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二十一話 天に吠ゆる蜥蜴

 精霊はこの世界の根源、マナを司る。


 火なら火、水なら水。

 そうした各属性を象徴するのが精霊という存在で、その彼女達はそれぞれの力を体現、行使する。


 あの金精霊ゴルディナは言った。

 スラ子を自分達の同朋として認めると。


 その台詞は、もしかしたら本心でも本気でもなくて、ただ揶揄するだけの意図だったのかもしれない。

 けれど、少なくともそう揶揄できるほどには、スラ子の在り方と自分達の在り方が近いということを認めてもいるはずだ。


 そのスラ子が、自分の眷属であるスライムを通して遠隔地を知覚することができるのなら。

 精霊にだって、似たようなことができても不思議じゃない。


 金精霊にとっての眷属。

 言うまでもなく、それは金属だ。あるいは鉱物。地中にまじり、もしくは掘り出されて精練され、道具や宝飾品として利用される様々な金属物。


 あのお姫様は、その金精霊としての力をその身に秘めている。


 ということは、


『んじゃあ、あのお姫サマにはこっちの動きが筒抜けってわけですかい!?』

「“見えてる”かはわからないけどな。こっちから見る限り、あのお姫様にそういう様子はなかった。ただ、金属の気配を知覚できるってだけでも十分、意味はある」


 この洞窟は鉱物類に恵まれているわけじゃない。

 地下に住んでいたリザードマン達も、それまで使っていたのはもっぱら石製の武具や道具だった。


 そこに、この洞窟を改築工事するにあたって鉄製の道具を供出したのは俺達だ。

 石造りのものより耐久性その他に優れた鉄製のそれらを彼らはひどく喜んで、工事が終わった今、ダンジョン防衛にあたってもそのまま鉄製の武具を使用している。


 “鉄製”の武具。


 仮に、あの“精霊憑き”のお姫様が周辺の金属物を知覚できるなら。もしも近くの金属類が移動するようなことは、そのまま“兵力の移動”を意味する。

 逆に、ろくに鉱物類も産出しないこの洞窟内で、不自然に密集して動かない金属類の気配があれば――そこに“伏せた戦力”の存在を推測することだって可能だろう。


 映像としてより鮮明な情報を届けてくれるスラ子のスライム遠視と比較すれば、いくらか使い勝手はよくない。

 だが、実際に相手にするなら十分に厄介すぎる能力だった。


『つまり、拠点襲撃隊の存在を前もって知って、突出の振りを図ったと。嵌まっていたのはこちらでしたか』


 悔しそうに、ルクレティアが呻いた。


『精霊の力。超常の現象。そんなものはいくらでもあり得ることだとわかっているはずでしたのに。……申し訳ありません。私の落ち度です』

「馬鹿言うな。そんなことまで事前に思いつけてたりしたら超人すぎるだろ」


 それに、今の今まであのお姫様にそんな気配はなかった。

 これまでに数回あった前哨戦では、金属類を持った気配を察知して回避か、逆に接近するような異常な勘の良さを敵方が見せたことはなかったのだ。


 お姫様がそれを発揮したのは、今回が初めて。あの会談のあと。いや、もっと言えば、“あの大精霊が俺達のスライム遠視という仕掛けをその目にして”からだ。


 ……金精霊、ゴルディナ。


 言葉未満の呟きを口の中で思いっきり噛み潰して。

 俺はすぐに意識を切り替えた。


「長は!」

『じゅ、戦闘、中。後退……できない』


 仮拠点の中に沸くように現れた騎士達に、拠点襲撃に向かった部隊がじりじりと追いつめられている。


 俺達がリザードマンの老長に預けて、水流の仕掛けを壊すために差し向けた兵力は十名。

 映像を見る限り、それを取り囲む騎士達の数も十名程度。


 だが、ほぼ同数で正面から戦う限り、不利なのは圧倒的にこちらだ。仮拠点の内部で戦う限り、洞窟の地形を知悉しているというこちらの有利も効果的には働かない。


 そして、それをわかっているからこそ王都軍も長達を仮拠点内から逃がしたりはしないだろう。

