一話 結晶石とスライム式投射映像
とあるヤクザな黄金竜が君臨する山の麓。
そこに「竜の手下のダンジョン」の立て看板がもうけられてから、そろそろ一月がたとうとしていた。
竜同士の争いとその落ちた死骸をめぐった探索。生屍竜となって甦った竜と、竜殺し。
いわゆる竜騒動からも数ヶ月がたち、その元凶の一端であるストロフライの存在はいまや他国にまで知られるようになっているらしい。
おとぎ話からぬけだしてきて、気の向くままに慈愛や破壊を楽しんで飽きたら去る。世界最強の暴君である竜のダンジョンがあらわれたという報告は、すぐに近くの町メジハにすむ人々の知るところとなった。
彼らがしめした反応はおおむねのところ、ふたつ。
困惑と警戒。
竜は魔物の頂点だ。
魔物とはつまり、人間が自分たち以外を指す総称――魔の者、マナモノのことをいうが、竜はそのなかでも飛びぬけている。なにせ連中の無敵っぷりといったら、この世界でマナをつかさどる精霊たちさえ裸足でにげだすくらいなんだから。
同時に、竜はただの魔物じゃない。
竜は他の魔物のように同種で群れたり、人間を故意に狙って悪事をはたらくこともない。と、いわれている。
実際にはその限りではないことを俺は知っているし、竜が人間を狙わないわけじゃなくて、別に悪意をもつにも至らない、ようするに最初から眼中にないってだけだ。
もちろんそれは害がないというわけでもない。
実際、竜に滅ぼされた国はいくらでもあるし、どこぞの自称勇者が竜にいどんで返り討ちになった、なんて話はそれこそ話にならないほどたくさん、そのあたりに埋もれてる。
だけどそんなのは、竜本来の力からすれば「ごく些細な被害」にすぎない。
大昔、たった一匹の狂った竜が世界そのものを滅ぼしかけたことにくらべたら、国がほろびようが、万の兵士が打ち倒されようが、たしかに些細なことではある。
魔王災とよばれたその出来事では、狂竜グゥイリエンをたおすのに世界中が団結しなければならなかった。
いや、それですらまだ足りない。
そのときには、同じ竜族のなかからグゥイリエンを止めようとする竜がでた。
彼らの助力がなければ狂竜打倒はおそらく成らなかった――つまり人間と魔物、精霊のすべてを足したところで、一匹の竜に敵わなかった可能性すらある。
竜というのはそういうモノだ。
“魔物”とかいって一括りにするどころか、比較にもならない。
そんな竜が近くにすんでいることは、メジハの町の人間からしたら迷惑でしかないが、だからっていってそれはどうすることもできない問題だ。
ストロフライに「でていってください」なんてお願いにいったところで、にっこり笑って熱線一発。町ごと蒸発するのがオチだろう。
竜の気まぐれがいつ自分たちを滅ぼすのかビクビクしながら、それでも生きていくしかないのがメジハの人間たちの現実で、けれどその竜の“手下”のダンジョンが近くにできたってことになると話はちがう。
よく信じられている一般論として、竜は勢力をもたない。
群れどころか、家族という社会単位すらもたないのではないかといわれている、それは彼らが個としてほとんど完成された能力をもっているからだ。
俺は以前、ストロフライに拉致されて竜の棲家にいったことがある。この世界なのか、どこか別の世界なのかもわからないあの場所での体験談を誰かに話しても、それを信じてくれる相手はいないだろう。
すくなくともこの世界では、竜は勢力をつくらない。まあ、つくってもらったら困る、という話でもある。
だが、実際には“竜の勢力”を名乗る勢力はけっこうある。
たとえばそれはいつしか竜になることを夢見てそれを崇める蜥蜴人族たちのことだったり、または竜の血をひくと自ら謳う人間族の国家のことだったりするが、この世界で神として崇められるのは主に精霊と竜で、それぞれ観念的なだけでなく実際に存在までする。
精霊はこの世界をつくり、いくつかの生命に言葉や教えを授けたとされる。
彼らを秩序とするならもう一方は奔放。
二元論的なものの見方で、力のみを信奉し、自儘にいきる邪教として竜信仰があつかわれることもないわけではない。
竜が勢力をもとうとしなくても、勝手にその足元に竜の信望者が集まってくることは現実にありえる。
