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一話 三カ月ぶりのお出迎え

 人間の身体っていうのは不思議だ。

 ちょっと寝たきりで過ごしてしまうと、途端に運動機能がおちてそのうちまともに歩けなくなる。


 それは退化でもあり進化でもある。

 周囲の環境や状況にあわせて自分の状態を変化させる、つまりは適応というやつだ。


 ようするに人間っていうのは、人間にかぎらず生き物は、多分になまけたがるものなのだ。そういうふうにできている。


「――それで?」

「……いや別に。ちょっと休憩が欲しいって思っただけなんだけどな」

「却下します」


 爆発。

 周囲に立て続けに炎があがり、俺は悲鳴をあげながらその場から逃げ出した。


「し、死ぬぞ! あたったら死ぬぞ!」

「死ぬ気でやらなければ意味がありませんわ」


 連続する爆炎のなかを逃げまわりながら、冷ややかな声がとどく。


「それが嫌なら避けるなり、防ぐなりの手段をおとりください。……貴方様は以前、せめて逃げ足だけでも速くしようと洞窟の外へ走りにでられていましたね」


 風が吹いて、小奇麗な旅衣装に身を包んだ一人の姿があらわれる。

 右手の杖に収束した魔力を輝かせたルクレティアが、熱風に豪奢な金髪をたなびかせながら、


「それで正解です。指揮官の第一条件とは生きていること。将とは陣奥に在って情勢を掴み、判断して、命を下すのが役割です。集団を率いる者が強くある必要はありません。将は頭脳であり、実際に敵と剣を戦わせるのは兵の役割なのですから」


 朗々とした言葉に耳をかたむける余裕なんかあるわけがない。俺は必死になって周囲の状況に目をくばった。


 ルクレティアが盛大に魔法を連発しているせいで、あたりのマナが乱れまくっている。

 これじゃあ、どこから攻撃魔法が発現するかわかったもんじゃない。

 安全を確認して目をはなした次の瞬間、花火よろしく空まで打ち上げられているなんてことも十分にありえた。


「指示をだすべき者達を残して死ぬなど愚の骨頂。しかしながら、自分の命すら賭けられない指揮官に最後までついていく兵はない、というのもまた事実でしょう」


 少しでも爆発の勢いが弱いほうへと、適当に見当をつけて勢いよく踏み込んだ足元で、マナの輝き。


 魔法の起こりに、俺は反射的に周囲に魔法障壁をつくりだろうとして――駄目だ、と即断する。

 俺とルクレティアじゃ、もともとの魔法力に差がありすぎる。即席の障壁どころか、どれだけ念入りに張ったところで紙切れ同然に散らされてしまうだろう。


 一瞬で判断して、俺は目の前に組みあがりつつある障壁の位置をわずかにずらした。

 自分に対して平行に展開するのではなく、斜めに。

 爆発を正面からうけとめるのではなく、受け流すように配置させて、その障壁の成型に邪魔にならないよう上半身を無理やりひねって畳み込む。


 直後、爆発がおきた。


 その衝撃を上空に反らしつつ、それでも防ぎきることができずに障壁はあっけなく砕け散った。

 熱風が叩きつける。


「――っ……、!」


 声もなくそれに吹き飛ばされて、俺は二回、三回と地面を転がりまわった。


 意識が朦朧とする。

 どこまでも冷静な声がひびいた。


「――ご主人様、貴方には才能がおありになりません。自らの武勇に恃んで兵の信頼を得ることも、それを鼓舞することも不可能です。ならばせめて、他の者が安心して戦えるよう、貴方はどんな状況でも生き延びなければなりません」

「そりゃあ、わかるんだ。けどな……」


 口のなかにたまった土や砂利をはきだしながら、うめいた。


「……鍛えてくれるのは嬉しいが。物事には順序とか、程度とか……。そういうのがあるんじゃないか」



 少し前、スケルの敵討ちとひきかえに、俺はほぼ全身重症という始末になった。

 ようやくベッドから起き上がれるようになったのは約一月後。

 なまりまくった身体をベッドの上から引きはがすように、身体の慣らしにはげんで――なんとか全身を引きずるようにして歩けるようになったのがつい一週間ほど前のことだ。


 その頃にはアカデミー内の権力争いも沈静化にむかっていて、俺たちは時期をみてアカデミーを出立した。


 ギーツとアカデミーの話し合いもおおむねのところすんでいて、というかルクレティアが全部すませていたから、その承諾もふくめてギーツに話をもちかえる必要がある。ルクレティアの立場は領主代理であって、決裁権はギーツ領主のノイテットにあるからだ。

