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二十話 生餌の踊り

 会談が不調に終わり、休戦状態はあっさりと瓦解した。


 むしろその仕掛け時を狙っていたのだろう王都軍が、即座に侵攻を再開する。

 それに対して防衛側のこちらもただちに応戦にはいり、一気に状況が混沌とする中で、俺とツェツィーリャはその乱戦に巻き込まれないよう味方陣営に向かって逃げ込んだ。


 とはいえ、ただ逃げるだけじゃ意味がない。


 敵の目的は俺の身柄――あるいは、首だ。

 間抜けな魔物の首魁がノコノコと前線まで出張って来てるんだ。連中にはぜひとも、そこを狙って突出してもらわないと困る。


「応戦だ、応戦しろ!」


 岩陰に身を潜めながら、ヒステリックな大声をはりあげる。

 わざと自分の居場所を晒してみせると、すぐに王都軍の注目がこちらに集まった。濃い殺意、あるいはそれに近しい気配に鳥肌が立つ。


 洞窟内には敵味方が打ち上げた光源がいくつか浮かんでいる。

 その光の届かない向こうから湧き出すように、全身を甲冑に包んだ重装騎士達が姿を現す。


 無言のままゆっくりと歩を進める連中にむかって、周囲から攻撃が飛ぶ。

 リザードマン達による投石。種族的に魔法能力をもたない彼らの攻撃は、しかし騎士達の重厚な装備に阻まれてほとんど効果が見られない。


 そして、攻撃位置を特定した騎士達の前衛が手のひらをかざすと、そこから魔力の炎が飛ぶ。

 あわててリザードマン達が身を隠した岩肌に、無数の炎の矢が降り注いだ。


 岩壁を穿つことなく四散する直後、さらに第二撃。

 連続して壁を打った攻撃は、今度は赤い輝きではなく、不足がちな光源をうっすらと反射させて輝く氷の矢だった。


 大抵の生き物は本能的に火を恐れるものだ。それはたとえ水気に満ちた環境に生きるものでも――いや、だからこそ。

 その炎の矢撃を打った直後、不要な炎上と延焼を防ぐ氷の矢撃を放つ。魔法を扱う戦闘技術としては基礎的なものだが、だからこそ応用の幅も広い。


 なにしろ閉鎖的な地下空間だ。下手なことをしたら落盤だって起きかねない。

 連中がそうした常識的な判断をきちんと持ち続けてくれていることを確認しながら、俺は手にした結晶石に向かって呼びかけた。


「――ルクレティア」

『結果は残念ですが、仕方ありませんわ』


 まるで動揺の気配のない声が応える。


『意地と矜持こそがあの方々の生きる道です。やや平坦な道のりを紹介されたとて、それでホイホイと乗ってこれはしませんでしょう。彼らは生まれながらにまず己以上の重さを抱え込まれていらっしゃるものですから』

「どういう話があったかなんて、まだ喋ってないぞ」

『違いましたか』

「……まあ、大体そんな感じだ」


 俺は肩をすくめる。


 金じゃない。豊かさだけを求めているわけじゃない。

 自分達は“それ以上”が欲しいのだと声高に叫ばれて、それにあっさり応えるような真似はさすがに出来ない。


 こっちにだって譲れないものがある。

 そこでお互いに相容れないと言うのなら、それはもうしょうがない。


「話の続きは、勝ってからだな。そうじゃなきゃ連中にはとても聞いてもらえそうにない」

『かしこまりました。それでは勝利することと致しましょう』


 当然のように言ってくれるから困る。勝てなきゃもっと困るが。


「状況は?」

『敵はご主人様方の正面に展開していますが、明らかに囮です。王女殿下を含む主力は仮拠点から枯れ川底へと侵攻を開始。率先して付近のスライムが駆逐されています』


 やっぱりか。

 俺がかけた誘いに、精霊憑きのお姫様が正面に立ってやって来ない時点で、そのことはほとんど想定できていたことではあった。


 むしろ注意すべきなのは、


「遠視、やっぱりバレてるな」

『と見るべきでしょう。となると、こちらにとっては厳しい戦闘条件が追加されたことになります』


 あの金精霊、こちらに協力するのもやぶさかではないみたいなことを言っておいて、俺達がスライム経由の映像情報を使っていることはしっかり向こうに伝えていたらしい。


 いったいどっちの味方なんだ。

 ――いや。それとも、どちらの味方でもないのか?


