二話 来客多し
大昔からもてはやされてきた命題の類に、個と集団というものがある。
もちろん、そんなものは対象となる社会性や生態系でいくらでも違ってくる話だ。
この世界にはアホとしか思えないくらいぶっとんだ種族がいるし、たとえば人間族のなかでだって魔力が強いのもいれば弱いのもいる――つまりは個人差ってものがある。
ただ、ひとつだけはっきりとしていることがあった。
百年以上昔、この世界を滅ぼしかけた黄金竜グゥイリエンさえ、最終的には数の暴力に屈したという事実。
全世界の生き物が共闘するだなんていう、たとえそれが奇跡のような二度とありえないことであったとしても。実際にその勝敗を決めたのが竜対竜という構図であって、それ以外の力など些細なものだったとしても。
たしかな歴史的結果として、それはある。
生命には個と集団という二つの方向性が存在するのか。それらは別種のものとして天秤に計れるようなものなのか、なんていろいろ考え出すと頭が痛くなるから、おいとくとして。
多くの生物が自分一人ではあらがえない外敵に立ち向かい、個では成し得ないことをなすために、集団に帰属する。
そもそも、社会性というのはそういうものだろう。
徒党をくんで多で他を圧倒するアプローチはなにも人間族だけのものじゃない。高度な知性の有無にかかわらず、スライムのような原始的な生体だってそうだ。
大半の魔物たちが個人主義に拠るというのとはまったく異なる意味で、それはほとんど全ての生き物がもつ普遍的なテーマにすぎない。
「だからこそ、古くから集団の統制手段については議論されてきました。法や規範というものも、集団を維持するために必要だからこそ生じたものなのです。一人で一人に相対するより、二人、三人でかかった方がよろしい。それは自明の理ではありますが、集団というものは百人を揃えればそれだけで百人分の力が発揮されるという代物ではありません」
全員を洞窟の地下に集まらせてから、あらためてルクレティアが口をひらいた。
「メジハで人を集めて、例えばギーツまで向かうとしましょう。体力が違う。それぞれの準備、用意が違う。心構えが違う。そんな状態で、集団は集団として目的の場所に辿りつくことができるでしょうか? 本来、集団とは“足を揃えて進むことすらままならない”ものです。烏合の衆ともいいます」
「足が痛いから帰ろうなんて連中だっているだろうしな。個人の好きにさせればすぐバラバラだ」
「その通りです」
ルクレティアはうなずいて、
「それを防ぐためのものが、つまりは規範と統制。指示命令を徹底し、集団を一つの個として機能させる。その為には、時に個人の貴重な資質や能力を抑制する必要もでてきます。百人中、一人が空を飛べたところで、残り九十九人にそれができなければ意味がありません。集団としてはそうなります」
「えっと、ようするに、足が速い人じゃなくて遅い人にあわせるってこと?」
真剣な表情のカーラがたずねた。
「あるいは足の遅い者の能力を底上げするか。そもそも、空を飛べる能力を持つ存在を持てない集団に組むことが間違いでしょう。適材適所を常範すべしというのも、幼稚な理想論ではありますが――ともあれ集団として機能するだけの一定の基準。それに向けた行動が訓練であり、その成果が練度です。それがなければ集団は集団としての力を発揮できません」
組織論というべきなのか、それとも戦争論なのか。
王都の学士院で学んできたルクレティアの教示は、辺境の田舎で魔物をやってる身分には過ぎた話だ。他の連中と一緒になって、俺は令嬢の意見にききいっていた。
「集団を統制する難しさは、その集団の規模が大きくなればなるほど困難になります。そして、統制のとれない大軍に価値はありません。大軍に奇なしと申します。一方では、大軍に奇策など必要ないという意見もあります。そのどちらも前提としていることは、大軍であればこそ事細かな運用が必要であるということです」
ルクレティアが言葉をきる。
今までの話は前置きだ。聴者から質問の声があがらないことを確認してから、ルクレティアが本題にはいる。
「軍の運用に必要なもの。その一つは言うまでもなく、先程あげた練度です。平時から訓練に訓練を重ねて意識の統一を図る。義務や伝統、あるいは信仰。それらはいずれも集団の体裁をとるのに有用です。そして――もう一つ」
ルクレティアが手のひらをひろげる。