メジハの人間が気にしたのもそれだ。
つまり、“竜の手下”を名乗るその連中が、本当に山頂の竜とかかわりある輩なのか。それとも、自分たちでそういっているだけの、まったく無関係な無法者なのか。
良くも悪くも、竜にかかわろうって連中は普通じゃないことが多い。
前者ならともかく、後者を警戒する町の連中の心配は当然だ。竜をあがめる全てが悪には限らなくとも、もし邪教としてそれをあつかう連中が巣食うことになったら町の治安にもかかわる。
そもそも、その竜の手下のダンジョンとやらは、以前メジハがその町ギルドの登録条件として試験場にもちいていた場所だった。その管理がいきとどいていなかったのが事態の要因ではないかとなるのは自然な流れだ。
そうして、ギルドの管理責任について町会で非難をうけたのは、メジハの町長の孫娘でありギルドをとりしきる若い令嬢。
王都帰りのその貴族然とした令嬢は、周囲からの非難に顔色ひとつ変えることなく、平然といいはなったという。
「ギルド試験に洞窟を使わなくなった以上、そこに魔物が巣食うことは当然あることです。その可能性については以前からお伝えしていたはずですが」
町政のくわしいことについて俺はしらないが、町長を中心として物事を協議して取り決める寄合制のはず。
特にギルドというのは、集落にとって必要な自警力であり、同時に厄介者や外れ者をあつめた隔離所でもある。そのギルドの運用について、一人の独断だけでことを進めることは不可能だった。
了承したのは皆さんでしょう?――ルクレティアの冷ややかな反応に、他の町の人間たちは顔をしかめて、
「だからといって、町の近くに魔物が巣食うことになるんだ。これは大きな問題だ」
「魔物なぞどこにでもいます。洞窟に限らず、すぐそこの森にも溢れるほどに。では如何します。視界にひそむ魔物の姿をすべて明らかにしようと、森の全てを切り拓いてみましょうか」
……後から聞いた話だから今さらだが、もう少し言い方ってのを取り繕えないもんだろうか。
こんな言われ方をして反発しない方がおかしい。もちろんその発言者は、それさえも計算してのことではあるのだろうが。
「誰もそんなことは言っていない。我々は町の安全について言っている。その為に手段を講じる責任がお前さんにはあるはずだろう」
顔を赤くして激昂する町の人間に、冷ややかな令嬢は応えていわく、
「もちろんそのつもりです。森を切り開くことや、町の警備を無制限に高めるような予算や人員はありません。必要な労力分を的確に配置すべきでしょう」
「具体的な案はあるんだろうね? ルクレティア」
町でも最高齢に近い老人にたずねられた金髪の令嬢はうなずいて、
「あそこの洞窟に巣食っているのが山頂の竜と関わりある相手であったのなら、我々にできることはありません。身内を害された竜の怒りを買いたくはありませんから。問題はそうでなかった場合。いえ、より厳密にいうならばその連中が我々に対して悪意ある行動をとってきた場合です。そうでなければ放置しておけばよろしいでしょう」
「魔物を放っておくというのか!?」
「ですから、魔物なぞどこにでもいます。町周囲の森に魔物がでるからといって、それを駆逐してみせろとおっしゃるのでしたら、まずそれに必要な費用がどの程度になるか計算してご覧にいれますが」
渋面で沈黙する村人に令嬢はつづけた。話をきくだけで、俺にはその表情まで思い浮かべられるようだった。
「件の洞窟――ダンジョンですが、すでに何人か向かった者がいます。このギルドに所属する者からも。逃げ帰った者からの報告によると、少なくともダンジョンの住人はそこから打って出るような様子はありません」
「今のところはだろう。そのうちこの町を襲ってくるかもしれんじゃないか!」
「それに対する警戒は当然、必要です。そしてそれはその洞窟に限った話ではありません。繰り返しますが、魔物などどこにでもありふれているのです」
「だが、その大勢いる魔物の拠点の一つであることも事実だ。それも、町にもっとも近い。その存在を危ぶむのは当然のことじゃて」
「それがただの魔物の巣窟であったなら、即座に戦力を送り込む手もあるでしょう。しかし、そこが本当に山頂の竜に関わる者どもの可能性がある以上、徒にそれを刺激するのは博打がすぎます」
