」
ちらりとカーラの様子をうかがう。今朝、起きて挨拶したときには普通に返してくれたカーラだったが、やはりルクレティアの名前がでるとわずかに眉をひそめていた。
そのカーラが、俺からの目線に気づいてそっと視線をはずす。
……とりあえず、今は考えないことにしておこう。
「俺たちがやるべきことは大きくわけて二つだ。一つは、情報収集。エキドナがなにを調べにきているのか、それが俺たちを巻き込むようなことにならないかどうか。せっかく洞窟のことがなんとかなりそうなんだから、平穏は崩したくない。まずこれが一つ目」
スライムたちが幸せに暮らせる場所が確保できたなら満足だ。俺はここにスライムたちのパラダイスをつくるのだ。スライム・ハーレムだ。
はい、とスラ子が手をあげた。
「もう一つは、妖精の薬草作りですねっ」
「そうだ。もうちょっとおおきくいえば、金策だな。あと半月もすればストロフライにみかじめを払わにゃならん。妖精の鱗粉がメジハで売れない以上、俺たちはなんとしても妖精の薬草を完成させないと駄目だ。それか、もう一つの手段もあることはあるが」
「どんな手段です?」
小首をかしげる相手にうなずいて、
「妖精の鱗粉を、そのまま売る方法を考える。具体的にはギーツの街だ。あそこまでいけば、メジハとは人も物も集まる量の桁がちがう。需要だってそれなりにあるはずだ。今からなら、行って戻ってきてもストロフライがやってくるまでに間に合うしな」
「ギーツの街。おおきな街。ちょっと面白そうではありますねー」
もちろんついてくるつもりなのだろう。スラ子が心ひかれたような表情でいった。
まあ、あそこまで大きな街なら亜人の類を見かけることもあるから、メジハの町よりはやっかいなことにはならないかもしれない。それでもやっぱり、スラ子を連れて歩いていくというのは覚悟がいるだろうが。
「ただ、いきなり見ず知らずのやつが妖精の鱗粉なんて高級品を売りにいっても、ぼろっくそに買い叩かれるだけで終わるかもしれない。最悪、買取拒否だってあるかもな。何日もかけた挙句に無駄足だったなんて、ちょっとした博打だ」
安全に買い取ってくれるのはやはりツテがあるところしかない。俺にとってはアカデミーがそうした数少ない場所だが、アカデミーまで往復すればそれだけで一月はかかってしまう。
「なかなか難しいですねえ」
「まあ、まだ今の段階じゃあんまり長く家をあけるのも怖い。ギーツへの遠出は今度ってことにしたほうがいいかもしれんが――」
俺はそこで、シィの様子がおかしいことに気づいた。
シィが会話に参加しないことだけならいつものことだ。ただ、いつもならじっと耳をかたむけて会話を聞いているのに、今はなにか別のことを考えているようなぼんやり顔だった。
「シィ、どうかした?」
スラ子の問いかけに、はっと我にかえった表情で頭をふる。
「なにか気になることがあるならいってくれていいんだぞ」
俺がいうと、シィはぎゅっと眉をひそめるようにしてから、
「……森の、様子が」
森?
