一話 捕らわれた暴走少女
扉を開けた瞬間、
「エロ親父! バカ! 変態! スケベー!」
怒涛のごとく向けられた罵声に俺はそっと目の前の扉を閉めた。
後ろを振り返って、
「スラ子、俺は親父か……?」
「なにをこの世の終わりみたいな顔をしてるんです。あのくらいの女の子から見たら年上の人はたいていそうってだけですよ」
「親父……? まだ二十五にもなってないのに……子どもだっていないのに……?」
「悩むとハゲちゃいますよ。ほら、いきますよ」
部屋のなかにぽーんと押し出される。
暗くジメジメとした部屋のなかで、活発そうな印象の女の子が涙目でこちらを睨みつけていた。
「来るな、寄るな! この変なのをどうにかしろー!」
壁際で拘束されたその両手両足にへばりついているのは、俺の飼っているスライムちゃんズの一種。
前の作戦で使ったものと同じように、それにもちょっと変わった習性があって、雑食ではなくて完全草食嗜好になっている。
つまりそれを使っても相手の自由を奪うだけであり、俺はこっそりこのスライムを「エロスライム」と名づけていた。
自分でいうのもなんだが馬鹿だと思う。
しかも、最近ではそれとは比較にならない本格的エロスライムが颯爽登場したりしたもんだから、せっかくの個性も影が薄くなってしまったという悲劇。
「誰がエロスライムですか」
「お前以外に誰がいるんだ」
長くなりそうなやりとりはあとにして、俺は粘着するスライムから逃れようと必死にもがいている相手に呼びかける。
「えーとだな。まずは落ち着いてほしいんだが」
「痴漢! 陰湿エロい人! 話したことないけど、きっとそう!」
「帰る」
「メンタル弱すぎです、マスター」
踵を返しかけたところを背中を捕まえられ、引っ張られる。
「ほら。誰かと話す練習ですよ。リラックス、リラックス。深呼吸してください。ひっひ、ふー。ひっひ、ふー」
出産か。
「人を対人恐怖症かなにかみたいに」
「社交不安っぽいところはあるんじゃないかなあと、ちょっと心配しています」
俺は反論できずに沈黙した。そうじゃなければアカデミーの頃、ぼっちになんかなっていない。
「……とにかく。とりあえず話を聞いてくれないか。いま、スライムを放す」
持ってきた削り苔の山をスライムたちの前に置く。
ぞぞぞ、と少女の手足に纏わりついていたスライムたちがそっちに群がりはじめる。
拘束から身体が自由になった瞬間、
「ッ――!」
一拍もおかずに少女が跳ねた。
獣の俊敏さで飛びかかってくる相手に、俺は余裕で動けない。そんなに上等な反射神経なんざ持ち合わせていなかったし、それに、
「だめですよ」
こうなるだろうとわかっていた。
声と同時、俺の隣から伸びたスラ子の腕が少女の拳をからめとる。そのまま身体ごと壁に叩きつけた。
息をつまらせる相手の両手をおさえて顔を近づけて、
「マスターへのお痛は許しません。わかりましたか?」
スラ子の表情は俺からは見えなかったが、相手の青ざめた様子をみればそれがどんなものかは想像がついた。
「スラ子、さがっていい。ありがとう」
「はい。マスター」
こっちを振り返るスラ子はやわらかく微笑んでいる。
笑顔ですごまれる恐怖には身に覚えがある。俺はちょっと相手に同情した。
「大丈夫か」
ぎゅっと唇をかみしめた少女がうなるようにいう。
「ボクを、どうするつもりなの……」
「そのことで話にきたんだ」
目に涙をためながら必死にこらえてこちらを睨みあげてくる相手に、俺は答えた。
◇
「飼っちゃいませんか?」
先日の戦闘でつかまえた冒険者の処遇について食卓で話したとき、そう提案したのはやっぱりというべきか、スラ子だった。
「だからそんなに軽々しく、ペットを飼うみたいにいうんじゃない」
渋面で俺はいう。気分はほとんど、次から次へと野良犬をひろってくる子どもを叱る親のそれだった。
しかしもちろん、スラ子は子どもではないし、その発言にもちゃんと考えがあるはずで、