 金精霊の思惑も気になるが、それ以上に直接的な問題があった。


 スラ子によって可能とされる、この洞窟内に湧くスライム達による映像。

 遠くからでも即座に正確な状況が把握できるそれは、文字通り俺達の“目”だ。


 そんな厄介なものの存在を知れば、敵側がまずそれを潰そうとするのは理に適っている。

 正面から殴り合えば、数はともかく質的に優勢なのは向こうなのだから。


「エリアル」

『ああ、わかっている。敵主力に遅滞戦闘を仕掛ける』

「気をつけろ。水流跡にいくつか急いで仕掛けたとはいえ、罠の数は少ないしほとんど子供だましだ。壁や床の補強だって出来ちゃない。連中、一気に仕掛けて来るかもしれないぞ」

『了解だ』


 王都軍が侵攻路にと構築した“枯れた川底”。

 それはこの洞窟内に存在する、いくつかの大きな地下水流の一本だ。


 ヴァルトルーテはその水流をこの洞窟の動脈に見立て、そこを中心にした防衛戦術を立案した。マーメイド達の迅速な移動。汎用性に勝るリザードマン達にはそれを補いながら、水場の近く以外にも対応してもらうというのがそれだ。

 だが、その戦術は連中がとった「水流そのものを捻じ曲げる」というやりかたで根本から崩されてしまった。


 この洞窟が、多少は水流が溢れたところで瓦解してしまうようなものではなかったからよかったとはいえ、あるいは目標である俺をそのまま消失してしまう危険性さえあった行為。

 そして、先程の一幕を思い出しながら、改めて口を開く。


「ルクレティア、もう一つ知らせがある」

『――なんでしょう』

「さっき、ちょっと死にかけた。連中、どうも俺の生死は問わずって気分だったりするのかもしれない」


 一瞬、結晶石の向こうに沈黙が落ちた。

 慎重な呼気の後に、


『……気になりますわね。それが途中からか、最初からか、ということも含めてですが』

「そこまではわからなかった。が、そのことも覚えといてくれ」

『かしこまりました。そのつもりで、ご主人様のお身体を酷使させていただきますわ』


 あくまで冷静な返答に苦笑する。


『随分と穿った愛情表現と思うが』


 おなじく苦笑の気配を送ってきたエリアルが、


『しかし、マギ。私もやはりお前の身が心配だな。早めに後ろに下がっておいた方がいいんじゃないか』


 まあ、取り残されたりしたらコトではある。


「枯れた川底を前進するお姫様達に後ろをとられたら、このあたりにいる俺達は挟撃どころか、そのまま包囲殲滅だってされかねない。けど、」

『だからこそ、絶好のチャンスにも成り得るのです』


 俺の台詞の後をひきとったルクレティアが続けた。


『敵側の戦力は二つ。枯れ川底を進む攻勢部隊と、仮拠点及びその近くで水流を捻じ曲げている仕掛けを守備する防衛部隊です。先ほどは王女殿下率いる部隊を主力と表現しましたが、実際にはどちらもその重要性は変わりません。何故なら、仕掛けをやられることで王都軍の攻撃部隊は背後から水流に押し流され、一気に全滅の憂き目にさえ陥りかねないからです』

「本部とか、拠点っていう意味以上に連中の急所だもんな」

『はい。ですから、防衛部隊の方針は絶対専守を貫いて来ることでしょう。今も、ご主人様の身柄を拘束できる機会でありながら、不必要な突出はしてきません。そういった命令が徹底されていることは確実です』


 ただでさえ質的に優勢な敵に、陣地に籠もられたらそれを攻撃するのは容易じゃない。

 なら、その敵を誘い込めばいいというのは簡単な結論だが――問題はその方法だ。


 多少の餌をちらつかせた程度じゃ食いつかない。

 仮拠点にベタ張りしている戦力を動かすには、連中にとって余程の好機が必要になる。


『それで、“包囲”というわけだな』

『はい。ご主人様の身柄を拘束、……あるいは殺害。たとえそれに失敗したとしても、前線に孤立した戦力を一気に壊滅できる程の機会。これは彼らにとっても十分な“余程の好機”でしょう』