「少し。気になって」
それだけを告げて、顔をうつむかせる。
なにか悪いことをいってしまったような態度のようにもみえて、俺は顔をしかめてスラ子を見た。スラ子もわからないといった表情で首をふってくる。
「森って。この森か?」
あ、と思いついた。
「シィ。お前、妖精の泉のことが気になってるんじゃないか?」
シィはうつむいたまま答えなかった。
この森の奥には妖精の泉があって、そこには妖精族が生活している。
そこから飛び出してきた妖精がシィだ。理由はわからない。森のなかをふらふらと飛んで気をうしなっていたのを俺たちに見つかり、なんやかんやで今にいたる。
シィが一緒に暮らすように半月たつから、里心でもついたのかもしれない。
今さらシィがいない生活なんて考えられない。それに、スラ子が生きていくためにはシィの協力が不可欠だ。
それでも、
「……戻りたいのか?」
つい、そう聞いてしまっていた。
シィは黙って首を振る。顔をあげないままのその行為は、懸命に自分の本心を隠しているように思えた。
俺はため息をついて、
「シィ、なにか気になることがあったら教えてくれ。……お前にいなくなられるのは困るが、そんなふうに元気がないのも困るんだ」
無理やり捕まえておいて、そんなことをいえる立場じゃないことはわかっていたが。うまく相手に伝わるよう自分の気持ちを表現することもできなかった。
「そうですよ、シィ。マスターは小心者だから、そういうのなんでも気になっちゃうんです。シィに嫌われたのかと思うだけで夜も眠れなくなっちゃうんですから、心配させないようにしてあげましょう?」
スラ子がフォローしてくれたが、
「なんだろうな。不器用な男なりにちょっといいこといったつもりだったんだが、どうしてお前はそう茶化してくれるんだ?」
「マスターが恥ずかしいと思って気を利かせてみました」
「ありがとう。嬉しくて涙がでてきた」
もう少し主人をたててくれてもいいだろうと切実に思うが、いわないでおく。
顔をあげたシィが俺とスラ子を交互に見て、
「……昨日、聞いたお話のことです」
遠慮がちに語りはじめる。
「このあたりの森は、妖精族の影響が強いですから。なにか関係があるかもって……」
「妖精族たちにか?」
こくりとシィがうなずいた。
たしかに、妖精の泉がある森の奥を中心にして、このあたりの森は妖精族の影響下にある。縄張りというまでのものではないが、なにか変わったことが起きていることに彼らが関わっている可能性はある。
「このあたりの集落で人がいなくなっていることに妖精が、か。ありえないことじゃないだろうが」
人間と妖精は積極的に敵対してはいないが、友好関係というわけでもない。
森に迷い込んだ人間を気まぐれに助けることだってあるが、逆にもっと奥へ奥へ誘い込んで生きて帰れなくすることだってある。
「エキドナさんがこのあたりを調べてるということは、魔物に関係することなのでしょうし。それも関わってきているかもしれませんね」
スラ子がいった。
「ああ、たしかにそうだ。……ちょっと気になるな」
「マスター、どうされますか?」
スラ子が期待にみちた眼差しをむける。ほとんど答えをわかってるような目線に顔をしかめながら、
「調べてみるしかないだろう」
別にシィがどうこうというわけじゃなかったが。いや、まったくないわけでもないが、
「このあたりのことなら俺たちにだって他人事じゃないからな」
「素直じゃありませんね」
「黙れスラ子」
「ふふー」
にこにこと嬉しそうに、胸にシィを抱いて左右に揺れる不定形の生き物から目をはずして、俺はもう一人の同居人に顔をむけた。
「カーラ。そういうことでもいいか?」
「はい、大丈夫です。調査にいくんですよね」
答えながら浮かない顔をしている理由に思い至って、ああ、と俺は手を振った。
「ルクレティアからの話とは別件だ。カーラがギルドに登録したくないっていうなら、無理にそんなことする必要はないぞ」
決意を秘めた眼差しが俺を見た。
「マスターがそうしろっていうなら、やります」
「でも、嫌なんだろ?」
たしかめると、正直な性格が災いして黙り込んでしまう。