「受け身であれと? しかしルクレティアよ、魔物の襲撃というものは怖いぞ。その頃、まだこの町にはいなかったお前さんにはわからんかもしれんがね」
町の誰かの発言らしいが、これもどうかと思う。
メジハは以前、魔物の襲撃をうけている。ウェアウルフとよばれるその被害には大勢の町の人間や、ルクレティアの両親もふくまれていて、そのことをわかったうえでの言葉のはずだから皮肉がすぎる。
「……もちろん、承知の上ですわ。だからこそ、警戒と襲撃の対応策を講じておくべきでしょう。山頂の竜、その眷属を害する恐れがあるうえでこちらから打って出よとおっしゃるのでしたなら、そうしてもよろしいですが。ただしそのことが後々に重大な結果を招いたとしても、私は保証できません」
「そうは言わんがね。だが、いつとも知れない襲撃に怯えるより、いっそその洞窟を監視下におくべきではないかという意見もある」
「非常事態が起きた場合に際する早期の連絡線、という意味でなら賛成です。しかしそれが、恒常的に戦力を張り付かせようという意味でしたら実現は難しいでしょう。当然それなりにコストがかかることですから。それだけの予算を用意していただけるということでしたら、反対は致しません」
……結局のところ、町会での話し合いはルクレティアの意見に添う形におさまった。
それはこの一月近く、ルクレティアが町でおこなってきた印象操作と、それを裏付けるようにダンジョン防衛をやってきた俺たち、そしてなにより山頂の竜ストロフライの存在感があったからこそだ。
とにもかくにも、お疲れだ。
誰かとの交渉折衝なんて一番面倒で厄介だ。もちろん、ルクレティアが自信満々にこのダンジョンの危険性が少ないと断定できたのは、そこに巣食うのがどういう連中であるかを実際に知っているからではあるが――それはそれとして、大勢と意見をたたかわせて自分好みに集約させるっていうのは、それだけで時間も体力も根気もかかる。
それを平然とやってみせるのが、ルクレティアという人間のなにより恐ろしいところだった。内心で疲れていたところでそれを表にだす性格でもないが。
とはいえ、口にしなければ身体の疲労がなくなるわけではない。町での業務に、ギーツやアカデミーとのやりとりまでになう負担は考えるまでもなく、相当なものだった。
今日も、町を抜け出して洞窟にやってきたルクレティアの身なりは、いつものように田舎町にはまるで似つかわしくない上品なものだったが、その切れ長の瞳の下には容易に消しがたいクマが縁をとっている。いつにも増して険のある眼差しがこちらをみすえた。
「……なにか?」
「いや」
応える俺の顔だってろくなもんじゃない。
洞窟の外のことについてはほとんどルクレティアに一任しているのが現状だが、だからこそ、せめて洞窟内のことについては令嬢の手にかけないですませるべきだった。
洞窟内のことで頭を悩ませる問題といえば、改装と、実際に侵入者をどう対処するかっていう戦術的な話になる。
数回の実戦とたくさんの演習をへて、ようやく少しは練度があがってきていたが、問題はまだまだある。
そもそもがダンジョン防衛が消耗戦である以上、戦術というなら必要なものはどうやって相手を倒すかじゃない。どうやってこちらの被害をおさえて勝つか、だ。
準備と対応。その徹底。
時間はいくらあっても足りない。文字通り寝る間もおしんで、俺はそれらについて知恵をしぼっていた。
水面をのぞけば、顔には多分はっきりとクマが浮かんでいるだろう。
ルクレティアのように元がいいわけでもないから、寝不足気味の表情はさらに貧相で情けなくなっているはずだった。
そうした努力は、胸をはって自慢できるものでもない。
なにせ実際の防衛戦闘がはじまったら、俺は戦力外だ。一緒にいても邪魔にしかならない俺は、リザードマンやマーメイドたちが命をかけて戦うっていうのに、奥にひっこんでいるしかないのだから。
だったら事前準備くらい、睡眠不足で死にかける気概でやるべきだ。
とはいえ寝不足の頭でなにかいいアイディアが思い浮かぶはずもないから、休養をとるのだって立派な仕事ではある。
