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十話 小物な手下とその親分

「帰ってくれ」


 しんと静まりかえった空間。

 不安げなお姫様も、ふんぞりかえる精霊も、大勢集まった騎士たちも全員が驚きに声をうしなっている。


 それはまったく突然の登場だった。

 いつものような意味不明な雄叫びも、一切を吹き飛ばす翼の羽ばたきも、気配すらなく。


 まるでたった今、その瞬間に姿をみせたような唐突さ。


 いや、実際にその通りのはずだ。

 この場所は周囲をたくさんの騎士たちに取り囲まれている。何者かがあらわれたら、その誰かが気づかないはずがない。


 その騎士たちが誰ひとり声をあげることさえなかったのは、たった今までその姿がなかったからだろう。


 いくら外見がただの少女でも、そんなことができるのが見た目通りのはずがない。

 驚愕と警戒に、我に返ったように周囲の気配があわただしく様相をかえる。


 武器をかまえ、腰をおとす騎士たち。

 目の前の相手の正体に思い至ったのか目をみひらくお姫様の隣で、金精霊がどこか憮然と顔をしかめている。


 この世界の果てにいたるまで自分の庭先だといいたげな表情で睥睨していた人物がつぎに口をひらこうとする前に、繰り返した。


「――帰ってください。あんたの出る幕じゃない」


 ぱちくりと。

 突然その場にあらわれたストロフライが瞳をまばたかせる。


 右に首をかしげ、それを左にかしがせてから――もう一度まばたき。

 そして、


「マギちゃん? 今、なにか言った?」


 にっこりと微笑んだ。

 表面上はどこまでも優しげな撫で声に、不吉どころではない寒気をおぼえながら、


「帰ってくれ、って。いったんです」


 俺はもう一度、繰り返す。

 精霊形をとった小柄な竜の、爬虫類に似た虹彩が猫のようにすっと細まった。


「帰れぇ? このあたしに、帰れって」


 あは、と屈託ない笑みがこぼれる。


「マギちゃん、ねえ、マーギちゃんっ。もしかしてー、なにかすっごい勘違いしちゃったりしてない?」


 それだけで誰かを殺し尽くせる眼差しが、覗き込むようにこちらを見た。


「このあたしに向かって、いったいどこのどいつがそんなこと言えるんだろ。あたしのことなんだと思ってるのかなー。あたしは、」

「あんたは。いったい、俺のなんですか」


 自分でも驚嘆するしかない無謀さを発揮して、俺は竜の言葉をさえぎった。


 ストロフライがしゃべってる途中で台詞をかぶせるなんて、それだけで自殺行為すぎる。

 次の瞬間には殺されて、そのまま永遠に殺されつづけたっておかしくないから、ストロフライの殺意が具現化する前につづけた。


「あんたは俺の上役だろう。だったら、部下が相手をしてるところに出しゃばってこないでくれ。こんな連中の相手は下っ端に任せて、上でどっしり座ってくつろいでてください。親分ってのはそういうもんじゃないか」


