五話 いつも通りの黄金竜
その屋敷は門からはじまって、廊下から部屋にいたるまでのすべてが巨大だった。
俺の身長の何倍もある窓。敷地全体の横幅は右から左におもいきり頭をふらないと追いつかない。空を見上げるようにあごをもちあげなければいけない扉についてある取っ手には、もちろん手が届くはずもない。
人間の王城にもこういった造りのものがあるときくが、それはおそらく訪れる相手に威圧感をあたえるか、あるいは自分の権力を誇示したいがためのものなのだろう。
だが、俺がいるこの場所はちがう。
あくまで、ここの住人にとってはこの大きさは実用的に必要というだけの話であり――困ったことに、実際に彼らの一人暮らしのサイズとしては、これでもささやかに過ぎるほどなのだった。
「こいつは――さすがに、」
俺の隣にたったツェツィーリャが、目の前にそびえたつ黄金竜の館をみあげて息をのんだ。
「だからいったろ。無理についてこないでくれていいって」
「……うるせえ」
蜥蜴人の若手が地上に移住したいといってきていることと、しばらく洞窟を留守にして帰宅したことの報告。
そのふたつを目的に山をあがった俺に、俺の護衛役、というよりは目付け役として洞窟に滞在することになった口の悪いエルフは、それにも当然のようについてこようとした。
護衛だなんて、竜の屋敷でいったいどんな外敵から襲われることがあるというんだ。
仮に、なにかに襲われて、それが竜の仕掛けたものだったなら、いったい誰が護衛だなんて果たせるというのか。
そのくらいの理屈はツェツィーリャにだってわからないはずがなかったから、自分で竜をみてみたいだけなのかもしれない。その証拠に、いつもエルフと行動をともにしている風精霊はそそくさと逃げ出してしまって気配もない。
実際、物好きなことではある。
竜がなにかを壊すのに理由なんかないんだから、自分から死地にむかおうっていうのは頭がおかしいとしかいえない。
「やっぱり帰ったらどうだ。シィの話じゃ、直近の空腹期は終わってるはずだけど……ちょっと目つきが気にいらないってだけで死ぬぞ。即、殺されるぞ」
ストロフライの機嫌次第で、俺だって即死かもしれないんだから。
なにかあったときの被害は最小にしておいたほうがいい。
俺はツェツィーリャに下山をすすめたが、顔面を蒼白にした相手からかえってきたのは大変目つきの悪い眼差しだった。
「うるせえっつってんだろ。ここまで大丈夫だから、多分大丈夫だろうっていったのは手前だろうが」
「そりゃ、ダメだったらとっくに熱線で焼き殺されてるだろうからな。……せめて口の利き方には気をつけてくれよ。向こうから話しかけられる前にしゃべったりしたら多分アウトだからな。笑うな、ビビるな。とにかく向こうの意識にひっかからないように気をつけろ」
竜にとって、人間やエルフなんてそのへんの道端にころがる石ころだ。
石ころが最初からそこにあるだけなら気にも留めないが、石ころが自分から目の前にころがってきたら踏み潰すか蹴飛ばすかくらいは普通にするし、そのどっちだってされたら無事じゃあすまない。
「……どんな理不尽だってんだ」
「だから、その理不尽の権化にいまから俺たちは会いにいこうってしてるんだよ」
俺は肩をすくめて、反対側の隣に目をうつした。
そこには、青い半透明のスラ子が黙ったままついてきている。
俺の視線に気づくとにこりと微笑んだ。
「マスター、大丈夫です?」
「ああ。……いや、大丈夫じゃない。だから大丈夫だ」
竜と面会する。
毎回毎回、スリルといえばこれ以上のスリルはないが、こんなものに恐怖をもたなくなったらそっちのほうがよほどヤバい。
いまにも逃げ出したくてたまらないのは、どんな生物でも本能としてそなえているべき危機感が麻痺してないってことだ。
「確かにそうですね。竜を怖がらないなんて、そちらの方がどうかしています」
いいながら、スラ子はまるでおびえた様子もなく微笑んだ。
「……お前は怖くないのか」
「怖いですよ、もちろん」
うなずいてみせる。
……とてもそうはみえない表情だった。
俺の反応にそれをさっしたスラ子が苦笑して、
「本当に怖いです。――でも、少し嬉しくもあるんです」
「嬉しい?」
「はい。……なにかあったら、わたしがマスターを護ります。護れることが、嬉しいんです」
俺はスラ子の言葉に眉をひそめた。
「ツェツィーリャさんまで手をまわす余裕はないと思いますけど、大丈夫ですか?」
「……ったりめーだろうが。誰が、手前なんかに助けられるか」
「ふふー。了解です」
