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十二話 黒く濁った狂気の固まり

「ドラ子、お前……どうしてこんなとこに!?」


 あわてて水槽まで駆け寄って、ちんまい生き物を拾いあげる。

 きゃっきゃと嬉しそうに腕をよじのぼろうとするドラ子を目線まであげて、


「なんでこんなところにいるんだよ? ――シィは? シィもいるのか?」


 不吉な想像が頭にうかぶ。

 まさか、俺たちが洞窟をでたあとに襲われたのか? それでエキドナたちにつかまって、ここまで連れてこられた。


 いや、とすぐに思い直す。


 俺が最後にシィたちと連絡をとったのは、ギーツの街だ。ルクレティアが当座の間に合わせとしてギーツの財政対策をしているあいだ、メジハにおくったタイリンの仲間――アカデミーでアサシンとしての教育をうけた子どもたちに手紙をあずけて、その返事がシィからとどいている。


 少なくともそれまでは、シィたちは無事だったはず。

 俺たちがアカデミーにむかって出立してから、襲われたのか? それで俺たちより先にアカデミーに着いた?


 そりゃよほどの強行軍なら可能かもしれないが――落ち着け。

 今、俺の目の前にドラ子がいることはたしかなんだ。……本当に、ドラ子か?


 じっと目の前の生き物を凝視してみる。

 いつも遊びでやっている変顔ごっことでも思ったのか、ドラ子が手をたたいて笑う。どこからみても本人にしか見えない、が。


「……シルフィリア。でてきてくれ、聞きたいことがある」


 精霊の感知能力をたのもうとしたが、風精霊からはなかなか応答がかえってこなかった。


 ――とりあえず先生たちと合流しよう。

 水槽の腋におかれた布巾でドラ子の身体を手早く拭いて、手のひらにのせる。


 さっきの部屋にもどろうと足をむけたところで、開け放しの扉から誰かがこちらの部屋にはいってきた相手とぶつかりそうになった。


「うわっと。すいません、って」


 そこでまた驚いた。


 やってきたのはシィだった。

 子どもくらいの身長の妖精が、びっくりしたようにこちらをみあげて、


「ごめんなさい……」


 そっとささやいた。

 かしましい妖精族にすれば大人しすぎる声。やっぱりシィだ。


「こっちこそ悪い。いやそうじゃなくて――シィ。どうして、お前がこんなとこにいるんだ? ドラ子も、」


 洞窟を旅立って以来、久しぶりに再会した、静かな眼差しの大人しい妖精は、俺からの問いかけに不思議そうに首をかしげて、


「ドラ子、を……」


 こちらにむかって手をのばした。

 手のひらのドラ子が、応えるようにシィにむかって両手をのばす。俺が黙ってドラ子をシィの頭のうえに近づけると、嬉しそうにそちらに飛び移った。


 むふー、とご満悦な顔で、ドラ子はシィの頭のうえの定位置につく。

 袖をつかまれる感触に視線をおろすと、シィの小さな手が俺の服をつかんでいた。


「……いきましょう。マスター」

「いくって、どこに?」


 当然の質問をむけると、シィはまた不思議そうな表情になってから、ぱちくりとまばたきした。


「みんなが、待ってます」

「みんな? みんなって、先生のことか? カーラたちもそこにいるのか?」

「います、けど……?」


 なんでそんな質問をするのかとばかりに不思議そうな表情。


 捕まってたわけじゃなかったのか。

 いや、そうじゃなくて――待て待て、状況が理解できないぞ。落ち着いて考えろ。


 なにか変だ。なにが変だ?

