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五話 精霊とマナの不思議

 顔をしかめて沈黙する俺をみて、先生は特に意外そうもなくうなずいた。


「とっくに思いついてたって顔だね。ま、当然かな」

「……そうですね。一応は」


 スラ子とおなじ存在を、もう一体つくる。

 それはスラ子が生まれてすぐのころはともかく、しばらくして色々と(主に金銭的に)余裕がでてきた段階で考えたことではあった。


 純粋に研究対象としてみるだけでも、なにか起こったときにそれが起きたのが一人だけじゃ、それがレアケースかどうかの判断もつけられない。

 スラ子のようにスライム核を利用した生体創造に付随する根本的な問題なのか、あくまで“スラ子だけ”の特殊な事例なのか。


 客観性を得るために試行数を増やすのはどんな学問や研究だって基本だろうけれど、スラ子という稀有な存在をそうした観点から捉えれば、二人目がほしいという考えには誰だっていきつくはずだ。


「それをしなかった理由はコスト? それともリスク?」

「……リスクです。スラ子のこともろくに把握できてないのに、もう一人っていうふうには思えなくて」


 そう判断したのは水精霊の一件があったからだが、それ以降のことも考えると決して間違っていたとは思わない。


「ふむ。まあ、自分の妹か弟ができたとして。君がそちらにばかりかまってしまえば、それで君をとられたと思ってしまうこともあるか。……頭のいい子どもというのは面倒だな」


 やれやれと肩をすくめた先生が、ああと指を鳴らして、


「なら、あれだ。子どもをつくってやればいいんじゃない?」

「子どもですか? スラ子の?」

「そう。要は愛情の矛先を分散することなんだろう。自分の子なら、愛情がむかないはずがない――なんていうのは極論だろうし、子どもに子どもを育てられるのかって問題もあるだろうけれどね。なに、それには周囲のサポートがあればいいんだし、別に片親だけがすべてを負担しなきゃならないわけでもない」

「そんな簡単に。だいたい誰が相手になるんですか」

「なにを言ってるんだい。そんなの、君に決まってるでしょうが」


 がたん、とカーラが飛びあがった。


「わっ。ごめんなさいっ」


 顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 ちらりとカーラに目をやった先生が意地悪そうに俺へと視線をながして、


「話、続けてもいい?」

「……大丈夫です」


 平静をよそおったが、上手くできたかどうか自信はなかった。


「ククッ。まあ、あれだ。マギくん、君にもいろいろあるかもしれないが、別に誰かと子どもをつくったからといって、他につくってはいけないというわけではないだろう? 人間の社会制度についてはよく知らないけれどね。しっかり責任をとってやればすむことじゃないか」


 第一だ、とあっさりいってのける。


「君は種族こそ人間だが、魔物だろう。普通の人間から見たら立派なアウトローだ。そんなところだけ模範ぶってどうする」

「別に模範ぶったりなんかしてません。……自分の甲斐性に、おおいに不安があるだけです」

「人生相談のノリになってきた。ま、嫌いじゃないが」


 先生は楽しげに肩をゆすぶらせた。


「とにかく、悪い手ではないと思うな。他ならぬ君との子なら、彼女も喜んで受け入れるだろう。姿かたちを自在にできるなら、そのための機能だって手に入れられない理由がない。ま、彼女が望めばだけどね」


 ……多分、その通りだろう。


 実際にスラ子は、壊れたスケルの残骸を自分のなかに取り込んで、新しい生命として生み出したことがある。

 あんなふうに、恐らくスラ子が望みさえすれば、そういう身体に自分をつくりかえることだってできるのだと思う。


 ――ふと、なにかがひっかかった。


 脳裏にからまったほんのわずかな違和感に、それについて俺が考えようとしていたところに、


「……そんなことは許されません」


 横合いから低い声がかかる。

 みると、おだやかな表情をこわばらせたヴァルトルーテが、敵をみるような目つきをこちらにむけてきていた。


「マギさん。駄目ですよ。そんな行為は、絶対に許されません」


 先生がからかうような視線をなげる。


「なんだい? エルフ族の貞操観念かなにかかい?」

「違いますッ」


 それに怒鳴るように言葉をたたきつけて、


「スラ子さんという“それ”は、体内に精霊を宿しているのでしょう。それと子を為すということは、つまり――“精霊とのあいだに子を為す”ということです」

「まあ、そうなるのかもしれないね。それが?」

「精霊と子をもうけるなどと、そんな行いが許されるはずがないでしょう……!」


 激怒といってもいい口調で、ヴァルトルーテがはきすてた。

 ほとんど温和な態度しかみていなかったから、俺はそんなヴァルトルーテの豹変した態度にびっくりして、言葉もなかった。


「ふむ。精霊信仰の賢人族か。エルフと実際にこうやって話をすることはあまりないからね、興味深い」


 先生が顔をエルフの二人にむけた。

 眼差しは、この家をおとずれたときの眠たげな印象はまったく消えうせて、知的欲求の輝きに爛々としている。


「精霊は絶対不可侵。何人もそれを侵してはならず、ただその教えに従って慎ましく自然に生きるべきだ――これが、私のざっとしたエルフ観なんだけど、なにか間違ってるかな?」

