四話 狼少女と名家の令嬢
カーラとルクレティア。
この二人については、最近の俺の一番の不安どころだった。
先日の一件から「魔物」に属することになった二人だが、その立場も成り行きもまるで違う。
ウェアウルフの血をひき、町であまりよい目にあっていなかったカーラ。
彼女は家族のために金を稼ごうと冒険者を目指していたのだが、理由あって魔物へ堕ちた。
こちらから誘いをかけたとはいえ、その意思はあくまでカーラ自身のものだ。
町から洞窟に越してきたカーラはいわば住み込みで働いてくれているわけで、形式としては俺が雇用したかたち。もちろん給金も払うことにしている。……薄給だが。
一方のルクレティアは、町の長をつとめる人物の孫娘だ。
ゆくゆくは配偶者とともに町を治めることになることが約束されていて、さらに片親は貴族の家柄でもあるらしい。
彼女はその次期権力者としての有益な立場を利用され、スラ子から十日近くの「説得」を受けた末に魔物に堕とされた。
その胸には自分から差し出した従属の呪印があって、それが彼女の肉体を縛っている。つまりルクレティアは強制的に服従しているのに過ぎず、本人の意思とは関係ない。
ほとんど対極といっていいほど二人の立場は違う。
それにくわえて、カーラとルクレティアは以前から決して良好な関係ではなかった。
というより、ルクレティアがカーラを嫌っていたらしいのだが、それはカーラの体に流れる魔物の血のことがあるからだという。
昔、メジハの町を襲ったというウェアウルフ。
その魔物がルクレティアの両親を殺害したらしいのだ。
もちろん、それはカーラが悪いわけではない。望んで魔物の血をひいたわけではない。
だが、同じ理由で町の連中から嫌われていたカーラは、自分がルクレティアに嫌われているのもそれが原因だと考えているようだった。
おそらく今までは、町でも互いに避けていたのだろう。
この世の中にはどうしたって相容れない間柄というのは存在する。そういう相手がいるなら、距離をあけて近寄らないのが正解だ。
それが、その気まずい者同士でなんの因果か同じ場所で顔をあわせることになった。それも一方は部下として、もう一方はそれ以下の下僕としてだ。
しかもその下僕のほうが町では圧倒的に立場が上だったのだから――。
普通に考えれば、これはなにもしなくてもひと悶着起きそうな気配がぷんぷんするだろう。
この一週間は特に問題はなかった。
カーラはこちらへの引越しの準備から実際の転居まで忙しく、ルクレティアは町のほうにずっといてこちらへは顔を出さなかったからだ。
だが、ルクレティアが俺からの依頼を受けてその報告に洞窟へ来ることになり、俺はそこで久しぶりに顔をあわせる二人がどうなることかと心配した。
「マスターは心配性ですね」
とスラ子。
その表情がなにか楽しんでいるようにも見えて、俺は軽くにらんでやる。
「お前は知らないかもしれないがな。女同士の戦いは怖いんだぞ」
別に女を語れるほど経験豊富なわけでも、性差について一家言あるわけでもないが。
「なにか嫌な思い出があるのです?」
う、と身をひいて、
「別にそんなんじゃないが。……アカデミーにだって派閥なんやらはあったからな」
派閥とか勢力争いからは完全に蚊帳の外だった俺だが、だからこそ客観的に見られたという部分もある。
「大勢の思惑が重なるよりは単純、というわけにもいかないかもですね。個人の問題ですからその分、根は深いかもしれません」
悟ったような台詞に、俺は顔をしかめる。
「他人事みたいにいうな」
「マスターが心配されることではありませんよ」
スラ子は笑顔のまま、
「マスターは超然としていてくださればいいんです。カーラさんとルクレティアさん。どちらもマスターが、マスターなんですから。おんなじです」
そんなふうに出来れば苦労はない。
ため息をついて、俺は次の日のことを考えて憂鬱な気分を味わった。
◇
俺の予感は的中した。
翌日の午後、ちょうど昼食の時間にルクレティアはやってきた。
供は連れていない。どういう理由をつけて町から抜け出したのだろうと思いながら、
「一緒にどうだ?」
「けっこうですわ。すでにすませておりますので」
食事の誘いを断ってテーブルにつく。
ちょうど向かい合わせにいるカーラとルクレティアの目があって、カーラが気まずそうにそれをそらした。ルクレティアは平然としたままだ。
「護衛なしに来たのか?」
気まずい雰囲気にならないよう訊ねると、ルクレティアはええ、とうなずいて、
「一応、洞窟の追加調査という名目ですわ」
「たった一人でか」
「書類上は一人ではありません」
ルクレティアはいった。
「最近、ギルドの仕事を私のほうで祖父から引き継いでおりますの。ですから、この程度の改竄は造作もありません」
「引き継ぐって。つまりお前がメジハのギルドをまとめてるってことか?」
いつのまにそんな話になっていたんだ。
驚いて訊ねると、怜悧に口元をほころばせて、
「先日の一件で追放した五人から、網を広げるかたちで上手く反対勢力を追い払うことができました。今はまだ完全に掌握しているとはいえませんが、すぐに落ち着かせてみせます」
呆れた。
