五話 薬草開発と突然の招待
「ご機嫌いかがでしょう、リリアーヌさん」
綺麗な女がいった。
いったい誰のことだと思って、その視線の先で相手を知る。げ、と声がでた。あの皺くちゃ婆さんを指して「純粋、清潔」だなんて悪い冗談としか思えない。
「ぼちぼちさ。なにか用かい、ルクレティア」
「ちょうど近くを通りましたもので。リリアーヌさんは前の寄合会にもお顔をだしてくださいませんでしたし、ご様子をうかがいに」
「そりゃわざわざすまなかったね」
答える口調に嫌そうな口調がふくまれているのに俺は驚いた。あの婆さんにも苦手な相手なんているのか。
「最近は外にでるのもおっくうでね。なにも反対なんかしやしないから、あんたらで勝手にやってくれよ」
「そういうわけにはまいりません」
女は冷淡にいった。
「私はまだ戻ったばかりで、町の方々のこともよく存じておりません。皆さんと交流を持つのも仕事のうちだと思っています。祖父からも、リリアーヌさんにはよく頼るよういわれておりますし」
「……町長のお孫さんです」
こっそりとカーラが教えてくれる。
町長の孫。女だったのか。
娘夫婦がもう他界しているといっていたから、長役を継ぐのはこの女? いや、おそらく婿をとる形にはなるのだろうが――
じろじろとぶしつけな視線になっていたのか、それともカーラの小声が耳に届いたのか、ルクレティアと呼ばれた女がこちらに顔を向けた。
水の精霊ウンディーネと比べても負けていない冷たい眼差し。
「あまりよろしくないお客がいらっしゃっているようですわね」
「他人の店の客にむかってケチつけるのかい」
おお、婆が俺をかばった! というか、カーラをなんだろうけどな。
嫌気の差したような店主をちらりと見て、女はいいはなつ。
「町の品位に関わります」
俺は怒るよりも先に呆れそうになった。
品位? こんなど田舎の町のどこにいったいそんなものがある?
この女、見た目からして街生まれのような格好だが、なにか勘違いしているらしい。ここは王都でも大商都でもない。
「そんなもので食っていけたら苦労はないさ。あんたも一度、土にまみれてみればわかるんじゃないかね」
「機会があればそうさせていただきますわ」
平然と、女は手入れの届いた長髪を払ってきびすをかえす。店から出ていく直前、それから、とつけくわえた。
「店のなかによくない匂いが漂っていますわ。一度、棚卸しなどなさって空気を入れ替えることをおすすめいたします。それではご機嫌よう」
なんだそりゃ。俺とカーラのことか。
さすがに腹を立てかけたところに、くすくすと笑い声が耳元でささやいた。
「ばれちゃってるみたいですね」
俺にだけ聞こえるその声はスラ子のものだった。
あわてて振り返りそうになるのを、覚えのあるやわらかい弾力がおさえつける。
「マスター。あの人、すごくいいですね」
笑みをしのばせた言葉は、望んでいた獲物を見つけたように愉しげだった。
「ルクレティアさんは、少し前まで王都にいらっしゃったらしくて。そこで学士院に通ってたそうです」
「そりゃすごい」
よほどあの高飛車女と肌があわないのか、見るからに機嫌の悪くなった道具屋の店主に追い出されて、とりあえず外を歩きながらカーラがそう教えてくれた。
学士院というのは、この国でもっとも優れた教育機関のことだ。人間たちのエリートたちがそこに通い、知識と教養を身につけるのと同時に熱心に社交にはげむ。
魔物でいうアカデミーと似ているが、人間たちの学士院のほうがより権威主義に近い。
よくも悪くも実力主義であり、さらには魔物世界の独特な事情もあって来るものこばまず状態のアカデミーと違い、人間世界では教育なんてものは基本、金も地位もなければ受けられない。
「てことは、けっこうな家柄なんだな。ただの田舎町の長程度の血筋じゃ学士院の門戸はひらかないはずだ」
「町長の娘婿さんが貴族筋の方だったとか。ご両親が亡くなられてからは、そちらの家に預けられていたのが、最近戻られて。理由はわかりませんけれど……」
