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十六話 それでも、それを拒む理由

 気がつくと、元の部屋にもどっていた。


 蜘蛛の巣がはりめぐらされたような一室。

 中央には繭につつまれたスラ子がいて、少し離れたところでアラーネ先生がノビている。


 この部屋にのりこんだとき、俺はすでに黒スラ子――スラ子のつくった世界にいたのだろうが、ここはそうじゃないってことがわかった。


 ――元の世界だ。


 理由も根拠もないけれど、なんとなくそれがわかる。


 俺がおいだされるようにでていったアカデミー。挫折と後悔と恥ばかりの世界。

 これまで生きて、これからも生きていく世界だ。


 繭につつまれたスラ子をみる。


 青く透き通ったスラ子は目をとじたまま、めざめる気配はない。

 その表情は、さっきまでのように苦悶するようなものではなくなっていたが、


「……マスターの、ばか」


 スラ子がぽつりとつぶやいた。


 寝言。


「なんの夢をみてんだか」


 苦笑する。

 多分、夢のなかでも俺と口げんかでもしてるんだろう。


 だけど、悪態をつきたいのはこっちだっておなじだ。

 なにしろ俺はたった今まで、スラ子と口げんかをしてきたばっかりなんだから。


 どれくらいかなんて覚えていない。

 何時間? 何日間?

