十二話 チジョーズによる演習戦闘
『ぎゃああああああああああああああああ!』
つんざくような悲鳴。
耳元にひびいた絶叫に、俺は顔をしかめて手をはなした。そこに握った拳大の大きさの石から、いくつもの声が錯綜して聞こえてくる。
『ふっふっふー。ここっすかぁ、ここがいいんすかー』
『や、やめてェ……! おムコに、おムコにいけなくなっちゃう……!』
『なーにを言ってやがりゃーます!』
聞いていて涙をさそうくらい哀れな男の声に、聞きなれた声が一喝した。
『そんなら冒険者だなんてアコギなことやってんなって話でしょうが! おムコになりたいってんなら、まずそのむっさい髭とか身なりをなんとかしろってんでさあ! そんで話術でも磨いてでっかい街でも行って、金持ちのお嬢様を詐欺でもやって口説いてりゃあいいでしょう! おんなじアコギなら、そっちの方が自分の欲望にストレートな分だけまだマシっす!』
力強く放たれた言葉の語尾に、周囲から歓声がわく。それはマーメイドたちのもので、どうやら場面は逃げまどう誰かに魔の手がかかろうとしているところらしかった。
『どうせ冒険者なんてやってんのも、女なんて一発あてて名声稼いじまえばあとは向こうからホイホイやってくんだろ、みたいにしか考えてないんでしょうが! そのナメた根性がぁ――気に入らなーい!』
一際おおきな歓声があがった。
なにか大切な一枚を奪われたらしい男の悲鳴は、それにかき消されてほとんどこちらには消こえてこなかったが、
『お、おぼえてろよォ……!』
かすかにとどいたのはあきらかに、逃げ際の捨て台詞だった。
『おーおー、覚えといてやりますよ! 悔しかったら、もっと腕と顔をみがいて出直してきやがれってんです! 人間、元が悪くても必死にやってりゃあ、多少はマシな見てくれになるってもんっすからね、どっかの陰気な魔法使いみたいに! それが嫌なら、大人しく故郷にかえって野良仕事に精をだすのが身の程ってんですよー!』
……その陰気な魔法使いってのは誰のことだ。
意気揚々とした勝ち名乗りに俺は顔をしかめて、よっぽど手にもった石にむかって口をひらきかけて――我ながら懸命と思うことに、それを自制した。
戦闘中でテンションがあがってるところに、横からなにをいったところで効果はないだろう。
自分の威厳というものがどの程度かってことも、よくわかっているつもりだった。
「……済んだようですわね」
少し離れたところにひかえる令嬢が、豪奢な金髪をふりながら口をひらいた。
漏れ聞こえてくる言葉に顔をしかめているルクレティアに、ああ、と俺はうなずいて、すぐ傍の相手にといかけた。
「スラ子」
なにかに聞き入るように目をとじていた不定形の美女がおだやかに微笑んで、
「――怪我人なしです。上手く罠と地形にハメることができましたね。完勝です」
「そっか」
息をはく。
近所の冒険者を誘いこんでおこなう、ダンジョン防衛戦闘。
洞窟の上中層の改装に目処がつき、数日前から始めた演習のような戦闘は、ひとまずのところ順調にいっていた。
もちろんそれは、侵入してきた相手がてんで雑魚だったからこそだ。
たった今、洞窟から逃げ出していったのは、冒険者のなかでもほとんどゴロツキみたいなやつらだ。装備はもちろん、練度もなければ心構えすらなっちゃいない。
近くの町のメジハで一応ギルドには登録しているが、まともな活動はしておらず真昼間からだべって酒をかっくらっているような連中。そんなのを相手に勝ちをおさめたところで大した意味はないが、今回の演習目的は勝利よりむしろ自分たちの行動管理にあった。
リザードマンとマーメイドという異種族同士の連携。その小集団単位での運用と実際に、課題はいくらでもある。
ようするに、まだ相手のことをどうこういう以前の段階だった。
相手がまともな侵入者になれば、無傷の勝利なんてありえない。負傷者だってでるし、死者だってでる。
この程度の戦闘結果に浮かれるわけにはいかない。
それでも、
「よかった。ですね、マスター」
ほっと息をはいたカーラに微笑みかけられて、俺はだまってうなずいた。
……内心でちょこっと安堵するくらいはいいだろう。
事故でだって、怪我人はでるんだから。
「ただいまっすー」
少しすると、上層での戦闘をおえた一団がもどってきた。
スケルを中心とする本隊に、マーメイドとリザードマンたちの分隊を率いるエリアルとリーザもふくめた全員は、それぞれちがう種族の顔つきに勝利の余韻をうかべている。
それを一番簡潔に表現しているのが、先頭にたつ真っ白い元スケルトンの魔物娘で、
