十一話 精霊とマナと十番目の属性
「精霊ってのは。マナってのは、なんだと思う」
湿気た洞窟の奥。
目つきの悪いエルフがそう口にしたのは、この洞窟がダンジョンとしての活動にむけて最後の準備にとりかかっていた頃のことだ。
精霊について教えてほしい、と風精霊シルフィリア、その契約相手である賢人族のツェツィーリャへ質問した俺に、返ってきた言葉がそれ。
「いや、だからそれを教えてほしいっていってるんだが」
「うっせーな。いいから答えろボケ」
すごむように睨みつけられて、俺は肩をすくめる。
「そりゃあ、精霊はこの世界をつくったとか、その力がマナとかってな。その精霊をつくった“なにか”がいたって話なら、この間あんたの姉さんから聞いたよ」
アカデミーのベッドの上できかされた話だ。
マナという便利な、便利すぎる力があって、それを管理するために存在するのが精霊だ、という。
それをきいたツェツィーリャが、なにかを渋るように目線をおとしてから、
「マナについては。昔っから、色々と言われちゃいる。オレらエルフのなかでもな。原理や、理屈。それこそ、細かいことやどうでもいいことまでペチャクチャペチャクチャ、頭のいい連中が飽きもしないで年中頭を突き合わせちゃいるが――正直、そこらへんはどうでもいい」
「……どうでもよくはないんじゃないか?」
「いーんだよ。結局は、それが実際にどうなんだって話だろうが」
まあ、そうかもしれないが。
理論や理屈より、生活の場でどうか。
一応、学問研究の場でもあったアカデミーにいた人間としては納得できかねるが、今ここでそんなことを討論してもしょうがない。
「それで、実際はどうなんだ」
「手前、水系統はなんか使えんのかよ?」
「水属性の魔法ってことか? いや」
はん、と鼻で笑われる。
「使えねーヤツ」
「うるせえ。そっちはどうなんだよ」
「オレは風精霊と契約してんだぞ? それ以外の属性だなんて、使えるわけねえだろうが」
へえ。精霊と契約するとそういうデメリットがあるのか。
初耳で、興味深い話ではあったが、
「それで、その水属性の魔法がなんだって?」
「別に水属に限った話じゃねえがな。ボンクラ、手前は不思議に思ったことはねえのか。マナで作りだされたり、呼び出された現象が、いったいどこから来て、どこにいっちまうかってことをだ」
「どこから、どこに?」
「ああ、そうだ」
目つきの悪いエルフがうなずいて、
「火は消える。水は浸みる。だが、火に燃やされたものは焦げたままだし、地下にもぐった水だって無くなったわけでもねえ――水筒をなくしたマヌケが、喉がかわいたから魔法で水をだしたとする。それを飲んだら、あとから身体のなかで消えたりするか? 渇きが癒されたのは錯覚か? いったいこれはどういうこった?」
「……マナの瞬間性と不朽性の矛盾問題か?」
俺は頭をふって、
「それについては、アカデミーでだって議論されてたさ。いろんな学説はともかく、これだって答えはでてないだろ。要は、そういうものってことじゃないのか?」
「そうともだ、ボンクラ。結局、マナってのは“そういうモン”だ。それがエネルギーでも、物質でも、マナっていう根源から起こってるのは確かだが、マナを媒介にどっかから呼び出してるのか、それともマナそのものを他に変化させてるのかさえわかってねえ。オレらはただ、それが目の前にあって、それができるってことを知ってるだけだ」
竜という例外をのぞけば、この世界でもっともマナについて詳しいのは賢人族のはずだ。
精霊の薫陶あつく、その熱心な信徒であるエルフにしても、マナやそれを用いた魔法の仕組みについてわかっていない部分が多いというのは正直、意外だった。
彼らはただ、自分たちだけで大切な秘密を抱え込んでいるだけだと思っていた。
いや、恐らく彼らはなにかしらの秘密を抱えてはいる。
いったいそれがなんなのか、ということが問題だ。
「それで、その目の前にある事実がどうしたんだ?」
俺がたずねると、ツェツィーリャはちらと視線を隣のシルフィリアにむけて、
「いくら手前がボンクラでも、創生話くらい知ってんだろうが。属性が云々ってアレのことだよ」
「まず天の光と闇、そして月。それから地の六体がってやつだろ」
さすがにそれは知っている。
この世界にある九つの属性。
光、闇、月。世界をかたどる天の三属。
水、火、風、木、金、土。世界をいろどる地の六属。
