七話 竜域の守護者
竜はこの世界でもっとも強烈な個性だ。
御伽噺からそのまま抜けだしてきて、神のように崇められ、誰かに気まぐれな施しをあたえることもあれば、平然ともっとも邪悪なものとして振る舞いもする。
好むと好まないと、この世界に生きていて竜の存在に心を奪われない者なんていない。
ルクレティアの表現をかりれば――無類の価値、というわけだ。
そして、だからこそ、その竜の手前にあるダンジョンも、存在する理由がうしなわれることはない。
竜域の守護者。
そんなご大層な呼び方を自称するつもりはなかったが、実際問題、竜殺しは起きてしまったのだし、それに付随して黄金竜ストロフライの存在も国の内外とわず認知されたことは間違いない。
ストロフライがここの山頂に居をかまえている限り、それを狙って画策する連中はいなくならないんだから。
なら、そういう連中をどうにかするのは、その麓にすむ自分たちの役割にちがいなかった。
なによりも、ストロフライがそういった連中にむけて気まぐれに巻き起こす破滅的災害から、自分自身の身をまもるために。
ストロフライはそれを不満にするだろうか。
いや。あの黄金竜はおそらく、そういうこともふくめて楽しむつもりなんだろう。
世界をこわすのなんて一瞬だといいきった。
つまらないからしないだけだと。
――あたしを楽しませて。
……“餌”か。
今朝方の対面で、スラ子がストロフライにむけた怒りをおもいだして、俺はちいさく嘆息した。
餌よばわりされたところで、別に驚きもしないし怒ったりもしない。
相手は竜だ。
人間なんて餌にする価値もない。それが普通だ。
それを餌扱いしてくれるなんて感激だ、なんてへりくだるつもりはないが、そんなことで傷つくほど自惚れてもいないつもりだった。
餌だって? 上等だ。
なら、楽しめてくれているあいだは大人しくしているんだろう。
――いくらでも楽しんでもらおうじゃないか。
控え目にいって、世界平和のために。
◇
地下の改装がはじまった。
俺たちが留守のあいだ、蜥蜴人族と魚人族が協力して掘りすすめてくれていた地下空間は、スラ子やノーミデスの力をかりて計測し、地盤強度や傾斜などを考えてルクレティアが起こした図面にそって掘削されている。
前に設計図をみせたもらったことがあるが、はっきりいって全身に酢をぶっかけられたミミズが踊りまくっている絵にしか見えなかった。
四か月以上にわたったその工事がおわり、これから内装に手をつけることになる。
ダンジョンというからには、立って歩けるだけでは意味がない。
侵入者の撃退。つまりは戦闘がおこなわれる。
そして、洞窟内の戦闘には多くの制限がかせられる。
いきなり大規模破壊魔法なんてくりだす侵入者はいないだろうが、いつだって例外ってことはあるものだし、それ以外にも配慮するべき問題はいくらでもあった。
「……そうだな。やはり自分達としては、退路のことが気にかかるな」
長なきあと、その代理で魚人族を指導する立場にあるエリアルがいった。
「戦闘が地下湖とその周辺なら、特に問題はない。それ以外でのこととなると、我々の場合どうしても可能なことに限界があるからな」
「尾ひれだもんな」
「ああ」
地面にこすれて少し傷ついた鱗をなでながら、うなずく。
「緊急的には、自分たちの魔法で呼びだした水に“乗って”しまえばいいだろうが、それで地下に水が貯まってしまうことになってもまずいだろう。いずれにしても、水の抜け道のことは気をつけておいた方がいい」
「そうだな。逃走経路のことも。……訓練しておいたほうがいいな」
地下にすむリザードマンとマーメイドには、侵入者への迎撃で主戦力として働いてもらうことになる。
二種族の特性上、おおまかに蜥蜴人族が前衛、魚人族が後衛という役割になるだろうが、いざ撤退となったとき、うしろのマーメイドたちがすばやく逃げだしてくれないとリザードマンたちまでつっかえてしまう。
「自分達だけならともかく、他の種族と一緒に戦った経験はほとんどない。違うのは歩幅に限った話ではないんだ。どんなに些細なことでも、実際にやってみておくべきだと思う」
「わかった。それと、確認しておきたいんだが」
「なんだ?」
肩掛けを巻いた美しいマーメイドにたずねる。
「下の地下湖。あんたたちは、あれを通ってここにやってきたんだよな。あの湖の底はまだ外と繋がってる。そうだな?」
