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十八話 蕩ける夜にキョウセイを

「私には、王家の血が流れています。幼い頃からそう聞かされてきました」


 その日の夜。

 色々あってとりあえず宿に戻り、部屋でだらけているところだった。


 やってきたルクレティアが、開口一番いいはなった言葉に、俺は飲んでいたお茶を思いっきり吹きだした。


「……はァ?」

「別にそう珍しいことではありません。私の母が王都へ奉公に出ていた際、偶然に高貴なお方の目にとまったというだけです」 

「え、それって。え?」


 話がいきなりすぎて頭がついていかない。

 それはようするに、ルクレティアの父親が――ええ?


 狼狽する俺の様子を楽しむように冷たく笑ったルクレティアが、


「よくあることと申し上げましたでしょう。身分の高い相手に女が手折られ、子を孕み、そのまま他へ下賜される。珍しいことではありません。私の母がそれで、生まれたのが私です」


 下賜。つまり自分の家来の誰かに、嫁にさせたってことか。

 そりゃ、人間の貴族社会じゃよくあることなのかもしれないが。なんというか。


「母は下級貴族である父に嫁がされました。無論、本当の父親が誰であるかは、口にすることは許されませんでした」

「でも、それをお前が知ってるってことは。聞かされたんだろ?」


 隠し子とかそういうのは、普通の貴族でだって一歩間違えればお家騒動になるのだから、それが王族の場合どんなことになるか。

 一国の後継問題にルクレティアがかかわるなんて、あまりに現実味がなくて笑ってしまうような話だったが。


 ルクレティアは俺の想像にあっさり水をさすように、肩をすくめてみせた。


「血などというものは、周囲に認められなければ意味がありません。少なくとも我が国では、彼のゼルトラクト神国のような顕著な証が、王族の外見的特徴としてあるわけではありませんから。私の母の出自や、あるいは私自身が男児であればまた状況は違ったかもしれませんが、その時は恐らく私の命はなかったでしょうね」

「……いいとこの出じゃなかったり、そもそも継承権がない女児は、ってことか」

「よくあることなのです」


 ルクレティアは淡々とくりかえした。

 そうすることで、自分自身を納得させようとしているようにも聞こえた。


「しかし、それを弁えなかった人間がおりました。私の母と、祖父です」

「メジハの町長が?」


 思いもよらなかった人物の登場に、びっくりして目をまるくする。

 ルクレティアが首をふって、


「父方の祖父です。祖父は私という存在をちらつかせることで、家名を上げることができないかと考えました」


 そこで言葉を区切ると、唇をゆがめて表情を一変させた。


「まったく愚かなこと。実力もなく、周囲に喧伝することで認められようなどと。しかも、寵愛の証を心の拠り所とするしかなかった母と違い、祖父はただ我欲の為にそれを行ったのですわ」

「……それで、どうなったんだ」

「もちろん、そんなものが認められるわけがありません。祖父の行いは他の貴族の反感をかい、冷笑を浴び、母は頭のおかしい狂者扱いを受けました。そして、父とともに王都を追い出されました。その父と母が落ち延びた先が、母方の故郷であるメジハです」

「お前は王都に残ったんだな」

「残された、と言った方がよろしいでしょう。遠い田舎に連れていかせては、そこでまた何か騒ぎ出すかもしれず、それに対して危機感はなくとも煩わしさはあったでしょうから。私は、儚い野望を打ち砕かれた祖父の下で、それからの一生を決められました。――飼い殺しというやつです。血などという不確かなものに頼った身内の行いで、私の住処は鳥の籠になったのです」


 ……だからか。

 激情といってもいい感情を燃え上がらせる静かな美貌を前に、俺はようやくわかっていた。


 たたずまいや自意識、姿勢は貴族そのものでありながら、ルクレティアが貴族の大事にする“血”を重要視しようとしない理由。

 なによりまず自分自身の力を頼む能力主義は、そうした生い立ちがあってのものだったのだ。


「それで?」

「ひたすら勉学に励みました。自分自身で生きる力が必要だと考えたからです。幸い、多少は魔道の才にも恵まれましたし、学士院への入学も認められました。ノイエン様と顔見知りになったのは、丁度その頃です」