そこにあるのは、一見すると河原でいくらでもひろえそうな丸っこい小石。
「軍には、指揮者の意図を末端まで行き渡らせる為の伝達手段が必要になります。それは今まで連絡手法を単純化することや、はっきりと視覚化することで為されてきましたが、どうしたところで万全とは成り得ません。前線と指揮所の間には概ね距離が存在し、それは時間的差を生じさせます。指揮所で下した最善の判断が、前線に届けられた際にも最善のままとは限りません。もちろん、前線から届く状況報告が正しいとも。錯綜する報告や誤った情報に、過去どれ程の名将が悩まされ、それを嘆いてきたことでしょう。戦場とは常に混乱の中にあるものなのです」
しかし、とルクレティアがにぎった手のひらに全員の視線が集中した。
「我々に限って言えば、それは在り得ません。稀少な結晶石を用いてやりとりを可能にし、さらには声という限定された情報媒体だけでなく、一瞥して見て取れる視覚情報まで得られる。しかも、前線と指揮所との時間差をほとんどないものとして。常に的確な指示を出し続けることができる。もしも、こうした運用手法を十全に備えた軍がどこかにあれば、その国は世界を征服してしまえるでしょう」
はっきりとした断定に、さすがに全員が声をうしなう。
「そりゃまた……剛毅な話っすね!」
「もちろん、簡単なことではありませんが」
目をまるめるスケルにルクレティアが肩をすくめて、
「我々の場合、所有する結晶石はごく僅かですし、この大きさでは声の届く範囲にも限りがあります。スラ子さんの映像も、“スライムが豊富に湧くこの洞窟内に限った”話です。ですが、ただでさえ狭隘なダンジョンという地形、戦力展開にさえ苦労するこの条件下でなら――どれほど精強な軍を相手にしたところで、勝てない理由がありません。我々が持った有利性とはそれ程のものです」
「だが、そのアドバンテージを活かすためには今のままじゃダメなんだろう」
「その通りです。我々は非常に優れた目を持ち、口と耳を持ちました。自分の手足の如く、他人と情報を共有する反応速度もあります。しかし、どれほど的確な情報があろうと、それを活かせる頭脳がなければ全ては無駄なこと」
全員が俺をみる。
……なんだよ、やめろよそんな目でみるな。
「個人の資質の問題ではありません。いえ、ご主人様に何人の助言も必要ない素晴らしい才能があれば苦労はしませんが、ないものを嘆いたところで益はないでしょう」
「フォローをいれながら的確にダメージを狙っていきますねっ」
「なんで嬉しそうなんだよ」
俺はスラ子をにらみつけてから、
「そのために必要なのが伝達役に、模型か」
「ご主人様自らが各班とのやりとりをしていては、大きな判断をする余裕がなくなります。そうした細かい作業は別の者に任せ、ご主人様には全体を通して指示をだしていただくべきでしょう。その判断を助ける為にはダンジョン全体の模型があったほうがよろしいですし、伝達手から入る情報を整理し、現状から必要な指示を献策する役目などもいるべきです。要は、個人ばかりに負担させない体制を整えるのです。豊富な情報を統括する頭脳、即ち司令部という本陣ですわ」
――個人ばかりに負担させない。
その言葉をきいて俺はそっと息をはいた。ルクレティアの言い分は、つまり俺の内心を代弁してくれている。
「……わかった。そういうふうに動こうとおもうが、みんなはどうだ?」
まわりを見渡すと、反論の声はない。
リーザが同族たちに通訳をして意見をまとめ、俺をみる。じゅ、とうなずいた。
「よし。じゃあ、さっそく始めよう。ルクレティア、町のことやらでひたすら忙しいとこ悪いが、しばらくこっちの指揮もたのめるか」
令嬢が肩をすくめた。
「かまいません。元からそのつもりでした」
「あ、ちょっといいっすかね」
スケルがぴっと白い腕をあげて、
「じゃあ、いつもやってる部隊演習はとりあえず、今日はなしって感じですかい? やり方が変わったりするなら、無意味になっちゃいそうですし」
「全てを変える必要はありませんわ」
ルクレティアがいった。
「これから先も部隊として最低限の練度が必要とされることは変わりません。ただし我々には、列を揃えて行進ができるような類の練度は不要です。むしろ邪魔です。地形を覚え、岩陰に潜み、司令部からの指示に迅速に反応し、移動して攻撃してまた移動する。当然、班をまとめるリーダーにはそれぞれ異なる熟練が必要でしょう」
「……なるほどっ」