「見晴らしのいい外で合戦やってるわけじゃないんだ。包囲できそうだって向こうが感づいてくれないと意味がないけどな」

『その点については、ご主人様方の演技力に期待しておりますわ』

「あっさり言ってくれるもんだ」

『そうでしょうか』


 結晶石の向こうから平然とした声が返って来る。


「実際に命が懸かっているのです。命懸けの演技など、やってみれば自然とそうなるものでしょう」

「……どちらにしても分の悪い賭けということは理解できた」


 耳に届いたのは結晶石からではなく、生の声。

 王都軍の仮拠点からもっとも近い前線指揮所。そこに詰めた数名のマーメイドの奥で指揮をとるエリアルが、やって来たこちらに気づいて小さく頷いてくる。


「エリアルと合流した」

『それではご主人様は引き続きその場にてお願いします。せいぜい舞台の中央で、活きの良いところを見せていただけますよう』

「あいよ」


 苦笑まじりの微笑を向けてくる肩掛けを巻いた美貌のマーメイドに頭を振ってみせながら、


「敵主力側の戦況は?」

『たった今、交戦開始しました』


 結晶石からの応答にあわせるように、俺の目の前に映像が浮かび上がる。


 スラ子が見せてくれる、薄暗い洞窟内。


 整地もされてない天然の川底を進む無数の騎士。重装備に固めた彼らに、前方から水弾の雨が飛ぶ。

 正面に立った、何度見ても見慣れない馬鹿でかい得物を掲げた一人がその一切を受け止め、他の騎士達は人の壁の背後に身を隠し、あるいは周辺の物陰へと隠れて。

 すぐに反撃が開始される。


 その一人がこちらにふと気づくと、手をかざした直後。映像は途切れた。すぐに違う映像に切り替わるが、それまでよりやや遠く、鮮明さに欠ける。


「……やっぱり、率先してスライムを潰されていくとキツいな」

『自然発生のスライム群にまぜて、瀝青スライムもいくらか配置しておきました。多少は狙われにくくなるでしょうが、限度はあるでしょうね』


 黒ずんだ色合いの瀝青スライムは、保護色となって周囲に溶け込みやすい。よく目をこらせばすぐに気づかれる程度のちゃちな擬装だが、そうしたちょっとした差だって馬鹿にならない。


「仮拠点周辺の小競り合いはどうだ」

『小康状態です。やはり、そちらでは打って出るつもりはないのでしょう』

「了解。なら、ツェツィーリャともう少しそっちをつついてみる」

『はい。くれぐれもご無理はされませんように』

「当たり前だ」


 それに、と俺は肩をすくめて、


「すぐ近くには美人のマーメイドがいてくれるからな。美女と一緒にってことなら、危険な目に遭うのだってそう悪い気分じゃない」

『それはよろしゅうございました』


 わずかに不機嫌そうな声を最後に、結晶石からの声は途絶えた。


「少し意地が悪かったんじゃないか?」


 結晶石を離して言ってくるエリアルに、俺は渋面で首を振って、


「最近気づいたんだ。というか今朝、痛感した」

「ほう?」

「人生、何事も守勢にまわってちゃ駄目なんだ。たまには反撃しないといつまでもヤられるだけだ」

「なるほど」


 諧謔を含んだ表情でくすりとした美貌のマーメイドが、


「なら、私も少しそれに倣ってみよう。――この戦いが終わったら、水の中に付き合ってもらえるか?」


 俺がぎょっとした顔を見せると、快活に笑う。


「いや、すぐに子が欲しいというのではない。もちろん、もしも恵まれたなら大事にはしたいが。ただ、そういう営みもあるということをお前にも知って欲しい。陸のそれとは、また違った趣きがあると思う」


 口調は冗談めかしていたが、そういう相手の表情は案外真剣だったから、俺もこっくりと頷いた。


「……わかった。楽しみにしとく」

「約束だぞ」


 にこりと笑ったマーメイドが指揮に戻る。

 その凛々しくも美しい横顔を見ながら、なにかを想像して。俺はしみじみと呻いた。


「世の中は神秘に溢れてるな……」

「たかが乳繰り合いに大層な言葉並べてんじゃねえよ」


 後ろから冷ややかなツッコミが入った。



 戦闘はしばらく順調に、といっていいのかはわからないが、少なくとも緩やかに推移した。


 枯れた川底を進む王女率いる主力は、速度こそ決して速くはないものの、代わりにその前進には目の前に立ちはだかる全てを粉砕して挽き潰していくように絶対的だった。


 エリアルの指揮する遅滞戦闘部隊が攻撃を仕掛けるが、それらは投石も魔法も、全てが先頭に立つ相手に防がれてしまう。

 自分の身長以上の巨大な得物を掲げ、先頭に立って侵攻する完全武装のお姫様。そしてそれに続く選りすぐりの騎士達を止める術を持たず、こちらの部隊はじわりじわりと後退を余儀なくされた。


