三話 魔王と黄金竜
魔王とは本来、個人を指す称号でも、種族内の階級をあらわすものでもない。
それはこの世界にあらわれた破滅的な災害が、名としていただく冠そのものだ。
そう名付けられた一番古い事象は、ほとんど記録にも残っていないはるか大昔のこと。世界中に蔓延した瘴気の感染病をいう。
世界中どこにでもあるマナを媒介して感染する、考えられるなかでも最悪な感染経路をもつその病は土地をこえ、種族をこえ、またたく間に世界中に広がった。
発症すれば完全致死率をほこる。
発症せずにキャリアとなる場合もあるが、本人にはもちろん感染源という自覚はないから無意識に疫病をまき散らす。感染をふせごうとしても、どうやればマナを封じ込められるのかなんてわからない。
そのまま世界が滅びたっておかしくなったその災害をおさめたのは、マナと同じく世界中に存在する精霊たちだった。
彼らは世界の危機にあらわれると、冷静にそれに対する処理を実行していったという。
その内容はきわめて合理的だったらしい。
具体的には、世界の南の果てに疫病ごと、病原体に触れた全てを封じ込めるという物理的な手段がそれ。
人でもそれ以外のどの種族だろうとかかわらず、動物も植物もかわりなく。
いっさいの情を排除して精霊たちのおこなった厳正な処断に、結果として世界は救われた。
だから、今でも世界の南の果てでは、その地下奥深くにその疫病ごと、すべては封じ込められている。
瘴気を基とするその感染病自体を撲滅させることは、精霊たちにもできなかったのだ。
魔王と呼ばれた災害の、それがもっとも古いものだが、逆にもっとも新しいものとなると――それは百年以上前の、魔王竜グゥイリエンのことになる。
世界各地の大陸を滅ぼしつくした、狂った黄金竜。
魔王が個人名をさすイメージが強いのも、おそらくこの前例が印象的すぎるからだろう。
たった百年と少し前ということでまだ記憶が新しいというのもあるが、なによりその被害が圧倒的すぎた。
死瘴病と呼ばれた瘴気性伝染病の被害もひどかったが、グゥイリエンは実際にいくつもの大陸を滅ぼしている。
世界の危機にふたたび精霊たちが降臨したが、超越種たる竜の前には彼らでさえ歯がたたなかった。
最終的には、どんなことがあっても我関せずという立場の竜族たちが、今回ばかりはおなじ竜族の暴走を止めるためにということで助力をして、その他、世界中に生き延びるすべての生命、種族が力をあわせた結果、かろうじてその黄金竜を倒すことに成功した。
二つの例は状況も経過もそれぞれ違うが、その他のいくつかの前例もふくめてすべてに共通していることは、それがどれも世界規模の災害ということだ。
その魔王――魔の王、という表現を口にした。
相手がいったいどんな意図でいったかはともかく、不吉な予感をいだくのには十分な発言だった。
「最悪だ。帰りたい……」
エキドナが去った部屋で、俺は机に突っ伏して絶望的なうめき声をあげた。
「前々からストロフライの近くをちょろちょろしてて、なに考えてんだとは思ってたが。まさか、あんな馬鹿げたことを考えてるとは……」
「魔族。そしてその王として竜を据える、ですか。なかなか興味深いお話ですわね」
感心したような声をあげたのはルクレティアだった。
「多種族間の意識を統一するのには、相応に強力な象徴が必要となります。互いに協力などしない唯我な生き方を、魔物たちはずっとしてきたのですから。力を共通言語として信奉する彼らに対する説得力として、竜以上の存在は考えつきません。なにしろ最強です」
「他人事みたいにいうなよ……」
「そういうわけではありませんが。可能であるかはともかくとして、壮大な計画だとは思います。以前、ご主人様が私と気が合うのではないかとおっしゃっていましたけれど、確かに少しお話ししてみたい相手かもしれませんわね」
ルクレティアとエキドナの組み合わせなんて、どんな謀略が飛び出すかわかったもんじゃない。
……考えるだけで寒気がした。絶対に近寄りたくないな。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいっ」
ヴァルトルーテが慌てた様子で口をひらいた。
「マギさんは、竜族とお知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか。……舎弟?」
「舎弟ですね」
「舎弟っすね」
スラ子とスケルが声をそろえる。
俺がいったんだからお前らまでいわないでもいいだろうが。
「うちの洞窟の上に住んでるからな。妖精たちからきいてなかったのか?」
ヴァルトルーテはともかく、ツェツィーリャはしばらく妖精の泉にいたはずだから、話をきいていてもおかしくはなかったが、
「聞いてねーよ。あの野郎ども、なんでそういうことをいいやがらねえんだ」
腹立たしそうにツェツィーリャが毒づくが、まあ妖精だから仕方ない。
「じゃあ、マギさんはその竜に許されて、下の洞窟に住んでいるということですか?」