 こんなところでストロフライに暴れられたら、おしまいだ。

 必死にダンジョンの準備をととのえたことも、犠牲をだしてまで戦術やその運用まであれこれ考えたことも、全部が無駄になってしまう。


 なにがあっても、絶対にこの場は黄金竜に引いてもらわないといけない。

 そのために。俺はあの湿っぽい場末のダンジョンで、そこに関わろうとしてくれる全員の命をあずかってるんだから。


 ――と、一人前に決意してみたところで、生来の小心はなおらない。


 声は今にも震えだし、膝はともすれば自分の体重さえ支えきれなくなりそうだ。

 沈黙するストロフライの、そのたった数秒が意識のなかで無限にひきのばされて、情けない心がぎしぎしと悲鳴をあげた。


 とぷり、と目の前の地面がゆれた。

 そこから持ち上がった不定形がゆるりと精霊の似姿をとる。


 あらわれたスラ子は無言のまま、俺をかばうようにすっと俺とストロフライとのあいだにたちふさがった。


 俺を心配してくれる気遣いを感じながら、俺はそのスラ子の肩に手をおいた。

 前をむいたスラ子がこくりとうなずく。

 一歩をさがって隣にたってくれる。視線はあくまで、まっすぐにストロフライを睨みつけたままだ。


 俺はその横顔をみて、スラ子にならって自分も目の前の相手に視線をむける。

 それまで奇跡的にこちらの命をながらえさせてくれていた竜の少女が、


「しょうがないなあ」


 ころっと表情をかえた。


「そんな健気なこと言われちゃったら、言うこと聞いてあげないわけにはいかないじゃーん。あー、やっぱあたしってマギちゃんに甘々だなぁ。でも、親分なら仕方ないっか!」


 ひどく上機嫌に頬をくずして、それからちらりと視線を精霊たちにむける。


「じゃ、そーいうことだから。なんかあたしに用があるなら、そこにいるあたしの子分と話をつけてきてからにしてね。そしたら、そのだっさいのに一発殴られるくらいしてあげたっていいし――なんだったら、願い事の一つくらい叶えてあげてもいいかもね」

「……その言、たしかに聞いたぞ。竜よ」


 金精霊が念をおした。


「んー?」


 小首をかしげたストロフライの口元から、笑みがきえた。


 右手をふる。

 直後。

 まるでかき消されたように、金精霊の右半身が一瞬でごっそりと削り取られた。


「っ……!」


 半身をなくしたゴルディナがぐらりと崩れおちかける。


 ――いや、避けたのか?

 そのままでいたなら全身が“消失”していたはずのところを、かろうじて半分だけにとどめたようにも見えた金精霊が、一瞬のあとですぐに全身をとりもどす。


「貴様……」


 敵意をこめて睨みつける相手をつまらなそうに、ストロフライが右手をはらった。

 圧縮されたなにかがパラパラと宙にまう。握りつぶされた精霊の半身、その欠片だった。


「チラチラ鬱陶しいのが視界にいるのを許してるだけでも、だいぶ優しくしてあげてるんだからさ。あんまり調子に乗らない方がいいよ」


 にこりとして告げる。


「あたしのとこまで来れたら願い事くらい叶えてあげる。でも、もしそんなことになったって、願い事の中身なんて決まってると思うけどねー。だって、まずあたしにお願いするべきでしょっ。身の程も知らずに大言壮語を吐いちゃったことを許してくださいってね」


 ストロフライが凄味のある笑みをうかべた。


「ま、それもあたしを楽しませてくれたら許してあげてもいいけどー。せいぜい頑張ってみれば? あたしは最後まで手をださない。それでいいんでしょ? マギちゃん。スラ子ちゃん」

「……はい」


 俺は声にだして。スラ子は無言のまま、それにうなずいた。


 ストロフライがからかうように、


「ホントにいいんだ?」


 俺は顔をしかめたが、その言葉は俺にかけられたものではなかった。


「本当に、いいんです」


 にこりともしないでスラ子が即答した。


「ふふ、わかったー。それじゃまたねっ」


 満足げにうなずいたストロフライが宙にうく。


 空高くまでうきあがったその小柄な肢体が強く光り輝いた次の瞬間、広場中をおおう影があらわれた。

 暴風が渦をまき、巨大な体躯が姿をみせる。


「竜……!」


 空をみあげた騎士たちが絶望的な呻き声をあげた。

 一声、咆哮をあげた黄金竜はそのまま機嫌よさそうに翼をはばたかせ、山頂へと消えていった。


「さて」


 それをしばらく見送ってから、いくらか気後れした様子だったゴルディナが取り直した。


「いささか予想外の事態ではあったが、話に戻るとするか。ああ、その前に聞いておかねばなるまい」


 興味と嫌悪をまぜた視線がじろりとスラ子をみすえた。

 スラ子も黙ったまま冷えた目線をかえす。


「いったいこれは、どういうことだ? どうしてこのような“紛い物”がこの場に存在しておるのか、納得のいく説明をしてくれるのだろうな。風の」

「知らないヨ」


 シルフィリアが顔をそむけた。


「知らない? 契約者を通じた身でありながら、目の前の事実に知らないとはどういう料簡か。そこなエルフも、いったいどのような縁というのか申し開きが聞きたいもの」

「それは……」


 相手が口ごもるのを見下ろして、金精霊はさらにヴァルトルーテをなじった。


「それでよくも、世の秩序を云々と口にできる。わらわの意図することは確かに前例のないこと故、古き慣習を尊ぶ輩に非難されるのは仕方がない。しかし、今まさに自身が教えを踏みにじりながら偉そうな言葉を吐くでないわ」

