十六話 奇襲応酬
「くそっ。無茶苦茶しやがる……!」
苦虫をおもいっきり口の中につっこまれた気分で、俺はうめいた。
洞窟内に流れる地下水脈を利用する手法そのものについては、決して突飛な発想ってわけじゃない。
以前、俺やスラ子とルクレティアが敵対していた時。調査隊を引き連れてきた令嬢に対して、俺たちは一時的にため込んだ水流を決壊させて連中の不意をついたことがあった。
だが、騎士団の連中がやったことはそれとはまったく違う。
俺たちがやったやり方にはそれなりに時間がかかる。
どこかで水流をせき止め、ある程度の段階でそれを解き放つという手順が必要だからだ。それに、地下水の流れなんて増減するものだから、空間にも元からゆとりがある。多少、そこに水があふれたところですぐに拡散してそれでおしまいだ。
しかし、スラ子の見せてくれる洞窟内の映像の混乱は、見ていてもまるでそれが収まらず、ひたすらに増大していく。つまりこれは、
「――洞窟内部の水脈、そのものを変えた?」
はっとした表情でヴァルトルーテがつぶやいた。
「多分な」
俺は苦々しく頷いて、
「土魔法でも連打しまくったか、それとも外から運んできた積荷に“大量の鉄板”でもあったのかもな。あの王女様、こんなところで剣なんざ振り回してないで工事現場に駆り出されたほうがよほど重宝されるんじゃないか!?」
「確かに、不安定な足場での作業にさぞ便利そうではあります」
「感心してる場合かっ」
こんな状況でも落ち着き払った令嬢にツッコみながら、考える。即断した。
「――奇襲は中止だ。状況確認を優先する。それでいいな?」
「仕方ありませんわね」
ルクレティアもそれに反対せずに頷く。
「エリアル、――エリアル、聞こえるか」
『……ああ、……聞こえる』
結晶石の向こうからの返答はやや雑音まじりで、水に濁っているようだった。
『……随分と――乱暴な手を打ってきたようだな、あちらは』
「まったくだ。状況は?」
『我々は問題ない……が、蜥蜴人達が流されてしまった。すまない、退避させるのが間に合わなかった』
水棲のマーメイドたちとちがって、リザードマンは陸棲だ。水辺を好むとはいえ、水中で息ができるわけじゃない。
「わかった。ひとまず連中の救助にかかってくれ。こっちからもシィたちを送る」
『了解した』
「気をつけろよ。こちらからは今、相手の動きが見えない状況だ」
『……なるほど。警戒と、いざという時の遅延要員を出しておいたほうが良さそうだな』
「ああ、頼む」
そこでエリアルとの連絡を一旦きって、俺は周囲を見回した。
「スケル、シィ、リーザ。聞いてのとおりだ。エリアルの援護にいってくれ。リザードマンたちに怪我人が出てるかもしれない」
「わかりました。こっちから奇襲を仕掛けるのは、完全になしって感じっすか?」
「……わからん。ひとまず自分達の状態を確かめるのが先決だが、そこから動いてもらうことになるかもしれない。ひたすら受け身ってのも良くないだろうしな」
ただ、と息をついて、
「今すぐ動くのはヤバい。かなりのスライム達が流されたからな。水脈が曲げられた影響で、辺りの地形もどう変わってるかわからない。わからないのは向こうも同じだが、それはつまり“それだけこっちが不利”ってことだ」
ダンジョンを防衛する上で、俺たちが侵入者側に対して持っていた圧倒的なアドバンテージは大きく三つ。
結晶石での即時通信。
スライムたちから送られる映像。
そして、正確な地形情報。
これらがある限り、俺たちはどんな相手がやってきたもかなりの優勢を勝ち得たはずだった。それこそ、金髪の令嬢が「どんな大軍がやってこようとも」とまで言ってのけたように。
だが、王都軍の連中は、水流を捻じ曲げることで俺たちが有利だったはずの地形情報を無茶苦茶にしてみせた。
