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十一話 天然魔性鬼畜スラ子

 悲鳴もあげずにルクレティアが倒れ、そこにスラ子が覆いかぶさり。

 すぐにスラ子が起き上がる。


 ルクレティアは――起き上がらない。頭でもぶつけて気絶したのだろう。


「やったか――」


 自分の置かれた状況も忘れてほっとしたのが間抜けだった。

 俺の気の緩みを逃さず、カーラが暴れて腕の拘束が外れる。やばい、と思ったときにはすでに遅く、


「痛てててって!」


 カーラに右腕に噛みつかれていた。

 肉食獣の鋭い歯列ではないが、骨ごと噛み砕こうとする全力に激痛が走る。


「マスター!」


 スラ子の悲鳴。

 俺は一瞬、反射的に腕をひこうとして、


「くそ!」


 逆に思いっきり腕を押しこんでカーラを地面へ叩きつける。

 なぜかカーラは踏みとどまろうとせず、されるがままに転がられて、そこで気づいた。


「ううう……っ」


 咆哮が、いつのまにか嗚咽に変わっている。

 さきほどまで血に酔っていた大きな瞳に涙が浮かんでいた。


「ううううううう!」


 ぼろぼろと大粒の涙をこぼして、悲鳴にも似た唸り声。


「……カーラ?」


 噛みつかれた腕にもう痛みはない。あまりに痛すぎて痛覚が麻痺したのかと思ったが、そうではなかった。

 俺の非力な腕にすがりついて、カーラは泣いていた。


「ううっ!」

「意識、戻ってるか?」

「うううぅ! ううううう!」


 返事なのか唸っているだけなのか判断がむずかしすぎる。

 顔を覗き込むと、カーラは逃れるように俺の腕を持ち上げて目線を隠し、


「……ごめん、なさいっ」


 獣じみた嗚咽にまぜて、かぼそい声でいった。


「ボク、こんなつもりじゃ――」


 あとは言葉にならず、ただ号泣だった。

 困惑する俺に近づいてきたスラ子が、カーラに向かっておだやかに告げる。


「確認してきました。皆さん、息はありますよ。……ちょっと大怪我の人もいますが」 


 俺はほっとした。

 とりあえず死者はなし。町との摩擦を最低限にする芽は残った。それに、カーラのせいで死人がでなかったことも。


「らしいぞ。よかったな、カーラ」


 声をかけると、カーラは大きく頭を振って、


「ごめんなさい……っ」


 なんについての謝罪なのかわからずに俺はスラ子を見あげた。

 俺を見おろしたスラ子が、やれやれと大きなため息をつく。


「カーラさん、私たちのために調査隊についてきてくれたんですよね。うまく誤魔化せるかもって。隠し扉のことがバレないように」


 よしよしとスラ子が頭を撫でると、カーラの泣き声がいっそう大きくなる。


「そうなのか?」


 カーラに聞いてみるが、返事はない。

 かわってスラ子が断言した。


「そうなんですっ」

「よくわかるな。お前」

「よくわかりませんね、マスターは」


 なぜか俺が怒られている雰囲気だった。


「そか。ありがとう。カーラ」


 泣き声が大きくなった。

 ほとんど子どもが大泣きするような声量に、俺はどうしていいかわからずにスラ子に助けを求めるが、


「知りません。今度はマスターの番ですよっ」


 なぜかスラ子は怒った口調で、向こうで冒険者たちの手足を束縛しているシィの手伝いに歩いていく。


 取り残された俺は今さらカーラにのしかかっている状態でいることに気づいて、とりあえず身体を起こそうとしたのだが、がっしり腕を掴まれて身動き取れなかった。


「まあ、あれだ。とりあえず無事でよかった」


 返事なし。

 カーラはただただ大声で泣いている。


 しかたがないので独り言のように続ける。


「あの連中、どうするかな。……カーラのこともどうにかしないとな」


 びくり、と身体がふるえた。


「違う町にいくとか。魔物アカデミーとか。まあ色々、手はあるが」


 ふいに殺気をおぼえて顔をあげると、スラ子が笑顔のままこちらをにらんでいる。


 わかってるよ。

