四話 情報収集と新しい収入源の模索
次の日、昼ごろに俺は町へ出かけることにした。
向かう先は道具屋。だが今回は妖精の鱗粉の売却が目的ではない。
あの道具屋では最近、立て続けに二回、売りに行っている。
妖精の鱗粉は市場価値はたしかに高いが、こんな田舎ではそう売れ足がはやいものではないため、何度も短期間に卸していては値崩れが起きてしまう。
だが、現状でもっとも見込める収入源が妖精の鱗粉で、というかそれ以外にはないことも間違いない。
だから、鱗粉をただ卸すのではなく、それを使ってもっと安定した金策はないか。今日はそのあたりの情報を集めにいく予定だった。
近いうちにギルドから派遣されるだろう調査隊の情報集めというのもあるが、そちらについてはできれば、程度の考えだった。
いずれにしても、見知らぬ相手からうまく話を聞きだすコミュニケーション能力なんてもちあわせちゃいない。かろうじて顔見知りといえる道具屋の婆さんがなにか知っているかどうかだった。
「またついてくるのか?」
隠し扉の前でいってらっしゃいと手を振っているスラ子とシィを振り返ると、
「はい、マスターにばれないように尾行してみせますっ」
本人に宣言しておいて、ばれるばれないもあったもんじゃない。
「町の連中には、ばれるなよ。絶対に騒ぎになる」
一見すると水の精霊に似た外見のスラ子と、悪戯好きで有名な妖精族のシィ。
カーラに対する態度を見る限り、メジハの連中は人間以外の種族に排他的なように思える。いきなり町中に二人があらわれたりしたら大騒動だろう。
「姿消しの魔法だって絶対じゃない。腕のいい魔法使いでもいたら感づかれるからな」
「はい。十分に気をつけます」
とはいえ、二人とも俺より頭が回るし腕もたつ。そんなことは俺にいわれるまでもないだろう。
それでもいってしまうのはひとえに俺の器量の狭さというものだ。ほっとけ。
「実は、もう一つ方法を考えてはあるんです」
とスラ子がいった。
「方法?」
「はい。私が全身を変化させて、マスターの身体のまわりにこう、べたーっと。服の下なら、気づかれずに一緒についていくこともできるし、そのまま護衛にもなるんですが……」
なにかを期待する目で俺を見る。
「そうしちゃってもいいですか?」
俺は大きくうなずいた。
「却下」
「マスターのいけずー」
スラ子は頬をふくらませるが、いくらなんでもスライムを一人分、身体にまとわりつかせて歩くのは考えただけで難儀そうだったし、それに。
スラ子を長時間、変化させておくことにも、不安がある。
今の身体を見失ったスラ子がどうなるか。スラ子の自我を安定させるためには、外見を安定させることも大きいはずだという考えには、なんの根拠があるわけでもなかったが。
「スラ子。前にいったとおり、身体を大きく変化させるのは控えろよ。お前の能力は、自由すぎて少し怖いんだ」
俺が真顔でいることに、スラ子もからかうような表情を控えて、
「ご命令どおりにします。マスター」
まっすぐにこちらを見て答えた。
俺はスラ子の隣のシィを見た。従順な妖精が小さく頭を揺らして了承の意を送ってくる。
スラ子の目付け役はシィにまかせよう。そう考えて、外にでた。
◇
「売れてないよ、買わないよ」
扉をあけて店内にはいった瞬間、険のある声がいった。
うお、もう買い取り拒否された。
「別に売りにきたなんていってないだろ。……売れてないのか?」
奥のカウンターに肘を突いて座る婆を見ながら訊いてみると、
「こんな店には過ぎたものってことさ。在庫ばっかり溢れて、そのうち潰れちまう」
まあ、個人経営の小さな道具屋だ。仕方ないのかもしれない。
「あんなもん、どっから仕入れてくるのか知らないけどね。売るんならギーツあたりにでもいってみたらどうだい。いっちゃなんだが、そっちのほうがよっぽど高く買い取ってくれるだろうよ」
「そりゃそうだけどな」
ギーツというのはここから一番近い大きな「街」だ。
そこにはこのあたりを治める領主が住んでいて、街の周りには立派な防壁が囲ってある。人の数だってこんなへんぴな町とは比べ物にならないから、武器も食料もそれ以外も、需要と供給が桁違いだ。
そこでなら、妖精の鱗粉ももっとまともな値段で買い取ってもらえるだろう。大きな街には大きな冒険者ギルドがある。たくさんの冒険者や研究者にとって、それは垂涎のアイテムになる。
わかってはいるが、ギーツまで出向くのにも往復で日数がかかる。
そのあいだは当然、自宅の洞窟は留守ということになる。いないあいだになにがあっても対処できない。
