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十二話 重い思いにおもねる思惑

 スラ子から連絡が来たのはちょうど九日目。

 水からはじまり月におわる曜日が一巡りした昼前に届けられた。


 仲介して届けられた手紙を持ってきたカーラが、複雑そうな表情を浮かべている。

 魔物になることになったカーラだが、今も町にある家に住んでいた。調査隊の件があるからすぐに姿を消すのもまずいし、別に洞窟にすまなきゃいけないと決まってるわけでもない。


「どうした?」


 訊ねると、カーラははっきりとした眉を寄せて、


「……最近、町で噂になってます」

「ルクレティアか?」


 こくりとうなずく。


「調査隊で、酷い目にあって……気が触れてしまったんじゃないかって。ずっと家のなかに閉じこもって、外にでたときも人の話を聞いてなかったり、ふらふらしてて。悪い病気なんじゃないかって」

「なるほど」


 さぞ、あの魔性スライムがはりきって虐めているのだろう。

 スラ子のはっちゃけ振りもそうだが、俺は別のことが気になった。


「カーラは? お前はなにかいわれてないか?」


 ルクレティアとカーラは、調査の途中でごろつきどもに襲われた、ということになっている。ルクレティアが奇行を見せるようになったのにカーラだけが普通にしているのはおかしいと思われるかもしれない。


 カーラが苦い笑みを浮かべた。


「図太いんだろうって。魔物の血が流れてるようなやつと、街育ちのお嬢さんじゃショックも違うだろうっていわれてます」

「なんだそりゃ」


 勝手なことをいう町の連中にも腹が立つが、カーラが連中からそういわれるようなきっかけをつくったのは俺たちだ。


「すまん。嫌な気分にさせて」


 カーラはあわてて首を振った。


「平気です。――あの、でもやっぱりボク、こっちに引っ越してきてもいいですか?」

「それはかまわんが……日当たりないぞ? 湿気てるから、洗濯物だって乾かないしな」


 スライムたちには天国だが、人間にとってはいい居住環境とはいえない。


「まあ、変なことを噂されるよりはいいか」

「そうじゃなくて。……ちょっとでも、近くにいたいから」


 ストレートな感情表現には、大胆なスラ子でそれなりに慣れてきているつもりだったが。


 カーラのそれはスラ子とはまたちょっと違う。

 あくまで控えめに、それでいてまっすぐな気持ちをぶつけられて思わず目をそらしかけた。


「いいんじゃないか。ああ、食器とかは余分な数ないからな。ちゃんと持ってきてくれ」  

「はい」

「……じゃあ。いくか。今日でルクレティアの件にけりがつけば、カーラがこっちに引っ越しても変な目で見られないだろ」

「はい。マスター」


 カーラが笑う。

 洞窟の暗がりなんかでみるのはもったいないくらい、魅力的な笑顔だった。



 町長の家に着いた瞬間、


「おお、おおっ。待っておりましたぞ」


 町長に両手を掴まれて、俺は思い切りあとずさった。


「へ?」

「あなた様がうちの孫娘を治していただける薬草をお持ちと聞いて、首を長くしてお待ちしておりました。先日のご無礼はこのとおり。どうか、どうか孫を助けてやってくださいっ」

