六話 ダンジョンの条件
大陸の中原に位置する小国レスルート。
メジハやギーツ、そして北方奥地には魔物アカデミーなんて代物さえひっそりと存在するこの国は、実際にはレスルート地方という名称のほうが正確かもしれない。
なぜなら、それは“国”というほどに確固たる枠組みを、現時点でほとんど失ってしまっているからだ。
大昔の、狂竜とよばれた黄金竜の蹂躙によってこの大陸はほとんど死に瀕した。
魔王災。
それまでの秩序は崩壊し、人口は激減して、流通は破壊された。
大破壊から百年以上がたってようやく復興してきた現在、レスルート一帯がいまだに統一された状況にない要因のひとつが“ギルド”だ。
各集落に、ある程度の自衛戦力の保持を認めるその制度は、当時の疲弊しきった国内情勢と緊急性の問題から仕方がないとはいえ、為政者が自身の統治能力の欠如をなかば宣言したようなものだった。
その結果。この地方では王権が衰退して、それに代わって各地の有力者が台頭した。
今や、王都ファヴリスを中心とする「レスルート王国」は、レスルートを正統に支配する唯一権力というよりは、“中央に居座るだけの一地方勢力”といった見方さえされかねない状態にある――全員を集めた話し合いの席で、ルクレティアはそう説明した。
「……なるほど」
それに対する周囲の反応が微妙ににぶい。
時刻は朝というより昼に近く、洞窟の外ではとっくに太陽がのぼりきっている。
大テーブルに集められた顔ぶれの大半がしかめっ面になっているのは、ルクレティアの話を理解できないというよりは、もっと別の単純な理由だった。
そりゃそうだ。
昨晩の地下でのどんちゃん騒ぎは結局、今朝方まで続いていた。
結果、寝不足に二日酔い。普段は表情のわかりづらい蜥蜴人さえ、さっきから酸味に渋ったような目つきでしきりに頭をふってみせている。
「しっかりしろよ、お前ら。だから飲みすぎるなっていったのに」
「いやぁ、わかっちゃいたんですがね――ちょいと失礼」
顔をしかめてたちあがったスケルが、ふらふらとどこかにいって、しばらくたってふらふらと戻ってきた。
「……すいませんでした。続きをお願いします」
力なく頭をおとすスケルは、ただでさえ白い顔がほとんど真っ青だ。
俺は黙って首をふり、ルクレティアに先をうながした。
「……これまで、この国をはじめとする大陸の人間国家同士の争いが落ち着いていたのは、それどころではなかったからです。跋扈する魔物と国内の反乱鎮圧に統一事業。どの国もまずそれらに手いっぱいで、とても他所に戦争を仕掛ける余裕などありませんでした。婚姻、縁戚関係を用いて主要な国々で結ばれた不可侵条約によって、一見すると平和な状態が築かれていましたが、最近ではそうした状況が変わりつつあります」
幼少を王都で過ごしていたからこそ、いや、それだけでは語れない識見を披露して、ルクレティアがいう。
「ようやく復興が終わり、発展が始まりつつある現在、他国の土地と富、人的資源と物的資源は非常に魅力的です。互いの野心を防ぐ盾となっていた不可侵条約は、次回の更新がなされる見込みはないでしょう。グルジェ帝国のように強力な指導者が現れ、周辺への影響力を強めている国もあります――今後、この大陸の情勢は間違いなく荒れます」
前に俺にきかせたことがある話。
それはルクレティアがずっと以前から予想していたことなのだろう。
金髪の令嬢はだからこそ、メジハをそうした周囲から押し寄せる荒波に負けないだけの町にしようとしていた。
「そうなると当然、この国も影響をうけるわけだな」
「はい。ギルドという急場凌ぎに認めた存在がネックとなって、この国は現在にいたって各地方が半ば独立した状態ですから」
「群雄割拠ってやつですか」
「それが“群雄”なら、よろしいのですが」
ルクレティアは皮肉そうに頬をつりあげて、
「残念ながら、実際には突出した改革者が現れない故の惰性的推移に過ぎません。周辺国が新生や再統合を果たしつつある中で、この国の現状はお粗末です。地勢的な幸運から今まで侵略を受けずにすんではおりますが、それも相応に野望と才幹のある人物が動き始めてしまえば、瞬く間に呑み込まれてしまうでしょう」
いえ、と頭をふった。
「そうした動きはすでにあるはずです。隣国に接する地方の領主には、他国から頻繁に連絡が届いていることでしょう。自分が手を貸すから、貴方がこの国を統一してしまえ――と。それにもっとも危惧を抱いているのは、もちろん」
「……王都。レスルートの“正統な”支配者たちか。誰かが新しい王を名乗るのに、古い王族なんて邪魔だもんな」
「王権の正当性や、その存続に何らかの価値が認められる状況であれば話は別です。しかし、今の状況ではそうした見込みも薄いでしょうね。結局、血などという代物は周囲に重用されるだけの意味があってこそです」
ルクレティアの表情に一瞬、冷ややかな影がさしたのは、自分の身体にその血の幾許かが流れている“らしい”ことを思ってのことかもしれない。