「ああ、そんなこといってたな。ノイエンは知ってるのか。お前の、その」


 ルクレティアは微妙な表情で首をかしげて、


「噂を耳にしたことくらいは、あるでしょうね。狂った女の娘として、それなりに有名な話でしたから」


 あ、と俺は気になっていたことを思い出した。


「……ここの領主とか、ノイエンがお前にやたら丁寧な態度だった気がするのは、そういうことか」

「さすがに王族の血を云々というほど愚かではないと思いますけれど。そうでなくとも、落ち目の貴族の娘という存在は、狙い目でもあったことでしょう。辺境の田舎領主。准貴族という扱いを受けるノイエン様にとっても、王都は決して生きやすい場所ではなかったはずです」

「貴族の家名を得るための結婚か?」

「あるいは、同情の気分もあったのかもしれません。何しろ善性の人ですし、メジハに落ち延びた父と母のことは、もちろん知っていたはずです。それが同情心にせよ、家名を得るための下心にせよ、幼い私には不愉快なだけでしたが」


 同情するな。家名を目的に近づくな。

 仕方がないとはいえ、その頃のルクレティアはさぞ人を寄せつけない雰囲気だったことだろう。


「……学士院で日々を過ごし、年月が経ち。ある日、遠いメジハから連絡が入りました。町を魔物に襲われ、父と母が亡くなったという訃報でした」


 メジハをウェアウルフが襲った、カーラが町の人間から疎まれる理由になった事件か。


「――私はそれを、またとない機会だと捉えました」


 冷たく乾いた声で、ルクレティアがささやいた。


「機会?」

「その頃になると、私は別の意味で王都の貴族方から警戒されるようになっていました。別段、目だった振る舞いをしているつもりはありませんでしたが、無能な輩に媚びへつらう気もありませんでした。それで飼い殺しでは、いつ殺されても文句は言えません」

「生殺与奪をにぎられているからこその、飼い殺しってわけだ」

「はい。私は、それまでに得た人脈をたよって恩赦を訴えました。遠い田舎で、父と母の死を悼みたいと。そのままそこで一生を過ごすつもりですと。私の扱いに困っていた貴族方はそれを了承して、晴れて私は自由を手に入れました」 


 ルクレティアの表情が自嘲にゆがんで、


「私には、両親を殺した敵や、その種族の血をひくというカーラを恨む権利などないのです。両親の死を悲しむことより、自分の置かれた状況の打開に利用したのですから」


 俺はかける言葉がなかった。


 両親の不幸を利用することがどうとか、血も涙もないなとか。

 そんなことは俺の立場からいえることでもないし、いうことでもないだろう。


 だから、別のことをきいた。


「復讐したいのか? 国とか貴族とか。そういうのに」


 意外そうに俺をみつめたルクレティアが、ちらりと微笑んで、


「まさか。そのようなつもりはありません。けれど、……そうですね。自分の“国”が欲しかったという願望は、あったと思います。女でも、貴族でもなく。自分の力で手に入れる居場所。それこそが、きっと私にとってのメジハでしたから」


 それで、メジハにやってきたルクレティアは、町の人間に上手くとけこめないながら、それまでと違う人生をおくりはじめ――そこにあらわれたのが、洞窟にひきこもる人間のくせに魔物なんぞやってる男と、その手下。

