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四話 アカデミー滞在中の回想

「君の考えてることは、まあ大体わかるよ」


 そういわれたのは、俺がアカデミーでの事件のあと、まだろくに起き上がることすらできず身体中の熱と痛みにうなっていたころのことだった。


 お見舞いにやってきてくれたアラーネ先生が、俺のせいでできたあちこちの怪我と火傷について経過と症状を懇切丁寧に説明してくれながら愚痴と文句をネチネチといいつらねるというコンボ攻撃に、こちらも最初は相づちと謝罪と聞き流しで対応していたのだけれど、それがループ仕様だということが判明してさすがに精神的に消耗したころになって、ようやく本題をきりだしてきた。


「スラ子ちゃんのことだけどね、もちろん。……なんでもできる彼女に、君は自分自身の存在で枷をしようとしている。枷だなんていうと響きが悪いなら、理由づけとか、他になんでもいいけど」


 自分の蜘蛛糸で即席のクッションを編みながら、肩をすくめる。


「完全ということは、他に何もいらないってことだ。何かが必要な限りはそうじゃない。スラ子ちゃんが君を取り込まず、君という存在が彼女にとってどれだけ親しかろうとあくまで他人である限り、彼女は“そう”はならない」


 部屋には俺と先生と、あとは少し離れた壁際に背中をあずけたツェツィーリャしかいない。


 他のみんなは、アカデミーとの話し合いやら見学やら。

 全員がなんだかんだの用事で部屋をはなれていて、その隙をつくようにやってきた先生が、隙をつくような話題をもちだしてくる。


「だが、そんな君もいつか死ぬ。人間の寿命って五十年くらいだっけ? となると大体あと三十年だ。ま、それ以前に死ぬ可能性のほうがよほど高いよね。君は魔物だなんていうアウトローな生き方をやってて、腕っぷしも強くない。むしろヨワヨワだ。明日ころっと死んでしまうかもしれないのは、周りにどれだけ優秀な仲間や、スラ子ちゃんがいようと変わらない。君は人間で、君はそういう人間じゃなきゃいけないんだから」


 先生はできあがったおおきなクッションを満足げにながめ、床のうえにおいたそれに腰をおとしてから、またちがうなにかの作成にはいった。


「不定形のスラ子ちゃんは、君を想うということを核として存在している。だから普通は、君がいなくなれば一緒に消えてなくなってしまうだろう。けれども、君はこう思うわけだ。――自分が死んだあとも、できればあいつに生きてもらいたい」


 先生は愉しげに口の端をもちあげた。

 遠くで、腕をくんで沈黙するエルフがぴくりとみじろぎする気配を感じる。先生がつづけた。


「君が死んでからもスラ子ちゃんが生き続けるためには、スラ子ちゃんが自分自身の核を――生きる理由を、君だけへの想いから、君以外の対象にまで拡大する必要がある。君を想っちゃ駄目ってわけじゃない。君も含めた、もっと多くを愛して欲しいってわけだ」


 先生は肩をすくめて、


「話だけなら、別にそうとんでもない話でもないかもね。生まれたばかりの赤子の世界は母親から始まって、そこから広がっていく。親や兄弟、ご近所から集落。社会へ。彼女がどれだけ頭がよくて何でもできるっていっても、結局は赤ちゃんみたいなものなんだから、その精神的成熟に併せて別の可能性が拓けることはないとは言えない」


 だけど、とささやいた。


「そんなことしないで、死なせてあげればいいんじゃないかな? 最愛の相手を失った悲哀に包まれて、儚くこの世から消え失せる。詩的だと思うよ。私の好みじゃあないけど」


 からかうような口調で、先生の瞳の奥は笑ってはいなかった。


 俺は先生の顔から、遠くのツェツィーリャに目をむける。不機嫌そうな無言の眼差しがつきささる。息をはいた。


「――前、いわれたことがあるんですよ」


 ん、と眉をもちあげる先生から、自分の手元に目線をおとして、


「上に住んでる竜に。スケル――俺の作り方が下手くそなせいで、いまにも魔力糸がほつれて壊れそうなスケルトンのことで」


 ――あたしが、スケルちゃんを丈夫にしてあげようか?


