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十九話 トップ会談

 戦闘の一時中断。そして今後について交渉する場を開くことの提案は、すぐに相手方へ伝えられた。


 羊皮紙を丸めた文書をリザードマンの一人に預け、王都軍の仮拠点まで持っていってもらう。

 わざわざ書面での形式ばったやり方を選んだのは、そのあいだに再戦の準備を整えようという時間稼ぎの目論見もあったのだが、無事に戻ってきてくれたリザードマンが携えた返書には、そうしたこちらの計算より斜め上をいく内容が書かれていた。


「交渉は受諾。ただし、トップ同士の会談が条件……?」


 トップ。つまり、俺とあの王女殿下が一対一で?


「罠ですわね」


 ルクレティアが即答した。

 隣のカーラが不安そうに、


「やっぱり、そうなのかな」

「ちょいと怪しくはありますかねぇ。場所は上の方々が張ってる仮拠点近くを指定してきてますし。まあ、洞窟自体がこっちのホームってことでもあるわけですから仕方ないかもしれませんが」

「でも、場所は必ずしもそこじゃなくていいって書いてるよ?」


 カーラとスケルがうーんと首をひねる。

 ぱんっと、ルクレティアがテーブルの書面を叩いた。


「こちらにとっては、ご主人様が向こうに捕まることはそのまま敗北に直結します。だからこそ彼らを釣り出す生きた餌として得難い価値があるわけですが――」


 まあ、なんというか。

 ここまではっきり餌扱いしてくれると、いっそ清々しくはあった。


「しかし、その使いどころは慎重に見定めるべきです。最終的にはトップ同士で顔をあわせることはあっても、事前のやりとりの初めからご主人様を持ち出すなど論外です。相手がどんな謀略を企んでいるかもしれませんのに」

「その可能性はかなりあるだろうけどな」


 わざわざ王都から持ち込んで来ていたのだろう。俺は、絶対にメジハの町なんかでは売ってないような綺麗な紙面に綴られた流麗な文字を読み返しながら、


「でもこれ、俺が交渉に立つのが絶対条件って書いてるぞ。絶対ってことは、絶対だろ」

「交渉事でまずは相手に過大な要求をしてみせるなど初歩の初歩でしょう」

「そりゃそうかもだが」


 頬をかきながら、頷いた。


「まあ、そのあたりの交渉は任すよ。多少、条件の上げ下げで難航させるってのも、いい時間稼ぎになるはずだろうしな」

「おっしゃる通りですわ。どうぞお任せ下さい」


 ルクレティアは悠然と微笑み、それから王都軍との事前交渉に乗り出した。



 ――のだが。


「……ダメだって?」

「申し訳ありません」


 眉間に皺を刻んだ令嬢が不機嫌そうに唸った。


「どうしても、トップ同士の会談以外は受け入れられないと。むしろそれ以外の条件ならある程度以上、相談に乗る用意があるとのことです」

「やっぱり、“絶対”だったんじゃないか」

「そのようですわね」


 豊かな金髪を鬱陶しげに振りながら、


「しかし、ここまで強硬な態度はやはり怪しくあります。ここは罠の可能性を考えるべきでしょう」


 確かにそう考えるのが妥当だ。

 だが、


「いいんじゃないか」


 あっさりした一言に、ルクレティアが眉を跳ねあげた。


「ご主人様?」

「その条件、のってやればいい」

「……正気ですか? まさか、ご自分の身の重要性をおわかりでないなどとはおっしゃいませんわよね」

「そうじゃないけどな」


 俺は苦笑して、肩をすくめる。


「餌は使いどころが重要なんだろう?」

「そうですわ」

「だから、まさにそれじゃないか。考えてみろ。元から、連中を引っ張りこむのに俺を使うつもりだったんだろう。だけど、普通は俺なんか一番奥に引き篭もってるはずだ。それがノコノコ前線にやってくるなんて誰がどう考えても怪しい。普通に考えたら、それこそ罠だ」

「それはそうですが」

「だけど、交渉のためにってことなら、俺が前線に出てくる理由になるだろう。それがもし、王都軍の連中がこっちを捕まえようって算段だとしたら――こっちも、それを利用してやればいい」