「は?」


 ほとんど拝み倒される勢いでいわれるが、事情がさっぱりわからない。


「お願いします、あの子はまだ若い。それが、あんな、あんな……。あなたがお持ちという妖精の妙薬で、どうか!」


 床にこすりつけるように頭をさげられて、ああ、とようやく理解が追いつく。

 つまり、俺は病気がうたがわれるルクレティアに、効きのよい薬草を持ってきた人間という役どころらしい。


 それが妖精の薬草。


 俺たちとカーラが試作中の妖精の薬草は完成していない。

 妖精の薬草に気を鎮める効果があるなんて話も初耳だったから、これはただの口実なのだろう。


 町の外にいる俺が妖精の鱗粉を持っていたこと、それで薬草を作ろうとしていたことは道具屋のリリアーヌ婆さんが知っている。

 突然、街の外の人間を呼びつける理由が不自然にならないよう、スラ子がでっちあげたわけだ。


「――最善をつくします」


 となればせいぜい神妙な顔でうなずいておくべきで、それから使用人に連れられて案内される。

 使用人は部屋の前で去った。流行り病を恐れているような態度。


「……どう、ぞ」


 ノックに応えたかすれ声を確認して、部屋のなかへ入る。


「マスターっ」


 いきなり抱きつかれた。


「おい、こら」


 あわててカーラに扉を閉めさせて、胸元にしがみつく半透明の生き物を見る。


「なんだ、どうしたっ」

「一週間も会っていなかったので、不足していたマスター成分を補充しないとピンチですっ」


 ……心配した俺がアホだった。

 無言で人型のスライムを引き剥がして、上から下までたしかめる。


「マスター、視線がエッチぃですよ?」

「黙ってろ」


 スラ子の姿は記憶の限り、以前のものと変わっていなかった。

 まずスラ子が長期間の身体変化で自分を見失っていないことにほっとする。


「無事か?」

「つつがなく」


 スラ子はにっこりと微笑んだ。


 俺はそこでようやくスラ子から視線をはずし、部屋の主の姿をさがした。

 ルクレティアはベッドのうえだった。いかにもふわふわと寝心地のよさそうな寝台に、ぐったりとして倒れている。


「……あれは平気なのか? 生きてるか?」

「はい。たった今まで可愛がっていたばかりなので、少し疲れてるだけです」

「離れてもいいのか」

「ええ。ほとんど魔力は空ですし。それに今、ルクレティアさんは私に逆らえません」


 相手を征服したことを確信している台詞。


「この一週間、ルクレティアさんをずーっと可愛がってあげましたから。もちろん私の分泌液も絶え間なく与え続けて、普通の人ならとっくに壊れてしまってもいいころだと思うんですが……」

「お前の顔を見るに、相当楽しかったみたいだな」


 半眼でいうと、スラ子はふふと唇に手をあてて妖艶に微笑んだ。


「どんなことをしてあげてきたか、聞きたいです?」

「心の底から遠慮する」

「じゃあ、今度、マスターが私を可愛がってくれているときにお話しますね。きっと興奮してもらえると思います」

「いらんといっとろーが。それで?」

「はい。このまま続けていれば近いうちにルクレティアさんの限界はやってくると思うんですが、そのルクレティアさんから提案がありまして」

「提案?」

「――ルクレティアさん、いつまでそうしてるんですか? マスターがやってきてくださったんですよ?」


 スラ子の言葉にぴくりとルクレティアが身体を動かした。

 のろのろと起き上がり、そのまま這いずるようにしてこちらへ向かってくる。


 俺は言葉もなかった。

 四つんばいのままなのは、たんに起き上がる力がないだけかもしれない。

 だが、貴族みたいな立ち振る舞いをしていたあのルクレティアが、まるで犬みたいな格好をしているのを見て驚かないわけがなかった。


 毅然として誇り高かった姿が見る影もない。

 そのルクレティアがふらふらと倒れそうになりながら足元までやってきて、


「貴方に……従います、わ」

「それじゃあ、なんのことだかわかりません。ちゃんと説明してください」 


 スラ子がいう。


「誓約、の……ご主人様に――私、から……」


 意識が混濁しているのか説明がまるで要領をえない。

 スラ子を見ると、ため息をついて説明が補足される。


「ようするに、ルクレティアさんがマスターの使い魔になりたいっていってるんです」


 使い魔?