九つの属性をそれぞれ象徴する精霊たちが、この世界を創造した。ヴァルトルーテの話では、さらにその精霊をつくった上位の存在がいるという話だったが、
「違う。それだけじゃねえ。それだけじゃあ、まだ世界は完成しなかった」
ツェツィーリャがいった。
それも知ってる。
俺はうなずいて、
「十番目のことだろ? 名前のない、最後の属性のことだ」
九属性の精霊がこの世界をつくった。
だけど、問題があった。
マナという無限の力をつかって世界を創造した精霊たちは、どこまでも世界を“つくりすぎた”のだ。
彼らの創造の力はいつまでも収まらず、だから世界創造の完成には彼ら以外にもう一つが必要だった。
それが十番目。
名前のつけられていないそれは、便宜的に“無”とか“虚”とかいわれていたりする。
つまりそれは、九属性からなる万物の創造に対する反属性だ。
「創造する力と、それに対するもう一つ。“ソレ”があって、ようやくこの世界の在り方は安定した。その世界で今、オレらはのうのうとマナを使ってるワケだが――」
すっとツェツィーリャが目をほそめた。
「ここで問題だ。今のオレたちがマナを使っているときに、その“十番目”の力は関わってると思うか?」
「そりゃ、」
……どうなんだろう。
九つの属性と、もう一つ。
その力でこの世界が創生されたというのはそれなりに一般的な話だ。
精霊自身がそう語ったことであり、賢人族を通じて他の種族にまで広められているからだ。
だが、十番目の属性というのはあくまで概念上の存在にすぎない。そういうふうに考えられている。
すくなくとも、十番目の力を行使しただなんてことがあったという記録は、今までにない。
それを象徴する精霊だっていない。
あたりまえだ、それには名前さえないんだから。
実際には存在しない。
存在しないものが、俺たちが行使している力に影響をあたえているのかというと、
「してない、のか?」
「多分な」
「多分って」
ずいぶん適当だな、といいかけて、
「言ってんだろうが。マナってのはわけがわからねえ。わかってるのは、目の前にある現実だけだ。俺らはそのマナを使う。マナを使う度に、その結果がこの世界には蓄積していく。焦がしたり、浸みたり、隆起したりな。なら――いったい、マナは“どこまで”ある? 仮にそれがいつまでも無くならないとしたら、どうなる?」
「それは、」
「ああそうさ。この世界にはマナが溢れてる。いくらでもエネルギーや物質をうみだすマナが、もしも“いくら使ったところで無くなったりしねえ”のなら。際限なく溜まっていくその結果が最終的にどうなるかなんて、わかりきってるだろうがよ」
ツェツィーリャはそこで口をとじて。
とっておきの不吉な呪いを吐きだすように、ささやいた。
「――溢れ出すのさ」
◇
精霊とマナ、その危険性について。
少し前に俺がツェツィーリャにきいていた内容を、あらためて全員が説明をうけたその場に微妙な沈黙がうまれた。
マナという便利な力は、この世界でいきる生命にとってなじみ深いものだ。
魔法使いという、たとえそれを能動的に利用する立場に限らなくとも、それは無意識に日々の生活へととけこんでしまっている。
常識として呑み込んでいるものを一旦はきだして、その不自然さを認識するっていうのは慣れてないとなかなか難しい。
「……マナという神秘の現象、あるいはそれを引き起こす大元の存在については、王都の学士院でも長らく議論されてきています」
ルクレティアがつぶやくようにいった。
「しかし、そこで注目される論題は、ほとんどがマナを如何に利用するかというような具体的な方向性に集束します。なぜマナが存在するのか、などという根源的な疑問は、議題にあがることはあっても所詮は仮説止まりで終わるからです。その真相に切り込む為の取っ掛かりさえ掴めずにいる、というのが現状でしょう」
そもそも、と豪奢な金髪をふって、
「人間は全員が魔法使いになれるわけではありません。マナを扱う素質が、いったいどのように発現するのかもわかっていないのですから。大魔導士として名高い両親から、必ず魔法を使える子どもが生まれるわけではない……人間種族にとって、魔道とはあくまで一代限りの異能です」
「私たちとは違いますね。私たちエルフは全員がマナを扱えますし、その能力の強弱も親から引き継ぐ――遺伝するという見解で一致しています」
