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二十四話 マギの戦い

『ご主じ――』

「他の連中の戦闘指揮をとれ! あのお姫様は、こっちで受け持つ!」

『っ……、かしこまりました!』


 悠長に言い合いしている余裕はない。

 結晶石の向こうでもそう判断したのだろう。すぐに意識を切り替え、エリアルとの間で指示命令をやりとりし始める声を聞きながら、目の前の相手を睨みつける。


 両頬から異質な涙を流す、儚げな王女。

 その姿は華奢な体格には似つかわしくない重甲冑と、手にした馬鹿馬鹿しいほど巨大な得物。それらのアンバランスさに加えて、どこか虚ろな表情に彩られた涙化粧が相まって、ひどく浮世離れした気配をかもしだしていた。


 ……人外のモノ。

 精霊の力を持つ存在。

 特別ななにかに選ばれた、相手。


 その相手が、何気ない動作で身体を傾けたかと思うと――一気に、こちらに向かって駆けだした。


「カーラ、下がれ!」

「はいっ!」


 騎士の亡骸をその肉体ごと、得体のしれない金属物に変化させ、ゴーレムに仕立てあげた。あんな能力を見せられて接近戦なんざ出来るわけがない。


 触れられたらアウトだ。

 まずは様子見。そして、どこかで隙を見つけて――と言いたいところだが、そうもいかない。


 その理由は周囲の環境にあった。


 俺達が近衛騎士の連中を追い込み、包囲した大空間。そこにはいたるところに撒かれた瀝青が燃え上がり、炎と煙をもうもうと巻き上げていた。

 それはついさっきまでこちらの有利に働いていたが、今ではまったく逆になってしまっている。


 王女によって創られた大勢の騎士像達。あの連中が、いまさら呼吸をしてくれているのだろうか? ――とてもそうは思えない。


 となると戦闘が長引けば長引くほど、酸欠の恐れがでてくるのはこちらだけ――いや、もう一人。“精霊憑き”の姫。俺達とおなじ弱みを抱えているはずのその相手こそが、のんびりしていられない理由のもう一つだった。


 正確には、のんびりさせてくれそうにない。だが。


『瀝青、放て!』


 エリアルの号令が飛んだ。

 周囲から瀝青泥が投げ込まれる。その大半はゴーレムを目標にしていたが、一つ二つ、狙ったのかそれともただの偶然か、王女の進行方向に飛びこんだものもあった。


 こちらにまっすぐ駆けながら、王女はそれを躱そうともしない。

 べちゃっとその泥玉の一つが頬に直撃して。

 即座に金色のなにかに変色、変質してボロボロと剥がれて零れ落ちた。


 王女の勢いはそのまま、走りながら軽々と振り上げた得物が一息に振りおろされる。破壊的な轟音。直撃を受けた床が粉砕された。

 あわてて横に飛んでその攻撃をかわしながら、俺は腰元から妖精の鱗粉を詰めた小袋を取り出し、急いで口紐を切って、


「ファイア!」


 叩きつけるように王女へと投げつけながら、口火を生み出す。

 まだ四散しきっていなかった鱗粉が、ほとんど爆発するような勢いでその場に濃い煙幕となって広がった。


 これで、少なくとも目くらましにはなるはず……!

 ――だったのだが。


 ぬっと煙幕から突き出た無骨な甲冑に覆われた腕が、舞でも踊るかのように優雅に宙を泳いだ。


 ゆるりとした対流。

 その軌跡がキラキラと金粉のようにきらめいて――たったそれだけで、たちこめた煙幕はあっけなく霧散させられてしまう。


 ……煙幕の成分を無理やり金属紛にして床に落とした、だって?


「なんでもありかよ……」


 思わず頬がひきつってしまう。

 すぐに思い直した。


 ――いいや。なんでもありなんかじゃない。

 あのお姫様は「人間」だ。それが意図的なものかどうかはともかく――“人の形”をしている以上、そこには必ず構造上の弱点がある。


 たとえば呼吸。

 人間は息をしなければ生きられない。鼻や口から空気を取り込んで、肺へと送る。そうした基本的な生体活動を王女がまだ行っているなら、酸欠状態をつくりだせばそれだけで勝ちだ。