 まず、なにから考えないといけない――必死に頭をはたらかせながら、シィに腕をひかれるように保管室をでて、


「あれ。先生たち」


 先生とツェツィーリャがいなくなっていた。

 もう探索はすんだのか? なにもめぼしいものはなかったってことだろうか。にしたって、声くらいかけてくれてもいいだろうに。


「シィ。お前がきたとき、先生――ええと、蜘蛛人のやたらだらしない見た目の女の人と、ツェツィーリャ。ほら、知ってるだろ。あのおっかない目つきの悪いエルフ、いなかったか?」


 シィは困ったように眉をひそめてから、ふるふると頭をふった。


「そっか。……なんだよ、置いてけぼりかよ」


 いってから、そのつぶやきのあまりの馬鹿馬鹿しさに苦笑する。


 置いていく?

 外で黒スラ子が暴れていて、エキドナがクーデターまがいのことをやらかそうとしているこんな状況で、そんなことあるわけがない。


 それに――俺は自分の目の前を歩く小柄な妖精の後ろ姿に目をやった。


 ……違和感がある。


 シィが、ドラ子と一緒にここに捕まっていたとしたら。俺と会ったときの態度が、あまりに普通すぎる。


 ただでさえ、俺とシィは一月近く顔をあわせていなかったのだ。

 いくらシィが感情表現にとぼしい性格だからって、それでなんの反応もみせないのはあまりに不自然だった。


 以前、俺がストロフライに拉致されて帰省につきあわされたとき、奇跡の生還をとげたときにはたった数日会ってないだけで、すごくほっとした顔をみせてくれたのに。


 そりゃ、あのときは竜にさらわれたんだから、無事にかえってくるとは思ってなかったからこそのリアクションだったのかもしれないが。それにしたって、目の前のこのシィにはどこか違和感があった。


 俺は腕をひかれながら、左腕をのばしてそっとシィの背中の羽にさわってみた。


「っ――!」


 敏感な羽をさわられて、びくりとシィが飛び上がる。


 黙ってこちらを振り返った。

 恥ずかしそうに、恨んだような上目づかいでこちらをみあげてくる。その表情は、どうみても俺の知るシィにしか見えなかった。


「シィ、だよな。本物だよな?」


 ……まさか肌が黒くなったりなんかしないよな。黒シィとか、冗談じゃない。


 こわごわと訊ねると、シィは赤らんだ頬でまじまじとこちらを見つめて、


「マスター。体調、悪いんですか……?」


 心配そうにささやいた。


「いや、体調っていうか――頭は、混乱してるかもな」


 なにがなんだかわからない。

 誰か説明してくれ。なんていっても仕方がない。自分で状況を整理するしかない。


「……シィ、俺の質問に答えてくれるか?」


 大人しい妖精は、こくりとうなずいた。


「どうしてお前とドラ子が、ここにいるんだ? 誰かに連れてこられたのか? エキドナか? もしかして……黒スラ子か? スラ子のこととか、あいつを作るための材料にって、捕まえられたのか?」


 今のスラ子が在るのに、シィの存在は深くかかわっている。

 精霊をとりこんで暴走しかけたスラ子を安定させるために、シィは妖精にとって命ともいえる妖精の羽、その幼生体時の一枚をスラ子にあたえてくれた。


 まさかエキドナはそれに目をつけたのか?