爽やかに、本当にわかってるのか微妙な晴れ晴れしい表情でうなずくスケルに、令嬢が微笑をみせる。覇気と野望にみちた表情で宣言した。
「問題ありません。すぐに実感できます。我々はこれから、あるいは何百年先でも実現の叶わないようなことを成すのですから」
そうして、ルクレティアによる指導で部隊の再編成がはじまった。
前線と司令部をつなぐ伝達役の選抜。新しい戦術運用に必要な技能の確認と、その獲得にむけた演習の立案。手のあいた蜥蜴人は、瀝青で表面をおおった木材で立体模型の作成にはいり、魚人族は自分達が不慣れな陸上移動を少しでも効率的にできないか活発に意見をかわしあう。
それまで以上に洞窟が慌ただしくなるなか、俺はなにをしているかというと――そんな喧騒と離れたメジハの町外れで、今日も鍬をふるっていた。
「……ほんと、なにやってんだかな」
俺が土仕事をしている横では、定位置になりつつある大きな岩にあぐらをかいたエルフが半眼をむけてきている。
「しょうがないだろ。追い出されちまったんだから」
「手前はあそこで一番偉いんじゃねえのかよ。手下にいいように使われやがって、情けねえったらねえぞ」
「俺が偉そうにしたところで態度がかわる連中かよ。それに、やることないのにふんぞり返ってるよりはマシだろうさ」
俺の思いついたスライム経由の視覚情報は、どうやらそう悪い思いつきではなかったらしい。
それどころか、思ってた以上に凶悪な意味をもつということがわかって――でもそれを一番効率よく扱うためにはルクレティアに任せたほうがいいだろう。
それ以外になにかやることがあるかというと、特にない。
……結局のところ、俺に求められているのはたった二つだ。
周囲からの意見をきいて、最終的な判断をすること。その行動に対する最終的な結果について、責任をとること。
ルクレティアの打ちだした戦術運用は画期的だ。
狭く複雑なダンジョンで、霧につつまれたような敵を相手に、こちらはクリアな視界で自在に戦力を動かすことができる。
まるで自分の手足のように――いいかえれば、それはつまりすべての責任は司令部にあるってことだ。
本陣から、駒のように誰かをうごかす。
その駒のひとつひとつが生きた存在だってことを自覚してないと、いつかそれはとんでもない勘違いをおかしてしまうだろう。
そんな歪んだ全能感に陥らないためにも、こんな風に外へでることは悪いことじゃない。
「妙に悟ったようなツラしやがって。気に食わねー」
「そりゃ最初から俺が気にくわないってだけだろ」
「ツェツィはガキだからねー」
風とともに姿をみせた精霊がけらけらと笑う。
「シルフィリア。顔みせるの久しぶりじゃないか?」
「ウン。お客がきてるからネ」
「客?」
森から妖精でも遊びにやってきたんだろうかと頭をめぐらせると、そこには深いフードをかぶった人影。
「お久しぶりです」
フードをもちあげてにこりと微笑んだのは、銀髪を長くのばしたエルフのヴァルトルーテだった。
騒動のあったアカデミーが落ち着いたあと、エルフの里に戻っていたはずの相手があらわれたことにおどろいて、俺は鍬をふるう手をとめた。
「ああ、しばらく。元気だったみたいだな」
「ええ。マギさんもお元気そうで」
「……あっちのほうはいいのか?」
里にこもるのではなく、周囲とかかわっていくよう他のエルフたちを説得するといっていた相手の訪問理由が気にならないといえば嘘になる。
妹とちがって穏やかな雰囲気をまとったエルフは、俺の質問に柔和な微笑のまま、
「まあ、なかなか簡単ではありませんね。私自身、すぐに理解が得られるとは思っていません。……お互いに冷静になる時間も必要ですから、ちょっとこちらに遊びにきたんですけれど。お邪魔ではありませんでしたか?」
「もちろん。ゆっくりしていってくれ。快適ってわけにはいかないかもしれないけどな」
森の民といわれるエルフに、洞窟っていうのは息がつまるだろう。
「やめとけよ、ヴァル姉。ひっでえ穴倉だぜ。暗いし、湿気とスライムしかねえ。妖精族の連中のとこか、森で野営したほうがまだマシだ」
俺は口の悪いエルフをにらみつけた。
「文句があるなら、今日からそっちに泊まれよ」
「誰が好きこのんで寝泊まりするかってんだ。選べるなら、とっくに行ってるに決まってんだろうが、タコ」
「こら、ツェツィ。すみません、マギさん。お言葉に甘えて、何日か泊めさせていただけますか?」