 むこうの世界での時間感覚なんてとっくになかったし、喉のかわきも空腹もないけれど、とにかくひたすら長いあいだ、口論ともいえない幼稚な言葉をかわしあった。


 話した内容はさまざまだ。

 最初のほうは、俺が死んだあとの去就についてそれなりに真剣に語り合っていたつもりだったが――そのうち話が脱線して、洞窟での生活について。

 最終的に、俺のネーミングセンスの是非についての話にながれてしまうころには、最初の論点なんてまったく関係なくなっていた。


 そんなとっちらかった議論に、まともな結論なんてでるはずもない。

 何時間だか何日間だかを費やした耐久口げんかは、結局、うやむやのままに終わった。俺の記憶ではそうなってる。


 口論の答えがでなかったことについては、俺には別に不満なんかなかった。

 スラ子と口げんかできたってことが大切なんだから。


 ……スラ子と口論するのなんてはじめてだ。

 いや、ギーツにむかう途中でよった開拓村をあわせれば二回目か。


 だから、これでいい。


 今すぐ答えなんかでなくたっていい。

 答えがでてないんだから、また口げんかすればいいんだ。俺が生きているあいだは、それができるんだから。


 ――とはいえ、続きは休んでからにしてほしいところではあった。

 体に疲労はないが、頭のほうは疲れ切っている。しゃべりすぎなのかなんなのか、頭痛までするくらいだった。


 このままベッドに飛び込んでしまいたいが、……そうもいかない。

 スラ子がつくった世界から元の世界にもどったとはいえ、その元の世界がどういう状況なのかがわからない。


 エキドナのクーデターもどきはどうなった? アカデミーの守旧派と渡りをつけるといっていたルクレティアやヴァルトルーテは。ツェツィ―リャやカーラたちは無事なのか。


 スラ子をこのまま部屋にのこしておくことに不安はあったが、まずは外の様子を把握しないとはじまらない。


 俺が部屋の外にでようと扉にむかったところで、部屋の扉がひらいた。

 そこに姿をあらわしたのは脳裏に思い浮かべたなかの一人。髪をみだれさせた蛇人族の美女、エキドナが息をきらせてそこにたっていた。


「――スラ子さんは、」


 俺がなにかいうまえに、相手から口をひらいてくる。

 切羽詰まった声で、


「スラ子さんは、どこですか」


 低くこもった声でといつめられて、俺は肩をすくめて繭のなかのスラ子をあごでしゃくった。


「スラ子ならここにいますよ。ああ、今はちょっと眠ってますけどね」

「ふざけるな……!」


 蛇がうごいた。

 蛇腹が勢いよくはねあがる。まっすぐに伸びた尾先にうたれて、俺はおもいっきり室内をふっとんだ。


 壁に激突するのを覚悟して、頭に腕をまわす。


「ッ……!」


 ――痛いは痛いが、想像していたのよりはるかにやさしい衝撃。部屋中にひっかかった蜘蛛糸がクッションになってくれていた。

 視線を戻すと、目の前に形相をかえたラミアの顔がせまっていて、


「黒い方のスラ子さんは、どこにいったのですか!」


 余裕をかなぐりすてた声で吠える。

 俺は真正面から相手をみかえして、思いっきり馬鹿にしてやった。


「随分とあせってるみたいですね。たった一人いなくなっただけで、もう立ちいかなくでもなりましたか。そいつはまた随分と立派なご計画なこった」

「ほざくな!」


 したたかに殴打される。

 視界がぶれて、意識が飛びかける。口のなかを切ったらしく、鉄の味がにじんだ。


 ……どうやら歯は折らずにすんだらしい。

 もうろうとした意識で間抜けなことを考えていると、蛇の尾に巻きつかれ、強引に立ち上がらせられる。


「マギさん。黒スラ子さんはどこにいきました」


 無言をかえす。


 顔をしかめたエキドナが、黙ってまきつけた尾に力をこめた。

 万力のような力で締め上げられ、全身の肉と骨がみちみちと嫌な音をあげた。


「くっ……がぁ!」


 悲鳴をこらえようとして、おさえきれなかった声がもれる。

 唇の端をつりあげた蛇の女が、


「マギさん。似合わないことはやめてください。痛みをこらえて我をとおすなんて、貴方には似合いませんよ。貴方は戦士ではないんですから」


 落ち着きをとりもどした声音でささやいた。


「貴方は挫折したただの研究者です。アカデミーにも残れず、たいした魔素もうみださない辺境の洞窟に飛ばされた、ただの管理人。誰からも重んじられず、誰からも愛されない。貴方自身にはなんの価値もありません」

「……はあ、そうですか――ッぐああああああアアアアアアアア!」


 さらに圧が強まり、肩口のあたりでひどく鈍い音がした。ごりっという、耳障りな低音とともに激痛が脳髄をかけあがり、絶叫がでる。


「……貴方にはなんの価値もありません。けれど、貴方のつくったモノは別です。精霊を喰った不定形。世界を丸ごとつくってしまうような存在。マギさん、貴方は神をつくりだしたのです」


 ……叫びすぎて、喉がちぎれそうだ。

 げほげほと咳こんで俺がエキドナの言葉を無視していると、ふうっという吐息がきこえた。


 全身にからみついた尾の力がよわまる。

 解放されるのか、と思った次の瞬間、思いっきり投げ飛ばされていた。


「――――ッ」


 ご丁寧に、クッションがない方向を狙われたらしい。

 今度は容赦ない痛みが背中をつらぬいて、呼吸ができなくなる。あわてて肺をふくらまそうとして、ずきりと響く痛みにそれさえも許されなかった。


 やばい、あばらでも折れたか?

 大きく息を吸うこともできず、けれど身体は新鮮な空気をもとめて、かなえられない欲求にのたうちまわる。


 かぼそい呼吸でなんとか息をつないでいる頭上に、影。


「神のような力を手に入れたのなら。貴方は自分の幸運をもっと喜ぶべきです」


 地べたに転がる俺を、虫をみるような目でみおろしたエキドナがいった。


「分に似合わない力を得たことを、貴方は涙を流して感謝すべきなのですよ。何故ならマギさん、貴方は能無しなのですから」


 今さらそんなことをいわれても腹はたたない。

 かわりに俺は、さっきのスラ子の発言について頭のなかで愚痴をこぼしていた。


 ……俺が責められるのが好きだと? 冗談じゃない。こんな痛いのなんて誰が喜ぶんだ。アホか。


 頭をつかまれ、強引にもちあげられる。


「貴方は無能です。マギさん。そして無能のなかでももっとも性質の悪いものとはなにか、教えてあげましょうか」


 にっこりと微笑んだエキドナが、


「それは“無欲”です。力を持ちながら、なにもしない。力を行使せず、力に溺れもしない。そんなものよりは無能な働き者のほうがまだ価値があります。空回りしているところを誰かにおしつけるなり、暴走させて処断するなりで利用できますからね」