少なくとも町からの調査隊をやりすごして、洞窟周辺の状況が落ち着かないことには、街までの遠出は難しかった。
「なんだい。なにか昔、悪さでもして近づけないってのかい」
「なんでそうなるんだよ」
「そんなことでもやってそうな顔じゃないか」
憎まれ口を叩きながら、道具屋の主人は手もとの作業に戻る。持ち込まれたらしい小さな包みを確認している様子に、俺はそこではじめて別の客の存在に気づいた。
「こんにちは」
少し離れた壁際の椅子にちょこんと座っていたのはカーラだった。
「ああ。こんにちは」
「おや、知り合いかい」
片眼鏡の奥から探るような眼差し。
カーラとの出会いを馬鹿正直にいうこともない。俺は答えた。
「まあ、ちょっとした」
「うん。ちょっとした」
はにかむようにカーラがいう。
「ふぅん」
それを見た道具屋の店主は、いかにも世話好きの老人のように顔いっぱいにしわを寄せて、
「カーラ、くれぐれも男には気をつけるんだよ」
言い放った。
「おい」
「な、ななっ――?」
睨みつける俺とあわてるカーラを無視して、
「あんたは人が良すぎるんだ。そんなんだからいっつも悪いクジばかりひかされるのさ。そのうち駄目男に捕まったりしそうで心配なんだよ」
「こら、誰が駄目男だ」
「あんたに決まってるじゃないか」
カウンターに座った口の悪い婆さんは、下から見下ろす眼差しでおれにいった。
「いい年して定職にもつかないで、ふらふら根なし草でその日暮らししてるような男が駄目男じゃなくてなんなんだい。あんた、嫁さんもらって養える自信があるのかい? そんなんで子どもを育てていけるのかい」
うお、容赦なくずけずけといいやがる。
一言一句あってるからなにもいいかえせないのが腹が立つな!
「そ、そんなことないですよっ」
カーラがフォローしてくれるが、それが余計に心に突き刺さって痛かった。
「ほらそれだ。そんなふうに甘やかすからますます駄目になるんだ。男ってのはもっと、ケツをぶっ叩いてやるくらいでちょうどいいんだよ」
「婆に叩かれて喜ぶ趣味はねえよ」
「誰がそんな話をしてるんだい、このろくでなし」
険悪ににらみあう。ふんと鼻を鳴らした婆が視線をはずした。
「まあいいさ。ほら、カーラ。代金だよ」
「ありがとう」
婆が見ていたものは、薬草やらを煎じた小袋らしかった。
どうやらカーラはよほどお金に困っているらしい。ついこのあいだまで俺も似たようなことをやっていたから、同情だったり共感だったりでテーブルに並べられたそれを見て、あれ、と思って次にカーラが受けとった小金袋を見る。
「……なあ。薬草の買取にしちゃ、俺のときより随分いい値段になってないか?」
というか、このあいだなんかほとんど端数みたいな扱いだったんだが。それに比べればカーラが受け取った料金はずいぶんまともに思える。
「そりゃそうさ」
あっさりと相手は認めた。
「陰気な男がつくった薬草と、健気な子が心を込めた薬草じゃ、効きは一緒でも気分が違うだろ?」
「平然とろくでもないこといってんじゃねえ! そんなザル査定だから儲からないんだろ!」
「そうかい。あんた、カーラとあたし、どっちから薬草つくってもらいたいね」
もちろんそんなものは選ぶまでもない。
「婆印の薬草なんざ、飲んだとたんにこっちがひからびるわ!」
「そうだろ。それが付加価値ってもんさ。わかってて聞くんじゃないよ、馬鹿だねえ」
からからと笑う。人を食った表情に絶句して、それ以上の罵倒の言葉が出てこなかった。
「あの。すいません」
すまなそうにカーラがいう。
「カーラ。あんたが気にすることじゃないよ。この男のケツの穴がちっちゃいのが悪いのさ」
「ケツは関係あるか。悪い。たしかに君には関係ない。この婆さんがとんでもない鬼畜商人ってだけだ」
「失礼なことをいいなさんな。買い叩ける相手を選んで叩きぬいてるだけじゃないか」
「だから平然といってんじゃねえ!」
「うるさい男だねえ。なにしにきたんだい、買取でもないならとっとと帰りな。店にカビが生えっちまう」
このババア、一度本気で決着つけないといかんようだな……。
わなわなと怒りに打ち震えて、ふとここに来た理由を思い出す。
なんの実りもなしに帰ったらスラ子たちになんていわれるかわからない。そういえば、スラ子たちはいま、室内にいるのだろうか。
魔法で姿を消しているとはいえ、気づかれずになかにはいるのはさすがに難しそうだ。俺が扉をあけたときも、閉まるまでに微妙な差があったりはしなかったはずだが――