 実際にはルクレティアが仕切っているようなものでも、何事にも形式というのは必要ということだろう。


 それに、洞窟をでてもう二か月になる。

 いい加減にはやく帰って、懐かしい面子の顔をみたい。洞窟のスライムたちに会いたい。


 すぐにアカデミーを発つことには俺も異存どころか大賛成だったが、ようやくベッドから起き上がりだした怪我人にとって、約一月という洞窟への帰路はかなりキツかった。

 馬車に揺られているだけでもしんどいが、馬車の横を長時間歩くのだって、いくらゆったりとしたペースでも死にもの狂いになる。


 そして、いったん旅にでたらもう逃げ場はない。

 どれだけ旅路が辛かろうが、目的地につくまで耐えるしかない。それができなかったら道端に躯をさらすことになる。

 だから普通、旅なんてのは自分の体調が悪い時に出発したりはしないもんだ。


 ――まあ、そのくらいのほうがいいリハビリだ。


 それなりに悲愴な決意をかためてそんなふうに考えていた俺が、その考えすらも甘かったことを思い知らされたのは出立したその日の午後のことだった。


「さて。ご主人、いっちょやりますかっ」


 昼休憩にと小川近くで馬車をとめて、食事をとり。ささやかに腹をみたした後、さわやかに宣言してきたのは頭も体も真っ白い元スケルトンの魔物少女。


 その時点で俺はかなり疲労困憊だった。

 休憩中、ちょっとでも休んでおこうと幌にむかおうとしていた足をとめてふりかえって、


「やるって。なにを」

「決まってまさ」


 にんまり笑ったスケルがこほんと咳をついて、


「えー。貧弱なご主人を鍛え上げる有志の会、会員ナンバー04のスケルであります。ドーゾよろしく」


 その時点で、もう嫌な予感しかしなかった。


「今日から我が家に着くまで、ご主人には我々の特訓を受けてもらいます! なお、栄えある講師陣にはカーラさん、ルクレティアさん、タイリンさん、ツェツィーリャさん、そしてすぺしゃるな監督官としてなんと! スラ姐がいらっしゃいます!」

「ようするに全員じゃねえか」

「はいっ。よーするにこちらの疲労は気にしないでオッケーっす!」

「こっちの疲れを気にしてくれよ」


 正直、今は話をするだけでもキツいくらいの体調だった。

 五分でもいいから横になりたい。そんな俺の話なんかはなからきいていないように、うんうんとスケルは頭をうなずかせて、


「魔道、体術。それぞれのすぺしゃりすとをこれだけ用意したからには、きっと成果がでないわけがありません。いくらご主人の才能無さ加減が天井知らずだろうと、人並み以上――、……いえ、せめて並み程度には近づけることができるはず!」


 ぐっと拳をにぎりこんで力説するスケルに、俺は渋面でたずねてみた。


「……今日からじゃないと駄目か? せめてもうちょっと旅に慣れてきてからとか。拒否権は」

「んなもんあるわけないっす」


 即答された。


「ご安心をっ。午後のご主人は馬車のなかでゆっくり休んでいいってことらしいですから。寝心地はスラ姐が改善してくれますし、安心して全体力を使い果たしてもらって結構ですぜっ」


 俺は黙ってスケル以外の顔をみまわして、様々な表情に承知の旨をうかべているのを確認して、最後に残った一人へと視線をむけた。


 薄青い半透明な顔から、なにかを迷っている視線がかえってくる。


「――わかった」


 俺は息をはいた。


「でもスケル、お前が講師ってなにを教えてくれるんだよ。魔法だって使えないし、身体をうごかすのだって別に得意ってわけでもないじゃないか」


 スラ子からつくられたスケルは、どんな傷をおってもたちどころに回復する。

 大した特性だが、逆にいえば特性らしい特性はそれだけだ。生モノスケルトンゾンビとでもいうような、そんなスケルから戦闘について教わるようなことがあるか疑問だったが、


「そりゃ、さすがに今日は初日ですから。いきなり激しい運動ってのは厳しいでしょう」

「ああ。一応、そういうのも考えてくれてるんだな」


 安心した。


「ええ、もちろん。ですから今日の訓練は――メンタルです!」

「……メンタル?」

「はいなっ」


 顔をしかめる俺に、スケルは晴れ渡った青空のように爽やかにうなずいて、


「まだろくに体の動かないご主人を無理やり羽交い絞めにした挙句、あられもないところを曝け出して間近からじっくりと舐めるように凝視し続けます! いざ羞恥心に耐えてメンタル強化!」

