十話 人VSけものVSスライム
俺たちの住む洞窟はスライムの生息に適している場所だ。
その環境条件とは、暗く、ジメジメして水気に満ちているということ。
雨が降って山肌をすべりながら染みた降水。元々地下深くを通る流動水も表出してこの洞窟には流れている。
それは洞窟のすぐ近くの泉とつながり、また川となってそこから下流へと続いていた。
地上、地下を問わずに大地を巡る循環。それは恵みをもたらすとともに、氾濫や洪水となって牙をむくこともある。
俺たちが仕掛けた罠は、洞窟のなかにある幾つかのそうした流れの一つを故意に堰き止めることだった。
洞窟を流れる水量は日によって増減する。
大雨が降ったあとなんかにはたくさんの水が地表から染み込んでくるし、逆に日照りが続いたら、その逆だ。
だから洞窟のそうした水溜まりには、自然とゆとりが生まれることになる。
大量の水が流れ込んできても大丈夫なよう、長い時間をかけて削られて拡張された天然の保水地。
そこに蓋をする。
当然、水が溜まる。
その蓋に穴をあける。
結果は、――決壊する。
広間上部の壁穴から溢れた出水は、そこにいた冒険者たちになんの対処をする間も与えなかった。
轟音をともなった奔流が怒涛の勢いで全てを流しつくす。
水流はそのまま広間の奥にある縦穴に流れ落ち、完全にそこに散るまでのあいだ、水位は一時くるぶしが浸かるほどに上昇した。
遠くの物かげに隠れていた俺たちだって、足をとられないようにしがみつくので精一杯だったのだから、それをいきなり頭上から浴びせられた冒険者連中とカーラはたまったものじゃなかっただろう。
大量の水に押し流され、散り散りになって倒れている。
さらには、
「スライムが――!」
出水経路の途中に配置しておいた大勢のスライムたちが、水流に押されるかたちで広間に落ちてきていた。
「クソ! なんでこんな急に、水なんかが……!」
「集まりなさい! これは、敵襲です!」
怨嗟の声をあげる冒険者たちにルクレティアが一喝した。
その手に魔力の輝きが満ちて、
「ファイアボール!」
近くに集う手近なスライムたちに火球が放たれる。
魔法に弱いスライムは直撃を受けて、ひとたまりもなく崩れさ――らなかった。
「なっ……」
表面が蒸発し、痛みに打ち震えながら、スライムはなお健在だった。
それは俺の与えた習性なんかではない。スライムに魔法耐性をつける研究なんて、俺程度では手が届かない。
俺の隣で、シィが背中の羽を最大限に輝かせて両手から魔力を放出していた。
アンチマジック。対象の耐魔法能力をあげる支援魔法が全力で使用されている。
遠い場所から正確な魔法対象のコントロールは難しい。
だからシィは今、広間にいる誰にも彼にも向かってそれを放っている。
当然その加護はスライムだけではなく、冒険者たちにも与えられてしまうことにもなるが、
「来るんじゃねえ!」
たとえ敵味方に同じ恩恵が与えられたとして、その結果はやはりこちらにとって有利に動く。
スライムは打撃攻撃に強い。互いに魔法への抵抗が強まるなら、その特性がより輝くからだ。
もちろん対処方法もよく知られてはいる。
スライムは魔法に弱い。塩などで水分を奪われるのにもてきめんに弱いし、松明なんかの炎だって有効だ。
しかし今、冒険者どもは全員が頭から水をかぶった濡れネズミだった。
魔法を使えない連中だってなにか対応策くらい用意していただろうが、湿気て駄目になってるものも多いだろう。
そしてなにより、奇襲の成功が大きい。
突然の出水と大量のスライムたちの襲撃。それに動揺した連中が平静を取り戻す前に決着をつけなければならない。
小数である俺たちが多数の冒険者たちに勝つためには、それ以外に道はなかった。
「スラ子、シィ!」
「いきます!」
号令に、まずはスラ子が広間に躍り出る。
スライムたちに気を取られて冒険者たちはその存在に気づかない。スラ子は手近な一人に近寄ると、頭をがしりとわしづかみして、
「えいや」
思いっきり放り投げた。
スラ子は前に自分の筋力を大人一人程度といっていたが、湖の精霊を捕食した魔力で補っているのか、それとも身体の使い方を覚えただけか、軽々と男の身体は宙を飛び、スライムの群れのまっただなかに落ちる。