「使い魔の魔法なんて、俺は使えないぞ」

「使うのはルクレティアさんになります。下の者から上位者に捧げる従属の誓約。契約の決定権は上位者、一度成った契約を破棄するのも上位者になります。自分自身を差し出すわけですね」

「えぐい魔法もあったもんだな」

「貴族さんたちのあいだでは昔から似たようなものがよく知られているらしいです。さすがというかなんというか、ですね」


 魔法使いに使い魔はセットみたいなものだが、相手が人間となると話が違う。

 だが同時にスラ子がいったとおり、いくらでもありそうな話でもあった。他人を無理やりにでも従えたい人間なんていくらでもいる。


「……その魔法が本当に問題ないかわからなくないか? たばかってるだけかもしれん。なにかこっちに不都合があるかもだ」

「はい。なので試してみたんです。ルクレティアさん、見せてくださいますか?」


 スラ子にいわれて、ルクレティアがゆっくりと乱れた服装を持ち上げる。

 突然のことにぎょっとしかけて、その白く濡れた肌の胸元に赤く輝く呪印を見つけた。


「お前、まさか」

「はい。今、ルクレティアさんは私の使い魔さんになっちゃってます」


 あまりにあっさりいわれて、俺は相手を怒る気力も失せた。

 ルクレティアが嘘をいったり、提案そのものが罠だったりしたらどうするんだ。というこちらのいいたいことを視線だけで察したのか、


「それについては、じっくりと身体に聞きましたから。大丈夫です」


 平然といってのける。


「お前なあ」

「もったいないと思ったんです」


 スラ子がいった。


「もったいない?」

「はい。これだけ私から玩ばれて、まだかろうじて正気をたもっていられる強情さにも感心しますけれど。ルクレティアさんの立場は使えます。町の次期有力者。ギルドにも顔が利く。私たちの立場に、とても有用だと思いませんか?」


 それは、たしかに。

 メジハくらいの小さな町の長はギルドの長でもある。俺たちの目標である洞窟の主導権だって、ルクレティアが口利きすれば一発だろう。


「私たちが人間側に持っておきたい内通者、情報提供者。彼女以上の適役はいません」


 スラ子の言い分は理屈がとおっている。

 町のトップを従えてしまうのは、俺たちに求められる最上の戦略だろう。これ以上は戦闘もない。こちらはあくまで裏側で、従えた相手にこちらの都合がいいようにさせればいい。


 だが、


「……怪しいとしか思えないけどな」


 実際に今、こうした自分の足元にはいつくばる姿をみても、俺にはあのルクレティアがそんな無様な選択をするとは思えなかった。

 俺はルクレティアがスラ子に責められているところを見ていない。だからかもしれない。


 どうしても疑念が抜けない。

 だってそうだ。――この女がそんなタマか?


「マスターのお気持ちはわかります」


 スラ子が艶やかに笑う。


「ルクレティアさんにはルクレティアさんの思惑があるんでしょう。このままでは私に、壊されてしまう。自分という存在を殺されてしまう。それならば、従属を。そういう天秤にかけた結果でしかありません。そうですよね、ルクレティアさん?」


 問いかけにルクレティアは答えない。答えるほど余力がないからか、それとも図星だから黙り込んでいるかのようにも見えた。


「誰だって死ぬよりは生きたい。当然かもしれません」

「魔物のしもべになってまで? この女がそんな惨めな立場を許容するのか」


 この女は生粋の人間至上主義者だったはずだ。


「それについては、ルクレティアさんにしかわからない想いでしょう。ですが――」


 スラ子がしなだれかかってくる。


「実際に色々とたしかめました。誓約は絶対です。相手を従えてしまえば、死ねと命じるのも上位者の意思次第。ですからここで死ねということも、王都に帰れと命じることもできます。この人を消すのも、遠ざけるのも、利用するのも。あとはマスターのご意思におまかせします」