「前言撤回だ、バカ野郎!」


 俺は心の底から罵声をあげた。


「なんで真昼間からこんな全員の前でそんな辱めをうけにゃならんのだ!」

「問答無用! ちなみに、それでご主人が悦んだりしたら色々な意味でアウトっすからお気をつけを! ちょっとでも手加減してほしかったら語尾にスケル最高ってつけやがってくださいっ」


 ぎらりと瞳をかがやかせたスケルが飛びかかってくる。


「やめろォ! くるな! ――やめてくださいスケル最高!」

「はいアウトー!」



 ……人間の身体っていうのは不思議だ。

 もう無理だ、ダメだと思っても、意外とそこからまだ先が残っていたりする。


 とはいえ、それは決して無尽蔵の力を意味しない。気合をいれれば折れた骨がくっつくわけでも、そがれた肉がもどるわけでもない。


 人間の身体に不思議はあっても奇跡はない。


 それに限りなく近しいものとして魔法があるが、それも万能なんかじゃない。

 何事にも順応しようとする生物の仕組みは、その不可思議な現象の結果にすら“慣れて”しまう。


 魔法による治療を自然のものとして受け入れてしまえば、いつしか身体は魔法以外で自分の身体を治癒する術を忘れてしまう――それもまた適応で、いわゆる便利の不便性というやつだろう。


 身動き一つしないでなんでも日常生活をこなせる大魔法使いが、椅子からまったく立ち上がらない生活のせいで足腰をよわめて早死にした、なんてのはこういうときによく例えにだされる話だが、実際に俺たちはそういう力のそばで日々を生きている。


 それは、俺のようにたいした魔法力のない人間の場合でもおなじで。むしろ、俺の場合はなおのことだった。


「……お立ちください、ご主人様。そんなふうに寝そべっていては、直撃を受けたらひとたまりもありません」


 ちょっとした回想からもどると、声。


「順序も程度もわきまえております。なまりきった貴方様の身体を鍛えあげるには、負荷をかけるしかありません。いたずらに長い時間をかければいいというわけでも。だからこそ、午後の時間は機能回復に努めてもらっているのです。適度な刺激と休養、その反復しかありませんでしょう。それは危機回避行動の取捨選択も同じこと。難敵を正面から撃破する力も、一瞬の天啓から勝機を掴む閃きも期待できない以上、想定される事態への対応とその経験をあらかじめ頭と身体に叩き込んでおく以外にありません」


 それとも、と語りかけるルクレティアの声に皮肉めいた響きがこもった。


「そうした地道な行いがお嫌ということでしたら、話は簡単です。すぐにでもスラ子さんにお願いになればよろしいのですわ。それだけで事足ります」


 ……きっと、スラ子はあっさり望みを叶えてくれるだろう。


 たとえば、このなまりきった身体をすぐに動けるようにしてほしいってだけでなく、前よりずっと強靭にしてほしいとか。

 情けない魔法力もどうにかして、世界で一番の魔法使いにしてほしいとか。


 ルクレティアが満足するだけの指揮官とやらの器に、能力だって。なんでもできるスラ子なら一瞬で、俺という存在をそう作り変えてくれる。


 ――それは、スラ子のつくった世界に浸ることとなにが違う?