「殺すわけにはいきません。スライムが異常発生していたという報告だけなら、不慣れなルーキーたちがパニックを起こして判断に過誤があったと思われるかもしれませんが、そこに一人が帰ってこなかったという事実が加われば、信憑性も与える危険度も段違いになります」
俺やシィに現状を確認するように、丁寧な口調でスラ子は続けた。
「あくまで穏便に、人間たちからダンジョンの主導権をとろうとするのなら、過激な結果はむしろマイナスになります。ですが、かといってこのまま帰してしまっても、今後に悪い影響がでるのは結果を見るまでもありません」
「間違いなく討伐隊がくるな。人間どもはここを、自分たちで管理していると思ってる」
そこに魔物の魔法使いが住みついているとなれば、嬉々として乗り込んでくるだろう。
場末のダンジョンにそうたいした報奨金が出るわけでもないだろうが、このあたりじゃ冒険者の金になるクエストの数も種類も、たかが知れている。
「はい。人間たちが大挙して押し寄せてくる。たとえそれを一度や二度、撃退できたとしても、次にやってくるのはもっと大勢、もっと手ごわい相手でしょう。いずれやられてしまいます」
この世界でもっとも数が多いのは人間だ。
そして、数こそが人間のもつ最大の力だった。
一人一人の力は魔物に比べてはるかに非力でも、それが集団となって襲いかかればどんなに巨大な相手でも倒してしまう。嘘か誠か、人間のなかには竜を倒したという伝説まであるくらいだ。
あの呼吸する自然災害を相手に、いくら数が群れをなしたところでまったく歯が立たないはずだが、しかし竜をはじめとして多くの魔物たちが跋扈するこの世界で、実際に人間たちはもっとも繁栄した今を生きている。
その力をあなどるのはただの阿呆だ。
人間の恐ろしさは、同じ人間である俺がよくわかっていた。
「殺せない。帰せない。となれば、ここで囲っておくのが一番だと思います」
「囲ってどうする」
「色々と、協力してもらいましょう。私ができることを、試せる相手が欲しいと思っていました」
優しそうな笑顔のまま怖いことをいう。
「……たとえば?」
「私の分泌液とかでしょうか。あれがどれほど、どういった形で作用するのか。危険性や有効性についても調べてみたいと思っています。もしかしたら、使えるかもしれません。向こうから自主的な協力を得られるかも」
俺は露骨に顔をしかめた。
「薬漬けってのは、自主的とはいわないぞ」
「快楽漬けというのもありますよ?」
妖しく笑ってみせる。俺はため息をついて、
「却下だ」
別に、魔物のくせに偽善ぶろうというんじゃなかった。
人体実験だろうがなんだろうが、いくらでもやればいい。そうでなければ魔物で研究者なんてやっていられない。
俺がスラ子の提案を否定したのはもっと切実な理由があったからだった。
「食費がヤバい」
「たしかに。それをいわれると……」
スラ子が苦く笑う。
スラ子やシィには食費がかからないが、人間となるとそうはいかない。
今はまだ余裕があるとはいえ、頼みのシィの鱗粉もいつまで売れるかわからない。安定した財政状況とはとてもいえなかった。
今まで俺一人だった費用が、倍になる。それでいきなり家計が危険になってしまうわけではないだろうが、問題はつまりそこまでして人間一人を飼う意味があるかということだった。
「薬漬けの人間なんて被験体くらいしか使い道がないだろう。臨床するのならもっと金のかからないので十分なはずだ」
たとえ人間相手を想定した実験であっても、実際に人間を対象にして実験するのはステージをすすめてからでいい。そうでなければコストでやってられない。
「そうですね。そのとおりです」
正論だと認めてくれたらしく、スラ子はすんなりとうなずいた。
「私としては、人間の協力者というのは少し惹かれるところではあるのですが……」
「まあな」
スラ子の言い分もわかる。