 こちらの意図を察したルクレティアが、すっと切れ長の眼差しを細めた。


「向こうの罠を逆手にとれとおっしゃるのですね」

「そういうことだ」


 俺は頷く。


「連中が本当に交渉に望もうとしてるだけなら、それでいい話だ。もしも間抜けな俺を引っ張り出して、そのまま一本釣りしようっていう腹なら、それで連中を誘い込む」

「……敵方を分断させたところで、仮拠点の強襲。あるいはそのまま魔力の消耗を図って最終的な決戦まで、ですか」

「川底の侵攻路ってモンがある以上、交渉が不備に終わった時点で向こうが決戦覚悟の侵攻をしてくるのは止められないだろう? なら、せめてそれに対する主導権をこっちが先制しとくってのも、悪いアイデアじゃない」


 そこで一旦、俺は言葉を区切り、


「出来るか?」


 問われた金髪の令嬢は、深く思考するような沈黙をおいて、


「……危険です」


 ゆっくりと頭を振った。


「先程も申し上げた通り、こちらはご主人様の身になにかあった時点で“詰み”です。どれだけ万全を期したところで、僅かな不確定要素までは失くせません。リターンは確かにありますが、リスクが大きすぎます」

「それでも、ほとんど無視できるくらいの確率にまで落とすことは出来るだろう。お前なら」


 冷たい情熱を湛えた瞳がこちらを見据えた。


「挑発のおつもりですか?」

「信頼のつもりだよ」


 くすり、とルクレティアが笑い、


「ご主人様にも、ようやく人の扱い方というものがわかってきたようですわね」


 息を吐いた令嬢が傲然と胸を張り、いつもの誇り高い表情でこちらを見据えて不敵に告げた。


「かしこまりました。思いつく全ての事態を想定して、ご主人様を死なない程度に酷使して。その上で最大の成果を手中に収めてみせる、そうした策を練ってみせましょう」

「ああ。よろしく頼む」


 ◇


 その二日後。

 遅々とした文書のやりとりで事前交渉を詰めて、そのあいだにこちらの用意を整えて。


「じゃあ。いってくる」


 いざ交渉へと向かおうと、最奥部の部屋をでる間際。後ろを振り返ると、心配そうな顔がそろってこちらを見つめてきていた。


「マスター、気をつけて……」

「ガラにもなく頑張っちゃったりしちゃダメっすよっ。ヤバそうならすぐ逃げちゃってくださいよー」

「わかってるって」


 心配してくれるカーラ、スケルにうなずきかえしてから、金髪の令嬢を見る。


「……ご主人様がご不在の間。指揮をお預かりします」


 念を押すように鋭く囁かれた。


「くれぐれも早まったことはなさらぬよう」

「了解」


 今回、俺が直接相手との交渉に向かうことは、ルクレティア以外にもカーラやスケル達からかなりの反対を受けた。


 多分、それは正論だろう。

 俺は一応ここのダンジョンの責任者なんだから、ほいほいと気安く動いていい立場じゃない。このダンジョンの存在意義が、山頂の黄金竜ストロフライとの橋渡し。その“質”としての俺にあるというなら、俺が捕まることはそれだけで敗北条件なのだから。


 まるで似つかわしくない己の重大性と、貧弱ぶりを自覚してるなら、大人しく地下にこもっているべきなのかもしれない。


 それでもこうして直接出向くことにしたのは、ルクレティアに言った通り、連中を誘い込む絶好のチャンスでもあるからだったが。

 ルクレティアにも言っていない、もう一つの理由もあった。


 ――やらなくちゃいけないことがある。


 ただ王都軍との交渉だけなら、他の相手に任せていいかもしれない。文書でも口頭でも、何度もやりとりして内容を詰めるのでもいいかもしれない。


 けれど。あのお姫様の本音を確かめることだけは、実際に会って、本人と話してみないとわからない。

 そして、それこそが今回、一番大事なことになるはずだった。


 ユスティス・ウルザ・ファダルヌ。

 人間でありながら、精霊の力をその身に抱く“精霊憑き”の王女殿下。気弱そうな表情をしていたあの相手こそが、今回の鍵になる。


 レスルートという国と金精霊。それぞれ思惑が異なる両者にとってあの王女殿下は橋渡しであり、文字通りの意味で楔でもあるはずだ。


 だから、そのお姫様の心底にあるものを、確かめておかなくちゃならない。

 それは俺にしか出来ない――かどうかはともかく、俺がやらなくちゃいけないことだ。


 そして。

 だからこそ、向こうもトップ同士の交渉を求めてきたのではないかと。そんな風にも俺には思えるのだった。


 ――私達、似た者同士かもしれませんね。


 いつかの声が脳裏に蘇る。


 もしかして、あの相手にシンパシーなんて感じてるわけじゃないだろうな、と自分に苦笑して。

 本当にそうかもしれない、とふと思った。


 一国の王女であり、英雄の器として表現するにふさわしい精霊の祝福を受けた相手に対して、畏れ多い考えではあるけれど。

 自分がどうしてこんなところにいるのかわからない、と不安そうにしていたあの佇まいは、確かに似ているかもしれない。三下の雑魚でしかないのに、竜の手下だなんていって、その膝元で一党を率いるなんてことをしでかしているどこかの小物と。