「……お前がこのまま主人でいればいいだけじゃないのか?」


 わざわざ俺がルクレティアを従える必要なんてない。

 しかし、それにはスラ子はやわらかい表情のままきっぱりと、


「私にはマスターだけですから。それ以外には誰も、なにもいりません」


 俺はため息をついて、それまで俺とスラ子の話を黙って聞いていたカーラを見る。


「カーラ。なにかあるか?」


 急に話を振られ、カーラは戸惑ったようにこちらを見上げた。


「……ボクは、誰かが死ぬのは嫌かなって」


 カーラらしい台詞だった。

 俺はもう一度、床に這いつくばるルクレティアを見てから。決心した。


「わかった。そうしよう」


 ルクレティアを王都に帰しても、それで町と俺たちの関係がよくなるわけではない。

 洞窟の主導権を奪うためにはこれからもなにか行動を起こさなければならないのだから。そのチャンスが今この場に落ちているというのなら、やるべきだ。


「では、私とルクレティアさんの契約は破棄します。――破棄しました」


 ルクレティアの胸元からあっさり呪印がかき消える。


「さあ、ルクレティアさん。誓約する魔力くらいは戻ってますね? 私のマスターにそれを。なにかおかしな真似をすればどうなるかはわかりますよね」


 笑顔のまま脅迫するスラ子におびえるように、ルクレティアが顔をあげる。

 その眼差しはぼんやりとして焦点があわず、表情はまるでスラ子の言葉に操られているかのように覇気がなかった。


 ルクレティアが震える両腕をあげ、顔の前で雨水をすくうようにあわせて、


「この身を捧げ……忠誠と、従属を……。あなたの命に生き――あなたの命に殉じ、――カーゾ、ース」


 血のように赤い魔力光が、手のひらのうえに凝結する。


「飲ませてあげてください。それで、ルクレティアさんはマスターのものです」


 一摘まみしたそれを口元に運ぶと、ルクレティアは命の種であるように嚥下して。


「――よろしく、お願いします……わ」


 壮絶な笑みで俺を見上げ、気をうしなった。

 地に倒れたその胸元にはっきりと赤い呪印が浮かび上がる。


「マスター。おめでとうございます」


 スラ子は嬉しそうだったが、俺はしかめっつらになる自分に気づいていた。


 気絶する直前にルクレティアが浮かべた表情。

 床に這いつくばり、貧者のように見上げながらの視線にははっきりとした意思の輝きがあって、なんとも嫌な予感がしていた。


  ◇


 俺が感じた嫌な予感の正体が判明したのは次の日のことになる。

 スラ子の責め苦から解放され、一日で多少でも体調が回復したらしいルクレティアがあらためて洞窟にやってきて、


「あらためてご挨拶にまいりました」


 はじめて会ったときと変わらない傲然と見下した態度でそういった。


「ルクレティア・イミテーゼル。貴方の命に生き、貴方の命に従うしもべですわ」


 相手への従属を宣言して、なに一つ恥じることはないと、まっすぐにこちらを睨みつけるようにしながら吐き捨てる。


 俺は無言のまま、となりでにこにこと笑顔のスラ子を見た。


「……なあ、スラ子」

「はい、マスター」

「使い魔っていったら、あれだよな。従順で。謙虚で」

「そうですね」


 ちらりと視線を戻して、そこに主人然として立つ金髪の令嬢を見て、


「ものすごく違和感をおぼえるんだが、俺だけか?」 

「忠実なしもべが挨拶をしたというのに、お返事もいただけないのでしょうか。私は貴方様に使える身、非礼をとがめる立場にはおりませんが、それでは他者を従えるお方がとる態度としていかがなものでしょう」

「おい。おい、なんかいきなり説教されてるぞ?」

「斬新な使い魔さんですねー」


 斬新の一言ですますつもりか。


「あー。えーと、ルクレティア?」


 とりあえず、気を取り直して声をかけてみる。


「はい。ご主人様」

「その、もう大丈夫なのか?」

「質問は明快にしていただけませんでしょうか、ご主人様。あいまいな質問ですとお答えするのが大変な量になってしまい、ご主人様の貴重なお時間をわずらわせてしまうことになりかねません」

「もうあなたの身体の具合はケッコウナンデスカ」

「おかげさまでもちまして。しばらく奥からの疲労は抜けきらないかと思いますが、日常生活程度なら差しさわりありませんわ」

「そりゃあようゴザイマシタ」

「ありがとうございます。ところでご主人様、一介のしもべに向かってそのようなへりくだった言い方をなさる必要はございません。むしろ示しがつきません。どうぞもっと尊大に、馬鹿っぽくお話しください」