「うわ、わああああ!」
そこにのしかかるスライムたち。
スライムに一旦なかに取り込まれて、そこから自力で逃れるのは難しい。その男の戦力は無力化したといっていいだろう。
作戦に使っているスライムは草食嗜好だからとり殺されることもないはずだ。
運が悪ければ窒息死くらいあるかもしれないが。
そして、広間中にアンチマジックをばらまき終えたシィがスラ子に続く。
シィは真正面から相手にかかるような真似はしない。妖精の体格は人間の子どもくらいだ。勝てるわけがない。
背中の羽を使って灯りの魔法が浮かぶ天井近くまであがり、そこから下界の人間たちにむかって魔力を放出する。
冒険者たちの一人が腰から崩れて倒れこんだ。
スリープの魔法で強制的に意識をシャットダウンされて、脱落。シィ自身がかけたアンチマジックの効果が有効中だから、一人に効いただけでも幸運だ。
これで。残る敵は三人――
「ファイアランス!」
凛とした声とともに虚空に炎の槍が生まれ、一直線にスラ子へ伸びた。
「おっとと」
あわててそれを回避するスラ子。視線を向けた先には、顔をしかめて膝をつくルクレティアが細く長い指先を伸ばしている。
「……やってくれますわね。リリアーヌさんのお店に紛れ込んでいた輩かしら」
「お話しするのははじめてになりますね、ルクレティアさん。私はスラ子といいます、お見知りおき――は、あんまりしてくれなくてもかまいませんが」
「――なるほど。人型を模したスライムだなんて。しかも知性体? ……これはまた、ずいぶんと珍妙な生き物ですこと」
「褒めていただけるんですか? ありがとうございます」
吐き捨てるルクレティアの言葉に、スラ子は余裕の笑みを崩さない。
ルクレティアが不快げに眉間にしわを寄せた。
「それで、そんな悪趣味なものをつくった張本人は今どちらにいらっしゃいますの? まさか自分は手を下さず、こそこそと隠れて高みの見物ですか。器が知れますわね」
ここにいるぞ。
なにをいわれようが絶対に名乗りなんてあげないけどな! 絶対にだ!
「気になりますか? ふふ、でも残念。あなた程度の相手、マスターが手をわずらわせるまでもありません。その分、私がたっぷりイジめてあげますからいい声を聞かせてくださいね」
ルクレティアの挑発を受け流して、馬鹿にするように両手をひらひらとしてみせるスラ子。
断っておくが、俺は決して観戦モードだけというわけではない。ちゃんとフォローだってしている。
スライムは生まれつき、魔力の溜まりに近寄る習性をもっている。さっきから俺はスタンプの魔法を使って、スライムちゃんズを残りの冒険者たちに誘導している真っ最中だった。
ルクレティア以外の二人の冒険者は、あまり通用しない剣を使ってなんとかスライムたちを振り払っている。そこにシィが上空から支援、撹乱する形で戦闘が進んでいる。
冒険者たちはよくやっているが、残り二名ではさすがに相手にしないといけない量が多すぎる。ほどなくこちらは決着がつくだろう。
そして、やはりメインになるのはスラ子とルクレティアだ。
シィが広間にばらまいたアンチマジックの魔法もほどなく途切れる。腕利きの魔法使いであるルクレティアを御すことができるかどうかが、すなわち今回の戦闘のすべてだった。
いや、それだけではなかった。
場にはもう一人、戦意も戦力ももった人物が残っている。
「あああああああああああああああ!」
雄たけび。
出水で遠くに流されていたカーラが一息に距離をつめる。致命的な威力をもつ魔力をこめた拳が振るわれた相手は、
「ちょっと、カーラさん!?」
鼻先でそれをかわしながらスラ子が悲鳴をあげる。
「なんで私なんですか、あっちいってくださいウォータープレス!」
強引に押し流され、奔流の途中でカーラは体勢を立て直す。
そのまま、今度はルクレティアへと飛びかかり、
「くっ……このバケモノ! ファイアロンド!」
無数に放出された炎の粒がカーラの接近を阻む。
暴走状態のカーラには敵も味方も存在しなかった。
隙を見せた相手の喉首をかっきってやろうとする獣のように、低くかまえた姿勢が油断なく二人に向けられる。
ルクレティアが動いた。
「ファイアランス!」
炎の槍が空を貫く。
狙いはカーラ。暴走した少女は向けられた魔力の穂先をかわそうともせず、