 どちらもひどく、“似合っていない”。


 ……まあ、世の中なんてそんなものだろう。

 毒にも薬にもならない結論で思考をたちきって、視線を他にうつす。


 エリアルとリーザの二人は、すでに前線で準備してもらっているからここにはいない。わずかに厳しい表情でこちらを見つめるヴァルトルーテにうなずいてみせて。


 最後にスラ子を見る。

 ドラ子を頭にのせたシィ。不安そうにこちらを見るその小柄な妖精を後ろから抱くようにしてこちらを見つめる不定形が、にこりと微笑んできた。


「いってらっしゃいませ、マスター」

「……ああ。いってくる」


 なんの不安も抱いていない表情にうなずいて、シィを見て。


 俺は部屋を出た。

 ろくに舗装もされてない、ほとんど天然の暗い洞窟内を歩いていると、


「――わかんねえな」


 すぐ後ろから、反響した声。


 俺は振り向きもせず、


「なにがだよ」

「手前だよ」


 ツェツィーリャの声は毒づくように、


「別にオレは手前がどんな目に遭おうがいいけどな。カーラが言う通り、危ねえだけだろうが」

「心配してくれるのか?」

「ふざけろ、ボケが」


 後ろから肩をつかまれ、強引に振り向かされる。

 おもいっきり険しい表情のエルフが、


「オレは手前の護衛だ。護ってやるとは言った。だが、死にたがりを助けるほど酔狂でもねえって話だ。――それともなにか?」


 ほとんど息がかかるくらい近くから、噛みつくように歯を剥いて言ってくる。


「最悪、なにがあろうがあの精霊喰らいが助けてくれるだろうとか、そういう算段でもしてやがんのか? はッ。だったら、手前はゴミ以下のクズだな」


 ありありと侮蔑を浮かべて言ってくる相手を見つめて、


「なあ、ツェツィーリャ」


 俺は静かに問いかけた。


「万能の相手って。どう思う」

「あぁ?」


 乱暴エルフが顔をしかめて、


「なんだ、そりゃ」

「だから。万能だよ。なんでもできる相手だ」

「うるせえ、ンなこと聞かなくてもわかる。……いったい“どっち”のことを言ってやがる」


 俺はその質問にこたえず、頭を振って。


「――俺は。すごく気に入らない」


 言った。


「なんでも出来る? 未来がわかる? ……思い通りになるのが決まってる? ――ふざけるな。たとえ本当にそうだとしたって。そんなこと、知るもんか」


 目の前のエルフを誰かに見立てるようにしてにらみつけて、


「なんでも出来るなんてあるか。なんにも出来ないなんて、あるか。だから――認めない。認めてやらない」

「……なに言ってやがる」


 こちらの勢いにやや戸惑ったように、ツェツィーリャの力がゆるむ。


 俺は肩に置かれた相手の手を乱暴に払って、


「絶対に思い通りになってやらない。俺は、俺だ。そう決めた。だから、絶対に屈してなんかやるもんか」


 相手にまったく伝わっていないだろうことを自覚しながら、言いきって。そのまま、エルフを置いて歩き出した。


 少し離れた後ろから、ため息が届いてくる。


「……呆れた。手前はよほどのバカだな」

「賢く生きれてりゃ、とっくにそうしてる」

「違いねー」


 思ったより声が近いことに肩越しに振り返ると、すぐ後ろをエルフが歩いている。


「呆れたんじゃなかったのか?」

「ああ、呆れたね」


 肩をすくめてツェツィーリャが鼻を鳴らして、


「呆れたバカだから、一緒についてってやるよ」

「ツェツィもお馬鹿だからねぇ」


 さっと吹いた微風とともに姿をあらわしたシルフィリアが、したり顔でそう総括してみせた。



 目的地まであと少しというところで、俺はエリアル達が詰める前線司令部に寄った。


 このあとすぐ戦闘状態が再起するかもしれないから、全員が忙しくしている。エリアルは矢継ぎ早に指示をだしながら、目線だけこちらに向けて頷いてきた。

 それに目礼を返して、リーザを探すが――いない。代わりにもう一人の姿が見えたので、俺はそちらに近寄った。


 気配に気づいた老いたリザードマンが、ゆっくりとこちらを振り返る。


 その巨体をみあげて、


「……よろしくお願いします」


 俺は神妙に頭をさげた。


