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二十六話 決意

 足音すら響かせず、着地する。

 くるりとこちらを振り返ったスラ子はいつも通りの柔和な表情で、


「お疲れ様です、マスター」


 にっこりと言った。

 それに対して口を開きかけて、


「――このようなことで」


 被さってきた声のおどろおどろしさに、ぞっとする。

 見ると、スラ子の背後。四散した精霊の名残がかろうじて元の形を残しかけたまま、切れ切れの言葉を発していた。


「このような、ことで――終わると。思うな――」


 その憎々しげな視線は真っ直ぐにスラ子を捉えていて、


「既に、わらわの意思は同胞へと、――達せられた。ここで――滅されようと、その意思と、決定は引き継がれる。――今こそ断じよう――貴様こそが、“魔王”である、と――」


 呪詛じみた台詞を紡ぎ出すその口から、なにかが零れた。


 気体でもない、液体でもない黒々とした何か。

 それは決して明るくない洞窟の中で、なおはっきりとした不吉な存在感で顕わだった。


 闇属のマナ?

 いや、違う。あれは――


「瘴気……!」


 千切れた全身から血を噴出させるように、瘴気を発する金精霊が金切り声をあげた。


「呪われよ――そして滅するがいい。我ら。精霊による秩序は、そなたの打倒をもって新生する……!」

「お好きにどうぞ?」


 スラ子はそれにあっけらかんと応えて。

 手を伸ばすと、ゴルディナの欠片をそのまま握りつぶしてみせた。泥のように漂っていた瘴気ごと、その破片がスラ子の身体に吸い込まれてゆく。


 今度こそ間違えようもなく。金精霊ゴルディナは完全に消滅した。


 俺をはじめ、その場に居合わせた全員はほとんど呆然と目の前の事態を見送って、


「スラ子。お前――」

「はい、マスター」


 改めて振り返ったスラ子が柔らかく微笑む。

 その表情はいつも以上に晴れ渡っていた。まるで、不安だったなにもかもが一掃されきったかのように。


 その表情に、俺は逆に言葉を失ってしまう。


 どくん、と心臓の鼓動が早鳴った。

 なにかを知らせるように。


「なんて。ことを……」


 耳に触れたのは、呆然としたヴァルトルーテの声。


「スラ子さん、あなたは――ご自分がしたことをわかっているのですか!?」


 スラ子が首をかしげてみせる。


「精霊を倒したことです?」

「違います! 死に際、大精霊様は宣言されました。あなたが、“魔王災”であると。それはつまり、この世界に在る全ての精霊が、生命が、あなたを敵として襲ってくるということです!」