「ふっふー。今日もがっぽり身ぐるみはいでやったっすよ!」
ほくほくの笑顔で腕にかかえているのは、冒険者から巻き上げたらしい装備一式。
「エロイム落とし穴・改はいい感じっすねえ。大の大人たちが衣服を溶かされて恐怖と羞恥にまみれる顔ってのはこう、なかなかにクルものがありますッ」
むさくるしい男たちが阿鼻叫喚な図なんて想像するのも嫌すぎたが、なにより恐ろしいのは、スケルの発言に同意してうんうんとうなずくマーメイド一行のご満悦な表情だった。
「お前らなぁ」
こんな調子じゃ、いつどんなおかしな噂をたてられるかわからない。
竜にかかわる洞窟だってことをしっかり喧伝しなくちゃいけないのに、痴女たちの痴女たちによる痴女たちのためのダンジョン、なんて話になったらどうしてくれる。
顔をしかめて苦言をいいかけた俺に、手をぱたぱたさせたスケルが、
「まあまあ。ちゃーんとご主人にもお土産ありますから」
ぽんと手渡ししてきたのは一枚の布きれ。
「なんだこれは」
「サラシっすよ」
内心はともかく、まわりの目もあるので俺はつとめて紳士的な反応にとどめた。
「……女の冒険者もいたのか」
「いえ?」
スケルはほがらかに、
「男冒険者さんが股間に巻いてたヤツっす」
「フンドシじゃねーか!」
地面にべしんと投げ捨てて、とてとてと近づいてきたドラ子がそれに触ろうとするのにあわてて拾いあげる。
「こんなばっちいのに触っちゃいけません! スケル、ちゃんと処分しとけ! 焼却だ、焼却!」
「ええー。せっかくの戦利品じゃないっすか」
「なにが悲しくて野郎の肌着なんぞ渡されて喜ばにゃならんのだ! コレクションでもしろってのか!?」
頬をふくらますスケルに小汚い布きれを無理やり押しつけて、
「――とにかくだ。お疲れさん、……シィは上手く後をつけたか?」
「問題ないはずっす。侵入者の皆さん方、逃げるのに必死で後ろを気にする余裕なんかなかったでしょう」
逃げ出した冒険者連中の動向については、姿をかくせるシィに探ってもらう手はずになっている。
なにしろ、演習じみたものとはいえ実際に戦火はひらいてしまっているのだ。
ちょっと前までギルド登録の試験用につかわれていた洞窟に、(やたら装備をひんむきたがる)魔物の一党がすくっているらしい――そういう噂は、すでにメジハの冒険者たちの耳にもはいっているはず。
連中、洞窟にやってくるのにほとんどまともな用意もしてなかったし、日頃のおこないがおこないだから、半裸で町に逃げ帰っても酔っぱらってどこかで脱ぎ散らかしてきたくらいにしか取られないだろう。
けれど当然、そんなものはそう続かない。
町の連中に事態が把握されるのは時間の問題だし、それはこちら側としても想定ずみだった。
というか、“ダンジョン”なんだから、その第一義としてまずその存在が周囲に認知されていなければはじまらない。
問題は、その周知のされ方とタイミングだ。
竜を守護する(というノリで、実は竜から守護する)ことを目的としたこのダンジョンは、竜目的の様々な勢力にねらわれることになる。
名声狙いの個人冒険者から国家的背景をもつ組織勢力まで、ありとあらゆる連中がこぞってやってくるだろう。冒険者にしたってゴロツキみたいな輩から、それこそ大陸中に名を轟かす有名人にいたるまで。
竜という、この世界に傑出した価値。
富や名声だけじゃなく、探求心や国としての威信、その利益をもとめて“実在する神話”にむけられる欲望の、そのあいだに立ちはだかろうってんだから――つくづく、大それたことをやろうとしてるもんだと思う。
そのダンジョンの立ち位置、いってみれば評判や外聞っていうのはとても大切で、それを発信する大元として、当然のように重要になるのがメジハだった。
竜の麓の町であり、その脅威をもっともよく知るメジハとその近くにある俺たちのダンジョンは、決して純粋な敵対関係になるわけにはいかない。
ルクレティアの言葉をかりれば、ダンジョン防衛はもっとも単純な意味での籠城戦であり、消耗戦だ。
ならそこでもっとも恐れるべきは孤立、物資の枯渇ということになる。
この洞窟を訪れる冒険者たちにとってメジハが補給や進発するための策源地になるのは当然で、けれどそんな彼らと町との関係性はあくまで消極的協力にとどめるべきだった。
人間の悪意っていうのは恐ろしい。
そしてその恐ろしさは、集団としてのそれで間違いない。
ダンジョンへの物資搬入口は正面以外にいくつも用意しているが、町の人間に総出で山狩りでもされたらとても隠し通せるもんじゃない。
できれば、メジハの立ち位置は第三者的なものにしておきたい――それは決して不可能なことじゃないはずだ。
