七話 それぞれの事情としかたのない感情
「勝利条件を確認しましょう」
スラ子がいった。
俺たちのあいだで話し合いがあるとき、司会進行役は自然とスラ子におさまる。シィは寡黙だし、俺は頭がまわらない。
「私たちの目的はこの洞窟における主導権の確立。そのために現状もっとも有力な脅威であるルクレティアさんの排除、あるいは懐柔です」
「懐柔か。あの女を話し合いの席につかせるのだけでも難儀だが」
主義者が、魔物とのあいだに交渉なんてもとうとするかどうかがまずおおいに怪しい。
スラ子はこっくりとうなずいて、
「ルクレティアさんの行動理念というのは重要だと思います。私の印象では、とても現実的な人という感じでしたが……冷静な思考の奥底に、ご両親が不幸にあったことがどれほど影響を及ぼしているのか。個人的恨みのうえから理屈をまとえば、それは狂信的な価値観となって妥協の余地すらないかもしれません」
「カーラのことも嫌ってるみたいだしな」
「はい。ですが、いずれにせよ相手から譲歩をひきだすためにはこちらに相応の力をあることを見せないといけません。相手にとって仲良くすればプラス。または敵対していてはマイナスになるという状態があって、はじめて交渉の道がひらけます」
息をはく。
「当然、戦闘もあるか」
「シンプルな意味では、そうです。ルクレティアさん個人への対処は絶対に必要ですよね。とても腕のたつ魔法使いさんということですし」
ですが、とスラ子がいう。
「ルクレティアさんの力は個人のものではなく、立場やお金です。私たちにもっとも欠けているものでもあります」
俺は苦い顔になった。
今の俺たちの立場では、今ある状況を人間対魔物という構図にもっていくことすらできやしない。
この洞窟はアカデミーからもほとんど見捨てられているような場末のダンジョンだ。
山の上にいる唯我独尊お気楽竜にはこんな雑魚同士の争いなんてどうでもいいだろうし、むしろ関わってきてもらったら一帯が焼け野原になる未来しか見えないのでこっちが困る。
周辺には妖精族をはじめとする魔物たちが生息しているが、彼らに助けを求めることも無理だ。
自分たちのことは自分たちでやれ。無理なら死ね。
それが魔物たちの世界でのごく一般的な掟だし、そもそも交渉チャンネルをもっていない。
あえていうならシィがいる妖精族くらいだが、そのシィがなにか理由があって妖精たちの群れから飛び出してきているらしいのだから、話し合いにいってもらうなんて無理だろう。
「人間対俺たちか。それだけは避けたいっていってたとおりになったわけだ。……すまん」
「マスターの決定が私の決定です」
馬鹿をした俺を責めようともせず、スラ子はにこりと微笑んだ。
「それに、状況はまだ最悪というわけでもありません。つけこむ隙はあります」
ぴっと人差し指をたてて、
「一つは私たちの所在が知られていないこと。ルクレティアさんはきっと、マスターのことを町の外にいる反自分、という印象で捉えてますよね?」
「町の外。それに提案を蹴ったことで、魔物寄りって印象くらいは持ってるだろうな。最悪、今の時点で俺が魔物だって決めてかかってる可能性もある」
ちょっとした会話の端々から、勘のよさをうかがえる相手だった。
「可能性は最悪を想定しておきましょう。マスターを魔物だと考えているとしても、この洞窟にいることまでは気づかれていません。逆にいえば、それがバレてしまえばかなりのピンチです」
「それこそ調査隊どころか、討伐隊がでばってくるな」
「はい。それこそが現時点で考える最悪の状況だと思います。二つ目は、ルクレティアさんの立場です」
「立場?」
「ルクレティアさんはまだ町に来てすぐなんでしたよね? マスターもはじめて知ったってことでしたし」
「まあ、今まで俺がろくに町には寄りつかなかったからってのもあるが。本人もそういってたな」
「ということは、ルクレティアさんの町における足場はまだ十分に固まっていないのではないかと思います。実際、道具屋のリリアーヌさんもあまりいい印象はお持ちでないようでした」
「ああ。そういえばそうだな」
町のなかでも古株らしいあの婆さんがあんな態度をとるのは正直意外だったが、考えてみればそれも当たり前かもしれなかった。