「まあ、そうなるな。なにか問題か?」
「いえ、別に問題というのではありませんけれど。……びっくりです。竜が、下々の者を自分の近くに侍らせるなんて。ちらちらしてるのが鬱陶しいからというだけの理由で、精霊すら追い出すのが竜ですよ!?」
よほど衝撃だったのか、いつもおだやかなヴァルトルーテがやけに興奮気味だった。
まあ気持ちはわかる。
「っていっても、竜だからなあ。あれがどんな理由で俺たちを生かしてるかなんて、考えてもわかるはずがない」
「竜をアレ呼ばわりしている時点で、私からしたら信じられないんですが。里の精霊たちがきいたら列になって卒倒しますよ」
ヴァルトルーテが笑顔をひきつらせた。
「……でも。それじゃ、マギさんたちに危害を加えるということは、その竜にケンカをうるということになるんですか」
「それもどうだろうなあ」
うーんと首をひねって、
「なんだかんだいって世話好きだと思うし、なぜか目にもかけてもらってるけど。結局は暇つぶしだ。飽きたら即、殺されることだってあるかもしれない。なにせ竜だからな」
いっさいの理屈が通じない暴虐の体現者。
それが竜だ。
「暇つぶし。……なるほど」
ちらりとヴァルトルーテの視線がスラ子をなでた。ツェツィーリャが鼻をならす。
スラ子は超然とした微笑みのまま、それに気づかないふりをしていた。
「……情報を整理しましょう」
場に流れかけた不穏な雰囲気を察したようにルクレティアが口をひらいた。
「アカデミーの目的。それは、“魔族”という自分達の主体勢力を築き上げることでした。多民族国家に近い解釈でよろしいでしょう。今まで自儘に生きてきた、様々な魔物たちを一同にまとめあげるなどというのは困難どころではありませんが、それを可能にするために彼らが考えているのが、竜をその頂点として迎えること。ただしこれがアカデミーの総意かどうかはわかりません」
「いってたのはエキドナだからな。うちの監査をしていて、ストロフライのことをしってるからってことも考えられる」
こくりとうなずいて、
「ただし、まったくの個人的なものであるとも思えません。実際に暗殺者ギルドを隠れ蓑に人間社会を体験し、ハシーナなどという代物を使ってギーツの街で臨床をおこなっていた。彼らが貨幣経済を掲げようとしていることは間違いなく、そこで“竜貨”という単語が持ち出されていたからです。なるほど、たしかに竜を頂点とした国家的勢力が取り扱う貨幣なら、その信用はどんなものにも勝ります。しかし、これには致命的な問題があります」
「竜は飽きっぽい。自分を基幹においたシステムなんて、自分自身であっさり壊しかねない。そもそも、竜が神輿に担がれようとするなんて思えない」
「その通りです。竜は最強であり、群れる必要がありません。殺したいなら殺し、奪いたいなら奪う。自分が生きるのに集団という力を必要としないが故の、“最強”なのですから」
致命的なというより、大前提だろう。
竜を組織にくみこむ。あるいは組み込んだあとも、飽きてあっさりぶち壊されたりしないだけの方策がなければ、話にもならない。信用云々にもならないだろう。
「それに、そんなことになったらなったで大問題です」
ヴァルトルーテが頭をふった。
「竜が世俗にかかわるなんて、そんなこと。魔族の王だなんて、誰だってグゥイリエンのことを思い出すに決まってます。いえ、決して、竜がすべて魔王竜のような振る舞いをするわけではありませんが……」
――というか、ストロフライって実はそのグゥイリエンの娘らしいんですが。
教えたら相手が卒倒しそうだったので、俺は黙っておいた。
「まあ、あれだな。それを、俺をどうにかすることでなんとかしようとしてるってんなら、馬鹿げた話だ」
ストロフライに嫌われているとは思わないが、俺がそういったところであの天真爛漫な黄金竜が首をうなずかせるわけがない。
それどころか、
「山頂の黄金竜。あの方がご主人様に甘い部分があるのは確かでしょうけれど、それはなによりまずご主人様が小物らしく、身の程をわきまえているからだと思います」
「なんかムカつく言い方だが、間違いないな。洞窟の地下のときだけでも死ぬかと思った。あんな恐ろしい経験するのは二度とごめんだ」
結局、竜を組織の長に迎えようなんていうのはなんの実現性もない夢物語にすぎない。
うーんと首をひねったスケルが、
「ですが、そんなご主人でもわかることを、なんのあてもなく計画したりしますかねえ。エキドナさんも、随分と頭のいい方だったと思いますが」
「そのあたりは注意が必要ですね。なにか切り札のようなものがあるのかもしれません。いえ、それがなければこんなことを考えるはずもないでしょう」
それに、とルクレティアは思案げに顎に指をあてた。
「……気になることはもうひとつあります」
「なんだ?」
「先ほどの、エキドナさんです。随分と重要な情報をあっさり漏らしたような気がしますけれど、その意図がいまいち掴みきれません」