 リザードマンの老長は目を細め、黙ったまま、無言でうなずいてきた。

 それに対してもう一度、頭を下げてから、外へ。


 ダンジョン上層域の最奥。

 そこに広がる空間、俺達が中広間と名付けたその場所は、侵入してきた王都軍によって数日もたたないうちに様変わりしていた。


 外から持ち込まれた土嚢が積み上げられ、板張りがされた上に寝具が持ち込まれ、簡易ではあるが休憩所の様相を見せている。近くから魔物の類は駆逐され、スライムの姿も一匹だって見えなかった。


 こちらの接近に気づいた全身鎧を完全装備の歩哨が、槍ではなく剣を握った腕をこちらに突きつけてくる。


「王女様に伝えてくれ。来ましたよ、ってな」


 まだ若そうな、もしかすると俺とおなじくらいの年かもしれない騎士は、こちらを睨みつけるようにしばらく無言を貫いてから、


「……そこで待て」


 低い声で告げて、拠点の中に入っていく。


 すぐに男は戻って来た。

 男と一緒に、数人が連れだってやってくる。全員が重装備に固めているその真ん中にいる相手だけが、鎧の上からでもわかるほどに身長が低かった。


「マギさん、よく来てくれました」


 フルフェイスの奥から、ややこもった声が響く。

 口にしてからそのことに気づいたように、慌ててフルフェイスを脱ごうと手をやって、四苦八苦して、最後にはお付きの騎士に助けてもらって兜を脱いで。


 少し前に外で見えた気弱そうな表情が、ほっとしたように息を吐いた。乱れた髪が頬にはりついている。


「――失礼しました。あらためて、来て下さってありがとうございます」

「いえ。こちらこそ、急なお願いを聞いていただいて感謝します」


 頭をさげようと俺が動いた瞬間、王女殿下の両脇にいた騎士が庇うようにお姫様の前に立ち、腰の剣を払った。

 突然の挙動に硬直する俺に剣を突きつけ、油断なく見据えながら、


「……姫。兜をお戻しください」

「いいんです、クーツ。大丈夫だから、下がってください」


 穏やかな声で、お姫様が頭を振った。


「全身を隠したまま、交渉もなにもあったものではないでしょう。マギさんはこちらの無理なお願いを聞いてくれました。こちらもそれに応えるべきです。全員、この拠点の外で待機を」

「しかし、」


 なにかを言いかけた騎士に、お姫様が静かな目線を向ける。

 騎士は唸り声のような溜息をついて頭を垂れ、仮拠点に向かって大声をだした。


「全員、外に出ろ!」


 それを合図に、仮拠点の空気が蠢いた。


 仮拠点の中で息をひそめていた無数の気配がゆっくりと動き出す。

 お姫様達が姿を見せたのとは正反対、つまり上層側に繋がる出口へ向かうその気配の集団からの敵意と警戒を肌に感じながら、俺も後ろにむかって大声を出した。


「全員、下がってくれ!」


 俺の声に、こちらの背後に控えていた気配も遠ざかっていく。


『――なにかあれば、すぐに行く』


 耳に隠した結晶石にエリアルの抑えた声が届く。返事代わりにと、俺は咳を一つついてそれに応えた。


 やがて、仮拠点の周辺からは俺とツェツィーリャ、そして王女殿下とお付きの二人の騎士だけが残ったが、


「さあ、クーツ達も。下がって」

「姫様。せめて兜を」

「大丈夫よ。いいから、言うことをきいてください……」


 命令と言うよりはむしろ懇願するような口調に、騎士達は呻くようなため息をついて。渋々と仮拠点の中へと入っていった。


 二人の騎士が拠点の中を通り、そのまま反対側の出口へと去っていく様子を眺めていると、


「マギさん。これで、交渉開始の条件はよろしいでしょうか?」


 お姫様の問いに、俺はゆっくりと首肯した。


「はい。王女殿下」


 交渉をするにあたっての取り決め。

 場所は王都軍が構えた仮拠点の近く。お互いにトップ同士の会談。その際、こちら側は護衛の一人をつける以外、敵味方ともに五十歩以上を下げさせた上で話し合いの場を設けるというのが、ルクレティアが引き出した条件だった。


 トップ同士という条件を向こうが強行してきたため、その代わりにこちらは護衛をつけることを認めさせた形。できれば、王女殿下には金属類の一切を身につけないで欲しい、というのが本音だったが、さすがにそこまでは呑んではもらえなかった。


