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二話 今日の夕食と彼女の捕食

 湖からすぐのところにある我が家は、とても湿気が強い。


 洞窟は入り口から少しずつ下った斜面が続いて、右に左に、ぐにゃぐにゃとなかで曲がりくねっている。

 なかの高低差はたいしたことはない。

 行き止まりがそれなりにあるけれど、はっきりとした通路はわかりやすいから、よほど捻くれた感性の持ち主でもないかぎり迷ったりすることも少ない。


 洞窟のあちこちには魔力の吹き溜まり、魔物の発生源となる場所がいくつかあって、けれど規模も濃度も大したことはない。中級以上の魔物が自然に生まれることなんてほとんどありえない――だからこその、『初心者向け』というわけだ。

 山のなかを流れる地下水なんかが漏れているところもあって、壁一面にはびっしりと苔が生えている。暗くてジメジメした環境は、まさにスライムの生息に適していた。


 自然界には植物連鎖というものがある。

 そして、それはもちろん、魔物にも適用される。


 スライムが多く発生する場所には、上手く出来たものでその天敵と呼べる生物も集まり、そういうふうにして魔物の数やバランスはあんがい一定に保たれている。

 逆にいえば、そのために、管理者というものが必要になってくることだってある。


 俺は魔物アカデミーから派遣されてここのダンジョンを預かっている。その仕事は、魔物の管理や魔物の発生源――魔渦の管理だ。


 もっとも、人間から看板まで立てられてしまうようなこんな場所だ。

 誰からも注目もされなければ、なにかとんでもない重要な秘密が隠されてたりするわけでもない。


 将来性のない落ちこぼれに与えられた、場末のダンジョン。まさにそれだ。


 だけど。

 だからこそ、俺は今日まで生き延びてこられた。


 ろくなお宝もなければ貴重な鉱石や薬草も見つからない。せいぜいスライム程度の魔物しか沸かないダンジョンには、腕のある冒険者なんかはやってこない。

 初心者ってのが不慣れなのは戦闘だけじゃなくて、洞窟の探索そのものがまず甘い。


 隠し通路や、その他の痕跡。

 きっと目ざとい人間になら見つけられてしまっていただろう。

 そして、あっけなくやられていたに違いない。


 自慢じゃないが、俺の戦闘能力はまったくたいしたことはない。頭脳労働派なのだ、俺は。その頭脳も、アカデミーではほとんど輝くことはなかったわけだが。


 ……やばい、なんだか涙がでてきた。


 とにかく。我が物顔で我が家を探索する人間どもに、涙をこらえながらこっそり隠れて過ごすような屈辱的な真似も昨日までだ。


 そう、今日から俺は生まれ変わる。

 有象無象の人間どもをなぎ倒し、並み居るエリート魔物たちを出し抜いて、いつかこの俺が全ての魔物の頂点に立つ日が――!


 手にもったはたきをぐっと突き出して、なんだか急に虚しくなって手をおろした。

 ぱたぱたと壁を叩きながら、ダンジョンを掃除する意味について考える。


 ダンジョンなんて汚れてなんぼ、怖くてなんぼじゃないかと思うのだが、それをいったらまたアイアンクローをされそうなのでなにもいえない。

 そっと様子をうかがってみると、主人の机に座ったスラ子が黙々と作業に集中していた。


 ダンジョンにあるものを調べ、見取り図をつくって、適当に投げ置いたりしてあったものをまとめて数をかぞえて、在庫を整理したそれらをすべて家計簿にまとめる。

 びっくりするくらい、スラ子は優秀だった。


 製作者としては、それを素直に喜ぶべきかもしれない。

 けれど、それまで好き勝手にやってきた自分だけの“城”をあれこれいじられるのはあんまりいい気分じゃなかったし、スラ子がなんでも一人でこなしていくのを見ていると、なにもしてないこっちはなんだかいたたまれなくなってしまう。