 さらに高く頭をひっぱられる。ぶちぶちと髪の毛がちぎれる音がした。


「欲がないものは、それすらできない。ただただ時間と可能性を浪費して、ひたすらに自分と周りとを腐らせていくだけです。ええ、なんの価値もありません。それとも自分は無能だから、それに見合って欲がないんだとでも思っているのですか? だとしたら、それは大きな間違いというものですよ」


 蛇がいった。


「無能だから欲がないのではありません。欲があるから、能を得ようとするのです。なにかを成し遂げたい。なにかになりたい。欲望こそが、全ての出発点なのですよ。自分は無欲だなどというのは、努力ができなかったものの言い訳です。無能だからいいんだなどというのは、努力を続けられなかったものが自分を慰めるための欺瞞に過ぎません」


 断言する蛇人族の瞳には、ゆるぎない確固とした信念――欲望が、ギラギラとかがやいている。


 強い眼差し。


 たしかにそれは、俺にはない類のものだった。

 アカデミーの在り方を転覆しようなんてだいそれた考えや、“魔族”だなんてもので魔物たちを糾合しようだなんて、俺じゃとても思いつきはしない。それを叶えようとする行動力だって。


 みおろしたエキドナがなにかを待っているようだったので、俺はいった。


「……ご高説だな」


 憤怒の表情になった相手に、思いきりどこかに投げ飛ばされる。


 三度、壁に叩きつけられる。

 もう悲鳴をあげる元気さえ枯れ果てて、だからってそれで痛みがやわらいでくれるわけでもない。


 折れたあばらが肺にでもささったのか、少しでも深く呼吸しようとすると激痛がはしるし、のどには血がまじって咳こんでそれが響いてまた辛い。

 背中どころか、全身痛くない場所がなかった。


 どう贔屓目にみても瀕死ってところだ。意識があるだけマシ……気絶したらそのまま目を覚ませないかもしれない。


「……貴方は最悪の無能者です」


 遠くから声がきこえる。


「それならせめて、そんな自分などさっさと見切りをつけて、貴方のつくったモノにすべてを委ねてしまえばいい。きっと彼女は貴方の意をくんで、貴方の望む理想郷をつくりあげてくれるでしょう。そうすれば貴方が非難されることもない。そこでなら、貴方がどれだけ無欲な無能者でも許されるでしょう。ご自分を無能だと知っているなら、どうしてそうしないのですか?」


 今にも途切れそうな意識に、全身の激痛が着付け薬になってくれている。

 それでも気を抜けばすぐにでも意識が暗転してしまいそうで、唇をかみつぶしながら顔をあげた。


 蛇腹をこすってこちらにむかいながら、蛇女が嘲弄の笑みをうかべている。


「貴方がそうしてしまうことで、あの山頂の黄金竜からの怒りが向けられることを恐れているのですか? いいえ、きっとあの竜のお方は、貴方がそうしたところで怒りもしませんよ。そんなものかとただ興味を失うだけです。竜にとって、我々などその程度のものなのですから。怒ってもらえるなどと思う方が烏滸がましいというものです」


 もちろん、とつづける。


「貴方への興味をなくした竜の気まぐれが、スラ子さんのつくった世界にむけられることはあるでしょうが――それも関係ないでしょう。貴方がスラ子さんに全てを委ねた時点で、全ての責任は貴方のものではなくなるのですから。神のごとき不定形と、神のごとき黄金竜。その両者が争ったところで、勝っても負けても、私達には次元が違いすぎて認識すらできませんよ。そしてスラ子さんは、きっと貴方になにも悟らせないでしょう。貴方はなにも知らず、生きていけるのです。あるいは、なにも知らないまま死んでいけるのですよ」


 語りながら目の前までやってきたエキドナが、そっと俺の頭をなでた。


「……それでも貴方がそうしないのは。それは、意地というやつですか」


 ――馬鹿馬鹿しい。

 唾棄するような声とともに、頭をつかみあげられる。


「貴方が貴方のためにはる意地に、いったいどれほどの価値があるのです。貴方個人の主観的な満足が、誰かを幸せにするのですか? 逆でしょう。そんなものは周囲を不幸にするだけです。欲はないが意地はあるなどとくだらない自己陶酔にひたるくらいなら、無能らしくさっさと全てを投げ出していればいいのですよ」

