八話 気弱そうなお姫様
話し合いの機会が整ったのは三日後だった。
町の権力者が近隣の魔物と交渉チャンネルをもってるというのは、まあ普通に考えてあんまりないことだと思う。
いったいどんなふうにルクレティアが王都側に話をもちかけたのか謎だが、ともかく使節団はその提案を受け、会談をひらくことに同意した。
会談場所はメジハから山沿いに、洞窟側へすこし歩いた先にある拓けた空間。
いつもは町からの物資搬入の集積所みたいに扱っているそこは、周囲をいい感じに視界がさえぎられていて、人目につきたくない話し合いをするのにぴったりだ。
今、その周囲をぐるりと甲冑姿の騎士たちがとりかこんでいる。
森の近くだし、元々ここは連中にとって敵地みたいなものだから、警戒は当然ではある。
けれど、厳めしい顔つきの男たちから全身に視線を突き刺されて、気分はこっちが罠にかかった獲物状態だった。
真ん中にぽつんと用意された椅子に座って、ほとんど敵意にも近い空気の居心地の悪さに息をはく。
くすりと後ろから微笑がした。
「緊張してますね」
俺はちらりと後ろをふりかえって、唇をとがらせる。
「そりゃそうだろ。こんな経験ほとんど初めてなんだからな」
「交渉ごとなら、少し前にアカデミーで経験したじゃないですか」
「あのときの俺はほとんど置物だったじゃないか」
「大丈夫ですよ」
長い銀髪の横からとがった耳先を生やしたエルフが、おだやかに微笑んだ。
「会談の場を壊すということの意味くらい、あちらもわきまえているでしょう。私とツェツィがついてるんですから」
この会談に二人のエルフが同席しているのは、彼女たちが希望してのものだった。
魔物とは、人間からみて自分たちの社会の範疇にないものの総称だ。
人間に知恵を教えたとされるエルフも広義では魔物ということになるし、竜も、精霊も、人間の野盗だってそうだ。
だから、“魔物側”のこちらにエルフがいることはおかしくない。
俺にとっては、二人が同席してくれることは、純粋な意味での護衛以上にありがたい話だった。
賢人族は孤立主義というか、他者に関わろうとしない。
それでも、彼らがこの世界の在り様に多大な影響をあたえてきた存在であることは間違いない。
精霊の教えを忠実にまもるエルフは、いってみればこの世界にある生き物の模範生ってやつだ。
そのエルフが同じ側にいてくれるっていうのは、それだけで俺たちの立場をある程度補強してくれるものになる。
もちろん、ヴァルトルーテにはヴァルトルーテの思惑があるのだろう。
彼女たちが俺たちに協力してくれているのが、決してエルフという種全体の総意でもない。
ちらりともう一人のエルフに視線をむけると、大変目つきの悪い眼差しでにらみかえされた。
「こっち見んな、ボケ。……言われなくても守ってやるよ。とりあえず頭だけ残しときゃ、あとは精霊喰いがなんとかすんだろ」
「アホか。ちゃんと他のも持って帰れよ」
てか守ってないだろ、それ。
「……大丈夫です。マギさん、あの人の気配は今だってあなたの周囲から離れてはいません」
表情に影をおとしたヴァルトルーテがいった。
無意識に俺を護ってくれている、スラ子の加護。
俺がそれになにか答えようと口をひらきかけたところで、ふと視界の端で騎士たちが動いた。
数人が左右にひいて、そこから一人が姿をみせる。
そこにあらわれた相手を一目みて、俺は意外な第一印象をうけた。
丁寧に櫛のはいっていそうな綺麗な金髪。
肩までで切りそろえられた髪の下には、ひどく細くてかよわい肩。
それをつつむ真っ白い衣装は、よくわからないがきっと田舎では見ることもできない高価な生地なんだろう。
だが、俺の印象にのこったのはそれよりも相手の表情だった。
おおきな瞳が、不安そうにこちらを見つめている。
――子どもみたいだな、と思った。
実際に年齢は十代半ばだろう。
タイリンよりはだいぶ上だろうけれど、カーラやルクレティアより年上には見えない。
けれど、目の前の相手の表情にはそれ以上の幼さがあった。
どうして自分がこんなところにいるのかわかっていなさそうな、そんな印象。
ちょっと綺麗な町の娘に身だしなみだけ整えさせて、そのまま連れてきたみたいな感じだ。
……これが、王女様?