ヴァルトルーテにちらりとルクレティアが視線をむけて、
「精霊に選ばれた種、ということですわね」
不愉快そうにエルフの姉が眉を吊りあげた。
「別に、そんなことを言いたいわけでは――」
「皮肉を言ったわけではありません。実際その通りなのでしょう。恣意性というのは、マナを語る際には欠かせません。属性という代物。そしてそれを司る精霊という意識体が存在する以上、そうなります」
この場にいる二体の精霊に視線がそそがれる。
宙にういた風精霊は素知らぬ顔で、もう一人の土精霊ノーミデスは、俺が飼っているスライムの一体をかかえて舟をこいでいる。ていうか寝てる。
「マナという存在に深く関わる恣意性。あるいは、よく語られる便利の不便性に代表されるように、マナという代物はその在り方そのものが異常なのでしょう。それが当然だと考えている我々にとってはそう思えなくとも」
「それには、賢人族の立場からも同意します」
ヴァルトルーテがうなずいた。
「だからこそ、私たちはマナとの接し方について、注意を促してきました。マナの使用には自制をもって扱うべきだと。……そのつもりでした」
なにかを思い出したのか、語尾が弱々しくなる。
「……努力が足りなかったと言われても仕方がないかもしれませんが。今現在の賢人族が他者とどのような関わり方をしているかは、ご存じの通りです」
悔やむように唇をかみ、下をむく。
エルフたちを非難する気にはなれなかった。
実際、賢人族がこの世界にのこしてきた功績は多大だ。
大昔、文明的に未熟だった人間種族を保護して知識をあたえたのは彼らだし、近い例でいえば魔物アカデミーが成立できたのも賢人族の協力があったからこそだ。
問題は、彼らがそれに最後まで関わろうとしなかったことなのだろうが――多分、それは彼らに欲がなさすぎたからだろう。
善意の協力者のまま関わろうとするには世界はひろすぎて、あまりにもたくさんの種族、たくさんの生き方がありすぎた。
それを正面から否定できるような立派な生き方なんか、俺はしてきていない。
「ま、実はマナは便利なだけじゃないんだー、なんて言われても、便利っすしねえ」
ぼさぼさの頭をかきながらスケルがいった。
「便利な力がありゃ、それに頼っちゃいますよねえ。実際、関わったらろくなことにならないってわかりきってるのに、それでも竜を狙ってくる方々だって大勢いるわけですし」
「マナ資源がいずれ枯渇する、ならともかく。“溢れる”ですからね。勧告にしては抽象的過ぎるかもしれません」
ルクレティアがうなずく。
まわりが色々と異見をかわしあうなかで、俺は口をとざしていた。
はじめて話をきく連中の感想をききたいというのもあったが、それ以外に別のことを考えていたからだ。
少し前、俺の目のなかにしばらく存在していた若い竜。
イエロと名乗ったその竜も、いっていた。
――“溢れ出す”。
だから、スラ子は危険なのだと。世界を壊す代物だと。この場で処分しておくべきだ、と――そういっていた。
隣の気配に意識をむける。
俺の傍らにたたずんでいるスラ子は沈黙したままだ。
なにもかも、わかっているという風に。
「あの、ごめんっ。……その、マナがいつまでも無くならなくて、いろんなものが溢れるってことは、そんなに悪いことなの? そのあたりがよくわからなくて」
カーラが恥ずかしそうに手をあげる。
「どうでしょう。ただ、創生話にあるように、九属性ではなく、十番目の力を合わせてこの世界が均等したというなら――そして、我々がその九属性だけを使っているという解釈が仮に正しいのなら、その均等が崩れるという仮説はありえますわね。それにしても、もう少し具体的な根拠なり物証が欲しいところですが」
「……物証は、あるんです」
暗い顔つきでヴァルトルーテがつぶやいた。
「マナはこの世界に満ちています。どこにでもあって、循環する。けれど、その環の中から外れたものがあります。皆さんもご存じのものです」
「――瘴気」
スラ子がぽつりとつぶやいた。
それをにらむように見据えたヴァルトルーテが、
「そうです。マナの成れの果て。瘴気は、マナを扱う事で必ず発生します。一回一回はたとえほんの僅かでも、それが溜まりに溜まっていけば、いずれどうなるかは明白でしょう」
「ちょ、ちょっと待ってくださいなっ」
慌てた様子でスケルが声をあげた。