 だが、そこまで考えてから自分で気づいてしまった。

 ゆっくりと呼気を吐く王女の口元から、薄い煌めきが漏れている。それは周囲に漂う、鱗粉の煙幕が変化させられたものかもしれなかったが――


 もしも王女が、自分が呼吸する空気内から、不要なものだけを金属に変えることができたなら。逆にいえば、必要なものだけを取捨選択して体内に取り込むことができたなら。

 その場合、恐らく王女に酸欠という事態は訪れない。

 この空間そのものに新鮮な空気がほとんどなくなってしまえば別だが、その時はとっくにこっちの方が先にまいってしまっているだろう。


 『触れたものを金属に変質させる』能力。つまりはその自由度がどの程度かで変わってくる話だが、詳細が未知数である以上、最悪なものを想定しておいた方がいい。

 そして多分、今回はその“最悪”なパターンであってる。それはちょっとした勘みたいなものだったが、なんの根拠もないわけじゃない。


 少なくとも、あの王女の能力は無原則、無制限に発動するタイプではないはずだ。

 もしそんなことになっていれば、それこそ王女は“息さえ出来なく”なってしまう。王女が呼吸するためには、周囲の空気が空気のままでなくちゃならない。


 なら、あの能力には「取捨選択」があるってことだ。

 問題はその選択が意識してのものか、それとも半ば無意識によるものなのか。


 それに――その場合、あの涙はどうなる。

 今も王女が頬に流しているあの異様な涙は、どう判断すればいい?


 恐らくそれが。

 それこそが、勝機だ。


 じりじりと相手から距離をとりながら、手のひらを握り込む。痛いぐらいに力を込めると、ぬるりとした汗の感触。周囲の気温があがっているからか、それとも空気が薄くなっているからか、不快感が全身を包みかけていた。


 心臓の鼓動が早い。

 ちょっとでも力を抜けば、膝は今にも笑い出しそう。

 ここに至って、相変わらず小心なまま。そんな自分に意地を張って奮い立たせる。


 力もなければ魔力も弱い。才もなければ能もない。

 たいして回りもしない頭を必死に働かせてみたところで、脳裏に思い浮かんだ考えは、自分でもひどく薄弱な根拠でしかないと思えたけれど。


 それで十分。

 なにか欠片でも思い込めるものがあれば、十分だ。


 そんな風に俺が覚悟を決めているあいだ、周囲でも戦闘が繰り広げられている。


『その敵には物理・魔法共に効果がありません! あくまで移動障害を念頭に攻撃の継続を! 決して正面から相対することのないよう注意してください!』

『了解――!』


 燃えた瀝青から発生する黒煙のせいで視界をさえぎられているが、少し離れた場所でどれだけ激しい戦いになっているのかは、結晶石を通じて聞こえてくるやりとりだけで容易に想像がつく。

 あの騎士像連中もかなり厄介な代物らしい。


 だが、それらを創りだした術者が王女である以上、あのゴーレム達を止めるには王女をどうにかすればいい。

 そのためにも、王女とゴーレム達を分断したまま各個に叩きたいところだったが、


『……すまない、マギ! 何体かそちらに行った!』

「わかった。残りの足止めを頼む。……ルクレティア、例のあれ、用意しといてくれ」

『お待ちください! ご主人様、それは――』


 即座に反対の声をあげかけるルクレティアの言葉を、俺は最後まで聞くことができなかった。


 王女が再び突進してくる。

 相も変わらず直線的なダッシュだ。その能力はほとんど底が見えないほどに恐ろしいが、攻撃の種類が近接攻撃に限られるっていうだけで大分、対処は楽ではある。


 いそいで距離をとりながら、左の片手一本に大得物をひっさげた王女が、残った右腕を振りかぶったのが視界に映った。

 その右手に握られているのは、ほとんど人の頭くらいの大きさの何か。


 王女はそれを思いっきりこちらに投げつけてきて、


「マスター!」


 間一髪、俺の前に飛び込んできたカーラが、ミスリル銀の手甲でなんとかその飛来物をブロックする。


「痛っ……」


 苦悶に顔を歪めるカーラの前方にごとりと鈍い音をして転がったのは、見るからに重そうな、金属に変えられた“塊”だった。


 ぞっとする。

 元はそのあたりに転がっていた破片だろう。こんなもの、直撃したら気絶どころじゃない。


「すまん! 大丈夫かっ」

「はいっ……!」


 元気よく答えたカーラだが、傷んだ腕をかばうように唇を噛み締めている。

 王女を見る。


 王女は足を止めていた。

 その視線が注がれているのは――すぐそこにある、ほとんど人間の大きさほどもある巨大な岩。


 王女がそっと手を添えると、それは一瞬で金色の異物に変貌する。

 そのまま得物を床に刺して両腕で金属の大岩を軽々と抱え上げた。


 “物体を金属に変化させる”能力。

 そして、その“金属の重量は、あの王女にはまったく関与しない”という事実。


 その組み合わせが意味するところは――ふざけたような現実だった。


 巨大な金属に変質したその巨塊を両手で抱え、頭上に掲げた王女が、こちらに向かって力いっぱい放り投げる。

 王女の手を離れた瞬間。質量にふさわしい重量を取り戻した金属の岩が、手に入れた運動量と力いっぱい投げられた慣性に従って、大きく山なりの放物線を描いた。


 ……冗談じゃない!


