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一話 アカデミーの使者

 目覚めはいつも通り、控えめな気配に起こされた。

 暗く湿気た洞窟の空気にまぎれるように立ったシィが、枕元から俺を見つめている。


 その静かな目線に、


「おはよう、シィ」

「……おはようございます」


 にこりともしない挨拶もいつもの通りだ。


 起き上がると、昨日の疲れが身体にのこっている。

 ぼんやりと鈍い意識のもやを飛ばそうと頭を振って、


 ――おおおおおおおおん


 山鳴りの音が深く響いた。


 ああ、もうそんな頃かと思い出す。

 この洞窟で過ごして長い俺には馴染み深い重低音に、シィがわずかに不安そうな表情を浮かべているのに気づいて、


「シィはこんなに近くで聞くのははじめてか?」


 訊ねると、シィはこっくりとうなずいた。


「気にするな。ただの自然現象だ、すぐにいなくなる」

「いなく……?」

「ああ。どうせすぐ我慢できなくなるからな。昼くらいだろ」


 不思議そうに首をかしげて、結局それ以上なにもいわない。


 シィはとても無口だ。

 静かな妖精という言葉は、そのなかに大いなる矛盾をはらんでいる。


 妖精というのは生まれながらにしての騒動者だ。歌って笑い、無邪気な悪戯をしかけて人を煙にかける。

 妖精も魔物の一種で、人間とも決して友好的ではないが、森で行き倒れている人間がいると気まぐれに助けてみたりもするので絶対的に敵対しているわけでもない。


 この近くの森の奥にその妖精たちの泉がある。

 そこには大勢の妖精が住み、たまに人里に姿を見せては騒動を巻き起こして迷惑をかけていた。

 たまに俺のとこにもその無邪気な暴君たちはあらわれて、嵐のように暴れて帰っていくことがあるが――


 そういえば最近、あいつら来てないなと思って、


「……?」


 じっとこちらを見つめる視線に、俺は物思いから我にかえった。

 澄んだ瞳でこちらを見ている相手にふとした悪戯心が湧いて、


「シィ」


 手招きして近くに呼び寄せてみる。


「動くなよ」


 そのまま困惑気味に直立する背中に手を伸ばした。


「ぁっ」


 背中に薄く延びた羽をなぞる。

 びくりと敏感な身体が震えるが、シィは逃げようとしない。

 弱点に触れられながら命令を守ろうと必死に声が漏れるのを抑えている。


 シィが泣いたり笑ったりしたところを俺は見たことがない。

 自分の考えもほとんど口に出さない。

 シィが流暢に喋ったのは前に一度きり。スラ子が自分を見失いかけて暴走した、あのときだけだ。


 ――変わりたい。そういった。

 いったいそれはどんな意味で口にした言葉だったのだろうと、そんなことを考えながら、しばらく声をこらえて悶えるシィの様子を観察していて、


「お台所からでる使用済みの水とかけて、いたいけな少女に破廉恥な行為を強要することとときます」


 声が響いた。


「そのこころはなんでしょう?」

「……下種い」

「はい。おはようございます、マスター」


 振り返った先には、やわらかな笑顔のスラ子が部屋の入り口にあらわれていた。



 スラ子とシィ。そしてカーラも洞窟で暮らすようになり、それまで食卓につかっていたテーブルがさすがに手狭になってきた。


 洞窟奥の隠れ生活スペースにはまだ余裕があるが、決して広いわけでもない。

 前は俺とスケルトン、あとはスライムたちだけだったところに、この一月で三人も増えたのだから当然ではあった。


「いっそのこと、引越ししてしまいましょうか? 洞窟を出たすぐ近くに新居を建てるとか」

「新居なー」


 ルクレティアが町に戻ってからこの一週間。

 洞窟にはやってくる冒険者もおらず、まったくの平和だった。


 ギルドへの口利きの影響がさっそくあらわれたのか、それとも調査隊が不名誉な形に終わったせいなだけかはわからない。

 もし町からの冒険者がこれからも来ないのなら、湖のほとりに小屋を立ててそこに全員で住むというのは不可能ではないのかもしれない。


 スラ子が外で洗濯物を干し、カーラは町に買い物にでかけて、シィがぱたぱたと家のなかを掃除している。洞窟はそのままスライムたちの飼育専門場として活用し、ロートルのスケルトンに世話をまかせる――