 だったらどうして俺はあのとき、あれだけ痛い目にあいながらエキドナと対峙して。黒いスラ子を否定して、スラ子とケンカまでしてそれに抗ったんだ。


 だからこそ、ルクレティアはそんなことを言ってきているのだ。俺が腹をたてるだろうとわかって、このうえなくわかりやすく挑発してきている。


 まったく人間ってのは不思議だ。

 腹をたてる気持ちがあるだけで、まだ終わってない。


 骨はどこも折れてないし、肉もそがれていない。

 多少、ヒビがはいったり、こんがり焦げついているかもしれないが。それだけだ。


「……っ、ふざ。けんな――」


 全身に喝をいれて、たちあがる。

 平静な顔でこちらをみおろす綺麗な美貌をみあげて、奥歯をかみしめた。


「……いっつもいつも、澄ました顔で正論ばっかりいいやがって。見おろされて悦ぶ趣味なんざ、俺にはないんだよ――。……絶対、いつか、見おろしてやる」

「結構なことですわね」


 ルクレティアがうなずいた。


「私にも殿方を見下ろす趣味はございません。できれば、見下ろしてもらいたいと思っているのは閨でのことに限りませんわ」


 俺は顔をしかめて、


「……なんでそういう話になるんだよ」

「この程度で動揺されては困るからです」


 そして。

 不意をつかれて再開した爆発の連打に、俺はまともにそれを受けて高々と空へと舞いあがった。



「――せっかく身体を奮い立たせたところで、冷や水を浴びせられただけで気がそれてしまっては意味がありません。口先で攪乱をはかるというのは、ご主人様のようなお方こそがとるべき手段でしょう」


 プライベートなことをもちだすなんて、ありか。ありなのか。


「どんな状況でも生き延びてくださいと申し上げました。正々堂々や遠慮などしている余裕がおありになりますか」


 盛大に吹き飛ばされて、今度こそ身体がぴくりとも動かない。

 転がった姿勢で空をみあげたまま怨嗟の声をあげた。


「……なら。今度は、胸もんでやる」

「羞恥心が期待できる相手ならそれもよろしいでしょう。その後で向けられる報復に対処できるというのでしたら」


 ちなみに、とルクレティアは冷ややかにつづけた。私なら、そのような狼藉者の手は炭化するまで焼却してさしあげますが。


「駄目じゃん……」

「別に駄目ではありません。行動には反動が伴うというだけです。……今日はこれまでにいたしましょう。スラ子さん、後はよろしくお願いします」

「了解です」


 遠ざかる気配といれかわりに、地面にノビた俺を支えるように不定形の感触がさわる。

 人型をとったスラ子が、俺の肩をだくように馬車までつれていってくれた。


「ふふー。今日はまた随分と念入りにやられましたね」


 耳元の声に、ぐったりと頭をふりながらこたえる。


「あいつ、絶対愉しんでるよな……」


 毎日の訓練相手は、日替わりで全員に掛け持ってもらっている。

 カーラはこっちの身体のことを気にかけながら体術を手ほどきしてくれるし、スケルはからかうような嫌がらせをしかけてくる。タイリンは遊びかなにかと勘違いしているし、無言で矢を射かけてくるツェツィーリャの殺意はほとんど本気に近い。