「……いいえ。あっています」

「なるほど。そのエルフからすれば、確かに精霊との生殖行為など冒涜以外のなにものでもないかもしれない。それで、ええと、名前がわからないんだけど」

「ヴァルトルーテです。こちらは、妹でツェツィーリャといいます」

「ありがとう。そういえば私も自己紹介してなかった。アラーネだ、よろしく。それで、ヴァルトルーテくん。君たちエルフというのはいったいどうして、そこまで精霊を怖れているんだい?」

「どうしてって、」


 ヴァルトルーテが眉をひそめた。


「そんなのは当たり前です。精霊は崇めるべきものなんですから。精霊こそがこの世界の秩序の担い手であり、我々はそれを――」

「ああ、ああ。そうじゃない」


 つまらなそうに先生が手をふって、


「そういうお題目じゃなくてね。たとえば、精霊とおなじように崇められている存在に、竜がいるだろう? どうして竜がそういう扱いを受けているかといえば――単純な話さ。彼らがこの世で最強だからだ。ほかのどんな生命より、精霊より。マギくん、君にならそれがわかるだろう?」

「え? ええ、そうですね。……身にしみてます、色々と」


 頬をひきつらせながら、俺はあわててうなずいた。


「その圧倒的な実力に見合う神性。だから竜を崇める種族は多く存在するわけだよ。では、精霊は? 彼らを崇める理由はなんだろう?」

「ですから。精霊こそがこの世界をつくった源であるからです」

「そう。それ」


 ぱしんと手をたたく。


「精霊こそがこの世界をつくった。原初、精霊から教えられた言葉としてまず伝えられるその話。それこそが精霊という存在の神性を証明している」


 だけど、とそこでトーンを落として、先生は冷ややかな表情をつくった。


「――それは、本当にほんとのことなのかな?」

「――――ッ!」


 二人のエルフの眉がはねあがった。


「あなたは、精霊を。私達を侮辱するつもりですか……!」


 殺意どころではない感情をたぎらせて睨みつける相手に、先生はおだやかな笑顔をむけて、


「まさか。そんなつもりはないさ。私は無信心者だけど、他人にそれを強制するつもりも、他人の信仰を否定するつもりもない。ただ、自分の学術的興味で言っているだけだよ」

「その言葉が、既に侮辱になっています……!」

「どうして? 私は、私の研究者としての立場から物を言っている。自分の意見を押しつける気はないが、意見そのものを口にするのをやめろと命令される理由はないね。聞きたくないなら、ここは私の家だ。帰ってくれてけっこう。自分と違った意見を耳に入れることもできないなんて、いささか狭量すぎる思考じゃないかと思うけどね」


 おちついた声音で、ものすごく辛辣な台詞だった。

 正論にくわえて挑発の言葉までまじえられて、エルフたちは歯ぎしりしそうなほどに表情をゆがめている。ツェツィーリャは、今にも弓矢をとりだしてもおかしくなさそうな形相だった。