「瘴気って。めちゃくちゃ具体的で、しかもヤバい奴じゃないっすか。ハシーナのあれでしょう? それに、瘴気なんかあったら普通の生物は生きていけないんじゃ……」
「そうです。百年前の魔王災以降、この大陸の北がずっと死地であるように。濃い瘴気は生命の繁殖を許しません。ごく稀に、それに適応できる植物もあるようですけれど」
「先程までのお話より、随分と緊急性が高まってしまったように思えますわね。マナの使用が必ず瘴気を生み出すというなら、なにかしら手を打つべきではありませんか」
眉をひそめたルクレティアに、
「どうにもならないからですよ」
ヴァルトルーテが頭をふった。
「瘴気は、精霊にさえどうにもできません。マナという無限の力の行使に必ず付随する結果です。浄化も、分解もできない。瘴気の発生を抑えるためには、それはマナそのものを否定するしかありません。それはつまり、マナによって生きるたくさんの生命の否定でもあるんですよ? 私達は、そこまで傲慢ではありません」
「確かに、生態そのものにマナが関わる生物も大勢ですからね。大粛清の代わりの現実的な対案が、精霊による管理、統制――というわけですか。その使徒であり、代行者が賢人族だったと」
「そうです……」
銀髪のエルフが弱々しくうなずいた。
「それも、どうやら役目は失われてしまったのかもしれません。大精霊様はそのようにお考えのようです」
「どういうこと?」
「マナを扱うことの暴走を抑える為に、あくまで精霊がこの世界を主導する必要があるということでしょう。その為に、今までは知恵と良識のある賢人族が選ばれていましたが、これからはもっと別のものを利用できないかということです。人間種族が生み出し、その他の魔物たちにまで広がりつつある“貨幣”を」
この世界を主導するための価値。
それに精霊を本位とした通貨を使おうというわけだ。
「ヴァルトルーテ。質問があるんだけど、いいか」
俺は落ち込んだ様子でうつむいている相手にたずねた。
「……ええ、どうぞ」
「精霊や、賢人族がこの世界のために色々やってきたことはわかった。でも、さっき言ったよな。瘴気は精霊にもどうにもできない。そして、マナを扱うだけで瘴気は増えていくって」
「はい。言いました」
「つまり、結局は瘴気が――瘴気に代表されるなにかが、溜まっていくのはどうしようもないってことか。なら、なにをどうしたっていずれこの世界は破滅しちゃうのか?」
ヴァルトルーテは目線を伏せて、
「……このままでは、そうです」
このままでは?
「はい。――私たちにはもう一つ、精霊から言い伝えられていることがあります。世界を創造した十の力。私たちはその中の九つまでしか扱っていません。だからこそ、いずれ逃れられない破滅から、私たちを救ってくれる存在が現れることを。世界創造の十番目の力をもった、救世主の誕生です」
――ああ、そういうことか。
不意に全身が脱力する思いで、俺は悟った。
だから、“マナ”だったのか。
「その救世主の降臨まで、この世界を“溢れさせないで”おくことが私たちの使命でした。もちろん、それでも救世主の登場が間に合わない恐れもありますが。十番目の力をもったその存在がいったいいつ、あるいは本当にこの世に現れるのかというのは、精霊にすらわかりませんから」
「意外と今ごろどっかで元気にやってるんじゃないかな。どっかんどっかん騒がしそうだけど」
不審そうな目がこちらをみた。
「どういう意味ですか?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
アカデミー時代の知人がつれたあの赤子が、もしもそういう存在だったとしたなら――本当にこの世界を救う使命なり、そういうものがあるかどうかは、いずれ本人にわかることだろう。
赤子のあいだくらい、母親に背負われてたっていいはずだ。
それより今は、自分たちの目の前のことをどうにかしなきゃならない。
「精霊のことはわかった。けど、ならあの精霊憑きってのはなんなんだ? どう考えても、普通の魔導士のレベルじゃなかったが」
「精霊憑きは……その名の通り、精霊の力を行使する存在です。多くの種族にごく稀にあらわれる突然変異体。精霊の縛りなく、精霊の力を扱える異能中の異能者のことです」
「精霊の縛り?」
ヴァルトルーテはちらりと二体の精霊を気にするようにしてから、