向こうは最初から知らないのだからデメリットは少なく、それに対してこっちの痛手は余りある。通路や部屋はいくらかが水に埋もれて、せっかく仕掛けた罠だって少なくない数が駄目になっていることだろう。
まさか、それと同時にスライムたちも押し流してこっちの“目”を潰したことまで、相手の狙い通りとは思わないが――ちらりと肩越しに振り返ると、スラ子は困ったような表情をかえしてくる。
スラ子にその回答を求めたわけではなかったから、俺はすぐに視線を戻して、
「……にしても、ちゃぶ台返しにも程がある。俺が溺れ死にでもしたらどうするつもりだったんだか」
連中がこのダンジョンにやってくる理由は、言うまでもなく山頂に棲むストロフライとの接見だ。
その安全な面会パスを得るためには、俺の首根っこを摑まえてでも引き摺りだす必要があるわけで。だからこそ、ダンジョンそのものを破壊するような大袈裟な行動にはでてこないはずだったが、
「それで死ぬような間抜けなら、それまでってことっすかね」
スケルが頭をかいた。
「んじゃ、とりあえず行ってきやす!」
「あ、待って……! マスター、ボクも行ってきていいですかっ?」
シィとリーザを連れて部屋から飛び出していこうとしたスケルをカーラが呼び止めた。
俺が顔をしかめて、口を開こうとしたところに、
「――別にかまいませんでしょう」
横からルクレティアが口をはさんでくる。
「救助の手は多くて困ることはないはずです。ご主人様はなにやら恐れていらっしゃるようですけれど、戦闘が発生すると決まったわけでもありません」
見透かしたような発言に、俺は渋面で冷静な令嬢を見やってから。息を吐いた。
「……わかった。カーラも、頼む」
「はいっ」
ダンジョンの防衛が始まってからこっち、ずっと予備戦力として待機していたからだろうか。久しぶりに命令を受けたことに嬉しそうに、すぐに頬をひきしめたカーラが駆けていく。
その後ろ姿を渋面で見送っていると、横から冷ややかな言葉をかけられる。
「特別扱いはされたくありませんわね」
「別にそんなんじゃない」
「あら。それでしたら、私もカーラ達と一緒に前線にでてきてもよろしいですか?」
澄ました顔で言われて、俺はあっさりと沈黙する。
からかうような微笑をくゆらせた令嬢が、
「冗談ですわ。――ですが、後ほどご説明はいただきたいものです。ご主人様はなにやら腹に一物抱えていらっしゃるご様子」
一転、鋭い眼差しで見据えてくる。
「……わかったよ」
抗弁したところで叶いそうにないと悟って、俺は頭をふった。
「だが、まずはこっちが先だ。……連中、どう出て来ると思う」
エリアルたちの援護にむかったスケル、シィ、リーザ。いつの間にかツェツィーリャも姿を消していて、伝達手のマーメイドたち以外には、この場に残っているのはルクレティアとヴァルトルーテ、そしてスラ子だけになっている。
スラ子は恐らく口を出してこない。
俺は種族の異なる二人の知恵役に目線をむけた。
「……舞台そのものを無茶苦茶にして、こちらの優位性を台無しにする。というのがあちら側の目論見で間違いないでしょうね」
「些か以上に乱暴ですが、有効な手段であることも間違いありません。向こうには失うものがありませんから」
「なら、混乱に乗じて一気にやってくるでしょうか?」
「どうでしょう。一点で捻じ曲げられた水流が、洞窟全体にどのような影響を及ぼすか……不規則な影響の結果、地形全体が危うくなっています。危険なことは彼らにとっても変わりません。むしろ、全身を重装に固めているあの方々こそ、足をとられなどしたら致命的でしょうね」
「それじゃあ、ごく周辺の地形偵察から? 鎧を脱がせて斥候隊をだしてくる可能性もあると思います」