「うっせーよ」


 それまで、むっつりと一言も発していなかった目つきの悪いエルフが吐き捨てた。


「オレらがどういうつもりでここにいようが、関係ねーだろうが」

「ならばなおのこと、我らの行いが非難される謂れもない」


 ツェツィーリャが舌打ちする。

 二人のエルフと風精霊を言い負かしたことに満足した様子もなく、ゴルディナが俺のほうへと視線をもどした。


「さて。そなたにも問いたいことは数あれど、まずはこちらの要件から済ませることとしよう。人間よ、そなたが確かに竜と関わりあることはこの目で見た。あの暴虐極まりない存在が存外と気を許している理由も気にはなるが、それもあえては問わぬ。許可を与える故、改めて山頂の黄金竜に取り次ぎをするがよい」


 ……以前、洞窟前にある湖を管理していた水精霊ってのも、けっこう横柄なタイプではあった。あったが、この金精霊はそれ以上だ。


 俺は相手の居丈高さに思いっきり顔をしかめて、


「嫌なこった」

「ほう」


 金精霊が唇をねじまげる。


「理由を述べよ」

「聞かなきゃわからないか? あんたらを竜に会わせたりなんかしたら、とんでもないことになりそうだからだよ。対等な関係を望むだって? なんだったら力ずくで? はっ、竜殺しでもやろうってのかよ」