 小さい物が当てづらいなら、投げる物を大きくすればいい。

 そんなほとんど子どもじみた発想の、しかしこの場合は間違いなく正論の産物は、正確に俺とカーラに向かって飛んできて、


「逃げろ……!」


 カーラを突き飛ばしながら、自分も逆の方向に飛ぶ。

 横に転がったギリギリのところで、隣に着弾。ほとんど爆発するような盛大な直撃音とともに地面を粉砕する。

一気に飛び散る破片にびしばしと全身を叩かれて、俺は両腕で顔面を庇って、


「マスター!」


 カーラの悲鳴。


 こちらが体勢を崩した隙に王女が一気に接近してきた。

 起き上がりながら、少しでも相手の速度を遅くしようと俺は鱗粉入りの小袋を投げつける。しかし、それに着火させる前に王女が一振り。真っ二つにされた袋は、中身ごと金属の塊になって床に転がった。


「――!」


 そのまま、一気に距離を近づけた王女が得物を振り上げる。

 こちらはまだ立ち上がれてもいない。ろくな回避行動さえとれそうにない。


 迷っている時間はなかった。

 俺は直感的に、王女に向かって飛び込んだ。


「!?」


 その刹那。

 王女の目に戸惑いが浮かぶ。


 恐らく――王女は俺が距離を開けようとすると思っていたのだろう。

 彼女の武器にはふざけたリーチがある。重い得物を紙のように振り回せるなら、どうこちらが逃げても即座に追撃に入れる。


 リーチがある近接武器というのは、長くて大きいということだ。

 それはつまり、小回りが利かないということでもある。


 いくら王女にどれだけ異常な能力があろうとその事実だけは変わりようがない。


 ――巨大な得物を振り下ろした王女の間合いの内側、ほとんど触れあうような距離で見つめあう。


 王女の瞳にあるのは、短い、だが深い逡巡の色。


 もしも王女に十分な経験があったなら。きっとすぐに、その両手に握った得物を放していただろう。

 そのまま俺を殴りつけるなり、捕まえるなりしていたはずだ。


 だが、王女はそうしなかった。

 その理由は――間違いない。“慣れていないから”だ。


 戦闘に関して、王女はあくまで素人なのだ。

 たとえ精霊の力を持とうと。どれだけ異常な能力を備えていようと。

 自分の能力に振り回されるだけの素人相手なら、やりようはある……!


