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五話 いがみあう理由

「茶番はともかくとして」


 ルクレティアがいった。


「おい、茶番っていうな。俺の大事な外聞に関わる話だぞ」

「もともと底辺に近しいものでしょうし、問題ないのではございませんかしら」


 しれっとひどいこといいやがる。


「そんなことは――、そんなこと。そんな……」

「いい歳して泣いちゃダメです、マスター。もっと自分に自信を持ってくださいっ。ファイトですっ」

「うるさい、こんなろくでもない流れにしたのはどこのどいつだっ」


 無責任に拳を握って応援するスラ子の隣から、シィが手を伸ばして頭を撫でてきてくれる。


 優しさが身に染みた。

 そしてカーラからの冷たい視線がもっと心に染みた。


「妖精を手篭めにするとは、我が主ながら見下げ果てた所業。私にやり方を教えていただけないのも道理ですわね」


 俺はじろりとルクレティアをにらんで、


「いっておくが、同じことをやろうとしても無駄だ。俺たちにシィが協力してくれるようになったのはたんなる偶然だぞ」


 シィがどうしてここに居つくことになったのかは俺だってよくわからない。

 スラ子の存在もだが、妖精の集落から出たこととなにか関係があるのだろうが、妖精の鱗粉を町の産業になどと考えていたルクレティアがシィを見て安易に真似をしようとしても困る。


 ルクレティアはあざけるように鼻を鳴らして、


「わかっています。そんな一か八かの乱行に町の破滅を賭けるわけにはまいりませんわ」


 下手に手を出せば、怒れる妖精たちから逆襲にあうことくらいわかっているのだろう。……それでルクレティアが諦めるとは思わなかったが。


 シィを見る眼差しにきなくさいものを感じて、釘をさす。


「シィにあんまり変な目を向けるな」

「貴方様の視線よりはだいぶ健全なつもりでおりますが」


 ああ。これ、この先ずっといわれるわー。間違いないわー。


「もうわかったから、用がないなら帰れ。帰れ」


 邪険に手を振ると、ルクレティアは不当な扱いを受けたとばかりに眉をひそめてみせた。


「ずいぶんとひどいおっしゃりようですわね」

「お前、自分の言い草にはナチュラルに気づいてなさそうだな」

「なんのことでしょう。率直に思うがまま申し上げているだけですが」


 口の端を吊り上げる。


「――それとも、私の言葉まで縛りたいというのなら。この胸元の呪印にそうご命じになればよろしいのですわ」


 挑発的な物言いに、俺は苦虫をかみつぶした顔で沈黙した。

 俺の器量をはかるようにたっぷりと間をおいてから、


「けっこう。ではこれからもこのようにさせていただきますわ、ご主人様」


 ルクレティアは勝ち誇った顔。


「もういいから帰れよ」

「そう追い払うようにされなくともよろしいでしょうに。なにかご入用のものはございませんか。町の金庫を空にするような真似はできませんが、ある程度なら都合もつきます」


 自分の目の前に視線をさげて、


「……五人が顔を並べるにはいかにも手狭ですわね。もっとましなテーブルはございませんの?」

「急に人が増えたんだ。仕方ない」


 ついこのあいだまでぼっち卓だったんだ。一人で使うのには十分すぎた。


「新しいものを用意させますわ。私の主があまりに貧相な生活をなされていても困ります。他には……スラ子さんにお聞きするべきですわね。なにか困ったことはございませんか?」


 訊ねられたスラ子が小首をかしげる。


「そうですね、保管が効かないのがちょっと困ってます。ここ、湿気が多いんですよ」

「食材ですか? それとも研究素材かなにか?」

「んー。両方です」

「いくらかやり方はあるかと思いますが……。少し家のなかを見させていただいてもよろしいかしら」


 スラ子がちらりと俺の方を見て、


「マスター。ルクレティアさんをご案内してもいいですか? そういえば、なかを見てもらうのは初めてですし」

「……好きにしてくれ」


 それ以外、俺にはなんの言葉もありはしなかった。



 洞窟の奥に隠された生活スペースを案内されたルクレティアは、一部屋を見るごとに「ありえませんわ」と顔をしかめ、それは広くない家のなかを見終わるまで続いた。


 総数5ありえない、いただきました。ありがとうございます。


「信じられません。これが人間の住む場所ですか」


 怒りを飛び越えて絶望したような表情で頭を振り、ルクレティアが大げさに嘆いた。

 特に許せなかったのは家のなかにベッドが一つしかなかったことらしく、スラ子やシィだけでなくカーラまで毛布をしいて地べたに雑魚寝を強いられていることにまなじりをつりあげて、


「雇用者には被雇用者の健康に対する責任がありますわ」


 まるで不当労働に糾弾する口振りだ。


 どこの都会の人権主義者だと思いながら、ベッドで眠る習慣のないスラ子やシィはともかく、カーラにまでそんな境遇で我慢してもらっていることには申し訳なく思っていたから、俺の反論する勢いも弱くなる。