俺たちは人間を相手取ってこの洞窟の主導権を争っていく。そうなれば、人間側の情報というのは当然、重要になってくる。
冒険者。それを雇う連中。
内通者とまではいかずとも、せめて情報提供者を確保する必要はでてくるだろう。
だが、それもその相手にわざわざ一介の冒険者の、しかもなったばかりのルーキーを選ぶメリットがあるかどうかというのはまた別の話だった。
ただし。あるいは将来的に、スラ子がいったような悪辣な真似だってやらなければならない場合はあるかもしれない。
「お金、ですか。せめてもう少し安定して、手に入れる手段があれば――」
そこでなにかを思いついたように、言葉をとぎらせる。
「なにか思いついたのか?」
「いいえ。なんでもありません」
スラ子は困ったような笑みで首を振った。
なにを思いついたのかはしらないが、それを俺に聞かせるまでもないと判断したのなら、無理に聞き出そうとは思わない。俺は気にしないことにした。
「やっぱり、寝ているときに町の外にでも放り出しておくべきだったかもな」
それなら、あの暴走ルーキーが我も忘れて暴れまくり、なんとかダンジョンから逃げ出したところで気を失ったということにできた。
「マスターが冒険者さんを放っておいてイチャイチャしてたせいですね」
「よりにもよってお前がいうか、それを」
ふとシィを見れば、そのときのことを思い出したのか頬を染めている。
「シィはあの冒険者をどうするか、なにかないか?」
訊いてみると、あわてて頭を振って。少し前に性化を迎えたばかりの妖精は相変わらず小さな声で答えた。
「……人間は。苦手です」
一応、俺も人間なので。ちょっと傷ついた。
まあ、先日の戦闘であの少女はスラ子や俺の姿を見ているのかもしれないのだから、それを確認しないで町の外に放り出しておくのもリスキーではある。
「俺たちのことを覚えてるかどうか。やっぱり問題はそこだな。とにかく、会ってみるか」
「そうですね。あんな状態でしたし、覚えてないでいてくれたらそれが一番です。実際、わたしはあんまり覚えてないですし……それなら、いくらでもいいくるめられますしね」
「よし、会ってみよう。気づいてからずっと大声だし続けて、そろそろ疲れてきてるころだろうしな」
こうして話し合いをしているあいだにも、洞窟には元気な声が反響して響いていた。戦闘のときのような獣じみた声ではない、若い女の子のそれが怒ったり嘆いたり、さっきから忙しかった。
「おつきあいします」
立ち上がった俺に従って、スラ子が寄り添う。
「シィ。お前はここで待っていろ」
背中の羽と一緒に頭をうなずかせる妖精をおいて、ひとまず捕まえた少女を押し込めてある部屋へと向かったのだった。
◇
「というわけで。洞窟で倒れていた君を助けたのが俺たちなわけなんだが」
「嘘だ!」
誠意をもって事情を話した――嘘はついてない――俺の説明に、少女は一言だった。
「助けてくれたんなら、ボクをこんなふうに捕まえておく理由がないじゃないか!」
もっともだ。
だがその追求は前もって予想していた。俺は落ち着き払って、
「非礼はわびる。だが、こっちも自分の家を壊されてしまったらたまらない。君、自分がなにをしたか覚えてるか?」
両側のもみあげだけ長く伸ばした短髪少女は、責めるような口調に、ぎゅっと眉をひそめてみせた。
「もしかして、ボク。また――」
表情が青ざめていた。
俺とスラ子はちらりと視線をかわしあう。――これは、いけそうだ。
「思い当たることがあるならいい。とにかく、そういう状況だったからこういう処置をさせてもらったわけだ。不自由な思いをさせたことは悪かったが」
この少女がなぜあのときのように拳に魔力を溜めて脱出しなかったのか。
それは彼女が暴走したことと、暴走してはじめてそれを使ってみせたことから理由を予想できた。
「君は、ウェアウルフの血がはいってるのか?」
訊ねると、冒険者の少女は唇をかみしめて下をうつむいた。