 目の前の相手の表情に、ようやく理解の色が浮かぶ。今さらながらに武器を手放せばいいことに気づいたらしい王女の、しかしその動きが途中で固まった。


 強烈な既視感。

 だが、それについて考えを巡らすよりも先に、俺は新たな鱗粉袋を取り出していた。


 王女の分厚い鎧に押しつけるようにして、


「ファイア!」


 瞬間的な反応。

 包みの中で爆発するように膨れ上がったマナが、重い甲冑に包まれた王女を勢いよく吹き飛ばした。



「……っとに、芸のねえ野郎だぜ」


 朦朧としていた意識に声を聞いて薄目をあける。

 涙目の視界に、呆れ顔で冷ややかな目線をくれるエルフが映っていた。


「いつでもどこでも自爆しやがって。変態か、手前は」

「シルフィリアにも言われたよ……」


 呻くように言いながら、ゆっくりと身体を起こす。

 至近距離で鱗粉袋の爆発を受けたのだ。こっちだって無事なわけがなかったが、身体のあちこちに痛みはあっても、怪我や火傷の類はほとんど見当たらなかった。


 あまりの軽傷具合にびっくりして、すぐに思い至る。


「サンキュ」


 “風”で俺のことを護ってくれたらしいエルフが、ふんっと鼻を鳴らした。


「あの野郎、本気でお前を護る気はねえんだな」

「……ああ。あいつは今、俺を試してるんだろうからな」

「……なんだと?」


 顔をしかめてくる相手に肩をすくめる。


「なんでもない。それより――」


 頭を巡らせると、少し離れたところに仰向けに倒れている王女の姿を見つけた。気でも失っているのか、微動だにしない。


「景気よく吹っ飛んだが、なにせ全身あの鎧だ。死んじゃないだろうぜ」

「死なれてもらったら困る」


 そうだ。カーラは、と思ってその姿を探すと、ほっとした顔でこちらに駆けよって来るところだった。


「マスター、よかった……!」

「ああ、そっちこそ。さっきはありがとう。ツェツィーリャ、こっちに来たってことは、仕掛けはすんだのか?」

「ああ? 当たり前だろうが。それとも合流しないで、横からいきなりあの“精霊憑き”を射ぬいてやった方がよかったかよ?」

「だから、殺したら駄目だって言ってんだろ」


 俺は半眼で言った。

 と――


「……馬鹿に、しているんですか」


 怒気を孕んだ声。

 見ると、身動きがとりづらい甲冑姿でもがくように懸命に起き上がろうとしながら、王女が激しい感情を滾らせた眼差しでこちらを睨みつけている。


「この期に及んで。死なれると困るとか。殺さない、だとか……。マギさん。あなたは、私を馬鹿にしているんですか……!」


 怒りを孕んだ声で王女が言う。


「馬鹿になんかしてない」


 細く白やかな金髪を焦がし、顔を煤に汚した相手を俺は冷ややかに見つめ返して、


「あんたには、どうあったって生きて帰ってもらう。さっきからそう言ってるだろう」


 むしろ、と吐き捨てた。


「馬鹿にしてんのか、って言いたいのはこっちの方だ」

「……! 私が、なにを!」

「気づいてないのか? だったら、それこそ馬鹿にした話だろう。悪いが、お遊戯に付き合ってるほど暇じゃないんだよ」


 王女が目を見開いた。

 わなわなと唇をわなめかせて、


「許さない……!」


 吠えた。

 そのまま一気に駆け出してくる。


 ちょっとした挑発にもあっさりひっかかる。それもまた明らかな経験不足の発露ではあったが、その能力は未熟さを補って余りあった。


「ツェツィーリャ、カーラ、援護頼む!」


 返事を待たず、二人から離れる方向に走り出す。


「ああああああああああ!」


 怒りに我を忘れた形相で得物を振りかぶる王女。

 俺は逃げるように距離をとりつつ、素早く周囲の様子を確認した。


 周囲の黒煙はますます濃くなってきている。

 右を見ても左をみても、ちょっとした先さえ見通しづらくなっている。この煙に紛れるように姿を隠すのもありかと思えたが、


「っ……!?」


 突然、前方の煙の奥からぬっと巨椀が伸びて来て、俺はあやうくそれに捕まりそうになってしまう。

 ……ゴーレム!