「……危機感を抱いた彼の方々は考えます。自分の立場を補強するものが必要だと。早急に、しかも強力に。そこにちょうど、とある田舎街から献上品が届きました。人の手によって倒された生屍竜の死骸。それを見た高貴な方々は、いったい何を思われるでしょうか」
「えーと。ちょっと待ってくださいよ? つまり、いろんな国でそろそろ戦争しようぜヘイヘイみたいな雰囲気になってて、それに巻き込まれそうなこの国は狼の群れのなかの羊状態だと。……そんでもって、竜ですか?」
二日酔いで辛そうなスケルが頭をふった。
「そりゃまた、なんといいますか。随分と短絡的な気がしますねぇ」
スケルの意見に、俺もまったくの同意見だった。
アカデミーにしろこの国の王様にしろ。誰も彼も竜のことが好きすぎるだろう。いや、竜っていうのはそれだけの存在ではあるけれども。
「仕方のないところはあるでしょう。大多数にとって、竜とは御伽噺の範疇を超えません。あるいは天災。自然災害で済ますにはあまりに被害が大きすぎた狂竜グゥイリエンも、それを実際に知る者は少なくとも人の身では残っておりません。風化するには短すぎますが、中途半端に戒めを忘れさせるには十分な時間が経ちました」
なにより、とルクレティアはつづけた。
「彼らは知ってしまったのです。竜の身近な実在と、それが倒されたという事実を」
「竜っていっても、腐りかけて魔法も使えないドラゴンゾンビだけどな。生きてる竜と死んだ竜とじゃ、まるっきり桁がちがう。ちがいすぎる」
「その通りです。そして、それは生屍竜が誕生した経緯でもある、別の竜の存在を容易に浮き立たせます。――この山頂にいらっしゃるお方のことですわ」
全員が上をみた。
そこにあるのはただの洞窟のしめった天井で、黄金竜の姿を仰ぎみることはできない。
名前すらあげないまま、その場にいる何人かから畏怖のため息がもれた。
「……竜は禁忌であり、だからこそ絶対的な価値を有します。実在する神の如き力。その魅力に抗える者など多くはございません」
沈黙がおりる。
俺はおもいっきり息をはいて、頭をかいた。
「ストロフライを後ろ盾にして、国内と他国への牽制か? それとも、竜にお願いすれば邪魔な連中だけ殺しつくしてくれるとでも思ってるのか。……エキドナといい、どうしてそう破滅的に楽観的なことを思いつける奴らばっかりなんだ」
「魔物たちを糾合して“魔族”等という代物を興し、その頂点に竜を据えようとするよりは幾らか現実的ではあるでしょう。実際に助力を得ることや、後ろ盾にすることができれば最善ですが、少なくとも他国からそう見られることに成功してしまえばそれだけで十分な抑止にはなります」
カーラが眉をよせた。
「振りってこと? 実際にそうするわけじゃなくて?」
「もちろん、周囲がそう信じるだけの材料がいります。少なくとも、竜と友好的な関係を築いているという姿勢が他から見ても明らかでなければ不可能でしょうね。その竜の住処かその最接近地を、自らが支配下においているという事実も必要でしょう」
「――ギーツ。そしてメジハか」
「はい。何より重要なことは、こうしたことを考えるのは魔物たちのアカデミーや王都の尊いお方ばかりではないということです。竜殺しの話はすでに他国にまで広まっています。どのような形でのことにせよ、竜を狙ってくる輩はこれから尽きることはないでしょう」
そこで言葉をきり、ルクレティアがこちらをみる。
あえてそれ以上の言葉を口にしなかったのが遠慮か、それとも試しているのか。多分、両方だろう。
「そういう連中への対処を用意しとけってことだな」
「平和的な交渉を望んでくる輩ばかりとは限りません。掘削の終わった地下について、早急に体制を整える必要があるでしょう」
◇
「そもそもダンジョンというものは、ただ“魔物の溢れる巣窟”というだけでは意味を持ちません」
ルクレティアがいった。
「閉鎖的な洞窟内での戦闘は、戦術的に見れば消耗戦、そして籠城戦です。そこが魔物の巣窟であるのなら、魔物側にとってはわざわざそんなところで戦う必要性がありません。負ければ退くこともままならず、本拠地を失ってしまうのですから」
「そりゃそうっすね」
「本拠地で戦わざるをえない状況とは、戦略的に既に負けていることと変わりません。戦うのであれば、打って出ればよろしい。あるいは、それ以上戦わないですむ方策を模索すべきでしょう。――例えばご主人様とスラ子さんがとった手段のようにです」
俺とスラ子がとった手段。
調査隊としてやってきたルクレティアを捕らえて、屈服させ、町のギルドに手をまわさせた。
そうすることで、この洞窟には冒険者たちがやってくることはなくなり、俺たちは安全を得ることができた。
「ご主人様とスラ子さんの行いは、“魔物の巣窟”の主しては理にかなった、戦略的に正しいものです。しかしそれと同時に、この洞窟は“ダンジョン”としての意味を失ってしまうことにもなりました」
……ダンジョンの意味?