「……そうだが」
眉をひそめたエリアルが、
「退路というのがそういう意味のものなら、不要だ。我々は最後までここで戦う。居場所を奪われて、情けなく逃げ惑う真似は二度と御免だ」
「そうなのか?」
「そうだとも」
誇りを傷つけられたような表情で憮然とする相手に、俺は肩をすくめた。
「でも、逃げ惑ったせいで生まれた命もあったじゃないか」
美貌のマーメイドが顔をしかめた。
「それは。もちろんそうだ。だからこそ、」
「子どもたちの未来のために戦うっていうんだろう。わかってるよ。あんたたちの居場所はここだ。ただ、」
「ただ?」
「……自分のために戦って、自分のために逃げればいいんだ。ここがダメなら、また違う場所にいってそこで子どもを増やせばいい。そういう戦いだってあるだろう」
「男達は、そうして欲しくて我々を逃がしたはずだと言いたいのか? 戦って無残に命を散らす為ではなく」
鋭い眼差しににらまれて、頭をふる。
「勇敢なマーマンたちの考えを代弁できるなんて思っちゃいないさ。でも、あんたたちの子どもは可愛かった。ああいう子どもは、なるべく死んでほしくないだろう」
じっとこちらをみたエリアルが、息をはいた。
「甘いのは相変わらずだな。そういうことで指揮がとれるのか。お前は我々に死ねと命じなければならないこともあるんだぞ」
「だからだよ」
俺は渋面になった。
「戦闘になったら、そういうのを気にしてられないんだ。俺は自分のことで精一杯で、なにもかも守れるなんて器量じゃない。……もしかしたら子どもだって犠牲にするかもしれない。だから、今のうちにあんたにいっておくのさ」
「なるほど」
エリアルが苦笑した。
「了解だ。まあ、一旦は庇護下に入っておきながら勝手に逃げ出しては、山頂の竜に滅ぼされてしまうかもしれないが」
「そのときはそのときだ」
「確かにな。……だが、竜はともかく、他にも気になる相手はいる」
エリアルは俺から視線をはずして、その隣にひかえる不定形に目をやった。
「……貴女は精霊ではないが、精霊としての加護をうけて我々は次代の長を得た。その加護を受けておきながら、いざとなれば逃げだすという無礼を許して頂けるものだろうか」
「――構わない、水のものよ」
スラ子がいった。
普段とはまるで異なる。自身の内側に在る水精霊の言葉を代弁しているように、その言葉は冷ややかでいて、穏やかさにみちていた。
「水は流れるものだ。理由が在れば留まり、理由があれば去ればいい。自然とはそういうものだろう」
「……感謝する」
そっと目を伏せた相手が、
「だが、それも今しばらくは無理だな。生まれて半年もない幼い子どもを連れては、とても長旅に耐えられない」
「なら、それまでは命がけで戦ってくれ」
「そうさせてもらおう」
顔をあげて、武人ばった表情で微笑んだ。
「他になにかあるか?」
「いや――ああ、そういえば」
「なんだ?」
エリアルは眉をひそめて、
「戦いで、捕虜を手に入れた場合だが。その、なんだ。一部、我々の好きにさせてもらってもかまわないか」
俺は顔をしかめた。
「なんだ? とって食おうっていうのか?」
人肉はマーメイドの好みではなかったはずだが、
「まあ、ある意味でな」
エリアルが苦み切った顔でうなずいた。
スラ子がくすりと笑う。
「子種が欲しいという者がいる。……現状、同族の相手と巡り合える可能性は薄い。外洋は広すぎるからな」
「あー。そっちの話か」
俺はあたまをかいて、
「……マーメイドってのは、異種族交配には否定的じゃないのか?」
「嫌がる者は多いよ。もちろん。ただし、そこまで忌避しない者もいる。事情も事情だからな。生まれた子に男児はいたが、それだけではとても群れの将来は楽観できない」
「なるほど」
俺は息をはいた。
人間とマーメイドの混血。これも多種族が身近に共同生活をおくることの問題なのかもしれない。
ふと、アラーネ先生やヴァルトルーテの話をおもいだした。ウェアウルフの血をひくということでまわりから冷たくされていたカーラのことも。
「そうやって生まれた子は、“どっち”なんだ? 魚人か、それとも人間か?」
「それはわからない。我々の伝承では、母親であるマーメイドの血を濃く継いだ子だったという話だ」
「前例があるのか」
「伝承だがな。幼い子供に聞かせる御伽噺のようなものだ」
