七話 三様会談
次の日の昼、アカデミーとの間に会談の場がもうけられた。
広い会議室内に顔をそろえたのは、それぞれアカデミーの有力者として知られる邪妖精族、有角人族、有翼人族などの代表者たちだった。
組織運営に少人数での寡頭制をとるアカデミーでは、権力は個人あるいは種族の代表者に集中して、その勢力分布は様々だ。
個人の力量がすべてというのが魔物の不文律だが、その魔物たちが各人の思惑でつどって集団をなした結果、個と集団が微妙なバランスでせめぎあうという状況がうまれた。
そもそも、アカデミーは共同体ではあるが、そこに絶対的な法は存在しない。というより、どの種族にも納得できる成文法というものを、いまだに制定できずにいる。
もし揉め事があった場合、基本は古風にのっとった裁定方式――勝った方が正しい――をえらび、それではどうしても問題が解決しない場合、種族・勢力の有力者がでばってきて仲裁にはいる。
結局は、アカデミー上層部という“力”にたよらなければ集団の統率をとれていないのが、今のアカデミーの限界だった。いや、結局はどんな社会体制だろうと、なにかしらの力がなければ集団を統べることができないのはおなじだろうけれど。
対するもう一方側の席についたのは、俺とルクレティア。そしてヴァルトルーテとツェツィーリャ。風精霊のシルフィリアも姿はみえないが、彼女たちの近くにいるだろう。
二人のエルフの立場は、エルフ族の代表としてここにいるということで明確だ。
だが、俺とルクレティアのほうは少し複雑だった。
ルクレティアはギーツ領主ノイテットの代行としてこの場にきている。ギーツとアカデミーのあいだに金銭の融通やそれに対する権利譲渡などいくつかの取引がなされていたからだが、そのギーツにあった魔物勢力が壊滅した結果、両者間にうしなわれた連絡手段を中継する立場としてここにいるのが俺だった。
ギーツの近く、田舎町メジハのあたりで辺鄙な洞窟を管理する小物な魔物。
つまり立場としていうなら俺はあくまでアカデミー側にあるはずだが、この席位置を用意されているあたり、向こうにもお見通しではあるらしい。
「この度はわざわざご足労いただいてありがたい」
インプ族の男がしわがれた声でいった。
「先日、我々と友好関係にあったギーツの街でなにかの騒動があったという話は届いている。そこにいたはずの同胞たちからの報告も途絶えたことには、我々としてもひどく気に病んでいた。どうか納得のいく説明をいただきたいものだ」
自己紹介もなく、穏やかではあるがちくりと責めるような口調。
それに対するルクレティアは悠然と、みとれるほどに典雅な表情で微笑んだ。
「先日あった不幸な出来事については、その詳細は既にお手紙としてご連絡してある通りです。心を痛めているのはこちらも同様。だからこそ、領主様もわざわざ私をおつかわしになったのです。本日はどうぞ、良きお話し合いができればと思っておりますわ」
非の打ちどころがない返答に、左右の有角、有翼人族の男女が鼻をならし、中央の老人が低い哂い声をもらす。頭髪のない皺くちゃな青顔の視線が、ついと横にうごいた。
「……エルフ族の方々。長らくの間、我々と関わろうともしなかった彼の賢者の一族が、わざわざこんなところまでいらっしゃるとは。なにか余程の用件がおありということかな」
「率直に申し上げると、その通りです。風の噂にあれこれと、とても看過できないような噂話を耳にしています。今日はそのことについてぜひお話をうかがわせていただければと思っています」
にこりと微笑んでヴァルトルーテ。
……ルクレティアに負けず劣らず、こちらの笑顔も相当にこわい。
話し合いはこの二人にまかせておきたいところだが、そうもいかないよなと俺は内心で、気をひきしめた。
ちらりと俺をみやったインプの老人が、
「……さて。それで、両者のお越しになった用件だが」
――どうやら、場末の洞窟の一管理者なんて端にもかからないらしかった。
それならそれで気が楽ってもんだ。ただでさえこういう裏をさぐって突きあうようなやりとりは苦手なんだから、考えるのに集中できたほうがいい。
「まずはギーツの件についてから話を進めさせていただこう。それで、ギーツ側は今回の失態について、いったいどのような賠償をおこなっていただくお考えか?」