「ええ、そうですね」

「そうですね、って――」


 絶句しかけたエルフが銀髪を振り乱す。


「あなたは! マギさんが、それだけは阻止しようと尽力されていたのがわからないのですか! これでは、」

「ヴァルトルーテ」


 詰るように、さらに言い募ろうとする相手を制止して、俺はじっと目の前の不定形を見つめた。


「スラ子」

「はい、マスター」


 スラ子がこちらを見つめ返してくる。


 スラ子の半透明の瞳は透き通っていた。

 まったく迷いもなければ濁りもない、静謐な眼差し。そこに一瞬、影のようなものが差した気がしたのは、俺自身の不安の表れかもしれなかったが、


「……スラ子。これが、お前の戦いか?」


 訊ねると、スラ子はとても嬉しそうに頷いて、


「はい、マスター。これからが、“わたしの戦い”です」


 そう言った。


 少なくともその口調には、いつかのアカデミーの時のような狂的な気配は微塵も含まれていなかった。


 焦燥も、傲慢さもない。

 ただひたすらに、どこまでも穏やかな声だ。


 相手をしばらく見つめていると、スラ子は困ったように眉をひそめて、


「――マスター。信じてください」


 ほんの少し不安そうに囁いてくる。

 俺はすぐには応えず、じっとスラ子と目線を合わせ続けた。


 やがて、


「……わかった。好きにしろ」

「はいっ。マスター、行ってきます!」


 ぱあっと表情を輝かせたスラ子が嬉しそうに手をあわせる。


 俺の隣からシィが駆けた。

 スラ子の腰にしがみつく。背中を向けかけていたスラ子が振り返り、それから妖精の小さな身体をそっと抱きしめた。


「ふふー」


 ふんわりした銀髪をよしよしと撫でて、身体を離す。

 その耳元になにかを囁いたかと思うと――直後、空間に溶けるようにスラ子の姿が消えた。


 残された俺達はしばらく誰もが無言。


「……シィ」


 俺は、肩を落として戻って来た小柄な妖精に問いかけた。


「スラ子は、なんて?」


 こちらを見上げたシィは悲しそうに眉をひそめると、黙って頭を横に振った。


「――っ」


 不意に、低い振動が地面を揺らす。


 シィがよろめきかけて、俺はとっさに相手を支えながら天井を見上げた。

 ぱらぱらと細かい破片が降ってくる。


「……さっそく始まりやがったな。おい、ボンクラ。どうすんだっ」

「決まってる」


 俺は目つきの悪いエルフを振り返って、


「さっきの落盤でここらはだいぶ不安定だ。なにがあるかわからない。負傷者を連れて一旦、地上に出るぞ! ルクレティア、エリアル、避難の指揮をたのむ」

「かしこまりました」

「わかった」


 種族の異なる美貌の二人が頷いてくる。


「こちらで無事な者は地下湖から外へ避難させる。水に入れない負傷者は、すまないがそちらと一緒に連れていってもらえると助かる」

「わかりました。それでは――」


 さっそく手順の確認を始める二人の奥で、なにかががらりと大きな音を立てた。


 どこかから大きな物体が落ちて来たらしい。

 だが、それは崩れた天井でもなければ、壁から剥がれた石材の類でもなかった。


「姫様……!」


 それは人間だった。

 重装の甲冑に身を包み、それをボロボロに汚した騎士。フルフェイスの兜はどこかに脱げ、まだ十分に若々しい素顔を晒したその人物の声に、俺には聞き覚えがあった。


 確か、クーツと言った。

 王女の側近を務めていた若い騎士。仮拠点を防衛する別働隊を指揮していた相手のはずだ。


 リザードマンの老長が仕掛けを崩壊させて起こした、水流の氾濫に巻き込まれたと思っていたが。……生きていたのか。


 暴れ狂う水流に翻弄され、なんとか溺死は免れたらしいその若い騎士は、それからずっと自分の仕える主を探してダンジョンを彷徨っていたのだろう。ふらついた足取りで立ち上がると、こちらにむかって足を向けて、何度もよろめきながら近づいて――その足が止まった。


 大きく目を見開く。

 その視線の先に横たわっているのは、物言わぬ王女。


「姫、……様」


 がくりと膝を落として。若い騎士は全身を震わせた。


「何故――何故、このような……」


 静かに慟哭する後ろ姿を見るのはいたたまれなかったが、放っておくわけにもいかない。俺は若い騎士の肩に手を置いて、


「おい、あんた。手伝ってくれ。遺体を運びたい。あんた以外に生き残りはいるのか? 他にも負傷者がいるなら、一緒に外へ出るぞ。ここは危険だ」

「うるさい!」


 怒声と共に手を振り払われる。憎悪に満ちた目が俺を睨みつけた。


「貴様! 貴様が、姫を……!」

「ああ、そうだよ!」


 俺は相手から向かってくる感情の迸りをそのまま返すように声を荒げて、


「あんたの主人を殺したのは俺だ! だから、あんたの怒りも恨みも全部、俺にぶつければいい! だから今は逃げるんだよ! 生きてなけりゃあ、復讐もなにもあったもんじゃないだろう! それとも主人と仲良くこんなところで埋葬か!? それであんたのお姫様は浮かばれるのか!」