「なんだい。急に黙り込んだりして。……カーラ、あんたもまだなにか用事かい?」
所在なさげに立ち尽くしていたカーラは、話を向けられてなぜかこっちを見て、
「そういうんじゃないんだけど……。ちょっと、お店のもの見ててもいい?」
婆さんが片方の眉をあげた。
「ああ、そういうことかい。――ったく、趣味が悪いね。好きにしな」
やれやれと、嫌そうな顔で俺を見る。
「ほら。なんの用事なんだい。女を待たせんじゃないよ」
「あんたが女だったのなんて半世紀は昔じゃねえかよ。聞きたいのは、さっきの妖精の鱗粉のことだ」
「いったろ、今はとても追加なんか買い取れないよ」
「聞いたさ。だが、それは未加工だからだろ? 加工したアイテムなら、なにかこのあたりでも売れそうなものがあったりはしないのか?」
妖精の鱗粉はそれ自体が高い魔力を秘めている。
それは実験の媒介に使われることもあれば、アイテムの原材料になることも多い、非常に有益なものだ。
生のままで売っても、このあたりでそれを扱える人間がいないというのなら、それを加工した形で持ち込めば金になるかもしれない。問題は――
「そりゃあるだろうさ」
婆さんは肩をすくめて、
「妖精の傷薬なんて、話に聞けばかなりの効用らしいじゃないか。もっとも、そんなもんがあんたに作れればの話だけどね」
婆さんの馬鹿にしきった口調はともかく、たしかにそれこそが問題だった。
道具もなければ知識もない。技術だってあるわきゃない。
「レシピがのってる本とか、この店に置いてないのかよ」
「んなもんあるわけないだろ。馬鹿かい」
まあ、それはそうだ。
そういうのがあるのは大きな街の図書館だし、そもそもそういう調合方法なんてのは大抵が門外不出だったりするもので、誰にでも自由に知られるようにはなっていない。
「妖精の傷薬、ですか?」
店内を見てまわっていたカーラがいった。
「知ってるのか?」
「作り方とかではないですけど。お爺ちゃんの日記で読んだことあるなって。祖父は、傭兵だったんです」
傭兵は傷が絶えない職業だ。それぞれ独自の薬草の調合について一家言があったりするというのはよく聞く。
「そのお祖父さんは、今は?」
「少し前に……亡くなりました」
「そうか……」
もし妖精の傷薬の調合方法なんてものを知ってたりしたら、助かったのだが。
表情には気をつけたつもりだったが、カーラには俺が残念がっているように見えてしまったのか、
「ボク、ちょっと家に戻ってきます。日記になにか書いてるかも」
「あ、おい。なにもそこまで――」
「すぐ戻るから!」
そのまま、止める間もなく店から出て行ってしまう。
「……ったく」
忌々しそうに道具屋の主人が舌打ちした。
「なんでこんなのを気に入ったりしたんだか。いっとくけどね、あの子になにか悪さしたらあたしが許さないよ」
孫の素行を心配する態度の相手に、俺もおもいっきり顔をしかめてやる。
「そんなに心配してるんなら、町の連中をどうにかしてやれよ。露骨に嫌われてるみたいじゃないか」
「それができたら苦労はないさ」
老婆は顔中にしわをつくっていった。
「元々、人の出入りも多くないようなとこさ。どうしたって閉鎖的だ。それはあんただってわかるだろ。それに、ずっと前に魔物の襲撃を受けて、たくさんの町人が家族を失っている」
「魔物?」
はじめて聞く話だった。俺が洞窟にやってくる前のことか。
「町長の娘夫婦がそれでやられたりしてね。家のなかで、夜が明けるのを震えながら待ってた町の人間があとで見たのは、扉を破られて、無残に切り裂かれた幾つかの亡骸だけさ。ウェアウルフだった、って生き残ったやつがそう証言したよ」
ああ、と俺は苦く息をはいた。町の連中のカーラへの態度は、だからか。
「あの子のことがどこから町の人間に流れたのかはわからない。けどね、みんなの気持ちもわかるのさ。決して正しくなんかはないけど、仕方ないことだってね。あんたにわかるかい」
人生の様々なことに疲れた表情を向けられて、俺は黙り込んだ。
俺は人間だ。そして魔物でもある。半端な立場でわかるなどと無責任にのたまうくらいなら、沈黙している方がまだ賢明だ。
老婆が笑う。
「ま、よくしてくれる誰かがいてくれるってのはいいことだろうさ。あたしだって、たいしたことができるわけじゃあない」
薬草の買取は、その少ない一つというわけだ。
口の悪い婆さんだがけっこういいところもあるじゃないか、と一瞬だけ思ったが、同じように赤貧にあえいでいた俺に対する無慈悲な処置を思えば感心する気持ちも半減だ。