「そりゃあれじゃないのか。会談の前にちらっとだけ漏らして、話の進行をスムーズに――いや、たしかにおかしい。ないな」
「はい。こんなことを事前に聞かされようが、聞かされまいが、こちらが賛成するわけがありません。それはエルフの方々も同じはずでしょう」
「もちろんです。絶対に賛成なんかできません」
「反発しか予想されないことを、どうしてあのラミアの女性は口にされたのでしょうか。いいだすタイミングも悪ければ、上手い言い回しでもなかったと思います。あれではまるで、会談がうまくいかなければいいというかのよう――」
独り言のようにつぶやいてから、頭をふる。
「いいえ。あえて、そのように振る舞ってみせたということもありますか。いずれにしても、今の時点で断定するのは早計というものですわね」
「それがエキドナの思惑か、それとも他の誰かが関わってるのかって話もあるしな。アカデミーだって一枚岩じゃない。俺がいたころからそうだったからな」
判断するのには材料がたりなすぎる。
考えられることが多すぎて、頭が痛くなりそうだった。
「……とにかく話し合い次第か。くそ、結局むこうの手のひらって感じだな」
「そうでもありませんでしょう」
ルクレティアが肩をすくめた。
「情報は、どれだけあっても損はありません。きちんと取捨選択をして、それに惑わされることがなければよろしいのです。少なくとも、あのラミアの方が微妙な立ち位置にいることは確認できたのですから、初手としては充分ですわ」
意外な台詞に、なんとなくまじまじと相手をみてしまう。
「なんです?」
「いや、もしかして今、褒めてくれたのか」
ルクレティアに言動をけなされないなんてはじめてかもしれない。
金髪の令嬢が眉をしかめた。
「以前から、褒められた行いにケチをつけた覚えはありません。覚えがないというのなら、それは今までのご主人様の行いに問題があったのではございませんかしら」
「へいへい。すいませんでした」
肩をすくめる。くすりとカーラが笑った。
その隣で小難しい話にうつらうつらとしていたタイリンが大きなあくびをうって、
「マギはダメだふぁ……」
「今のは珍しくよかったって話だろうが」
睨みつけて、時計をみる。
疲れているのはタイリンだけじゃない。話し合いがいつからになるかはわからないが、それまではたしかに休んでおいたほうがよさそうだった。
「じゃあ、休憩にするか。そのあいだにちょっと、俺は人と会ってくる」
スラ子が眉をひそめた。
「どなたにです?」
「昔、世話になった先生がいるからな。挨拶してくるよ」
「あ、なるほど。じゃあ、わたしも――」
「いや。スラ子は休んでていい。ちょっと、いや、だいぶ変わった人なんだ。スラ子をみたら、どういう反応するかわからん」
「そうですか……」
スラ子が残念そうに肩をおとす。おっとり目のスケルが首をかしげた。
「んじゃあ、あっしも行かないほうがよさそうっすかね。でも、ご主人一人で行動ってのはちょっとまずいんでは?」
「そうだな。――カーラ、つきあってくれないか?」
「え? あ、はいっ。わかりましたっ」
自分に声がかかるとは思ってなかったのか、びっくりしたようにカーラがまつげをまばたかせた。
「せめてもう一人、どなたかお連れになるべきでしょう。私が参ります」
ルクレティアがいったが、いかにも体調が悪そうな顔色だったので、俺は首を振った。
「いや、ルクレティアも休んでてくれ。まだ本調子じゃないだろう? 話し合いじゃお前が先頭にたつことになるんだ、疲れててもらうと困る。タイリンもな。眠いだろ」
「……わかりましたわ」
「……うい」
となると、ついてきてくれそうなのはカーラだけか。
まさかいきなり襲撃されたりとかはさすがに――いや、ありえるな。日常的にそういうことがある場所だ。
やっぱりスラ子にもついてきてもらおうか。
先生本人には会わせたくないから、どこかで待機してもらっておけばいい。スラ子なら姿をかくせるし、と考えたところで、
「よろしければ、私がご一緒しましょうか?」
話をきいていたヴァルトルーテが口をひらいた。
「おい。ヴァル姉」
「いいじゃない、ツェツィ。マギさんたちにご一緒できたおかげで、苦労しないでここまで来れたんだもの。なにかお礼しなきゃ。ツェツィは休んでていいわよ?」
姉の言い分に、しかめっ面になった妹のエルフが、
「……ち。わーったよ。ただし、オレもいく。その小物野郎がなにしでかすかわからねえ」
その小物なんぞになにができると思ってんだ?
だがまあ、彼女たちが一緒にきてくれるというのは素直にありがたい申し出だった。
スラ子のことについて相談にいくのだから、そこに同席されるのはちょっとどうなのだろうというのはあったが――隠しておかなきゃならないことがあるわけでもない。
スラ子の現状と、これからどうすればいいかについて、エルフとしての立場からなにか建設的な意見がきけたらと考えるのはさすがに楽観すぎるだろうが、
「じゃあ、ちょっといってくる」
部屋をでる間際、こちらを見送る視線はどれも心配そうだった。