「どういうこと?」
カーラが眉をひそめる。
「例えば、私がもし今からこの洞窟を攻めるとしたら、手段は決まっています。私がどういった手にでるか、ご主人様にはおわかりになりますかしら」
俺は少し考えてから、苦笑いしつつこたえた。
「多分、埋められるような気がするな」
「正解です」
ルクレティアは素っ気なくうなずいた。
「わざわざ中に入ることなどしません。外から発破をしかけて、物理的に蓋をしてしまいます」
その場にいるほとんど全員が絶句した。
「それはなんというか……身も蓋もないっすね!」
「身も蓋も必要ありません。無論、全体を綺麗に埋没させるための爆破など言う程に容易くはありませんが、最悪でも入り口に厳重な封印をしてしまえば、それで事足りる場合もあるでしょう。ただの“魔物の巣窟”であれば、そういった処置が可能です」
「ダンジョンは、そうじゃないの?」
「ええ」
ルクレティアがうなずいた。
「カーラ、貴女は冒険者になろうとしてここへやってきたことがありますわね」
「え、うん。あるけど」
「その時、何を目的にしていたか覚えていますか」
ルクレティアの問いに、カーラがこたえる。
「それは……ここの奥の広場に白石鉱があって。それを削って持ち帰ることが、試験だったから」
――なるほど。
俺が気づくのとほとんどおなじタイミングで、カーラがあっと声をあげた。
「そっか。外から壊すんじゃダメで、中に入らなきゃいけないんだ。だから、ダンジョンなのか」
「そうです。ダンジョンとは探索した末に何かを発見し、獲得することを目的とするものです。当たり前のことですが、重要なことです。それは宝であり、あるいは何かの謎ということもあるでしょう。ここの洞窟の場合はギルド試験クリアの証、ということになります」
それがあったからこそ、この洞窟にはダンジョンとしての意味があった。
しかし、それはダンジョンの理由としては弱い。
なぜなら、試験に使うのに必ずしもこの洞窟である必要はないからだ。
敵として対峙していたルクレティアが口にしていたように、いざとなればギルドの試験には別の手段をとることだってできた。
つまり、ルクレティアにはここを“ダンジョン”ではなく“魔物の巣窟”として処理することも可能であり――だからこそ、俺たちはあのときにルクレティアを逃すわけにはいかなかった。
そうして、捕まえたルクレティアに手をまわさせたことで、メジハの冒険者やルーキーたちがここをおとずれることは完全になくなり。
この洞窟の、ダンジョンとしての意味はまったく失われてしまった。
ダンジョンがダンジョンであるための条件。
宝や謎、そして大事なもうひとつ。
そこを訪れる何者かがいなくなったら、当然そうなってしまう。
……ダンジョンと魔物の巣の違いなんて、考えたこともなかった。俺にとってはそのふたつはほとんど同意義だったのだ。
「――ああ、なるほど。それで、ストロフライか」
「お察しいただけましたか」
ルクレティアがうなずく。
「この洞窟が再びダンジョンとしての意味を獲得する為には、必要なものがあります。宝、あるいは謎。奥底までやってくるだけの価値を有する報酬」
それまで黙った話し合いの様子をみまもっていたスラ子が、ぽつりとつぶやいた。
「……竜に通じる、唯一道。たとえば、ストロフライさんとの謁見許可ですか」
ちらりとそちらをみやったルクレティアが、
「そうです。山頂の黄金竜に会おうとするだけなら、好きな場所からこの山を登ればよいかもしれません。しかし、洞窟の奥にいる竜の手下に会うことが叶えば、より安全に、確実に黄金竜と面会することができるとあれば、それを無視できる者はいないでしょう」
「竜を目的としてるなら、外からいきなり大規模魔法で埋められる恐れもないってわけか。たしかにこれ以上ない報酬だからな」
交渉しようにも、まずその目の前まで無事に辿りつけるかもわからないのが竜だ。
竜との対話を望む連中は当然、よほど腕に自信があって竜を打倒しようなんてとち狂った輩だって、近くに竜の手下がいればまずそちらに目をむけるだろう。
手下なんぞを倒せないで竜を倒せるはずがないし、その手下がなにか竜の弱点――そんなもんあるわけないが――を知っているのかもしれないのだ。
「はい。そして、それを目的として侵入する輩を私達が撃退すれば、ストロフライさんがそういった連中と遭遇することによって確実に起こるであろう破壊の数々を、それが我々周辺にまで及ぼす被害を失くすことができるというわけです。竜より前に在り、竜を狙う輩を排除する。つまりは竜域の守護者ですわ」