貴族。そういわれれば納得できる容姿と態度だ。
生まれつき自分が選ばれているとわかっているような超然とした態度。似たようなのはアカデミーにもよくいた。そして、そういうやつらが俺を見る目も大抵の場合は似通っている。
あー。トラウマが刺激される。欝だ。
「リリアーヌさんは、ルクレティアさんが長の仕事を継ぐだろうって。そのために戻ってきたらしいって話でした。ご本人もかなり腕のたつ魔法使いで、学士院でも引止めがあったのを断られて来たそうです」
「スゴイナー」
家柄も能力もあってなおかつ美人。しかも同じ魔法使いのエリート様。
はっきりいって、一番苦手なタイプだった。
へたれな俺は、あの冷たい眼差しで見られるだけでその場から逃げたくなる。できれば相手の視界にはいるのだって遠慮したいほどだが、
「どんな声で鳴いてくれますかねー」
さっきから、隣では透明な小声がむやみやたらとテンションをあげていた。
天然魔性なスラ子とあの見るからに気位の高そうな女の嗜虐性対決なんて、考えただけでも気が滅入る。俺は聞こえない振りをして、
「まあ、俺には関係ないな。けど、カーラは知り合いになっておいて損はないんじゃないか? 将来、町を治めるってことになるんなら」
カーラは困った顔になった。
「ボクは嫌われているみたいで」
「どうしてだ?」
「……ルクレティアさん、ご両親が亡くなられてますから」
ああ。
俺はろくに考えもしないで聞いた自分の間抜けさを呪った。
何年前のことか知らないが、この町を襲ったというウェアウルフ。カーラにその魔物の血が流れているということを町の人間が知っているのなら、ルクレティアもそれを知らないはずがない。
あの女にとって、カーラは両親の仇――とまではいかなくとも、もっともわかりやすい憎しみのぶつけ先ではあるわけだ。
これだから。人間ってのは。
うんざりと考え、俺は顔をうつむきがちなカーラを見やって、
「だったら、なおさらこの町は住みにくいだけじゃないか。やっぱり、違う町で登録なりやったほうがいいんじゃないか」
いいかけて、それ以上の言葉をのむ。
切羽詰まった表情のカーラが、大きな瞳でこちらを見つめていた。
「迷惑でしょうか」
捨てられた子犬のような眼差し。
俺は息をのんで、ついでにつばも飲みこんで、
「いや。そんなことは。薬草だって手伝ってもらわないとな」
「ほんとですか? よかったぁ」
ほっとしたように笑う。
俺は息を吐いた。
今のカーラの表情はちょっとどきっとした。
……どうもあれだ。先日のシィの一件以来、自分が危ない嗜好に傾きつつあるような気がしてならない。俺は、少なくとも性的にはノーマルだったはずなのだ。
「イジめ甲斐がありそうですね」
頼むからお前は黙っててくださいお願いします。
しかし、いくらスラ子の声が耳元だけでささやかれているとはいえ、これだけ近くにいるカーラが気づかないのはそうした素養がないからか。
そういえば、腕のいい魔法使いらしい町長の孫娘は、スラ子やシィの存在に気づいていたような素振りだった。
「まあ、薬草を作ってみるっていっても、材料は書いてあるんだし。難しいことにはならないはずだ。調合して、効果を確かめてってなるとそうすぐにってわけにもいかないけどな」
いくらカーラの祖父が残した覚え書きがあるとはいっても、実際に作ってみなければ効果のほどはわからない。
それが売り物になるものでなければ、道具屋の婆さんだって買い取ってくれるわけがない。カーラのことを気にかけてはいるようだが、商売は商売だ。
「平気です。しばらくはやることもないですし」
ギルドに登録させてもらえず、クエストを受けられない冒険者なんて無職と変わらない。
「だったら、さっそく今日からはじめるか。まずは材料探しからだが」
「はい。家の近くで見かけるようなものも多いので、さっそく。採れた分は、洞窟に持っていけばいいですか?」