 心がなごむ妄想だったが、あくまで妄想だ。


 洞窟と湖は、うっそうと茂った森のなかにある。

 もしこんなところに家を建てたら、いつ他の魔物から襲われるかわからない。壁や堀で囲まずにこんなところで一軒家なんて、自殺行為だ。


 その前に周辺を安全にしておかなければいけないし、だいいちそんな金がない。

 俺たちが妖精の鱗粉にかわる金策として研究している妖精の薬草は、つい昨日ようやく試作品が完成したばかりだった。


 もちろんまだ売りにだせる状況でもない。

 いくらかはすでに臨床済みだったが、もっと経過をみてからでないと売り物にはならない状態だ。


「それか、洞窟のなかを広げてしまいます?」

「ここは天然洞窟だ。素人が掘削したらどうなるかわからん」


 下手なことをすれば落盤だって起こるだろう。

 まあ、そこは専門の業者に頼めばいいだけだが、


「そういう人たちって魔物のなかにもいるんでしょうか」

「アカデミーのサイドビジネスに、建築・改築うけおいますってやつがあるな」

「……本当に、手広くされているのですねー」


 スラ子は感心半分、呆れ半分といった口調だった。


「まあ、それにも結局は金がいるんだけどな」


 間抜けな結論を笑うように、おおおおおおん、と山鳴りが響いた。

 スラ子があごを持ち上げて、


「今朝からずっと続いてますけど。不思議な音ですね」


 そういえばスラ子もこれを聞くのははじめてになるのか。


「季節ごとにあるもんだからな。慣れておけ」

「山をくだる季節風、ということです?」

「いや。腹の音だ」


 一瞬、スラ子が沈黙した。


「ええと。それはつまり、……ストロフライさんの?」

「そうだ」


 俺は真面目な表情で答える。


 竜族は長く生きる生物だ。

 身体もでかい。必要とされる食料だって桁が違う。


「考えてみろ。この世界にいったいどれだけ竜がいるのかは誰もしらんが、あんな連中がまともに身体にみあうだけの量をバカスカ食ってたら、世界なんて即行で滅ぶぞ」


 あ、とはじめて考えついた表情でスラ子がうなずく。


「そういえば、そうですよね。ということは――」

「連中は成長するにつれて食料を必要としなくなるんだ。精霊的な存在になる、っていうべきか。エルダーなんて呼ばれる長命竜になると、なにも食わんでいいらしい」


 もっとも、そんな連中はまず下界に関わってくることなんてない。俺だってよそから聞いた話だ、会ったことはない。


「連中はそもそも食欲自体がほとんどない。まともに食い散らかせば世界が終わるってわかってるんだろうな。だが、若い竜はまだ完全に自給自足できず、俺たちみたいな食習慣なんてものもないから、腹が減ることにもなかなか気づかない」

「それで、このお腹の音ですか」

「そうだ。生理的な周期みたいなもんだ。上のお気楽黄金竜の場合はそれがだいたい半年に一度。極限まで空腹になって腹の音を鳴らしはじめて、最初は自分でもなんの音が気づかず、昼ごろになってようやく思いついてどこかに飛んでいく」

「お食事に向かうわけですね」


 ああ、と俺はうなずいて、


「今日、世界のどこかでなにかが滅ぶ。被害が集落程度ですむか、町か国か。それは気分次第だけどな」


 絶対に外れない予言を神妙に伝えると、さすがにスラ子も表情をひきつらせた。


「凄いお話です」

「この音が聞こえてるあいだは人も魔物も、全員が巣穴に閉じこもってぴくりともしないだろうよ。空腹の竜はえらく機嫌が悪いからな。運悪く見つかれば、嬲られ、玩ばれて、余計に腹を空かさせたことでいっそう相手を不機嫌にして、間違いなく悲惨な目におわる。簡単に殺してもくれん。三代先まで呪われるレベルだ」