 産業のないメジハで売りになるものはないかと、妖精の鱗粉に目をつけ、洞窟の調査におもむき、捕まり。そのまま、魔物の手下にされてしまった。


 ……ひどい話だ。


「波乱万丈だな」


 他人事のような口調になって、ルクレティアに物凄い目で睨まれた。


「それを貴方様がおっしゃいますか」

「すみません」


 はあ、と忌々しそうにため息をつくルクレティアに、


「にしても。なんで今さらそんなこと、話してくれたんだ?」

「別に隠しているつもりもありませんでしたけれど。ご主人様には、あまり興味がおありではなかったようですから」

「そうか?」

「そうですわ」


 別にそんなつもりはなかったが、きっぱりと断言されてしまった。

 そうかなあ、と頭をひねりながら、


「でも。そうなるとやっぱり、ノイエンはお前との縁談、なかなか諦めきれないんじゃないか」


 准貴族という立場から脱却するために、貴族の名前がほしいというのなら。


「諦めていただくしかありませんわね」


 ルクレティアは冷たくいってから、それに、とつづけた。


「貴族の意味など、いずれは意味を持たなくなるかもしれません。ギルドが力を持ち、貴族以外が台頭すれば自ずとそうなります」

「その話、俺にはいまいちピンとこないんだよな」


 腕を組む俺に、ルクレティアは近くのテーブルから一枚の紙をひろってみせて、


「ご主人様は、為替という言葉をご存知ですか?」

「為替?」

「手形のようなものです。実際に現金をやりとりしないで、遠い場所との商いを可能にする――金貨や銀貨は、重いですから。それを大量にとなれば、どうしても輸送の問題や、防犯上の問題が起きます。それを解決するための手法です」


 置いてあった羽ペンをとり、さらさらと紙面になにかを書きつける。


「ここに金貨100枚分の価値があるとする、と書きました。この紙きれが、実際に金貨100枚分の価値を持つことがあると思いますか?」

「あるわけないだろう」

「いいえ、あります。信用ある勢力の、責任ある立場にある者が、互いの了承の元に行えば、それは可能なことなのです。必要なのは、勢力の信用と、基となる財力。そして公正な契約です」


 渡された紙きれを、俺はしげしげとみつめた。

 ――どこからどうみても、やっぱりただの紙きれだ。


「あるいは将来、世の中には重さではなく、紙面に書かれた金額で価値の分かれる貨幣が出回ることになるかもしれません。金でも銀でもない、“紙の貨幣”が、です」

「まったく想像つかん世の中だな」

「世の中はどうとでも変わり得るというお話ですわ」


 ルクレティアの想像がたくましすぎるのか、それとも俺の発想が貧相すぎるのか。恐らく、そのどちらともだろう。

 降参するように両手をひろげる俺に、ルクレティアがくすりと微笑む。


「では、もっと身近なお話をいたしましょう。私は今、信用と申し上げました。信用とは確固たるもの、変わらないもののことを指します。そして、この世のものはどれも移ろいゆくものですが――その中で、もっとも強固な存在はなんでしょうか」

「強固?」


 確固たる。変わらない。

 頭に浮かんだ連想は、ひとつだった。


「竜だろ」

「その通りです」


 ルクレティアが満足げにうなずいた。


「戦争や衰退の恐れがある国家やそれに近しいどんな国家的勢力より、力という一点で竜はその信用に勝ります。これは、決め事の大前提として考えるのにひどく重要な要素と言えます」

「……“竜貨”? それで、竜を軸にした経済圏とかいってたのか」


 呆然とつぶやいてから、あわてて頭をふった。


「いや。それはない。そんなのはありえないぞ、ルクレティア」

「ご主人様のおっしゃりたいことはわかります」


 ルクレティアがうなずくのをみながら、


「竜が、そんなことを許すはずがない。いいや、最初は面白がって許すかもしれないが、次の日にはころっと忘れて、一切を焼き滅ぼす。それが竜だ。そんなもの、信用になるわけがない」

「そうです。竜は絶対的ゆえに、操れない。晴れた日に外に出て、雷に打たれる可能性はほとんどないとはいえ、必ずそれを起こしてくるのが竜です。ですから、竜を利用しようとするならば、いずれ雷で打たれるか、あるいは雷に打たれない為の何かを持たなければなりません」


 雷に打たれない。

 つまりは、竜の怒りをかわない方法。


「……そんなものあるとは思えないけどな」

「私もそう思います。しかし、暗殺者ギルドと通じていたコーズウェル様は、実際に竜貨という考えを領主様に持ちかけていらっしゃったのです。アカデミー側には、なにかしら考えがあったのかもしれません。竜を御する方法を」