吐き捨てるエルフと、それに微笑みかける不定形。
俺は息をはいて、覚悟をきめた。
目の前の巨大な扉に手をかざす。
いったいどんな仕掛けなのか、魔力的なものならそこに感じられるはずのマナの気配もないまま、ひとりでに音もなく扉がひらいた。
「やほ、マギちゃん。おかえりー」
いつものようにフランクな笑顔、フランクな口調。
竜の姿でも活動できるための空間、そのささやかに巨大な室内の奥深くで、黄金竜ストロフライは精霊形をとって俺たちをでむかえた。
「ストロフライ、さん。――ただいま、戻りました。昨日、帰ってたんですけど、ご挨拶がおくれてすみません」
「んー? そんなの気にしないでいいよー。マギちゃんだって疲れてたんでしょ。そっちの一日なんて一瞬、一瞬。どのくらい留守にしてたんだっけ。半年くらい?」
「いえ。三か月くらい」
「ああ。そういえば一回お腹すいたからそのくらいかぁ」
長命な竜らしい時間感覚。
目の前の竜がとりあえずそう機嫌が悪くなさそうなことに、俺は心の底から安堵した。
「はい。いただいた鱗にも、何度も助けてもらって。ありがとうございました」
「そうなんだっ。なにがあったの? ――ふうん、なるほど」
こちらが答える前に自分で納得してみせる。
あはは、と楽しそうに笑った。
「色々あったんだねー。トラブルあってこその旅だもん、よかったじゃないっ」
上機嫌に、ストロフライは視線を俺の隣にむけた。
「スラ子ちゃんはどうだった? 旅、楽しかった?」
「……はい。楽しかったです」
たずねられたスラ子が微笑んでみせる。
「旅なんて、生まれてはじめてでした。とっても、いい経験になりました。ありがとうございます」
「うんうん。違うとこに行くのって楽しいよねー。違う食べ物とか、習慣とか。あたしもよくいろんなとこ行くよー」
竜の翼なら世界中、ひとっ飛びだ。
それどころか異世界までいって戻ってくることくらいやりかねない。
あきらかにここの世界とはちがった竜たちの棲家のことを思い出しながら、俺は口をひらいた。
「それで、今日は上納と。それと、相談があって来ました」
「ん、なぁに? マギちゃん」
可愛らしく小首をかしげる相手に、地下の蜥蜴人族の一部が地上にでたがっていることをつたえると、
「へえ。うん、いいよー」
あっさり許可がでた。
「いいんですか?」
「うん、いいよ? だって地下の連中のことはマギちゃんに任せてあるんだからー。そのマギちゃんがいいなら、あたしもそれでおっけ。好きにしちゃっていいよ」
気前のいい発言に、俺は肩すかしのような気分を味わいながら、ほっと息をはいた。
とりあえず、よかった。
俺たちがなにを悩もうと、最終的な判断は目の前にいるこの見た目はものすごく可愛らしい金髪の少女次第なんだから。
「ありがとうございます。ご迷惑かけないように、気をつけます」
「気にしないでいいのにー、マギちゃんが地下の連中つかって世界征服にのりだしたって怒らないよ?」
「いやあ、そういうのはちょっと……」
「そうだねー。世界征服とか、つまんないしね」
世間話をするように、竜の少女は肩をすくめた。
「よく言われるんだよね。殺す前の相手とかからさー、命乞いなのかなんなのか知らないけど、どうして世界を征服しないんだ、とか。世界を破壊するつもりか、とかっ。馬鹿みたいだよね、そんなのその気があったらとっくにしてるっていうのに」
「そう、なんですか」
相づちしながら、俺はどうしたって顔がひきつってしまう。
実際にこの世界を滅ぼしかけた魔王竜グゥイリエン。
そして、目の前のストロフライがその実の娘であるということをしっていれば、とても笑ってすませられる話じゃない。
猫のように目をほそめた竜が、
「世界を壊すのなんてね、簡単なんだよ。マギちゃん」
からかうような口振りでささやいた。
「ちょっと、当たり前の配列をずらしてあげるだけで、時間も空間も、こんな世界なんてあっという間にバラバラになっちゃうんだから。それか――こんなふうに」
顔のちかくまで持ち上げた手で空中の塵をつかむようにして、
「これだけで、はいオシマイ」
やれやれと頭をふった。
「こんなことのなにか楽しいと思う? つまんないでしょっ」
「――つまらないから、ですか?」
そう口をひらいたのは俺ではなく、スラ子だった。
「つまらないから。ストロフライさんは、この世界を壊さないでいるというだけなんですね」
「……スラ子?」
まっすぐに竜を見つめる相手をみる。
俺がスラ子にたずねる前に、
「そうだよ?」
竜がこたえた。