「賠償?」
ルクレティアが眉をもちあげる。
「それはいったいどのような意味でしょう」
「意味もなにも」
老人が哂う。
「先日のギーツの一件は、どうみてもそちら側の失態。つまりは人間族同士の争い事であったはず。我々はそれに巻き込まれただけのこと。受けた被害はもちろん、誠意も含めてみせていただきたいというのは当然のことではないか」
「随分と面白いことをおっしゃいますこと」
ルクレティアも哂った。
「先日の一件は確かに人間同士の争いごとではありますが、その騒動の根幹にいったいどのような代物が関わっていたか。それを承知の上でまず一言目に賠償などとは、とても誠意ある態度とは思われませんけれど」
「いったいなんのことかわからぬな。我々はギーツ領主ノイエット氏との間に幾らかの取引をしていたが、決して騙すようなことはしておらぬ。全て合意の元で行われたことだ。貸し付けた金貨の支払いを求めるのも、認められていた街での行為権利を再度求めるのも当然だ」
「それについてはおっしゃる通り。しかし、その取引物のなかに猛毒が忍ばされていたとなれば、話は綺麗事ではすみませんわ。ハシーナ。まさかご存じないなどとおっしゃいませんわね?」
「……無論。貸し付けた金銭返却の一助にしては如何かと、商いの元としてそれを紹介したのはこちらである」
だが、と老人は皺の奥からみすえた。
「価値ある魔薬品となる代物を紹介することの、いったいどこに問題がある? 我々はそれの存在を明かし、推奨もしたが、それを利用することも販売することも押しつけてなどいない。ましてや栽培などと。それの抱える問題点についても、もちろん事前に説明はしてあった。全ては、ハシーナが瘴気由来のものであると知り、なお強欲に満ちたそちら側が勝手にやってことではないか」
「全くその通りですわ。欲に揺れ、過ちを犯すのは人間の性のようなもの。目先の欲望に流される者がいたとしても不思議ではありません。そう、忠義を働くべき主に対して、耳元で悪魔が囁く誘惑に勝てず不忠を働く者がいたとしても」
インプの老人が皺を深めた。
「いったい何が言いたい」
「その不忠者が証言しているのです。自分がハシーナなどという代物を取り扱うよう領主様に進言したのは、ある魔物にそう強く請われたからだと。その魔物は、ギーツで暗殺者ギルドというものを取り仕切る立場にありました。そう、貴方がたアカデミーの関係者ですわ」
「馬鹿をほざくな!」
有角人族の男が吠えた。
「その不忠者の言が正しいなどと何故わかる! その男の身柄がそちらの手中にある以上、どのような証言をさせるのもそちらの自由ではないか! そうでなくとも、その人間が我々に罪を被せるためにでたらめを申していないという証拠があるか!」
剛毛に蔽われた腕をたたきつけて吠える男に、ルクレティアは平然とした眼差しで首をかしげた。
「そんなものはございません」
「なんだとォ……?」
「証拠なぞございません。いったいそのことに、なんの問題があるのかと申し上げています」
凍るような冷笑をたたえて、ルクレティアはつづけた。
「此度の一件は正式な取引ではなく、密約の類。守るべき法もなく、罰せられる罪もありません。互いの信頼こそが唯一の仁義として成り立つものならば、猛毒の代物を相手に売りつけることのいったいどこにそれがありましょう? それを唯、相手の識見なしと断じるならば――こちらも、その不忠者の証言についてとかく言われる筋合いはございませんわ」
「ふざけたことを――!」
怒りにふるえた男が、席者をわけるテーブルを叩き壊そうとするかのように腕をふりあげる。
手をあげてそれを制したインプの老人が、
「……随分と勝手なことだ。まさか人間族は、そのような傲慢が許されるとお思いか」
「もちろんです」
いっそ堂々と、ルクレティアは宣言した。
「そちらこそなにか思い違いをされてはいらっしゃいませんかしら。人間とは、この大陸でもっとも凶悪な群生物なのですよ」
不敵な笑みで揶揄するように唇をゆがめて、
「まったく弱小な身体能力しかもたない人間が、今この大陸で繁栄種の地位にあるということがその証です。傲慢、勝手。強欲。それこそが人間です。貴方がたは、そんなことも知らず、人間社会の何事を倣おうとされていらっしゃるのでしょう」