 逃げ道を塞いで、少しずつ包囲を狭めて。――そして、磨り潰す。


「……俺が行く」


 自分では思ってもみないくらい、その言葉は自然と口からついて出ていた。


 結晶石は沈黙。

 しばらくしてから、


『――危険すぎます』


 押し殺したような声が、小さな石から漏れるように届いた。


「ルクレティア、わかってるんだろう。ここで長達を失ったら、こっちの戦力ががくんと減る。ただでさえいい勝算じゃないってのに、次はもっと勝ち目が薄くなる」


 沈黙で応える相手に、続ける。


「それに。俺達にはまだ連中より有利な点が残ってる。それだって、お前にならわかってるはずだ」


 細いため息のあとに返答が続いた。


『……兵力の迅速な移動。そして、結晶石を用いた即時の情報伝達ですわ』

「そうだ。重装備の連中は洞窟を走れない。そして、敵の攻勢に出てる部隊と、仮拠点で守ってる部隊の間にはかなりの距離がある。情報が伝わるのも、新しい命令を伝えるのにも時間がかかる。この際、拙速こそが俺達に残された最大の武器だ」

『現状、エリアルさんには戦力を割く余裕がありません。ご主人様の位置が救援に向かうのにもっとも近いことも認めます。しかし、だからと言って、ご主人様お一人が敵中に突撃するなど無謀を通り越しています』

「俺一人?」


 俺は頬をひきつらせるように持ち上げて。笑った。


「いいや、そうじゃないさ。さすがだな。――どんぴしゃのタイミングだ」


 顔を向けたその先から、息を切らしてこちらに駆けてくる数人の姿。

 カーラ、スケル、シィ、リーザ。そしてヴァルトルーテ。ルクレティアがいざという時のために寄越していた予備戦力が間に合ってくれた。


『……それでも。私は反対です』


 静かな感情を滲ませて続ける。


『私は貴方を酷使すると申し上げました。しかしそれは、無茶はさせても、無理をさせるためではありません……!』

「――大丈夫だよ、ルクレティア」


 そっと声をかけたのはカーラだった。


「マスターは絶対に護る。ルクレティアの分も、ボクらが護るから」

『……これだから、貴女は好きになれないと言うのです。カーラ』


 ルクレティアが吐き捨てるように言った。


 嘆息。


 そして、


『私の分などと面映ゆいことを言わず、ご自分の為にこそ力を尽くせばよろしい。――そして、必ず戻っていらっしゃいな』


 くすっと笑ったカーラが、


「うん、わかった」

『……承知いたしました。ご主人様の作戦を採りましょう』


 未練を振り切るように、冷ややかな声で俺達の参謀が告げる。


『リーザさん。長に伝達を。防御に徹して、少しでも時間を稼ぐようにと。ご主人様方が拠点に強襲。エリアルさんは、王都軍主力が拠点に移動する気配があれば背後から攻撃してそれを叩き、変わらず包囲・挟撃を狙うなら現状まま反攻。……ここを勝負の際と致します。なんとしても、水流仕掛けの破壊を成し遂げてください』

『了解!』


 声が唱和する。


 即座に結晶石を通したやりとりが開始されるのを聞きながら、俺は周囲の顔ぶれを見回した。


「ドラ子は連れてこなかったんだな」


 こちらを見上げるシィが、こくりと頷いた。


「……ルクレティアさんに。預けて来ました」

「そっか」


 小さな頭に手をおいてわしゃわしゃと擦ると、くすぐったそうに目を細める。ぱたぱたと背中の羽が揺れた。


 カーラに目を向ける。


「……正直言うと、人間相手に戦ってもらうのは躊躇ってた」

「うん。わかってました」


 カーラは微笑んだ。


「マスターが、ボクのことを思ってくれてるってこと。この戦いのあと、メジハに顔をだせなくなるかもって。だから、ずっとそうしてくれてたんですよね」


 でも、と頭を振る。


「もう、いいんです」

「もういい?」

「人間とか、魔物とか。だって、ボクはボクだから。この戦いが終わっても、ボクはメジハに行きます。なにを言われても、どれだけ嫌われてても。そんな風に思えるようになったのは、マスターや、みんながいてくれたからだから」