「――はっ」


 声がもれた。

 おもいっきり笑ったつもりだが、ほとんどかすれて吐息にしかならず、痛みをこらえてもう一度やりなおす。


「くっはっは、――ああ、痛え」

「……なにがおかしいのです」


 繭をひそめるエキドナをみあげて、


「そりゃ笑える、さ。意地? なんだよ――随分と。買いかぶってくれたもんだな」


 痙攣するように、頬をつりあげてみせる。


「意地だと? 自分のため、だって? そんなもんで意地をはれるほど、大した人間とでも……思ってたのかよ。今までのつきあいでなにを見てきてやがる、ばーか。そんなだから、せっかくの計画だって失敗すんだろうが」


 エキドナが顔をしかめる。

 黙ったまま先をうながしてくる相手に、俺はかぼそい息で呼吸をととのえて、


「……あいつは。スラ子は、なんでもなれる。なんでもできる。だけど、俺が俺である限りは――そうじゃない」


 自分という存在を認識するためには、他者が必要だ。

 自分以外の何物かが必要だ。


 けど、スラ子はなんにでもなれる。誰にでもなれる。

 なんだってできる。誰だって支配できる。


 不定形の、だからスラ子は自分というものがあいまいなのだ。


 自分ってものを理解させるのは、無限の可能性なんかじゃない。

 枠のない可能性はただ無秩序に広がっていくだけだ。


 でも、そこになにかの制限をもうければ――そこには枠ができる。その枠ができることで、自分自身を知ることができる。

 そして、その枠を壊すことで、可能性ってのはさらに広がっていくんだろう。


「他人っていうのは、自分のおもいどおりにいかないもんだ。けんかができる、相手のことだ。あいつには、あいつに支配できない誰かが必要なんだ」


 だから――俺は、あいつにはならない。


 俺さえ支配してしまったなら、きっとスラ子は一人になってしまう。

 本当に、なんでもできてしまう。


 無制限の不定形が、そのまま破滅をむかえないために。

 たとえば、“自分”を感じたいがためにあのヤクザな黄金竜を求めるようなことにならないために。


「俺って人間があいつにとって他人である限り。あいつは、なんでもできやなんかしない。俺程度の人間も自由にできない限り――神サマなんかじゃあ、ないんだよ」


 じっと俺を凝視したエキドナが、


「……くだらない」


 吐き捨てた。

 つかんだ頭をいきなりはなされて、顔面から鼻をうつ。


 顔をあげると、俺をはなしたエキドナがゆっくりと繭に眠るスラ子へとむかっていた。


「自分のための意地ではなく、他人のための意地? 屁理屈にもなりません。誰かのためになどというのは自分のためのものでしかありません。そんなものは弱者の言い訳です」

「……ああ、そうとも。俺は弱っちい人間だからな」


 そんなのはわかってる。


 だから、俺は五年間も洞窟にひきこもってきた。

 だから俺は、いつまでたっても弱いまま、そんな自分に呆れ果てて。

 だから俺は。誰かのためにだなんて自分をあざむいてまで、クソ情けない自分を奮い立たせてるんだ!


 全身の痛みを無視して、たちあがる。

 すぐに腰からくだけそうになるのを、歯を食いしばってふんばって、視界の敵をにらみつけた。


「――スラ子に触るな、蛇女。そいつは俺の大事な家族なんだ」


 こちらをふりかえったエキドナが息をはいた。


「……呆れました。きっと貴方の周りの方々も同じことを思っていると思いますよ。このスラ子さんも、きっと貴方に愛想をつかしたから、今も眠っていらっしゃるのでは?」


 揶揄するような口調に、俺は鼻をならして、


「子どもってのはよく寝るもんだ。それにそこのスラ子は絶賛、自分探しの途中なんだよ。ついでにいえば俺とは大げんか中だ。そりゃあ起きる理由がない。だいたいな」


 目の前の相手に中指をつきたてた。


「てめえなんぞをどうにかするのに、スラ子に手助けしてもらう必要なんてない。それがわかってるから、スラ子だって安心して寝てんだろうが。わかれよ、馬鹿女」

「わかりました――」


 蛇人族の美女が冷ややかに笑った。


「なら、そのスラ子さんの目の前で貴方を血祭りにあげてみせましょう。貴方の存在が彼女にとっての枷となっているのなら、それをなくしてしまえばいい。死んだ貴方を蘇生させた時点で、彼女は私の望む存在となる!」