 一方、王都軍の仮拠点前。

 主力が侵攻中の“枯れ水道”を成り立たせている仕掛けを守備する防衛部隊とのあいだにも、散発的な戦闘が続いていた。


 主攻方面と違い、こちらでは俺達が相手を攻め、あるいは誘いをかけて敵を引きずりだそうとしているのだが、連中は乗ってこない。

 敵は陣地構築した拠点にこもり、あくまで優位な地形から反撃してくる。しびれを切らして無理な攻め方をすれば、痛い目に遭うのはこちらの方だった。


 実際、リザードマンの何人かが決して軽くない怪我を負ってしまっている。

 ここで手をこまねいてみせるのは、元々の作戦内の行動ではある。だが、あまりにも強固な反撃に俺は演技以上の焦りをおぼえながら、結晶石に問いかけた。


「ルクレティア、進捗は――?」

「敵主力は微速にて進軍中。エリアルさんの詰める指揮所から見てちょうど弧を描くように、ご主人様方の斜め後方まで進出しています」

「順調に包囲されつつある、ってわけだ。……連中、そのことにはちゃんと気づいてくれてるか?」

「数回ほどある主力部隊の小休憩中、防衛部隊の間で軽装の使いが何度か往復しているのを映像で確認しています。我々のようにリアルタイムでとはいきませんが、ある程度の情報共有は成されているものと判断します」

「わかった」


 敵を前後左右から挟み込んで一気に叩く。つまり包囲するというのは、集団戦闘においてとても有効な戦術だ。


 だが、ここは洞窟だ。

 見晴らしのよい平野でもなければ、全体を高い視点から把握できる丘に登れるわけでもない。


 前も後ろも暗がりの続く一本道。右も左もわからず曲がりくねった内部を、たまに分かれ道があったり、行き止まりだったり。

 そんな状況下、侵攻者は自分達の居場所どころかまともな方向感覚さえ保つことだってまず無理だ。念密な下調べとマッピングがされているならともかく。


 当然、そんな状態で包囲だなんて出来るわけがない。

 俺達の防衛戦術として敵を叩く時は挟撃して一気に倒す、というのがあるが、それは洞窟内の地形を知りつくし、なおかつスライム映像の遠視と結晶石でのやりとりという常識離れした二つの手段を持っていればこそ可能なことだった。


 だから。普通は洞窟内で「包囲される」なんて事態は考えたりしない。それも、地形を知る側が、知らない側に包囲されるだなんて。


 だからこそ。

 そのことは、こうして俺がいまだにこんなところに留まっている理由になる。


 包囲されるなんてありえない。

 俺がそう思っていて当然だと、王都軍の連中は思っている。


 油断、慢心。一気に喉笛に喰いつけるだけの隙があると判断しなければ、仮拠点の連中がそこから打って出るようなことはないだろう。


「ルクレティア。お姫様達の主力は、枯れ水道途中の分かれ道の類はひたすら潰していってるんだよな?」

「土魔法の重ね掛けによる簡易的な封鎖が施されています。マーメイドの方々の水魔法であればこじ開けることは可能ですが、不意の襲撃を防ぐ、という意味では彼らにはそれで十分なのでしょう」


 塞がれた通路を開通させるという一行動分の余裕があれば、どんな奇襲にも即応できる、ということか。


「まあ、魔力をどんどん使ってくれるのはこっちにとってもありがたい」

「はい。ローテーションを組んで全員の魔力残存量を万遍なく均等にしようとはされているようですが、さすがに使いすぎです。このペースではいくら腕の良い魔法使いでも半日と保つはずがありません」