「よかった」


 頬をほころばせた王女殿下が、


「それでは、さっそくお話を。中には座るものもありますが、どうしますか?」

「いえ。このまま、この場所でけっこうです」


 ひとまず、騎士団連中が遠ざかってくれたことは確認できたが、拠点の中は向こうのホームだ。それに、スライムも湧かない。易々と足を踏み入れる気にはなれなかった。


「わかりました。それでは、お話とはいったいどんなことでしょうか」


 まっすぐな視線がこちらを見た。


 俺もそれを正面から見返して、


「――金精霊が、我々の元に現れました」


 ぴくり、と。王女殿下の睫毛が震えた。

 そっと視線を俯きがちに落として、


「……彼女は、なんと?」

「こちらの味方になってもいいと。言いました」


 それを聞いた王女殿下はぎゅっと唇を噛み締めて、悲しげに呟いた。


「そう、ですか……」


 あるいは、今この瞬間に彼女の纏う金属鎧から金精霊本人が現れるかとも思ったが、そういった気配はなく。

 周囲とお姫様の反応を窺いながら、俺は先を続けた。


「俺が今日、ここにやってきたのは、その金精霊から話を聞いて。あなた方との間にも話し合いでの解決の道があるのかどうか、と思ったからです」


 相手の反応を待つ。


 ため息のような呼気を漏らした王女殿下が、


「私は。……私達も、争わずに済むのであれば、それが一番です」


 言った。


 俺は頷いて、


「それなら話をさせてください。そして確認を。お互いの求めるものと、譲れないもの。その一致か、すり合わせができるなら、そういう幸運な終わり方もありえるかもしれません」

「……はい」


 お姫様が頷いた。

 その表情が、どこか苦しそうなものであることに俺はわずかな違和感をおぼえた。相手の表情をさらに注意深く見守りながら続ける。


「王女殿下。あなた方の目的は、竜。その威光と、金精霊の背景を両軸にした新しい“通貨”をつくって、その第一人者としてレスルート国を潤わせ、復興させる。そのことで間違いありませんか」

「間違い、ありません」

「なら。俺達がそれに協力できるといったら、これ以上の戦いをやめられますか?」

「協力していただけるんですか?」


 上目遣いの眼差しに、ほのかな期待の色が浮かんだ。


「……わかりません。けれど、通貨の存在についてこちらは否定的ではありません。最近は、魔物達のあいだでも通貨を使おうとする動きがあるくらいですから」

「そう、なんですか?」


 驚いたように軽く目を見開く王女殿下にうなずきかける。


「ですから、人間だけじゃない。魔物もふくめた、世界的な、それこそ全種族に通用する共通貨幣。そういう代物には……正直、惹かれるところもあります」


 ちらりと隣で押し黙るツェツィーリャに視線を向けて、


「恐らく、賢人族にはまた違う意見があるんだと思いますが」


 ふん、と鼻を鳴らしたツェツィーリャが不愉快そうに顔を背けた。

 そちらを窺うようにした王女殿下が、


「……エルフの方々には、あまり好まれないお話であることは、わかっているつもりです。彼らは節制と禁欲を美徳とすると聞いていますから」


 出会い頭に矢を射かけて来るような乱暴エルフを横目にしながら、俺は肩をすくめて、


「噂と実態にはかなりの齟齬があることも多いでしょうけれど。彼らが危惧していることは、確かだと思います。その理由が、王女殿下はお分かりでしょうか」

「……貨幣が、個人の欲望を後押しするものだからでしょう」

「はい。それはエルフ達の志向するものとはまるで違います。貨幣は所有欲を育み、貧富の差を拡大させる争いの元になる。彼らはなによりその暴走を恐れているんでしょう」


 王女殿下がそっと息を吐いた。


「マギさん、とても博識なんですね」

「すみません。大半が受け売りです。俺自身、よく分かってない部分が多いと思います。けれど、ひどく不安に感じることがあるのも確かです。……昨日、金精霊は俺達に言いました。貨幣は、マナとは違う、マナの関わらない無限の力だって」


 王女殿下が眉をしかめた。


「無限の、……力」


 反芻するように小さく呟く。


 俺は頷いて、


「利貸しのことらしいです。金を貸して、ちょっと多めに利子をつけて返してもらう。貸した金額とか、貸してた日数が増えると、返す金額も増えていくという」

「ええ、知っています。……よく知ってます」


 そう答えた王女殿下の表情が小さく歪んだ。

 それまで一貫して儚げだった気弱そうな顔に影が落ちる。俺が眉をひそめたのに気づいたお姫様が頭を振って、


「マギさんは。それのどこに、不安を感じていらっしゃるんですか?」

「無限、の部分です。エルフが教えてくれました。マナは無限。だからこそ、怖いという話を。俺達は原理もなにもわからない便利すぎる力に溺れて生きている。それこそがマナだと、彼女達は言いました」