「これ以上ないってくらい理不尽ですねー」

「空腹時のあれとは目もあわせちゃ駄目だ。絡まれたらそこで人生終了ってこった」


 まさに天災。 


「竜さん、恐るべし……」


 スラ子がしみじみと感想を述べた。

 俺は、ふとこちらを見る視線に気づいて、


「どうした? カーラ」

「いえ。マスターは、竜とお知り合いなんですか?」


 洞窟で過ごすようになってから、だいぶ態度もくだけてきたカーラだが、俺にはやはり丁寧な口調のままだ。尊敬の眼差しに気をよくして、


「ああ、まあ。そんな感じ――」

「マスターは山頂にいらっしゃる竜さんの舎弟なんです」 


 わざとあいまいに答えようとしたのに、すかさずスラ子にばらされてしまった。


「おい、スラ子」

「違いましたっけ?」

「違いませんでした。……カーラもそのうち会うことにはなると思うから、気をつけてくれ。いや、気をつけてもどうにもならんが、覚悟しておいてくれ」


 もちろん覚悟というのは、理不尽に人生が終了してしまう可能性についてだ。


「はい。でも、竜と知り合って無事だなんて、それだけでも凄いです」


 カーラは素直だなあ。癒されるなあ。


「ということは、今日はお昼まで私たちも外には出られませんね。薬草の採取にと思っていたんですが」


 最近は人間たちが洞窟にやってこないから、俺たちは昼夜問わず洞窟の外に出かけられるようになっていた。もちろん、十分に出入りに気をつけてはいたが。


「それが賢明だな。いまのストロフライに会ったら、相手が俺たちだろうと関係ない。わかってる危険ははじめっから回避しておこう」

「了解です。では、お出かけは昼からにしましょうっ」


 スラ子が元気よく話をまとめて、朝食がはじまった。


  ◇


 昼ごろになって、予想したとおりに山鳴りの音が途絶えた。

 空腹の竜が哀れな獲物を求めて飛び去り、俺たちは外に出る準備を始めて、だが外に出る前に反応石の合図が俺たちに来客の存在を知らせた。


 冒険者ではない。

 反応石から送られてきたサインは符丁になっていて、偶然にそれが送られてくることはありえなかった。


 そしてその合図は、この洞窟奥の存在を知るルクレティアからのものでもなかった。

 すぐに相手が誰か検討がついて、俺は舌打ちする。


 スラ子を振り返って、


「スラ子。客だ。俺が相手をするから、お前は奥にさがっていろ」

「どなたですか? はじめてなら、私もご挨拶を――」

「駄目だ」


 きっぱりと告げた。


「お前は出てくるな。これは命令だ」


 いつもは使わないような厳しい口調に、スラ子ばかりやシィやカーラまで驚いて俺のほうを見つめている。


「……わかりました」


 俺の態度から普通でないことをを察したスラ子がうなずいた。


「あとで、教えてくださいますか?」

「ああ。理由はあとで話す。すまんが、たのむ」

「はい」


 スラ子はにこりとして、


「シィ、カーラさん。よろしくお願いしますね」

「わかりました」


 二人の返事を聞いたスラ子が別室にさがるのを待って、俺はもの問いたげな視線を向けてくるシィとカーラを連れて隠し扉を出た。


 二人への説明もあとだ。

 うっかりしていた。そろそろそういう時期とはいえ、こんなに急とは思わなかった。


 灯りのない洞窟内。

 耳をすませば地下水のせせらぎと、天井から落ちる水滴の音まで聞こえてきそうな沈黙のあと、やがて暗闇から浮かび上がるようにあらわれたのは黒に溶け込む雰囲気をした妙齢の女性。


「こんにちは。お出迎えありがとうございます」


 獲物を捕らえて逃さない鋭い眼差しを社交的にやわらげ、スラ子とは違う意味の妖艶さを身にまとったその相手は、下半身が蛇の姿をしている。


「定期査察にうかがいました」


 アカデミーの使いである有鱗尾族の女性が、そういって事務的な表情で微笑んだ。



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