とにかく、俺なりにここ数週間ずっと考えてきて、思いついたことはいくつかあった。
そして、今からそれを試すところだ。
「――それで、これが“それ”ですか」
ルクレティアがいう。
響いた玲瓏な声が、ひろい空間に反響した。
俺たちがいるのは洞窟の最地下。
いつもの居住スペースは地上にあるが、これから先いつまであそこを使えるかはわからない。実際の戦闘がはじまってからもそこにいるわけにはいかないから、もしかしたら近いうちにここで寝起きすることになるかもしれない。
洞窟の奥まった場所にあるここは、外界からかなりの距離がある。今は洞窟地上の広間奥にある縦穴からの昇降でショートカットできるようになっているが、そんなものが侵入者に利用されたらおしまいだから、そのうち塞いでしまわないといけない。
そうなると、外との連絡にかなりの手間がかかることになる。
それはそれで色々と問題がおこることになるが――それはそれとして、ともかく俺たちは今、洞窟の最地下にいた。
正真正銘、ダンジョンの最奥。
そこに集まっているのはスラ子やシィ、カーラにルクレティアといったメンバーで、それ以外はそれぞれ率いられて迎撃にでむいている。
迎撃というからにはもちろん、侵入者がやってきているわけだ。
今日の相手は演習じゃない。メジハでくすぶってる冒険者連中でもない。
このダンジョンの存在が公になって一月。その噂はメジハだけじゃなく、それ以外の町やそこにあるギルドにまで届いている。
最近では、そういった近隣の集落に所属する冒険者が、ちらほらと姿を見せるようになっていた。
メジハの冒険者ギルドはこのダンジョンに不干渉という立場をうちだしていたから、これから先こういうことは何度もある。
腕前だって、メジハで昼間から酒をかっくらってる連中とはレベルがちがう。
そういう連中と相対するのは今日がはじめてじゃない。
そのときの戦闘では勝利することができたし、幸運なことに死者もでなかったが、負傷者はでた。
戦闘ならこっちにだって損害がでて当然だろう。
それでも、それを極力なくしたい――そのために考えた方策のひとつが目の前に展開しているものだった。
俺たちがいる空洞の壁面。
そこにいくつもの光景がうつりこんでいた。
まっくらい洞窟に松明で標をつけながら、魔法の灯りをうかべ、警戒態勢をとってすすむ冒険者一向。
そして、その隣には違う場所で、それぞれの光源の下で待機する迎撃班たちの像――映像が、まるで手に取るような鮮明さでうつしだされている。
それをやっているのは、俺の隣に目をとじてたたずむスラ子の仕業だ。
侵入者の所在地をふくめ、それを迎撃しようと待ち構えている味方の状態まで、文字通り洞窟内の状況が目に見える。
前回の戦闘で、負傷者がでたのはこちらからの指示が遅れたからだった。
戦闘している場所と、俺たちがいる場所には距離がある。
普通に声をはりあげて届く距離じゃないし、足で伝令をだそうとすれば時間がかかる。
空間に満ちるマナを媒介して、遠くにいる相手と会話をする手段は割とポピュラーな魔法だが、それは確実なものじゃない。
それは戦闘中、その周辺のマナは激しくかき乱されるからだ。
魔法による会話のやりとりがマナを介しておこなわれる以上、戦闘行為でマナに影響がでることでその通信も容易に阻害されてしまう。要は、戦闘中にはほとんど使えない。
だから、前線との連絡に俺たちは別の手段を用意していた。
それが結晶石。
ルクレティアが大金をはたいて用意したそれは、世にも珍しい月属性の代物だといわれている。
それを使えば、マナが乱れた状態でも会話のやりとりが可能になる。
魔法の素養がなくても使用可能ということで、月の結晶石にはものすごい市場価値があるうえに、ものすごく稀少だった。
まあ遠隔地との連絡手法、それも魔力がなくても使えるなんてそんな便利なものはない。どこぞの商人が買い占めてるとか、どこかの大国が軍事利用しようとしてるなんて話は色々あるらしい。
現に、ルクレティアがバーデンゲン商会にそれを注文したのはずいぶんと前のことらしいが、数ヶ月たって手元に届いたのはたった数欠片。