もちろん、俺が今まで二十年間いきてきて王族という人種に触れたことはないから、これこそが王族だなんて一家言があるはずがない。
王族だからって子どもは子どもだろうし、他の人間とだって違わないのかもしれない。
王様は威風堂々としてるものだし、その血縁だってやっぱり威厳と気品に満ちているんだろう――なんてわけでもない。
でも、じゃあ、どうして竜との交渉だなんて困難すぎる仕事にこの相手は選ばれてるんだ?
これならまだ、メジハでそのうち長の役目を継ぐっていう令嬢の方がよほど怖いし、威厳だってあるじゃないか。
まあ、この場にそぐわないって意味なら、“竜”を代表してこの場にいる俺だって相当ではあるけれど。
どうしても拭えない違和感に、いつのまにかまわりから非難じみた視線をうけて我にかえる。
自分がぶしつけな視線をむけてしまっていたことに気づいて、あわてて頭をさげた。
王族相手の礼なんてわからない。
最低限の作法についてはルクレティアに聞いてはいたが、いきなりひざまずくような場面でもないはずだった。
「――顔をあげてください」
頭からふってきた声は、ひどくか細い。
ほとんど儚いくらいに。
……本当に“竜とお姫様”なのかもな、などと思いながら頭をあげる。
「はじめまして。ユスティス・ウルザ・ファダルヌです」
「はじめまして、王女殿下。マギです。……ただのマギです」
「魔法使いさんなんですね」
「はい。まあ、一応は」
――雑魚ですが。とつづけかけた台詞をあわてて呑み込んでおく。
どうせハッタリのきく見かけでもない。実態以上に偽ってみせても仕方ないが、自分からそれを暴露するのも間抜けな話だった。
「今日は、お話をできる場を用意していただいて感謝します」
「こちらこそ。お茶の用意もできなくて、申し訳ないです」
それまでやや不安そうに強張っていた相手が、ようやく頬をゆるませて、
「お外でお茶というのも素敵ですね」
「はい。あまり景観がいい場所では、ありませんけど」
そんなこと、と首をふる。
「とてもよい場所だと思います。綺麗で、自然がたくさんあって」
どこか羨ましそうに周囲の緑に目をくばる相手の表情には、ただの社交辞令以上のものがうかがえた。
……王都とかの都会暮らしだと、こういう田舎がよく見えるものなのだろうか?
こちらの反応をよみとったように、お姫様に追随してきた騎士がこほんと咳をついた。
「姫」
「あ、はいっ。そうでした」
あわてて表情をひきしめる。
とはいえ、やっぱりその顔つきはどこか背丈のあわない服装を着込んでいる感が強かった。
不慣れなお姫様と場違いな小悪党。
もしかしてこの光景は他人からみたらよほど間抜けなんじゃないかと思ったが、すぐに思い直す。
その間抜けな会談の結果が世界を滅ぼすことにつながるのかもしれないんだから、シュールにも程がある。
こちらも気をひきしめて、俺から口をひらいた。
「王女殿下。早速ですが、こんな辺境までお越しになった理由をお聞かせくださいますか。ここは、王族の方がいらっしゃるような場所ではないと思いますが」
「それは……」
いいよどんでから、お姫様がちらりと背後をふりかえる。
厳めしい顔つきの騎士がうなずいた。
それをみたお姫様が観念したように目をとじて、
「――私達は、竜に会いにきました」
悲壮感にみちた声で宣言した。
悲壮感、というのは誇張でもなければ、ちっとも大げさな話でもない。
実際、竜と会おうとするならそのくらいの覚悟が必要だ。
俺自身、自分の感覚が狂ってしまっているかもしれないと不安になるのだが――竜っていうのは、本来そのくらい恐ろしい生き物なのだから。
会えば死亡。
会わなくても運が悪ければ死ぬことだってあるかもしれない。
なにか理不尽があったらとりあえず竜のせいにしとけ、というのがまかりとおる。この世界の規格外、生きた不条理。
その竜に会いに来たというんだから、全員が相当な覚悟をもっているはずだった。
問題は。
ここにやってきた連中が、死を賭してまでいったいなにを成そうとしているか、だ。
「この山頂に棲むという、黄金竜。それが倒した黒竜が生屍竜となり、人々の手で倒されたと。その遺体の一部が王都に持ち運ばれたのです。マギさんはそのことをご存知ですか?」
「……竜同士の争いがあり、一体の竜がこの付近に落ちたということなら、確かに自分もこの目で見ていますが」
俺は慎重に言葉をえらびながら、
「そのことが、王族の方がいらっしゃることとどんな関係があるんでしょうか」
お姫様は質問にこたえず、じっとこちらを見つめてから、
「……マギさんは、その黄金竜の手下らしいと。この近くの町で聞かされました。本当でしょうか?」