 噛みつけるほど近い距離で睨み合う。

 ぎり、と折れそうなくらいに強く歯噛みした騎士が、


「そのようなこと、貴様に言われるまでもない……!」


 唸るように言って、そっと王女の頭に手をやった。

 慈しむように撫でると、抱きかかえて立ち上がる。


「……姫様の遺体を連れ出してもらえるのか」


 そうして再びこちらを見る騎士の瞳は、真っ赤に充血しきっていた。

 怒りと悲しみに血涙を零しそうな表情で、自身の内側に沸きたつ感情を必死に抑えつけるような声音で訊いてくる相手に、


「そのつもりだ。だけど、鎧も一緒だと重すぎる。脱がして運びたいが、いいか」

「構わん。だが、もしも亡骸を辱めるようなことがあれば――」

「誰がするか。なんならあんたが指揮をとれ。それで、他に生き残りはいないのか」

「……数名、いる。深い傷があったので、途中で別れて休ませている」

「ならこっちから使いをだそう。悪いが、あんたも同行してもらえるか。俺達だけだと説得に時間がかかるかもしれない」

「心得た」


 俺に背中を向けた騎士が、


「……礼は言わん」


 短く投げかけてきた声は、はっきりと憎悪に満ち満ちていて。


 俺も足を止めて、肩越しに振り返る。


 騎士の背中。

 その深い悲嘆と絶望に包まれた背中に、応えた。


「当たり前だ。俺はあんたの仇だぞ、礼なんか言われたらお姫様に恨まれる」


 王女と騎士。身分の違う二人がいったいどういう関係だったのか。


 そんなことを想像する資格も、余裕も俺にはなかった。

 だから、せめて自分の言葉が若い騎士をこの瞬間、生き残らせる理由になればいいと思いながら、その場を去った。


  ◇


 スラ子が姿を消してから、洞窟内には単発的な振動が響いている。


 それは間違いなく戦闘を意味するものだった。

 つまりはスラ子が何者かと戦っているのだ。今、この瞬間も。


 金精霊ゴルディナが最後に残した台詞を信じるなら、その相手は恐らく精霊。しかも、一体や二体ではない。

 この世界に在る無数の精霊達。その全てが、スラ子の相手となる。


 ――“魔王災”。


 この世界に仇なすものと精霊によって認められた、魔王という冠を戴く災害そのもの。

 スラ子は自分でゴルディナをその手にかけることで、俺達や、ストロフライがそれに認定されることを避けさせた。


 だがその結果、スラ子が“魔王”にされてしまった。


 なら、その結末は?

 いったいスラ子は、どういう落としどころを用意しているのだろう。


 スラ子は言った。

 これからが、“わたしの戦い”です。と。


 ……恐らく、スラ子はわかっていたはずだ。

 精霊を取り込み、アカデミーでは別の現実なんてものまで創りだし、この世界で最強を誇る竜族とさえあるいは対等に張りあえる程の存在に成ってしまったスラ子。


 そのスラ子が、あえて今まで手をださなかったのは、なによりそれを俺が望んだからだ。


 俺がいなくなった後も、スラ子が生き続ける理由。

 スライムなダンジョン――“スラ子のダンジョン”としての存在意義を、この洞窟に求めた。


 だから、この洞窟を防衛する行為をスラ子だけに任せきりにするわけにはいかなかった。


 スラ子がたった一人で全てをやってしまうのなら。

 それはスラ子一人ということと変わらない。


 それじゃ駄目だ。


 この洞窟には俺やスラ子だけじゃない、大勢が関わっている。

 昔から棲んでいたリザードマン達。生まれついた場所を追われて移って来たマーメイド達。近くの森を縄張りにする妖精族。メジハの町の連中に、ギーツ。それにバーデンゲン商会だってそうだ。