 それに、五年もの年月をかけて優秀なメイド魔物をつくったつもりなんかはなかった。俺が求めたのはもっとちがうもので――だから、心情としては複雑だった。


 なんだろうなあ。なんか、どっかで処方が違ってたのかなあ。

 と、そんなことを考えていると、


「――よし、と」


 色っぽい声を漏らしたスラ子が顔をあげた。目があう。にっこりと微笑まれた。


「マスター、一応、全て終わりました」

「あ、うん。お疲れさん」

「マスターも、お掃除お疲れ様です。あ、すぐにご飯の支度します。休んでてくださいね」


 ぺたぺたと小走りに台所に向かっていく。

 そんな女性形スライムの後ろ姿を黙って見送って、


「可愛いなあ」


 なんて頬を緩めてしまう俺は、やっぱり場末のダンジョンに似合いのダメなやつかもしれない。


  ◇


 スラ子の用意してくれた夕食をたべながら、これからのことについて話した。


「あちこちにあった薬草なんかをまとめたら、けっこう使えそうなのもありましたから、まずはそれの処置からやってしまったほうがいいかなと。マスターが研究に使う分は残して、あとはお金にしてしまいませんか?」

「それはいいが、多分そんなに量はできないぞ。薬草とかも、あんまり高くは買い取ってもらえないんだ。町のアイテム屋、こっちが立場弱いと思って足元みやがる……」


 性根の悪さが顔にでた人間のことを思い出すと、なだめるようにスラ子がいった。


「まあまあ、材料はまた集めることもできますから。とりあえず、少しでもお金があったほうがなにかあったときのためにいいと思います。来週支払わなきゃいけない竜族へのみかじめは、人間のお金でいいんですか?」

「あいつらは光ってるものがお好みなんだ。一回、ガラス玉を大量に渡してやったら焼き殺されかけた」

「無駄にチャレンジャーですね」

「ほっとけ。だから、別に人間の金じゃなくてもいい。金塊なんかがどこかに落ちてたらの話だけどな」

「この洞窟に、金の鉱脈とかがあればよかったんですが」

「そんなものあったら人間が黙ってないし、竜族が住まわせてくれるわけがない」

「そうですよね……」

「それとも、前の身体のときに、なにか見つけたとか?」


 まさかと思いながらちょっとした期待で訊ねると、スラ子は首をふった。


「この身体になる前のことは、あんまり記憶がないんです。というより、思考が定まらないというか、自分でもよくわからない感じで。けれど、そういう鉱脈を見かけたことはないと思います」


 まあ、そうだろう。そんな都合のいい話があったら苦労はしない。


「とりあえず、準備をしましょう。今の状態で人間にケンカをうってしまうと後がこわいです」

「相手を選べばなんとかなるんじゃないか? たまになら、二人組なんてふざけた連中がやって来ることもある。さすがにソロってことはほとんどないが」


 初心者二人くらいなら、なんとかならない相手じゃない。

 俺とスラ子、そしてあんまり気がすすまないけれどスライムの何匹かをつかえば、十分に撃退することは可能だろう。


 しかし、スラ子は難しそうな顔で、


「マスター。人間の一番やっかいなところは、なんでしょう」


 なんてことを訊いてきた。


「なんだそりゃ」

「私は、数、だと思います。群体としての行動をとって、なおかつ自侭に生き、そのうえで互いに殺しあってまでみせる生き物。彼らは敵を見つけたら、容赦しない。倒しても倒しても沸いてくる。一人をたおせば二人。二人をたおせば四人。そうなってしまったら、もうどうしようもありません」


 スラ子は真剣な表情だった。


「……人間どもに認識されたらおしまい、か」

「少なくとも、ジリ貧になってしまうことを承知で、それに対する方策をとれる状況になるまでは。正面から彼らに戦いを挑むべきではないと思います。それまでは慎重に、彼らの隙をうかがうべきかと――」