「それは全然。でもいいのか? 妖精族の住処のほうが過ごしやすいってのは間違いない」
エルフと妖精の仲は悪くない。
少し前には、ツェツィーリャが妖精族のところで世話になっていたらしいから、たのめば泊まらせてくれないこともないはずだが、
「はい。せっかくですから、マギさんたちの生活を近くで見てみたいですし」
……なるほど。
ヴァルトルーテは俺たちに協力してくれる気でいるらしいが、同時に俺たちの生く末を不安にも思っている。それでツェツィーリャを俺たちのとこにいさせているわけだが、自分の目でも確認しておきたいってことなんだろう。
「まあ、そっちがそれでいいなら。俺が帰るときに一緒に連れていくのでかまわないか」
「ええ。それで、どうですか? 最近は」
一瞬、どういうふうに答えるべきか迷ったが、下手にとりつくろったところであとからツェツィーリャに聞かされるだけだろう。
最近の状況や、今日あった話し合いのことなんかについてかいつまんで説明すると、ヴァルトルーテは眉をひそめてなにか考え込む表情になった。
「なにか気になることが?」
「いえ。結晶石、ですか……」
「ああ、そのことか。やっぱり、エルフでもそういう使い方ってのはあんまりないのか」
「そうですね。あまりそういう話は聞いたことがありません。――いえ、きっとエルフだから。でしょうね」
「エルフだから?」
ヴァルトルーテは、白銀の髪をゆらして深刻そうにうなずいて、
「……我々は常に精霊と共に在ります。どこかであった異変も、遠くの声も、精霊が教えてくれることはありますが、だからこそ、それ以外の方法に頼ろうということは考えません。必要なら精霊に聞けばいい。それが常識になっていますから」
「なるほど」
「マナによるやりとりくらいは考えつきます。けれど、それが阻害される環境下で、結晶石を用いるなんていうのは――エルフの価値観ではちょっとでてこない発想かもしれません」
「そんなもんか」
俺はうなずいたが、ヴァルトルーテの表情はちょっと珍しいアイデアをきいた以上の衝撃を受けている様子だった。
「どうしたんだ? そんなに驚いたのか?」
「いえ、驚いたというよりは」
あいまいに頭をふる。
「ちょっと、不安に思ってしまって。精霊を抜きにした発想。もしも、これからの世界がそうした方向性に向かうなら、それはとても怖いことかもしれません」
ああ、なるほど。
敬虔な精霊信仰の徒であるエルフからすれば、そういう不安はあるのかもしれない。
「……でも、心配はいらないんじゃないか。結晶石だって、月のっていうからには精霊がかかわってるわけだし。実際、マナがなくならない限り、精霊を抜きにするなんてないだろ。だっているんだし。あるんだし」
「それはそうなんですが……」
自分自身の不安の意味をつかみかねているように、ヴァルトルーテはしばらく難しい顔をしていたが、
「そうですね。あまり気にしない方がいいのかもしれません」
無理やり自分を納得させるようにうなずいた。
「結晶石の話もですが、スライムを使った視覚情報だなんていうのも驚きです。洞窟にはたくさんのスライムがいるから、ですか。……マギさんも気苦労が絶えませんね」
からかうような視線をおくられて、俺は顔をしかめた。
ルクレティアといい、ヴァルトルーテといい。そうあっさり他人の内心をみすかさないでほしいもんだ。
「別に。やらなきゃいけないことをやってるだけだ」
「やらなきゃいけないこと。つまりはマギさん、結局あなたにとってはそれなんですね」
ヴァルトルーテがいった。
「スラ子さんだけに頼らない。でも、スラ子さんを仲間外れにもしない。周囲と協力して、共に生きていく環境――だからこそ映像の媒介にスライムなどというものを選んで、それだけに限定させた。マギさん、あなたの狙いは“スラ子さんのダンジョン”でしょう」
俺は黙ったまま、相手から目をそらして鍬をつかんで振り上げた。
ようやく少しは整地ができてきている地面にむかって、ふりおろす。
「……スラ子さんの居場所。あなたが死んでしまったあとも、彼女がそう思えるように、あなたは手を尽くそうとしている。あなたにあるのは大義でも野望でもなく、それだけです」
「だったら悪いか?」
ヴァルトルーテの口調は穏やかだったが、なんとなく説教されているようにきこえて俺は銀髪のエルフをにらみつけた。
「悪いなんて言ってません。ただ、少し心配なんです」
心配?