 脳裏に、ストロフライの周囲をまとわりついていた蛇人族の女がよみがえる。

 はあ、とため息をついた。


「そのあたりも、アカデミーとは話をつけとかないとか」

「そうですね。スラ子さんが壊滅させた暗殺者ギルド。彼らがこの街で活動していた拠点を調べさせてはいますが、まともな書類は残っていないようです。もともと、文書契約の間柄ではなかったようですし。コーズウェル様が話してくださるのを待つしかないでしょう」


 そのコーズウェルが、暗殺者ギルドの連中と積極的にかかわり、ハシーナをつかった取引を主導していたということをきいて、俺はもちろん驚いたが、もっと不思議だったのはルクレティアがまるで意外そうにしていなかったことだった。


「いつから怪しんでたんだよ?」

「別に疑っていたわけではありません」


 ルクレティアは肩をすくめていった。


「元々、領主様やノイエン様の近くで発言権のある人物というのは限られますし、コーズウェル様に限れば、私達がこの街に到着して接触してこようとしないことが気にはなっていました。イラドの失態を隠す、あるいは取り返すためには、積極的に主導権を取りにこようとするべきでしたのに」

「……それだけか?」

「なにかしらの躊躇、あるいは見極めをしているからだと考えました。私達と領主様を上手く食い合わせ、自分が漁夫の利を得ることを狙って大人しくしていたようですが、こちらの出方を見極めようとしすぎて、かえって不自然さが浮き彫りでしたわね。そんなところです」


 平然といってのけるが、そういう些細な機微が俺にはまるでわからなかった。

 つくづく自分にはそういう才能がないらしいと、あきらめる。


「まあいいや。それで、ギーツはどうにかなりそうなのか。妖精の薬草をつかうって話だったよな」

「はい。用途はそのまま、ノイエン様がこの街の交易赤字の補填にしようとしていたハシーナ煙草の代わりに使います。竜殺しの名前が使えますし、実際の性能も折り紙つきですから、よい交易品になるでしょう」

「けど、そんなに在庫があったわけでもないだろう。妖精の鱗粉だっていくらでも採れるわけじゃないし、妖精の連中に強制はしたくない。大丈夫なのか?」

「十分です。一気に市場に流してしまってもよろしくありません。今ある在庫分は正確に把握していますし、余裕をもって計画的に商えます」

「でも、それじゃ、ただの一事しのぎにしかならないだろ」


 ギーツでおこなわれてる交易が、どれだけまずい状況かってのは詳しくしらないが、メジハとギーツじゃ経済の規模がちがう。

 いくら妖精の薬草を売りにだしたところで、それで負担をすべてまかなえるとは思えなかったが、


「商いにとって大事な事柄は、金銭を溜め込むことではなく、金銭を腐らせないことですわ。ご主人様」


 ルクレティアはほとんど商人のような口振りで、


「薬草は、慢性的な銭失で活力を失いかけてしまっている、この街に対する発破となれば十分なのです。あとはこの街の潜在的な商材で持ち直せます」

「それじゃ、なんで今まではそれができなかったんだよ」

「上が無能だったからでしょう」


 ばっさりと吐き捨てた。


「金の使いどころを知らずに儲けることなどできません。一切をお抱えの商人に任せ、言われるがままに土地を売り払い、権利を譲り渡して、健全な財政など保てるはずがないのです。特権さえまともに扱えない無能な貴族や無能な領主は、淘汰されて当然です」