「その可能性はありますわね。いずれにせよ、こちらは最大の利点であった映像視認が麻痺している状況です。残っている映像で、なんとか彼らの動きを掴めるよう努める必要があります」
「――そういうことだから、よろしく頼む」
「はいっ」
遠くにいる映像監視役のマーメイドに声をかけると、緊張した様子で頷いてくる。
あらためて、俺は目の前のテーブルに置かれた中層の立体模型を見た。
上層よりはるかに入り組んだ地形。念のいった罠。誘導すべき道順に、伏撃に適した交差路。いざというときの退避道。それらのいったいどれだけが無駄になったのかが心に浮かびかけて――切り替えろ、と自分に叱咤する。
状況なんていくらでも変わる。過去にこだわってたら、そのまま取り残されるだけだ。
「……エリアル」
『――ああ。悪い、どうした?』
少し待ってから、忙しそうな声がかえってくる。
「今、スケルたちが応援に向かってる。そっちの状況はどうだ?」
『思ったより酷くはないようだ。……ただ、怪我人はかなりでているな。救助隊と警戒隊に分けて行動していて、警戒隊には無事な蜥蜴人達にも加わってもらっている』
「わかった。スケルとリーザがそっちについたら、結晶石を持たせてそれぞれ警戒班の指揮をとらせてくれ。シィには怪我人の治療を、カーラに地形被害の確認を。カーラにはマーメイドを何人かつけて、変化した水流を中心に探らせてくれ。罠が誤作動してるかもしれないから油断させないようにな」
『了解だ』
「警戒班には、生きてる映像からこっちもなるべく情報を送ってサポートする……が、くれぐれも無理はしないように気をつけるようにしてくれ。正攻法では戦いたくないからな」
『ああ、そうしよう』
前線指揮をとるエリアルの返事をききながら、奥の伝達手に目線をおくる。うなずいた相手が、移動中のスケルたちにもおなじ台詞を繰り返してくれるのを確かめていると、
「――気になることがあります」
ぽつりとルクレティアが呟いた。
「なんだ?」
「スライム達の件です。地下水流を氾濫させて、こちらの一方的なアドバンテージを打ち消した。スライムが流されたのはそのほんの偶然――ということはもちろんあり得るでしょうが、それも前提が異なれば違う見解も可能になります。つまり、あちらにいる金精霊が“我々がスライムを通して状況を把握していることを察知して、それを王女殿下に伝えた”という可能性ですわ」
ちらりと、怜悧な眼差しが対面して佇む銀髪のエルフへと向けられる。
「そのあたりは如何でしょう。今後の作戦を立てる上で、重大な懸念点になるかと思われますが」
「それは、」
ひどい歯痛があるように、ヴァルトルーテの顔がゆがむ。二人のあいだに険悪な雰囲気がうまれる前に、俺は間に割って入るように口をひらいた。
「ヴァルトルーテ。俺からも聞きたいことがある。さっきの話だ」
さらに奥歯を噛み締めるように押し黙るエルフに、
「ツェツィーリャが“確認したい”って言ってたな。確証がないとも。それってようするに、今のルクレティアの言ってるようなことなんじゃないのか?」
訊ねるが、相手は辛そうに黙り込んだまま。
……仕方ない。
相手の強情な態度に俺は息を吐いて、
「なあ、ヴァルトルーテ」
呼びかけた。
「俺にはずっとモヤモヤしてることがあるんだ。それで、さっき考えてた。精霊のこととか、王女様のこととか。ストロフライ。……それに、スラ子のことも」
自分の後ろに黙して控える不定形の気配を感じながら、
「俺たちの目的は、ストロフライを目的にした連中がやってきて、それと出くわしたストロフライが嬉々としてそいつらを吹っ飛ばすついで、“この大陸ごと木端微塵にしたりしないように”ってことだ。そのために、このダンジョンでそういう連中を引き受けて、お帰り願いたいと思ってるわけで」