ここのダンジョンは山頂にすむ黄金竜に関わるものだ。
黄金竜ストロフライは、今のところその気まぐれで麓の町に壊滅的な破壊をもたらしたことはない。だが、メジハの人間は竜同士が争うというこの世の終わりみたいな光景を目撃してはいる。その竜にちょっかいをかけることの恐ろしさを町の住民が理解できないはずがなかった。
ここ数日の戦闘演習で、あえて侵入者した連中に死者をださないようにしているのもそのためだ。
あくまでこのダンジョンは、竜にちょっかいをだそうとする不届きな連中を撃退するもので、自分たちから手をだしさえしなければ害はない――そういう認識を町側にもたせることが必要になる。
それで、外からやってくる冒険者連中を、町の人間が「厄介者」としてとらえてくれる事態になれば、こちらとしても随分と身動きがとりやすい。
もちろん、外から大勢の人間がやってくることは商い上、メジハにとって悪いことにはならない。連中には食うものも寝る場所も必要だし、怪我をしたら薬だって必要だからだ。
別に、町とダンジョンとで心胆相照らして仲良くする必要なんかないのだ。
要は互いの利害が合致しさえすればいい。
つまり、俺たちが今やっていることは町側に対するイメージ工作、その土台作りと、それを利用した貴重な戦闘演習。そういうことになる。
戦闘そのものは実戦なのだから、その結果はもちろん、その後のフォローがとても大切だ。
ひとつまちがえれば、町の連中への危機感をいっきに煽ってしまいかねない。
そうした外交調略を一手にとりしきっているのはルクレティアで、俺はその相手にむかって口をひらいた。
「それで、どうだ。町の反応っていうのは」
「概ね、想定内の反応に留まっています」
明晰な頭脳をもつ令嬢がそっけなくうなずいて、
「もとよりギルドの所属員については掌握できていますし、町ではバーデンゲンとの商いも活発になっています。再度の竜特需を求める声もまったくないわけではありませんが――それ以上に、竜の怒りに巻き込まれるのを恐れる意見が大半です。彼らの恐怖心を操ってみせるだけでしたらそう難しくありません」
悪の手先どころか黒幕みたいな口振りだった。
実際、ルクレティアは町長の身内という立場と、バーデンゲン商会との繋がりをもち、さらに町にとっては厄介事の火種になりかねないギルドまで掌握している。
その立場は少し前よりはるかに補強されていて、よほど強引にルクレティアが物事をおしすすめようとしない限り、その影響力を排除することはできないだろう。
「道化役をおしつけた連中には気の毒だな」
「それ以外に使い道のある方々でもありませんでしたし、仕方がありませんわ」
冷ややかに断定する。
俺はしかめっ面で沈黙した。相手の台詞に不満や反論があるわけじゃなくて、本当は俺こそが率先してそういったことを口にしてみせないといけないんだろう。
だけど、そんな台詞を自分が吐いたところを想像してみたら、まるで似合わないことはよくわかるから――結局のところ、渋面で押し黙るくらいが関の山ではあった。
そうした俺の内面の葛藤を手に取るようによんだ表情でくすりと微笑をもらした令嬢が、
「しかし、同じような演習を何度も行えるわけではありません。頻度が高まれば町側に与える意識への影響も計算が難しくなりますし、緩やかに印象を操作する時間をいただきたいところですけれど」
「となると、しばらく演習は自分たちだけでやるしかないか」
「タイミングを図ってということでしたら、あと一度や二度の機会を設けることは可能ですわ」
その一回や二回の実際の戦闘で、こちら側の練度を十分なところまで高めることができるか――俺はだまって周囲の全員をみわたした。
種族も立場もことなるそれぞれの表情にうかぶ回答は一つだった。
「……演習方法については、なにか考えてみよう。実戦に勝るものはないしな。それまでは、できることをやるしかない」
全員がうなずいた。真剣な表情で、おちゃらけていたスケルもちゃんと真面目な顔になっている。
よし、と俺はうなずいて、
「とりあえず今日の反省からいくか。スラ子、だしてくれ」
「はい、マスター」
スラ子が手をかざすと、目の前の地面が盛り上がり、ダンジョン上層域の全体を縮小して立体的に模してみせる。
「侵入者が正面入り口にはいってきたところから始めよう。それぞれの班はどの時点で動きだしたか、その時点で問題はおきなかったかを申告していってくれ。こっちで気づいたことがあれば、そのつどこっちから聞いていくぞ」
検討会がはじまった。