まるで人間種族を代表する女王のような口ぶりで語るルクレティアに、そのとなりで俺は言葉もなかった。
――ひどい屁理屈だ。傲慢だ。
これじゃあまるでこっちが悪役じゃないか、と考えかけて頭をふる。
……この世界に正義なんてない。客観的にみれば悪と悪の、主観で正義を名乗る立場同士の争いなんだから。
「……横から口をだすようで心苦しいですが」
それまで話に参加していなかったヴァルトルーテが口をひらいた。
「ハシーナという瘴気性植物については、それがどのような活用方法であっても、エルフ族としてはこれに強く抗議します。実際に使うのは売りつけた相手側なのだから、自分たちには非がない――などというのは無責任です。そのような行いは、決して精霊の許されるものではありません」
「我々は精霊に背く意思などもちあわせてはいない」
「それなら、そうなる可能性のあるものは取り扱うことすらないよう、自ら範を示してください。瘴気を生む植物を普及することが、いったいどれほど恐ろしいことかはおわかりでしょう」
魔物側の三人が沈黙する。
表情はそれぞれ違っても、どれも納得していない様子がありありとしていた。
特に有角人族の男など、さっきから怒りにみちた眼差しをむけてきている。
たまにこっちをみるのが怖い。すごい怖い。
「……エルフ族の方にそこまで言われてしまえば、否応もない」
やがて、真ん中にすわるインプの老人が重苦しく息をはいた。
「ハシーナについては今後、どの他種族に関しても取り扱うことを禁止させていただく。これで結構かな」
「感謝します。お話の途中で間に割って入った無礼をお許しください」
ちらと老人の視線がルクレティアにむく。
「さて。ハシーナの件にはこちらにも落ち度があったと、これで認めないわけにもいかなくなったが。それで、そちらは悪いのはこちらなのだから、今までの取引はすべて反故にしたいとそうおっしゃるのか」
「まさか。そのような仁義にもとる行いを、領主様はお求めではいらっしゃいません」
ルクレティアが金髪をふった。
「ギーツの街がそちらから受けた融資については、利息分も含めてお返しします。加えて、アカデミーが今後もギーツに拠点をおきたいとおっしゃるのでしたら、そちらも最大限の配慮をいたします」
「ほう」
老人が意外そうに眉のあたりをもちあげて、
「つまり、これからも我々とつきあっていく意思があると」
「はい。ただし、今後の付き合いをするならば、それは裏での取引などではなく、正式な商いとして行っていただきます。今回の件も、つまりは互いの間にはっきりとした取り決めのないことが問題となったのですから、二度とこのようなことのないよう、互いにとってよい商いのルールを設けることが大切でしょう」
「――待って。待ってください」
ヴァルトルーテが口をはさんだ。
「そちらについても、どうかご検討していただきたいことがあります。貨幣という代物を使うことによって、各々の欲望が際限なく肥大してしまうことを考えると、それ自体の使用を控えることも考慮にいれるべきではないかと――」
だが、今度の意見はアカデミー側にも、ルクレティアにもまるで取り合われることはなかった。
皺の奥から老人が、悠然とした微笑でルクレティアが視線をまじらわせる。
やがて、老人が深く長い息をはいた。
「……人間種族にはまだまだ倣うことが多い。それは事実のようだ」
「それでは」
「相手取るにはいささか以上に手強いようだが、だからこそこちらも学ぶところがある。そちらの言う通り、正式な取引のルールというものについて話を進めさせていただこう」
「ありがとうございます。感謝いたします」
ルクレティアが微笑む。
この場における自身の勝利を確信した笑顔だった。
「……まったく酷すぎます。私の意見なんて聞いてもくれないなんて」
その日の話し合いをおえて部屋に戻る途中、ヴァルトルーテはずっとぶつぶつと文句をいっていた。
「ハシーナのことではこちらが援護したんですから、今度はそちらが賛同してくれてもいいじゃないですか」
「なにをおっしゃっているのですか」
すました顔のルクレティアが肩をすくめる。
「ハシーナについて互いの意見が一致したからといって、どうしてそれ以外の意見まで同一にしなければならない理由になります。そうした取り決めが事前にあったわけでもあるまいし」