「それはつまり。面白ければ、すぐにでもこの世界を壊すって。そういうことですよね」
「うん、そうだよ」
ストロフライは満面の笑顔でうなずいた。
「スラ子ちゃんが面白くしてくれる? だったら、今すぐ壊してあげていいけど」
返答から一瞬の間をおいて、
「――マスターは、そのための“餌”ですか」
スラ子がいった。
ストロフライは表情をかえないまま、
「“うん”」
次の瞬間――いや、瞬間かどうかわからない。
俺の意識が次を認識したとき、事態はうごいていた。
それまで俺のすぐそばにいたはずのスラ子が、ストロフライの目の前にせまっていた。
その後ろ姿は。
俺の目と頭がおかしくなってなければ――殴りかかっているようにみえて。
いや、そんなありえない光景が見えてる時点で俺がおかしくなっているに違いないと目をこすろうとするより先に、事態はさらに次へとすすんでいた。
飛びかかったスラ子の拳を、ストロフライは避けようともしない。
「っ――――!」
直前、なにかの障壁が発生したようにスラ子の動きがとまる。
ふわりとおだやかに気配がもりあがって。
暴風が吹き荒れた。
一瞬で俺のもとに到達したそれに巻き込まれ、俺の身体はたやすく切り裂かれ、――てはいなかった。
吹き飛ばされるどころか、そよ風さえない。
「――マーギちゃん。動かないほうがいいよ?」
楽しげな声。
ふと足元をみると、少し離れた床がそこに敷かれた絨毯ごと、ズタズタに引き裂かれている。
室内の損傷はそこだけじゃなかった。
あわててみまわすと、部屋中にあちこちに深々と穴があき、崩れて、それは見ているうちにさらに数をましていく。
砕ける椅子。弾ける壁。
それらはどれも、竜が日常生活をおくるのに耐えるだけの硬度をもっているはずの代物だった。
おそらくは、俺の家にあるストロフライ印のあの椅子か、それ以上の硬さをもった家具類が、紙のように吹き散らされていく。
――目の前でなにが起こっているか、俺は理解できなかった。
理解どころか、認識できない。
そういえば、と後ろをふりかえって、ほっと息をはく。
ツェツィーリャが真っ白な顔で立ち尽くしていた。
俺の後ろにいたことで致命的な破壊からまぬがれていたらしいエルフは、普段の気丈さを忘れてガタガタと震えている。
俺はツェツィーリャの細い身体が、少しでも俺の身体の影からはみださないように強引に引き寄せて、今も新しい破壊が乱れ飛ぶ室内に目をもどした。
スラ子とストロフライの姿は、いつのまにかなくなっている。
それが見えないだけだということは、周囲に吹き荒れる破壊の気配と、いまも次々に生み出される無数の傷痕が教えてくれていた。
……エキドナがいったとおりだ。
神のような竜と、神のような不定形。
そんな連中が争ったら、それはもう俺なんかには意識のなかにおくことすらできない。
雲のうえまでそびえたつ二つの山。
その山頂でおこなわれていることなど、地上から見上げて知るよしもないように――
「まだ足りない。まだまだ足りない。ぜんぜん足りない」
どこからか、ストロフライの上ずった声がひびいた。
「こんなもろすぎる世界に遠慮してるような攻撃で、あたしにナニカ届くと思う? 威力が足りない、速さが足りない、工夫が足りない。たりないたりない、なにもかも足りなさすぎる!」
竜が吠えた。
圧倒的な気配。
光でもない、音でもない。静かな波動が即座に満ちたかとおもうと、
「なっ……」
屋敷中が吹き飛んだ。
――かと思ったら、次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように、すべてが元にもどっていた。
さっきまであった、嵐のような破壊も、砕けた家具も。
そんなこと夢だったかのように整然と、ストロフライは自分の椅子に腰かけて微笑んで、俺の隣にはスラ子がたっている。
ストロフライとスラ子には、怪我はもちろん、どちらも身だしなみが乱れてすらいない。
ただ、スラ子の厳しい表情だけがちがっていた。
「大体、うちのイエロくらいかなー」
ストロフライが口をひらいた。
「アホ親父にはまだちょっと力負けすると思うし、まあ他にもまだまだいるねー」
ひどく上機嫌にうんうんとうなずいて、
「自分がどのくらいってこと、わかった?」
「……はい」
「そ。よかった」
厳しい面持ちのスラ子に、ストロフライは悠然と微笑んだ。
「安心していいよ。まだまだ、スラ子ちゃんより強い相手なんていくらでもいるから。どうにもならなくなるかもなんて不安、持たなくていいんだよ」
「――ありがとうございます」