「……少しだけ。お父さんもお母さんも、普通なんだけど。ボクだけ、血が濃くでたみたいで」
「隔世遺伝、ってやつだな」
特徴的な形質が、何代か先の子孫に顕現することはありえる。先祖がえりとも呼ばれる。
ウェアウルフと呼ばれる種族は好戦的な性格で知られるが、そのなかでも特に有名なのが、彼らが戦闘中に発揮する異常な凶暴性についてだった。
バーサーカー。
獣の如く戦い抜くもの、という意味があらわすとおり、彼らはどんな戦でも大きな戦果をあげる一族だった。
ただし、その戦意がときとして味方にまでむかってしまうことから、凶戦士という不名誉な称号をも身に受けてしまうことになった。彼らは戦場や傭兵職で非常に重宝されながら、同時に忌み嫌われてもいた。
あの戦闘で少女がみせた暴走は、決して戦闘に慣れていなかったからというのが全てではない。むしろそれが自分のなかの血を引き起こした結果なのだろう。
だからこその、あれほどの戦闘能力。だがそれを使うのにいつも暴走してしまうのなら、決して望ましいばかりではない。
そうした血をひく人間が冒険者という職を選ぶのはある意味で当然かもしれなかった。色々と、苦労も多いだろう。
名前もしれない少女のこれまでを思って、少ししんみりしてしまった。
「――すみません。ご迷惑をかけてしまって。失礼なことをいっちゃったことも、それから。助けてもらって、本当にありがとうございました」
少女が頭をさげた。
さっきまでの暴れようから一転したしおらしさに、俺は隣のスラ子をうかがった。甘いと怒られそうだが、もう帰してやってもいいんじゃないかという気になっていた。
「自分が暴走したときのことは、覚えていますか?」
スラ子が訊ねた。
少女は苦悩するように首を振る。
「なにも……。みんなと一緒に、大きな場所まででて。スライムがたくさん、それで塩をまきながら中央にむかったら、いきなり水が――」
そこで言葉をきり、彼女ははっと顔をあげた。
突然、広間にあふれて塩の結界を押し流した水流と、水の精霊にも似たスラ子の姿。その危険な結びつきに気づいてしまったかと焦ったが、
「みんな、みんなは――っ!?」
俺は一瞬、答えにつまった。
暴走する少女をおいて逃げ出していった連中。そのことをどう伝えるべきか、
「君がいた広間に、血やそれらしいものはなかった。逃げ出せたんだろう。きっと無事だ」
とりあえずそのあたりのことはぼかして伝えると、少女はほっとしたように強張っていた全身を弛緩させた。
「よかったあ……」
心の底から安心した様子。
目尻に涙がたまって、頬をつたっておちる。俺はそっと目をそらした。
駄目だ。俺はこういうのに弱いんだ。
もういいだろうとスラ子を軽くにらむ。呆れたような眼差しで、スラ子が息をはいた。
「……わかりました。ともかく、無事にすんでよかった。そういうことでよろしいでしょうか、マスター」
「ん。ああ、いいんじゃないか?」
俺たちのことを覚えていないというなら、帰してしまって問題ないだろう。
あとは、俺達がどうして洞窟のなかにいるのかということだが、それも難しくなさそうだった。
なんというか、この目の前の少女は目に見えて初心だ。
都会にいったらころっと騙されるタイプだ。
「そうなると早く町へ戻った方がいいかもしれませんね。ギルドの人も、お仲間さんも、心配しているでしょう」
俺は眉をひそめる。
まだ俺たちの説明に話がいってない。
他の人間には存在を知られるのはまずいから、帰すにはそれについてなんらかの言質をとってからだろうと思ったが、スラ子はそんなことなどわかっているという表情で、
「ですが、体調のこともありますし、一人で帰すのはまだ少し心配ですね。マスター」
「まあ。そうかもな」
いいたいことがわからないまま、とりあえず相槌をうっておく。
スラ子はにっこりと微笑んで、
「なので、お見送りしないといけませんね。ご挨拶だって必要かもしれません」
そんなことをいいだした。