 その単語をもちだしたのはただの冗談だったが、それに相手が反応しないことに俺はぎょっと目をむいた。


「嘘だろ。本気でそんなこと考えてるのかよ」

「違います! 私達は、」


 必死な表情になったお姫様が、


「私達は本当に、友好を。竜に力を貸して欲しいと考えているだけなんですっ」


 俺は目をほそめた。


「その為に武力が必要ってことですか。もしかしたら竜に届くかもしれないっていう程の」


 ストロフライが力を込めた椅子を叩き割った一撃。

 あれは確かに常人離れしていた。


 金精霊がうなずく。


「当然だ。なればこそ対等な立場での会話も可能になるというもの。一方的に非力な者が吠えたところで虚しいだけであろう」

「……なら、やっぱり協力はできない」

「何故か? どうせ叶わぬと思っておるのだろう。それならば好きにさせてくれればよい」

「竜をどうにかできるなんて毛ほども思っちゃいないが、竜の怒りをかうことぐらいあるだろうさ。その余波が向くのはどこだ?」


 俺は自分の足元を指さして、


「ここだ。竜がちょっと足を踏み鳴らしただけで、あっさり全滅する場所に生きてる身の立場になってもらえないか」

「つまりは自分達の平穏を護りたいのだと。なるほど、たしかに理屈には合っておるな」


 精霊がおかしげに肩をゆらした。


「だが、己が保身ばかりに気をとられておるとも言えるのではないか? 先程、わらわの話したことが理解できていないわけではあるまい」

「この世界の秩序を云々って話か?」

「いかにも」


 俺は頭をふって、


「――知ったこっちゃない。とはいわないさ。けど、それで竜を利用しようなんてのは頭がおかしいとしか思えない」


 もっと穏便な方法ならともかく、竜の威光を借りようなんていうのはリスクがありすぎる。

 それも相手と同じ立場でだなんて、それだけでもうストロフライの逆鱗にふれること間違いなしだ。


「秩序をまもろう、つくろうって話に、破壊の権化をあてがおうってんだからな。矛盾どころじゃない」

「破壊には破壊をもって新生せよと言うだけのこと」

「それで土台ごとぶち壊されたなら世話はないって話だろう」


 だいたい、と俺は目の前の相手をにらみつけて、


「金精霊。あんたはさっき言ったよな。そこにいらっしゃる王女殿下が、精霊の力を使うのはあくまで自分の力だって」

「言ったが、それがなにか?」

「その割には、さっきから随分と前にでて話してるじゃないか。まるで、あんたが総大将みたいな口振りだ」


 金精霊の美しい眉がわずかに寄った。


「なあ、教えてくれないか。いったい今回の件、レスルートと精霊、どっちが企みの根っこなんだ?」

「それは」


 顔色を蒼白にしたお姫様がいいかけた。

 なにかを思いつめたように口をとざして、視線をふせる。


 俺の問いかけに金精霊はしばらく沈黙してから、ちらとスラ子をみて、


「……少々、知恵がまわりすぎるな。これも世の条理から外れた者と身近におる故か」


 忌々しげにつぶやいた。


「まあよい。どうあっても協力はできないと」

「ああ、お引き取り願う。精霊にも、恐れ多くも王女殿下とそのご一行にも」


 ふふ、と精霊が笑い、


「ならば押し通るのみ」


 肌にふれる空気の質がかわった。


「先程、あの竜は言った。会見を望むならまずは自分の手下をどうにかせよと。それがどういった内容かについての話はなかった。つまり、交渉が不可なら強行もまた可」

「まあ、そういうことだな」


 俺は口をねじまげてうなずいた。


「とりあえず、俺の首つかまえて山をのぼれば、会う前に焼き殺されることはないと思うぜ。ご自慢の一撃も、竜に近づけなければ意味がないだろう」

「……成程。つまりは始めからそれが目的か」


 精霊が憐れむように頬を吊り上げた。


「健気よな」

「そう思ってくれるなら、黙って帰ってくれないか」

「それは無理というもの。そなたに立場も理由もあるとおり、この者達にもそれがある」

「――マギさん」


 それまで沈黙していたお姫様が口をひらいた。


「お願いします。どうか、私達に協力してください」


 そして、深々と頭をさげた。


 周囲の騎士からどよめきが生まれる。

 王侯貴族という立場にある相手が頭をさげる。その意味は、きっと俺なんかが想像するよりよっぽど重いのだろう。


 それでも、


「頭をあげてください。そんなことをされても俺にはお応えできません」


 可憐な姫君がきゅっと唇をむすんだ。


 ながい沈黙。

 それから震える声で、


「……なら、私は。――私達は。貴方がたを排除しなければなりません」


 はっきりと口にした。


 顔をあげる。

 なぜか、お姫様は泣きそうな顔になっていた。


「――レスルート国王イザラードの名により命じます。魔物よ、道を開けなさい。我らは王命を帯び、竜の山を登る者。その途上にある障害は武力でもって跳ね除けるのみ」


 そう宣言する表情がほとんど痛々しくすらあったから、短く答えるしかなかった。


「残念です。王女殿下」


 ◇


 その夜。

 全員を集めた席で交渉が不調におわったことをつげても、かえってきた反応はおおむね予想通りという感じのものだった。


 元々が、政治的な意味合いが強かった会見ではあった。

 帰ってくれませんかといわれて、素直に帰ってくれるような相手がまず少ないだろうし、王侯貴族ともなればますますそうだ。


 それでも直接、相手に会いにいった価値は十分あった。

 相手の目的、それにそこに関わる他の存在とも接触することができたのだから。


「いやあ、なんだかとんだ大事になってきたっすねー」


 一通りの顛末をきいたスケルが、ぼさぼさの白髪をかきまわしながら感想をもらした。


「精霊に、その精霊が考える貨幣? それに竜の威光を使おうって話っすか。それに、」


 とそこで視線をおとして、


「……まさか、ストロフライの姉御の椅子が真っ二つにされることがあるだなんて。いやあ、世の中って広いんすねぇ」


 しみじみとつぶやく先には、もはや本来の道具としての意味をうしなってしまった木製の残骸。


「竜の加護をぶち破る一撃。それが大の大人よりでっかい大剣で、しかもそれを振りまわしたのがいかにもなお姫様ってんですから。いやあ、おとぎ話っすねぇ」

「ありゃ剣じゃない。あんなアホみたいな剣があってたまるか」


 目の前でそれをみていた俺は、きっぱりと吐き捨てた。


「見るからに屈強な男どもが何人もで抱えなきゃいけないような代物だぞ? あんなの武器なんて呼べるか。あんな物を振り回せるなら、剣だとか斧だとかなんて虚しいだけだ。ただの凶器だ、あんなもん」