 真っ直ぐな眼差しで、


「だから、ボクは戦います。マスターのためじゃない。自分のために」

「自分としちゃ、なんとなく不満もあるっちゃあるんですがね」


 茶化すように、口を挟んできたのは真っ白い元スケルトン。


「こっちは随分と前から、ひたすらこき使われてたわけですが。カーラさんへの厚い配慮は、自分にゃ向けてはもらえないわけで?」

「なに言ってやがる」


 俺は半眼をつくってスケルをみやり、


「お前は元々こっち側だろ。この洞窟は、俺とお前とで、始めたんだ。最後まで付き合ってもらうに決まってる」

「そりゃまた随分と横暴な」


 言いながら、スケルは嬉しそうに肩をすくめて、


「ま、そーいうのは自分だけ――って思えば、あんまり嫌な気がしなかったりするのがまた困ったもんすねえ。やれやれ、我ながらどうしようもないったら」

「……じゅ」


 長相手に喋っていたリーザがやりとりを終え、こちらを見る。

 爬虫類の虹彩が細まり、無言のまま顎をひいた。


 ツェツィーリャを見ると、相変わらずの半眼でふんと鼻を鳴らしてくるだけ。その隣のヴァルトルーテが囁いた。


「私も。お付き合いします。……見届けなければいけませんから」


 辛そうに、けれどなにかの覚悟を秘めた表情。


 俺はこくりと頷いて、


「――いいか、悪いが俺は死ぬつもりなんかないし、お前らを死なせるつもりもない。つもりで世の中が動けば世話はないが、それでも悲愴に浸って突撃するなんてまっぴらだ」


 大きく息を吸い、告げる。


「行こう。俺達が、勝つんだ」


 全員が力強く頷いた。



 ついさっき駆け抜けた通路を、それに倍するような速度で駆け戻る。


「ご主人、そういやお姫サマが金属やなんやらを察知できるってんなら、身の回りから外しといた方がいいんじゃないっすか?」


 俺の隣を走りながら、ふと気づいたようにスケルが首をかしげてきた。


「あ、それじゃあボクのこれも――」


 カーラが両の拳にはめた魔法銀の籠手に目を落としながら言ってくる。


「いや、大丈夫だろう。少なくともあのお姫様の知覚は万能なんかじゃないはずだ」

「そう判断する理由をお聞きしても?」

「もし、あの王女殿下の知覚が、スラ子のやってるくらいの精度があれば――たとえば、どの金属反応を持っているのが誰か、なんてところまで正確にわかれば。そりゃつまり俺がどこにいるのかもずっとバレバレだったってことだ。だったらもうちょっとまともな策を考えて、いきなり俺を捕まえてるだろうさ」


 切り札があり、それのアドバンテージをもっとも効果的に得られるのは、その存在が知られていない状況のはずだ。

 そこで不意をつけていれば、向こうはその時点で全てに片をつけられていたのだから。


「ああ、なるほどっ」

「連中は、間違いなくこっちの伏兵に気づいてた。こっちの兵力配置を読んで、避けたり、向かったりもしてたっぽくもある。だが、逆に言えばそれだけだ。今こっちで判断できる限りはな」

「今さら出し惜しみってのもなさそうな話ですしねぇ」

「ああ。そして、連中がこっちに比べて急な身動きがとれないこと。向こうの戦線がかなり伸びてること。部隊間の情報伝達に時間がかかるのも間違いない。だから、とりあえず今、俺達が装備を捨てることは、メリットよりもデメリットの方が大きいと思う」


 こちらから救援が向かうことくらい、金属感知があろうがなかろうが予想されるているだろう。


 もちろん、この戦いをもう少し長い視点でみれば、今リザードマン達が使っている鉄製の武具を、彼らが以前に重宝していた石製に持ち帰ることには意味がある。


 そして、そのくらいのことは、あのルクレティアが思いついていないはずがなかった。


 ただ、その余裕があるかどうかは微妙なところだろう。


 俺達が拠点襲撃隊の援護に向かう間、エリアル達は王都軍主力の攻撃を受け止め続けなければならない。

 呑気に武器を持ち運んだり、持ち替えたりなんてやってる暇があるかどうか。


「ま、自分は武器がこれなんで問題ないっすけどね」


 言いながら、スケルが掲げてみせたのは一見すると古びた木製の残骸。

 ストロフライの加護を得て最高の硬度を誇り、“精霊憑き”のお姫様が振るうふざけた得物によってちょうど真ん中で綺麗に断たれた椅子は、本来の機能を完全に失ってしまっていたが、