 そこまで鈍感なつもりはない。むしろ敏感なほうだと思う、悪い意味で。


 それでもなかなか言いづらいのは、


「……カーラ。俺ってとことん甲斐性ないやつなんだ」


 情けないことに、そういうことだ。


「スラ子とシィが来るまでずっと一人で。ほんとダメダメで、アカデミーに通ってたけど成績だってもちろん全然駄目でさ。それで、」


 うだうだと言い訳をしながら、ふつふつとした怒りが沸いてくる。

 それは、他の誰でもない自分への怒りだった。


 つまりあれか。

 俺はそんな自分が責任を負いたくなくて、カーラに決断を求めていたのか。


 人間か魔物か。その選択は自分次第だという考えが間違っているとは思わない。

 誰だって、自分のことは自分で決めるべきだ。


 だが、目の前で今、カーラが泣きじゃくっているのはいったい誰のせいだということになれば、理屈も論理も飛び越えて、頭のなかでは百人の俺が百人一致の有罪判決で俺を極刑に処している。


 こんな女の子一人に言い訳もつくってあげられないその器量のなさ。

 情けなくて目がくらむほどだが、それでも身に染みた言い訳ぐせは止まらない。


 ほとんど無意識に垂れ流す言葉の奔流を断ち切ろうと感情が先走り、交友関係が不得手な人間特有の短気さが事を急ぎ、


「それでも、いいからもう一緒に来い。ここがお前の居場所だ。……それでいい」


 顔をのぞきこんで、腕のしたに隠れようとするのを強引にこじあけて、告げる。


 カーラが濡れてふやけきった瞳を驚きに見開いた。

 ぱちくりと。まばたきとともに涙が筋をつくって落ちる。


 そして、


「――はい。そばに、おいてください」


 泣き笑いの表情でそういって。

 冒険者見習いの狼少女は、魔物に堕ちた。



 いい年した大人の逆切れという、しまらない告白劇だけで幕がおりてくれるわけではない。


 俺はようやく泣きやんだカーラを連れて、スラ子とシィの元にむかった。

 そこには捕らえられた冒険者たちが縄についている。

 四人の冒険者とルクレティア。全員が気絶したまま、まだ意識を取り戻してはいなかった。


「で、どうする」


 戦闘には勝ったが、あと処理という難題が残っていた。


 調査隊を殺すわけにはいかない。

 かといってこのまま帰すわけにもいかない。

 カーラたちがやってきたときとは違い、この連中ははっきりと俺たちの姿を見てしまっている。


「さすがに、こいつらまで全員パニックを起こして幻覚を見たなんて都合のいい言い訳、ギルドも信じてくれないだろうな」

「ちょっと苦しいですね」

「なにか考えがあるっていってなかったか」


 作戦会議をしたときに、そんなことをいっていた覚えがある。

 俺が訊ねると、


「とりあえず、ルクレティアさんには私からたっぷりと説得するつもりですが――」


 ルクレティアの処遇についてはいつのまにかスラ子のなかで決定しているらしかった。

 怖いから反論しないけど。


「この人たちには、その下手人役になってもらいましょう」

「下手人?」

「はい。調査に向かった冒険者たちが、調査隊を率いるリーダーの美貌にこうムラムラっと来てしまい、調査なんてそっちのけで悪さを働いてしまったと。ルクレティアさんとカーラさんはその被害者というわけです。おのれ、汚らわしい男どもの獣性め、奴らを去勢せよ! こんな感じのストーリーラインでいかがでしょう」

「いかがといわれてもな。……つまり、こいつらにお前がこれからやる悪さの全部、罪を被ってもらおうってわけか」

「そういうことです」


 無垢で邪気な笑顔を浮かべてスラ子がうなずく。


「ルクレティアさんは強情な方のようですからね。最悪、説得の途中で壊れてしまうことだってあるかもしれません。そのときは王都に戻って療養という形で穏便に町から去ってもらいましょう。ふふ、どちらにしてもどこか壊れてしまわなければ、ここには残れたりもしないでしょうけれど。少なくとも、これまでの生き方を支えてきた価値観には、変質してもらわないといけませんね」