結晶石が大きければ大きいほど声が届く範囲もひろがるといわれている。用意された石はすべて小石ばかりだったが、それでも並大抵の苦労ではなかっただろうし、実際にかかった費用をきいて俺は卒倒しそうになった。
以前、ギーツの領主が竜の遺体にかけた金貨5000枚ほどではないにしろ、ほとんどそれに近い。
常人じゃ一生かかっても貯められない値段が、その石ひとつにかかっているのだった。
それを数個とはいえ用意したバーデンゲンの実力は大したものだし、そんなものをぽんっと買ってしまうルクレティアもルクレティアだ。
というかそんな大金どこにあったんだと思う。竜騒動でメジハがもうけたってのは知ってるが、それほどなのか。
とにかく。
結晶石をつかった連絡で、俺たちはそれまで戦闘のやりとりをとっていた。
だけど、結晶石はあくまで声による情報を中継するだけだ。
声だけで状況を網羅するのはむずかしいし、戦闘中の逼迫した状況では詳細を報告する余裕だってない。
前回の戦闘で負傷者がでたのはそのためだった。
過誤な情報の行き違いがあって、退避の指示がおくれたのだ。
あるいはそれは行き来する情報の精度を高めることや、伝達手を戦闘行為から遠ざけてやりとりに専念させることで改善できるかもしれない。
だけど、もっと他の方法はないだろうか。
声だけではなく、もっと多彩な情報が一目にして取得できれば――それで俺が考えたのが、目の前のこれだ。
この洞窟に湧いてでる、たくさんのスライムたち。
そのスライムたちを介してスラ子が映像をとどける。
実際に映像として視覚化できるなら、それ以上の情報はない。
その映像をもとに結晶石をとおして指示をおくれば、前回のような伝達ミスは起きないはずだろう。
「どのような企みをなされるおつもりかは、事前に聞いてはおりましたけれど。実際に目の当たりにしてみると言葉もありませんわね」
ルクレティアがいった。
その言葉は呆れ半分、賞賛半分といったもので、疲労の影がみえる眼差しがちらりとこちらを振り向いて、
「……このアイデアはスラ子さんが?」
「いいえ?」
ゆっくりと目をあけたスラ子が、誇らしげに胸をはった。
「これは、マスターが自分で思いつかれたことです。わたしはなにも口出ししていません」
「そうですか」
短くうなずいて、なにかを考え込むように沈黙する令嬢に、俺はなんだか不安になってたずねた。
「なんだよ。なにかヤバいのか」
「ヤバい?」
ルクレティアが眉をもちあげた。
「“ヤバい”どころではありません。はっきり申し上げますと、ご主人様。私は心底から呆れているところです」
……そんなにダメな考えか? 我ながら、いいアイデアだと思ったんだが。
はあ、とルクレティアが息をはいて、
「地図を」
卓上にでかでかと広げられた地図にむかい、それから壁面にうつる映像に目をやって、
「スラ子さん。今、侵入者が向かっているのは上層の右辺――この通路ですね」
「ええ、そうです」
「わかりました。ご主人様、石をお貸しくださいますか」
俺は黙って結晶石をルクレティアに手渡した。
それを口元に近づけたルクレティアが、
「……スケルさん。そのまま後方にひいてください。十字路の奥まで戻って、その右手くぼみに姿を隠して待機をお願いします」
『りょーかいっす。手元の火はどうしましょ?』
「そのままでかまいません。こちらが夜目ばかりでないということはもう知られています」
『あいあいさ!』
「エリアルさん。貴女がたの班はその位置でそのまま、こちらからの連絡があり次第直進、右手にそって全力で移動開始してください」
『それは、私にとっての全力でかまわないのか?』
「かまいません。無理をなさる必要もありません」
『了解だ』
「リーザさん。貴女がたは今すぐ先程の位置にもどってください。手元の松明は消していただいてもかまいませんが、後ほど目が眩まないようご注意を」
『……じゅ。了、解』
たてつづけに指示を出し終えたルクレティアが、スラ子のとどける映像に目をむける。
そこでは指示をうけた三班がそれぞれ行動を開始しているところだった。
それをみたルクレティアが笑みをうかべる。
この令嬢が悪いことを考えるときに浮かべる、冷ややかな笑顔だった。
ルクレティアがこちらをみる。