「つってもご主人。実際にそうしてたんでしょう?」

「まあ、そうなんだけどな」

「それだけ重いのを持ち上げられるって、すっごい力持ちってことなのかなぁ」


 カーラが首をかしげる。


「いや、それはどうだろうな」


 今この場にいる全員のなかで、純粋な筋力という意味でならもっとも強いのはカーラだ。

 そのカーラだって外見はどちらかといえば小柄な、とても大人以上の力の持ち主にはみえない外見ではあったけれど、あのお姫様のやったことは華奢な割に存外に力が強い、とかそういうレベルじゃなかった。


「素直に考えて、魔力的な力の作用ということなのでしょう。ご主人様がおっしゃるには、マナの気配はなかったということでしたが」

「ああ。魔力光はみえなかった」

「精霊憑き、という話でしたか。そちらについても説明が欲しいところですわね」


 ルクレティアが意味ありげな目線をおくった先には、二人のエルフと一人の精霊。

 ヴァルトルーテは悄然と、ツェツィーリャとシルフィリアは憮然とした表情だった。


 精霊を信仰するエルフにとっては、まさかその精霊が相手の首謀格であったことはよほど衝撃だったのだろう。

 その精霊から浴びせられた言葉も痛烈だったはずだ。


 そのあたりについても、これから話し合わなければならないことではあった。ただし、持ち出すのはもう少し後のほうがよさそうだ。


「つまり、あの椅子をぶった切ったのは腕力とかじゃなくて、魔力ってことですかい?」

「それだけでもありませんでしょう。実際に叩き割られたのは椅子だけではなく、その下にあった地面もだという話ですから。少なくともその剣――と言っていいのかわかりませんが、その得物の重量は本物のはずです」

「ってことは、魔力の付加で筋力をあげてるってこと?」

「その可能性はあります。どうも、話を聞く限りではそうも単純な話でもないようですけれど」


 眉をひそめたルクレティアが豪奢な金髪を振った。


「ともかく、人の域を超えた力量の持ち主ではあります。その事は間違いないでしょう」

「……ストロフライの姉御にも通用するんですかねぇ」


 うーんと頭をひねったスケルが、


「まあでも、結局は近接武器っすもんね。そこまで近づけない以上、ストロフライの姉御に切りかかれる事態なんて――」

「ありますわよ」


 平然とルクレティアが口にした台詞に、スラ子以外の全員がぎょっとなった。


「あるのかよ!?」

「あります。至極、簡単なことですわ。会話ができる距離にさえ近づいてしまえば、あとは竜にこう訊ねてみればよろしいのです。――如何に最強な竜といえど、よもやこの一撃には耐えられまい。それを確かめてみる勇気があるか、と」


 あ、と全員が口をあけた。


「竜は最強であり、誇り高く、傲慢です。そのような挑戦的な物言いをされてしまえば、恐らく無視はしないでしょう。彼らの矜持がそうさせません」

「……とんちかよ」

「とんちです。まあ、」


 ルクレティアが肩をすくめて、


「だからといって、それで竜をどうこうできるかはまた別のお話でしょう。たとえ最初の一撃で見事に竜の首を落としてみせたところで、それで死んでくれるような可愛げのあるお方にも思えませんし」