「ってことは、一気に最奥を目指さないで、途中で退路を断たれた間抜けの包囲目的に切り替えるって可能性は十分あるよな。なにしろ餌はここだ」

「大いに。相手の優秀さに期待した策を立てるのは好みではありませんが、状況判断もできず猪突するだけの間抜け揃いであるなら、対処には苦労致しません」

「了解。撤退のタイミングは任す」


 相手にとって絶好の機会をちらつかせてその突出を誘うのはいいが、それで実際に包囲殲滅されてしまったら洒落にならない。というか、ただのアホだ。


 この作戦は、“実際に退路を断たれつつある”俺達の退き時が重要で、そのタイミングはかなりシビアなものになる。

 少しでも早ければ敵が食いつかず、少しでも遅ければ撤退が間に合わずにこっちは殲滅されてしまう。


 なにしろ囮の中には敵の目的である俺まで含まれているのだから、失敗すれば即、敗北だ。


 自分の判断でこの戦闘の趨勢が決まってしまう。

 普通ならとんでもない重圧を感じて声が震えてしまうところだろう。少なくとも俺ならそうだ。だが、


「承りました」


 さらりと言ってのける結晶石の向こうの相手の返答に、俺は声にださずに苦笑した。


「他に聞いておくことはあるか?」

「ご主人様のお許しを頂ければ、スケルさん達をそちらに向かわせておいてもよろしいでしょうか」


 相手に見えないとわかっていはいるが、一瞬顔をしかめてしまう。


「……スケル達はいざって時の予備じゃないのか?」

「予備だからこそですわ。何かあった際にこちらの最奥から向かうのでは時間がかかってしまいます。いざという時にご主人様の近くに待機させておいて損はありません」


 即答できず、俺はしばらく黙り込んだ。


 ルクレティアの提案は道理にあっている。予備戦力は重要だが、それはいざという時にすぐ駆けつけられなければ意味がない。

 そして同時にそれは、“いざ”が起こる危険性が高いということでもあるんだろう。


 さらには結晶石の向こうから、ルクレティア以外の、息を詰めるような気配を感じて。俺はため息を吐いて、


「わかった」


 くすりとルクレティアが笑う。


「ではそのように」

「ああ。引き続き指揮を頼む」

「かしこまりました」


 結晶石の会話を終えると、それを待っていたエリアルとルクレティアとのあいだでやりとりが開始される。

 二人の声を聞きながら、俺はぐるりと周囲を見渡した。


 エリアルの前線指揮所よりさらに前。王都軍の仮拠点を目の前にした最前線。

 そこで睨み合った両軍の戦闘は一種の膠着状態に陥っている。


 岩陰から俺がこっそりと顔を覗かせると、


「――!」


 即座に氷の槍が飛んできて、慌てて顔をひっこめた。


「危ねっ。しっかり見てやがるな!」

「そりゃそうだろ。これだけやりあってりゃ、敵がどこに隠れてるかなんざとっくにバレてるに決まってんだろうが、アホか」


 後ろから呆れたような声をかけてくるエルフを俺は振り返って、


「なんか策はないか? 連中の注意をできるだけ引きつけときたいんだが」

「アホか。なんでオレに聞く」

「手を貸すって言ったじゃないか。貸せよ、手」


 思いっきり顔をしかめたツェツィーリャが、思いっきり渋面になる。くそったれ、と唾棄するように吐き捨ててから、


「……主力の連中に退路を断たれかけてこっちは逃げる。拠点の奴らが追いかけて来たら、その隙に伏せておいたトカゲ共が留守になった拠点を襲撃、水流を曲げてる仕掛けをぶっ壊す。あの偉そうな女が立てた計画だと、こうだったな」

「ああ、そうだ」


 ちなみに拠点襲撃部隊のリーダーはリザードマン族の老長に務めてもらう。


 仕掛けを壊して、歪められた水流の流れを戻せるかどうかは、王都軍との決戦を有利に進めるうえで絶対に欠かせない。

 それを成功させるためには、拠点襲撃部隊の活躍はもちろん、その前段階としての撒き餌が必要だ。


 餌とは言うまでもなく、俺のこと。

 俺がまだここに居続けているということを、連中にはわかっておいてもらわなきゃならない。


「だったら、そうやってチラチラし続けてりゃ十分だろ。手前のアホ面はどれだけ暗くたって間違えねえよ」

「まず種族が違うってのにどうやったら見間違うんだよ、おい」


 俺のツッコミを無視するように、


「これだけつっついても出て来やがらねーんだ。あそこの連中が“攻められて出て来る”ってことはねえだろうさ。なら、“攻めやすいから出て来る”を期待させてやった方がマシだ」