 エリアル達の包囲から抜け出した一体が、その異様な全身を表した。


 金色のなにかに変質してしまった元騎士。

 その表情はまるでデスマスクのように不気味に固められたまま、瞬きすらしない硬質さでこちらを見据えているかどうかさえ定かではない。


 だが、その動作はまちがいなく俺を狙ってきているものだった。

 相手の腕から逃れようとほとんど転がるように地面を転がって、そのまま駆け出そうとしたその先に、もう一体。


「あああああああああああああああ!」


 さらに後ろからは、怒れる王女様が迫って来ている。


「マスター!」


 カーラが救援に駆けつける。


 ちらと自分の背後を振り返った王女は、背後から殴りつけようとしているカーラの姿を確認すると。

 すぐ近くにいた“金属”のゴーレムの腕を掴み、それをそのままカーラに向かって放り投げた。


「なっ――ッ」


 さすがにそんな行為までは予想しようがない。カーラはまともにそれを避けることも出来ず。そのまま大質量の直撃を受けてしまう。


「カーラ!」


 俺は叫んだが、相手の心配をしている場合じゃなかった。

 目の前には物言わぬ騎士像のゴーレム。背後には“精霊憑き”の王女。


「あああああああああああああ!」


 怒れる王女が横薙ぎにした一撃を、俺はすんでのところで身を伏せて避けた。


 得物はさっきまで俺がいた空間を薙ぎ払い、ついでとばかりにその少し先にいた騎士像のゴーレムをひっかけて叩き伏せる。

 竜の加護を得た椅子をも両断にした一撃を受けてもゴーレムは砕けることはなく、ただ衝撃を受けてえらく盛大に吹き飛ばされていった。


 その隙に俺は体勢を立て直そうとして。

 ――鼻先に、巨大な得物を突きつけられた。


 俺は王女を見上げるようにしながら、唇を捻じ曲げた。


「……随分と酷い扱いだな。元はあんたに従ってこんな田舎までやって来た連中だろ」

「そんなこと。今さら、彼らに酷いことをしたのは変わらないじゃないですか。彼らをあんな風にしたのは。……私なんですから」


 自虐するように王女も頬を引きつらせる。

 瞳からまた、奇妙な涙が流れた。


「――追いかけっこはおしまいです。もう、」


 空気を切り裂く音。

 黒煙の向こうから飛来した矢を、王女は振り向きもせずに躱してみせた。


「ちっ。どうなってやがる」


 薄くなった煙の奥から、弓を構えたツェツィーリャの姿があらわれる。

 完全に不意をついたはずの一撃をなんなく回避してみせて、


「無駄ですよ」


 王女は言った。


「この空間全体には微粒の金属の粉が広がっています。その中で動くものなら全て、今の私には手に取るようにわかります。不意打ちは、効きません」


 淡々とした声音に俺は顔をしかめて、


「そいつはまた、えらく便利な能力だな。それで、自分の能力をそんな風に説明してくれるのは勝利宣言かなにかか?」

「勝負はつきました。マギさん、あなたの仲間がどれだけ傷つき、どれほどの人数が物言わぬ躯になってしまったか、教えてあげましょうか?」


 突き放すように言ってから、王女が息を吐いた。


「……もう、終わりにしましょう。これ以上は無駄な犠牲が増えるばかりですよ」


 その声は驕るのでも嬲るのでもなく、ただ深い悲しみに満ちていて。


 だからこそ。

 俺はおもいっきり表情を歪めて、


「――無駄な犠牲?」


 突き上がるような笑いの衝動に、俺はとてもそれを我慢できず、我慢しようとも思わずに、思いっきり声にだして笑った。

 せせら笑うように大声をだしながら、


「無駄な犠牲だって? なるほど、そうかもな。その通りだ。だけど、王女様。その台詞はあんたが言っちゃ駄目だろう。他の誰でもないあんただけは」


 王女はこちらの突然の豹変に眉をひそめながら、


「私……? なんのことですか」


 困惑したように言ってくる相手に続けた。


「だってそうじゃないか。会談で――この戦闘が始まるきっかけになった、あの仮拠点での話し合いの時。話が物別れに終わって、俺はあんたに捕まりかけて。だけど王女殿下、あんたはわざと俺を逃がしたじゃないか」


 ぴくり、と。

 突きつけられた剣先がわずかに揺れた。


「あの時に俺を捕まえてれば、それですべては終わってたはずだ。それでいて、無駄な犠牲は、だって? これが笑い話じゃなくってなんなんだ?」


 言いながら、沸々と怒りが湧いてくる。


「さっきもそうだ。俺があんたの懐に飛び込んだ時にも、あんたはまた躊躇したな。俺を捕まえる機会は二回もあった。それなのに、二回ともが偶然だなんて言わせないぞ」

「それは――」

「それは、あんたが迷っていたからだ。迷いながら戦ってるからだ。あんたは、俺を捕まえる気なんかなかったんだ。それともなにか? 最初から、勝つつもりなんかなかったのか? それで、これ以上、無駄な犠牲はだと? ……ふざけるな!」


 喋りだすうちにどんどん感情が昂って、最後には叩きつけるように俺は吠えた。


 脳裏に思い出す。

 老長と、それに付き従った別働隊の面々。それ以外にも、この防衛線で犠牲になった何人ものリザードマンやマーメイド達。


 その死が無駄なわけがない。

 彼らの死が、無駄になんかなるわけがないだろう。


 それを、そんな台詞をいけしゃあしゃあとこの目の前の相手がのたまってみせるのが、ものすごく腹立たしかった。


「あの騎士達もそうだ。あんたが舐めたことをやってなければ、彼らも死なずにすんだ。あんな有り様にならずにすんだんだ。それでいて、あんたは『これが、力です』とか悲劇ぶって嘆いてみせたりしてな。そういうの、なんて言うか知ってるか?」