 黙りこんだこちらに気づいたスラ子が眉をよせた。


「……すみません、マスター。今まで耐えてきたマスターに、まだ耐えろなんてそんなこと」

「ああ、違う違う。怒ったわけじゃない」


 むしろ逆だ。

 嬉しいというか、感動というか、とにかくそんな気分で俺はスラ子に笑いかけた。


「すごいなあと思って。つくられて初日で、そんなことまで普通に考えてくれてるから。それで驚いただけだ」

「なにをいってるんですか。私に思いつくことなら、マスターにだって考えつくことです」

「なんだ、それ。嫌味か?」

「ちがいます」


 スラ子はちょっと怒った口調でいった。


「マスター。私をつくったのはマスターです。私は、マスターなんです。私ができること、考えることは全部、マスターならできることなんです」


 真摯な眼差し。

 どうしてそんな目で見られるのかわからなくて、困惑した。


「いや、うん。ありがとな」


 スラ子は、もう、と小さく息を吐いた。ふと思い出したようにまつげをしばたかせて、


「そういえば、マスター」 

「ん?」

「料理をつくってるときに気づいたんですが。私の身体って、どのくらい自由に変化させられるんでしょう」


 スラ子のもちあげた右手、半透明な水でできたそれが、ゆらりと形をかえる。一本の剣のように、そして鞭のようにしなって、また腕にもどった。


 ああ。そういえば、そのことを話してなかった。


「理屈でいうなら、いくらでも。スラ子。お前の形は、お前が決めるんだ」

「私が?」


 大きな瞳をぱちくりとさせる相手にうなずいて、


「スライムってのは不定形性状だ。つまり、決まった形がない。お前は俺の浮かべたイメージと、そそがれた魔力がその基本容姿をつくってる。そして、それを保っているのは、魔力信号で擬似的につくられたお前自身の意思だ」 


 擬似的、とはいってもそれはきっかけになっただけで、今のスラ子の意思はまぎれもなく本物だ。


 ようするに俺が五年間もひきこもって心血を注ぎ込んできたことは、魔力を転換させて意識を生じさせるという、たったそれだけに尽きるのだから。


「お前がお前自身を認識できる限り、いくらでも全身を変化させることはできるはずだ」


 続ける前に、ぺろりと唇をなめる。


「――逆にいえば。お前がお前自身を見失ってしまえば。お前は自分を保てなくなる。お前は、お前が思うことで成り立つ存在なんだ」


 スラ子はじっと黙って話を聞いている。


「だから、慣れるまでは変化は一部分に留めておけ。少しずつ身体を馴らしていかないと。お前は今日、生まれたばっかりなんだからな。ああ、それと燃費のことも話しておかないと」