街育ちが身にしみているような生粋のお嬢様と、土にまみれて生活してきた町の人々。そんなもの馬があうはずがない。
「あの女が長を継ぐことに反対してる連中だって、なかにはいるかもしれないわけだ」
「はい。積極的にせよ消極的にせよ、そういう人たちは大いに使えます。足を引っ張ってくれるだけでも十分です」
つまり連中の仲間割れを誘うというわけだ。
はっきりいってセコい。あくどい。だからこそ俺たちらしくもある。
卑怯、陰湿。けっこうじゃないか。正々堂々なんておとぎ話のなかでやっておいてくれ。こちとら小者な弱小勢力だ、生き残るだけで必死だ。
「夜中にこっそり町長の家に悪口でも書きまくるか。高飛車女は街に帰れ!とか」
「発想が子どものいたずらです。マスター」
半眼のスラ子に同意するようにシィがこくこくとうなずく。うお、妖精にいたずらを駄目だしされた。
「しかし、町のそういった内情を知るにはなにか情報源が必要です。私達のもつチャンネルはとても小さくて狭いですし、同時に一番の問題でもあります」
そこで言葉をきり、スラ子はいいよどむようにこちらを見た。
なにをいいたいのかはわかっている。俺はうなずいて、
「カーラだな」
「……私たちと町のあいだにいるのがカーラさんです。町の人たちから疎まれていては情報を集めることは難しいでしょうが、なかにはリリアーヌさんのように話をしてくれる人もいるでしょう」
性格的にも立場的にも、情報源として決して優秀とはいえない。しかし、こちらはぜいたくをいえる立場ではない。
「はい。ですが問題なのは、そのカーラさんが私たちが洞窟に住んでいるという情報を持ってもいるということです。私たちの立場を最悪にするのもしないのもカーラさん次第。――今の状態で放置しておくのは、あまりに危険すぎます」
スラ子が俺を見る。
その目はあきらかに、俺に対してなんらかの決断を求めていた。
◇
次の日。俺は町に向かった。
昼の時間帯、洞窟を出入りしているところを誰かに見られるわけにはいかない。姿を消したシィに外の様子を見てもらい、そのあと慎重に洞窟を出て、シィにはそのまま護衛代わりに町までついてきてもらう。
スラ子は留守番だ。空を飛べるシィなら、もしなにかあったときも逃げやすい。
町長の孫娘とあんなことになって、いきなり町にはいるのを止められたりしたらどうしようと少し心配したが、誰に咎められることもなく道具屋にたどり着いて扉をあける。
「こんにちはっ」
元気な笑顔に迎えられて、う、と思わず身を引いた。
俺とカーラは町での待ち合わせなどによく道具屋を使っている。今日も薬草作りの手伝いにきてくれるつもりなのだろう、バスケットから薬草の先っぽが頭をだしていた。
「ったく。いつからここは若造どもの逢引場所になったんだろうね」
不機嫌そうに道具屋店主のリリィ婆さんがぼやく。
俺はそれに軽口を返すこともできず、店の入り口で突っ立っていた。
カーラのことで、本当は婆さんに伝言をたのみたかったのだが、本人がいるのならそんなことはできない。
……本人に伝えるしかない。気が進まない足をひきずって店の奥へと向かう。
「カーラ。話がある」
「ボクにですか?」
「ああ、実は……」
いいかけて、気づく。
カウンターに頬杖をついて、婆さんの視線が俺とカーラに向けられている。
「婆さん」
「なんだい」
「お願いなんだが、ちょっとのあいだだけでいいから死んでてくれないか――痛え!?」
ぶん投げられた小物の角が額に直撃した。
「老人相手に縁起でもないこといってんじゃないよ、このあほたれ。聞かれるのが嫌なら外でやりなっ」
そりゃそうだが、なにも物を投げなくてもいいだろ。と思いながら、内心ではちょっとほっとしていた。ナイフじゃなくてよかった。
気を取り直して、カーラを見る。
高くもなければ低くもない。年相応に小柄な少女は、緊張した面持ちでこちらを見上げていた。
まっすぐな眼差し。そわそわと手足が揺れている。
ものすごーくいたたまれない。
ぱっちりした大きな瞳のなかでしかめっつらの自分を見るようにして、
「えーと。あれだ、例の、新しい薬草のあれのことなんだが」
「はい」
「あれ、しばらく手伝わなくていいぞ」
「え?」
きょとんとして、まばたきする。
「しばらく大丈夫だ」
「えっと、」