「まあ姉御なら、首を落とされたところでにっこにこしてそうっすねぇ」

「ヤメロ。その後の惨状もふくめて想像すらしたくないぞ」


 本気でぞっとして俺はスケルを制止してから、息をはいた。


「でもまあ、あのストロフライに傷をつけられるってんなら、それだけで大したもんではあるよな。褒美くらい与えられるかもしれん」


 あるいは王女殿下が望むように、対等な――それに近い立場で話をきいてくれることだってあるかもしれない。


 だが、それはあくまで賭けだ。

 ストロフライがどんな反応をかえすかなんてわからないし、予想できる大半もいい結果にはならない。


 その結果の最悪はいうまでもなく、この世界の破滅だ。


「どう考えても、リスクがありまくりっすよねえ。竜に傷をつけられるくらいの力があるなら、もっと他にも使い道はあるでしょうに。なにも自殺するようなことしなくても」

「竜という存在にはそれだけの価値がある、ということでしょうね。他国を相手に一人が奮迅する以上の――竜殺し。あるいはそれに比肩するという、つまりは“箔”ということです。そして、それを用いて彼らが考えていることが」

「竜貨。いや、精霊の通貨か」


 ルクレティアがうなずいた。


「金精霊ゴルディナ。彼の精霊が言ったように、今後、世界的に貨幣とそれを用いた経済が広まっていくのは確かでしょう。矮小な人間が考案した代物が、現に多くの魔物たちにも浸透しつつあります。そうした事態を認識した精霊が、この世界をつくってまず精霊語を広めたように、“精霊通貨”というものを考案することはありえないことではありません」

「それもよくわからないんすよねー」


 白色の魔物少女が大袈裟に両手をふりあげて、


「どうして精霊が通貨をつくるのに、竜の“箔”が必要になるんです? 精霊なら、ぱぱーっといくらでも金を出してそれで貨幣をつくっちまえばいいじゃないですか」

「以前、ギーツの街でも少しお話ししましたが、貨幣をつくるというのはそれほど簡単なお話ではありません」


 ルクレティアがいった。


「通貨とはあくまで物品交換の代替物であり、だからこそ意味があります。もしも金精霊が無制限に金を生み出してしまえば、その価値は当然下がります。道端にいくらでも転がっている石ころをありがたがることはあまりありませんでしょう。この世界にある全てがそうであるように、価値もまた変動するものです。貨幣もまた然り」

「物の値段みたいに、お金の値段も変わるっていうこと?」


 どうにも想像がしにくいのか、カーラが首をひねった。


「その通りです。通貨の価値とはそれを発行する国家、あるいは組織の力量によります。国力、軍事力、経済力。それを総括した、つまりは信用です」

「それで、どうして竜なんだ? いや、ギーツでの話で竜にそういう信用みたいな力があるってのは理解してるが、それをいうなら精霊が関わるってだけで十分じゃないか」


 精霊は特別な存在だ。

 圧倒的に強力な竜という超越種とは異なる意味で、その影響はこの世界にとって絶大だった。


 その精霊が、精霊語をもたらしたように、大陸中に共通する通貨をつくりだすというのなら、それは俺なんかには別に悪いことじゃないように思える。

 そのうち滅ぶかもしれないどこかの人間の国の通貨なんかより、いつ飽きて台無しにするかわからない竜よりも、精霊のほうがよほど“信用”はあるはずだろう。


 ――いや待て。

 だったらどうして、あの金精霊ゴルディナはレスルートだなんていう落ち目の王家を利用しようとしてるんだ?


 ルクレティアがこくりとうなずいて、


「そこが恐らく今回の鍵となるでしょう。ご主人様が会談の場で疑問を呈されたように、果たして精霊と王家のどちらが首謀しているのか。両者が共謀する意図、あるいは理由。それを見極めなければ、たとえこの町に滞在する相手をどうにかしたところで根本的な解決とは成り得ません」

「少なくとも、あのお姫様は黒幕とか、そんな感じじゃなかったしな」


 精霊憑きと呼ばれた、あの一撃はたしかに常人離れしてはいたが、それだけだ。


「はい。そしてそれを知る為にはやはり、こちらも深く理解する必要があります。精霊憑きとはなにか。いえ、もっと根本的な――精霊とは、マナとはいったいなにか、です」


 鋭い眼差しが、沈黙する賢人族の二人に注がれた。



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