「……はい。わかっています」
「それで、やっぱりストロフライを目当てにやってきてるあの大精霊とお姫様ご一行は、竜貨だか精霊通貨だかを作りたいらしい。竜の威光を利用して、貨幣とその流通でこの世界を牛耳ろうとしてるとか、まあそこらへんはいい。王女殿下にとっては窮してる自国を救おうとしてるとか、本心では自分自身を救おうとしてるだけだとか。それだっていいさ。今は、どうでもいい」
唾を飲み込んで、
「……俺が思うのは、ヴァルトルーテ。そんなことのために竜を相手にするなんて、ありえないってことだ。リスクがありすぎる。あのストロフライは、竜のなかで飛びぬけた力を持ってるらしい――そんなことは知らなくたって、竜に自分の願いを叶えてもらおうなんて考えるのが、まず頭がおかしいとしか思えない」
「私も――」
言いかけたヴァルトルーテが、大きく、そして弱々しくかぶりをふって、
「私も、そう思います……」
「だよな。だから、思うんだ。あのお姫様たちについてはまだわかる。それだけレスルートって国が追い込まれてるのかもしれない。だけど、例え連中がそうだとしたって、それに精霊まで付き合って自殺しようとするなんて俺には思えない。だって、そんなことありえるか?」
重い空気。
のろのろとこちらを見つめたエルフが、
「だったら、なんだって。マギさんは思うんですか?」
うめくように言った。
「……わからない。けど、通貨だとか、そういうこと以上のなにかがあるんじゃないかと思う。いや、多分その目的だってあるにはあるんだろうが、本当の狙いはもっと根本的なことなんじゃないのかってな。――違うか?」
探るような視線を向けると、ヴァルトルーテはそれから逃げるように目線を泳がせて。ため息をついた。
「シルが言ってました。スラ子さんのやっていることは自分には関知できないって。精霊は、自分の属性以外のことには疎いんです。そういう存在ですから。……今、私から言えることはそれだけです」
ルクレティアの疑問には答えているが、俺の問いかけには答えていない。答えられない、という答えをきいて、
「なら、ヴァルトルーテ。もう一つだけ俺の質問に答えてくれ」
辛そうにこちらと視線をあわせるエルフに、
「――スラ子と、ストロフライと、あの大精霊。いったいどれが、今、あんたの目の前で一番の“危機”になってる?」
それを聞いたヴァルトルーテは、ほとんど泣き出しそうに顔を歪めて、目を逸らした。
答えはかえってこない。
そして、今度はそれで十分だった。
「わかった。ありがとう」
「……いえ」
ほとんど声にならない返事でうなだれる。
なんだか自分がひどいことをしたように思えて、嫌な気分だった。同時に確信に近い思いも抱いている。
今のヴァルトルーテの返答をきいて、自分の予想が半ば正しいだろうことを察したからだ。
……最悪だ。
世界の危機を止める役割であるはずの精霊が、その“世界の危機”になりかけているだなんて。最悪どころじゃない。
「あのっ」
恐る恐るといった口調で、映像を監視していたマーメイドが声をかけてきた。
「どうした?」
「敵に、動きが――ありますっ」
緊迫感のある報告をきいて、壁際に目をやる。中層部で映像が生きている一画、王女殿下の一行が仮拠点を構築している場所からすぐのところに、いくつかの人影が蠢いているのが見えた。
「一つじゃありません。あそこと、こっちにも――」
報告にあわせて、いくつかの映像が拡大される。スラ子が用意してくれたそれらを見ながら、俺は近くの結晶石を手にとった。
「エリアルっ」
『――こちらも今、報告をきいたところだ。さすがに混乱に乗じてくるか』
「警戒隊は?」
『編成は出来ている。スケルとリーザが着いたら、そのまま率いて出て行ってもらおうとしているところだ』