「燃費、ですか?」

「そうだ。基本容姿のままで動くだけなら問題ない。ただ、お前が姿を変化させるのには、お前に内包された魔力を使うから、その魔力がなくなってしまったら――」


 わざわざ言うまでもない。スラ子は小さくうなずいた。


「魔力の補充には。今こうやって食べている食事では、」 


 うなずく。


「当然、間に合わない」


 魔力というのは、この世界の全てに含まれている。

 ただし、肉や野菜、その他の物質にとらわれているものから魔力を抽出するのには、ひどく手間がかかる。もっと厳密にいえば、ろ過効率が悪い。


「お前の生まれた魔方陣に、俺から魔力を注ぐ。一日に一回もすれば、十分な分の魔力は供給できるはずだ。もちろん、無茶な変化をしなければだけどな」


 最後は軽口にして笑いかけたが、スラ子は神妙な顔つきのままだった。


 少し脅かしすぎたかもしれない。一日や二日で魔力が切れることなんてないんだから、安心させてやろうと口をひらきかけて、


「マスター」

「ん?」


 スラ子が、こちらを見つめている。


「魔力を、私が自分から手に入れることはできますか?」


 どう答えようか一瞬迷ってから、正直に教えることにした。


「食べればいい」


 単語の意味を正確に理解したのだろう。スラ子は表情を変えなかった。


「人間一人を丸ごと消化すれば、肉体からの非効率な吸収でもやった分くらいの魔力は入る。まあ、かなりもったいないけどな。もっと効率よく奪うなら、」

「――精気」


 スラ子がいった。俺は肩をすくめた。


「そういうことだ。ただ、別に無理してそんなことをやる必要はないぞ。確かに、毎日一定量の魔力をとられるっていうのはネックだけど、そのうちなにか方法を考えて――」


 言葉がとまった。


 スラ子がこっちを見ていた。

 水の彫像というべきその端正な容姿が、表情をなにか一つの感情にさだめて動かない。


 なんだか、ものすごく、とてつもなくいやな予感がした。


「……おい、スラ子?」

「マスター」


 妖艶なささやき。

 それを聞いてしまった時点で、手遅れだった。


 ――動けない。


 魅了。金縛り。なんでもいい。

 それは、全ての男を凍らせる声で。


「マスター、お願いが……あるんですけれど」


 熱に濡れたような。

 激情に凍えたような。

 そんなぞっとするような蠱惑的な声が、


「――練習、してもいいですか?」


 待て、と悲鳴をあげることもできなかった。


 腕が伸びる。ひきこまれる。

 やわらかい感触。

 甘い香り。

 頭の芯までしびれる、麻薬じみた快感が脳髄をかけあがる。あまりの気持ちよさに、指先から脊髄までがふるえた。


 その反射的な肉体の痙攣を反動に、身体を離した。息をあえぐ。


「マスター……」


 目の前には、いつも以上に瞳をうるわせたスラ子がしなだれかかっている。

 その流した眼差しに見られるだけで、呼吸がとまる。身体がかたまる。


 捕食者があえていたぶるように、ゆっくりと半透明の身体が揺れた。


 全身がほのかに染まっている。

 それは、スラ子自身の昂りをしめしているようで――


 最後の瞬間。

 口だけが自由になる。



「いやあああああああ、おかされるうううううううううう!」



 絶叫は、場末のダンジョンに虚しく響き渡っただけだった。


  ◇


 雨。

 こころに雨が降っている。

 いつ止むともしれない音が、じんわりにじんでる。

 雨。

 おそらに雨が降っている。

 いったいあそこでは、誰がないてるんだろう。

 雨――



「一人でポエミィに浸ってないでください」


 情緒をぶちこわす声が響いた。


 振り返ると、そこにはやけに血色のいい半透明不定形美人。

 にこにこと機嫌のよさそうな相手をにらみつけて、せいいっぱいの震え声をたたきつける。


「この、人でなし!」

「スライムです」

「知ってるよ! ヘンタイ! 痴女! はッ――」


 喉がひきつる。非道な相手を弾劾する声は、涙といっしょになって出た。


「はじめてだったのにぃ……!」


 こともあろうに主人に襲いかかって精気をしぼりとりやがった人型スライムは、晴れやかな表情で微笑んだ。


「ちゃんと、優しくしてあげたじゃないですか」

「なにが! あ、あんな身動きとれない格好で……!」


 思い出しただけで赤面してしまう。


「だいたい、なんでお前があんな……! あんなこと、お前に知識として与えたつもりはないぞっ!?」


 スラ子は、んーと、小首をひねって、


「それはやはり、マスターの隠された性的嗜好が関係しているのではないかと……」

「やめて! これ以上ぼくの心を汚さないで!」


 耳をふさぐ。

 さっき体験したあの悪夢のようなプレイこそが、自分の隠された望みだなんて思いたくなかった。


「俺はもっと……! プラトニックで、センシティブな……! そんな、そんな初めてを……! 初めてって、そんなふうに美しいもののはずだって、ずっと信じてたのに……!」