 お姫様は黙ったまま、先を促してくる。


「そして、金精霊が言いました。人間は、無限のマナに対して、マナの関わらない無限の――無限に近い力で対抗しようとしている。それが通貨。なら、金精霊はそれを使ってこの世界を、マナの在り方を管理していこうとしているってことでしょう」

「そのことが、不安なんですか?」

「不安は、不安です。――でも、問題はそこじゃありません」

「違うのですか?」


 お姫様が小首をかしげた。


「さっきも言ったとおり、俺は貨幣そのものについては否定しようと思いません。力の存在を否定はしません。力は、ただの力です。大事なことはそれを制御できるか。力を持つ、力を扱う者がそれを適度に抑えられるかどうかでしょう。要するに、制度です」

「……無限かもしれない力。それを暴走させないための仕組みづくり」


 はい、と俺は頷いて、


「俺達があなた方に協力できるかどうかは、その一点に尽きます。具体的に言えば、」

「――竜。ですね」


 お姫様が言った。

 一瞬、ひやりとした空気が流れる。実際にどうかはともかく、思わずそう感じてしまうくらい不吉な意味をともなった、それは単語だった。


「俺達は、竜に近づこうとする連中を排除するためにこのダンジョンをやってます。正確には、そういう連中が竜にちょっかいをかけて、怒った竜の巻き添えにあいたくないから、その前に自分達でそいつらを追い払おうってことです」


 お姫様は無言。

 その沈黙の意味を考えながら、俺は続ける。


「竜を利用させない。これは俺達の大原則です。そこについては絶対に、譲れません。――ただ、」

「ただ?」

「……竜ではなくて、俺自身なら。俺に出来ることなら。協力の可能性はあるかもしれません。そうすれば、たとえ竜の怒りに触れることがあっても――それは他の誰でもない、俺自身の責任でしょうから」

「それは――竜ではなく、竜の麓でダンジョンを構える魔物。マギさんのそういう関わり方であれば、ということですよね」


 お姫様はちょっと困ったように苦笑してみせた。


「果たして竜がそんな言い分を認めてくれるものでしょうか?」


 俺も思わず苦笑して、すぐにそれをひっこめた。


「どうでしょう。でも、それが駄目だったなら。それは、俺の問題です」

「……なるほど」


 お姫様がふうっと息を吐いた。


「マギさんのお気持ちはよくわかりました。最大限の譲歩を考えていただいていることも。その真摯な態度にも。心から感謝します」


 深々と頭をさげる。

 そして、顔をあげた時。お姫様は怖いほど真剣な表情になっていた。


「その上で、レスルート国王イザラードより王命を受けた者としてお答えします」


 瞳を閉じて、


「――無理です」


 告げた。


「それはきっと、無理だと思います」


 ……正直言って、いきなり否定から入ってくるとは思わなかった。

 これも駆け引きなのか? いや、そんなことをしてきそうな相手にも見えないが。


 とにかく、と内心の動揺を落ち着かせながら、


「何故ですか?」


 まぶたを持ち上げたお姫様がそっとこちらを見つめて、


「……貨幣の件については、その通りです。精霊の神託にあった新しい通貨。それを基軸として国を立て直す。その神託を成す為に、私は精霊によって選ばれました」

「金精霊の力があれば、可能でしょうね」

「そこなんです」


 お姫様が笑った。自嘲するように。


「我々が商人であれば、それでよかったんでしょう。ゴルディナの奇跡を受けて、それを元手に大いに商う。商売というものについて私は詳しくありませんけど、きっとそれだけで国を富ませることだって出来ると思います」

「金だけじゃ満足できない。だから、竜が必要だって言うんですか?」

「満足ではありません。それだけでは駄目なのです。だって、我々は商人ではないのですから」


 ――国家。


 つまり、商人や銭貸しのように商売だけではなく、もっと必要なものがあると?

 それはたとえば、武威とか。王侯貴族としての誇りだとか。


 頭がかっとなった。


 ……そんなことのために、この連中はあのストロフライを相手取ろうとしているのか?


