三話 不定形性状かく語りき
スラ子が立案した『ドキッ。もしかしてやばい? あの洞窟』作戦は、現時点でまだ実行途中の状況だ。
不慣れなルーキーたちを相手に、異常事態を演出してみせることには成功した。
色々と不測の事態も起こりはしたが、人間たちを殺してしまうようなこともなく。作戦の初動はまずまずといったところだが、重要なのはここからだった。
それまで「初心者用ダンジョン」として自分たちで管理しているつもりになっていた洞窟からあがった奇妙な報告に、冒険者ギルドからはすぐに調査がはいるだろう。
戦力がスラ子とシィ、それからスライムちゃんズしかいないこちらは、連中と真正面からことをかまえるわけにはいかない。
スラ子もいったように、数に勝る人間相手に長期戦になれば、いずれはこちらが駆逐されてしまうだろう。
あくまでこっそりと。
まずは人間たちの意識に違和感の影を落とすことからはじめないといけない。
だから、町の冒険者ギルドからやってくる調査をやり過ごせて、はじめて作戦は成功になる。
洞窟の主導権を穏便に取り返すためとはいえ迂遠なやり方だ。
だが性急な行動は自分達の身の破滅に加え、最悪の場合、それはダンジョンそのものの閉鎖という自体を招きかねなかった。
魔渦とそこから生まれる魔物たちの存在をやっかいなものとしか考えない人間たちにとって、この洞窟はルーキーたちの練習場という意味合いでしかない。手に負えない、と判断すれば当然そうするだろう。
人間たちからそうした最終判断が出るまでに、俺たちは有利な状況をつくりだしておく必要がある。
力がないのなら貯める。
それが無理なら、からめ手にでる。
そのためには町の情報というものはとても重要で、町に住む誰かと面識をもっておけばそれを手に入れられる機会も増えただろう。
幸運にもそれを手に入れられるチャンスが俺たちには与えられたのだが、
「マスターが町長さんに啖呵きっちゃったから、ダメになっちゃいましたね」
遠慮のないスラ子の言葉に、俺は苦虫を噛み潰した顔になる。
「悪かったな。どうせ堪え性がない駄目男だよ、俺は」
「怒ってなんかいませんよ。私も、シィも」
小柄なシィを後ろから抱くように両腕をまわしてにこにこと、
「私たちもその場にいましたから。相手がどういう人たちかっていうのはわかりました」
ね、と同意をもとめると、無言のまま妖精も頭をうなずかせる。
「とりあえず、あのお爺さんが当面の私たちの敵になるわけですよね」
「そうなるな。町の長で、ついでにギルドの元締めだ」
この近くは大きな街も都市からも離れている。他に小さな村や集落はあるが、一帯の有力者であることは確かだ。
「見てみたところ、そんなにすごい人ってふうにも見えませんでした。なんていうか、人生に疲れはてたって感じで……」
「長ってだけだからな。別に腕っ節で町を治めてるわけでもない」
俺は肩をすくめて、
「ただ、それでもあんな年まで人間やってるんだ。それなりに、人をまとめる力はあるんだろ。少なくとも俺なんかよりはな」
有能なら有能なりに、無能なら無能なりにだ。
「相手が実力者であったほうがかえってやりやすいのかもしれませんね。その一人をどうにかさえすれば、片がつきますし」
ナチュラルに物騒な発言だが、それをいつもの表情のままいうのが一番怖い。
「どうだろうな。そろそろお迎えも近そうな爺さんだ、意外と内部じゃ権力禅譲が進んでるのかもしらん」
「ああ、なるほど」
スラ子がうなずく。
「やっぱりそのあたりは確認しておきたいですね」
「だから、悪かったっていってるだろ」
「怒ってなんかいませんってば。それに、協力してくれる人間さんならできたじゃないですか」
俺は肩をすくめた。
「カーラか? ……どうだかな」
ウェアウルフの血を引いた駆け出しの冒険者。生まれのせいか、魔物というものにもあまり抵抗感がなさそうだった。
そうした意味では確かに貴重ではあるが、情報源としてはあまり期待できそうにない。
地位も役職もあるわけでもないし、まず彼女自身がその身体に流れる血のせいで町の連中から疎まれているようだったからだ。