要領を得ない俺の言葉に、カーラが戸惑うように表情をくもらせて、
「……なにか問題でも?」
「あー、問題っちゃ問題なんだが。実は妖精の、」
適当に言い訳をしかけて、婆さんの前で鱗粉の手に入れ方について話すことはまずいと気づき、それ以外のなにか上手い口実はないかと思考を思い巡らせて、そんなもん思いつくほどよくない自分の頭に絶望した。
だいたい言い訳ってなんだ。そんなのして誤魔化したってしょうがないだろうが。
「とにかく。しばらく会えない」
いってから、いいかたってモンがあるだろうと自分で思った。
大きく目を見開いたカーラが、
「……そうですか」
困ったように笑う。
「わかりました。それじゃ、またお手伝いできることがあったら、いつでもいってください」
ぺこりと頭をさげて。
手に持ったバスケットをこちらにおしつけてそのまま駆けていく。
待てと声をかけられるわけもなく、俺は苦い顔でカーラの後ろ姿を見送った。
からん。と鈴が鳴って、カーラが店の外にでていき。
はあ、と俺はためいきをついて、
「――っ!?」
後頭部にさっき以上の衝撃がはしった。
ごとん、と投げつけられた算盤が重い音を立てて床に転がる。その隣に頭をかかえてうずくまって、
「商売道具を投げつけてんじゃねえよ!」
カウンターからゴミを見る目でこっちを見おろしている婆に怒鳴った。
「うるさいよ。いいからさっさと拾って渡しな、この駄目男」
自分から投げておいてこの言い様。
つい最近どこかで聞いたような傍若無人ぶりだった。
「壊れてたって知らねえぞ」
「そんときはあんたに弁償してもらうに決まってるじゃないか」
なんだその理不尽。
ずきずきと傷む頭をおさえて涙目の俺をにらみつけて、婆は吐き捨てるようにいった。
「あの子に悪さしたら許さないっていったろ」
「悪さなんてしてないだろうが」
「言葉だって暴力さ」
「自分が純粋な暴力やっといていう台詞かよ……」
口をとがらせながら、店を出るまえのカーラの表情を思い出せば、それ以上なにをいうこともできない。
胸にはじわりとした罪悪感。だが、仕方ないだろうという思いもある。
カーラの立場はひどく微妙だ。町側の情報の仲介役になりえるが、同時にこちらの危険な情報も持っている。
そのカーラをどうするか。
決断は、騙してでもこちら側に抱き込むか、あるいは突き放すかのどちらかしかない。
これ以上俺たちと関われば、カーラもあの女に目をつけられてしまうだろう。そうなれば、冒険者登録もさせてもらえていないカーラはますます町での居場所がなくなってしまう。
カーラが人間であるためには、この判断でいいはずだ。……多分。
「ま、言い訳しないことだけは褒めてあげようか。どうせ、昨日ルクレティアとのあいだでなにかあったんだろ」
「……知ってたのか?」
「馬鹿だねえ」
婆さんは心の底から呆れた顔だった。
「自分からバラしてどうすんだい。かまかけにもなりゃしないじゃないか」
いわれてはじめて気づく己の間抜けさ加減に言葉をうしなう。
「ま、なにをいわれたのかは知らないけどね。ルクレティア。あの子も今は必死なのさ。この町にまだ来たばかりだからね」
俺は意外な気がして眉をもちあげた。
「肩を持つのか? あんたはあの女のこと嫌ってるんじゃないかと思ってたんだけどな」
「別にそんなんじゃないさ。昔の自分を見てるみたいで苦々しくはあるけどね」
一瞬、自分の耳をうたがう。
「――昔の、なんだって?」
「昔のあたしだよ。そっくりだろう?」
「はっはっは。いいギャグだな婆さん。だが笑えねえよ、似てねえよ。もう一回いっとくぞ。似てねえよ。もっかいいっとくか?」
「うるさいね。あんたは昔のあたしを知らないからそんなことがいえるんだよ。……あんな性格だからね、町にとけこむってこともできやしない。あの子なりに必死なのさ」
必死ねえ。
とてもそんな可愛げがあるようには見えなかったが。むしろ私に尽くしなさいとでもいうような、そんな傲慢さを体中から発していた。
ふと気づく。
たしかにルクレティアとリリィ婆さんは似ているかもしれない。理不尽さやわがままさ。
外見についてはあえて言及するまでもない。
多分、ルクレティアにいってもまなじりを吊り上げて激怒するだろうよ。