「いまどき珍しいくらいにピュアですねー」


 さめざめと泣き続ける。

 いつまでも泣き止まないでいると、スラ子もさすがにしゅんとした顔になった。


「……すみません。マスター」


 目の前に立って、頭をさげてくる。


「申し訳ありませんでした。もうあんなこと、二度としません」


 そのまま、深く頭をさげて動かない。

 そんなふうな態度をとられると、これ以上ぎゃーぎゃーいってるほうが悪いみたいになってくる。


 顔をおおった手のひらのすきまから様子をうかがい、半分くらい本気だった嘘泣きをやめて、息をはいた。


「……もうしないな」

「はい」

「約束だぞ。絶対だぞ。フリじゃないからな、ほんとだぞ」

「はい。次からは、ちゃんとマスター以外の男の人に協力をお願いします」

「うん。それならいい――って、いいわけあるかぁ!」


 手のひらの甲が、ぺしんと水面を叩いた。


「さすがマスター。今のがノリツッコミというやつですねっ」

「うるさい、やらせんな! そんなことどうでもいい! なんだ、次からはって!」


 怒鳴りあげると、スラ子が困惑したように眉をひそめる。


「ですから、次回以降の魔力補給に」

「なんで精気吸収一択みたいになってんだよ! そんなに誰かを襲いたいのか!? ヘンタイか! 魔方陣から魔力を渡せるって俺、さっき説明しただろ!」

「それは聞きましたけれど――」


 スラ子は真面目な顔でこちらを見据えて、


「マスターの魔力が常時、一定量うしなわれてしまうというのは、よくないんじゃないかと思います。戦闘がいつあるかわかりませんし、研究なども滞ってしまいます。魔力補充には、それ以外の方法をとるべきではないかと」

「疲れないようにって気遣いでミイラにされたら、どのみち一緒じゃないか!」

「ですから、他の誰かに、と」


 淡々というスラ子をにらみつけながら、想像してみる。

 スラ子が、別の誰かに――なんかこう、そういうあれをしてたりされてたり。


 ……。


 さらにイマジン。


 ふーん。

 ああ、あんなところまで。


 っほー。

 け、けっこうやるねえ。


 ……うわぁ。


 ………………。


「ふーざーけーんーなー!」


 エアちゃぶ台返し。

 さすがにびっくりしたらしいスラ子が目をみひらいた。


「マスター?」

「そんなんダメに決まってるだろうが! 禁止だ、禁止! どこの馬の骨ともしれん野郎となんて、ありえん! 絶対だめ!」

「では、私の魔力の供給はいかがしましょう」


 むうと考え込む。

 でも、実際には考えるふりをしただけだった。なぜなら、答えはでてるようなものだ。


 ちらりとスラ子をみると、上目遣い。


 それは、絶対に、わかってる目だった。

 むしろそういうふうに誘導したとしか思えない表情だ。


 背筋に寒いものを感じた。


 なんなんだ、このスライム。

 小悪魔、いやそれどころじゃない。悪魔だ。生まれたての初日でこの手管、本気で末恐ろしすぎる。


「……たまになら、いいぞ」

「ありがとうございます!」


 ぱあっと顔をかがやかせて、スラ子が抱きついてきた。

 その柔らかさとあったかさと、透明感のある匂いがさっきまでのことを鮮烈におもいおこさせて、思わず身体をひきはがした。


「たまにだからな! 毎日じゃないからな!」

「……わかりました」


 念を押すと、スラ子が残念そうにしょんぼりと肩をおとす。

 水に濡れたような横顔が憂いていて、どんな冷血漢だろうと思わず同情してしまうような絵だが、ここで情に流されたりなんかしたら、俺が死ぬ。具体的にはひからびて死ぬ。


 腹上死は男の夢とは言うが、こんな若さでまだ死にたくはなかった。俺は老後、猫を飼って孫の顔を見てから死ぬと予定を決めてあるのだ。


「それと、なにか他の魔力供給の手段が見つかるまでだ。いいな」

「わかりました」


 それまでさんざんひっかきまわしてくれておいて、最後はやけに素直だから、なにか企んでるんじゃないかって気になって相手をのぞきこむと、スラ子は貞淑な娼婦そのものといった表情で微笑して、


「さっきのマスターの表情で満たされました。それだけで我慢できます。いくらでも」


 そんな台詞を言われてしまったら、もうぐうの音もでない。


 まっすぐな相手の視線から逃げるようにそっぽを向きながら、ふと思った。


 俺はもしかしたら、スライムに知性を与えることに成功したのではなくて。

 ただ、とんでもない悪魔を召喚しただけにすぎないんじゃないだろうか――なんて。そんな疑問が、半ば本気で頭のなかにうかんでいた。



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