俺はしばらく考えてから、ちらりと隣をうかがった。
スラ子は黙ったまま微笑んでいる。
口をひらく気配はもちろんない。――決めるのは俺だ。
「……死活問題だしな。他種族の血を迎え入れるっていうのがあんたたちの決めたことなら、反対はしない。ただ、なるべく大事にしてやってほしいとは思う。捕まった相手はともかく、生まれてきた子どもは」
「それはもちろんだ。それからな、マギ」
「なんだ」
「一族の者に、お前の子種が欲しいという者もいるんだ」
真剣な顔でいわれて、俺は言葉をうしなってしまう。
エリアルが隣のスラ子をみて首をかしげた。
「やはり問題かな?」
精霊にたずねるのではない口調に、ふふー、とスラ子はいたずらっぽく微笑んだ。
「問題ではありませんが、色々と対抗意見がでてきそうではありますね。マスターとのお子さんを欲しがる人は他にもいらっしゃいますから」
「そうか。仕方ないな」
肩をすくめて、美貌のマーメイドは不敵に微笑んだ。
「なら今度、水中で誘ってみることにしよう。そこでなら他人の邪魔も入らない」
ぐっとスラ子が拳をにぎりこんだ。
「既成事実ですねっ」
「先手必勝とも言う」
魚人族たちの元から逃げるように、俺は蜥蜴人族の元へむかった。
ストロフライの許可がでたことで、蜥蜴人たちの一部は地上へ移住することがきまった。
しかし、だからといっていきなり希望者がぞろぞろ出ていくわけにはいかない。
森を縄張りとする妖精族にはすでに話をとおしてあったが(シィが使者にたったら一発だった)、そもそも本当に地上で連中が生活できるかどうかはわからない。
なにせ、ずっと地下で生きてきたんだ。
ちょっと物珍しさから地上にあこがれても、住んでみたらやっぱり地下がいい、ってことになる可能性だってある。
もちろん森にいるのは妖精だけじゃないから、まわりの環境への配慮もしないといけない。
そうしたこともふくめて蜥蜴人たちが適応できるかどうか、まずは移住を希望する若いリザードマンの一部を、妖精族の泉の近くで“体験生活”させてみることになっていた。
そうやって徐々に馴らしていって、同時に妖精族との親交をふかめてもらう。
迂遠なことだが、森の生態系にあたらしい生き物がくわわることになるんだから、このくらい慎重でもいいだろう。
そうして移住の準備をすすめながら、一方では侵入者との戦いにむけた用意も必要になる。
地下にいる蜥蜴人たちの全体からみれば、外にでていく若手はすくない。
多くの大人や、女子どもは地下にのこる。
そうして彼らは戦う。
蜥蜴人たちは前衛だ。つまり、もっとも傷つく役回りだ。
「……こんなことに巻き込んでしまって、すみません」
忙しそうに動き回る一族をみながら、微笑ましそうに目をうすめる長老の横顔に、俺は声をかけた。
スラ子がそっと通訳する。
こちらをむいた長が、のぞきこむように顔を近づけた。
年老いた蜥蜴人の目に、ひどく貧相な男の渋面がうつっている。
……彼らを戦いに巻き込んだのは俺だ。
長いあいだ、蜥蜴人たちは洞窟の地下でしずかに過ごしてきた。
精霊にそそのかされた魚人族との争いがあったとはいえ。
その彼らが今みたいなことになったのは、エキドナにそそのかされた俺が地下にやってきたからだ。
自分たちが神と崇める竜と出会えたことが、たとえ彼らにとって幸せでも。
竜を護って死ぬということが、彼らにとってなにより誇り高いことであっても。
――きっと彼らは死ぬ。
竜を護って戦いつづけるということは、そういうことだ。
「うしゅら、しゅらしゅうや」
長老が口をひらいた。
おだやかな口調で語られる言葉の意味を、スラ子がおしえてくれる。
「……気にすることはない、竜の使い」
しゅしゅしゅらと深く低く言葉がひびく。
「我々は戦う。竜に憧れ、竜を目指し、いつしかそれを忘れた身でも戦うことだけは叶うのだから。竜神サマの為に戦って死ねといわれれば、我々はそれに従う。それを虚しいと思いはしない。なぜなら、我らはそこで終わらないからだ」
一拍をおく。
「今、我らの若者が外にいく。それは光だ。年老いた身には成し得ない、可能性という青臭い夢想をいだいて、外へ。竜にはなれぬ。ここで朽ちる。いつしかそれを当然と受け入れた我らを嘲笑い、振り払うように。恐らくその誰も竜にはなれぬ。だがそれでいいのだ。そしてまた、次が、続くのだから」
長がつづける。