「……おい。今、馬鹿っていったぞ。どうなってる」

「気のせいじゃないですか?」


 スラ子はにこにこと笑顔のまま。


「気のせい。そうか、そうだな。――ええと、ルクレティア」

「なんでしょう、お馬鹿様」

「はっきりいってんじゃねえか!」


 大声に、ルクレティアは冷めた視線で、


「今のはご主人様の前振りにのっかってさしあげただけですわ」

「そんな気遣いいるか!」

「それは失礼いたしました。以後注意いたします」


 まったく悪びれもしない態度。俺は主人よりよっぽど上質な服装を着た使い魔を睨みつけて、


「なにを企んでる」

「企む?」


 怜悧な表情をひらめかせて、ルクレティアが答えた。

 服をたくしあげ、豊満な胸元に輝く赤い呪印を見せつけるようにしながら、


「とんでもありません。私は貴方の忠実なしもべです。この場で床を舐めろといわれようが、股をひらけといわれようがすべて従いますわ」


 挑発的な眼差しが俺を見る。


「ですが、私が貴方の使い魔ということは。貴方は私の主ということです」

「……そりゃそうだろ」

「はい。私は貴方のもの。ということは、貴方は私のもの」

「待て。ちょっと待て」


 言葉をさえぎって、再びとなりのスラ子を見る。


「なんかあいつ、変なこといってないか? なんかごく自然にものすごく理不尽じゃなかったか?」


 うーん、とこれにはさすがのスラ子も首をかしげて、


「斬新な解釈といえないこともないですが……面白そうなのでいいんじゃないでしょうか」

「おい面白そうとかなにぶっちゃけてんだお前は」


 ひそひそと言葉をかわす俺たちに冷たい眼差しをくれたまま、


「――ご主人様、ひとつよろしいでしょうか」


 ルクレティアがいう。


「なんだ」

「私は貴方の忠実なしもべです。貴方様がこの洞窟に人間がはいりこむことを快く思われていないことは、そちらのスラ子さんから聞かされておりますわ」

「それで?」

「はい。そちらについては私におまかせください。祖父にかけあい、方針としてすぐに周知徹底いたしますわ。ルーキーの鍛錬そのものを中止させることは、さすがに町の自衛の問題から難しくありますが」

「そりゃありがたいが、そんなことをしていったいお前になんの得がある」

「得などと。私は忠実なしもべなのですよ、ご主人様」


 その一言がすべての行為を許される魔法の言葉であるように、鋭い表情のままルクレティアはくりかえした。


「貴方様がご自由にこのあたりで過ごすことのできるよう、私は私の立場と能力をすべて使ってあの町を掌握いたします。それがご主人様のためになると信じておりますので」


 ルクレティアの意図を悟り、俺は目を細める。


「なにがいいたいんだ?」

「私のようなしもべの立場から、ご主人様に強制するようなことはございません。ただし、もし『そう』していただけるのなら。きっと貴方様にとってよい状態を整えるお手伝いができると思います」