「ああ、それは……」
それが一番だが、依頼もないのに頻繁に洞窟に出入りする姿をもし他の町人や冒険者に見られたら、カーラはどう思われるだろう。
カーラのことばかりでなく、それが俺たちにまで影響することも含めて考えて、
「あ、大丈夫です。はいるときには気をつけて、洞窟には修行でいくってことにします。もちろん、途中で出遭ったスライムのことも」
それを察したようにカーラがいった。
まあ、そういうふうに気をつかってもらえるのならありがたい。
「じゃあ、そういうことで頼む。こっちは昼間からはあんまり出歩けないし、材料集めはお願いすることが多いかもしれない。すまない」
「全然かまいません」
うなずいてみせるカーラは、世の中に悪い人なんていないんだと信じきっているような笑顔だった。
家の近くで採集してきますというカーラと別れて、洞窟へ戻る。
冒険者たちの気配がないことを確認してなかに入り、
「スラ子。シィ」
目の前の空間が揺らいで二人の姿があらわれた。
いつものように微笑を浮かべたスラ子と無表情のシィ。シィは普段どおりだが、スラ子はいつも以上に上機嫌な様子で、
「手ごわそうな相手が見つかったのがそんなに嬉しいのか?」
「はい、マスターっ」
元気よく答えてきた。
「こっちはげっそりだ。あんな相手と近くにいるだけでも気が疲れる」
「いかにもマスターの苦手な感じの人でしたね」
「苦手だ。苦手の極致だ」
「でも、とっても有能そうな人でしたよ?」
「だから性質がわるい」
見かけだけじゃなくて中身までともなってるなんて最悪じゃないか。
「でも、あの人が町の権力を全部担ってくれるなら、逆にわかりやすいです。あの人とだけ渡り合えばいいんですから」
「わざわざ王都から戻ってきたとかいってたしな。理由はしらんが、田舎町ひとつ牛耳ってやろうって気概くらいあるのかもしらん。だが」
「だが?」
「苦手なもんは苦手だ。できれば関わりあいたくない。政治でも陰謀でも、どっか俺のしらんとこでやっててほしい」
ふふー、とスラ子が抱きついてくる。
「なんだよ」
「マスターは、マスターだなあと思いまして」
どう考えても馬鹿にされてるとしか思えない発言だが、スラ子は嬉しそうだった。怒る気にもなれず、ふりほどくのも面倒でそのままにして隠し部屋へ向かう。
人間の俺はもちろん夜目なんてきかないので、シィが先導して灯りの魔法を使ってくれている。そのシィの足がとまった。
なにかの反響音。広間に誰かがいる。
まさか冒険者か、と思ってすぐに俺は相手の正体に気づいた。シィの灯りに照らされて、みおぼえのある後ろ姿があらわになる。
「ノーミデス」
「んー。あー、おはよ~」
眠そうな顔でこちらを振り返ったのは、この洞窟の「自然」な管理者である土の精霊だった。
褐色の肌に長い黒髪。精霊族はほとんど自分の身体を隠さないせいで、スラ子以上にボリュームのある身体のラインがひどくけしからん状態になっている。
「お前が起きてくるなんて、めずらしいな」
「んー」
眠たげな双眸を揺らし、精霊は広間を眺めて、
「なんか起きたら、おかしな感じだったから~。たまにはお仕事しないとなーって」
「ああ、悪い。このあいだ、ちょっとあってな」
「ちょっとって~?」
「人間の冒険者たちがやってきたんだ。それでちょっと、な」
詳細について話すのは面倒で、相手も興味なんかないだろうから省略して伝えると、相手は気のない様子でうなずいて、
「相変わらずやんちゃだね~。まあいいけどー」
やっぱり、相変わらず適当なやつだった。
ぎゅっと俺の腕をにぎる手に力がこもる。俺は少し緊張しているスラ子の横顔を見て、そのスラ子を不思議そうに見ているノーミデスへと視線を送った。
「なんか変わった子~」
ぼんやりと、ノーミデスがいう。
「……ああ。スラ子っていうんだ。こっちは、妖精のシィ」
「ふーん。どうでもいいけどね~」
本当に適当なやつだ。助かるが。