 だから、あの黒スラ子はつくられたのかもしれない。実際、スライム核の魔法生体をつくるのに成功したって、精霊の捕食とその安定は“スラ子化”に必須のはずなのだから。


 だが、シィの羽は今も二枚きちんとそろってるし、妖精が羽を新しくするのは性分化を迎えるただ一回だけのはずだ。

 なら、黒スラ子につかわれたのは別の妖精の羽ということになる。


「……森の連中まで捕まってるのか? 女王たちは無事か? お前の他の仲間もここにいるのか?」


 矢継ぎ早の質問に、シィは困惑した様子で俺のほうをじっと見つめていたが、俺の質問攻めがひと段落すると、だまったまま、ぐいっと俺の腕を下にひっぱった。


「? かがめってことか?」


 こくりとうなずく。

 俺が頭をさげると、シィはそっと俺の額に手をあてた。


「熱は、ない。です……」

「いや。それは大丈夫なはずなんだが……」


 シィの真似をするように、頭のドラ子も俺の頭にむかって手をのばす。額には手がとどかず、髪の毛をひっぱるドラ子にめ、とシィが叱ってから、


「……マスター。ほんとうに、大丈夫ですか……?」


 そんなふうに心配そうにみつめないでくれ。こっちの頭がおかしくなったのかと不安になる。


「ああ、待ってくれ。ええと、とりあえず、みんながいるんだよな? わかった。連れていってくれ」


 シィがわかってくれないなら、他の誰かに話をきいてみるしかない。

 俺もちょっと混乱して上手く話せてないから、落ち着いておかないといけないだろう。


「こっちです……」


 まだ不安そうにちらちらとこちらを振り返りながら、シィに先導されて歩き出す。


 部屋をでて、人気のない廊下を歩いて、


「――シィ。スラ子は、そこにいるか?」


 思わず足をとめて訊ねると、シィはきょとんとした表情で、


「はい。もちろん」

「……そうか。ならいいんだ」


 さっきの部屋の探索もしないといけないが、つかまったはずのスラ子やカーラたちと再会できるのなら、そっちからでもかまわない。


 家探しするのにも人手は多くあったほうがいいし、なによりまずは状況を確認しなきゃならない。

 話の次第によっては、ルクレティアやヴァルトルーテとも合流をはからなきゃならないし――ていうか、先生やツェツィーリャはどこにいったんだよ。


「あっ」


 耳にふれたシィの声に意識を現実にもどすと、廊下のむこうからやってくる人影がみえた。


 耳の横を流れる一房以外は短めに髪を切った少女と、遠目にもはっきりと全身の色素がぬけていることがわかるもう一人。カーラとスケルだった。


「ご主人、こんなとこでなにやってんですー」


 駆けるようにやってくる二人に、ほっと安堵の息がもれる。


「なにって。とりあえず無事だったのか。よかった」


 カーラとスケルが顔をみあわせた。

 ぷっ、とスケルが笑みをこぼす。


「無事だったのかって。なんですかい、そりゃ。生き別れからの再会みたいなノリじゃないっすか」

「ホント。どうしたの、――?」

「いや、だってお前ら……」


 いいかけた言葉をのみこんで、俺はカーラの顔をまじまじとのぞきこんだ。


「……カーラ。今、俺のこと、なんて呼んだ?」


 活発な雰囲気の魔物見習いの少女がぱちくりとまばたきをして、


「なにって。――、どうしたの?」


 耳に慣れない響き。脳がそれを受け入れられないように違和感が残る。


 カーラが俺を呼んだのは、「マギ」ではなかった。

 俺が「マギ」になる前。極貧の農村をでて、魔法使いを目指してアカデミーの門をたたくまえの頃の名前。


 カーラがその名前を知っていることについては、別におかしくはない。

 いつだったか、マギとは違う名前があることをカーラには教えたおぼえがあるからだ。


 だが、そっちの名前でカーラが俺を呼んだことなんて今まで一度もなかった。ずっと、マスターだったはずだ。それに口調もちょっと違う気がする。


 ――違和感だ。違和感が、たまらない。


 俺はだまって、目の前の三人から距離をとった。

 心配そうに三人が眉をひそめる。


「ご主人? どうしたんすか?」

「――、大丈夫?」

「マスター、体調がすこし、悪いみたいで……」


 呼びかけを無視して、俺たちはじっと三人を凝視した。


 ……三人が三人とも、間違いなく本人だ。