「じゃあ、なしだ。無理やりなんて嫌だからな。そんなことしたら気になって眠れなくなる。俺は気が小さいんだ」
「ものすごく情けないことを堂々と告白しますねー」
「お前がいったネタにのっかったのにその返しはどうなんだ、おい」
スラ子とのやりとりをする俺を、カーラが複雑そうな表情で見つめている。
なんだろう。
とにかく、ルクレティアとの確執は相当に根が深そうだ。……昨日、スラ子から聞いた話はともかくとして。
いずれ調査に向かうこととして、まずはルクレティアからの情報を待つということで、話はまとまったのだった。
◇
カーラのこと、ルクレティアのこと。シィのこと。
それにもちろんスラ子のことも。
なんだか最近は色々と考えなければならないことが増えて頭が痛いが、ようするに誰かと関わるってことはそういうことなんだろう。
そのわずらわしさが嫌なら、今までみたいにずっとぼっちでいればいい。
俺はそうじゃない道を選んだ。
場末のダンジョンでただひきこもるのはもうやめたのだ。
きっかけはスラ子をつくったこと。そしてシィと出会った。カーラとも知り合って、ルクレティアとのあいだにひと悶着も起こして。
この数年間分をあわせたのとおなじくらい、最近ではいろいろなことが立て続けに起きている。
それはとても喜ぶべきことで、それを面倒くさい、もう嫌だなんてもちろん思わない。
ただ、それまで洞窟にひきこもっていた身分としては、急な変化に身体と心がついていかないというのも正直なところで、そうした精神を癒してくれる存在は必要だった。
そして俺にとってのそれはまさしく一つでしかありえず、
「ああ、スライムはかわいいスライムはかわいいなあ、ほとんどみんながこのあいだの戦いで殉職してしまったが、それでもやっぱりお前たちはかわいい。新顔も増えたし、これからまたよろしくな。スラっ太、お前は先輩なんだからみんなのことを頼むぞ」
今日も今日とて、夜になって人の部屋にやってきたスラ子とシィの痴態を見るのに耐えられず、俺はスライム飼育部屋に逃げ込んだ。
どんな誘惑にも揺るがない荒れ狂うリビドーの調和を会得したと思っていたが、そんなのはまったく気のせいだったらしい。
俺の隣にはロートルのスケルトンがいて、自分の部屋を追い出された主人を哀れむように茶をさしだしてくれている。
「……ありがとう」
一口した茶は決して美味くない。
通販キットで組み立てたスケルトンは言葉もしゃべれず、手先も器用ではない。
茶の淹れ方もスラ子のほうがよほど上手なのだが、その美味しくないお茶には不思議と愛着があった。
なんといっても、俺がこの洞窟に来てから一番つきあいの長い間柄になるのだ。些細なことはどうでもいい。
「スケル、お前にも悪いな。いきなり騒がしくなっちまって」
今まで静かだった洞窟が、スラ子が生まれてから嘘みたいに華やかだった。
物言わぬ相手がそれをどう思っているか、俺には確かめる術がない。とりあえず悪く思っていた場合にと謝ってみると、スケルトンはかたかたと骨を鳴らしてそれに応えた。
「ん。まあ、悪くはないよな。今まで暗かったもんな、うち」
かたた、とまた応える。
別に会話が成立しているわけではない。適当に答えてるだけだ。独り言とたいして変わらない。
「今までお前には無理させてきたからな。……そろそろ使用耐久も近いんだ、ゆっくりしてくれ」
スケルトンは永続的に生きられない。
作り方なんかでも違うが、俺が買った安物の作製キットじゃ、そろそろ稼動限界が近いはずだった。
前にストロフライに洞窟に閉じ込められたとき、かなり無理をしてくれたということもある。
長年連れ添った相手がいなくなるのは悲しいことだ。
もちろん生きている以上、別れはいつだってやってくる。それは人間でも魔物でも一緒だ。
見ればあちこちがぼろぼろになって、朽ちてしまいそうなスケルトンを見て、
「重いもの、もう持つなよ。ぽっきりいっちまうぞ。洒落じゃなくてマジでな」
かかか、と骨が打ち合わさった。笑ったように見えた。
「――マスター?」
声に振り返ると、そこにカーラが立っている。