そもそも、と続ける。
「貨幣に頼らない社会体制? エルフの方々にできるからといって、それが他の種族にまで通じる道理はありませんわ。しかも、多くの種族や価値観をまとめあげるのに、否定をするのならせめてそれ以外の代案をだすのでなければ、議論の価値すらないではありませんか」
「ですから。きちんと精霊の教えに従いさえすればいいんです!」
「信仰心を否定するつもりはありませんが、他者の内面にまでそれを強制するのはいささか以上に傲慢ではありませんかしら。誰にでも一定の意味をもたらすだけ、まだ金銀貨幣の方が価値があります」
「なんてことを……!」
激しく言葉をあらそわせる二人に、もちろん俺は参加したりしなかった。
ルクレティアと口論したところでかなうはずがないし、女同士の口ゲンカに横やりをいれていい結果になったおぼえがない。
「おい。なんとかしろよ」
顔をしかめたツェツィーリャがいった。
「なんで俺にいうんだよ。そっちこそなんとかしろよ。自分の姉さんだろ」
「ああなったヴァル姉は止まらねえから言ってんだよ。金髪女のほうをどうにかしろ、手前の女だろ。殴るぞ」
「最後の単語だけ、どう考えても繋がりがおかしいだろ」
やれやれと頭をふって、
「ルクレティア。――おい、ルクレティア」
「……なんですか」
俺をにらむな。
「口論ならあとでやってくれ。状況を確認したい。向こうはルール作りに前向きだったが、とりあえず話し合いは上手くいってるって認識でいいか?」
「どうでしょう。確かに、先日の一件についてはほぼ満額の条件を引き出せたとは思いますが」
ルクレティアが頭をふった。
「実際のルール作りについてはまだなんの話もあがっていませんし、それに、話があったのは先日のことだけです」
「ストロフライのこと。っていうか、竜をどうこうって話はまるでなかったな」
てっきり、話の主題にはそちらがもちだされると思っていたのだが。
「はい。交渉事が一日だけの話し合いで終わるわけがありませんから、今日は顔見せといったところだったのかもしれません。竜云々についてはとても簡単に打ち明けられる話ではありませんから、こちらの態度を見極めようとしているのではないでしょうか」
もちろん、一回の顔見せですべてがとんとん拍子に進むなんて思っていたわけではなかったが、
「長丁場になる、か」
「はい。だとしたら、なおさら昨日のエキドナさんの発言が気になりますが――そちらも含めて、注意が必要ですわね」
「わかった。……ルクレティア、ありがとな」
ルクレティアが顔をしかめた。
「なんですか、いきなり」
「俺にあんな交渉なんてできるとは思えないからな。お前が来てくれて助かった。そのことでちゃんと礼をいったことがあったか忘れたから、今いった。悪いか」
金髪の令嬢が不気味そうにこちらをみて、
「別に悪くはありませんけれど。気味悪くはありますが」
悪かったな。
くすりとルクレティアが冷ややかな笑みをひらめかせた。
「――それに。言葉だけで女が満足するとでもお思いですか、ご主人様」
挑むような目つきでねめつける。
相手のいっていることを察して、俺はおもいっきり渋面をつくって。
ちらと横をうかがって、二人のエルフがしらけた表情でいるのを確認して、息をはいた。
華奢な腰をだきよせる。
ほとんど腹たちまじりに、俺は相手の唇に吸いついた。
小さく鼻にかかった声。
充分に時間がたってから、離れようとしたところに、ぐいと胸元をつかまれてそれを封じられた。
――俺が解放されたのは、そろそろ酸欠になりそうだと必死に暴れてようやくのことだった。
満足した表情で顔をはなしたルクレティアがせせら笑う。
「……そろそろ、多少の上達も見せてはいただけませんかしら。その体たらくでは、五年後にいざ私が貴方を殺そうという時になって、こちらの気を萎えさせることも叶いませんわよ」
艶やかな唇でささやいて、勝ち誇ったように歩いていく後ろ姿に負け惜しみの言葉さえかけられない、俺の背中から冷ややかな声がかかった。
「な、ヴァル姉。最低の小物野郎だろ」
「そうね。それにとっても情けないわ」
ほっとけ、と大声で叫びたいのを我慢して、俺は黙って歩き始めた。
言い訳だけはしたら負けなのだと、そのことはきちんと理解できていた。