「この洞窟に生息するスライムをつかった状況可視。あくまでこの場に限定された――いったいどの程度。そしてどの範囲で。スライムの、ダンジョン。いかにも苦心されたことが窺える思いつきですこと」
内心まで見透かされた発言に一発で渋面になる俺に笑ってから、ルクレティアは再び映像に目をもどす。
そこでは、洞窟上層をゆっくりと前進する冒険者たちが、身構えるような隊形をとっていた。
後退したスケル班が残していった松明に気づいたからだろう。
襲撃を警戒して、じりじりと十字路をこえて前に進む冒険者たちの姿は相変わらずこちらからは丸見え状態だ。
まさか連中も、そのあたりにいくらでもいるスライムを通して自分たちの状態がつたわっているなんて夢にも思わないだろう。
……やっぱりいいアイデアだと思うんだけどなあ。
「まったく呆れます」
頭をひねる俺に、俺から目をはなして壁の映像を食い入るように見つめたままルクレティアが口をひらいた。
「即時の情報伝達手段。それを支える即時の視覚情報ですって? ご主人様、貴方様はご自分の思いつきがどれ程の結果をもたらすかもう少しお考えになるべきです。そんなもの、いったいどこの軍隊であれば成し得るというのですか」
「軍隊?」
「はい。それがいったいどのような成果を導くものか、今ご覧にいれて差し上げます」
ささやくようにいったルクレティアが、
「――スケル班、水弾放て」
『ええっと、まだ誰も見えませんが、それでも?』
「視認なくてよろしい。即座に」
『らじゃ』
指示にしたがって、映像のスケル班、そこに在籍する三名のマーメイドがマナを練り上げる。彼女らが目標のない暗がりに水弾を放とうとする間際、
「――エリアル班、リーザ班、移動開始。エリアル班は移動しつつ魔法攻撃用意。リーザ班は目標に接敵次第、攻撃。スケル班、次の合図でマーメイドを残して前進、目標に牽制。後方マーメイドの方々はその支援を」
『了解』
三人の返答がかさなる。
ルクレティアはそれぞれの映像と、手元の地図に視線を交互にやっている。
タイミングをはかっているのだ、とすぐにわかった。
なんのタイミング?
――決まってる。“攻撃”だ。
前方から目標もなにもない攻撃魔法の散発を受けて、冒険者たちはいよいよ前方だけに注意をむけている。
そこに、
「……エリアル班、目標は視認できましたか?」
『ああ。声に続いて、ライトの灯りを確認した』
「では距離そのまま順次、攻撃開始。スケル班、移動開始」
『了解』
横合いから、エリアルたちの水弾が襲いかかった。
ちょうど十字路のあたりまで戻っていた冒険者たちは、横合いからの奇襲をうけて見事に混乱した。
前と右、どちらに注意を向けるべきか彼らが意識を統一できないまま、前方からスケルたちが襲いかかる。
その攻撃はあくまで牽制を目的としている。
正面から敵。右からは魔法攻撃。
そして、そこに――ダメ押しのもう一撃がはいる。
全速力で戦場にむかったリーザ率いるリザードマン部隊が横合いから切り込むことで、冒険者たちは完全な壊乱状況におちいった。
三方からの攻撃を受けて、そのままなすすべもなく逃げ散っていく。
撤退する冒険者連中の映像を俺は声もなくながめていた。
今、目の前であったことは簡単だ。
複数面攻撃。相手より多くの戦力を一気に叩きつける。
たったそれだけのことだが、それだけに尋常じゃない。
戦力の集中というのは基本だ。
一対一より一対二、一対三。それは個人じゃなく、もっと大きな部隊の話になっても同じこと。
だが、それは同時にとても難しいことでもある。
ベストなタイミングで挟撃できるなら一番だが、ちょっとどちらかが遅れたら各個撃破にだってなりかねない。そして、戦場の推移ってのは往々にして自分が思い描いたとおりには進まないものだ。
だけど今、ルクレティアはそれをしてみせた。
離れた場所に声をとどける結晶石。
そしてスラ子が映してみせる映像。
その二つをつかって、ルクレティアはまるで指揮棒を振るうような軽やかさで戦場をあやつってみせた。
……複数の部隊が一個の生き物のように連動して、獲物に食らいついた。
その鮮やかな手並みを可能にしたのは――スラ子だ。