 息を吸って、


「そういうのは、自己憐憫って言うんだよ」

「……うるさい!」


 王女が叫んだ。

 掴んでいた得物を放り出し、両手でこちらの首を締め上げる。


 そのまま金属に変質させられたら終わりだが――王女は、そうしなかった。


「あなたに、なにがわかるんです……!」


 大声で詰って来る。

 自分の正当性を誇るように。あるいは誰かに弁解するように。金属に変わってしまっては聞き届けてもらえないから、王女はこちらの首を絞めたままで叫ぶ。


 その表情はまるで別人のように歪んでしまっていた。

 怒り、悲哀、逆上。そうした諸々のものが噴出してまざりあい、感情の坩堝となった顔面で、


「望みもしない力を与えられた私の気持ちが、わかりますか! 誰も彼にも都合よく利用されてきた私の気持ちが、わかるんですか!? わかるわけないでしょう!」

「……だから、――なんだ?」


 気道を締め上げられてか細く息を継ぎながら。

 目と鼻の先にいる相手を睨みつけた。


「俺に……あんたの気持ちがわからなくて。だから。なんだ? 俺があんたの気持ちをわからないのと、あんたがおためごかしに綺麗ごと、をほざいていいかどうかは……全然、別の、話だろう」

「うるさい! あなたにはわからないんです! 力を持つということが、どれだけ――」

「そりゃあ――そうだ。力を持つとか。持たない、とか。そりゃ、それだけのことだ。俺はない。あんたにはある。上も下もない。違う、だけだ……!」


 相手の言葉をさえぎって、つっかえながら振り絞る。


「力だろうが、生まれだろうが。なんだろうが。違うのなんて当たり前だ。だって。俺は俺で、あんたはあんたなんだからな。力がある、それがどうした。力がない。それがなんだっ。そんなものは所詮、その程度のことだろうが……!」


 正面から言い放ってやった台詞に、王女は絶句して。


 糸が切れたように、その全身から力が抜けた。

 それまで俺の首をねじ切ろうとしていたかのような両手も緩められて。そっと嘆息する。


「――もう。いいです」


 それまでの感情を拭い去ってしまったような淡泊な声で、


「わかってくれるはずもないのに。こんなことを言いだした、私が馬鹿でした。おしまいにしましょう。マギさん、あなたの死体を持って山頂の竜へ。確かに、私のせいで犠牲が大きくなってしまったなら……。それに報いることは、しないといけませんものね」


 そこでふと首をかしげて、


「……山頂に持っていくのに、金に変えてしまってもかまわないでしょうか」

「さてね」


 意地悪く訊ねてくる相手に、俺は答えて。すぐに、ああ、と続ける。


「それより。ちょっと言っておきたいことがあるんだが」

「遺言なら、きちんとどなたかにお伝えしますよ」

「いや――この煙のことだ」

「煙?」


 王女が不思議そうに眉をひそめた。


「ああ。……あんたらに、投げつけて。炎がついた奴。あれ、瀝青っていうんだけどな」

「そうなんですか」

「あれ、実はこのダンジョンの改装にも使ってて。接着材になるんだよ」

「はあ」


 要領を得ないと言う風に顔をしかめる王女に、


「ただ、身をもって知ったところだろうが、あれってすごく火に弱くてさ。まあ、この洞窟は地下水とか多いし、接着剤にした石材のうえに水気がコーティングしてくれるから、けっこう大丈夫だったりするんだけど」


 王女は相づちすらなく、じっとこちらの言葉に聞き入ろうとしている。


 まるで俺の台詞のなかに不吉なものを感じ取って、その正体を見極めようとしているかのような。

 そして。それは完全に正解だった。


「それで、これからが本題なんだが。瀝青って。実は、熱にも弱いんだ」

「熱……?」


 いぶかしむように呟く王女。


 その周囲にはほとんど部屋中に蔓延するような黒い煙と、その元となるものがあった。

 つまりは、炎。


 地面にせよ、壁にせよ。投げつけられた瀝青に着火して生じた炎が、今、この部屋中に溢れかえっている。

 それらの炎のせいで、室内は蒸したように暑くなり。

 その熱は当然、大気だけではなくそれ以外にも伝わっている……!


「マギさん、さっきからあなたはなにを――」

「だからさ」


 困惑したような王女に、俺はにやりと笑って、


「“勝利宣言”だよ。勝負は、俺の――勝ちだっ」


 こちらの勝ち名乗りに相手がなにか反応するより先に、叫んだ。

 結晶石に向かってただ一言、


「やれ……!」


 周囲にマナの気配が膨れ上がる。



 次の瞬間。

 この洞窟でもっとも巨大な空間、俺達が大広間と呼ぶその部屋そのものが、崩れ落ちた。



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