 俺の表情を見たお姫様が寂しそうに微笑んだ。


「マギさんの考えてること、わかります」


 頭をふって、


「誇り。尊厳。見栄。そんなもののために、私達はここまでやってきました。くだらないと言われても仕方ありません。馬鹿げてると思われても仕方ありません。だから――無理なんです」

「どうしても“竜”という成果を得なければ退かないと。そういうことですか」

「はい」


 お姫様は頷いた。きっぱりと。


「マギさん、あなたからのお話は承りました。その上で、改めてこちらから申し伝えることがあります。――降伏してください。それが唯一、これ以上の戦闘でお互いの被害を大きくしないための方策です」


 あまりにも貴族的な、上からの横柄な言い分に、俺はまじまじと相手を見つめて。息を吐いた。


「……あなたとなら、いい話し合いができるかもしれないと思ったんですが」

「ええ。……残念です」


 以前、俺が言った台詞を噛み締めるようにお姫様は言って、


「私とあなたは似ていると思いました。――いいえ」


 ゆっくりと頭を振る。


「それも違いますね。私とあなたは違う。だってマギさん、あなたには“力”がどういうものなのか、まるでわからないでしょう――」


 それに対して俺がなにか反論でもなんでも、言い返そうとする前に。

 お姫様が動いた。


 ――油断はしていないつもりだった。


 話し合いとはいえ、敵だ。

 騙し討ちの可能性は散々いわれていたし、その上でやってきていた。


 だが、それでもこちらの反応が遅れてしまったのは、王女殿下の動きがあまりに機敏だったからだ。


 全身に纏った重装備の影響などまったく感じさせない、嘘のような軽やかさ。

 そういう“特性”を持った相手だとわかっていても、実際に目にしてしまうとその違和感がどうしても拭えない。認識のズレが反応の遅延を招く。


 その瞬間、一気に接近したお姫様が、そのまま俺の身柄を拘束しようと腕を伸ばしてくる。


 ――指先までしっかりと防具に固められた相手の、金属籠手の冷たさが頬に触れた。


 一瞬。


 視線が交錯する。

 相手の瞳に、何かが揺れ動いた。


「ボンクラ!」


 声に、はっとするように全身の硬直がほぐれる。


 慌てて身体をねじって逃れつつ、腰元から小包を取りだす。久しぶりに握るそれは、妖精の鱗粉が詰められたいつものやつ。

 その口紐を切り、中身の鱗粉をお姫様に叩きつけるようにふりまきながら、俺は叫んだ。


「ファイア!」


 小さな発火に反応した鱗粉が瞬く間に連鎖して、即席の煙幕をつくりあげる。


「っ――」


 お姫様が煙幕に怯んだ隙に、俺はさらに後ろへとさがって。


 ひゅお、っとなにかを鋭く切り裂く音が耳元に響いた。


 ――矢っ?

 こんな洞窟で? ツェツィーリャか、それとも王都軍か。どちらにせよ正気か!?