「つかんだ!?」
魔力のこもった手のひらで受け止め、そのままスラ子へ向かって投じてみせた。
「そんな無茶苦茶な――!」
あわてて距離をとって避けるスラ子に、追い討ちをかける形でカーラが駆ける。
手のひらに迎撃のための魔力を集中させ、それをスラ子が放出する前に、
「ファイアボールッ」
スラ子に迫るカーラの背中からルクレティアが追撃。
二人をまとめて灼くことを目的にした火球が背中に迫り、カーラが後ろを振り返った。
その拳が、火の玉を正面から打ち返そうとした瞬間だった。
「――バースト!」
火球が弾けた。
魔力の四散放射に従って膨れ上がった火炎が声もなくカーラの全身を包みこみ、
「ウォータッ!」
そのうえからスラ子の水魔法が降り注ぎ、すかさず消化する。
「余計なことを……」
ルクレティアが舌打ちする。
スラ子の魔法はダメージというよりカーラへのフォローに近い。
しかし、それがなくとも果たしてダメージがあったかどうか。
カーラはそれまでとまったく変わらない様子でその場に立っていた。
ルクレティアの応用魔法で髪が焼け、ところどころの服装が焦げついてはいる。軽度の火傷くらいならあったかもしれないが、表情には痛みを感じさせるものは皆無だった。
一連の応酬を終え、三人が再び距離をはかる。
スラ子はカーラを倒す意思をもたず、ルクレティアは他二人の共倒れを狙っている。
カーラにはそもそも狙いというものがまず存在せず、ただ目の前の相手を屠るだけだ。
それぞれの立場が、戦闘の推移を非常に難しいものにしていた。
スラ子、ルクレティア、そしてカーラ。
三すくみの気配が渦を巻き、緊迫した空気がはりつめる。
先に動いた相手がやられる――そんな三人の様子を遠くから見守っていた俺は、
「……まずい」
じりじりと背後をたしかめるような動きを見せるルクレティアの狙いに気づいて、舌打ちした。
――あの女、逃げるつもりだ。
洞窟から逃がしてしまえば、俺たちにとっては負けたようなものだ。
町に逃げ帰ったルクレティアは、今度はもっと戦力を整えてやってくるだろう。
俺たちの所在を知り、戦力を知ったうえで作戦をたてて進攻してくる。
ルクレティアには次があるが、俺たちにそんなものはない。
それはスラ子だってわかっているだろうが、カーラの存在があるから下手に動けない。
先手をとってしまえば、それがカーラが動き出す呼び水となってルクレティアに自由をあたえかねなかった。
ルクレティアもまた、スラ子がしびれを切らすのを待っている。待ちながら、出口に向かって近づこうと少しずつ足先をにじり寄らせていた。
場の均衡を崩す手は、カーラの存在そのもの。
そのカーラは、どちらから手を下せば、どちらともを手にかけることができるか深く考えているような慎重さで、唸り声をあげながら二人を平等に見据えている。
シィからスラ子への援護は無理かと様子を見てみると、小さな妖精は最後に残った冒険者と対峙しているところだった。
ほとんどのスライムがやられ、シィとその最後の冒険者が一対一という状況。
肉弾戦では小柄なシィのほうが圧倒的に分が悪い。
距離をとり、上空に逃れようとするシィにそうはさせるかと冒険者が牽制し、そちらでも均衡状態がうまれていた。
シィは動けない。動けるのは――俺しかない。
結局それか、と泣きたくなった。
やめてくださいね。スラ子の声が頭に響く。
俺だってやりたくないさ、んなもん。なにせ頭脳労働派だからな、痛いのなんて大っ嫌いだ。
だが、これで負けたらおしまいってときにそんなこともいっていられず、
「スラ子、やれ!」
俺は広間に飛び出した。
視界のなかでスラ子が柳眉を逆立てる(ああ、あとで絶対に怒られる)が、すぐに意識をきりかえて、ルクレティアに向かう。
カーラの注意は予定通り、急に大声を出してあらわれた俺へ。
「がああああああああ!」
咆哮とともにこちらに突撃してくる。
その形相はいつものカーラからはまるで想像できない。
ただ戦意に猛り、ひたすら狂気に満ちている。
正直いって夢に見そうなほど怖い。子どもが見たら泣く。おれもあとで泣こうと思う。
バーサーカー。
幾多の戦場で有名を馳せるような存在に、一対一で張り合う?