 ときどき、俺は本気でこの自分がつくった人型スライムが恐ろしくなることがある。というかしょっちゅうだ。


 スラ子の提案はえげつないの一言だが、かといってほかに代案があるわけでもなかった。


 考えながら、俺はとなりのカーラの様子をうかがう。

 魔物になることを選び、相手が自分に決して好意をもってくれていなかった人物とはいえ、目の前でかわされる悪事の相談にカーラは顔を青ざめさせていた。


 なにもいいはしない。

 それが「魔物」だということはわかっているのだろう。ただ、カーラが俺の裾をつかんでいる手に、すがるようにぎゅっと力がこもった。


「……だが、ルクレティアが何日も帰ってこなければ町の連中が怪しがるぞ。お前の説得っていったって、一日やそこらでそこまでするのは無理じゃないか?」


 町から洞窟までは半日もない距離だ。

 一日帰ってこないだけでも不審がられるだろうし、それが数日となれば絶対に捜索隊が向けられる。そうなれば意味がない。


「ですから、仕込みはこちらで。あとは向こうでやってしまおうかと思います」

「向こう?」

「はい。向こうです」


 不審な表情を向けられて、スラ子はいたずらっぽく微笑んだ。



 それから一晩中、スラ子はルクレティアを虐め抜いた。

 詳細は知らん。精神衛生によろしくない。知ったら暗黒面に落ちてしまう気がする。


 俺はシィやカーラとともに、洞窟の後片づけをした。

 冒険者たちにやられてほとんど殉職してしまったスライムたちを弔い、幸運にも生き延びたものは治療して、とりあえず四人の冒険者たちは縛って一室に転がしておく。

 連中のなかにはたいした魔法を使える相手はいないようだし、問題ないだろう。


 シィには怪我はなかったが、カーラはあちこちに傷があった。

 それを見れば、バーサーク状態のカーラはいくら魔法が直撃してもほとんど動きが変わらなかったが、それが決してダメージがないわけではないことがわかる。


 おそらくそれは、痛みを感じないとか。たとえ感じていても、それでも戦い続けるといったような。

 ……ぞっとしない話だ。


 とにかくその日はカーラもすぐに休ませて、残りの作業は俺とシィでこなした。

 それも夜更けころにはだいたいが終わり、


「シィ。ちょっとスラ子の様子をみてきてくれないか。ちょっとでいい」


 寡黙な妖精は無言でうなずいた。

 ――少しして戻ってきたシィは、顔どころか全身が真っ赤に染まっている。


「ああ、もういい。ありがとう。悪かった」


 話を聞かなくてもそれがどんなものか想像がつきそうだった。


 さっきから洞窟には声が響いている。

 意識せずに聞き過ごせば風の通り抜ける音にも似たそれは、ようく耳をすませてみれば、女の嬌声であったり、悲鳴だったり。やっぱり嬌声だったりするわけで。


「……とりあえず、休むか。今日はシィもこっちで寝るか?」


 いつもシィが休む部屋では絶賛、天然魔性スライムがお楽しみ中だ。そんなところにシィがいったら巻き込まれでもするかもしれない。


 俺がそういうと、シィはかすかにほっとした表情で、とことことこちらに近づいてきた。


  ◇


「それでは、マスター。いってまいります」


 金髪の女がいった。

 正確には、その声は金髪の持ち主の近くから聞こえただけだった。


 目の前に立っているのはたった一晩で憔悴しきったルクレティア。

 昨日は休む暇など当然のように与えられなかったのだろうが、ルクレティアの様子はそれどころではなかった。


 髪がほつれ、目は虚ろで、全身に力がはいらず、ふらふらと今にも崩れ落ちそうだ。

 それでいて、瞳の奥は粘りついた色に潤み、フードにおおわれた肢体は風に触れただけで刺激を受けるように小刻みに不自然な反応を生じさせている。薄い唇を噛みしめているのは、声が漏れるのを必死に耐えているからだった。