「ええ。マギさん、あなたはまだお若いのに、もう自分が死んだあとのことを考えているんですね」
「若いったってな。俺は百年や二百年生きるエルフじゃないんだぜ」
それに、
「それに?」
「……人間、いつ死ぬかなんてわからないだろ」
「もちろん。明日のことなんて誰にもわかりません」
ゆっくりとうなずいたヴァルトルーテが、
「けれど、それで焦ってしまっても仕方ありません。マギさん、あなたは少し生き急いでいるのではありませんか?」
じっと俺を見つめてから、小さく頭をふった。
「――いいえ、それも違いますね。あなたは生き急いでいるかもしれませんが、焦ってはいない。そして、私はそのことを一番不安に感じているんだと思います」
俺は鍬をにぎる手をつよめて、あらためてエルフにむきなおる。
「なんだよ。はっきりいってくれ、なにがいいたい」
「ですから、不安なんです。私が不安に思うことを、あなたが自覚しているのか、していないのか。自覚がないなら、それは今この場で伝えておくべきだと思いますから」
「自分を誤魔化してるつもりはないんだけどな」
「誤魔化しではないでしょう。あなたはただ、見切っているだけです」
穏やかでいて辛辣な響きで、ヴァルトルーテがいった。
「生き急いではいても、焦ってはいない。それはマギさん、あなたが自分の生きているうちに結果を求めていないからでしょう。それどころか、あなたの望む結果はむしろ、あなたが死んだ後になってからしか現れない。あなたは、自分が死んでしまってもいいと思っているのではありませんか」
じっと真っ直ぐな眼差しにみつめられる。
俺は渋面で、
「俺がどれだけビビリだと思ってるんだ? 死んでもいいだなんて、そんなわけないだろ」
「臆病であることと、自分を厭わないことは両立しなくはありませんよ。“アレ”はあなたから生まれた。あなたにとって彼女はもう一人の自分ともいえます。そのスラ子さんのためにとる行動は、あなたにとって自分自身のためと同義なんですから。だから、彼女のためならあなたはあなた自身さえ捨て去ってしまえる」
「考えすぎだ」
「……なら、いいんです。でも頭の片隅にでも覚えておいてください。マギさん、あなたがそんな風に考えるということは、“もう一人のあなた”も同じことを考えていておかしくありません」
ふと脳裏に少し前のスラ子との会話をおもいだした。
あのときの、スラ子の気になる表情。
そこで感じた不安を思いだして、息をはいた。
「……気をつけるよ」
「そうしてください」
にっこりとヴァルトルーテが微笑む。
きっと本当に心配だから忠告してくれたのだろう、目の前の相手にお礼をいおうと口をひらきかけて、視界の端が光ったのに気づいてとじた。
「シィ?」
空の一画にかすかに光る鱗粉の魔力光は、妖精の羽から漏れたものだった。
ひどく慌てた様子でやってきたシィが、ちらりとヴァルトルーテを気にするそぶりをみせてから、
「マスター。あの、お客様が――」
「客? そっちにもか。今日はえらく客が多いな」
いったい誰だろう。
王都で動きがあったっていう報告はきいていないから、そっちの線はうすい。あるとしたら、バーデンゲンか、それともアカデミー関係とかだろうか。
だが、俺からたずねられたシィは頭をふるふるとふって、
「怖い、男の人です」
「男?」
俺は顔をしかめた。
「誰だろうな。シィ、その客はどんな顔だった?」
「……すごく。怖かった、です」
それだけかい。
シィをここまで怯えさせるなんていったいどんな悪人面だ、と頭をひねったところである可能性に思いいたって、俺はさっと血の気がうせるのを感じた。
おそるおそる、たずねる。
「シィ。まさかその相手っていうのは、こう――岩から削りだした感じか? 野盗でもやってそうな。それも大親分とか。そういう迫力満点のおっさんか?」
シィがこくりとうなずく。
俺は意識が遠ざかるのをかんじて、よろめきかけたのをなんとかふんばった。頭をかかえる。
「最悪だ。いったい何の用なんだ……」
――ヤクザな親父がやってきた。