 俺は呆れかえって声もなかった。

 この女は、つまり、自分があの町で権力を握る手助けをしろといってきていた。


 現状、ルクレティアの町での立場は微妙だ。

 調査隊に失敗し、そのあと気が触れたような状態になったことは町中に知られている。

 凶状持ちの権力者など誰がトップに据えたがる。このままではルクレティアは早々に婿を決められ、家庭に閉じ込められるかもしれない。


 それが許せないのだ。この女は。

 だから魔物たちに屈服して、なおその魔物の力を利用しようとしている。


 どこが従属だ。従順だ。

 まぎれもない服従の証を燦々と胸元に輝かせながら、ルクレティアはなにひとつ自分を見失ってなんかいなかった。


 簡単に堕ちる人間とは思っていなかったが。

 転んでもただでは起きないどころじゃない。


「……あの冒険者たちはどうする? お前が連れてきた四人だ」


 ルクレティアの真意を確かめるつもりで訊くと、


「お許しいただけるなら、私が連れ帰ってギルドに引渡して裁かせます。軽くてもこの町からは追放ということに。それか、この場ですぐにでも始末されるべきだと思いますわ」


 平然と答えるのに渋面になってしまう。


「魔物だけじゃなくて、人間にも厳しいんだな」

「当たり前ですわ」


 答える態度にまったくかけらもブレを見せず、魔物に従属した令嬢はいった。


「魔物だろうが人間だろうが関係ありません。私は私が大事なのです。それ以外はなんであろうと知ったことではありません」


 その台詞に、俺はようやく目の前にいる人間の本質を理解した。


 人間至上主義なんかではない。

 ルクレティア・イミテーゼルは、ほとんど究極といっていい自己中心主義者だった。


 そのあたりの魔物よりよほど魔物らしい。

 自分がいくらなろうとしたってなれない、ある意味でまっすぐな生き方に、俺はただただ息を吐いて、


「――わかった。とりあえず、町のことは任す。ひとまず今日は連中を連れて帰ってくれ。また連絡をいれる」

「かしこまりました、ご主人様。それでは本日は失礼いたしますわ」


 完璧な礼儀作法にのっとって頭をさげ、退室する。

 ルクレティアが部屋を出る直前、扉の近くに待機していたカーラとルクレティアの目線があった。


「――――」


 両者のあいだに流れる冷ややかな空気。

 互いになにもいわず、視線がそらされる。


「カーラ。シィと一緒に、ルクレティアが冒険者たちを連れて帰る手伝いをしてきてくれないか」

「……はい」


 複雑そうな心境を表情にうなずいて、カーラとシィが部屋をでていく。

 それを見送って、俺は深いため息をはいた。


「ふふー」


 二人きりになったとたん、スラ子が抱きついてくる。


「なんだかすごいことになっちゃいましたねっ」

「なにがだ。なんだあの修羅場感。生きた心地がしないんだが」

「カーラさんもルクレティアさんもまだ慣れてませんから。そのうち仲良くなる機会だってありますよ」


 本当にそうならいいんだけどな。

 女性特有の言語下のせめぎあいというものは、寿命が縮むようでものすごく身体に悪い。


 それに、


「ルクレティア、あれは従属なんて目じゃなかったぞ」 

「そうですね」


 表情を怪しく細めて、スラ子が揺れる。


「あの人はきっと、マスターを虜にする自信があるんだと思います」

「虜? 俺をか?」

「はい。ルクレティアさんの胸にはマスターへの隷属の証があります。それを外せるのはマスターだけ。別に外さなくとも、マスターがあの人に心を奪われてしまえば、あの人の思い通りにマスターに命令をださせることだってできますよね?」


 なにそれ怖い。


 ふふ、とスラ子は楽しげに頭を揺らし、


「それだけの自負があるんでしょうね。マスターを虜にする容姿、能力に手練手管。ふふ、本当にすごい人だと思います」


 そうしたルクレティアの考えを読んで余裕でいるスラ子の態度が不思議で、


「お前はいいのか? 俺があの女の虜になるかもしれないってのに」


 俺は訊ねた。

 虜云々はともかく、俺なんてあの欲望に正直な女にすぐ取り込まれてしまうかもしれない。


 スラ子は妖艶に笑って、


「いったじゃないですか。私にはマスターだけです。マスターが私のマスターである限り、他がどうなってもゼンゼンかまいません。ルクレティアさんのおかげで、洞窟のことも町のことも落ち着きますし。――でも」

「でも?」

「マスターが私のマスターでなくなったら。そのときは、どうなるかちょっと自分でもわかりません。ふふ、泣いちゃうかもしれません」


 冗談めかしていったその言葉がもっと深い意味を持っていることに、気づいた。


 願い、あるいは脅迫。

 ――私のマスターでいてください。


 その言葉の意味が俺には掴みきれない。

 いったいそれは、変われといっているのか。それとも変わるなといっているのか。

 いや、その答えをスラ子自身わかっているのかどうか。


 不定形の眼差しが、揺れるようにこちらを見つめている。


 俺の在り方がスラ子のすべてを決める。

 その事実をあらためて、苦々しく心にきざみつけながら、目を閉じる。


「……俺はお前のマスターだ。情けなくて、弱っちい。それは変わらないだろ」

「でしたら、私はあなたのスレイブです。永遠に、心から。お仕えします――私のマスター」


 やわらかくてあたたかな感触が、触れた。



                                                 1章 おわり

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