『ういー。もうちょいお待ちをー』
『じゅ。……急いで、向かウ』
「――ルクレティア」
生き残った映像を食い入るように見つめていた金髪の令嬢が、
「……王女殿下の率いる隊が一隊。その侵攻をサポートする役割でしょう、分隊が二つ。いずれも王女殿下以外は全身鎧を脱いで、軽装に変わっています。装備からして、地形確認のための軽斥候でしょう」
その横顔が一瞬、迷うような素振りを見せる。
「どうした」
「……いえ。王女殿下のことです。たとえ重さは感じずとも、鎧を纏っている以上は実際に水を受ける箇所は広く、抵抗も大きいはずですから――上手く水流に落として流してしまえないか、と思ったのですけれど」
確かにそれができたら話は早そうだが。
「だが、あのお姫様、上層でマーメイドたちが魔法で起こした水流をあっさり耐えてみせたぞ。例の武器だかなんだかわけわからん得物を地面にぶっ刺してな」
「でしたわね。やめておきましょう。分の悪い賭けに出るのにも、機会は選ぶべきでしょうし。……エリアルさん、マーメイドとリザードマンの方々はそれぞれ、何名ほど動かせますか?」
『どちらも十人ずつはいける』
「わかりました。ご主人様、いかがなさいますか」
さっきの作戦会議では、王女殿下のことは無視してその周りから戦力を削っていくというのが基本方針だった。
「そうだな。――これ、今なら使えないか」
侵攻してくる連中の動きと中層の模型図を見比べて、その一画を指し示す。
「……なるほど。面白いかもしれません」
うなずいたルクレティアが、
「かしこまりました。では、目標はこの方々にいたしましょう」
ルクレティアが指さしたのは、分隊、本体、分隊と横に並んで侵攻する一番左、方角でいえば西に展開しようとする数名の部隊だった。
「伝達手の皆さん、これより敵を方位西から①、②、③、と呼称します。確認を。ご主人様、よろしいですか」
「よろしいに決まってる。お姫様のいる②番は無視、①をひっかけるとして、どうやって誘導する?」
「こうします――」
豪奢な金髪をかきあげた令嬢が、不敵な表情を浮かべて作戦指示に入った。
暗く、水気に満ちた地下洞窟を三人の男たちが進んでいる。
いずれも屈強な体つきと、油断のない顔つきが映像から窺えた。落ち目の王家とはいえ、近衛に選ばれるような人材だ。無能のわけがない。
男たちは統率のとれた動きで各々の死角を補い、周囲を警戒している。松明ではなく、魔法で使った灯りを飛ばし、奇襲への注意を払っていた。
王都軍の侵攻戦術が、精霊憑きのお姫様を主軸にしているという俺たちの推測が正しいなら、連中はその補助。入り組んで迷宮じみた洞窟の、あらぬ方向から不意な襲撃をその本体が受けないよう、背後や左右を注意する役割だ。
そういう連中をどうにか引きつけて、各個に撃破していく、というのが俺たちの作戦だが――それこそ言うは易し、行うは難し、だ。
なにしろ騎士団に所属している連中なのだ。規律、王家への忠誠。なんでもいいが、相当な練度があることは間違いない。
自分達の役目を見失ってくれるとも思えなかったが、それをやらなければ始まらない。
既に作戦内容は全員に伝わっている。
前線の連中は作戦開始を待って息をひそめ、司令部にいる俺たちは壁の映像に注視して、そのタイミングを待っていた。
……男たちが移動を開始する。
あくまで本体のサポートを任務とする連中は、お姫様のいる主力部隊からつかず離れずの位置をたもとうとしていた。
その合図には“灯り”の点灯と、その消滅が使われている。声でやりとりするわけにもいかないだろうからそうするしかないのだが、情報量が極端に制限されるやりかたでしっかりと互いの意思を伝達してみせるあたりに、自然な練度の高さがうかがえた。