「あんまり期待できないだろ。こちらに敵意をもっていないのは助かるが、あくまで人間側だぞ」
カーラが冒険者を目指している以上、魔物である俺たちとはいつ敵対することになるかわからない。
じっと、確かめるようにスラ子は俺の瞳を見つめた。
「マスター。本当にそう思ってます?」
俺は眉をもちあげて、
「なんのことだ」
「いえ、マスターがそうお考えなら、いいんです」
笑顔のまま少し歯切れが悪いように思えるスラ子の返事を聞きながら、内心でほっと息を吐いた。
今、俺には自宅であるダンジョンや町のことと同じ程度、いくつか気になっていることがある。その一つがスラ子のことだった。
スラ子が生まれてからまだ一月もたたない。
不定形性状という形を持たないスライムに人の形と知性を与えられて、スラ子の自我は今のところ、そのほとんど全てを「俺」という存在に頼りきっている状態だ。
主人に対するゆるぎない忠誠がその証明。
いや、忠誠というよりもむしろそれは完全な自己投影。全依存というべきだろう。
自分を持たないから、相手に全てを捧げる。捧げられてしまう。
それは、よくない。と思う。
先日の精霊の件や戦闘でスラ子が垣間見せた不安定さも、結局はそれが引き起こした問題だろう。
スラ子にもっと自分自身をもってもらいたい。それが俺の望みだった。
そうすることで、自分の意思や無意識のうちに自由に身体を変化できてしまうという、スラ子の便利だがやっかいな性質が引き起こす問題も自然とおさまるはずだ。
今思い出しても、ぞっとする。
あの日、洞窟でまるで水の精霊になりきったような表情。その仕草。
――ああいうスラ子は、もう見たくない。
だけど、スライムの自我をうながすためにどうすればよいのか、なんてわからない。
魔力でつくりだす生命体なら、俺も雑用役につかっているスケルトンをはじめ、前例はいろいろとあるが、スラ子のような例は特殊だった。
通っていたアカデミーにならそういう文献があったりするかもしれないが、おいそれと出向けるような距離ではない。今はスラ子の経過を見ながら慎重に様子を見守るくらいしかできない。
そのスラ子が、カーラという人間と接触することで生じる反応。それが俺は不安だった。
スラ子が創造主――というよりは、自分自身――である俺に執着する感情を強くもっていることは承知している。
そこに他の第三者が加わった場合、どうなる?
第三者ということならシィもそうだが、シィが一緒に過ごすようになったのにはまた違う理由があるし、なによりスラ子自身シィのことを気に入っている様子がわかる。
だが、カーラについてはそれがよくわからない。
別に話題にだすのを嫌がったり、そういう素振りを表情に見せるわけでもない。あの日から、スラ子はいつもの様子のままだ。
ふと洞窟の入り口から反応があがった。
反応石の応答。ただ一度の反応なら、偶然そこをよこぎった獣や、あるいはダンジョンにやってきた冒険者ということになるが、知らせてきたのは人為的な信号だった。
たった今、話題にしていたばかりの人物の来訪に、それとなくスラ子の様子をうかがうと、
「あ、噂をすれば。いらっしゃいましたね」
スラ子は嬉しそうな表情。
それが心からのものなのか、内心になにか忸怩たるものがあるのか判断がつかない。
長らくぼっちをやってきていた身には他者の心の機微をはかるなんてむずかしすぎて、俺は口にださないようひっそりと息を吐いた。
◇
「こんにちはー」
隠し部屋にやってきたカーラは手にバスケットを掲げていた。
「スラ子さんがこないだ欲しいっていってたハーブ、家の近くに生えてたのでとってきました」
「わあ、ありがとうございます」
スラ子が手を叩いて喜び、さっそく和気藹々と話をはじめる。ほとんど会話には参加しないが、シィも含めて三人で楽しげな空気ができあがっている。
カーラが遊びにくるようになって数日がたち、三人はすっかりうちとけていた。
そんななかで一人だけ場違い感がひどいのは、いうまでもなく俺のことだ。
こういうのはなんというのだろう。……女子会?