「わかってるよ。いかにもすぐに仕留められそうって感じで踊ってみせればいいんだろ?」


 もうこれ以上ないってくらい元気いっぱいに踊りまくってるつもりなんだが。


「知るか。こっから飛び出して裸踊りでもしやがれってんだ。脳天に矢ぁ喰らったら、供養ぐらいはしてやるよ」


 まったく生産性のない会話をやっていると、ふと結晶石から呼びかけられていることに気づく。


『ご主人様』

「ああ、悪い。どうした」

『敵主力に動きがあります。侵攻方向が変わりました。奥への進軍ではなく、ご主人様方の背後に回ろうとするような気配です』


 ――ついに来た。

 包囲、挟撃を目的とした迂回進撃。


 だが、予想より少し早い。その事実がもたらす意味をはかりかねて、俺は結晶石、というか洞窟そのものに向かって問いかけた。


「スラ子。地図を頼む」

『はい、マスター』


 すぐそこの壁に、最奥部のテーブルに置かれた洞窟の立体模型図が浮かび上がる。


「ルクレティア、敵主力の位置はどのあたりだ」

『エリアルさんの詰めた指揮所から南西に百歩ほど。元々、“枯れ川底”は緩やかに弧を描きながら奥に続いていますが、この時点での急激な方向転換はやや意外です。もう少し川底沿いに進むものと予想していましたが』

「どういう意図だと思う」

『こちらの予想した以上に、こちらに良いように動いてくれていますわね。……いずれにせよ、敵軍が包囲・挟撃に出たと仮定してその対応に動き始めておくべきでしょう。――エリアルさん』

『ああ、聞いている』


 すぐに応答があった。


『前線に出ていらっしゃる方々の配置に修正を。遅滞戦闘を続行しながらエリアルさんの指揮所へ後退しつつ、退路を断たれかけている風を装ってください』

『わかった』

『ご主人様も、仮拠点前からの後退を。なお、その際には――』

「わかってる。とにかく、格好悪くあたふたやってみせればいいんだろ」

「そいつは“みせる”必要はねえな。自然でそれだ」


 俺は後ろからの声は無視して、


「エリアル、長達はもう配置についてるか?」

『伏せてもらっている。敵から見つかるような場所ではないから大丈夫だろう』

「わかった。それじゃあ、いよいよ餌の本領発揮といこう」

『無理するなよ』

「そっちこそ」


 結晶石のやりとりを終えて、俺は大きく息を吸いこんで。洞窟内に響き渡るような大声でがなりたてた。


「一旦退くぞ! 下がれ、下がれ!」



 作戦は撤退誘引の段階へと移行した。


 撤退とはいっても、後退するのではなく、袋小路に追い込まれるように装うことで相手の突出を図る。

 一歩間違えれば破滅に直行する羽目になるそんな作戦を思いつくだけでも大概だが、実際にやるとなるとさらにとんでもない。


 戦闘でも戦争でも、一番の被害がでるのはほとんど“下がる”時だ。

 背中を向けて逃げ出すのはもちろん、相手と顔を合わせたまま後退するのだって簡単にはいかない。


 自分が下がるということは、相手がその分だけ前に出られるということで。

 そして、前に出るということはそれだけ「勢いがつく」ってことだ。


 たとえそれが計算した後退であったって、勢いは勢いだ。多種多様な策謀をあれやこれや取りそろえた挙句、士気高い敵の突進にその策ごと踏み潰されてしまうなんてよくある話。


 なにより。

 大勢の敵が向かってくるというのは、単純に怖い。


 ただの野盗や、ゴブリンの群れだって数が揃えばそれだけで脅威だってのに、それが士気も練度もある騎士団相手なんて冗談じゃない。

 連中からしたらこっちの練度はほとんど野盗並みのものだろう。


 ただ一つ、こちらも士気だけは向こうに負けてない。

 下がりだしたらそのまま統率がとれず全軍潰走なんてことにならないだけでも大したものだった。


 それは、エリアルの統率力と個々人の勇気の証明だが、俺の場合は違う。


 俺は餌だ。

 この作戦は俺が前線にいなきゃどうにもならない。


 だからこそ俺は、なんとか臆病風を押さえつけてこの場に留まり続けることができているようなものだった。そうでもなかったら一目散に奥へ逃げ出してるところだ。


 ……今のところ、作戦は上手くいっている。


 仮拠点前から引き始めた俺達を追って、拠点の中から騎士達が向かってくる。

 王女殿下が率いる主力と包囲・挟撃できる可能性を考えて、そのまま一網打尽にしようと前進してくる敵と交戦しながら、ゆっくりと後退する。


 相手の撃ってくる追撃の攻撃魔法を避け、こちらからも反撃を返す。

 俺達の相手する連中には“精霊憑き”のお姫様はいない。あのどんな攻撃でも弾きかえす歩く要塞みたいな敵が含まれていないだけでも、だいぶ楽にはなっていた。


「エリアル、そっちは大丈夫か?」

『ああ。だが……、なるべく急いでもらえると助かる』


 落ち着いた、だがわずかに焦りの含んだ応答。


「わかった」


 現状、お姫様率いる主力の侵攻を止める方法はほとんどない。

 こちらに出来ることは少しでもその速度を落としつつ後退するぐらいしかないが、今エリアル達は、状況を“包囲されかけている”段階でとどめるために、無理をやってお姫様達を押し留めようとしている。


