五話 エルフと魔物なアカデミー
「確かに、私たちの目的地はアカデミーです」
エルフがそう話をきりだしたのは、遅めの昼食をとって食後の紅茶をのみ、あまつさえそれをおかわりまでした後のことだった。
「やっぱりか。でも、なんの用なんだ?」
「アカデミーが開かれたのにエルフが関わっていたことは知っていますか?」
「一応、知られてるくらいのことならな」
この世界の大元にあるのは精霊だ。
世界の誕生とともに在ったといわれる精霊たちが、いくつかの生き物に言葉をつたえた。
伝えられた言葉や文字は文化の雛形となり、それらを各種族が独自に発展させたのがこの世界。
そして、精霊が指導した多くの種族のなかで、エルフはもっとも優秀な教え子だった。
エルフは精霊たちから教わったことを咀嚼し、自分たちの文明を拓きながら、同時に自分たちの知恵や知識をさらに多くの種族に布教した。
文字どおりの意味で、エルフは精霊の使徒となったのだ。
人間も、そんなふうにエルフから様々なことを教えられた種族のひとつだ。
食べ物の採り方。作物の育て方。火の熾し方。精霊と、マナとの接し方。
それから――集落の作り方や組織の作り方も。
魔王災害で世界中が疲弊した百年前、一部の魔物たちが扶助組織をつくろうとしたときも、彼らは求められた協力をこばまなかった。
それまで協調なんてしたこともない連中が、いきなり組織なんてつくろうとしても上手くいくはずがない。それがなんとか形をととのえられたのは、エルフの協力があってこそだろう。
そして、アカデミーが軌道にのりかける前に、彼らはアカデミーから身をひいた。
助言者としての役割をおえたからというのが理由だが、実際はあまりに自分勝手な魔物連中に呆れてしまったという噂もある。
アカデミーとエルフに関わりがあることは間違いない。
だが。だからこそ――今さらどうしてと思ってしまうのも確かなことで、
「ここ何十年か、エルフはアカデミーにノータッチだったはずじゃないか」
「あら。先祖が関わったという場所に、見学にいってみたいと思うことはおかしいですか?」
つまんだティーカップを優雅に一口して、にこりと微笑む。
「いつもはほとんど森から出てこないエルフが?」
「たまには森の外の空気を吸ってみたくなりますもの」
体よく話の矛先をかわされていることを自覚して、俺は渋面になった。
「そういうマギさんは、どういうご用件でアカデミーへ?」
「俺はアカデミー員だ。自分の所属先を訪ねるのに、それこそ理由なんて必要ないだろう」
「それもそうですね」
ぱったりと会話がとぎれる。
それ以上、向こうからなにかをいってくる気配がない。
俺は仕方なく自分から会話のカードを切ることにした。
「……目的は、いくつかあるけどな。一つは瘴気だ」
「――瘴気」
二人のエルフがわずかに眉をふるわせた。
「ああ。うちの近くの集落で、おかしなことが起きてた。それがどうも瘴気に関係あったらしい。知ってるか? ハシーナって瘴気性植物なんだが」
「ええ。知っています」
「それが、山の畑に植えられてた。そこからの瘴気が、土壌汚染と健康被害になってたらしい」
「植えられていた。つまり、自生ではなく、ということですか」
「あんなもん、勝手に生えてるもんでもないだろう」
「そうですね」
真剣な表情でヴァルトルーテがうなずいて、
「その畑は、今も?」
「いいや。山火事で全滅したよ。あんなもの、残っててもらったら大変だからな」
フードをかぶったエルフが小さく微笑んだ。
「なるほど。自然が失われたとあっては、あまり嬉しがってもいけないのでしょうけれど。でも、ありがとうございます」
「別にあんたらにお礼をいわれることじゃないさ」
「いいえ。瘴気がはびこってしまうことはとても危ないですから。そうした事態を防いでいただけたのなら、感謝して当然です」
深々と頭をさげる。
エルフとしては普通の態度なんだろうが、以前に別のエルフに襲われた経験が頭にのこっているせいで、いちいち驚いてしまう。
ちらりと視線を隣にむけると、テーブルに肘をついたツェツィーリャに思いっきりにらみつけられた。メンチきるなよ、怖いんだから。
「それでアカデミーへということは、その集落で用いられていた瘴気性植物にアカデミーが関わっていたということです?」
さらりと訊ねてくる相手に、俺は言葉の意味を十分に咀嚼してから、うなずいた。
「瘴気性植物なんて、誰でも知ってるわけじゃないしな。それに」
「それに?」
「――いったら、あんたたちがアカデミーにいく理由を教えてもらえるか?」
ヴァルトルーテが綺麗な苦笑をうかべた。
「随分とストレートですね」
「駆け引きは得意じゃないんでね。凝ったやりとりがいいなら、心当たりがあるんでそっちを紹介するが」
「わかりました。こちらもお話します。精霊に誓いましょう」
「……瘴気性植物が、ギーツで使われてた。ハシーナ入りの煙草。それを仲介してた魔物は、ここでギルドの看板をつかって色々と動いてたみたいだ」
「魔物が、人間の街で活動を?」
これには驚いたらしく、かるく目をみはる相手にうなずいて、
「ああ。ここの領主と裏で取引してたらしい。この街はけっこうな財政難で、それを補うためにハシーナ煙草を使おうとしてたんだ。それで、魔物はそれを融通するかわりに――」
「この街で活動していくための便宜を求めた、と。なるほど」
すぐに事態を把握した姉の横で、もう一人のエルフは半眼になっている。
「どういうことだよ。わかりやすく喋れっての」
「私たちが森の外にやってきた意味があったということよ、ツェツィ」
俺がなにかいうまえに妹をいさめたヴァルトルーテが、まっすぐな視線をこちらにむけた。
「ありがとうございます。色々と詳しく聞きたいことはありますけど、その前にこちらの事情からお話しますね」
「ああ。よろしく」
「まず、私たちがアカデミーにむかう理由は、アカデミーに問いただしたいことがあるからです。最近のアカデミーの活動について」
アカデミーの活動?