慎重に足を進める敵①の男たちが、予定通りの場所にまで辿り着いたのを確認して、俺はルクレティアに視線を送る。無言の首肯。
「始めてくれ」
伝達手役のマーメイドたちから、それぞれの担当に行動開始が告げられる。
三班に分かれた王都軍の各侵攻ルートに伏せていたマーメイドとリザードマンの集団から、一斉に攻撃が飛んだ。
②、③の敵に対して、マーメイドの水魔法、そしてリザードマンの投石が放たれる。魔法はもちろん、鎧を脱いだ状態なら投石だって直撃したら馬鹿にはできない。
それに対する侵入者の対応は、やはり手慣れたものだった。地形障害に身を潜め、状況を把握する。攻撃方向を確認して挟撃の恐れがないことを確認してから、じわりと反攻に推移する。
精霊憑きのお姫様が率いる本隊②にいたっては、岩陰に身を隠すことすらしなかった。
大得物を眼前にかまえたお姫様が雨あられと降る攻撃の矢面に立ち、ゆっくりと前進する。その背後に隠れるように他の随員が従い、その陰から反撃を放つ。
本来なら護るべき対象であるはずの人物を前面に押し出して、その背後に続く。ひどく矛盾した光景に思えるそれを映像に見ながら、
「……まるで移動する要塞かなにかだな」
「そうですわね」
思わず声にでてしまった俺の呆れた感想に、ルクレティアが素っ気なく同意してみせた。
「王女殿下の能力を文字通りに解釈するなら、鉄張りの砦を王女殿下が“抱えて”そのまま進軍する。というようなふざけた運用さえ出来そうかもしれません。攻城戦の存在意義が根本から覆りますわね。いえ、攻城戦に限りませんか……」
「まったくもって夢のある話だ」
うんざりと頭をふる。
だが、あのお姫様が止められないことは百も承知だ。元より、②、③への攻撃は牽制と足止めに過ぎない。
俺たちが狙いをつけたのは、残る敵①――その目標に対して、
「しゅあら!」
リザードマン数名を率いたリーザ班が飛びかかった。
魔法や投石ではない、近接襲撃。
突然の奇襲に対して、敵①の男たちはあくまで冷静だった。牽制の魔法を一つ二つ、リーザたちの接近をそれで阻んでおいて、そのあいだに素早く状況確認。
そして――そこから逃げ出さず、男たちは迎撃の姿勢をとった。
連中の役割は主力のサポートだ。彼らがそこから逃げ出せば、主力の部隊が背後から奇襲を受けかねない。もちろん、状況に応じて臨機応変な対応は必要で、そのための“軽装”でもあるはずだ。
つまり、連中はリーザたちを「自分たちだけで迎撃可能」と判断したのだ。
その判断は正しい。まったく正しい。
こちらが予想した通りに。
「しゅっ、ががっ!」
何度か剣をあわせて、リーザ班は自分たちの不利を悟る。そのまま、じりじりと後退して……ある程度の距離をおいたところで、脱兎のごとく逃げ出した。
うん、いい逃げっぷりだ。
その迫真の演技が、人間相手に通用したかどうかはわからないが。
敵①の男たちはそれを追おうとはしない。
それは、あくまで自分たちの本分を忘れていないからだった。どこまでも任務に忠実な騎士たちは小競り合い程度の勝利に集中を切らすことなく、油断なく周囲を警戒している。
そこへ――
「た……、けて――」
か細い声。
洞窟内を対流する空気に乗って届いたはずのその声に、男たちに確かに迷うような気配が生じた。
この先の様子がわからない中層域に挑むにあたって、連中がもっとも欲しているのは情報だ。
本来なら時間をかけて探りたかったそれを、なんらかの事情から行う余裕がない。だからこそ連中は、次善の策としてせめてこちら側の優位を打ち消そうとし、その混乱に乗じる形で侵攻を再開してきた。
そこにもしも、その「ここから先の洞窟内の様子」という貴重な情報を得られる可能性が目の前にあらわれたら?