「へえ。竜の気まぐれってやつ?」

「……もし俺がそれをストロフライにお願いしてたら。今のスケルはいなかったと思います。竜が手を加えたスケルトン、なんていうのがどんな代物になるか、見当もつきませんけど」


 どこぞの洞窟にある椅子のように理不尽なまでに頑丈になるだけか、それとも歌って踊れるスーパースケルトンでも誕生したのかもしれない。


「なんで頼まなかったの? スラ子ちゃんが生まれるまで、君はぼっちだったんでしょ。自作のスケルトンをたった一人の友にして、引きこもってたワケなんだから」

「アカデミーのときみたいに」

「そう。アカデミーの時みたいに」


 俺は苦笑して、


「だって、竜ですよ。ちょうどいい案配なんて期待できないでしょう。ちょっと丈夫にってつもりで、それこそ千年いきるスケルトンにだってされかねない。俺なんか数年どころか、次の日に死ぬかもしれないのに。あんな辺鄙な洞窟に自分だけ残されるなんて、辛いでしょう」


 なるほど、と先生は頬をゆるめた。


「そういう君の考えなら、君が死ぬのと一緒にスラ子ちゃんが消えてしまうのを選ぶ方が自然だな。趣旨替えしたのはどういう心境の変化かしら。相手を道具とみなすか、子どもとみなすかとか、そういうこと?」


 ひどい勝手だこと、と先生は嬉しそうにののしった。

 俺は笑って、


「どうでしょうね。結局、自分勝手ってことにはかわらないでしょうけど」


 でも。


「変わったんだと、思います」

「君が?」

「周りが。……あのころは、ぼっちでしたから。俺が死んだら、スケルは一人っきりです。スライムと蝙蝠はいますけどね。――今はそうじゃない」


 俺が死んでも、シィがいる。スケルがいるし、カーラやルクレティアがいる。地下にはリザードマンやマーメイドがいて、外からは頻繁にさわがしい妖精たちが遊びにくる。


「俺なんかがいなくなったところで、世界はなにも変わりませんよ。俺が死んだくらいで世界が終わるだなんて、そんなふざけた話はないでしょう」


 だから、スラ子は生きるべきだ。

 確固とした自分の断言に、ふと不安に思って先生をみた。


「やっぱり勝手ですかね」

「そりゃ勝手でしょうよ」


 先生はつまらなそうにいった。


「勝手に生きてない生き物なんて知らないもの。私は魔物だよ。君も魔物だ。魔物が好きに生きてなにが悪いの」


 手早く編みあげた、ちいさなクッションを投げてよこす。見舞い品ということらしい。


 それに、と先生はつづけた。


「そっちの方が周りにとってもありがたいかもね。さっきの話だけど、君が死んだ時にスラ子ちゃんが大人しく消えてくれる保証なんてないんだから」

「……どういう意味です?」

「そのままだよ」


 先生は皮肉そうに頬をもちあげた。


「大切な君がいなくなって、こんな世界なんてもういらない。滅ぼそう――だなんてことになっても不思議じゃないじゃない。この世界には、その気になればこの世界を壊せる相手なんていくらでもいるんだから」


 ああ、と瞳をまばたかせて、


「逆にいえば、スラ子ちゃんがそういう破滅的な行為にでないってことは、それはスラ子ちゃんの愛情が君だけじゃなく、君の周囲やこの世界そのものにも向けられているって証明になるのかもしれないな。ふむ、世界崩壊を天秤にかけた証明行為か」

「迷惑な話ですね」

「ホントにね」


 他人事のような相づちに同じような返答をかえされる。


「まあいいんじゃない。私個人としても、君が死んでスラ子ちゃんがいなくなってしまうのは、もったいないと思ってるし」

「そっちが本音ですか」


 先生は悪びれもせず、真顔でうなずいた。


「当たり前でしょう。私は学者で、君のスラ子ちゃんはきっと私の知りたいことをなんでも知っている。なんとしても手に入れたいし、手に入れようと思っているよ。今も、どうやってスラ子ちゃんを君から奪おうか頭の中で計画を考えてるところ」