「しょうがないだろ。ベッドなんて町から運んできたらさすがに目立つ」


 カーラは身近な小物は何度かに分けて運び込んでいたが、さすがにベッドのようなものまでは手が回っていなかった。


「やりようはございます。つまらない言い訳はなさらないでくださいまし」


 ぴしゃりといって、ルクレティアが考え込むように沈黙する。


「……けっこうですわ。運搬手段はこちらでなにか考えます。先ほどスラ子さんから聞いたものも含めて、すぐに手配いたします」


 まあ、やってくれるんなら助かるが。

 反論しても説得できそうにないので俺はなにもいわなかったが、


「――ボク」


 それまで黙っていたカーラが口を開いた。


「別に、ベッドなんかいりません」


 まっすぐにルクレティアを見て、告げる。

 その大きな瞳には敵意ではないが固い意志のような光がある。


「カーラ?」


 呼びかけてもカーラは俺に返事をせず、


「……あなたに施しを受ける理由、ありませんから」


 一瞬、二人のあいだに冷ややかな気配が生じた。

 カーラとルクレティア、外見も立場も異なる二人が無言で視線をかわしあう。


 ――うわ、はじまった。


 俺は生きた心地もしないで隣に助けを求めるが、スラ子はにこにことして口を挟む気配はなかった。シィも不思議そうに二人を見つめている。


「貴女に命令されるいわれはございません、カーラさん」


 周囲に流れる気配に勝るとも劣らない冷ややかな声でルクレティアがいった。


「私に命令できるのはご主人様のみですわ。必要か不必要かを決めるのも、ご主人様のみ」


 それに、と意地悪く笑みをかたちづくって、


「別にそのベッドを貴女が使うだけとも限りません」

「どういう意味ですかっ」

「言葉どおりですわ」


 眉を吊り上げたカーラが食って掛かるのにあくまで悠然とルクレティアが返す。


 うーん、口じゃあルクレティアが優勢っぽい。

 などと他人事のように見守っている場合ではなかった。


 俺は聞こえよがしにため息をついて、


「ルクレティア、ベッドの件はよろしく頼む」

「マスター!」


 声をあらげかけるカーラに、


「悪かった。しっかり休ませられていないのは俺が至らないからだ。カーラに身体を壊されたりなんかしたらこっちが困る」


 そういうと、魔物見習いの少女はぎゅっと拳を握りこんだ。


「――わかりました」


 悔しそうに唇をかんで沈黙する。


「そのようにいたしますわ。それではご主人様、私はこちらで失礼させていただきます。またなにか御用がありましたらお声がけくださいませ」


 得意げな視線をカーラに向け、ルクレティアは町に帰っていった。


「……部屋に戻ります」


 カーラも背中を向けて去っていく。

 小柄な後ろ姿を送り、俺は深々とため息をついた。


  ◇


 その夜のこと。


「マスター。どうされました?」


 自室で考えにふけっていた俺に、しどけなくスラ子が寄りかかってきた。

 先ほどまでシィを可愛がって愉しんでいたばかりの声は気だるい満足さがあって、いつも以上に艶っぽい。


 肩に体重をかけてくる相手に好きにさせながら、答えた。


「カーラのことでちょっとな」

「お部屋ですか? 確かに、いつまでもマスターの部屋にお邪魔するわけにもいきませんね」


 スラ子がふふーと笑う。


 今まで、スラ子が魔力補充の行為をするときは、洞窟の生活スペースでもっとも広い場所、スラ子が生まれた場所でもある(名ばかりの)研究所が使われていた。

 研究所というよりは二人の部屋のような扱いだったのだが、カーラもこの洞窟にやってくることになり、とりあえずそこに寝泊りしてもらっている。


 部屋の広さ的には不足ないのだが、問題はあった。

 シィがカーラに自分が玩ばれているところを見られるのを恥ずかしがったのだ。その結果、スラ子は毎晩、わざわざ俺の部屋で事をいたすようになっていた。


 はっきりいって、嫌がらせかなにかとしか思えない。


 すぐ近くで嬌声やら絡み合う気配やらを見せつけられて、冷静に物事を考えることなんてできそうにもなかったが、人間、慣れというのは凄いもので案外なんとかなっている。あるいは鍛え抜かれたぼっち力の恩恵だろう。