その言葉はほとんど、長の口から語られた瞬間に通訳されて、スラ子の口から語られている。
「それを与えてくれたのは貴方だ。竜の神が我らに戦う意味を与えてくれたのなら。貴方が、我らに戦う喜びを与えてくれた。我らは戦う。若者が、次代の者らが外の世界で猛々しく生きようとしているのだ。最早この身になんの未練があろう。我らは我が血をもって戦い、その肉をもって感謝に代えよう」
蜥蜴人の無骨な手がもちあがり、そっと俺の頭にふれた。
冷たい感触。
「それでいいのだ。人の子よ。我らの血肉で、貴方の為すべきことをなせ」
――胸が、いたい。
ずしりと両肩に重みがかかる。
頭上にかかげられた老いた蜥蜴人から、まるで目の前の相手が今まで背負ってきた一族の命、その重みが移されたように、重圧が全身にのしかかる。
息ができない。
口のなかにたまった唾をのみくだそうとして、失敗した。
責任と、それに対する覚悟。
言葉にするのはかんたんだ。
わかってるさ、知ってるとも、と突っぱねるのはひどく容易い。
でも。
俺は、耐えられるだろうか。
大勢を戦わせることに、じゃない。
自分の失敗が、誰も彼もの命をことごとく失わせる結果となってしまったときに。俺は、そばに微笑む相手にすがらないでいられるか。
神のような相手に、奇跡をすがらないでいられるのか。
――絶対に、そうしてみせる。
そのために必要なものはなんだ。
才能か。ないものをいってどうする。
努力か。いままでだってやってきた。
言い訳だ。……その通りだ。
自分なりに頑張ってきた、だなんて自分をなぐさめてひきこもっていたのが悪い。――ああそうさ、だけど今までの二十年を悔やむくらいなら、これからの一日を活用しろ。
努力しろ。
二十年の努力が無意味だったとしたら、二十一年分の努力をしろ。
考えろ。
計画をねれ、他人に相談しろ。
自分自身の我儘に、周囲のすべてを巻き込んでしまうというなら――せめて、それに見合うだけの苦労をしてみせろ。
そうして。
これから俺が殺させる大勢と、これから俺のせいで殺される大勢の怨嗟をせおい、千年の頂きを目指してのぼるのだ。
卑小な人間の身で。
矮小な人間の心で。
「ご主人、ご主人~。おや、どうしたんですかい。目が真っ赤っすよ」
地上にもどろうとしたところでスケルに声をかけられ、俺はあわてて自分の顔をぬぐった。
「なんでもないっ。……どうかしたのか」
スケルがスラ子をうかがう。
だまって首をふるのをみて肩をすくめて、
「実はですね。すごいことを思いついたんです」
「ほう」
「やっぱり、戦力ってのは大事でしょう? リザードマンさん方やマーメイドさん方。それに洞窟のスライムってだけじゃ、色々と心もとないっす」
「そうだな」
「そこであっしは考えました。戦力の強化が必要であると! その答えがこれですっ」
「ほほう?」
堂々と胸をはって、スケルが物陰からつれてきたのは――一匹のスライムだった。なぜか黒く濁っているが、見覚えがある。
「スランダじゃないか」
「はいなっ。スランダさんに協力をもとめて成功した――これが新しいスライムの進化系! その名も瀝青スライムです!」
「そのままじゃねえか」
スライムに瀝青をまぜたってだけだ。
「いやいや、粘着性がだいぶ向上してるんすよ。天井からぺたっと落ちてきてそのまま一気に獲物をとりこむってのはスライムさん方の常套手段ですが、これならもっと楽に天井にはりついていられるはずっす」
「ほほー」
たしかに、不意をついてスライムにとりこまれるとかなりやっかいだ。
瀝青のせいで保護色になっているのもいいかもしれない。罠をはる場所とか、そういう戦術的なことでなにか使えるかもしれなかった。
「そうでしょう、そうでしょうっ。いやー、こいつはきっと使えますぜっ」
晴れ晴れと満足げにスケルがつきだしてくる手乗りスライムをうけとって、俺はほうっと息をはいた。
可愛い。
スランダは俺の飼ってるスライムのなかでも抜群のプロポーションをほこる一匹だ。
ふるふると全身をふるわせる姿がたまらなくキュートすぎる。
全体が黒くなってしまっているのがちょっと気に入らないが――
「あ、」
スケルが声をあげた。
近くの松明からとんだ小さな火花がふれたかと思うと。
一瞬で、スランダの全身が発火した。
「ただし火にものすごーく弱いんすよ」
「スランダああああああああああああああああああ!」