スラ子は湖に住む水の精霊を捕食してしまった。
そんなことが他の精霊に知られればまずいい顔はされないはずだが、少なくともこのノーミデスにとっては興味もないことかもしれない。
「あたし、もう少しこのあたりを吹いていくからー。これからもなんにもしないと思うから、適当によろしく~」
こんなふうにいい加減だから俺なんかも住まわせてもらっているのだが、ここまできっぱりと宣言されるとちょっとツッコミをいれたくもなる。
だけどそれでスラ子のことを追求されても面倒なだけなので、俺はぐっと我慢して広間を通り過ぎた。
「さむいの~さむいの~とんでけ~」
広間に滞った冷気の魔力を払おうと、やる気なさげに息をふきかけるノーミデスの声が、のんびりと洞窟にひびいた。
◇
カーラは翌日には薬草を集めてやってきた。
前の日の夜、俺もスラ子たちと外にでかけて泉周辺で採集してみたが、カーラが採ってきた量は俺たちの倍以上あって、昨日は寝る暇があったのかと思えるほどだった。
「なんだかワクワクしちゃって」
土に汚れた指で鼻の頭をこすりながらいう表情がやけに子どもっぽい。
ともあれ、これだけあれば薬草作成には申し分ないので、俺たちはさっそく作業にとりかかった。
薬草を作るといっても難しい作業があるわけじゃない。
というか、そんな複雑な工程をこなす道具がここにはない。
砕く、煮る、揉む。
今あるものでできることはこのくらいだ。
薬草によっては採ってすぐ使うのではなく、十分に乾燥させないといけないものもある。いくらか前の残りがあまっている分があるが、試行錯誤するうちにすぐ使い果たしてしまうだろう。
なんといっても、俺たちはどうやれば薬粉が完成するかという確証をもっていない。
カーラ祖父の日記にも肝心の製造方法については載っていなかった。
もし書いてあった材料以外になにか特別な製法が隠されていたら、俺たちのやっていることは全て徒労に終わるかもしれない。
貴重な妖精の鱗粉を無駄にして、カーラが頑張って集めた薬草も使い切らしてしまうだけということだって十分ありえる。
だけど、いろんな薬草の取り扱いや調合方法について、スラ子やカーラと相談しながら実験をすすめていくのは、それだけで楽しくもあった。
どうせ上手くいっても、薬粉の完成には時間がかかる。
それが完成しても今度は本当に効果があるのか、おかしな作用がないかも確かめないといけない。
材料におかしなものを使ってはいないが、人の身に使われるのだからそれなりに信頼性がなければ、あの婆さんだって買い取ってはくれないだろう。
そうやって数日を過ごしながら、もちろんそればかりを考えているわけにもいかなかった。
今、俺たちは洞窟で起きたスライムの異常発生について、町からのリアクションを待っているところだった。
調査隊はいつ、どんな連中がやってくるか。
俺たちはまずそのことに神経をとがらせていて、そういう情報を仕入れるために、町の道具屋に足しげく通ってみたりした。
今まであまり町にも寄りつかなかった俺が、急に顔を見せることになればもちろんそんなもの、怪しくないわけがない。
だが、それも新しい薬草に使えるものはないかという口実を使えば、それなりには説得力がある。ひどい言い方をすれば、カーラという存在もいい隠れ蓑になってくれているのだった。
期待したリアクションは思ったよりはやく、意外な形であった。
「伝言を頼まれてるよ」
「伝言? なんだいリリィちゃ――」
俺たち以外には客もいない、寂れた道具屋の店内。
奥のカウンターに置物のように頬杖をついていた婆さんが、そのままの姿勢で右手を振った。
びぃぃぃぃん、と俺の目の前の壁にナイフが突き刺さる。
「殺す気か!?」
「ふざけた物言いするからだよ。もっかいいってみな、今度は手のひらを縫いつけてやるからね」
怖え、まじ怖えこの婆さん。
絶対堅気じゃないとは思ってたが、若いころはなにやってたんだ。盗賊か、山賊か?