「やっぱり、個室にしたほうがいいよな」

「マスターのスライム研究部屋や飼育部屋には手をつけないとして……。物置部屋に使っている場所を、なんとか片付けてしまいますか?」


 この洞窟に余っている部屋は多くない。

 カーラの部屋を用意するとなればそれくらいしか方法はなかった。


「そうだな。……お前とシィは個室じゃなくていいのか?」


 順番でいえばカーラよりその二人だ。


「私はかまいません。シィは――今はちょっと返事できないですけれど。多分、私と一緒で大丈夫だと思います」


 スラ子からさんざん魔力を吸収されたシィは、ベッドの上でぐったりとしている。気を失っているのかもしれなかった。


「……ちょっとやりすぎじゃないか」

「そんなこと。シィは、マスターの前だから余計に感じてしまっているだけです」


 返答に困ることをいうな。


「シィ、見られてとっても喜んでるんですよ」

「だから反応に困ることをいうなと。カーラの部屋もだが、昼間のことだ。考えてたのは」

「昼間? ルクレティアさんとのことですか?」


 ああ、と俺は苦くうなずいて、


「なにか起きやしないかと思ったが、案の定だ。それもカーラのほうからつっかかっていくなんてな」


 カーラはとてもいい子だ。

 素直だし、明るいし、気も利く。


 そのカーラが、色々とあったルクレティアを相手にしてとはいえ、あそこまでかたくなな態度をとることが意外だった。


 ルクレティアがベッドを持ってくるのをいらないとつっぱねた。

 俺からの言葉で承知はしてくれたが、不満に思っている態度はわかりやすすぎるほどわかる。


「まあ、このあいだは嬲り殺しにされかけたわけだしな。恨みつらみだってあるんだろうが」


 俺がいうと、スラ子はくすくすと笑った。


「なんだ」

「マスター。カーラさんとルクレティアさんがいがみあっているのは、そんなことではないと思いますよ?」

「わかるのか?」


 恐らくですが、とうなずいて、


「お二人は立場を争っているんでしょう」

「……立場?」

「はい。同じ時期にお仲間になりましたから。同期の間柄、色々とお互いに思うこともあるのではないでしょうか」

「同期っていってもな。カーラとルクレティアは同じ立場じゃない。カーラはこっちが金を払って雇ってるんだし、ルクレティアにいたっては呪印の契約が全てだ」


 カーラはいつここを出て行くのも自由だが、ルクレティアにはそれが許されない。魔力の鎖に縛られた奴隷じみたものだ。


「女同士でいう『立場』は、そういうものではありません」


 スラ子は世界の真理を告げる口調だった。


「女として、上にいるのか。そういうことです。もちろんその対象は――マスターに向けられています」


 つまりですね、と愉しげに続ける。


「あのお二人は、どちらがマスターからより寵愛を受けるのか。それが気になっているんですよ」

「なんだそりゃ。馬鹿馬鹿しい」


 思わず本音がでてしまっていた。


「そうですか? カーラさんのお気持ちにはお気づきですよね。それに、ルクレティアさんはマスターを虜にして自由を勝ち取りたいとお考えです。お互いにお互いを好ましく思わなくても不思議はありません。意識しているかどうかは別ですが」


 以前からのいざこざもそれに拍車をかけて、お二人の今あるような関係になっているのでしょう、とスラ子は自分の考えを披露した。


「よくわからん。争うならシィやお前だっている。なんで二人だけがそんなことになってるんだ」


 カーラはスラ子やシィとは仲がいいし、ルクレティアだって自分にひどいことをしたスラ子に、内心でどんな思いを抱いているかはともかく、表面上は普通に接している。

 確執じみた気配があるのはあの二人だけだ。


「どうでしょう。私やシィが人間ではないからかもしれませんね。それにやっぱり、同じ時期にというのが大きいのではないでしょうか」


 ふふ、とそこでスラ子は妖艶に俺の耳元に口を近づけて、


「あれだけのお二人に両側から引っ張られて、男冥利につきますか?」

「なにが冥利だ」


 俺は苦く答えた。

 女同士の戦いなんてこっちの胃がもたなくなるからやめて欲しい。


「だいたい、俺にそんな器量があるわけない。スラ子、お前だけで十分だ。シィだっている」


 二人の責任をとるだけでいい加減、俺の容量は限界だ。

 男としても人間としても。


 これ以上、誰かを選んで誰かから角が立つというのなら、いっそどっちも選ばないほうがまだましってものだろう。


「マスターらしいと思います」


 スラ子は微笑んで、


「マスターのお考えはそれとして、そういうものだと考えてお二人の言動を観察なさってみてください。どちらも囚われているんです。微笑ましく思えませんか?」


 スラ子の台詞にはまるで同意できなかったが、一つだけわかった。

 目の前の不定形な生き物が、いがみあう二人の人間の心情を理解しながら、自分とはまったく異なるものとしてそれを見ていることだった。


 それが女としての立場からのものなのか、あるいは生物としての存在の差なのか。

 俺はそのことがひどく気になった。


「どちらもマスターが飼われている人間です。どうぞいかようにでもなさってください。嫉妬の炎に身を焦がし、快楽の渦に堕ちる様子を見守るというのも、面白いかもしれませんよ?」


 耳元でささやく声は、相変わらず無垢な邪気に満ちていた。



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