残念ながらこの俺は、そういった男性的功名心といったものにはまったく縁がない男だった。
懐から包みをとりだす。
緩く巻かれた紐口を解いて、俺はそれを襲いかかって来るカーラに向かって投げつけた。
あっさりと叩き落され、袋の中身が散る。
「ファイア!」
声に応じて生まれたのは、ひどくひ弱な魔法の炎。
槍どころか剣にすらならず、相手にぶつかってもせいぜい服を焦がす程度の情けないしろものだが、それでも役割としては十分だった。
ぶちまけられた袋の中身が、きらきらと虹色に輝いている。
妖精の鱗粉。シィの羽から手に入れたばかりのその魔力の結晶粉が、俺の放った火種に感応し、連鎖して燃焼反応を起こして閃光、爆発する。
「つっ……があ!」
きっとカーラに与えられたダメージは極少だ。
しかしそれは目くらましとしては十分すぎる時間を俺に与え、
「うらぁー!」
その一瞬の隙を突いて、俺はカーラに頭から突っ込んだ。
いくらカーラが人間離れした筋力を発揮しようが、体重までが変わるわけではない。前回はそのあと怪力に引き剥がされてしまったが。
大の大人からぶちかましを受けて、俺とカーラはそのまま地面を転がっていく。
ここで離れたら手詰まりだ。即、終了だ。
俺はごろごろと世界を回転させながらなんとかカーラの衣服の端を探して掴む。放さない。カーラが体勢を立て直す前に、その身体に後ろからしがみついた。
「あああああああああ!」
耳元で叫ばれて、鼓膜が破れそうになる。
それでも力は抜かない。抜いた先には死が待っているから、こっちだって必死だ。
しがみついた俺をひきはがそうとカーラが暴れる。髪の毛が引っ張られ、ぶちぶちと嫌な音がして千切れる。服が裂ける。
ヤバイ。無理。もう無理。
「スラ子、はやくなんとかしろ、助けろ! 死ぬぞ俺!」
情けない悲鳴をあげる俺の視界で、スラ子とルクレティアの戦いに決着がつこうとしていた。
「マスター、そこで黙ってればかなり男があがってたと思いますウォータープレス!」
こちらに応える余裕をみせながら、スラ子が得意の魔法を放つ。
生み出された水流には、ダメージもそうだが相手の足元をすくい、動きを制限させる効果がある。
それを嫌ったルクレティアが範囲外に逃げる。それもまた、動きの制限となる。
そこにスラ子が襲いかかった。
右腕を長くしならせ、鞭のようなそれをルクレティアに叩きつけようとして、
「フレアウィップ!」
ルクレティアの手に生まれた炎の鞭が迎撃した。
「ッ……」
シィの支援を受けなければ、スラ子の魔法耐性は並みのスライムのそれと変わらない。
腕先をあっさり切り飛ばされて、スラ子が後退する。
「魔法の鞭。よくよくご自分のイメージを大切にする人なんですね」
「……貴女のその身体、いったい何度切り刻めばおしまいになるか、教えてくれたら楽なんですけれどもね」
ルクレティアがいう。
スラ子との一対一の状況になって、ルクレティアは逃走という選択肢を捨てたようだった。逃げ切れないかもしれない可能性があるなら、さっさと目の前の障害を倒してしまえという算段だろう。
「いらっしゃいな。細切れにしてあげますわ」
「残念ですが、叩くのも叩かれるのも、マスター以外からはお断りです!」
スラ子が吠える。
「トルネイド!」
渦を巻いた奔流がルクレティアに向かう。
そして、その後を追いかけるようにスラ子が駆け出す。
「ちっ」
舌打ちしたルクレティアが炎の鞭を持たない手をかざした。
「ファイアボール!」
水量と熱量が、蒸発して一瞬で大量の水蒸気を発生させた。
その霧にまぎれるようにスラ子が踏み出して、
「そこです!」
影を見逃さず、ルクレティアが炎の鞭を繰り出す。
――はっきりいってしまえば。
魔法使いであるルクレティアが牽制と距離を捨て、近接武器魔法という奥の手まで見せて迎撃に意識を傾けた時点で、勝負は決まっていたのだ。
ルクレティアの向けた先鞭は狙いを違わずスラ子の身体に直撃し、
「痛いじゃないですか!」
致命傷であるはずの魔力による一撃を受けて、元気いっぱいに文句を返すスラ子の全身にうっすらとした膜がかかっている。
それは内外の魔力の流れを阻害し、スラ子にとっては魔法使用と身体変化という自分のアドバンテージを同時に失うことになる一種の禁じ手。
ほんのわずかな持続時間しかもたないために相手の行動を読み、切り札まで見たうえでなければ安心して使用することもできないレジストマジックを身体にかけたスラ子が、
「うりゃー!」
どこかの誰かがついさっきやったような体当たり攻撃でもって、ルクレティアの腹部に突き刺さった。