 ルクレティアの台詞は、いわれているわけではないはずの俺が痛いくらい痛切だ。


「やっぱり、お前がギーツに居座って、治めたほうがいいんじゃないか?」


 皮肉ではなく、本心から俺がそういうと、ルクレティアは不満そうに眉をひそめた。


「最善をとれといったのは貴方様でしょう」

「いや、だから」

「ギーツと友好関係を結び、その財政を手助けすることはメジハからでもできます。そして、逆にメジハでしか叶わないことがあります。それでは不服ですか」


 真っ直ぐな視線にみつめられて、俺はなぜか答えにつまってしまう。


「いや。ない」

「結構」


 なんで怒られてるみたいになってるんだと思いながら、


「あー。そういや、俺からもいっとくことがあるんだった」

「なんでしょう」

「命令だ」


 俺の一言に、ルクレティアが軽く目をみはる。


 それにむかって、


「――二度と、俺の命令をきかないでいい。俺の命も守られなくていい。効果は永続、発動は即時だ」


 ルクレティアが眉間にしわを寄せた。

 ふくよかな胸に触れ、なにかをたしかめるようにしてから、


「正気ですか」


 俺は肩をすくめて、ついでに舌をみせてやった。


「どうせ命令できないんだったら、こんなもんいらないだろ。それに、いい加減、命令しろしろって挑発されるのも嫌なんだよ」

「……呆れました」


 しばらく俺を凝視してから、ルクレティアが首をふる。


「こんなことになんの意味があります。命令をするおつもりがないのなら、呪いを解けばよいだけではないですか」

「……それで、俺がやったことが消えるわけじゃないだろ」


 ルクレティアにかかった呪印をはずしたところで、やったことはそのままだ。

 ちらりと俺をみたルクレティアが、意地悪そうに唇をゆがめて、


「殊勝なこと。では、そんな行為で、この私が貴方様を許すはずがないということもおわかりですね?」

「わかってるよ。――けど、今は殺されるわけにはいかない」


 スラ子やタイリンのことがあるうちは、死ぬわけにはいかない。

 俺の身内があの洞窟や、その周辺で平和に生きられるようになるまでは、殺されるわけにはいかないのだ。


「そのあとは。殺されたって、文句はいわないさ」


 すっと目を細めて、ルクレティアは冷ややかな一瞥をつくった。


「よい覚悟でいらっしゃいます」

「死にたくないから、思いっきり逃げるけどな」

「それはお好きになさいませ」


 肩をすくめたルクレティアが、


「――五年ですわね」


 ぽつりといった。


「五年?」

「メジハ近隣に住む妖精との友誼は、ご主人様の個人的な関わりによって成り立っています。妖精の薬草は、メジハに基幹産業を興すための一時的な、しかし重要な繋ぎです。産業を興し、環境を整備して、制度を整える。この国で近いうちに起こるであろう大きな変化に耐えられるまでにメジハを強くするのに、五年。……それまでは、ご主人様には死んでもらうわけにはいきません」


 ですから、とルクレティアは冷たく微笑んだ。


「その間は、なんとしてでも生きていてもらいます。容易い自己満足で命を落とすなど、この私が許しません」

「……助かる」


 俺の返答に、ルクレティアは皮肉そうに髪をかきあげて、


「気づいておられないのですね。ご主人様。私が先ほど、竜のことについてお話しましたでしょう」

「竜? ああ、いったな」

「雷に打たれない方法。竜の怒りをかわない為には、竜を御する方法が必要だと申し上げました」

「きいたな」

「しかし、それとは異なるアプローチもありますわ。例えば、竜と契約をかわす。あるいは、竜と個人的な友誼を得ること」


 天上天下な竜と契約? 友誼?

 そんなのどっちも無理な話じゃないか、といいかけて、ルクレティアの表情で気づいた。


「おい。俺に、ストロフライと“そう”しろっていってるわけじゃあないだろうな? そんなこといってみろ、絶対殺されるぞ」

「恐らくそうでしょうね」


 あっさりとルクレティアはうなずいた。


「そのようにお考えになるご主人様だからこそ、あの山頂の黄金竜は、貴方を気に入っているのでしょうから。少しでも増長すれば、すぐに興味をなくし、殺しにかかることでしょう」


 ですが、と続ける。


「だからこそ。今の時点で、貴方はあの黄金竜が気まぐれにもたらす死と破壊から、周囲を護っているのです。地下のリザードマンやマーメイドだけでなく。能や才に拠らず、貴方には生き続けなければならない理由があるのですわ。そしてそれ故に、アカデミーが貴方を狙う理由にもなり得るのです」