 そうすればこっちの被害だって出てきてしまう。――いや、もう何人かやられてしまっているかも。


 俺は焦燥を押し殺して、視界に侵攻してくる騎士連中をにらみつけながら、周囲の後退を待った。


 マーメイドを背負ったリザードマンが俺の横を駆け抜けていく。

 味方が取り残されていないのを確認して、腰の袋から鱗粉入りの小包みを取り出して、その中身を思いきり振り撒いた。


「ファイア!」


 薄く四散した鱗粉が、着火してあたりの空間に即席の煙幕をつくりあげるのを確認して、


「走れ!」


 一気に後退する。

 エリアルが指揮をだしていた詰め所に辿りつくと、そこには誰の姿もない。エリアルも前線で指揮をとっているらしい。


「詰め所を出た!」

『そのままエリアルさんと合流してください』

「了解!」


 曲がりくねった道を抜けると、すぐに見知った相手の背中が見えた。


 枯れた川底から直接繋がる、比較的大きな空間。そこに、大勢のリザードマンとマーメイドが詰めている。

 そして、向こう側にはもう見慣れて来た感のある鎧姿がちらほらと窺える。


「エリアル!」


 こちらを振り返ったマーメイドの美女が、ほっとした表情でうなずいてくる。


「無事だったか」

「ああ。後ろから新手が来るぞ」

「わかった、もう少し下がろう」

「ルクレティア、拠点の様子は」


 最奥部でスライムから送られてくる映像を確認しているはずの令嬢に訊ねると、


『全員かどうかまではわかりませんが、大半はご主人様の追撃に出て行かれた様子です。こちらからスライムの映像で確認できる範囲ですが――いけます』

「長」

『――じゅ』


 短い応答。


「頼みます」

『じゅじゅ』


 拠点襲撃隊が行動を開始する。


 さあ。あとはここで、長達が水流の仕掛けを壊すまで敵を引きつけておくだけだ。


『皆さんの退路は東側の抜け道を。スケルさん達にもそちらに向かってもらっています』

『ういっす。自分らが行くまでいい子にしててくださいよー』

「スラ子」

『はい、マスター』


 再び、立体模型図の映像が浮かび上がる。

 エリアルと二人、この場所からの脱出路とその道のりを確認していると、


『ご主人様はそろそろこちらへお下がりください』


 俺は思いっきり顔をしかめた。


「生餌はもうお役御免か?」

『はい。拠点から騎士達を誘い出せましたので。これ以上、ご主人様がそこに留まり続けることはリスクしかありません』

「そりゃそうかもだが」


 他の連中がここで踏ん張っているのに、自分一人だけ後ろに下がるということに拒否感が湧きかけて――勘違いするな、と慌てて頭を振る。


 危ない、危ない。

 がらにもなく最前線になんて立ったりするから、気分が高揚して冷静じゃなくなりかけている。


 俺が間抜けをすればその時点で作戦は終わる。

 無理や無茶だってしなきゃいけない時はあるだろうが、今がその時かどうかは見極めなくちゃいけない。自分の判断に自信がないなら他人の意見を聞け。


「……わかった。スケル達と合流して、それからそっちに戻る」

『お願いします』

『うぃ。こっちはもうちょいとかかりますー』


 脱出路に向かう前、俺は後ろを振り返る。

 指揮に忙しくしている美貌のマーメイドがこちらの視線に気づいて、小さく微笑んできた。


「また後でな」

「……ああ。また後で」


 長達が仕掛けを破壊するまで、この場で堪え続ける彼女達は間違いなく大きな被害をだすことになる。

 それに対してなにか口を開きかけて、結局何も思いつけず。俺は黙って駆け出した。



 洞窟内を走る。


 アカデミーで受けた傷のリハビリが終わった後も、最近はずっと走り込みやら、カーラやルクレティア相手の特訓やらを続けていた。

 相変わらず弱っちいままの俺ではあるが、それでも体力だけは多少ついてきたのだろう。


 ほとんど息を切らすようなこともなく、迷わないように気をつけながら迷路じみた洞窟を駆け抜けながら、どうしても作戦の進捗が気になって結晶石のやりとりに耳を傾けてしまう。