俺は黙って胸からさげた袋をまさぐって、取り出したものを相手の前にさしだした。
そばにひかえる騎士が警戒するように身構えるが、もちろん危険なものなんかじゃない。
手のひらにのせた一枚の鱗に、お姫様が首をかしげた。
「これはなんですか?」
「鱗です。人――精霊形をとった竜から、渡された。……これで俺の身分を証明できるってわけじゃないかもしれませんけど。竜の麓で、その名前を騙って無事でいられると思いますか?」
ほとんど爪くらいのちいさな鱗に見入っている相手に、
「――それに、王女殿下。おなじことは、こちらからもお聞きしてもよいはずです。本当に、あなたは王女殿下なんですか」
それをきいた護衛についていた騎士の顔色が一変した。
「貴様……無礼だぞッ!」
「クーツ、いいの。……そうでした。無礼を許してください、マギさん」
お姫様がぺこりと頭をさげた。
「私も、印章のようなものはこの場に持ち合わせておりません。ここにいるクーツや、他の皆が私の立場を証明してくれますけど、それも私自身が本物かどうかの証明にはなりませんね」
「姫、そのようなことを!」
「いいの。だって本当のことだもの」
悟ったような言葉に、クーツと呼ばれた若い騎士が苦々しい顔つきで沈黙する。
意外だった。
ある意味で、第一印象が強まったというか。
あくまで対等な立場のはずだ、という意味でまぜっかえしてみたのに、まさかそれに素直に謝罪されるとは思わなかった。
やっぱり王族っぽくない。良くも、悪くもだ。
「マギさんのお気持ちはわかります。……正直に言うと、私もマギさんを見て驚いています。竜の手下というなら、もっと――恐ろしげな方かと思っていましたから」
くすりとお姫様が微笑んだ。
「私達、似た者同士かもしれませんね」
……困った。
なにが困ったかって、目の前の相手が悪い人間に見えないのが一番困る。
もしもこれが意図してのものだというなら、大した話術かもしれない。……俺がちょろすぎるだけかもしれないが。
とりあえず、お互いの立場に共感するためにこんな場所にいるわけじゃない。
俺は咳をついて、
「王女殿下。あなたがたが竜との面会を求める理由はなんでしょう。それがどれほど危険な行為かわかっているはずですが」
質問をうけたお姫様は口を線にむすんで、それから一言、
「――協力を」
「竜とのあいだに友好関係をもちたいと、そういう意味ですか」
「はい。そのために、私達は参りました」
冗談を言っているわけではない、という強い眼差しをむけられて、俺はこっそりと息をはいた。
「王女殿下。それは無理です。どうかお帰りください」
噛んで含めるようにゆっくりと、目の前の相手に告げる。
「あなたがたが竜という存在になにを期待しているかはわかりませんが、あれは利用しようとか、そんなことを考えていい代物じゃありません。触れた先には破滅しかない。魔王竜グゥイリエンがたった一匹でなにをしたか、ご存じでしょう」
ストロフライがグゥイリエンと身内という事実はそうそう口にはできないが、竜の恐怖を語るのなら百年前の出来事を持ち出すだけで十分だ。
「もちろん知っています。竜のおとぎ話なら、私もたくさん聞かされましたから。そして、それがほとんど実際にあった――少なくともそれが可能なほどの存在が、竜であることは。……わかっているつもりです」
「でしたら」
俺がいいつのる前に、相手が頭をふった。
「それでも、私達には必要なんです。竜の力が」
「なぜです」
「国を、救うためです」
やっぱりそれか。
落ち目の王家を盛り上げるために、竜という圧倒的な存在の威光を借りる。
何者かに助力をたよるという発想自体は当然だし、間違ってもいないとは思うけれど、
「――マギさん、どうか私達に力を貸してくれませんか」
上目遣いに懇願されて、俺は渋面になった。
真に迫った表情にちっとも心が動かされなかったかといえば嘘になるが、感傷なんかでどうこうなる問題じゃない。
「……王女殿下。竜に泣き落としは通用しません。あなたがたがどんな条件で竜と友誼をむすぼうとしても。生贄をだして臣従しようとしたって、竜はそんなの求めません。俺が生かされてるのはほんの気まぐれみたいなものなんです。そんなのに、一国の存亡をかけるなんてあまりにリスクがありすぎると思いませんか」
俺の台詞にお姫様が眉をひそめて、
「臣従、ですか」
戸惑った口調は、けれど俺がいいたいことと少しちがう部分にひっかかっているらしかった。
「いいえ、マギさん。私達は、あくまで対等な関係を竜に望んでいます」
それをきいて、今度は俺のほうが思いっきり眉をひそめた。
耳がおかしくなったかと思った。
……対等?