「あの子になにかいわれても、悪いことはいわない。下手に騒がないことだね。あの子だってなにもこのあたりを全部かきまわそうとしてるわけじゃないはずさ」
「……そうならいいんだがな」
俺がいうと、婆さんもあまり自信はないのか、顔をしわくちゃにする。
「なんでもいいから実績が欲しいんだよ」
「実績、ね」
「王都なんて都会から戻ってきて、向こうじゃやりたいことだってあったはずだろうからね。このままじゃどっかから婿をとって自分は一生、家のなか。それが我慢できないから、そうならないための発言権が欲しいんだろうさ。そのためにはなにか自分の力で町の役に立ってみせなきゃならない」
「――ああ。なるほど」
スラ子が予想していたように、ルクレティアはルクレティアで地歩固めに懸命というわけだ。
ようするに、昨日いっていた妖精の鱗粉もそれか。
特産品もない町の新しい産業品を開拓できれば、たしかに功績にだってなる。
ルクレティアだって必死。
そりゃそうだ。誰だって自分のことで精一杯生きているんだから。
「特別なことなんていらないから、町の連中と畑仕事でもするのが一番だと思うんだけどね。焦ってるようにみえて心配さ。しまいにゃ調査隊を自分で引率するなんていいだす始末だ」
「調査隊? それって、カーラのいってたやつのことか?」
思いもよらなかった単語に思わず聞き返すと、婆さんは渋い顔になって手を振った。
「あんたには関係ない話だったね。忘れとくれ」
口がすべったと思ったらしい。それからは貝のように押し黙る相手に、俺はこれ以上は情報を聞き出せないと判断した。
「カーラのこと、よろしく頼むよ」
「あんたなんかに頼まれることじゃないさね。……ルクレティアが落ち着くまで、せいぜい騒ぎをおこさないことだよ。忠告したからね」
はいはい、と肩をすくめながら店の外へでる。
◇
洞窟に帰って、カーラにしばらく会えないことを告げたといった途端、
「マスターのサイテー!」
スラ子から非難の声があがった。
「そのいいかた、なんかおかしくないか?」
「サイテーなマスター!」
「いや、いいけどな。しょうがないだろ、どっちかしかなかったんだから。だいたい、カーラをなんとかしろっていったのはお前じゃないか」
「いいはいいましたが、いいかたってモンがあります!」
スラ子はぷりぷりとした表情でいった。後ろから抱くようにしたシィも、スラ子のあごのしたでこくこくと静かにうなずいている。
状況は一対二。絶望的な戦況下で二人から非難の眼差しを受けた俺は、
「クケー!」
「奇声なんかあげてもごまかされません!」
「ええい、うるさい! 黙れ、黙れーい!」
「逆切れだー!」
わーわーぎゃあぎゃあといいあって、いい加減に息もきれたところで嘆息する。
「いいかたが駄目だったのは悪かったよ。……ちゃんと、カーラには謝る。この件が片づいたあとでな」
スラ子のじと目が俺を見て、
「絶対ですよ。絶対ですからね」
「わかってるよ。それより情報だ。――おい、いい加減にその目をやめてくれ。シィ、お前もだ」
むー、とまだ機嫌がよくない様子だったスラ子だが、
「調査隊だ」
俺の台詞に眉をひそめた。
「調査隊? いつ来るかわかったんですか?」
「いや、それはわからん。だが近いうちだろう。問題はそっちじゃなくてメンバーだ。ルクレティアが直接、調査に乗り出してくるつもりらしい」
「……たしかな情報です?」
「わからん。だがそれなりに確度がありそうではある。詳しい話はあとで話すが――それが本当だったら、どうだ」
スラ子がうなずく。
「チャンスですね」
「そうだ。今の状況をいっぺんにひっくりかえすことだってできるかもしれない。いっぺんでおしまいになる可能性もある。ピンチでチャンスだ」
「ルクレティアさんを直接どうにかしてしまう。――生きるか死ぬかの大勝負ですね」
真剣な表情に俺もうなずいて答える。
「どっちにしても、緊急事態だ。すぐに対応について考えるぞ。時間がない、連中は明日にでもやって来るかもだ」
戦うなら戦う。
やり過ごすならやり過ごす。
どちらの場合でも対応を検討しなければならない。
相手は腕利きの魔法使いだ。前にルーキーたちを相手にしたようにはいかないだろう。
突然の事態の展開に、俺たちはさっそく作戦会議にはいった。