 そういう大勢との関わり方を持った上で、俺はスラ子のこの洞窟と共に在って欲しかった。

 それこそが、俺がいなくなった後でもスラ子が存在し続ける理由になるはずだった。


 でも、それはほとんど俺の我儘みたいなもので。


 その我儘を、スラ子は聞いてくれたのだ。

 だから、スライムを通した遠視という強力な、しかしあくまで補助的な役割に徹し続けてくれていた。


 そのスラ子が、“自分の戦い”だと宣言した。


 それが意味するもの。

 その戦いの結末が、なにを意味するのか――それが、俺には不安でたまらなかった。


「よう、ボンクラ」


 ルクレティア指揮の下、王都軍の生き残りも含めて地上へと避難する途中、俺の横を駆ける銀髪のエルフが囁いた。


「いいのかよ? あの“精霊喰らい”、手前には奥で引っ込んでろって言いたかったのかもよ。信じてんだろ、アレのことをよ」


 揶揄するような物言いに、俺はちらりとそちらを見て、


「……信じるってのは妄執と同義じゃない。相手に任せきりにすることでも、ない。俺はあいつを信じた。だから、俺は俺で、俺のやるべきことをやるだけだ」

「へえ。そんなら、手前のやることってのは一体なんだ?」


 俺は相手を睨みつけたが、ツェツィーリャの表情はからかうのでもなければ、揚げ足をとろうとしているのでもなかった。

 不安と緊張にひきつった顔でエルフは唇をゆがめて、


「覚悟しとけよ。“いよいよ”って時が来たら、つまりはそれが手前のやるべきことって奴だ。アカデミーの時の話、忘れたわけじゃねえだろう?」


 俺はそれに答えようとして、ふとなにかの気配を察して視線を動かした。


 すぐそこに炎が見えた。

 炎をまとった人型――精霊形。いや、精霊そのものだ。


 一体いつの間に現れたのか、火精霊サラマンデルが爛々とした敵意に満ちた眼差しでこちらを見据え、その紅蓮の炎で描かれたような腕を今まさに伸ばそうとしている。

 不意の襲撃に、俺が警戒と対応を周囲に呼び掛けようとする前に、


「――――」


 虚空から現れたスラ子が、一振りでその精霊を吹き散らす。


「向こうからもです!」


 悲鳴のような声。

 ヴァルトルーテの声に顔を向けると、後方に二体の精霊。周囲に溶け込むような保護色の土精霊と、もう一体は緑色に淡く輝く風精霊。


 だが、その二体が何かをする前に、その背後からやはり溶けだすように現れたスラ子が、あっさりと彼らを打ち倒してしまう。


 二体の精霊を、二人のスラ子が。

 いや、三人だ。


 俺のすぐ近くでは、こちらに攻撃を仕掛けようとした火精霊を一撃で葬り去ったスラ子が、消え去ることなくその場に佇んでいる。


 幻でも、一瞬で移動したのでもない。

 今やスラ子は一人ではなかった。


「スラ子――」


 俺が声をかけると、スラ子は無言のままこちらににっこりと微笑みかけて。

 そのまま現れた時のように、虚空へ滲むように姿を消した。


 向こうの二人のスラ子も、同じく忽然といなくなっている。

 スラ子が消えた空間を見つめて、俺が呆然と立ち尽くしていると、


「マスター」


 カーラに声をかけられた。


「……ああ。全員、無事か?」

「はい。あの、今のは」


 カーラは少し顔を青ざめさせて、なにか言いたそうな表情だったが、俺は黙って首を振った。気持ちはわかるが、なにを聞かれても俺にも答えようがない。


「行こう。出口はもうすぐだ」


 こくりと頷いたカーラが指示を伝えに向かうのを見送りながら、目線を落とす。

 そこには小さなドラ子を胸に抱えたシィが、不安そうに俺を見上げていた。


「シィ。……さっき、スラ子がなんてお前に言ったか。教えてくれないか?」


 シィがびくりと肩を震わせた。

 その目にみるみるうちに涙が溜まっていって、ぽつりと。


「――元気でね、って」

「……そうか」


 俺はシィの頭を撫でて。

 ドラ子ごと、シィを抱きかかえた。


 シィがぎゅっとしがみついてくる。声を殺して震える小柄な妖精を無言であやしながら、


 ――ふざけるな。


 胸の中で吠える。


 元気でね?


 なんだその台詞は。

 なんだ、その終わり方は。


 そんなのは認めない。絶対に認めてやらない。

 スラ子、お前にいったいどんな未来が見えていたとしたって――そんな終わり方だけは、絶対に覆してやる。


 思いながら、その脳裏に浮かぶのは以前、スラ子に触れた時に飛んだ意識が見た、あの光景だった。


 激突する二体。

 山のような不定形と、それに嬉々として挑みかかる巨大な黄金竜。


 ……ふざけるな!


 それを振り払おうと、俺は実際に激しく頭を振った。


 視界の先に光が浮かび上がる。

 松明や魔法の灯りではない、自然の光度。


 そちらに向かって俺達はいそいで足を速めて。



 そして、見た。



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