あの竜と、対等にだって?
一匹で世界を滅ぼしかけた種族と、国という形さえとれなくなりつつある落ち目の王家が、対等な関係を結べるだなんて、いったいどんな思考をすれば想像できるのか。
目の前の相手の正気をうたがいそうになってから、ああ、お姫様なんだな、と妙に納得してしまう。
結局は世間知らずってことなんだろう。
じゃなきゃ、竜との対等をのぞむだなんてありえるはずがない。
俺は黙ってたちあがった。
不思議そうにこちらを見上げるお姫様に、それまで自分のすわっていたものを指し示して、
「……どなたか、この椅子を壊してみてくれますか」
お姫様に付き従う二人の騎士に声をかける。
「お願いします。剣でも、魔法でもいいですから。思いっきりやってください」
突然おかしなことをいわれて、困惑した様子をみせる騎士にお姫様がうなずいた。
「クーツ。マギさんのおっしゃるように」
「……はっ」
頭をさげた若い騎士が前にでて俺の近くまでくると、不審そうな顔のまま両手ににぎった大剣を振りかぶる。
轟音とともに振りおろした。
「つぁっ……!」
そして、あっさりと弾きかえされる。
予想になかった反発をうけた騎士はそのままあとずさり、地面に尻餅をついた。
一撃をうけた椅子は、当然のように傷ひとつついていない。
驚愕の表情の騎士からお姫様に視線をむけて、
「これは、山頂の黄金竜が手をくわえた椅子です。……くわえたといっても、竜にとってはほんの児戯のようなものでしょう。でも、たったそれだけのことで、この椅子はとんでもない硬さを手に入れました。これには剣も、魔法も効きません。これが竜の力です」
実際に竜のとんでもなさを目にすれば、それと対等な関係をむすぼうだなんていうのがどれほど荒唐無稽な思いつきかわかるだろう。
そう思った俺は、二人の騎士はともかく、椅子に腰かけたお姫様が平然としていることに気づいて顔をしかめた。
……驚いてない?
びっくりしすぎて、反応できてないだけか?
「クーツ」
動揺のない声が静かにささやいた。
それにうなずいた騎士が、後ろにひかえる連中になにか合図をだして、近くにある馬車に何人かがむかう。
そこから取り出されてきたモノをみて、目をうたがった。
板? それともあれは、柱か?
硬質性の、いかにも重たげなそれは、建物の建材にそのまま使われそうな代物だった。
たとえば扉とか――いや、それにしちゃ細い。
いったいなんの用途に使うのかもしれない、ただ長大で分厚い金属の板としかいえないそれを、屈強な男たちが何人もとりついて必死な形相でかかえて運んでくる。
それだけでその物体がどれくらいの重量かがわかる、その先端に握りのようなものがついていることに目がいったが、俺はそれが意味するものを理解できなかった。
けれど、すぐに理解することになった。
立ち上がったお姫様が、騎士たちの前へすすみでると、“それ”を受け取ったからだ。
大の大人が十人がかりで持ち運ぶような物体を、見るからに華奢な体つきの女の子が「受け取る」だけで大惨事だが、目の前で起きたのはそれだけじゃなかった。
お姫様は、自分の身の丈よりも巨大なその物体を、軽々と持ち上げてみせた。
――なんだそれ。
軽いのか? いかにも重そうなのは、周りの騎士連中が死ぬほど辛そうにしてたのは演技かなにかなのか。そんなことにいったいなんの意味があるんだ?
当然のようにわきあがる疑問の山に、そのどれも口にする間もなく。
天高く振り上げたそれを、お姫様が振り下ろす。
そして、
――――!
ひどく耳慣れない、澄んだ硬質な音がその場に響き渡った。
後にのこったのは、地面を切り裂いて深々となかばまで突き刺さった分厚い鉄の板。
そして。
当然のように真っ二つになって左右に割れた、椅子。
「……ごめんなさい。でも、これで、納得してもらえますか?」
申し訳なさそうにお姫様がささやいた。
唖然としたまま、俺はそれに答えられない。
後ろから、ツェツィーリャの吐き捨てるような呻き声が耳にとどいた。
「――精霊憑きかよ」