 だけど違う。

 俺が知っている三人だけど、まるで俺が知らない三人のような。


 その言葉が、さっきのルクレティアとのやりとりを思い起こさせて。そういうことか、と俺は唇をかみつぶした。


「……スラ子。お前の仕業だな」


 その場にいない相手にむかって、といかける。

 いいや。そいつは必ずここにいる。その確信をもって、俺は怒鳴り声をあげた。


「でてこい! スラ子! いるんだろう!」

「――ふふー」


 とぷり、と近くの床から液体のようなものが盛り上がる。すぐに人型をとり、よく知る相手の姿をかたどった。


 外で魔物たちと大立ち回りをしているはずだった、俺の目の前にあらわれたスラ子――いや、黒スラ子が、


「はい、マスター。二回も私のことを呼んでくれて、すっごく嬉しいですっ」

「ふざけるな」


 心から喜んでいる不定形をにらみつけた。


「なんだこれは。三人になにをした。……それとも、これは幻覚かなにかか?」


 幻覚といえば妖精族の得意とする魔法だが、精霊と同等以上の力をもつスラ子なら、連中以上に強力な幻覚だって扱えるはずだ。たいした魔抵抗力もない俺くらい、一発だろう。


 スラ子はゆっくりと頭をふった。


「幻覚だなんてそんな。カーラさんも、スケルさんも、シィも、ドラちゃんも。全員、マスターの知ってる四人ですよ? ちゃあんと、マスターの、四人です」

「嘘をつけ」

「嘘じゃありません。私がマスターに嘘をつくことなんて、絶対にありえませんっ」


 真実のみを宣誓する口調でいってから、ふうっと息を吐く。


「それに、今のマスターには幻覚なんて効きません。今の私でも――いいえ、世界中の誰でも、マスターを惑わすことはできないんです。胸にあるそれが、マスターのことを護ってますから」


 スラ子の目線に視線をおとす。

 俺の胸元にうかぶうっすらと淡い黄金の光。……ストロフライの鱗。


「……さっきもそんなこと、いってたな」


 はい、とスラ子はうなずいた。いまいましげに。


「それは、マスターに対する精神操作だけを徹底して弾きかえしているんです。それ以外、マスターがいくら傷つこうが、どんな目に遭おうが、たとえ死んだって。なんの効果もありません」

「じゃあ、……これは、なんだ。お前はなにをした」


 困惑したようにこちらをみる三人、いや四人を横目にみて、


「この四人は、俺の知ってる四人じゃない。いや、四人は四人かもしれないけど、俺の知ってる四人とは違う。いったい、なにをした!」


 問いかけに、黒スラ子は妖艶な微笑でしばらく沈黙してから、


「――私はマスターになにもしていません」


 水に濡れた艶やかな声でささやいた。


「だから。やったのは、それ以外にです」

「……なんだって?」


 ふと気づく。


 いつの間にか、周囲に人の気配がもどってきている。いや、人ではなく魔物だ。

 アカデミーに所属するたくさんの魔物たちが、雑談なんかをしながら近くの部屋をではいりして、廊下を行き来している。


 そして、その魔物たちは、俺やスラ子の周囲だけを避けるように距離をおいて歩いていた。


 姿が見えないのや、存在を無視するのではない。

 距離をとって接することが当然の礼儀であるように、彼らはそうしていた。


「マスターをいじめた人たちは全員、私がこらしめておきました。マスターに優しくなかった建物は全部、私が壊してきました。だからもう、ここはそうじゃありません」


 黒いスラ子がいった。


「ここは、マスターのアカデミーです。全部、マスターのものです」

「なにを――お前、いったいなにをいってるんだ」

「マスターのものなんです。全部」


 困惑する俺をあやすような声。


 黒スラ子は穏やかな表情をしていた。ぞっとするくらいに。


「――マスターのことは、私が護ります」


 不定形が微笑む。


「マスターの望みは私がなんでも叶えます。マスターの敵は私が誰でも殺します。この世界は全部、マスターのためにあるんです。そういう世界に私がします。だからマスター。マスターはもっと、ずっと――なにもかも、私を頼ってくださいね?」


 黒ずんだ、半透明の、まっすぐに濁った眼差しが俺をとらえた。



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