「精霊は、自分たちの能力を能動的に扱えるわけではないんです。世界の管理者である彼らは、あくまで受動的であることを求められています。死瘴病や、魔王竜などの世界的危機への対応がそれです。例外として、ツェツィのように契約を結ぶことでその力の一端を行使することはできるんですが……」
「精霊憑きは、それすらも必要ない。自由に精霊の力を使えるが、あくまで精霊じゃない――ってわけか。厄介だな」
そういえば、この世界に無数にあるおとぎ話のなかにもまるで常人離れした英雄たちの逸話がのこっているが、それも精霊憑きの類だったのかもしれない。
それでも一国のお姫様がっていうのは珍しいだろうなと思いながら、
「ってことは、ゴルディナも“協力者”って立場にしか過ぎないってことなのか? あくまで主体的なのはあのお姫様で、レスルート王国ってことか」
「そうなる、と思います」
ヴァルトルーテがうなずいたが、それはどこか自信がなさそうだった。
「あるいは、大精霊様が明確に世界の危機と認識していれば、能動的にということも考えられますけれど……結局、各々の精霊がどう認識するかということなので、そのあたりは曖昧なんです」
「そんなもんか」
そういえば、この洞窟の管理者であるノーミデスも、俺たちに協力してくれたり協力してくれないことがあったり、線引きがよくわからないことが多かった。
「そういや、大精霊ってのはなんなんだ? 精霊ってそれぞれの個体で偉いとかあるのか? 立場とか役職とか」
「別にそんなんじゃないヨ」
シルフィリアが肩をすくめた。
「とりあえず長く生きてる相手をそう呼んでるダケ。精霊なんて、勝手なもんだからネ。指示系統なんてないし、命令をきくとかそういう概念そのものがないのサ」
「でも、それじゃお互いの意見がちがったりするんじゃないのか?」
「そりゃそうデショ。そのために、あたし達はそれぞれ違う性質を持たされてるんだモン」
風精霊はあっさりと、
「それぞれが自分たちの意思と判断で、世界の安定にむけて行動する。それが“精霊”ダヨ」
「……なら、精霊同士で抗争するってこともありえるのか?」
すっとシルフィリアの目がほそまった。
「――ありえないネ」
冷ややかに告げる。
「精霊同士が争っといて、世界の安定だなんて矛盾どころじゃないデショ。あたしらはそれぞれまったく違う意識をもってるけど、この世界を護るって前提だけは共通している。どれだけ意見を違えても争うなんてことはないヨ。正直、ゴルディナのやろうとしてることは気にはくわないけどネ。残念だったネ」
シルフィリアがこちらに加勢してくれる可能性はあるのかという疑問を見透かされたようにいわれて、俺は苦笑した。
まあ、そんなところだろう。
そして、精霊同士が争わないということは――その使徒である賢人族もまた、精霊に抗うなんてことはありえない、ということだ。
微妙な表情で沈黙する二人のエルフをちらと確認してから、
「とにかく。話し合いが物別れになった以上、連中がいずれこの洞窟にやってくるのは間違いない。それにむけて準備をととのえよう」
俺は全員にむけてそういって、話し合いをうちきった。
「――用心しておかれるべきでしょうね」
話し合いがおわり、それぞれが自分のやるべきことに戻っていってから、街へ帰る前に俺の部屋を訪れたルクレティアがいった。
「ツェツィーリャとヴァルトルーテのことか?」
「ええ、そうです」
こくりとうなずいた金髪の令嬢が、
「賢人族は強烈な精霊の信徒です。精霊に抗うどころか、そちらに加勢する方が十分にありえる事態です」
「こっちを裏切ってか? そりゃないだろう」
ルクレティアが眉をもちあげた。
「何故そのような自信がおありになるのですか」
「だって、そういうのが出来ないのが賢人族だろうさ」
俺は肩をすくめて、
「別に味方してくれるだなんて思ってるわけじゃない。俺たちに敵対するなら、正面からそういって去っていくはずだってことさ。あの二人はそういう性格で、エルフってそういうもんだろ」
「……騙し討ちなどをしそうにないというのは、同意しますけれど」
では、と続ける。
「もしあの二人がここから出ていきたいと言ってきたらどうしますか。むざむざ敵を増やすことになりますが」
「それが困るんだよなあ」
俺は天井をみあげて、
「できれば手出ししてくれなければいいんだが。……まあ、そのあたりはあとであの二人と話してみる。悩んでる感じだったろ? 動揺だってあったはずだ。判断するのは、話をしてみてからでもいいんじゃないか」