「あのお姫サマ以外の相手なら、まだまだイケるっすよ。ほい。こっち、ご主人に貸したげます」


 二つに断たれた一方を差し出されて、俺はありがたくそれを受け取った。

 実際、武器としては扱いづらいことこの上ないが、一般人にはこれに対して傷をつけることすらできない。防御兼用の武器の鈍器としては十分に有用だった。


「……これから決戦だってのに、椅子ってのもなぁ」

「ケチつけてる余裕なんざありゃしませんって。ほら、おいでなさいましたぜ!」


 スケルの声にはっと顔をあげる。


 仮拠点まであと少し。

 三方から通路が繋がるその中央、やや広がりのある空間に三名の重騎士達。


 互いの背後を守るように周囲の警戒をしていた騎士の一人が、こちらに気づいて短い声をあげる。


「貴様ら――」


 それを聞き終わる前に、こちらは動いていた。


 椅子(半分)を握ったスケルが突進する。そのすぐ後に、拳を固めたカーラが続く。

 剣を構えた騎士達が、もう一方の手のひらをこちらに掲げようとする。


 マナの輝きが灯り、相手の攻撃魔法がこちらに放たれようとしたところに、


「――!」


 背中の羽を輝かせたシィの魔法が妨害する。


 剣も魔法も収めている近衛騎士だ。魔法への抵抗力だってさぞや優れているだろうから簡単に幻惑なんかにはかかってくれないだろうが、そちらに意識をとられたら集中はとけてしまう。