「アカデミーとは、魔物同士の扶助組織です。その基本的な活動は、魔物をうみだすマナの吹き溜まりの確保で、それ以外にも相互理解をうながす文化研究や、そもそも集団活動が苦手な魔物に対する経験学習。少なくとも、私たちはそうした認識をもっています」
「俺の認識ともそう違わないな」
「はい。けれど、森のなかで風聞をきくなかで、最近はそうではないのではないかと不安に思ってきたのです。アカデミーのある活動をきいて」
「それは?」
「経済活動です」
ヴァルトルーテがいった。
「組織をまわすために、何かしらの質とその循環が必要なことは私たちも理解しています。そう教えたのはエルフですから。私たちが危惧しているのは、それに使われているものです」
「貨幣か」
ちいさくエルフがうなずいた。
「……人間が得意とする貨幣経済。最近、アカデミーがそれに偏向しているのではないかと思われる行いが、色々と耳にはいってきています」
アカデミーの経済活動が意味を違えてきているというのは、ギーツの一件でもあきらかだ。
たしかにアカデミーは昔から色々やっている。
たとえば傭兵の派遣だったり、ダンジョンの建築・改築だったり。ちょっと呆れるくらい、なにからなにまで手広くやっていた。
だが、今回のケースで決定的に今までと違うことがある。
人間を相手にした経済活動ということだ。
貨幣を使い、個体種としては貧弱ながらこの大陸で繁栄してきている人間の行いに、アカデミーが関わろうとした。
それはようするに、アカデミーもそちらの道に足を踏み入れようとしているということになる。
「私たちの祖先は過去、いくつかの過ちを犯しました。その一つが、貨幣という存在を人間たちに思いつかせてしまったことだと言います」
「そりゃ、エルフみたいにみんなが素直なら、なにがあっても話し合いでなんとかなるんだろうけどな」
エルフは貨幣を使わない。
富や物は仲間同士で等しく分かち合い、そのことで争うこともない。
種として完成された種族。だから賢人族。
そんなふうに賢くないからこそ、人間が利用することにしたのが貨幣だった。
共通する価値観。
個人の生き方や趣味嗜好にかかわらず、誰にでも一定の価値をあたえてくれるその存在は、たしかに有用なのだから。
「ええ。しかし、祖先は諦めるべきではなかったのでしょう。理解されずとも、根気よく諭すべきでした。精霊の教えとその導き。正しい在り方というものを」
それが自分自身の行いであるかのように、エルフが顔をゆがめた。
「……立派な心がけだとは思うよ。実際、エルフってのはそういうふうにやっていってるんだもんな」
だが、そんなことが他の種族にも可能だなんてとても思えない。
それに、貨幣という便利な存在になれてしまってから、それを手放すことができるかっていうのも。
こちらの心中を察したように、ヴァルトルーテが苦く微笑んで、
「理想論をふりかざしても仕方ありませんね。けれど、黙っていられなくなったというのも間違いないんです。マギさん、あなたが先ほどいった瘴気性植物の一件。それと似たような話を、別の場所でも聞いています」
俺は顔をしかめた。
「今度の一件は、間違いなくアカデミーの意向ってわけか」
「まだ全体としてかどうかは。ただし、なにかしらの方向性にアカデミーの一部が流れつつあるということは間違いないんでしょうね」
「それで、あんたたちはアカデミーにいこうとしてると。それはわかったが、質問していいか」
「どうぞ」
「それはエルフ族の総意なのか? それとも個人的に?」
「立場としては、エルフ族を代表してと思ってもらって問題ありません」
落ち着いた容姿のエルフが苦笑した。
「本当は、関わるべきではないという意見もあったんです。けれど、ひきこもっているばかりでは駄目だと思って、許可をもらいました。ツェツィも賛同してくれましたし」
「目的は、アカデミーがどういう現状かを確かめることか」
「そうです。もし、いきすぎた経済活動に歯止めをもてず、瘴気性植物などというものまで利用するほどに彼らの我欲が膨れ上がっていたとしたら――そのような振る舞いは、必ず止めなければなりません」
「アカデミーが拒否したら?」
俺の質問に、相手はしばらく答えなかった。