スラ子のとどける、映像だ。
結晶石が遠くとの連絡を可能にしても、状況がわからなければ意味がない。そして戦闘になればいくらでも情報が錯綜する。
だけどスラ子がいれば、スラ子がみせる映像があれば、そんな必要はない。
正確な視覚情報を客観的に、盤上で駒を動かすような視点から指示をだせる――ルクレティアのいっていた言葉の意味がようやくわかった。
……これは“超越者の指し手”だ。
確かに。
ちょっとこれは、とんでもないかもしれない。
「――専任の伝達手をもうけましょう」
それなりの腕をもった冒険者連中が、まったくなんの実力を発揮することもできないまま撤退していくのを見届けてから、振り返ったルクレティアが口をひらいた。
「伝達手って、あっちの班にか?」
「いいえ。向こうとの連絡をおこなう伝達手を、こちら側にです。向こうとのやりとりを一々している暇はありませんから。ご主人様の指示を理解して、それを伝える相手が必要です。向こうの班の状況を精査して報告する役割もあります。班毎の、サポート役ですね」
なるほど。
「それから、地図だけではなく大きな模型をつくりましょう。タイミングを図るのに視覚化できることは大切です。演習の時のようにスラ子さんに作っていただいてもいいですが、あまりスラ子さんに負担を任せるのは、本意ではございませんでしょう?」
黙ってうなずいてみせる俺にルクレティアが微笑んでみせる。
まさににっこりという、ひどく上機嫌な表情だった。ちょっとこちらが不安に思うくらいの。
それは俺以外にも思ったらしく、カーラやシィの不安そうな視線にきづいた。
「その、なんだ。ルクレティア」
「なんでしょうか。ご主人様」
「とりあえず、スケルたちを呼び戻してもいいか。侵入者は外に出て行ったみたいだし」
「ああ、これは失礼しました。気が逸っておりましたわ」
ルクレティアが浮かれるなんて、珍しいこともあるもんだ。
すぐにスケルたちに帰還の指示をだしてから、ルクレティアはさらに考え事をするように形のよいあごに手をあてて、
「伝達手。全体模型。他にはなにが必要でしょう」
「なにに必要なんだ?」
「決まっているではありませんか」
ルクレティアはびっくりしたようにこちらを見て、
「ここから全てを統括するためです。情報を一元的に集約して、指示をだす。司令――司令部ですわね。戦力的に不安がある者を配置してもいいですが、それなりに適性というものもあるはずですから、そのあたりを確かめることが必要ですね。いえ、まずは部署としての形式を考えることから――」
どんどん一人で話を先に進めてから、ふとこちらの表情に気づいて眉をひそめた。
「……まさか、まだおわかりになりませんの?」
「いや、わかった。ダンジョン防衛がかなり楽になりそうだってことはな」
「かなり、ですって?」
ルクレティアは大仰に眉をもちあげてみせた。
それから声をあげて笑う。
この上品な令嬢がそんなことをしてみせたのはほとんど記憶になかったから、俺は声をうしなって相手の反応をみまもった。
ルクレティアはほとんど涙をながすくらいの勢いで、指先で目元をぬぐいながら肩をすくめた。
「本当に仕方のないお方ですこと。せっかくの思いつきだというのに、それでは意味がないではありませんか」
「なにがだよ。一人で笑ってないで、俺やカーラにも説明してくれ」
ルクレティアの頭がいいのは認めるが、自分だけニヤニヤしているのは感じが悪い。
――いや、もしかしたらスラ子もわかっているんだろう。
不定形の美女は俺の隣でおだやかに微笑んだまま、沈黙している。
「……スラ子のおかげで、いつでもここから正確に状況を確認することができるようになるってことじゃないのか?」
「ええ、その通りですわ。しかしながら、それがもたらすことは実にとんでもありません。赫々たる戦果をあげるのに必要なのは、なにも最強の武や最高の装備というわけではございませんわ」
うなずいた令嬢は、まだ笑いの衝動がのこっているようにしばらく息を落ち着かせてから、表情をあらためて、
「まったく仕方がありません。仕方がありませんから――ご主人様。この私が、貴方に天下をとらせてさしあげますわ」
不敵な表情でそういった。