自分がしてやられたことを利用してすかさず権力確保の手段にするだなんて、相変わらず考えることが普通じゃない。
「お褒めにあずかり光栄ですわ、ご主人様」
少しも嬉しそうじゃない口調で、ルクレティアはカーラをみた。
「カーラさんのお名前をお借りしましたが、よろしかったかしら」
カーラが眉をひそめる。
「ボクの、名前?」
「はい。洞窟に向かうという口実に存在しないクエストをつくり、そこに息のかかった数人と一緒にカーラさんも。前回の関係者ですし、まったく名前がないというのも不自然かと思いましたので」
カーラは困惑した表情でこちらを見た。
俺はうなずいて、
「別にいいんじゃないか。嘘のクエストの、書類上の都合ってだけだろう」
と、そこでふと違うことに気づく。
「――待て。ルクレティア、お前がギルドをまとめるってことは、登録するのにもお前の了承があればいけるか?」
「可能ですわ」
「なら、カーラがギルドに登録できるんじゃないか」
「可能です。カーラさんがそれを望まれるのでしたら、すぐにそうしますけれど」
おお、と俺はカーラを見て、あれっと思った。
ギルドに冒険者として登録したがっていたカーラなのに、あまり嬉しそうに見えない。それどころかくっきりした眉を眉間に寄せていた。
「カーラ?」
「ボクはもう、魔物です」
俺はあわてて首を振って、
「いや、別に魔物だからって登録しちゃいけないってわけじゃないだろう。ギルドをルクレティアが管理してるってんなら、問題にもならないしな」
情けないが、俺からカーラにそうたくさんの給料を払えるわけでもない。
住み込みでここで働きながら、時間があるときはギルドの仕事もやるほうが金は稼げるはずだ。
説明を受けて、カーラはなにか考え込むようにしてから、ちらりとルクレティアのほうを見て、
「……少し、考えさせてください」
といった。
少し意外だったが、本人が乗り気じゃないの無理強いすることでもない。
俺はこの話を置いておくことにした。
「じゃあ、ルクレティア。昨日の話について頼む」
「かしこまりました。……といっても、周辺についての聞き込みは昨日今日で進んではおりません。現時点では、今日までに入った情報の整理と、メジハの話し合いで決まったことの二点についてご報告いたしますわ」
そう前置きをしてルクレティアは説明をはじめた。
「いなくなられた町人の安否はやはり不明のままです。家族にバサの集落へ様子を見に行くと言葉を残して三日。ギルドからバサには昨日の段階で人を送っておりますので、その人物がバサに着いたのか、その途中で行方を消したのかわかるのは早くても明後日になることでしょう」
「情報が確定するまでは様子見か?」
「いいえ。既にバサで二人、人がいなくなっているということですので、その真偽を確かめるための調査クエストを設けることで、すでに昨日の町の寄り合いで話が進んでおりますわ」
辺境の村や町では、ギルドはその集落の自衛力でもある。
野盗や魔物に対抗するだけではなく、周辺の調査や噂の確認にも事あるごとに彼らは狩り出される。
「えらく話が早いな」
偏見かもしれないが、田舎の寄り合いなんてもっとのんびりしたものだと思っていた。少なくとも事実が確認されるまで腰をあげることはないだろうと思っていたのだが、
「前回、こちらの調査がうまくいきませんでしたので。なにか他に必要になっただけのことですわ、ご主人様」
その言葉に納得して俺は苦笑した。
なんのことはない。これも権力固めの一環というわけだ。
ここの洞窟で起きたスライムの異常発生、それを自分の町での発言権を高めるための足がかりにしようとしてルクレティアは失敗した。
失敗の責任は彼女が連れた五人の冒険者の狼藉者のせいということになったが、ルクレティアが功績を得られなかったのは変わらない。
その代わりになるものとして、今回の失踪事件に白羽の矢が立った。
まだバサの集落にやった使いが戻ってこないうちから調査隊の予定がたっているのも、恐らくルクレティアがそう仕向けたからに違いない。
「いいのか? 状況も確かめないで動き出して、もしそこで起きていることが解決できそうにないことだったら失態になるんじゃないか?」
「ご心配いりません」
ルクレティアが薄く笑った。
「クエストの目的は解決ではなく、確認です。問題の有無についての調査が主題ですから、失敗しようがありません。まず私の主導で物事を進ませることが第一だったのですわ。周囲への牽制として」
都会から戻ってきたばかりの娘。最近の奇行に対する噂。それへの不安と反発。
小さな町でも色々とあるんだろう。
そんななかでどうやってルクレティアが自分の権力を握ろうとしてくれたって別にかまいやしない。好きにしてくれ、と俺はうなずいて、
「他に今の段階でなにかわかってることは」
「特にございません。指示通り、周辺の情報を集めるように人をだしておりますが、それについてはもうしばらく日数がかかるでしょう」
そこでひたりと眼差しがこちらを見る。
「……先ほどのお話で思いついたのですが。もしよろしければ、そちらの調査についてご主人様からお力を貸していただくというのは難しいでしょうか」