「どうでしょう? でも、趣味と実益が適うのなら、それはいいことです」

「趣味と実益、なぁ……」


 それぞれ本気で、あるいは楽しみながら相手をしてくれるというのなら、たしかにありがたいことだった。

 大怪我明けのリハビリには過酷だが、そのかわりに午後は馬車で休ませてもらっている。


 ルクレティア曰く、傷んだ身体で無理やり長時間歩いたところで、その分どこかに負担がかかって別の場所を悪くするだけでリハビリにはならないという。

 だから短時間に身体を痛めつけて、その後はたっぷりと休ませるべきらしい。


「くっ……。うおぉ。疲れた……」


 スラ子の介助をうけて幌のなかに転がり込んで、そのまま手足をほうりだす。


「マスター。毛布をどうぞ。手当てが必要なところはありますか?」


 スラ子にたずねられて、俺は転んだり吹っ飛ばされたりして散々な身体をあちこちまさぐって確かめてみた。

 打撲はそこら中にあるが、ヤバい感じの痛みはない。


「ああ、サンキュ。傷は――たいしたことない。このくらいなら、放っておいて大丈夫だ」

「そうですか」


 スラ子は残念そうに肩をおとした。


 スラ子は俺との訓練に参加していない。最初のスケルの説明で監督役にされていた理由を俺はたずねなかったが、多分、それはスラ子が自分からいいだしたことなんだろう。


 理由は、スラ子が悩んでいるからだ。


 ――なんでもできるのに、なにをしたらいいかわからない。なにもできない。

 いや、なんでもできるから。か。


 スラ子がそういう悩みをもっていることを俺はしっている。それどころか、スラ子にそう悩ませているのは俺自身だ。


 そのことで悩みに悩んだスラ子が起こした騒ぎが、アカデミーでの一件で――そして、あの黒スラ子の存在。


 スラ子がもう悩まないことに決めた結果が、あの黒いスラ子の在り方だというなら。

 やっぱり俺は、スラ子に悩んでいて欲しいと思うのだ。


 だってそうだろう。


 スラ子が生まれてからまだ半年だ。

 これまで二十年生きてきてろくなことをやってない俺なんかがいうのもあれではあるけれど、たった半年で自分のことがなにもかもわかる必要なんてないじゃないか。


 もっと色々経験したり、悩んだり、間違ったりしていいはずじゃないか。


 ……俺はスラ子の悩みに答えてやれない。

 万能だからこその悩みなんて、俺なんかにはとても実感できない。


 でも、実感できなくたって想像はできるし、その想像が見当違いだったとしても、そのことでスラ子に愚痴られるなり、文句をいわれるなり、ケンカするなり。そういうことはできる。


 スラ子をたった一人にしないことは、できる。


 俺はスラ子にもっと悩んで欲しいと思うから。俺には、スラ子がそうできる場所をつくる責任があった。


 俺の卑しい動機と、その後の幸運や偶然でうまれたスラ子という存在。

 そのスラ子がいくらでも経験して、悩んで、間違えられる居場所をつくってやる。


 なんでもできる必要なんかない。

 ――なんにもできないなんてこと、あるもんか。


「スラ子」

「はい」

「膝枕、してくれ」

「はい、マスター」


 そばにひかえる不定形の存在をみあげると、スラ子は笑った。


 笑っているような、泣いているような。

 ちょっと大人びた笑い方だった。


 ◇


 洞窟への帰路は順調にすすんだ。


 途中でギーツによって、アカデミーで協議された内容について報告をいれる。

 ギーツの街と魔物たちがつくるアカデミーの経済的交流。それは現時点では話が始まったばかりで、実際に事がすすむのにはまだまだ時間がかかる。


 俺たちが持ち帰った案件を領主につたえるだけでなく、ギーツの有力商人や各組合への根回しも必要になる。各勢力の利益配分や、魔物と関わることのリスクとリターンの説明。賛成派と反対派を冷静にみきわめ、柔硬まじえた手管でいいくるめ、切り分けて無力化させ、組み伏せる。


 そういった政治的仕業はまさにルクレティアの本領発揮というところで、バーデンゲン商会の用意した宿屋に陣取り、多くの重要人物と会合をもって粛々と悪巧みをすすめる貴族然とした令嬢の姿には、すでに街を裏から牛耳る支配者の貫録すらただよっていた。


 依然、厳しい状況にあるギーツ経済の立て直しと、そのためのアカデミーとのやりとりにはルクレティアの才幹が必要なことは誰の目にもあきらかで、領主はルクレティアの街への逗留を求めてきたが、ルクレティアはそれを断った。


「最近、祖父の健康がすぐれないとの連絡がはいりました。一度、メジハに帰らせていただきたく思います。もちろん、今後のことについてはバーデンゲン商会の方々をはじめ、皆様と密に連絡をとらせていただきますのでご心配なく」


 というのがその理由だが、もちろん町長の健康が云々というのはただの口実だ。


「ギーツに居座って事を進める方が確かに何事につけてレスポンスは早いですが、それではメジハが埋没してしまいますでしょう」


 ルクレティアはいった。


「私はあくまでメジハの町長の身内であって、その立場を忘れたつもりはございません。今のメジハは表だって物事を推し進める存在ではありませんが、だからこそ私がギーツに残っているわけにはいかないのです」

「あくまで、主導権はメジハにあるってわけか。ギーツにいる領主と、メジハのお前。どっちに決定権があるかってわかれば、メジハと商いをしようって連中も増えるだろうな」

「人が行き来し、物流が増えればそこは栄えます。バーデンゲンの方々はいい気はしないでしょうが……そもそも、物事において独占などという状態はあまり好ましい状況とは申せません。バーデンゲン商会には、アカデミーとのやりとりでこれから大いに働いていただくつもりです。彼らに機会を捉える能力さえあれば、十分すぎる商いが可能でしょう」