 攻撃のタイミングが遅れたその一瞬の隙をついて、カーラとスケルが動く。


「いす、あたーっく!」


 椅子の片割れを頭上にかざしたスケルが、おもいっきり振り下ろして叩きつけた。

 半分とはいえ、それなりに重量のある一撃に、騎士が剣でそれを受ける。


 その動きが止まった相手にカーラがさらに接近して、


「やあああああああああ!」


 ミスリル製の籠手が輝かしいほどの魔力光を発した。


 そのままカーラは強く踏み込んで。

 おもいっきり、ぶん殴る。


 以前、生屍竜にさえ尻餅をつかせた魔力込みの一撃は、屈強な体格の騎士をその身を守る鎧ごと粉砕した。


「っ……」


 悲鳴すらないまま、向こう壁まで吹き飛んでいく騎士。男はそのまま激突、失神してがくりと首を落とした。


「あ、わっ、ごめんなさい!」


 そこまで威力が出るとは思わなかったのか、あわてて謝罪の声をあげるカーラに、怒気のはらんだ呻りをあげながら残り二人が襲いかかる。

 突くような一撃。

 狭い空間での戦い方を心得たような動きに、カーラが大きく身をかわす。その体勢が崩れたところに、残ったもう一人が追撃を入れようとするが、


「がッ……?」


 全身をほとんど余すことなく包み込んだ甲冑。そのほんのわずかな間隙を一本の矢が射ぬいていた。

 そこにすかさず、リーザが手にした石剣で殴りつける。


「ふん」


 弓を射った姿勢のまま、つまらなそうなツェツィーリャの横で、その姉が緑色の魔力光に包まれている。


「――お眠りなさい」


 柔らかい囁きとともに、帯のように広がった魔力光が三人の全身を包んだかと思うと、残る二人が意識を失ってその場に崩れ落ちた。


 『眠り』の魔法の一種だろう。

 こういう魔法はシィも得意としているが、今のはシィの使うものよりさらに強制力が強そうだ。


 さすがはエルフ。人間が扱うものとは魔法の練度が違う。


 ……なんというか、俺が出る幕がなかった。

 あったとしてなにか出来たかと言われれば非常に怪しくはあるが。


「急ごう」


 手早く三人を無力化して、さらに前へ。


 カーラとスケルを先頭に、周囲を警戒しつつ進みながら、俺はすぐ近くの壁にスラ子が映してくれている仮拠点の映像に目を向ける。

 そこには、じりじりと包囲を狭める騎士達に囲まれて、劣勢に追いやられていく味方の姿が映っていた。


「すぐに行く。なんとか踏ん張ってくれ」


 俺の台詞をリーザが向こうに伝える。

 危機に陥った拠点襲撃隊のリーダーである老いたリザードマンの長は、結晶石からの声に反応する様子を見せなかった。ただ一言、


『じゅらや』


 響いてきた言葉に俺は顔をしかめる。

 地下のリザードマン達と付き合いを持つようになってから、俺も少しずつ蜥蜴語を覚えようとしていたが、彼らの言葉は使用する音域が狭く、難解だった。


 ニュアンスくらいなら多少わかるようになってきていたが、あまりよい意味に聞こえなかった。リーザに顔を向けると、若いリザードレディはいつもの表情が窺えない爬虫類的表情で、


「いらナイ」

「……なんだって?」

『じゅや、しゅららしゅあ、うら。しゅるら』

「――助け、いらナイ。果たす。役目」


 淡々とした声で言った。



 仮拠点を襲撃したこちらの部隊を迎え撃つ王都軍は、その戦闘経験の豊かさをあらわすようにあくまで慎重だった。

 数はほぼ同数。だが、装備、練度とともに優勢なのは敵方。


 向こうにしてみれば焦る必要はない。

 落ち着いて、仲間との連携をとって包囲していればいずれ完封できる。


 それに対するリザードマンの老長が率いる襲撃部隊は、なんとか事態を打開しようと突破を試みるが――そうした無茶な行動こそ、王都軍側の待ち望んでいた反応だった。


 鉄剣を構えた一人のリザードマンが突撃する。

 それに向かって周囲から魔法攻撃が飛ぶ。狙われたリザードマンは、機敏な動きでそれらを回避するが、ついに一本の氷の槍がその足を直撃、彼と地面とを縫い合わせるようにたちまちに凍りついた。