「誰がさせるか!」


 吠えた。

 そのまま勢いよく駆け出したかったが、膝がふるえて一歩を踏み出すことすらできそうにない。


 威勢のいいことをいったはしたものの、今の俺はすでに満身創痍の状態だった。

 冗談でも比喩でもなく、ゴブリン一匹にだって勝てそうにない。


 ――だけど。


 絶対に倒す。

 この蛇女だけは、絶対に。


「死になさい――!」


 エキドナが尾撃をうつ。

 アカデミー所属のエキドナは、魔法だって俺以上に達者なはずだ。わざわざそれを使わないのは瀕死の人間相手にそんな必要はないと思っているのか、肉体的苦痛をあたえて俺の悲鳴をスラ子に届かせようとしているのか。


 相手の意図はともかく、その行動はこちらにとってもありがたかった。


 なにしろ俺の身体はボロボロだ。

 立ってるのさえ辛いんだから、距離をとって戦われたら追いかけようがない。


 迫りくる尾の先に、緩慢な反応しかかえせない俺はそれをよけようとせず、


「っ……!」


 硬い鱗でおおわれたそれに打たれるのと同時、それに両腕をまわして抱き込んだ。


「馬鹿なことを……」


 しがみつく俺に嘲笑をおくって、エキドナが自分の尾をひきあげる。

 はげしい摩擦熱に手の皮一面がずるりとむけ、指先にしびれるような激痛がはしった。


 何枚かの爪を剥がして飛ばしながら、俺は死ぬ気で蛇の尾をはなさまいと力をこめて、


「ファイア!」


 叫んだ。


 手のひらが爆発した。

 正確には、蛇の尾にだきついた俺の手ににぎっていた小袋――妖精の鱗粉をつめた、いつものあれだ――が着火され、燃焼反応をおこして一気に膨張した。


「……ッ!」


 エキドナの顔が苦痛にゆがむ。

 爆発の衝撃で、俺もエキドナの尾から吹き飛ばされ、そのまま床に叩きつけられる。


 ああ、なんだかもう痛くなくなってきたかもだ。

 それはそれでやばいと思ったが、まだ倒れるわけにはいかない。


 俺は悲鳴をあげすぎて沈黙しているような身体の各部位を叱咤して、無理やり全身をおきあがらせた。


 右腕一本しか使えないから余計に時間がかかってしまう。――左腕は、持ち上げることさえできなくなってしまっていた。


「……才能がないというのは哀れですね」


 エキドナがいった。


「腕一本を犠牲にして。そんな無様なやりかたでしか戦えないというのですから」


 しかも、と悠然と自分の尾をもちあげてみせる。


「そこまでやって、こちらに与えられたのはかすり傷程度。本当に、現実というのは残酷です」


 鱗粉の爆発をうけたエキドナの尾は、少し黒ずんで火傷の痕がみえたけれど、動かすのにも問題がないくらいの軽傷だった。

 それは、もともとの肉体的強度もあるが、障壁のせいだ。


 マナの力を行使する魔法使いは、まず自分の攻撃魔法から自分自身をまもらなければならない。

 だからこそ、マナの障壁は俺程度の魔法使いにも使えるくらい、必須のものだ。


 もちろん目の前のエキドナにそれを使えない理由がない。

 しかも、俺なんかよりよほど頑強な障壁を。


 ――普通に妖精の鱗粉を爆発させたところで、エキドナには通用しない。


 不意をつくか。

 あるいは、エキドナの張る障壁以上の威力をあてるか、だ。


「次は右手ですか? そのあとはどうするんでしょうね。器用に足でおしつけるのか、それとも口に噛んで含んででもみせるのでしょうか。貴方の顔面が炎に焼かれる様をみるというのも、少しは面白いかもしれませんが――」