「ああ。起きてたのか」
一人芝居じみたやりとりが聞かれていたかと思うとちょっと恥ずかしい。
薄着の寝巻きに着替えたカーラのほうも恥ずかしそうに、
「はい、ちょっと。マスターもですか?」
「ああ。スライムを見て心を癒されに」
「ボクも、一緒していいですか?」
カーラがいった。
「スライムで癒されるなら、いいぞ。ようこそめくるめくスライムの世界へ」
「ありがとうございます」
微笑んだカーラに、スケルトンが新しくいれた茶を渡す。
「ありがとう。スケルさん」
かか、という骨の音が返事をした。
「カーラはスケルとは話したことはあるんだったか? いや、話せないんだが」
「何回か。こっちに引っ越してきたときに、手伝ってくれて」
「そうか、まあ仲良くしてやってくれ。俺がこの洞窟にやってきたときから一緒にいる、古株だ」
「はい。よろしくお願いします、スケルさん」
「スラ子に話すみたいにくだけていいぞ。ていうか、俺にだってそんな丁寧な言葉遣いなんていらない」
「そうですか? でも、なんだか慣れちゃったみたいで」
「別にどっちでもいいけどな。……ああ、そうだ。部屋のこと、もう少し待ってくれ。どこかを空けて個室をつくろうと思うから」
あわててカーラが手を振る。
「そんな。そんなの用意してもらわなくっても――」
「でも、スラ子とシィと一緒だと困るときだってあるだろ。目のやり場的に」
カーラも一度はその場に居合わせたことがあるといっていた。
遠まわしにいうと、カーラは耳まで真っ赤にさせてから、
「それは、そうかも。です」
顔をうつむかせる。
素直な反応で大変よろしい。
「物置を片付ければなんとかなるから、もう少し待ってくれ。……スケル、お前は重いものを持つなよ」
「スケルさん、どこか悪いんですか?」
「悪いっていうか、寿命なんだ。そろそろ身体にボロがきてる」
よく見れば関節の動きもぎこちない相手を、カーラはじっと真剣に見つめて、
「マスター。スケルさんは、家のお仕事をやってるんですよね」
「ああ、スライムの世話とかを任せてるかな」
「そのなかで力仕事があったら、ボクに手伝わせてください」
「そりゃまたどうして」
手伝いをしてくれるのは助かるが、カーラがそんなことをする必要はない。
俺に訊ねられたカーラがそっと膝を抱える。
「ちょっと、不安なんです」
「不安?」
「ボク、ここにいていいのかなって」
俺はおもいっきり顔をしかめた。
「誰かそんなこといったのか?」
ルクレティアか。……まさかスラ子じゃないだろうな。
違います、とカーラは頭を振って、
「マスターに誘われて、魔物になるって決めて。でも、本当に自分がここにいていいのかなあって。だから、なにか手伝えることがあれば」
あ、とあわててスケルトンを見て、
「スケルさんのお仕事をとろうとかそんなんじゃ。邪魔したりもしないから、だから」
「それは大丈夫だろ。な、スケル」
訊ねられた相手はかたかたと骨を鳴らした。
「大丈夫、ですか?」
「しんどいことだってあるだろうし、手伝ってもらって嫌にはならないだろ」
ただ、とカーラを見ながら俺は続ける。
「別にここにいていいのかとか、そんなのは考える必要ないぞ。カーラは俺が誘って、雇ってるんだ。スラ子やシィだって同じふうに思ってるさ」
ルクレティアの名前を出さなかったのは、わざとというよりは刺激しないようにだったのだが、
「そうなら、いいんですけど」
困ったように笑って、カーラは膝にあごをのせた。
思いつめた表情で黙り込む。
カーラは「魔物」になったばかりだ。
今まで生きてきた場所と大きく環境が変われば、誰だって不安になる。
それをフォローするのは新しい環境の、周囲にいる相手であるべきで、つまりは俺だ。
だが、歳の離れた相手をどう元気づければいいのかわからない。
そんな会話スキルもない。
――言葉じゃなくて行動で、安心させてあげればいいんですよ。
今は近くにいないスラ子の囁き声が耳に響いた気がして、俺は渋面になった。
結局、遅くまで俺とカーラとスケルトンの三人で黙ってスライムたちを鑑賞して、その日の夜は更けていった。