 世界の平和そのものが俺の肩にかかっているような台詞に、頬がひきつった。


「……とんでもない話だな」

「ですから、護って差し上げると申しました。今さら洞窟に戻られるご予定はないのでしょう?」

「当たり前だ」


 自分のおかれた状況に、嬉々としてテンションをあげる度胸なんざなかったが、昼間あんなことを宣言した手前、いきなり弱音を吐くわけにもいかない。


 だが、疲労をおぼえたのはたしかだったので、今日のところはこのあたりにしておきたいところではあった。


「そろそろ寝るよ。話はまた明日でいいか?」

「ええ。私もそろそろ休ませていただこうかと思います」

「ああ、わかった――って、おい」


 うなずいて、その場でルクレティアが上を脱ぎだしたのに仰天した。


「おい。おい、なにやってんだ」

「何とはなんですか、一体」


 眉をひそめたルクレティアは、なにを騒いでいるのだといいたげな表情だった。


「脱ぐなよ!」

「私、寝るときはいつもこうだと以前にもお伝えしませんでしたかしら」

「いや、それは聞いたことあるが。……ここは俺の部屋だ!」

「知っています」


 平然としたルクレティアが、ああ、と小さくうなずいて、


「ご心配なく。スラ子さんやカーラ、スケルさんには前もってお伝えしてありますから」 

「なにをだよ!」

「今夜、この部屋で同衾させていただくことです。皆様、こころよく了承していただけましたわよ」

「なにやってんだよ!」


 悲鳴じみた叫びをあげてから、え、と思った。


「きいたのか? ……カーラも? カーラが、いいっていったのか」

「はい。もっとも、内心でどう思われたかまでは知ったことではありませんが」

「駄目じゃねえか!」

「本音がどうあれ、刃物を持ったまま笑顔をかわすことくらい誰にでもできますわ」

「なおさら怖いわ!」


 ルクレティアは俺の絶叫などどこ吹く風とばかりに、薄すぎる肌着姿になると、あらわな肢体を隠そうともせずに、こちらに近づいてきた。


「待て! 俺、怪我してるし! ほら、矢が膝に! 太股だけど!」

「かまいません。動けないなどと無様をおっしゃるなら、陸にあがった魚のように死んでいらっしゃればよろしいでしょう」


 豪奢な金髪をかきあげる。

 見事すぎるくらいに均整のとれたプロポーションに、ぞっとするほど蠱惑的な微笑。


 心臓がぎゅっと握り締められるようにすくんで、息がとまった。

 なんとかあえぐように呼吸をしながら、あとずさる。


 怖かった。

 ものすごく怖かった。


「待ってくれ。今日は色々あって、俺も疲れてるんだ。それに――」

「それに?」

「明日は、ほら! カーラとの約束があって! 街にでないといけないからっ」

「ああ、そうでしたか」


 ルクレティアは驚いたように目をまばたかせて、


「それでは尚更、好都合というものです」

「なんでだよ!?」

「他の女にまわす体力があるくらいなら、いっそのこと空まで搾り取ってしまおうと考えるのは当然でしょう?」

「悪魔かお前は!」


 恐れおののきながら、あとずさりつづける。


 狭い室内だ。

 すぐに退路はなくなり、膝裏にベッドの固い感触があたった。


 ルクレティアは悠然と、勝利を確信した表情で近づいてくる。


「待っ――」


 押し倒された。


 布団のうえに倒れこむ、そのうえに乗りかかるようにして、馬乗りになったルクレティアが俺をみおろしてくる。

 その切れ長の眼差しに、心の底から恐怖した。


 ――捕食者だ、これ!


「命令! 命令する! オーダー! 今すぐ自分の部屋に帰れ! そして思う存分、自分をなぐさめやがってください!」

「ご自分のおっしゃったことをお忘れですか」


 酷薄な笑みを浮かべたルクレティアが、


「私の胸はもう、あなたの命令など聞き入れません。今の貴方にできることは、そんなことではありませんわ」

「じゃあなんだよ!?」

「それはもちろん――舐めて、触って、揉んで。こころゆくまでおしゃぶりになって、存分にお楽しみなさいませ」


 妖艶な笑みで愉しげにささやいた。


「あのおぞましい生き物に昼も夜もなくなぶられてから、ずっと、芯まで身体が疼いているのです。――ご主人様に、死ぬことすら生温い快楽というものを教えてさしあげますわ」



 そして。

 拷問の夜が、幕をあけた。


                                                 7章 おわり

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