「……本当に大丈夫なのか?」


 一目見ただけで普通ではない状態に、俺はおもいっきり不安を感じたが、


「ほら、ルクレティアさん。マスターが心配してます。もう少し普通にしてくれないと、町の人たちに不審がられますよ?」


 からかうような声がいった。

 声はするが、スラ子の姿は見えない。それが聞こえてくるのはまちがいなくルクレティアの立つ方向からで、


「そんなふうにとろとろに蕩けきった顔、他の皆さんに見せてしまっていいんですか? 私はゼンゼンかまいませんが」


 ルクレティアにとりついたスラ子がいった。


 身体変化。そして姿消しの魔法。

 その二つを使い、スラ子はルクレティアの全身に薄く膜のようにまとわりついているのだった。


「わたく、しに……こん――ぁあっ」


 息も絶え絶えに、つぶやこうとするルクレティアの声が途中で切れる。なにかに口のなかをふさがれて嫌がるようにむずかる女に、


「言葉遣いはさんざん教えたでしょう? イジめられるのがほんとに好きなんですね」


 嬉しそうにスラ子の声がささやく。

 はたから見ればルクレティアが一人で悶えているようにしかみえない、そんな異常な光景に俺はますます不安が強まるばかりで、


「本当に大丈夫なんだろうな」

「大丈夫です、マスター」


 自信満々なスラ子の声が返った。


「ルクレティアさんが周りに助けを求めようとしても、こんなふうにすぐに口はふせげます。いざとなれば、声帯を溺れさせるくらい簡単ですし――それに。昨日からずっと私から飲まされ続けて、それどころじゃありませんから。それでもこんなに口がきけるのは、凄いと思いますけれど」

「お前は大丈夫か?」

「はい。魔力はルクレティアさんから常時いただいてますから。エコですよねっ」


 そんなエコはない。


 俺は姿の見えないスラ子を、じっとにらむように目線を細めて、


「大丈夫なんだな」


 身体を変化し続ける魔力消費のことばかりではなく。

 自分という姿を長時間うしない続けることで、不安定なスラ子の自我にどんな影響があるか。俺はそっちのほうが心配だった。


 返事のかわりに、覚えのある濡れた感触が唇に触れた。

 離れる寸前にちらりと舌先が舐めていく。


「――ご褒美いただきましたから。これで、絶対に忘れません」

「……わかった」


 スラ子に負担をかける以外、なにもいい考えがあるわけでもない。


「ひとまず一週。九日程度あれば、ルクレティアさんも根負けしていると思います。それまでは例の冒険者さんたちの処置は保留ということで」

「ああ。水さえ与えておけば、そのくらいじゃ死にはしない」

「はい。こちらもなるべくはやくすませるようにします」

「ふざけ、ぁっ――」


 搾り出そうとした声が、すぐに途切れる。


「町に着くまでに、もう少し蕩けておきましょうか」

「や、め……!」


 首をおもねるルクレティアの喉が、ごくりと強引になにかを飲み下させられるように動く。


「なにも知らない町の人たちに見られてしまうのが嬉しくなるまで、いっぱい可愛がってあげますからね。ご飯のときも、寝ているときも。時間の感覚なんてすぐになくなるくらい、ずーっとですよ? 夜はお散歩にもいきましょうね。ふふ、ばったり誰かにあったらどうなってしまいます?」

「わかった、もういい。シィの教育によくないからやめてくださいお願いします」


 カーラがまだ起きてきていなくてよかったと心から思った。


「ふふー。では、そろそろいってきます。調査隊のことはやっておきますので、カーラさんをお願いします。ルクレティアさんが素直になったら、こちらからお手紙だしますね」

「やりすぎないようにな」


 いっても意味ないだろうと思いつつ、いわないわけにもいかなかった。


「――さあ、ルクレティアさん。町の人たちが心配しています。はやく帰って、無事な顔を見せてあげましょう?」

「ああっ……」


 意地悪く聞かされる言葉に絶望したかのような、それでいて奥底に喜悦のにじんだ声をあげて、ルクレティアが歩き出す。


 もつれた足取りでふらふらと去る後ろ姿を見送りながら、俺は心の底からわきあがる感情とともにつぶやいた。


「……あいつには逆らわないようにしような。絶対に」


 となりでは、シィが懸命に首をうなずかせていた。



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