 紅茶を一口しながら澄まし顔の令嬢に、俺は気になることをたずねた。


「だが、お前がギーツにいないのを幸い、よからぬことを企む連中だっているんじゃないか? 世の中、全員が賛同するなんてあるわけがないんだ。そういう連中はどうする」

「無論、様々に蠢動していただけることでしょうね」


 ルクレティアは冷たく微笑んだ。


「聡明なエルフと違い、人間とはそういうものです。今いる反対者をどうにかして全員いなくしたところで、残ったなかから再び反対する者がでてきます。正義、道理、妬み、嫉み。利害、感情、そのどれでもなくとも、理由がなければつくってまで。人間はそうした混沌としたもので、人間とはそれでいいのです。ならば、人間を治めるということはその混沌を嫌うのでも、蓋をしようとするのでもなく、それに付き合うことでしょう」

「……利用するってことか」

「私に不満がある者は、私を追い払おうと結束するでしょう。ギーツにはそれを可能とする立場と力があります。彼らが御輿として担げる存在も」


 ルクレティアの言葉がさすものが誰か、すぐにわかった。

 領主。あるいはその息子。


「反対勢力をあぶりだすために、領主たちを使うのか?」

「彼らに現状を正しく判断する能力があれば、道を違えることもないでしょう。そうでなかった時は、それだけのことですわ。ジクバール様がいらっしゃる限り、そう浅はかな真似はされないとは思いますけれど」


 ルクレティアは肩をすくめた。


「……お前、どうしてこんなところにいるんだ?」


 嫌味ではなく、心から不思議に思って俺はたずねた。どう考えたって田舎町におさまってるような器量じゃない。


 ルクレティアは切れ長の瞳をほそめて、


「服を脱いでおみせになりましょうか?」

「呪印のことなら、わざわざ見せてくれなくてもわかってるよ」


 渋面になる俺に、ルクレティアが口元を釣り上げる。


「……そうですわね。すでになんの強制力もない以上、これにしたところで過去の理由にはなっても、これからの理由にはなりはしませんが。それも、新しい理由をいただいたばかりですので」

「理由?」


「ええ。貴方様がおっしゃいましたでしょう。自分を使ってみせろと。ですから私は、貴方を使える男にしてみせます。是が非でも、私にふさわしい器量になっていただくだけのことですわ」


 ルクレティアははっきりと宣言した。

 俺は顔をしかめさせたまま、鼻をならしてみせる。


「……悪いが、俺のダメさ加減をそうそう矯正できると思うなよ」

「その時は殺せばすむことですわ。生きているあいだはそれができるのですから、それは楽しいことではありませんか」


 豪奢な金髪の令嬢は平然とそういった。



 ギーツをでたあとは、もちろんメジハへ。

 ハシーナ栽培の瘴気騒動があった開拓村の様子も気になったが、そちらには寄らないことにしてまっすぐに帰る。


 その頃になるとあたりに植生する木々や光景にも見覚えのあるものがふえてきて、帰ってきたんだという実感がようやくわいてきた。


 メジハの手前でルクレティアと別れ、馬車からおりて洞窟にむかう。


 しばらく留守にしているあいだに、このあたりもすっかり冬になりかわってしまっていた。


 どこか寒々とした森のなかをすすみながら、一応の警戒はしておく。


 季節によってマナの活動には違いがあって、それが魔物たちの行動にも影響をあたえることはある。

 冬眠で森の動物たちが減ればそれだけで影響はあるし、それでなくとも森にいる以上、警戒をおこたらないのは常識だ。


 スラ子がいてくれるから、不意をつかれることはほとんどないが――そのスラ子がわずかに眉をひそめているのに気づいて、俺は声をかけた。


「スラ子? 敵か?」

「いえ、そういうわけではないんですが……」


 スラ子がいいにくそうにしていると、ふと前方でがさりという物音。

 カーラとタイリンが身構える。


 そこから姿をみせたのは、


「じゅ」


 縦長の虹彩をぱちくりと驚かせてから、気が知れた様子で手をあげてきたのは一人のリザードマンだった。


 それともリザードレディか?

 だが、少なくともリーザじゃない。蜥蜴人の判別はまだ俺には難しいが、さすがにつきあいのある若い相手のことならわかる。


 それに、見ればその蜥蜴人族は一人ではなく、その後からひょこひょこと数人が顔をみせている。



 ――三カ月ぶりに洞窟へ帰ってきたら、冬だというのにトカゲが外にでてきていた。



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