 当たり所が悪かったらどうするつもりだ。

 それとも、竜の目の前に持っていくのは俺の首だけでいいとでも思ってるのか。


 ぞっとしながら、さらに下がろうとしていると。

 がしり、と腕をつかまれた。


「くっ……!」

「オレだ、馬鹿」


 煙幕の向こうから現れた目つきの悪い顔に、俺はほっと息を吐いた。


「ああ、悪い。助かった」

「言わんこっちゃねえ。さっさとずらかるぞ」

「そう、だな――」


 頷きながら、耳に隠した結晶石で今の状況を伝えようと手をあてて。

 なにか、ひどく嫌な予感がした。


 先導するツェツィーリャごと、押し倒すようにして地面に転がる。


「なにしやがる……!」


 怒号をあげかけたエルフの声をかき消すように、頭上を何本もの鋭いなにかが通り過ぎていった。


 弓。それとも槍かもしれない。

 ただ、間違いないことは、それらが確実な殺意の塊であったということで。


「……連中、どうやら手前を殺るつもりらしいぜ」


 声を低めたツェツィーリャが囁いた。


「どうやらそうらしい」


 俺はなるべく落ち着いて返答したつもりだったが、顔色まで平静を装えているかは自信が持てなかった。


 竜との面会を望むなら、俺にはそれだけで人質としての価値がある。

 なので、まずは捕獲を狙ってくるだろうと思っていたが――どうやら、相手の事情はもう少しシビアな段階に引き下げられたらしい。


「まあいい。さっさと逃げるぞ、ボケ」

「ぜひそうしよう」


 交渉は決裂だ。

 その後の展開についても前もって想定していたことではあるが、それも俺達がここから無事に戻れなければ意味がない。


 周囲は俺がつくった煙幕も晴れかけていて、仮拠点の向こうからガチャリガチャリと物騒な物音が聞こえてきていた。

 動きが早い。あらかじめ予想してなければ出来ない動きだ。


 ――やっぱり罠か。


 舌打ちをこらえながら、慎重に足を進める。

 下層側からも、騒動を聞きつけた味方勢が援護に押し寄せてくるのが見えていた。


 このまま小競り合いを起こして、乱戦と見せかけつつ主力を誘引する。


 事前に話し合われていた算段を思い出しながら、ひとまず味方の元へ避難しようと足を速めかけて。

 まったく唐突に、今度はツェツィーリャが俺を押し倒してきた。


「っ……!」


 その顔が苦痛に歪む。

 見ると、ちょうど肩口のあたりに一本の矢が深々と突き刺さっていた。


「ツェツィーリャ! おい、大丈夫かっ」


 慌てて声をかけるが、ツェツィーリャは応えない。

 どこか呆然とした表情で、


「……してだ」


 痛み以外のもので銀髪のエルフが呻いた。


「は?」

「――今。どうして、“あいつ”は手前を護りやがらなかった?」


 感情を取り戻した相手が、睨みつけるようにこちらを見据える。

 烈火の怒りを瞳に宿して、


「あの野郎。オレを、試しやがったな……!」


 あの野郎? スラ子のことか?


 とりあえず、俺は傷を負ったエルフに手を貸して、


「……立てるか」

「うるせえ。手前の手なんか借りねえよ」

「ああ、そうかい。ならそっちの手を貸してくれ」


 目つきの悪いエルフが顔をしかめた。


「なんだと?」

「ムカついてるんだろ? だったら、俺に手を貸せ」


 ――私とあなたは違う、だと?

 ――俺には、まるでわからないでしょう、だって?


 “力”。


 ……上等だ。

 竜だか、不定形だか。精霊だか精霊憑きだか知らないが――そっちがそのつもりなら、こっちにだって考えがある。


「ぼんくら。手前、なに考えてやがる」

「決まってるだろう。“あいつら”にぎゃふんと言わせてやるんだよ」


 きょとんとエルフが瞬きして。

 鼻で笑った。


「はッ。笑えもしねえ。クソ弱ぇ手前如きが粋がったところでなにができる。せいぜい、連中の手のひらで転がされてお終いだろうがよ」

「その時は、だったら手のひらで思いっきり飛び跳ねてやるさ。言ったもん勝ちだ、こんなもん」


 強引にエルフの細い肩を抱く。

 周囲の様子を確かめて、一気に駆け出しながら、


「絶対に、思い通りになんてなってやるもんか。……絶対に。あいつを上回ってやる」


 ――くすりと。


 かすかな微笑が耳をくすぐった。


 それはもしかしたら、俺の気のせいの産物かもしれなかったけれど。

 でも、それは確かにあった。“二人分”。


「……本気かよ、手前」


 近くから、まじまじとツェツィーリャが見つめてくる。


 俺は憮然として、


「当たり前だ。俺はエルフみたいに、最初から白旗あげて諦めるほどお利口じゃない」

「ふざけろ。誰が白旗だって?」

「違うのかよ」

「ったり前だ、ボケ。オレが手前に手を貸さねえのは、単に手前が気に入らねえからだ」

「ああそうかい」


 険悪に会話を断ち切る。


 周囲は後方からやってきた王都軍、こちらの救出にやってきたリザードマンと援護のマーメイド達の攻撃魔法が入り混じって、さっそくひどい状況になっていた。

 おかげでこちらに攻撃が向かうことはなくなっていたが、いつ流れ弾が飛んでくるかわからない。


 ツェツィーリャの傷を庇いつつ、少しでもはやく味方陣営に戻ろうと足を速めながら、


「――だが」


 ぽつりと呟いた、ツェツィーリャが唇を歪めた。


「あの精霊喰らいのやつは、もっと気に入らねえ。……あいつの鼻を明かすためだってんなら、手前にノってやってもいいぜ。ぼんくら」


 不敵な表情を浮かべるエルフの横顔に、俺は肩をすくめて、


「性格の悪いエルフだな」

「性格が良けりゃ生きちゃねえよ」

「……違いない」


 なんとなく納得してしまいながら、結晶石を掴む。

 混線しながらこちらの無事を問いかけてくるいくつもの声に応える代わり、それに向かって告げた。


「――交渉は決裂。こちらは無事、今から戻る。作戦開始だ」



 王都軍との決戦が、幕を切って落とされた。



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