言うまでもなく、声とはそのまま、情報だ。
そして、言葉をかわせる相手なら情報を聞きだすことができる。たとえばそれは、強制的にだって。
――罠かもしれない、という思いはもちろんあっただろう。いや、罠に違いないとすら考えているはずだ。
それでも、自分たちならそれを回避し、打ち破ることができるという自負が彼らにはあって。自分たちの置かれている状況、メリットとデメリットを換算して、臨機応変に行動できるだけの能力も、彼らは十分にもちあわせていた。
ちらと背後を振り返り、別部隊と連絡をとろうとする――が、他の二班にはそれぞれ、エリアル指示の元で遅滞戦闘が仕掛けられているところだ。
すぐにそうした異常に気付き、判断に逡巡する。
退くか、進むか。
数秒の沈黙のあと、三人の男たちはゆっくりと前進を開始した。
――かかった。
遠く離れた場所から、スライム経由の映像でその決断を見守っていた俺は、ほっと息を吐いた。
「エリアルたちの状況は?」
「遅滞戦闘中。敵③は押し込めていますが……、敵②! まるで止まりません!」
悲鳴のような報告に、
「続行だ。ただし、無理はさせるな。連中、水流近くにまでは近づいてこないはずだ。足を鈍らせることに注力させてくれ。絶対に、一人だって捕まったりしないように」
「わかりましたっ」
再び敵①へと注意をむける。
三人の男たちはゆっくりと歩を進めている。あくまで焦らず、慎重に。
「……けて、……い」
儚くささやかれる声は、そんな彼らを誘うように――あるいは、ただ悲嘆にくれてなげくように。
泣き妖精じみた声の元に向かって、少しずつ男たちが距離を詰める。
やがて、彼らの前に現れたのは――
「なあ」
「なんでしょう」
壁に浮かび上がる映像を確認しながら、俺は思わずうめいていた。
三人の前に落ちている薄い布きれ。
長さも大きさも、防具や防寒にはいかにも中途半端なそれは、
「なんで下着なんだ?」
「知りません。スケルさんに聞いてください」
「……あいつ、なに考えてんだか」
「殿方には効果絶大かもしれませんわよ」
「頼むから真顔で言ってくれるな。反論できないじゃないか」
……ともあれ、目の前に落ちた異物の存在に男たちはすぐに気づき、戸惑いながらそれぞれの顔を見合わせた。
目配せで頷き合い、その中の一人がすっと手のひらをかかげてみせる。
「――アイスランス」
撃ち放たれた氷の槍が、一瞬でその布きれを氷漬かせた。
罠の起動を警戒した男たちが身構えて――しばらく待つが、なにも起きる傾向がない。男たちが肩をすくめて、再び歩き出したところで、
「――ッ」
一人がのけぞるように顔を背けた。
「どうしたっ」
あわてて他の二人が声をかける。
その場にうずくまる男。その頬から、赤いものが滴っていた。
周囲を見回した一人が、自分たちのすぐ近くで仲間に傷つけた存在に気づく。
「鋼線かっ」
水気に濡れて、わずかな輝きを露わにする一本のライン。
それに向かって忌々しそうに剣を叩きつけようとした男を、別の男が押し留めた。
「やめろ。なにが作動するか知れたもんじゃない。……大丈夫か」
「ああ。大したことはない」
立ち上がり、血を拭いながら答える。
実際、男の傷は映像から見ていてもそう深いものではないらしかった。
まあそうだろう。ああいう仕掛けで首を刎ねようとでもするなら、人間が全力で駆ける以上の速度が必要になる。
「……一旦、退くぞ」
リーダー格らしい男が言った。
素早い判断だった。情報は欲しいが、それに固執して深入りすることはしない。
そもそも、普段の彼ら――つまり、重装備に身を包んだ状態なら、今の罠なんかなんの効果もなかった。ただの鋼線で鎧を断てるわけがない。
そう。
だから、この罠は連中が軽装をしている今しか意味がなかった。
「? おい、なんの音だ――」
異変に気づいた男が周囲を見渡す。
他の二人も、手にそれぞれの得物を握り、どの方角からの襲撃にも対応できるように互いの死角を守って警戒態勢をとる。
その異変は、映像を見ている俺たちにも確認できなかった。
いや、見えてはいる。
見えてはいるがその違いが視認できない。
なぜなら。それは洞窟を包む闇とともに現れるものだったから――
「――――!」
無数の羽ばたきとともに、大勢のコウモリが一斉に男たちに襲いかかった。
近くの巣から血の匂いに誘われて殺到する。
突然の襲撃に、男たちはさすがに動揺を隠せない様子で、それでもなお冷静に反撃につとめようとするが――如何せん、数が多すぎる。
ほとんどコウモリの大群に全身を覆われるように、彼らの視界が遮断された。
その機を逃さず、
「……スケル、リーザ、行け!」
突撃を指示する。
それから、さほど長くない戦闘の結果。
俺たちは三人の勇猛な騎士の無力化に成功した。