「戦争か」
「……話し合いを諦めるつもりは、ありません」
ヴァルトルーテが答える。
「けれど、精霊とその在り方に反する行為を正すことも、私たちの使命です」
「なるほどね」
うなずきながら、胸のなかでおもいっきりため息をついた。
――いよいよ、ただことじゃない。
一歩まちがえればエルフとアカデミーの抗争にだってなりそうじゃないか。
……いや。
もしかしたら、これは異なる種族、異なる組織の争いだなんて意味合いではないのかもしれない。
あるいは、精霊と貨幣という異なる価値観の争いなのかも――
そんな途方もない規模の事態に、いままさに渦中に巻き込まれている己をはっきりと自覚して、
「まあ、瘴気云々については賛成するよ」
ようするに、無分別なのはよくないって話だ。
決まり事や約束事。
アカデミーが人間のように貨幣経済をやっていくのなら、そのあたりをしっかり整備しろってことで、目の前のエルフが話し合いといっているのもそういうことだろう。
「そうですね。ケンカをしにいくわけではありませんから」
にこりとヴァルトルーテが微笑んだ。
隣でつまらなさそうに話をきいていたツェツィーリャが、
「どうせ最後はやりあうことになるだろうけどな」
「こら。ツェツィ」
……こっちが使者じゃなくてよかった。
とりあえず、きいておきたいことは確認できた。
買い物もあるし、そろそろお開きにするかと思ってから、
「そういえば、アカデミーまでの案内とかいってたよな。場所わからないのか?」
「だいたいの場所は把握しています。けれど、なにぶん昔のことですし、周囲の状況もわかりませんから、道案内を頼めたらと思ったんです。でも、いきなりは難しいみたいですね」
滅多に人前にでないエルフからの依頼なんて、警戒されて当然かもしれないが。
さっきの組合の男の話をきいた限り、この街の冒険者ギルドにはそれ以外にも問題があるようなので、情報が欲しいなら他に話をきいてみたほうがいいかもしれない。
ふと思いついて、口にするか迷ってから訊ねる。
「なあ。よかったら、アカデミーまで俺たちと一緒にいかないか? 無理にとはいわないが」
「それは嬉しいお誘いですけど」
隣を気にするようにヴァルトルーテが視線をむける。
顔をしかめたツェツィーリャが、
「なんだよ、ヴァル姉」
「ツェツィはどう? マギさんと一緒に、アカデミーまで。ずぅっと皺いっぱいだとやっぱり大変?」
ふん、と鼻をならしたツェツィーリャが、こちらをにらみつけた。
「おい、ボンクラ。あの精霊喰らいは今、どうしてる?」
「……スラ子なら、今は別行動だ」
「ふぅん。別行動ねぇ」
意味ありげにつぶやいたツェツィーリャが、背伸びをするように腕を伸ばした。
腕をおろす。
その何気ない自然な動作のまま、いつのまにか両手に弓と矢がかまえられていた。
「っ……」
待て、のま、の字も叫べやしない。
警戒してくれていたはずのカーラさえ一歩も動けなかった。
一瞬で弓を引き絞ったツェツィーリャが、鋭い眼光のまま弦を解放した。
つがえられた矢が一瞬で俺の眉間をめがけて飛んで、
「――」
ぴたりと目の前でとまる。
不意打ちの一撃を受け止めた目に見えないなにかは、
「スラ子……?」
問いかけに、応える声はなかった。
ぽてっと力なくテーブルに落ちる矢から、その射手へと目をうつすと、
「そいつをどう思うよ? ボンクラ」
憎々しげな眼差しで俺を射抜いたままのツェツィーリャが吐き捨てた。
「どうって。――スラ子、いるのか? おいっ」
声はない。
ツェツィーリャがおおきく唇をゆがめた。
「はッ。やっぱか。気づいていやがらねー」
「気づく?」
「……マギさん。あなたがつくった、精霊を食べてしまったモノは。ここにはいません」
いいえ、とヴァルトルーテが首をふって、
「正確にはいないのではなくて、この街中に広がっています。この街で、あなたを傷つけることは誰にもできません。その矢のように」
「……どういうことだ」
「そういうことです。この街は全て、それに包まれているんです」
「ここにスラ子がいるってことか? ――スラ子。返事をしろっ」
返事はない。
じわりと手のひらに汗がうく。