「それは結構です。私は、その場に私がいられないことを案じているのです」
じろりとこちらをみやった令嬢が、俺の背後に目線をうつして息をはいた。
「……わかりました。そちらはご主人様にお任せします。私はメジハで自分のやるべきことを行います」
「ああ、よろしく頼む」
精霊憑きのお姫様と、金精霊ゴルディナ。
精霊があくまで補佐的な立場としてこの場にあるなら、今回の始末をつけるためにはレスルート王国から派遣された一団、そして王国そのものをどうにかしなくちゃならない。
そのためには、王国の動向をくわしく知る必要がある。
やってきた連中をどうにかしても、すぐにまた増援がやってきたら無意味だからだ。
それになにより。
あの精霊憑きのお姫様の素性を確認する必要はでてくるだろう。
あの王女殿下の存在こそが、金精霊とレスルート王国を結び付けている可能性もあるのだから。
「バーデンゲンからの連絡は、まだ数日かかるでしょうし……本格的な侵攻というのもまだないでしょう。近衛騎士団と魔導士団。彼らは戦闘のプロではあっても、ダンジョン探索の専門家ではありません。どこか外部から有志を募ろうとするはずです」
「案外、このあいだのもそっちの伝手でやってきた連中だったかもな」
「ありえますわね。ともかく、今しばらくは偵察と様子見に重点が置かれるでしょう。とはいえ油断なさらないようお気をつけください」
「わかってる。上層の情報は知られてるしな。無理はしないさ。――ああ、そうだ」
一礼して部屋からでていこうとするルクレティアに声をかける。
「なんでしょう」
「町に戻るのに、タイリンとカーラも連れていってくれ」
「タイリンに、カーラをですか?」
令嬢が眉をひそめる。
「ああ。しばらく忙しいのはそっちだろう。連中の出方によっちゃ、しばらく連絡がとれなくなる可能性もある。そうでなくても、いつもみたいに自由に行き来なんかできないだろうしな」
「それで、闇属の得意なタイリンを連絡役にですか? それはかまいませんけれど……」
ルクレティアは気づかわしそうにこちらを見てから、
「――かしこまりました。なにかお考えがあるのでしょうから、聞きません」
「ああ、よろしく頼む」
後ろをむきかけたルクレティアが、なにかを思い出したようにこちらをふりかえった。
「ご主人様」
「なんだ?」
切れ長の眼差しをまっすぐにこちらに見据えて、
「ご主人様は、先程のお話……精霊とマナについて、以前からお聞きでいらっしゃったのですわよね」
「ああ。ほんの少し前だけどな」
「……そうですか」
なにかを考えるようにしてから、
「わかりました。結構ですわ」
「なにがだよ。なにか聞きたいことでもあるんじゃないのか?」
ルクレティアは肩をすくめた。
「気になることはありますが、聞くまでもないことですから」
「なんだそりゃ」
顔をしかめる俺に、令嬢は冷ややかな笑みをうかべて、
「貴方は極めて凡庸ではありますけれど、愚鈍ではありません。少なくとも、私はそう思っています。それだけのことですわ」
信頼されてるのか、けなされてるのか。
相変わらず本心のわかりにくい台詞に、俺は黙って肩をすくめて。
くすと笑みをもらしたルクレティアが、ちらりと俺の背後に一瞥を残してから部屋をでていった。
あとにのこったのは、俺と、それからもう一人。
ふりかえると、半透明の質感をもった美女がにこりと微笑んでくる。
「お疲れ様でした、マスター」
俺は一瞬、答えにつまってから。
「うん」
うなずいた。
「お疲れです? マッサージしますか?」
「いや、大丈夫だ。いろいろ考えないといけないこともあるしな」
「わかりましたっ」
明るくうなずいて、口をとざす。
そのまま見守ってくれるつもりなんだろう、相手の表情をじっと見つめてから。
「……スラ子」
呼びかけた。
「はい、マスター」
「聞きたいことがある」
「はい、マスター。なんでもどうぞ!」
スラ子は元気よく応える。
俺はそれからさらにしばらく迷ってから、
「お前のなかには。――今、“どのくらい”あるんだ?」
覚悟をひめて口にした質問。
それをきいたスラ子は驚きもせず、顔をしかめもせず。
おだやかに微笑んで、
「いいえ、マスター。今のわたしに“ない”ものなんか、ありません」
はっきりと、そういった。