「町の人間から嫌われてるのは俺だって一緒だろ。そんな俺なんかと話してたら、ますます町の連中から孤立しちまうだけじゃないか」
「そうかい?」
婆さんは揶揄するような声だった。
「あんたの場合、自分から孤立したがってるようにしか思えないけどね。本当にこっちにとけこむ気があるなら、町で暮らそうとするだろうよ。金がなくたって、職がなくったって。周りからいくら嫌われても町のなかで頑張ろうとしてるあの子と、あんたがおんなじだなんて思えないけどね」
辛らつな台詞に思わず反論しかけて、いいかえせない。相手のいっていることは決して間違ってはいなかった。
「……ほんとに、口うるさい婆さんだな」
「うるさくいってやるだけ、ありがたく思いな」
「ありがたくて涙が出るよ。せいぜい長生きしてくれ」
実をいえば、俺はこの婆さんのことを決して嫌いじゃない。
この店がなくなったりしたら、俺の貴重な収入源もなくなってしまうわけでもあることだし。
そんなやりとりをしているうちに、扉がからんと鳴ってカーラが戻ってきた。
よほど急いできたらしく息を切らしている。手には、古びた壮丁の書物を抱えていた。
「ありましたっ」
「おお。婆さん、ちょっとテーブル借りるぞ」
店主はなにもいわず、好きにしな、という合図に手を振られた。
「詳しい製法とかではないんですけど。備忘録がわりに残ってたみたいで、材料のことが。これが妖精の傷薬ってものかどうかはわからないですけど――」
開いたページを見ると、たしかにそこには妖精の鱗粉を使った薬粉についての記述がされてあった。
他の材料として、よく知られた身近な薬草や植物の名前がちらほら。決して集めるのが難しいものではない。
「別に特別な道具が必要ってわけでもなさそうだ。これは……試してみる価値はあるかもな」
「この材料なら、近くでも採れるものばかりですね」
カーラのいったとおりだった。書いてあるなかでもっとも困難なのが妖精の鱗粉で、それについてはすでにクリアできているのだから。
俺はちらりとカーラを見て、それから遠くカウンターで嫌そうにこちらを見ている店主を見やってから。決断した。
「カーラ。よかったらこの薬草を作ってみるの、ちょっと手伝ってくれないか。取り分は、新しい薬草が売れた代金の五分ってことで」
「いえ、そんな。取り分なんていりませんっ」
スラ子に比べたらささやかな胸の膨らみの前で両手を振る。遠くで店主がまなじりを吊り上げる前に、俺は首を振った。
「君の祖父さんの日記がなければ試すこともできないんだし、そういう話をごちゃごちゃやるのは苦手なんだ。だから、最初っから五分でいこう」
「……いいんですか?」
恐る恐る、といった感じでカーラがいって、俺は肩をすくめた。
「まだ作れるって決まったわけじゃないけどな。成功報酬ってことにはなる、それでよかったら」
「全然っ――全然、かまいません。こちらから、よろしくお願いしますっ」
まだギルドに登録できないから、もちろん冒険者としてクエストを受けることもできない。
だからこそカーラは自作の薬草を売りに来るほどお金に困っているわけで、俺の話を聞いて素直に嬉しそうだった。
俺はあらためて婆さんを見る。にやりとあくどい笑みをつくって、
「なあ、婆さん。俺とカーラがつくった薬草。うまくいったらもちろん、買い取ってくれるよな?」
カーラというところにアクセントをつけて訊くと、婆さんはこちらの意図に気づいたらしく渋い表情だった。
「……売りもんになるもんだったらね。薬草なんて、需要はいくらでもあるだろうさ」
嫌々ながらにいうのを聞いた俺はしてやったりの気分で、もし無事に薬草が完成したら、もちろん道具屋に売りにいくときはカーラにお願いしようとそんなことを皮算用しはじめている。
からんと扉につけられた鈴が鳴って、新たな来客の存在を知らせる。
顔を上げた俺は、そこに一人の女性の姿を見つけた。
ここみたいな田舎町にはまるで似合わない、小奇麗な服装に身を包んだはっとするような美人。
その肌は太陽の下で働いたことなんてないように白く透き通って、腰まである金髪が貴族のように長い。
俺とカーラは椅子に座っているので、自然と相手の視線が高くはなる。
だがそんな位置関係なんてまったく無関係に、生まれつき他人を見下すためにあるみたいな切れ長の視線がこちらを見おろしていた。
その眼差しは俺がアカデミー時代によく浴びていたものによく似ている。
ようするに、そこらの虫けらを見るような冷ややかな目だった。