 そうして動きが止まったところに、再び攻撃が集中する。

 動きを止められたところを狙い撃たれ、リザードマンは声もなくその場に崩れ落ちた。


 ……不味い。


 数が少なくなればなるほど、戦力差は開く一方だ。今は少しでも時間を稼いで、こちらの救援を待ってもらいところだったが、


『しゅら!』


 老長が鋭い声を発する。

 それを合図に、長と五人のリザードマンが一気に駆け出した。


 五人のうち三人はマーメイドを背負っている。水流を捻じ曲げている仕掛けを水魔法で壊す役割の彼女達を庇うように、残り二人のリザードマンがまず突進した。


 すかさず、周囲から攻撃魔法が飛ぶ。

 それを避け、あるいは喰らいながらも速度を落とさない二人の前に、完全装備の騎士達が立ちはだかる。


『ウォータープレス!』


 三人のマーメイド達の声が唱和した。


 具象化した水流がたちまちに放散して、敵味方の足をとる。その水流の流れに乗るようにして、身体ごとぶつかるように二人のリザードマンが切りかかった。

 態勢を崩しかけていた騎士はそれを十全に受け止められない。


 ――王都軍の包囲に一瞬、穴があいた。


 そこを逃さず、長とマーメイドを背負った三人が抜け出す。それに最初の二人が続こうとしたところで、その背中に王都軍の攻撃魔法が降り注いだ。


 炎の、あるいは氷の矢を受けて倒れ伏せる味方を振り返らず、長達は走る。


 包囲を突破した長達は、しかし、その場から逃げ出したのではなかった。その向かう方向は明らかに彼らにとっての奥。つまり、目的である場所を目指していて。


 長達が足を止める。

 その目の前に広がっているものは、


「あれが、仕掛けか……!」


 長の連れた手乗りのスライムから送られてくる映像に、俺は声をあげた。


 実際には、それは仕掛けというほどに大掛かりなものではなかった。

 ぱっと見はただの壁にしか見えない。魔法で呼び出された大量の土壁だ。


『ウォーターガン!』


 リザードマンから降ろされた三人のマーメイドが、指向された水撃でそれを穿つが、土壁はびくともしない。


 長が近づいて、手に触れてみる。

 崩れかけた土の向こうに、鈍い輝きが埋もれていた。


 ――鉄板だ。


 念入りと基礎から工事している余裕なんてなかったはずだが、さすがに土だけ盛って終わりなんて雑なことはしていないか。

 それに、あの“精霊憑き”のお姫様がいれば多少の無理は通るだろう。


 なら、この水流を押し留めている仕掛けを壊すには、まず鉄板の周囲を掘るしかないわけだが――そうした余裕は、こちらにも与えられてはいなかった。


 攻撃魔法が殺到する。


 それは、長達が包囲から抜けて来た背後からだけでなく、左右からも降り注いだ。

 とても対処できないだけの数の攻撃魔法が、土壁に再度の魔法を放とうとしていたマーメイド達に集中して、打ち倒す。


 残るは、たった四人のリザードマン。


 その前方と左右の暗がりから大勢の騎士達が姿を現した。数は、おおよそ二十近く。


 この洞窟にやってきた近衛騎士団の数は五十名程度。

 その半数近くを使って、彼らは罠をはって待ち構えていた。


 ……状況は、絶望的だ。


『投降するがいい。蜥蜴人』


 低く抑えられた声が言った。


 聞き覚えがある。

 たしかクーツといった。王女殿下の護衛をしていた若い騎士の一人だ。


『姫殿下が築かれた壁は、お前達如きで崩せはしない。投降しろ。命は保証しよう』


 リザードマンは精霊語を使わない。

 あるいはその騎士の言葉は、こちらに問いかけているのかもしれなかった。こちらがスライムによる遠視が可能であることは知っているはずだ。


「くそ……!」


 絶体絶命の状況を見ながら、俺は歯噛みした。

 ようやく仮拠点前まで辿り着いていた俺達だが、そこに籠もる数名の騎士の反撃にあってそれ以上進めないでいた。


 カーラやスケル、リーザが一気に接近しようとするが、陣地から牽制の魔法を撃たれて叶わない。シィやヴァルトルーテが補助魔法、あるいはツェツィーリャの矢も籠もられてしまえば有効打は難しかった。


「長。……投降してくれ。すぐに助けにいく」


 静かな眼差しでこちらを見たリーザが、結晶石に囁く。

 その言葉を確かに耳にしたはずの老いたリザードマンの長は、ちらりと長い舌を伸ばして。


『じゅら、ゆしゅらら、うらしゅ。しゅせしゅいゆるらぅ、しじょしゅ』


 告げる。

 その言葉は、自分達を包囲する騎士達に向けられたものではなく、


「言ったはずだ。若人よ。最早この身に未練はない」


 耳元に声が届く。

 リーザの通訳を介さず、結晶石も経由しない声は、今この場にいないスラ子のもの。


『じゅんしゅゆいら、しゅじゅしゃいしゅら、いしゅらっじゃしゅしゅゆおう』

「この老骨はただ、この血肉で報いる機会を与えてくれたことを感謝しよう」


 屈強な、老いたリザードマンが、その手にたずさえる古びた石造りの大剣をかかげ、


「――!」


 即座に踏み込んだ若い騎士が、剣を振るった。


 鮮血が舞う。


 肩口から斜めに振り下ろされたその斬撃は明らかに致命傷だった。

 深手を負った長が目を見開く。

 ぐらりと揺れかけた巨躯が、なんとかその場に踏みとどまる。

 そして。


 牙を見せて笑った。


『じゅらしゅらら、じゅうゆじゅらしゅしゅゆ!』

「天空おわす竜神も照覧あれ。今、この身をもって我が若人らの前に道拓かん――」


 叫びとともに、自分の背後の土壁に叩きつける。


 老長のこれまでの生きた全てを込めた一撃。

 その一撃はしかし、土壁に埋まった鉄板に弾かれて硬い音を響かせて。


 大剣が、砕けた。



 ――現実なんてそんなもんだ。


 どれだけ思いを込めようと、ただの石剣で分厚い鉄版を貫くなんて出来やしない。


 だから、その渾身の一撃が与えた影響は、たとえば少しの振動だとか。

 ほんのわずかな力のかかるバランスをズラしたとか、その程度のことくらいで。


 だけど。

 たったそれだけを可能にすることをこそ――意地というのだ。



 ピシリと。

 なにかの音が小さく、だが確実にその場に生じる。



 土壁に、ヒビが。


 そう映像で確認できたと思った次の瞬間。

 怒涛の勢いで溢れかえった水流が、傲然と胸を誇る老長ごと、その場の全てを押し流した。



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