「き、気をつけマス……。それで、お話とゆーのは……」
「ああ。一度お話してみたいので我が家にお越しください、だとさ。ルクレティアから、あんたをご指名だよ」
それを聞いた瞬間、俺はものすごく嫌な予感をおぼえていた。
◇
「いくしかないですねっ」
「嫌だ」
洞窟に戻って町長の孫娘からの招待について話し合うと、スラ子は即答。それに対する俺も即答だった。
「子どもじゃないんですから」
「嫌なもんは嫌だ。敵のテリトリーにいってどうする。頭からパクリだぞ、パクリ。丸飲みだ」
「蛇です?」
「似たようなもんだな」
あの俺を見おろしてきた目は、間違いない。捕食者のそれだ。
スラ子はうーんと首をひねって、
「蛇っていうより、鷹とかのイメージがありましたけれど。誇り高いというか」
「やだ猛禽類とか超怖い」
どっちにしろ会いたくない相手だろう。
「でも、せっかくの機会ですよ? お話してみたいってことは、一方的な敵意ってわけでもなさそうですし。町側と渡りをつけるチャンスかもしれません」
「無理だ。俺にあんな相手と交渉しろってのか? 途中で卒倒して気絶するぞ、ほんとだぞ」
「そんな情けない脅迫を堂々とされても困ります」
やれやれ、とスラ子が首を振る。
「マスターの人間恐怖症も、相当のものがありますね。この場合は美女恐怖症でしょうか」
「びじょこわい」
「まったく。いつもこれだけ近くに美女を見てるのに、いったいなにが怖いんです」
「なにが怖いってまずその笑顔がぐああああ……っ」
久々のアイアンクローに頭蓋骨が悲鳴をあげる。
「では、相手からの呼び出しは無視しておきますか? 向こうからの印象は間違いなく悪化して、交渉チャンネルは二度と生まれないかもしれませんが」
む、と俺は押し黙る。
そんなふうに言われてしまうと、これが良くも悪くも機会であることは俺にだってわかるから、判断に躊躇する。
「……だいたい、町長の孫娘なんて人間が、どうして町の外に住む俺みたいなやつに興味を持つ? そこからしてまず怪しいじゃないか」
「やはり、妖精の鱗粉でしょうか」
道具屋の婆さん曰く、町長の孫娘は店で売りに出されている妖精の鱗粉の存在を知り、その出所を聞いたうえで俺を招待したいといってきたらしい。
婆さんも一応、俺が鱗粉を売った相手だとはいってないらしい。
しかし、そんな代物を町の人間が手にいられるわけがないし、店に持ち込んだ対象はどうしたって絞られてくる。それを考えたうえでのことだろう。
「普通に考えれば、それくらいしかないだろうな。だが、何の為にだ? 魔法使いらしいからなにかの研究に使うのかもしれんが、それで婆さんを通さず直接売ってほしいって相談か?」
「そのためにある特定の誰かとパイプをもとうとするかというと、疑問が残りますね。町長さんのご家族なら、お金にだって余裕がないわけではないでしょう。道具屋さんを通して買いつけたっていいはずです」
自分でいうのもなんだが、俺は町の外の怪しい人間だ。
立場のある人間がそんな輩と接触をとろうとするなんて、普通はメリットよりデメリットを考えるはずだ。
「それでも会ってみたい、っていうんだからなにかあるんだろうな。だが、そんなものはつまり、」
「――ろくなことではない。ですね」
俺の言葉をスラ子が引き継いだ。
「貴族の血筋らしい高貴なお方がなにを考えてるかなんて、俺にはわからんけどな」
「ですが、だからこそ、相手の弱みにもなりえます」
あごに手をあてて考え込むように、スラ子は続ける。
「相手の思惑は現時点で不明とします。それが我々にとって不利益をこうむるものではないなら、協調関係を築く可能性もゼロではありません。町の次期有力者と懇意であれば、あるいは穏便に洞窟の主権について譲歩を引き出せる可能性も……。もちろん、不確定条件がすべてクリアできればという途方もない話ですが」
自分ひとりで夢想するならともかく、現実には満額条件など万に一つもありはしない。だが、だとしても、それはあまりに魅力的な話だった。
戦わずして洞窟の主導権を取り戻す。
現状、俺たちの目標はその一点に尽きるのだから。
「……問題は、その交渉に立つのが俺だってことだ」
「自信がありませんか?」
「あるわけない。交渉力なんて皆無だぞ。だからこんな洞窟にいる」
アカデミーにも残れず、立地条件の最悪な管理地に追いやられるようなおちこぼれだ。
「でも、そんなマスターだから私をつくってくれました」
スラ子がいった。
「マスターは、私を信じてくださいますか?」
「……信じるさ」
「でしたら。ご自分のことも信じてください。私は、マスターそのものです。私を信じられるということは、自分を信じられるということなんです」
お前は俺じゃない、だなんてそこでいってしまうのはただの阿呆だ。
喉元までせりあがった台詞を飲み下して、息を吐いた。
俺を見る二対の眼差し。
全幅の信頼をそそいだスラ子の半透明な視線と、じっとこちらの意思を確かめるようなシィの静かな視線。
俺は自分が雑魚だということを知っている。
だが、たった一人なら洞窟の奥にひきこもってしまえばよくても、今の俺には居場所を守ってやらなくちゃならない相手がいた。それも二人もだ。
んなもん知ったことかとわめきたくなる自分を押し殺し、絶対に無理だと早々に諦めようとしている弱音を抹殺して、目を閉じる。
「……わかった。話を聞いてみよう」