 嗜虐的に蛇が笑う。


「あまり時間をかけるわけにもいきません。私にはやることが多くあります。そのためにも、はやく貴方のスラ子さんに目をさましてもらわなければ」

「……だったら、能書きたれてないで。さっさと来いってんだ」


 視界のかすむ目をすがめて、俺は吐き捨てた。


「そうしましょう。それでは、さようなら。マギさん――」


 別れの言葉を口にした、エキドナがとどめの一撃をくわえようと尾をふりあげるのをみて、俺は吠えた。


「スラ子! やれ!」


 ぎょっとエキドナが背後をふりかえる。


 ――繭のなかのスラ子は、眠ったまま。


「小賢しい真似を……!」


 エキドナがこちらを振り返る前に、俺は動いていた。


 渾身の力をこめて、走る。

 走るというよりは前傾姿勢になった体勢で転ばないよう、懸命に左右の足を前へとおくりだす。


 ふたつの小袋をつかんで、右手ににぎりこんで。


「――まったく」


 エキドナの直前までせまったところで、這うように地をしなった尾にあっさりとらえられた。


「注意をひきつけて不意をつこうなどと。そんなものが成功するとでも思ったのですか」


 呆れたようにエキドナがいった。


 ちらりと俺の右手につかまれたふたつの袋をみて、唇をねじまげる。


「袋ひとつでは足りないから、ふたつ。……どうやら、頭もろくに回らなくなっているようですね。それでも諦めない執念だけは、認めますけれど」


 ぐいと俺の身体をひきよせた蛇が、至近距離からささやいた。


「せっかくだから、爆発させてみれば如何ですか? 締め上げられながら、自分の小細工がまったく無駄だとわかりながら死ぬ方が、まだしも無念は少ないでしょう」


 ぎりぎりと胸部をしめつけられながら、余裕の発言をうけて、


「――そいつは、助かるな」


 俺は頬をひきつらせて笑った。


「ありがとよ。お前が近づいてくれたおかげで、角度を気にしなくてすむ」


 顔をしかめたエキドナが、はっと顔色をかえて俺の手元をみる。


 そこではじめて気づいたらしい。

 俺の右手ににぎるふたつの小袋。そのひとつに光る、黄金色の淡い輝きを。


「それは、まさか……!」


 エキドナが力をこめる。

 俺を締め殺そうとしながら、同時に自分の身体にまとう障壁を強化しようとする。


 だが――そのどちらとも、遅すぎだ。


 ひとつが駄目だからふたつ。

 そんな不確かな策にでるくらいなら、もっといい手があるだろう。


 爆発をあてるんじゃなく、爆発で飛ばしたものをぶちあてる。

 それも、ただの小石程度じゃ障壁に跳ね返されるかもしれないから――だったら、こいつをくれてやる。


「……あんたが欲しくてたまらなかった、竜の力ってやつだ。喰らって喜べ」


 小さな炎をおこして着火する。

 妖精の鱗粉がすかさず燃焼して、膨張する。


 その膨張した爆発力がもう一つの小袋にむかうが――そのなかにあるものは、多少の爆発程度じゃ傷ひとつつかない。


 なにしろ地上最強種の身体の一部だ。

 だから、その黄金色の鱗は、爆発から受けたエネルギーをそのまま推進力にして、まっすぐに吹っ飛んで。


 その先にあった、蛇の身体をその魔法障壁ごとやすやすと撃ち抜いた。


「かっ、は……!」


 目を見開いたエキドナの口から、大量の吐血がまう。

 黄金竜の鱗が貫いたのは、なんの偶然か身体の中央。蛇人族のそこには、人間とおなじように身体機能を司る重要な部位、心臓がある。


 そこを破壊されて無事な理由がない。


 そのまま相手が一言もなく絶命する様をしっかりと見届けてから、


「スケルの借りは、――かえしたぞ。クソ野郎」


 俺の意識は一気に闇におちた。



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