 今にも流血沙汰になりそうな雰囲気に、俺とカーラは顔を青ざめることしかできない。


 やがて、


「……お話を、続けてください」


 噛みしめた歯をきしらせるように、ヴァルトルーテがいった。


「わかった。こちらも言葉には気をつけよう。重ねて言うけど、君達や君達の信仰を侮辱するつもりはないの」


 先生がにこりと微笑む。

 相手が謝罪してからいいだすあたり、本当にいい性格をしていると思う。


「これはあくまで個人の私見だ。だから聞き流してくれてかまわない――だけど、君達は不思議に思ったことはないかい? そもそも、精霊というのはいったいなんだ?」


 講義の口調にもどって話を再開する。

 先生の視線は、今度はこちらにむけられていた。


「マギくん。魔道の初等授業――いや、それ以前だな。この世界に属性はいくつある?」

「……属性そのものなら、九つでしょう。水火風木金土に、光闇月です」

「そう。天三属に地六属。そこにもう一つを加え、合わせて十で世界の均等は成ったと言われている。それを我々に教えたのも精霊達だった」


 息をはく。


「まずこれが不思議じゃないか? 属性、属性と簡単にいうが、この世に起こる現象はそう単純にわりきれるものばかりじゃない。たとえば、こういうのがわかりやすいかな」


 ぽっと、先生の手のひらのうえに小さな炎がともった。


「火。実にわかりやすい、火属性だ。魔道の基礎でもある。さて、――この火が生まれたことで、それにあぶられた空気は温度をもって上昇することが知られている。気流だ。では、この小さな火によって起こった現象は、果たしてどの属性によってもたらされたものだい。火属性、それとも風属性? 属性とはいったい何を現すのだろう。現象そのもの? それとも、現象以前のもっと異なる意味を持つのだろうか」


 さっと先生が手をふると火がきえる。

 次に先生はぱん、っと両手をあわせて、


「天の三属にいたってはもっと意味がわからない。光はいい。だが闇とは? 今、私の手のひらで包んだ中身を、完全に密閉できたと仮定しよう。今、この中にあるものはなんだい? 光がないということを、闇というのかね。それとも、闇とは霧のごとく這い出てすべてを閉じ込める、そんな代物を言うのだろうか。なら月は? 夜空に浮かぶあれが月ということを我々は知っているが、それがどうしてこの世界の創造に関わっている? 天三属の精霊、その姿が一度も確認されていないのは何故だい? 見たこともないのに、我々がそれがいると思っているのはどうして? ――そう。全ては、精霊がそう言ったからだ」


 両手をひろげる。

 そこにはなにもない。いや、目にみえないだけで、そこにも、それ以外にも、世界はあるモノであふれているのだけれど。


「……精霊は、マナを司る存在です。それはまぎれもない事実です」


 なにかを耐えるようなヴァルトルーテに、先生はやわらかくうなずいた。


「その通りだね。この世界はマナに満ちている。そして精霊達がそれを体現していることも間違いない。属性云々についても、どこか恣意的だと感じるだけで、まったく間違った話だとは思っていないよ」


 つまりね、と先生は続けた。


「不思議なのはマナそのものなのさ。万物に満ちて、万象を成す力の源。我々にとってあまりに身近にありすぎるから、その存在があることに疑問を抱くことはほとんどないけれど。マナという存在は異常だ。生物を進化させ、驚異的な能力を与え、他の種族同士の交配さえ可能にする。機能構造を比べてみれば、どう考えたってありえない異種族間でも生殖活動を可能にするなんて、まったく偉大としかいいようがない! ちょっと詩的に表現するとこうなるかな。――我々は、マナに支配されている。我々はマナの海に溺れ、そのなかに足掻く哀れな奴隷で、そして精霊はその管理者というわけだ」


 沈黙がおりる。

 やや熱をおびて一息に語りおえた自分を恥ずかしがるように、先生は小さく肩をすくめてみせた。


「失礼。話がずれてしまった。私が言いたいのは、ようするにエルフというのは、マナにそうした一面があることを正確に理解しているんじゃないかと思うんだ。だからこそ、それを怖れ、崇めている。君達は異種族交配にも否定的だろう? いや、異種族間での交配は基本、どんな種族でだって忌避されてはいる。それだって我々が無意識のところで恐れているからこそなのかもしれない。自分達の、種としての本来の在り方さえ容易に変容させてしまう、マナという力についてね」


 そこで言葉をくぎった先生が、ヴァルトルーテにむかって小首をかしげてみせる。


 やや長い沈黙のあと、


「……否定は、しません」


 苦い口調でエルフはうめくようにいった。


「うん。それなら、さっきの話もわかるなぁ」


 ほがらかに先生が微笑んで、


「そういう立場であれば、君達がスラ子ちゃんという存在をどういう目でみるか理解できるし、それとの間に子どもをつくるだなんて言語道断だっていうのも納得よね」

「どういうことですか?」


 俺がたずねると、先生はびっくりしたように目をみひらいて、


「なんで今の話でわからないのよ。ちょっと鈍いんじゃないか、君」

「ほっといてください。先生の話が展開はやすぎるんですよ。……どうして、スラ子が駄目なんですか」

「だから、言っただろう。スラ子ちゃんは、自分のなかに精霊を取り込んでるんだろう?」

「そうです」

「精霊であって、精霊でない。もしかしたら、君のスラ子ちゃんは、もっと近いところにいるのかもしれない」

「近い?」


 ここまでいってもまだわからないのかと、ほとんど見くだすような視線になった先生が肩をすくめた。


「精霊より上位の、この世界の在り方。――マナそのもの。そんなのはもう、神性の域に入ってしまってるじゃないか」



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