俺は眉をひそめた。
「俺たちに調査にいけって? メジハのギルドに登録してか?」
「なにか気になることがおありになるようですので、実際にお調べになってみるのもよいかと思ったのです。お引き受けいただければ、大金ではありませんがギルドから報酬もご用意できますし」
報酬。
それを聞いてわずかに気持ちが揺らぐのを感じた。
妖精の鱗粉の有効な金策が確立していない以上、金の問題は俺たちにとって死活問題だ。
来月にはまたストロフライへのみかじめも用意しないといけない。
いざとなればルクレティアに命じて町の金庫からどうにかすることもできるかもしれないが、メジハだってそう裕福な町ではないし、そんなことをして問題になってもらっても馬鹿らしい。
その点、ルクレティアから斡旋するクエストを達成し、報酬をもらうというのなら、少なくとも他から見て問題にはなりにくいだろう。
あとはプライドの話だが、まあ少なくとも俺個人はまったく問題ない。が――
目線を少しさげて黙っているカーラを見て、考える。
その場合、立場的にカーラに窓口になってもらうことになるだろう。しかし、そのカーラは今さら冒険者として登録することに気が進まない様子だ。
「それについては、ちょっと考えたいな。これからの予定のこともある。そのあいだにそっちで他の候補者が決まりそうなら、もちろんそっちを優先してくれ」
報酬というのは魅力的だが、それだけで決めるわけにもいかない。
――そもそも。ルクレティアがそれを提案してきた目的が不明だった。
ルクレティアは俺に従属している。
しかしそれは心からのものではない。スラ子は、ルクレティアは俺を虜にする目的だといったが、今回の話にもなにか裏があるのかもしれなかった。
「かしこまりました。それではその件については、お考えがまとまりしだいご連絡くださいませ」
「わかった。他にあるか? ないなら今日は戻っていい」
「いいえ、ございません」
席を立ちかけたルクレティアが、
「――一つ、ありました」
冷ややかな目でいった。
「ご主人様にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「なんだ?」
ルクレティアはちらりと視線をカーラに向けて、
「カーラさんはご主人様の情人でいらっしゃるのですか?」
……いきなりなにをいいだすんだろうな。こいつは。
突然の質問に驚くのも忘れてしまった俺にかわって、
「な、なにをいきなりっ」
カーラがものの見事に慌ててくれた。顔中を真っ赤にして、
「違うのですか?」
「別に。ボクは」
冷静に問われ、言葉を濁す。
視線で助けを求められるが、そんな目で見られて俺も困った。
「それがなにか関係あるか?」
顔をしかめて問うと、ルクレティアは真顔のまま、
「自分の仕える主人の嗜好をお聞きしておきたいと思っただけですわ。男色か、幼女趣味か。それとももっとアブノーマルな相手にでなければモノが奮わないということでしたら、私にもそれなりの覚悟というものが必要になるでしょうから」
なんの覚悟だ。それは。
「――ルクレティアさん」
それまで黙っていたスラ子、アブノーマルと言下に名指しされた人型のスライムが口を開いた。
「……なんでしょうか、スラ子さん」
十日間もスラ子に責め抜かれたのだから、そのときの恐怖の感情が残っていてもおかしくはない。
それでも表面にはそれをおくびにもださない態度でこたえるルクレティアに、スラ子ははっきりと告げた。
「マスターは幼女趣味ではありません。幼女もイケるだけです!」
「おい黙れ」
スラ子が首をかしげる。
「違いましたか、マスター」
「違いません。――じゃないわ! 勝手に人を変態にすんな!」
「でも、マスターはシィを立派な女にしてくださったじゃないですか」
「だからそれは言葉のあやというか、……おいシィ、お前まで顔を赤らめてくれるな!」
寡黙な妖精が無言のまま頬を染めるのがやけに生々しい。
誓っていうが、俺はシィにそんなあれなことはしていない。
「マスターがそんな人だったなんて……」
「鬼畜ですわ。外道ですわ。下種ですわ」
カーラとルクレティアがけだものを見る目でこっちを見ていた。
「違う、俺はただシィの願いを聞いて――」
「女にしたんですよね? わざわざ相手にいわせて、それをいいことに自分の劣情をあどけもない相手にぶつけるなんて、さすがマスター。いえ、ゲスターですっ」
「さっきからなんなんだお前、いちいち解釈に悪意ありすぎだろうが!?」
つかみかかる勢いで止めるが、もはやカーラとルクレティアの眼差しは氷点下にせまる勢いだった。
これはまずい。
ルクレティアはともかくカーラはせっかく純粋な好意を向けてくれていたというのに。
「――シィ、お前。何才だっ?」
なにか逆転の一打はないかと頭を巡らせた俺に、シィは小さく首をかしげて、
「……だいたい、三十。です」
「せえええええええええええええええふ!」
俺は大声をはりあげて勝ち誇る。
「俺より年上! まったく問題なし!」
「妖精の年齢を人間とおなじ年数で計算してどうするんです、マスター」
困った顔のスラ子に同意するように、他の二人の視線も冷たいままだった。