 堂々とした発言に、俺は苦笑いして肩をすくめた。


「奪われるまで俺が無事に生きてればいいんですけどね」

「つまりはそういうことさ」


 先生が笑う。


「私に奪われるまで君には生きててもらいたいし、君が生きてるあいだは少なくともスラ子ちゃんの破滅は起こらない。死後について考えるのを無意味だなんて言わないけれど、そんなのベッドの上でならいつでも考えられることだしね」


 講義の終わりのようにピッチをあげて、立ち上がる。

 なぐさめだか犯行声明だかわからない言葉をのこして、先生は部屋からでていきかけて――その八本の足が途中でとまった。


「どうかしましたか」

「ん。ああ、いや。ちょっと思いついたことがあって」

「研究のアイデアですか」

「違う。ほら、さっきの私の台詞。世界を滅ぼせる生き物なんてありふれてるってヤツ」


 ああ、と俺はうなずいて、


「竜のことでしょう」


 この世界の規格外。

 規格外が規格外なまま、種族として確立までしてしまったという、他の生き物からしたらはた迷惑以外のなにものでもないその連中なら、たしかにこの世界を滅ぼすくらいやってのけるだろう。


 百年より昔、たった一匹の黄金竜が暴れたときでさえ、この世界は実際に滅びかけているんだから。


「うん、その竜のことなんだけど。そういえば不思議だなと思って」

「なにがですか?」

「だって竜は最強じゃない」

「最強ですね」


 なにかと比較するのも馬鹿らしい。

 陸海空とわず、あの生き物より強大な生命はこの世界にない。


「じゃあさ。マギ君、君は竜という存在が完全だと思う?」


 先生の問いかけに、俺は顔をしかめた。


 竜が完全か?


 ……竜は最強だ。圧倒的に無敵だ。

 精霊だって裸足で逃げ出す、あのとんでもない連中に敵う存在なんて思いつかない。


 正直、今のスラ子ですら、あのストロフライに勝てるとは俺は考えていなかった。

 それはほとんど刷り込みにも近い思いこみかもしれないが、そう思う。


 竜は最強だ。

 それは間違いない。


 でも、それは完全性と近似ではあってもそのものではない。


 ――竜が完全かだって?


 脳裏に、少し前に訪れた、というより連れ去られたストロフライの実家をおもいだした。


 そこには大勢の竜がいた。

 泣いて、叫んで。父親のことで鬱陶しがって、子どものことで心配して。そういう竜たちの生活があった。


 彼らは、少なくともあのときに俺がみた竜の在り方は、俺たちと変わらない。


 変わらないというなら。

 それは、完全ではないということだろう。


「……いいえ。竜は最強ですが、完全とかそういうふうには思いません」

「うん。私もそう思う」


 先生はにっこり微笑んで、


「何かの完全性を他者の存在を必要するかしないとかいう観点で見るなら、他者に関わっている時点で完全ではありえない。竜は我々より遥か高みにいるけれど、隔絶しているわけではない。例えその関わり方が、気まぐれに下界におりてきて、気ままに蹂躙するとかいう行為だとしたってね。なら、こんなちっぽけな世界にだって、きっと彼らにとっては意味があるんだろう」


 もしかしたら、マナやこの世界の在り方と同じくらいの謎かもしれない。

 先生は楽しそうにいって、首をかしげた。


「最強ではあっても完全ではない、竜という超越種が、実は我々と同じくちっぽけな生き物に過ぎないとしたら――いったい、あの彼らには何が足りないんだろうね? いったい、彼らは何をこの世界に求めているんだと思う?」


 素朴な疑問に、もちろん俺は答えなんかもっちゃいなかった。


 ただ、なぜか。

 そのときの俺の脳裏には、途方もない力をもてあまして自分の在り方に思い悩む、スラ子のことが思いうかんでいた。


 ひどく不吉な予感とともに。



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