「スラ子ちゃんさ、今なら未来くらい見れるんでしょ?」
渋面のスラ子に楽しそうにつづける。
「だったら、探してみるといいよ。膨張して収束するのをひたすら追ってくのだって、まあ暇つぶしくらいにはなると思うし」
「……ストロフライさんは、ご自身の未来には興味はないんですか」
「うん? ないよー。だってそんなの、わかりきってるし」
黄金竜の少女は、あっさりとうなずいた。
「どんな未来だって、勝つのはあたしに決まってるもん。だったら、先のことなんて覗いたら楽しさ半減しちゃうだけでしょ」
――傲慢。
そう表現するのさえ生ぬるいような、生まれついた絶対者としての発言だった。
じっとスラ子が竜をみすえる。
「わたしが、ストロフライさんに勝つ未来が。ないと思っていらっしゃるんですか」
「そんなのあるんだ?」
十代半ばの外見の竜の少女は、その幼い見かけに似合った様子でぱちくりとまばたかせて、
「――それ、すっごく楽しみだなあ」
けぶるような表情で微笑んだ。
……最後まで上機嫌のままだったストロフライの前から辞して、俺たちは山をおりた。
帰り道、三人とも無言になる。
ストロフライと関わる毎回のこととはいえ、死ぬような目にあった。いや、実際に何回か死んでたとしてもおかしくない。
「ツェツィーリャ。大丈夫か」
「……ああ」
振り返ると、ぐったりと死んだような表情のエルフがうなずいた。さすがに、毒さえ吐く元気もないらしい。
結局、ストロフライがツェツィーリャの存在を気にかけることはなかった。
最初から最後まで、いてもいなくてもどうでもいいという態度は、竜からすればまったく当然のものではあったけれど、
「お互い、死ななくて幸運だったな」
「……なにが幸運だ。頭おかしいんじゃねえか」
俺は顔をしかめた。
「だから来ないでいいっていっただろ。それに、竜が普通じゃないってことくらいわかってたはずじゃないのかよ」
「そっちじゃねえよ」
忌々しそうに銀髪をふったツェツィーリャが、
「オレがおかしいっつってんのは、手前らだ。手前に、手前だ。死ぬとこだった? 馬鹿か、なんで生きてんだ。オレも手前らも。……あの竜は、いったい手前らになにをやらせようとしてやがる」
にらむようにスラ子をみる。
「手前なら、それもわかってんじゃねえのかよ」
スラ子は黙って俺をみて、ツェツィーリャをみて。
結局、黙ったままなにも答えなかった。
◇
「お帰りなさいませ」
洞窟にもどると、テーブルでなにかを書きつけていたルクレティアが顔をあげた。
「如何でしたか」
「ああ、移住の件は、大丈夫だ。……ちょっと死にかけたけどな」
そうですか、とルクレティアはうなずいて、
「いつも通りですわね」
「……そうだな」
隣のスラ子をみる。スラ子は微笑んだまま、こっちの視線に気づかないふりをした。
「どうかなさいましたか」
「いや。それより、そっちこそどうしたんだよ、町に戻るんじゃなかったのか」
俺の様子を気にするように眉をひそめたルクレティアが、
「もちろん戻ります。その前に、気になる報告がバーデンゲンから入りましたので」
「なにかあったのか?」
バーデンゲン商会は、アカデミーとのやりとりも含めて活発に動いてもらっている。
今はギーツの領主から承諾をうけた書類をもってアカデミーとの話し合いにむかっているはずで、そちらでなにか問題が発生したのかと思ったが、
「これから起こるかもしれません」
ルクレティアは、あいまいな表現でそういった。
「どういうことだ?」
「以前、この国の置かれた状況についてお話ししたのを覚えていらっしゃいますか。この国と、その周辺の現状です」
俺は顔をしかめて、記憶の山をほりかえした。
「まあ、ある程度は。かなり不安定だとかって話じゃなかったか」
衰退した中央勢力とか、そのせいで生まれたギルドとか。
そういうことを説明された覚えならある。
「そうです。そのことですが――近々、戦争が起こるかもしれません」
「戦争? ……この国でか?」
自国のこともままならないのに、他所の国を攻める余裕があるとは思えない。
ということは自国内のことか、それともどこかから攻められでもするかと思ったが、その予想もちがった。
「いいえ、隣国の話です。しかし、たとえ隣国の戦争であろうと、その影響はこちらにまで波及します。経済はもちろん、それ以外についてもです」
ルクレティアがいった。
俺は令嬢の発言の意図をかんがえて、たずねた。
「なにが起きる」
「王都に動きがあるようです。――竜が、狙われるかもしれません」