『エリアルさん、敵が半包囲を完成させました。もう少し下がってください。南の罠部屋で反抗を。それから西側でリザードマン方が孤立気味です、援護をお願いします』

『了解した。すぐに一班を送る』


 切迫したやりとり。

 二人の会話は、戦闘が決して楽観できない状況であることをひしひしと感じさせるものだったが、これは始めから想定していたことだ。


 苦戦を強いられながら、俺やルクレティア、そしてエリアルはある一報を待っていた。


 そして、


『拠点襲撃隊が仮拠点に到達。――敵影なし』


 ついに待ちわびたその報告があがり、結晶石から多くの安堵の声が漏れた。


『おー、作戦うまくいきそうっすね』

『やったな、マギ』


 スケルやエリアルが嬉々とした声をかけてくれるのを聞きながら、俺とルクレティアだけは沈黙している。


 敵影、なし?


「……ルクレティア」

『はい。――妙ですわね』


 慎重な声がこちらに同意を示してきた。

 ああ、と俺は頷いて、


「拠点が空っていうのは、さすがにな」


 俺が餌になって拠点の連中を誘い出した。それはいい。

 だが、だからって自分達にとって重要な拠点を放り出すなんてありえるだろうか。


「罠、か?」

『……かもしれません。拠点周辺の映像は視認していますが、スライムが湧いていない場所の確認はできていませんから』


 俺達は、相手に有利な事態を装っておいて、罠にハメようとしていた。


 けれどそれは相手の思う壺だったのか?

 向こうの方こそ、罠にハマった振りをしてこっちを罠にかけようとしてたのか?


『考えすぎじゃないですかい?』

『そうかもしれませんが、警戒はしておくべきです』


 お気楽な感じのスケルに、ルクレティアの声が冷静に応える。


『それに、違和感は他にもあります。どうも先程から上手く行きすぎている気がするのです』

「さっきの、連中の方向転換のタイミングか?」

『そうです。私の予想では、彼らが方向転換するのはもう少し深部まで進んでからだと考えていました。せっかく安全な“枯れた川底”を作ったのですから、それが続く限りはそこを進まない理由がありません。ですが彼らはそれをせず、早々と川底から上がってくれました。まるで我々が“包囲を仕掛けて欲しい”と思っていることをわかっているように、です』

「こっちの作戦がバレてるってことか?」

『そこまでは。単純に、全てが偶然上手くいっているだけということもあり得ますが……』


 やや歯切れが悪くルクレティアが言う。


 俺は足を止めて、


「襲撃部隊は。手乗りスライムを持って行ってたよな」

『はい。こちらからの状況確認用にと数匹、連れていってもらっています』

「スラ子、頼む」

『はい、マスター』


 すぐにスラ子が別働隊の映像を浮かび上がらせてくれる。


 数名のリザードマン。それに彼らが背負ったマーメイド達が拠点内を慎重に進む光景。


 確かにその周辺には鎧騎士達の姿はない。

 土嚢や木材、その他雑多な荷が運び込まれた即席の拠点はがらんとしていた。


 これが罠としたら、あまりにあからさますぎる。


「……スケル。リーザに替わってくれ。長達に注意を呼びかけさせろ」

『ラジャっす』


 すぐに若いリザードマンの声が、長相手に蜥蜴語でなにやら話し始めるのを聞きながら、考える。


 どういうことだ?

 本当にただの偶然か?


 違和感、とルクレティアは言った。

 確かに俺も今、ルクレティアが言ったようにそれを感じている。


 頭のなかになにかが引っかかっていた。

 根拠のない不安なだけか? いや、でも確かに……嫌な予感がする。


 その予感が表すもの。あるいはその予感の元になっているものがわからず、なんとなく自分の身体を見下ろして。


 俺は目を見開いた。


 視界にはちょうど、腰のあたりにぶら下げられた短剣。

 メジハのリリアーヌ婆さんから譲られた、質素だが拵えのよい鞘に包まれた、鉄製の刃。


 その隠された輝きに脳裏のもやを切り裂かれて、俺は頬をひきつらせた。

 慌てて結晶石に向かって、


「ルクレティア、リーザ! 敵がいるぞ! 長に伝えろ!」

『ご主人様? 何故そのような――』

「鉄器だ!」


 相手の言葉にかぶせて、吠えた。


「金属を“感知”されるぞ!」


 まるで、俺の悲鳴じみた絶叫にあわせるように。

 それまで無人だった王都軍の仮拠点。その物陰からぞくぞくと騎士達が姿を現した。



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