なにかの悪い予感に狼狽するこちらを哀れむように、ヴァルトルーテが眉をひそめた。
「あなたを護っているのは、無意識でしょう。意識するまでもなく、それにとっては恐らく自然なことなのです。どこにでもあるマナのように。どこにでもいる精霊のように」
ふうとため息をついて、
「今、本体はどこかで別行動しているというなら、喜ぶべきかもしれませんね。まだ、時間や距離をこえて異なる場所に並立した意識まではもつことができないということですから。そんなものはもう、精霊を越えています」
敵意のない、しかし鋭い視線が俺をみすえた。
「――マギさん。あなたは“それ”に憑かれているんです」
脳裏にうかぶ、なにかの笑み。
それにぞくりと背筋をふるませて、足先から指先までつたわったふるえをまとめて、口のなかでのみこんだ。
「……教えてくれてありがとう」
はあ?とツェツィーリャが顔をしかめた。
「なんだそりゃ。手前、ここまで言われてまだ理解できねえのか?」
「わかってるよ。スラ子がヤバいことになってるってことだろ」
「だったら、ありがとうじゃねえだろうが。早いとこなんとかしねぇと、どうなると思ってやがる」
「なんとかするさ。だから、それを相談するためにアカデミーにいくんだ」
「なに悠長なことを……ッ」
「ツェツィ。少し黙って」
激しかけた妹をおさえて、ヴァルトルーテが落ち着いた声でささやいた。
「マギさん。もしそれがどうにもならなかったら、どうするんですか?」
「……あんたとおなじだよ」
眉をひそめるエルフに、
「いっただろ。諦めたくないって。それでも駄目なら、責任は――自分でとるさ」
「なるほど」
吐息をもらしたヴァルトルーテが、にっこりと笑った。
「ツェツィ、やっぱりご一緒しましょう」
「は? 冗談だろ、なんでこんなヤツらと!」
「だって、ツェツィも気になるんでしょう? だったら一緒にいったほうがいいじゃない」
それとも、と綺麗な笑みで小首をかしげた。
「今、あなたとシルが全力で“どうにか”できる? 街一つを消し飛ばすくらいでなんとかなるなら、それでもいいけれど」
とんでもないことを口にする姉に、妹のエルフが渋面になる。
「……ちっ」
おおきく舌打ちして弓をおいた。
「――勝手にしろ」
「ふふ、よかった。それじゃあ、マギさん。アカデミーまでご一緒させてもらえますか?」
「え? ああ、わかった」
「ありがとうございます。でも、勘違いしないでくださいね。精霊喰いは絶対に許されません。あなたも、あなたがつくったモノも、私たちは絶対に認めませんから」
柔らかい表情の奥底には、はっきりとした意思がこめられていた。
「……わかった」
同行するのは監視、あるいは“どうにかする”機会をうかがってってことか。
では、と礼儀正しい所作でヴァルトルーテがたちあがって、
「出発になったら声をかけてください。それまで、私たちもこの街に滞在します」
「連絡をとりたいときはどうしたらいい」
「広場の、大きな風見鶏が立っている宿に泊まっていますから、そちらまでお願いします。風の届く範囲なら、シルを呼んでもらってもかまいません」
「ちょっとォ。あたしを小間使いにしないでヨネー」
声だけがひびくシルフィリアの台詞をのこして、二人のエルフが去っていく。
途中でツェツィーリャがこちらをふりかえった。
「おい、ボンクラ」
「なんだよ」
「責任っつったな。ってことはつまり、どうにかできる自信があるってことか、そりゃ」
「……できることを全力でやるだけだ」
は、と嘲笑する。
「それで手前にどうにかできなかったらどうする。そんときの責任は、いったいどこのどいつがもってくれんだ?」
「……そうだな」
俺は肩をすくめて、
「――そんときは、泣きつくかな」
「はあ?」
「おもいっきりやれ。あとのことはまかせろ――っていってくれる親分がいるんでね。とりあえず、死ぬ気でやって駄目なら、素直に土下座でもして頼み込むさ」
「……なんだそりゃ。クソくだらねぇ」
呆れたらしいツェツィーリャが顔をそむけて去っていく。
それを見送りながら、空をみあげた。
今ごろ、どこかで黄金竜がくしゃみをしているかもしれない。
それの影響で天変地異がおきたりしてなければいいが、とちょっと心配だった。