「ここ、日当たりがないのでどうしてもガーデニングとかって向いてなくて。助かります」
「あは。うちって日当たりだけはいいんで、こんなのでよかったらいくらでも。でも、日当たりがまったくないっていうのはちょっと大変ですね」
「ですねえ。私としては、暗くてジメジメしたのは嫌いじゃないんですけど」
「スライムなんですもんね」
あはは、と笑いあう。
なんだか。ものすごく、楽しそうだった。
「そういえば。カーラさんはメジハのお生まれなんですか?」
「ボクは、メジハの北にあるフーリエって小さな村の生まれです。山あいのほんと小さなところで」
「そうなんですか。でも、近くならご家族の顔を見に戻ることもできますね」
「ですね。ただ、家族の食い扶持が大変なんで。とりあえず一人前になるまでは、って」
「そうですか……。登録は、してもらえそうなんです?」
聞きづらそうにスラ子が訊ねる。
カーラは先日の件でギルドから干されそうになっているはずだった。カーラはスラ子の淹れたお茶を飲んで表情を隠すように、
「ちょっと、まだ。でも大丈夫です。待つのは、慣れてますから」
顔を上げて答えるときには明るい笑顔が戻っている。
嫌味のない表情に、スラ子がそっと目を伏せた。
「はやく登録させてもらえるといいですね。向こうの方々にも、色々と考えはあるんでしょうが。――町長さんってけっこうなご高齢って聞きましたけど、息子さんにお願いしてみるというのも難しいんでしょうか。 すみません、事情も知らない素人意見ですが」
「……町長は、娘さんとその旦那様を亡くされていて。だから、息子さんはいないんです」
「そうだったんですか。じゃあ、跡を継がれるのは」
「お孫さんが一人いるので、その人になると思います。まだ若い方ですけど」
「なるほど……」
会話しながら、しっかり情報収集も欠かさない。
俺はこの場をスラ子に任せて別室にはずれることにした。
女子会チックな雰囲気が居ずらかったことと、ちょっとした会話のなかに感じる緊張感みたいなものが少し苦手で、ようするにその場から逃げ出した。
ぼんやりとスライムちゃんズを鑑賞しながら時間を過ごして、日が落ちる前にカーラが帰ることになって途中まで見送る。
「気をつけてな。帰る途中、スライムは見逃してやってくれよ」
「はい。それじゃあ、また」
隠し扉から出てランタンを片手に洞窟に戻っていくカーラを見送って。その姿が見えなくなってしばらくしてから、隣に立つスラ子を見る。
「スラ子」
「はい?」
「なにを企んでる。カーラをどうするつもりだ?」
じろりとした視線でいうと、スラ子はふふと妖艶に笑ってみせた。
「企んでなんかいません」
「……本当か?」
「本当です。個人的にも、嫌いな人ではありませんし。私にとって重要なのは、マスターがあの人をどうしたいか、です」
――でた。
そのフレーズを聞いて、俺は渋面になりかけた。
俺の顔を覗き込むように、スラ子が上目遣いに寄り添ってくる。
「マスターは、カーラさんをどうしたいですか? 私とシィのように隷属させますか? マスターがそれをお望みなら、すぐにでもそうしてしまっていいと思います」
暗がりのなかで、不透明の眼差しが誘うように揺れていた。
「シィみたいにか」
「それもいいですが、きっと必要ありません」
「必要ない?」
「はい」
と自信満々に頷いて、
「あの人を縛るのに、媚薬も快楽も必要ないでしょう。心を奪ってしまえば、きっとあの人は喜んでマスターにかしずくはずです」
ですから、と神託を告げる聖女のような態度で、悪魔じみた相手はささやいた。
「どうするかはあなた次第です。マスター」
声は、まるで俺をどこかへ導こうと惑わしているように、ひどく妖しく耳に響いた。